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藤原審爾の情報 (ふじわらしんじ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【7月3日】今日誕生日の芸能人・有名人

藤原審爾の情報(ふじわらしんじ) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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藤原 審爾さんについて調べます

■名前・氏名
藤原 審爾
(読み:ふじわら しんじ)
■職業
作家
■藤原審爾の誕生日・生年月日
1921年3月7日 (年齢63歳没)
酉年(とり年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
東京出身

藤原審爾と同じ1921年生まれの有名人・芸能人

藤原審爾と同じ3月7日生まれの有名人・芸能人

藤原審爾と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


藤原審爾と関係のある人

木村威夫: 『逃亡者 (1959年の映画)|逃亡者』(1959年、古川卓巳監督、星川清司脚本、藤原審爾原作)


花田紀凱: 『オール讀物』編集部に配属され、池波正太郎、五味康祐、瀬戸内晴美、藤原審爾などを担当。


今村昌平: 果しなき欲望(1958年11月)日活 原作:藤原審爾


丹阿弥谷津子: 太陽は狂ってる(1961年)監督:舛田利雄 共演:吉永小百合 原作:藤原審爾


今村昌平: 赤い殺意(1964年)日活 原作:藤原審爾


岡田茉莉子: 24歳で松竹へ移籍後、藤原審爾の小説『秋津温泉』の新子役を演じてみたいと思い、松竹の上役に同作の映画化を提案。


藤真利子: わが人生に乾杯! (2010年10月28日 NHKラジオ第1放送) - 父藤原審爾のこと、聖心女子大学時代から女優デビュー、飢餓海峡出演の契機、緒形拳の思い出、作詞作曲家微美杏里(びび あんり)としての活動、舞台などについて語った。


増村保造: ある殺し屋の鍵(1967年、大映京都)原作:藤原審爾、監督:森一生、脚本:小滝光郎、構成:増村保造


藤真利子: 父は藤原審爾


田村孟: 原作・藤原審爾


大塚清六: 以後、藤原審爾、高木彬光、島田一男、大藪春彦、五木寛之、笹沢左保などの小説の挿絵を手がけるようになったが、なかでも大藪春彦とは彼が初めての長篇小説「血の罠」の連載を開始した1958年から1973年まで断続的にコンビを組んだ。


増村保造: ある殺し屋(1987年、大映京都)原作:藤原審爾、監督:森一生、脚本:増村保造・石松愛弘


金子成人: その後は『大都会 PARTII』『大追跡』などの刑事アクション物の執筆を経て頭角を表し、1979年、中学生の自殺問題を扱った藤原審爾の同名著書を原作とする単発ドラマ『死にたがる子』(NHK)が第6回放送文化基金賞ドラマ部門本賞を受賞。


色川武大: 『小説倶楽部』誌の編集者として藤原審爾や山田風太郎のサロンに出入りをする。


高橋治: 1950年代後半から藤原審爾に師事。


富田清吾: 中央大学に在籍していたものの、野球部出身ではなく、作家の藤原審爾がオーナーをしている準硬式リーグの名門藤原チームのエースだった。


増村保造: ぐれん隊純情派(1963年、大映東京)原作:藤原審爾、脚本:小滝光郎・増村保造


伊海田弘: 『馬鹿まるだし』 : 監督山田洋次、原作藤原審爾、脚本加藤泰・山田洋次、主演ハナ肇、製作松竹大船撮影所、配給松竹、1964年1月15日公開(映倫番号 13449) - 「二階堂博」名義、87分の上映用プリントをNFCが所蔵


藤原審爾の情報まとめ

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藤原 審爾(ふじわら しんじ)さんの誕生日は1921年3月7日です。東京出身の作家のようです。

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作品、人物像などについてまとめました。映画、現在、事件、結婚、家族、テレビ、ドラマ、姉妹、趣味に関する情報もありますね。63歳で亡くなられているようです。

藤原審爾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

藤原 審爾(ふじわら しんじ、1921年3月7日 - 1984年12月20日)は、日本の小説家。幾度も大病を患いながら、純文学からサスペンス、恋愛ものやハードボイルドなど、幅広いジャンルの作品を発表し、「小説の名人」の異名をとった。また映画化された作品の多さから「映画に愛された小説家」とも評される。女優藤真利子は息女。直木賞、小説新潮賞受賞。

東京市本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市・法鏡寺がある場所)で祖母に育てられた。閑谷中学校在学中に祖母とも死別、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退する。療養生活を続けながら雑誌社で編集を手伝う傍ら、外村繁に投書雑誌の選者をしていた縁で師事して創作活動を行い、同人誌『曙』を発行。1945年の岡山空襲で吉備津に疎開、戦後は倉敷市に移り、同人誌『文学祭』を発行する。同誌に掲載した「煉獄の曲」が河盛好蔵に認められた。戦後まもなくの頃について、自身は「学生のころはリルケ、ボードレール、ヴァレリー、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』、梶井基次郎などを読んだが、そのうちリリカルなものがプチブル的に思え、それを克服しようと思って、いろいろ狂ってきましてね」と語っている。

1946年に外村の雑誌『素直』に「破倫」、また河盛の推薦で『新潮』に「永夜」、『新生』に「初花」を発表する。この頃は骨董屋になろうとしていたが、翌年、山奥の温泉宿での出来事を詩情豊かに綴った「秋津温泉」を発表、文壇での評価を得て1948年に上京、外村の家に下宿しながら本格的な作家活動に入った。新宿で焼け跡闇市派作家として酒と麻雀の放蕩無頼の生活を送りつつ、話題作「魔子を待つ間」などを発表するが肺結核が再発して入院。1950年に2度の大手術で肋骨8本を切除した。藤原は1952年までつづいた入院期期間中にも入院費の捻出と妻子への仕送りのために小説を書き続け、中間小説誌ブームに乗って社会派風俗小説の書き手となった。

1952年、「罪な女」「斧の定九郎」「白い百足虫」の三作品で第27回直木賞を受賞、選評では、小島政二郎「文章の一つ一つがピタッ、ピタッと女の急所を押さえている見事さは、心憎い位の魅力」、井伏鱒二「女性の本能的な正体を書き現わす」「野性味も実に野放しの感じ」と評された。この頃、親友の戸石泰一のつながりで日ソ図書館の文学学校や中央労働学院の講師を務め、雑誌『文学の友』(旧『人民文学』)の編集委員も担った。1954年末に胆石症で手術。1955年、占領軍による暴行、陵辱事件を扱った「裏切られた女達」を『小説公園』に連載(後に『みんなが見ている前で』として出版)。また『赤い殺意』『金と女と死』などのサスペンス小説や犯罪小説を量産した。1962年には「殿様と口紅」で小説新潮賞を受賞した。

その後もさまざまなジャンルに旺盛な好奇心を示し、1967年には日本では書かれること自体が少ない軽ハードボイルドの連作短編集『悪魔からの勲章』を発表。また「日本の87分署」と評される警察小説の先駆的作品「新宿警察」シリーズ、『赤い標的』などのスパイ小説、『総長への道』などの仁侠ものも手がけた。さらに1972年には動物小説集『狼よ、はなやかに翔べ』も発表している。

1973年、肝硬変と糖尿病で入院。1970年代後半からは『死にたがる子』『落ちこぼれ家庭』『結婚の資格』など、家庭問題をテーマとした社会性の強い作品を相次いで発表。さらに『さきに愛ありて』などの教養小説・恋愛小説、『妖怪の人間狩り』『大妖怪』などの妖怪小説も書いた。

映画化された作品も多く、その中には日本映画史に重要な地位を占める作品も少なくない。「庭にひともと白木蓮」は山田洋次により『馬鹿まるだし』として映画化されて「馬鹿シリーズ」に続き、本作でのエピソードを積み重ねる手法は『男はつらいよ』シリーズにも踏襲された。『わが国おんな三割安』中の作品は、松竹の「喜劇・女シリーズ」として3作が映画化され、当時の「大船喜劇」のドル箱的作品となった。一方で「殺し屋」は『拳銃は俺のパスポート』、「前夜」は『ある殺し屋』として映画化されており、いずれも日本映画を代表するフィルム・ノワールの傑作とされるなど、ジャンルを横断する藤原の特性が際立つかたちとなっている。

また藤原は1950年代から「藤原学校」と呼ばれる勉強会を自宅で開き、三好京三、山田洋次、江國滋、色川武大、高橋治らの後進を育てた。中でも色川との関係は格別で、元双葉社の編集者・柳橋史によれば、両者の関係は「兄事しているような、遊び友達のような、それでいてライバルのような愉しい関係だった」という。

ライフワークとして『宮本武蔵』の執筆を進める中、1984年に癌で入院し4ヶ月の入院生活の後に死去した。63歳没。墓所は生前の言葉通りに、故郷の片上町の祖母の墓の近くにある。

作品

秋津温泉と初期作品

1947年に発表して、作家としての地位を得るきっかけとなるとともに藤原の初期の代表作として挙げられる。戦時中の21歳頃から書き進めていて、1947年に前半を『人間別冊』に、後半を『別冊文藝春秋』に掲載。1948年、講談社の新鋭文学選書として刊行された。加筆したものを1949年に新潮社より刊行。1988年に集英社文庫刊。

藤原自身にも重なる境遇の、両親のない17歳の少年が伯母に連れられて山奥の秋津の温泉宿を訪れ3年後、その5年後、また8年後と繰り返し秋津を訪れながらそこで出会った女性と妻子を持つ身となっていく主人公の関わりを叙情的に描いている。井伏鱒二も藤原について「底抜けに詩情ゆたかな筆致」「戦後の混乱した世相と対蹠的で特に引きたった」と評している。舞台の秋津温泉は、岡山県の奥津温泉がモデルの架空の地名で、また藤原が伯母に連れられて湯治に訪れていた紀州の温泉もモデルの一つ。この伯母と思われる人物を描く短編「紅顔」(1948)もある。

1962年、松竹にて岡田茉莉子の企画・主演、吉田喜重監督で映画化された。

本作や「愛撫」、新宿の飲み屋の魔子を愛する経緯を描いた連作「魔子シリーズ」など私小説的な初期作品は、心理主義、文体と情感で読ませる作風と言われる。「魔子シリーズ」は妻子を岡山の実家に帰して東京で執筆を続ける作家である「私」が、屋台にいる若い女魔子と愛し合うようになり、一時帰郷した岡山から魔子に手紙を書く「魔子への手紙」、屋台で酒を飲みながら魔子に耽溺していく自分をみつめている「魔子を待つ間」、魔子の家族にも二人の関係が知れて「私」は別離の予感も覚えながら仕事のために転居するが、その宿へ魔子が訪れて来る「初夜」の3作、また昭和29年までについての自伝的作品として『愛の夜 孤独の夜』がある。

『秋津温泉』講談社 1948年(加筆版 新潮社 1949年)

『初花』桜井書店 1947年(短編集)

『浮寝』改造社 1948年(短編集)

『藤の実の落ちる季節』改造社 1949年(短編集)

『魔子』世界社 1950年(「魔子への手紙」「魔子を待つ間」「初夜」)

新宿警察

新宿にある架空の警察署「新宿警察」を舞台に、根来刑事を初めとする刑事たちの活躍を描く警察小説。エド・マクベインの87分署シリーズのように複数の刑事達の行動が並行して描かれるスタイルで、「日本の87分署」とも言われる。1975年に「新宿警察」としてテレビドラマ化された。執筆当初は実際には新宿の警察署は淀橋警察署という名前で、新宿警察署というのは実在しない架空の警察署だった。自身では「ある時会った所轄の刑事たちが〜燃えるような情熱をもっていることを知って、わたしはそれにうたれた」のを契機に書き始めたと述べている。

『若い刑事』 彌生書房 1960年(短編集) - 表題作「若い刑事」のみシリーズ作品(シリーズ第1作)

『新宿警察』 報知新聞社 1968年(短編集) - 非シリーズ作品を含む

『新宿広場』 報知新聞社 1969年(短編集)

『新宿その暗黒の恋』 実業之日本社 1970年(長編)

『マリファナ』 双葉社 1972年(短編集)

『新宿真夜中ソング』 桃園書房 1974年 (短編集)

『新宿警察』 双葉社 1975年(短編集) - 報知新聞社版とは収録作品が異なる

『続新宿警察』 双葉社 1975年(短編集)

『愛しながら殺せ』 グリーンアロー出版社 1975年(短編集)

『マリファナ殺人事件』 実業之日本社 1977年(短編集)

『新宿心中』 実業之日本社 1978年(短編集)

『真夜中の狩人』 実業之日本社 1978年(短編集)

『真夜中の狩人』 角川文庫 1981年(短編集) - 実業之日本社版とは収録作品が異なる

『あたしにも殺させて』 双葉社 1984年(長編)

『新宿警察』『慈悲の報酬』『所轄刑事』『新宿生餌』 双葉文庫 2009年(短編集) - 双葉社版『新宿警察』『続新宿警察』を分冊化したもの

これ以外にもシリーズ作品を収録した短編集が存在する他、非シリーズ作品である『女の性の精』(1970年)『わが国おんな三割安』(1970年)『よるべなき男の仕事・殺し』(1975年)の舞台も「新宿署」の管轄で、シリーズ中の刑事が登場する。

推理・サスペンス

『贅沢な殺人』は、「夫と妻に捧げる犯罪」ものの推理小説。『赤い殺意』は平凡な主婦が殺人に手を染めようとするサスペンス小説。『ろくでなしはろくでなし』は悪徳新聞記者を主人公にしたハードボイルド風の社会派推理小説。『悪魔からの勲章』は私立探偵の活躍する連作短編で、軽ハードボイルドとも言われる。

『赤い標的』は労働スパイをサスペンスタッチで描き、『薄毛は悪女』はスパイとして活躍するようになる女を描いたいたのスパイ小説。『スパイ・その苦い歳月』も日米混血の女スパイが日本で活躍する作品。『東京の真赤な雲雀』は石油問題に絡む各国の諜報組織の暗躍を描いている。

『金と女と死』はチンピラがヤクザの大物に成り上がっていく過程を描いた暗黒小説。『恐喝こそわが人生』『黒幕』は社会の表面には出ない巨大な力を持つ悪人を巡り、その力を利用する者や、それに挑む男を描き、『よるべなき男の仕事・殺し』は殺し屋とそれを追う刑事を描いている。

『赤い殺意』光文社 1959年(『女性自身』1959年5-9月) のち集英社文庫

『金と女と死』東方社 1961年(『週刊漫画TIMES』1959年1月7日-8月5日) のち角川文庫

『悪魔からの勲章』双葉社 1967年、改題『拳銃(ハジキ)の詩(うた)』角川文庫 1979年

『赤い標的』双葉社 1968年 のち角川文庫

『恐喝こそわが人生』報知新聞社 1968年(『共同通信』1962年連載)のち角川文庫

『贅沢な殺人』文藝春秋 1969年 のち角川文庫

『ろくでなしはろくでなし』いんなあとりっぷ社 1974年(『小説新潮』1973年連載)のち角川文庫

『黒幕』新評社 1975年(『新評』1973年連載)、角川文庫 1978年

『よるべなき男の仕事・殺し』双葉社 1975年 のち角川文庫

『薄毛は悪女』双葉社 1976年(『問題小説』1976年)、改題『暗号名は赤い蛇』角川文庫

『東京の真赤な雲雀』双葉社 1978年(『新評』1977年2月-1973年2月)、改題『国際大謀略作戦』角川文庫 1981年

『スパイ・その苦い歳月』双葉社 1978年 のち角川文庫

ユーモアと人情

「庭にひともと白木蓮」は敗戦直後の瀬戸内海沿岸の小さな町で単純で純粋な男を描いた「美しい小説」(山田洋二)だが、映画化された『馬鹿まるだし』では喜劇として売り出され、また受け入れられた。『へそまがり』も同じように藤原の故郷片上がモデルの町で、海を埋め立てて工場を作るのに抵抗する男を描いている。また『愛すべき人物』も、同じ土地の出身の純真な青年が東京で生きていく物語。『三行人生』も三行広告によって岡山から東京に出てきた娘を描いた作品。またお座敷ストリップの斡旋事務所に人々の悲哀を描く『わが国おんな三割安』、30年も娼婦をしている女たちを描いた『誰でも愛してあげる』がある。ユーモア小説について自身では「こういう市井のよき人々への尊敬の念から出発しなければ、おかしさがこの世にとゞまらぬようである。呵々大笑は敬してこそ得られるものに違いない」(『藤原審爾の極楽亭主』著者のことば)とも述べている。

『三行人生』東方社 1956年(『サン写真新聞』1953年) のち徳間文庫

『わが国おんな三割安』徳間書店 1970年 のち文庫

『藤原審爾の極楽亭主』KKベストセラーズ 1973年(「東京どまんなか」「わが国女房五割安」)

『へそまがり』中央公論社 1974年(『地上』1973年連載)(徳間文庫『われらが国のへそまがり』1985年)

『愛すべき人物』双葉社 1977年(『週刊読売』1967年連載)のち徳間文庫

『誰でも愛してあげる』双葉社 1979年(連作短編集) のち徳間文庫

他の小説

『恋愛神話』矢代書店 1950年

『湖上の薔薇』新潮社 1950年(『小説新潮』1949年)

『新版好色一代男』新潮社 1950年

『花びらの肖像』東京文庫 1951年(短編集)

『伊豆物語』東京文庫 1951年(短編集)

『青春の肖像』小説朝日社 1952年(短編集、「罪な女」所収)

『安五郎出世』小説朝日社 1952年(短編集)

『藤十郎狸武勇伝』三啓社 1953年(短編集)

『好色五人女』紫書房 1953年

『美しき欲望』(『サンケイ新聞』1953年)

『海の囁き』山田書店 1955年(『婦人画報』1952年)

『初夜』鱒書房 1955年(短編集)

『みんなが見ている前で 占領下日本女性受難の記録 正・続』鱒書房(コバルト新書) 1955年

『ぼくらの恋人たち』河出書房 1955年

『裏切られた女達』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス) 1956年(『小説公園』1955年)

『東京のサラリーガール』東洋書館 1956年

『辱しめられても』虎書房 1957年

『みんなが知っている 百万支那派遣軍による中国婦女子の受難』春陽堂書店 1957年

『この女に手を出すな』東方社 1957年

『人斬り稼業』講談社 1957年

『夜に生きる女たち』(『キング』1957年)

『夜ひとり哭く』光風社 1958年

『悪魔と天使の季節』大日本雄弁会講談社 1958年(『小説サロン』1957年)

『青い夢の夜』光風社 1958年(『週刊アサヒ芸能』1958年)

『盗賊説法』和同出版 1958年(『中日新聞』1954年)

『愛染天使』小壷天書房 1958年(短編集)

『果しなき欲望』光風社 1958年

『恋がノックをする時』和同出版社 1959年(『サン写真新聞』1953年)

『愛のかたち』平凡出版 1959年(『婦人朝日』1958年)

『千姫』中央公論社 1959年(『婦人公論』1958年)

『静かな脱獄者』アサヒ芸能出版 1960年

『花と風とギャング達』昭和書館 1961年(『生きる女性』1960年連載)

『可愛いめんどりが歌った』東方社 1962年(『週刊平凡』1960年連載)

『泥だらけの純情』七曜社 1962年(短編集)

結婚までを』講談社 1963年(『婦人画報』1960年)のち集英社文庫

『殿様と口紅』新潮社 1963年(短編集)

『ぐれん隊純情派』七曜社 1963年

『三尺高い空の上-鼠小僧異聞-』双葉社 1964年(『サンケイ新聞』1962年連載)

『黄金の女』光風社 1964年

『好色七人女』双葉社 1965年(短編集)

『逃亡者』久保書店 1965年(短編集)

『わたしの事情』講談社 1965年

『赤い関係』双葉社 1966年(『週刊大衆』1965年連載)

『愛と孤独と昼と夜』講談社 1966年

『愛しながらの別れ』春陽文庫 1966年

『武士道地獄』報知新聞社 1968年 のち集英社文庫

『孤狼のバラード』日本文華社 1968年

『不良外人白書』講談社 1969年

『赤い殺し屋』日本文華社 1969年

『殺しの手順』秋田書店 1969年(短編集)

『女類妻族』報知新聞社 1969年

『女の性の精』講談社 1970年(『小説宝石』1969年)

『赤い愛の生活』双葉社 1970年(『週刊大衆』1969年)

『青春売ります』青樹社 1970年

『散歩のように恋を』桃園書房 1971年

『総長への道』(シリーズ) 双葉社 1971年(『週刊大衆』1970-71年連載)のち角川文庫

『昭和おんな仁義』実業之日本社 1971年

『夜は回転する』日本文華社 1972年

『東京下町しあわせ人間』世紀出版 1972年

『天才投手』KKベストセラーズ 1972年(『報知新聞』1971年連載)のち徳間文庫

『旅鴉でござんす』日本文華社 1972年

『おそい愛』東邦出版社 1972年 のち講談社文庫

『藤原審爾の奇妙種族』KKベストセラーズ 1972年(「わが国おんな三割安」「今日駄目人間」)

『総長への道・番外編』双葉社 1972年

『狼よ、はなやかに翔べ』講談社 1973年 のち角川文庫(「山犬たちが吠える夜」「赤い人食い熊」「黒豹よ、魔人のごとく襲え」)

『愛すること死ぬこと』東邦出版社 1973年

『さきに愛ありて』第1-6部 新潮社 1973-77年(『赤旗 日曜版』1973-76年連載)(新潮文庫 1985年)

『シャム猫ロマンの放浪』新潮社 1974年(短編集)

『妖怪の人間狩り』ベストセラーズ 1974年

『花氷』いんなあとりっぷ社 1974年(『京都新聞』1972年連載)(講談社文庫 1978年)

『あこがれの関係』講談社 1974年(『週刊現代』1973年連載)(角川文庫 1982年)

『鴉五千羽夕陽に向う』読売新聞社 1975年 のち角川文庫 (『小説現代』1974年連載『今、鴉五千羽、夕陽に向う』改題)

『昭和水滸伝』双葉社 1974年-76年(『週刊大衆』1973-74年連載)のち角川文庫 、小学館文庫

『女王陛下は御満悦』ベストセラーズ 1975年(『小説宝石』1974年) のち徳間文庫

『野球賭博』ワールドフォトプレス 1975年(短編集)

『三人姉妹』東邦出版社 1975年(『東京タイムス』1956-57年)

『女の頭男の頭 ぎょっとする17個所』青春出版社 1975年

『鏡の間』講談社 1976年(短編集)

『私は、ヒモです』実業之日本社 1976年 のち徳間文庫(「庭にひともと白木蓮」所収)

『エンタープライズ爆破計画』双葉社 1976年(『週刊小説』1976年) のち角川文庫

『薔薇の人』文藝春秋 1976年

『寝息』光風社 1976年

『怒りて猿よ山を揺すれ』光文社 1977年(『小説現代』1975年)のち角川文庫

『天の花と実』新潮社 1977年(『女性自身』1976年)

『死にたがる子』新日本出版社 1978年(『文化評論』1977年) のち新潮文庫

『大妖怪』文藝春秋 1978年(短編集) のち文庫、集英社文庫

『天空拳勝負録』双葉社 1978年(『週刊大衆』1978-79年) のち角川文庫

『恐喝その死の匂い』双葉社 1979年

『落ちこぼれ家庭』新日本出版社 1979年(『赤旗』1978年10月1日-1979年5月15日) のち新潮文庫

『愛の夜 孤独の夜』講談社 1980年

『これがビッグドライブだ』ごま書房(ゴマブックス)1980年

『繪本の騎士』実業之日本社 1981年(短編集)

結婚の資格』新日本出版社 1981年(『女性のひろば』1979年) のち新潮文庫

『熊鷹青空の美しき狩人』文藝春秋 1982年

『風と夢・オンザロード』三推社 1983年 のち角川文庫

『涙ながして、また夜』新潮社 1984年

『まだ愛を知らない』新日本出版社 1984-85年(未完)

ほか。作品の正確な書誌は作成できておらず、特に量産期に未単行本化の不明作品があると見られている。

エッセイ・ノンフィクション

『孤独のために感傷のために わが闘病の記録』春陽堂書店 1958年

『日本やきもの旅行5』 平凡社 1976年(共著)

『昨日の頭 明日の頭』青春出版社 1977年

『この「落ちこぼし」教育 教師・父母への提言』現代史出版会 1979年(槙枝元文と共著)

『一人はうまからず』毎日新聞社 1985年

『遺す言葉』新潮社 1985年(『波』1976年)

作品集

『藤原審爾作品集』(全7巻)森脇文庫 1957-58年

『藤原審爾 その華麗な世界』双葉社 1975-79年

『永夜 ひたむきな女たちの物語』現代史出版会 1978年(自選作品集)

『講談社大衆文学館 赤い殺意・罪な女』講談社 1997年

『藤原審爾 昭和の短篇一人一冊集成』結城信孝編 未知谷 2008年

人物像

藤原は若い頃の肺結核の後も胆嚢の切除、心臓病、腎臓病、肝硬変、糖尿病など数々の持病に悩まされた。

多彩な趣味も有名で、陶芸、釣り、ビリヤードなどの他、野球ではチーム「藤原」を結成して東京都代表として1969年長崎国体出場、建築設計では自宅の他に知人の屋敷や民芸館を設計、麻雀では色川武大からも「旦那芸としては、玄人に近いレベル」と評された。バイク小説『風と夢・オンザロード』連載中には自動二輪免許も取得した。『日本やきもの旅行』では、よく訪れる先として丹波焼の項「丹波焼昨日今日」を担当。尊敬する作家は広津和郎で、自宅にその書「何よりもまず、正しい道理の通る国にしよう、この我等の国を」を飾っていた。

2024/07/01 21:36更新

fujiwara shinji


藤原審爾と同じ誕生日3月7日生まれ、同じ東京出身の人

菊池 風磨(きくち ふうま)
【Timelesz】
1995年3月7日生まれの有名人 東京出身

菊池 風磨(きくち ふうま、1995年〈平成7年〉3月7日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・timeleszのメンバー。 東京都杉並区出身。STARTO ENTERTAI…

尾崎 加寿夫(おざき かずお)
1960年3月7日生まれの有名人 東京出身

尾崎 加寿夫(おざき かずお、1960年(昭和35年)3月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー解説者。ポジションはフォワード。奥寺康彦に次いで日本人として2人目のサッカー・ブンデスリー…

はねだ えりか(はねだえりか)
1973年3月7日生まれの有名人 東京出身

はねだ えりか(1973年3月7日 - )は、日本のタレント。東京都中野区出身。アイドルグループCoCo元メンバーである。2005年10月、所属事務所ジャパン・ミュージックエンターテインメントより独立…

たかはし ゆい(たかはし ゆい)
1984年3月7日生まれの有名人 東京出身

たかはし ゆい(たかはし ゆい、1984年〈昭和59年〉3月7日 - )は、日本のタレントで、女性アイドルグループ・SDN48の元メンバー。現在はガイドワークス社系雑誌でパチスロライターとしても活躍中…

田野 優花(たの ゆうか)
【AKB48】
1997年3月7日生まれの有名人 東京出身

田野 優花(たの ゆうか、1997年〈平成9年〉3月7日 - )は、日本の女優。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。東京都出身。ワイケーエージェント所属。 2011年 2月20日、AK…

武井 梨夏(たけい りか)
1994年3月7日生まれの有名人 東京出身

武井 梨夏(たけい りか、1994年3月7日 - )は日本の女優。東京都出身。 ショートストーリーズvol.5「マリッジブルーコンプレックス」 脚注 ^ “武井 梨夏 たけい りか”. …

佐々木 直美(ささき なおみ)
3月7日生まれの有名人 東京出身

佐々木 直美(ささき なおみ、3月7日 - )は、日本の女優、タレント。所属事務所はトミーズアーティストカンパニー。東京都出身。 お笑いユニット・ヤンキーフォーのメンバー。愛称は「姉御」、「姉さん」、…

林 暁代(はやし あきよ)
1981年3月7日生まれの有名人 東京出身

林 暁代(はやし あきよ、1981年3月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。オールウェーブ・アソシエツ所属。 東京都出身。跡見学園中学校・高等学校、日本大学芸術学部を卒業後、2003年4月に…

里 匠(さと たくみ)
1968年3月7日生まれの有名人 東京出身

里 匠(さと たくみ、1968年3月7日 - )は、NHKのチーフアナウンサー、プロデューサー。 東京都立豊多摩高等学校を経て早稲田大学教育学部を卒業後、1992年入局。 アニメ好きで知られてお…

井上 洋介(いのうえ ようすけ)
1931年3月7日生まれの有名人 東京出身

井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、日本の絵画・版画美術家、日本の絵本作家、イラストレーター。東京(港区赤坂)出身。武蔵野美術学校…

宮崎 智栄子(みやざき ちえこ)
3月7日生まれの有名人 東京出身

宮崎 智栄子(みやざき ちえこ、3月7日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。プロダクション・エース所属。 かつてはメディアフォースに所属していた。 翠星のガルガンティア(おばさん) アイカツ…


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藤原 丈一郎(ふじわら じょういちろう)
【なにわ男子】
1996年2月8日生まれの有名人 大阪出身

藤原 丈一郎(ふじわら じょういちろう、1996年〈平成8年〉2月8日 - )は、日本のアイドル、俳優。男性アイドルグループ・なにわ男子のメンバー。愛称は、丈、じょう。 大阪府出身。STARTO E…

藤原 令子(ふじわら れいこ)
1994年8月16日生まれの有名人 岡山出身

藤原 令子(ふじわら れいこ、1994年8月16日 - )は、日本の元女優。 岡山県倉敷市出身。FLaMmeに所属していた。 小学5年生の時、母親が応募した少女漫画誌「りぼん」の読者モデルに選ば…

藤原 理恵(ふじわら りえ)
1970年2月5日生まれの有名人 岡山出身

藤原 理恵(ふじわら りえ、1970年2月5日 - )は日本の女性タレントである。元アイドル歌手。岡山県出身。1991年に結成された女性ユニット 『C.C.ガールズ』の初代メンバーのひとりとしても知ら…

藤原 紀香(ふじわら のりか)
1971年6月28日生まれの有名人 兵庫出身

藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。第24回(1992年度)ミス日本。 兵庫県西宮市出身。西宮市立生瀬小学校、親和中学校・親和女子高等学校卒業…

藤原 夏姫(ふじわら なつき)
8月9日生まれの有名人 北海道出身

藤原 夏姫(ふじわら なつき、8月9日 - )は、北海道札幌市 出身の日本の声優、グラビアアイドル、コスプレイヤー。メイド喫茶「@ほぉ〜むカフェ」の元メイド。趣味はコスプレ、美少女観察、百合アニメ鑑賞…

藤原 しおり(ふじわら しおり)
1990年8月3日生まれの有名人 岡山出身

藤原 しおり(ふじわら しおり、1990年〈平成2年〉8月3日 - )は、日本のタレント、元お笑い芸人。岡山県岡山市出身。旧芸名はブルゾンちえみ。 ワタナベエンターテインメントに所属し、お笑いコンビ…

藤原 あずさ(ふじわら あずさ)
1998年5月10日生まれの有名人 岡山出身

藤原 あずさ(ふじわら あずさ、1998年〈平成10年〉5月10日 - )は、日本のローカルタレント。女性アイドルグループ・STU48の元メンバーである。岡山県玉野市出身。RAMPAGE所属。 1…

藤原 あき(ふじわら あき)
1897年8月10日生まれの有名人 東京出身

藤原 あき(ふじわら あき、1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、政治家。自由民主党参議院議員(1期)。資生堂美容学校校長。藤原義江の元妻。中上川彦次郎の庶子。参議院議員時…

藤原 ななこ(ふじわら ななこ)
1985年2月7日生まれの有名人 東京出身

藤原 ななこ(ふじわら ななこ、1985年2月7日 - )は、日本の元着エロ系グラビアアイドル。旧名・藤原 七虹(読み方同じ)。東京都出身。フィットワンに所属していた。 2004年のデビュー当初か…

富士原 恭平(ふじわら きょうへい)
1961年2月17日生まれの有名人 東京出身

関連作品(映画) 1991年公開 福沢諭吉 1988年-1989年 もっとあぶない刑事 第5話「争奪」徳丸一三(和光貿易 専務) - 八名信夫 本庄恭兵(恐喝犯) - 富士原恭平 1988年公開…

藤原 誠(ふじわら まこと)
1947年5月11日生まれの有名人 東京出身

藤原 誠(ふじわら まこと、1947年5月11日 - 没年不明(一説に2002年5月13日))は、日本の歌手。東京都府中出身。 東京都府中市に生まれる。小学校5年生よりフルートを習う。神奈川県立川…

藤原 さくら(ふじわら さくら)
1995年12月30日生まれの有名人 福岡出身

藤原 さくら(ふじわら さくら、1995年12月30日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。所属事務所はアミューズ、所属レコードレーベルは自主レーベルの「Tiny Jungle Record…

藤原 新也(ふじわら しんや)
1944年3月4日生まれの有名人 福岡出身

藤原 新也(ふじわら しんや、1944年3月4日 - )は、日本の作家・随筆家、写真家・旅人である。麻原彰晃の研究家としても知られる。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)の門司港地区生まれ。生家…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「藤原審爾」を素材として二次利用しています。

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