今村昌平の情報(いまむらしょうへい) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
今村 昌平さんについて調べます
■名前・氏名 |
今村昌平と関係のある人
近藤正臣: 事務所代表と出会ってから1年近くのち、『エロ事師たちより 人類学入門』の坂本スミ子の息子役を見つけられずにいた今村昌平に相談を受けた事務所代表が近藤を思い出し、京都に戻っていた近藤にすぐに連絡をとり、今村に会わせたのがデビューのきっかけとなる。 ウィリアム=フリードキン: 根っこからの日本と日本映画びいきで、日本映画では深作欣二監督の『仁義なき戦い』や今村昌平監督の『復讐するは我にあり』をお気に入りとしており、来日した際に深作欣二監督と対談している。 巨椋修: またこの小説『新版丹下左膳』は、映画監督の今村昌平や中田新一、その他数社の映画会社から映画化の話があるも映画はされていない。 長谷川初範: 1975年、映画監督・今村昌平が校長を務める横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。演出家・藤田傳に見出され、今村昌平制作舞台『ええじゃないか』俳優座劇場で藤田弓子の相手役として 中野量太: 』で、日本映画学校今村昌平賞、TAMA NEW WAVEグランプリなどを受賞。 嵐寛寿郎: しかしその後の今村昌平監督の執拗な出演依頼にやむを得ず出演をしたとの事である。また撮影時にアラカンが「カメラはどっちや?」と尋ねると今村昌平監督が「こっちや」と明らかに違う方向を指差す等、その演出指導にほとほと嫌気がさしアラカンは何度も現場放棄をしたが、結局撮影に舞い戻ってくるという逸話を残している。 田中裕子: ええじゃないか(1981年3月14日、松竹、今村昌平監督) - お松 役 武重邦夫: カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞した『楢山節考』をはじめ、今村昌平作品の助監督やプロデュースを多数手がける。 イザベル=アジャーニ: さらにカンヌ国際映画祭コンペディション部門の審査員長を2度務めており、1997年には今村昌平にパルム・ドールをもたらした。 露口茂: 1964年:今村昌平監督『赤い殺意』に出演、主演の春川ますみ演じる人妻を強姦し、やがて心臓病で死ぬアクの強い役を好演、一躍注目された。 草刈正雄: 市川崑・深作欣二・今村昌平らの映画にも出演した。 殿山泰司: 独特な風貌や、巧妙な演技から性格、個性派俳優として黒澤明、今村昌平、今井正、大島渚など様々な監督に重用された。 天願大介: 赤い橋の下のぬるい水(2001年) 脚本 原作:辺見庸 監督・脚本:今村昌平 加藤嘉: 今井正、山本薩夫、内田吐夢、今村昌平、野村芳太郎ら多くの巨匠監督に重用されており、出演映画総数は360本以上。 冨川元文: うなぎ (1997年/監督 今村昌平) 末広透: うなぎ(1997年、今村昌平監督) 佐藤忠男: 教育者・今村昌平 キネマ旬報社 2010 露口茂: 1967年:今村昌平監督ドキュメンタリー映画『人間蒸発』に事件を追うレポーター役で出演。 黛敏郎: 赤い殺意(日活、今村昌平監督、1964年) 姫田真佐久: 今村昌平や神代辰巳との仕事で知られている。 あき竹城: のちに今村昌平監督に抜擢され、1983年の『楢山節考』に緒形拳の後妻役で出演したことで女優としても地位を確立した。 増山元三郎: 映画監督の今村昌平は義弟にあたる。 ミヤコ蝶々: 復讐するは我にあり(1979年、松竹大船)※今村昌平監督。 是枝裕和: 日本人監督としては、『地獄門』の衣笠貞之助、『影武者』の黒澤明、『楢山節考』と『うなぎ』の今村昌平に続き、史上4人目、21年ぶりの受賞となった。 泉谷しげる: 1980年 - 松竹映画『ええじゃないか』(今村昌平監督)に出演し、「泉谷しげる with SHOT GUN」名義でタイトル曲「ええじゃないか/IBO!今夜は徹夜だぜ」発表。 日下部五朗: また、映画『楢山節考』(監督:今村昌平)でパルム・ドールを受賞。 星野英一: 附属中学校の同期には、星新一、槌田満文、今村昌平、大野公男、児玉進、黒澤洋(元日本興業銀行会長)などがいる。 露口茂: 1982年フランスの映画情報誌Postif4月号今村昌平特集において、ええじゃないかの劇中写真が使用される形で桃井かおりと共に表紙を飾った。 斎藤耕一: 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当した。 村上賢司: 日本国外の映画祭では、「今村昌平とウディ・アレンの血縁のない末裔」と評されている映画界の奇才。 |
今村昌平の情報まとめ
今村 昌平(いまむら しょうへい)さんの誕生日は1926年9月15日です。東京出身の映画監督のようです。
映画、家族、趣味、卒業、兄弟、テレビに関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。
今村昌平のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年〈大正15年〉9月15日 - 2006年〈平成18年〉5月30日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、日本映画学校(現:日本映画大学)の創設者。同姓同名の別人で映画関係者(小道具関連)がいる。日本映画監督協会会員。 カンヌ国際映画祭で2度の最高賞を受賞した日本を代表する映画監督の一人。松竹、日活を経て、独立プロダクションの株式会社今村プロダクションの代表取締役を務めていた。映画監督の長谷川和彦は正社員として所属した。 性格的には家父長志向が強く、そのことは一面では教育者としての顔も持ち合わせ、長谷川和彦を育て、映画人を育成する横浜映画専門学院を創立、後に日本映画学校となり、日本映画大学の母体となった。撮影所システムが1970年代に崩壊して、映画会社が人材育成をやめて以降の人材供給の役割を果たしていくことになった。 家族は妻と2男1女。脚本家で映画監督の天願大介は長男、今村プロダクション代表取締役の今村竑介(いまむら ひろすけ、1963年3月22日 - )は次男にあたる。50年余の映画監督人生の中で、20作品を監督している。妻は1970年代に近所の主婦を集めて『あしたのジョー』『サザエさん』『タイガーマスク』などのアニメの彩色と仕上げを行う下請けの仕事をして、今村が劇映画を撮れなかった10年間の家計を支えた。 今村昌平作品は重喜劇と言われ、これは今村を象徴する言葉で、もともとは軽喜劇をもじった今村による造語である。作風は自然主義リアリズムで、脚本執筆の際には徹底した調査を行った。『赤い殺意』では宮城県の12家族を調査し、『にっぽん昆虫記』は売春婦とその斡旋業者に取材したノートは3冊になり、『エロ事師たちより 人類学入門』のためにブルーフィルム制作者に実際に取材した。その調査魔ぶりは『復讐するは我にあり』の映画化の際にも発揮され、原作者の佐木隆三を驚かせた。撮影にあたっては基本的にオールロケが原則で、俳優もスタッフもロケ地で長期間の合宿生活をして暮らしながら撮影するスタイルを取っており、俳優の掛け持ち出演も許さなかった。鬼のイマヘイと言われる妥協のない粘りの演出で、アフレコを嫌って臨場感のある同時録音にこだわった。 独立プロによる映画製作であり、自分の家を抵当に入れ製作資金捻出しているため、制作費を回収して抵当権を解除するまで3年ほどかかるため、発表ペースは3年に1度となっていた。倹約家として知られ、フィルムはどんどん使ったが、映画制作費を減らす事の為ならなんでもしたと言われている。おごるのもラーメンくらいだったという。不用意に電話を使う事すら許されず、電話代を節約するためハガキでのやり取りを奨励していた。 趣味は麻雀。相撲取りクラスの非常に大食いであり、松竹大船撮影所ではどんぶり飯を2杯食べる新人というので評判だった。しかしその旺盛な食欲が災いして29歳で糖尿病となる。糖尿病治療でよくテニスをやってスタッフにもつきあわせていた。晩年は高齢に加えて糖尿病の影響でエネルギッシュだった今村はめっきり無口になった。ヘビースモーカーだったが、禁煙した。 今村が松竹から日活へ移籍した後、今村の師匠である川島雄三が同じく日活に移籍、また監督試験で「松竹に落選」した浦山桐郎が鈴木清順監督の計らいで日活入所となった。川島は幕末太陽傳での製作にかかる予算配分を巡って日活と対立し、結局日活を去るが、今村は日活に残り、『にっぽん昆虫記』、『赤い殺意』などの製作を行なう。今村は常に川島を意識して、地方出身で都会志向の川島に対して、東北土着の「基層心理」をベースにした作風(本人の言葉で言えば重喜劇)をこのとき確立させた。のちに今村はこの基層心理を推し進めてドキュメントタッチの作風に変化して行ったが、主人公は常に庶民であり、有名人の故事来歴的作品は一切取り上げなかった。 師匠・川島についての追悼録、『サヨナラだけが人生だ 映画監督川島雄三の生涯』では川島の生涯を実証的に取り上げ、川島がALSに侵されながらそれを一切他言せず、最後まで映画製作の現場に立っていたことを取り上げた。今村は総じて女性を肉感的に表現することを好み、多くの作品で女優のヌードシーンが登場している。 長男の天願は父・今村について、「金儲けが下手な理想主義者」と語っている。 東京府東京市の大塚で耳鼻咽喉科の開業医の三男一女の三男として生まれる。父・半次郎は兵庫県加東郡東条村に生まれ、東京帝国大学医学部卒業後、京橋に耳鼻咽喉科医院を開業。母は北海道小樽市の漁師の娘だった。小学校の同級生に俳優の北村和夫がいた。小学校時代から父に連れられて寄席や映画にはよく通う日々を送る。また長兄は「金曜会」という劇団に所属していたが、後にフィリピンで戦死。 1944年(昭和19年)に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、大野公男(元北海道情報大学学長)、児玉進(映画監督)、黒澤洋(元日本興業銀行会長)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいた。 徴兵を避けるため桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部)に入学するも、終戦後直ちに退学し、早稲田大学第一文学部西洋史学科に入学。 早稲田大学では演劇部に所属し演劇活動を行っていたが、『醉いどれ天使』に感動し、演劇に見切りをつけ監督の黒澤明に付こうと思い決めた。しかし、黒澤のいた東宝はその時助監督募集をしていなかった。 1951年(昭和26年)早稲田大学第一文学部を卒業し、松竹大船撮影所に入社。欠員の出た松竹が初の助監督公募を行い2000人中8人という難関を突破しての合格だった。主に小津安二郎の助監督をつとめ、松竹大船助監督部の幹事にまでなったが、収入や仕事で不満を感じ、1954年(昭和29年)に日活に移籍する。のちに「松竹では束縛だらけだったが、日活はまったくなかったから驚いた」と松竹と日活のギャップを語っている。 1957年(昭和32年)の川島雄三監督『幕末太陽傳』や浦山桐郎監督の『キューポラのある街』の脚本も書いている。 1958年に『盗まれた欲情』で監督デビュー。同作では川島雄三との繋がりで黛敏郎が音楽を担当し、以後黛は『神々の深き欲望』まで、今村作品の音楽を担当した。 1958年の『果しなき欲望』の頃からスタッフが固定化、今村組が形成されていった。 1959年の『にあんちゃん』は今村の名を一般に知らしめた出世作で文部大臣賞も受賞したが、田坂具隆が日活をやめたための代役で本来やりたい企画ではなく、文部大臣賞の受賞については今村はそのような健全な映画を撮ったことを反省したという。 1961年の『豚と軍艦』は、高い評価を得る一方、予算オーバーしたことと興行成績が良くなかったためしばらく日活から干されることになった作品である。また、本作の脚本を執筆中に小津安二郎と脚本家の野田高梧からこぞって「汝ら何を好んでウジ虫ばかり書く?(まともな人間を書け)」と言われて、両名に「このくそじじい!」と毒づきこれを契機に「俺は一生死ぬまでウジ虫ばかり描いてやる!」と固く決意したという。 1963年の『にっぽん昆虫記』では山形県で俳優とスタッフによる合宿でのオールロケと同時録音に挑戦し、大胆なセックス描写が話題を呼び 配給収入は3億5千万円と大ヒットした。また、第14回ベルリン国際映画祭にも出品され、主演の左幸子が銀熊賞 (女優賞)を受賞した。 『にっぽん昆虫記』の大ヒット後は、会社から却下されてお蔵入りしていた『赤い殺意』の企画を甦らせて1964年に公開。同作は今村が自分のベストと認めている作品である。この『赤い殺意』などで監督として世間に認められる。 しかし『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』で配役や予算、フィルム使用量で会社と衝突し、『赤い殺意』を最後に日活から独立し、1966年3月に自らが代表を務める独立プロの今村プロダクションを設立。以後、ここを拠点に映画製作をした。この時期の今村は柳田国男の民俗学に傾倒し、日本の古くからの農村に根付く俗信やルールをテーマとしていた。 2年がかりの沖縄ロケをし、初のカラー作品となる『神々の深き欲望』を1968年に発表。同作は各種映画賞を総なめにしたが、長期ロケのために2000万円の借金を抱え、資金難のため、その後の10年間は主にドキュメンタリー作品を手掛けた、この空白期もあり同作は今村の前半期の総決算と位置づけられる作品でもある。 1975年(昭和50年)、横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を開校し、校長・理事長を務め、三池崇史・細野辰興・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日・佐藤闘介・ 呉充功 などの映画監督、鄭義信などの脚本家、芥川賞作家の阿部和重、さらに、タレントのウッチャンナンチャン、出川哲朗、俳優の長谷川初範、隆大介などの人材を輩出した。 1979年に9年ぶりの劇映画となる『復讐するは我にあり』が公開。この作品の映画化をめぐっては、黒木和雄、深作欣二、藤田敏八らと映画化権取得をあらそった。同作品の成功により低迷期を脱し、映画監督として復活をとげる。今村はこの映画の主役で実在の殺人犯・榎津巌役を渥美清にオファーしていた。 『復讐するは我にあり』のヒットにより借金を返済して松竹も利益を上げたことで10年間温めていた企画で初の時代劇となる『ええじゃないか』を1981年に松竹と共同製作して公開。3億円のオープンセットなど莫大な予算を投じたが、不入りで内容的にも今村自身が失敗作と認める結果に終わる。 1983年に東映との共同製作で『楢山節考』を発表。同作はカンヌ国際映画祭の最高賞(パルム・ドール)を受賞。日本作品の受賞は1954年の衣笠貞之助監督による『地獄門』、1980年の黒澤明監督の『影武者』に続く史上三度目となる。受賞効果もあり、1億7千万円で制作した同作は12億円を稼ぐヒットとなった。なお、『楢山節考』を出品した際には、姥捨て山の話など外国人に分かるわけがなくどうせ受賞しないのだからと映画祭を欠席した。同年のカンヌ国際映画祭では大島渚の『戦場のメリークリスマス』の前評判が高く、その下馬評を覆しての受賞だったが、受賞について本人は特に感動がなかったと述べている。 『楢山節考』の成功により、東映とは1987年に『女衒 ZEGEN』を共同製作、1989年に東映配給で『黒い雨』を公開して東映とは3本で組んだが、『楢山節考』以外は当たらなかった。『黒い雨』は田中好子の演技が評価されたが、20数社に出資を断られて資金調達に苦労し、カンヌでも無冠に終わった。同作を評価するフランス人評論家が無冠を批判する一幕もあった。 『黒い雨』後の7年間の沈黙の末に、1997年に『うなぎ』を発表。同作で二度目のカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞する。パルムドールの史上最多受賞記録は2回であり、それを達成したのは今村を含めた、フランシス・フォード・コッポラ、ダルデンヌ兄弟、ミヒャエル・ハネケ等の8監督のみ。歴史的快挙にも関わらず、授賞式に今村の姿はなかった。今村は夫婦で同映画祭に出席していたが、本当は気が進まずに授賞式の前に帰国していた。 『うなぎ』の頃より糖尿病の悪化と加齢により立っているのがやっとの状態で気力も減退し、従来の粘りや執念も発揮できなくなっていたが、その後も1998年に『カンゾー先生』、2001年に『赤い橋の下のぬるい水』を発表。 2006年(平成18年)5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で79歳で死去。遺作は『11'09''01/セプテンバー11』中の短編。 葬儀には、私淑していた映画監督マーティン・スコセッシが「今村昌平監督はマスターです」と弔文を寄せた。 また、今村が創設した日本映画学校の出身者で、アニメーション監督の谷口悟朗は、自身が影響を受けた人物の名に「子供の頃からの剣道の師匠」と今村の名を挙げている。 盗まれた欲情(1958年5月)日活 原作:今東光 西銀座駅前(1958年7月)日活 原案・脚本:今村昌平 果しなき欲望(1958年11月)日活 原作:藤原審爾 にあんちゃん(1959年)日活 原作:安本末子 ベルリン映画祭コンペティション 豚と軍艦(1961年)日活 脚本:山内久 にっぽん昆虫記(1963年)日活 脚本:長谷部慶次・今村昌平 ベルリン映画祭主演女優賞 赤い殺意(1964年)日活 原作:藤原審爾 エロ事師たちより 人類学入門(1966年)日活・今村プロ 原作:野坂昭如 人間蒸発(1967年)日活・ATG・日本映画新社・今村プロ ドキュメンタリー 神々の深き欲望(1968年)日活・今村プロ 脚本:長谷部慶次・今村昌平 にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活(1970年)日本映画新社・東宝 脚本:今村昌平 復讐するは我にあり(1979年)松竹・今村プロ 原作:佐木隆三 ええじゃないか(1981年)松竹・今村プロ 原作:今村昌平 カンヌ映画祭招待作品 楢山節考(1983年)東映・今村プロ 原作:深沢七郎 カンヌ映画祭パルムドール 女衒 ZEGEN(1987年)東映・今村プロ 脚本:岡部耕大・今村昌平 カンヌ映画祭コンペティション 黒い雨(1989年)東映・今村プロ・林原グループ 原作:井伏鱒二 カンヌ映画祭高等技術委員会グランプリ うなぎ(1997年)松竹・ケイエスエス・衛星劇場・グループコーポレーション 原作:吉村昭『闇にひらめく』カンヌ映画祭パルムドール カンゾー先生(1998年)東映・今村プロ・東北新社・角川書店 原作:坂口安吾 カンヌ映画祭招待作品 赤い橋の下のぬるい水(2001年)日活・「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会 原作:辺見庸 カンヌ映画祭コンペティション 11'0901/セプテンバー11 日本編(2002年) 脚本:天願大介 東京物語(1953年11月3日公開、小津安二郎監督、松竹) - フォース助監督 ※ノンクレジット 愛のお荷物(1955年3月18日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 あした来る人(1955年5月29日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 銀座二十四帖(1955年9月16日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 風船(1956年2月19日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督、脚本 洲崎パラダイス 赤信号(1956年7月31日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 わが町(1956年8月28日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 飢える魂(1956年10月31日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 続・飢える魂(1956年11月28日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督 幕末太陽傳(1957年7月14日公開、川島雄三監督、日活) - 助監督、脚本 地獄の曲り角(1959年10月6日公開、蔵原惟繕監督、日活) - 脚本 キューポラのある街(1962年4月8日公開、浦山桐郎監督、日活) - 脚本 サムライの子(1963年2月24日公開、若杉光夫監督、日活) - 脚本 競輪上人行状記(1963年10月13日公開、西村昭五郎監督、日活) - 脚本 経営学入門より ネオン太平記(1968年4月13日公開、磯見忠彦監督、日活) - 脚本 東シナ海(1968年10月5日公開、磯見忠彦監督、日活) - 企画、脚本、原作 からゆきさん(1973年)- 演出 勾魂艶鬼 - From the Underworld(1974年公開、ホア・シャン監督、ゴールデン・ハーベスト) - 企画 中国超人インフラマン - 中國超人(1975年公開、ホア・シャン監督、ショウ・ブラザーズ) - 企画 青春の殺人者(1976年10月23日公開、長谷川和彦監督、ATG) - 製作 ユリ子からの手紙(1981年6月22日公開、武重邦夫監督、今村プロダクション) - 製作 君は裸足の神を見たか(1986年4月26日公開、金秀吉監督、ATG) - プロデューサー ゆきゆきて、神軍(1987年8月1日公開、原一男監督、疾走プロダクション) - 企画 生きてはみたけれど 小津安二郎物語(1983年10月29日公開、井上和男監督、松竹) 三文役者(2000年12月2日公開、新藤兼人監督、近代映画協会・東京テアトル) - 証言者 ロスト・メモリーズ - 2009 Lost Memories(2002年2月1日公開、イ・シミョン監督、CJエンターテイメント) - 史学者 遠くへ行きたい「今村昌平のおれの下北」 (1972年4月9日、日本テレビ) WIDE SHOW 11PM「アンチ・ヒーロー特集」ゲスト共演:桃井かおり、紳助・竜介 (1981年2月19日、日本テレビ) いつみても波瀾万丈(日本テレビ) すばらしき仲間(中部日本放送) 1963年 - ブルーリボン賞監督賞・脚本賞『にっぽん昆虫記』('63年映画配収 6位、3億3000万円) 1979年 - ブルーリボン賞監督賞・日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞『復讐するは我にあり』 1983年 - カンヌ国際映画祭パルムドール・『楢山節考』 1989年 - 日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞・日刊スポーツ映画大賞監督賞『黒い雨』 1997年 - カンヌ国際映画祭パルムドール・『うなぎ』 1997年 - 日本アカデミー賞監督賞・毎日映画コンクール監督賞『うなぎ』。第15回川喜多賞を受賞 死に際して旭日小綬章、フランス共和国より芸術文化勲章が贈られた。 にっぽん昆虫記 今村昌平作品集 三一書房 1964 今村昌平のええじゃないか-エッセイ アシーネ 1981 遥かなる日本人 岩波書店・同時代ライブラリー 1996 撮る-カンヌからヤミ市へ 工作舎 2001 ISBN 978-4-87502-357-9 映画は狂気の旅である 私の履歴書 日本経済新聞社 2004。新版・日本図書センター「人間の記録」2010 教育者・今村昌平 佐藤忠男 編著 キネマ旬報社 2010 『サヨナラだけが人生だ 映画監督川島雄三の生涯』(編著) ノーベル書房 1968 訃報 今村昌平氏 愛・夢―ピエロ・リマルディ写真集 監修、ノーベル書房 1970 講座日本映画 全8巻 岩波書店 1985
村岡伊平治自伝 講談社文庫 1987。企画 香取俊介『今村昌平伝説』河出書房新社 2004 今村昌平『撮る カンヌからヤミ市へ』工作舎 2001 ^ 長谷川和彦は『神々の深き欲望』で制作進行(後に長谷川の上司が辞めてしまったので、新入りの長谷川が制作部門の実質のトップで沖縄ロケを取り仕切った)。 ^ 香取俊介『人間ドキュメント 今村昌平伝説』河出書房新社、2004年、p.295 ^ 田中千世子「映画・書評スペシャル 『教育者・今村昌平』」『キネマ旬報』2011年2月上旬号、pp.158-159 ^ 今村昌平『映画は狂気の旅である 私の履歴書』日本経済新聞社、2004年、pp.175、242 ^ 今村、2004年、p.81 ^ 「わくわくすることを求め続けて 長谷川和彦インタビュー」『20世紀の記憶 かい人21面相の時代 1976-1988』毎日新聞社、2000年、p.26 ^ 香取、2004年、p.180 ^ 佐藤忠男『今村昌平の世界 増補版』学陽書房、1997年、p.72 ^ 香取、2004年、p.200 ^ 今村、2004年、pp.129-130 ^ 佐木隆三「文庫版のためのあとがき」『復讐するは我にあり 改訂新版』文春文庫、2009年、pp.477-478 ^ 香取、2004年、p.52 ^ 「場欄万丈撮影日記 北村和夫の巻」『「のど自慢」な人びと』「のど自慢」な人びと製作委員会編、文藝春秋、1998年、p.57 ^ 香取、2004年、pp.180、455 ^ 紅谷愃一『日本映画のサウンドデザイン 感動場面を演出する音声収録と音響処理のテクニック』誠文堂新光社、2011年、pp.43、47 ^ 今村昌平『撮る カンヌからヤミ市へ』工作舎、2001年、p.291 ^ 香取、2004年、pp.283、297 ^ 今村、2004年、p.242 ^ 今村昌平『撮る カンヌからヤミ市へ』工作舎、2001年、p.218 ^ 村松友視『今平犯科帳 今村昌平とは何者』日本放送出版協会、2003年、p.16 ^ 今村、2004年、p.75 ^ 香取俊介『人間ドキュメント 今村昌平伝説』河出書房新社、2004年、p.258 ^ 香取、2004年、pp.476、491 ^ 香取、2004年、pp.71-77 ^ 『北海道新聞』2006年5月31日 ^ 今村、2004年、p.97 ^ 香取、2004年、p.143 ^ 香取、2004年、p.151 ^ 佐藤、1997年、pp.30、38 ^ 香取、2004年、p.159 ^ 香取、2004年、p.171 ^ 香取、2004年、p.175 ^ 佐藤、1997年、p.75 ^ 桑原稲敏『切られた猥褻 映倫カット史』読売新聞社、1993年、p.83 ^ 藤木TDC、松井修「肉体女優映画・成人映画の巨人 大蔵貢が残したピンクの遺産! ハダカ女優ブームに沸いた昭和30年代と大蔵映画」『別冊宝島240 性メディアの50年 欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年、p.66 ^ 板持隆『日活映画 興亡の80年』社団法人日本映画テレビプロデューサー協会、1999年、p.69 ^ 香取、2004年、p.189 ^ 今村、2004年、p.127 ^ 今村、2004年、p.105 ^ 今村、2004年、pp.152-153 ^ 村松友視、2003年、p.159 ^ 香取、2004年、pp.341-342 ^ “「好きなことやったんで大往生」今村昌平監督逝く”. 夕刊フジ. (2006年5月31日). https://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006053105.html 2013年5月26日閲覧。 ^ 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、p.179 ^ 日下部、2012年、p.11 ^ 『映画は狂気の旅である 私の履歴書』日本経済新聞社、2004年、p.193 ^ 日下部、2012年、p.179 ^ 今村昌平『映画は狂気の旅である 私の履歴書』日本経済新聞社、2004年、p.187 ^ 『キネマ旬報』2011年6月上旬号、pp.19、21 ^ 今村昌平『撮る カンヌからヤミ市へ』工作舎、2001年、pp.239-240 ^ 中川洋吉『カンヌ映画祭』講談社現代新書、1994年、pp.90-92 ^ 田山力哉『辛口シネマ批評 これだけは言う』講談社、1993年、p.50 ^ 今村、2004年、p.195 ^ 香取、2004年、pp.454-456 ^ 香取、2004年、pp.455-457 ^ マーティン・スコセッシ「追悼今村昌平 マスター」『映画芸術』2006年秋号第417号、p.68 ^ ETV特集「今村昌平に捧ぐ スコセッシが語る映像哲学 NHK公式サイト内 ^ “第15回川喜多賞 今村昌平氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月11日閲覧。 筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧
今村昌平 - KINENOTE 今村昌平 - 日本映画データベース Shôhei Imamura - IMDb(英語) 今村昌平 - NHK人物録 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 盗まれた欲情 西銀座駅前 果しなき欲望 にあんちゃん 豚と軍艦 にっぽん昆虫記 赤い殺意 エロ事師たちより 人類学入門 人間蒸発 神々の深き欲望 にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 復讐するは我にあり ええじゃないか 楢山節考 女衒 ZEGEN 黒い雨 うなぎ カンゾー先生 赤い橋の下のぬるい水 11'0901/セプテンバー11 表 話 編 歴 今井正(1950、1953、1956、1957) 小津安二郎(1951) 成瀬巳喜男(1952) 溝口健二(1954) 豊田四郎(1955) 田坂具隆(1958) 市川崑(1959) 市川崑(1960、1962) 伊藤大輔(1961) 今村昌平(1963) 勅使河原宏(1964) 山本薩夫(1965) 山田洋次(1966) 深作欣二(1975) 山根成之(1976) 山田洋次(1977) 野村芳太郎(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 根岸吉太郎(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983) 伊丹十三(1984) 黒澤明(1985) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 和田誠(1988) 舛田利雄(1989) 篠田正浩(1990) 北野武(1991、1996、1998) 周防正行(1992) 滝田洋二郎(1993) 神代辰巳(1994) 金子修介(1995) 原田眞人(1997) 大島渚(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 崔洋一(2002) 森田芳光(2003) 是枝裕和(2004、2008) 佐藤純彌(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 石井裕也(2010) 新藤兼人(2011) 内田けんじ(2012) 大森立嗣(2013) 呉美保(2014) 橋口亮輔(2015) 片渕須直(2016) 白石和彌(2017、2018) 真利子哲也(2019) 中野量太(2020) 西川美和(2021) 早川千絵(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 佐分利信(1950) 三國連太郎(1951) 野村芳太郎(1953) 山村聰(1954) 小林恒夫、南原宏治(1955) 川頭義郎(1956) 石原裕次郎(1957) 今村昌平(1958) 大島渚(1960) 岩下志麻(1961) 浦山桐郎(1962) 佐藤純彌(1963) 緑魔子(1964) 熊井啓(1965) 渡哲也(1966) 大竹しのぶ、三浦友和(1975) 原田美枝子(1976) 大林宣彦(1977) 永島敏行(1978) 金田賢一(1979) 隆大介(1980) 佐藤浩市(1981) 美保純(1982) 原田知世、金子正次(1983) 吉川晃司(1984) 斉藤由貴(1985) 有森也実(1986) 髙嶋政宏(1987) 緒形直人(1988) 川原亜矢子(1989) 牧瀬里穂、松岡錠司(1990) 石田ひかり(1991) 墨田ユキ(1992) 遠山景織子、岸谷五朗(1993) 鈴木砂羽(1994) 江角マキコ(1995) ナインティナイン(1996) 佐藤仁美、三谷幸喜(1997) 田中麗奈(1998) 松田龍平(1999) 藤原竜也(2000) 柴咲コウ(2001) 小西真奈美、中村獅童(2002) 石原さとみ(2003) 土屋アンナ、森山未來(2004) 多部未華子(2005) 檀れい、塚地武雅(2006) 新垣結衣(2007) 吉高由里子、リリー・フランキー(2008) 岡田将生、木村大作(2009) 生田斗真、桜庭ななみ(2010) 芦田愛菜(2011) マキタスポーツ(2012) 黒木華(2013) 小芝風花(2014) 石井杏奈(2015) 岡村いずみ(2016) 石橋静河(2017) 南沙良(2018) 関水渚(2019) 奥平大兼(2020) 河合優実 (2021) Kōki,(2022) 黒川想矢(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 今井正(1946) 黒澤明(1947) 木下惠介(1948) 小津安二郎(1949) 吉村公三郎(1950) 成瀬巳喜男(1951) 渋谷実(1952) 今井正(1953) 木下惠介(1954) 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956) 今井正(1957) 木下惠介(1958) 山本薩夫(1959) 市川崑(1960) 小林正樹(1961) 市川崑(1962) 今村昌平(1963、1967) 勅使河原宏(1964) 内田吐夢(1965) 山本薩夫(1966) 岡本喜八(1968) 山田洋次(1969) 山本薩夫(1970) 篠田正浩、山田洋次(1971) 斎藤耕一(1972) 山田洋次(1973、1977) 野村芳太郎(1974) 新藤兼人(1975) 山本薩夫(1976) 野村芳太郎(1978) 長谷川和彦(1979) 黒澤明(1980、1985) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 大島渚(1983) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 大林宣彦(1988) 舛田利雄(1989) 市川準(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 市川準(1993) 神代辰巳(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 今村昌平(1997) 平山秀幸(1998) 森田芳光(1999) 阪本順治(2000) 宮崎駿(2001) 平山秀幸(2002) 崔洋一(2003) 黒木和雄(2004) 緒方明(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 若松孝二(2008) 園子温(2009) 三池崇史(2010) 富田克也(2011) 吉田大八(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 塚本晋也(2015) 西川美和(2016) 富田克也(2017) 上田慎一郎(2018) 石川慶(2019) 河瀨直美(2020) 濱口竜介(2021) 三宅唱(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) 古田求、野村芳太郎(1982) 大島渚/森田芳光(1983) 荒井晴彦、澤井信一郎(1984) 中上健次(1985) 内田裕也、高木功(1986) 伊丹十三(1987) 鎌田敏夫(1988) 松田寛夫(1989) 山田太一(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 丸山昇一(1992) 崔洋一、鄭義信/松山善三(1993) 田中陽造(1994) 橋口亮輔(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 中島丈博(1998) 諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子(1999) 山田洋次、朝間義隆、平松恵美子(2000) 宮藤官九郎(2001) 鄭義信(2002) 西川美和/深作健太、木田紀生(2003) 荒井晴彦(2004) 内田けんじ(2005) 加藤正人(2006) 渡辺あや(2007) 橋口亮輔(2008) 田中陽造(2009) 佐藤有記(2010) 新藤兼人(2011) ヤン・ヨンヒ(2012) 荒井晴彦(2013) 安藤桃子(2014) 原田眞人(2015) 向井康介(2016) 石井裕也(2017) 野尻克己(2018) 阪本順治(2019) 丸山昇一(2020) 𠮷田恵輔(2021) 早川千絵(2022) 阪本順治(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956、1957、1959) 木下惠介(1958) 市川崑(1960、1962) 羽仁進(1961) 今村昌平(1963、1968) 勅使河原宏(1964) 黒澤明(1965) 山本薩夫(1966) 小林正樹(1967) 篠田正浩(1969) 山田洋次(1970、1977) 大島渚(1971) 熊井啓(1972) 斎藤耕一(1973) 熊井啓(1974) 新藤兼人(1975) 長谷川和彦(1976) 東陽一(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983、1985) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 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imamura syouhei
今村昌平と同じ誕生日9月15日生まれ、同じ東京出身の人
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