上原浩治の情報(うえはらこうじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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松井秀喜: 重圧を見せずに黙々とプレーする姿勢に超一流選手としてのあるべき姿を見た」、上原浩治は「裏表がなく、人間的にも野球選手としても、あの人以上の選手はいないと思う」と、実力だけでなく人間性にも敬意を示している。 高橋功一郎: 上原浩治物語(小学5年生、2000年4月号別冊) 野口茂樹: 19勝したものの、当時ルーキーの上原浩治が20勝したため最多勝利を獲得できず、ベストナインも上原浩治が受賞している。 菊池涼介: 4月15日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では5回二死に野上亮磨から、7回二死に上原浩治からそれぞれ本塁打を放ち、自身初の2打席連続本塁打を放った。 松本亜希子: 上原浩治杯軟式野球大会 場内アナウンサー 神戸文也: 決め球のフォークボールは、立正大学在学中に、当時ボストン・レッドソックスに所属していた上原浩治がテレビ番組の特集の中で握りを公開していたのを参考にし、大学4年時から本格的に投げ始めたものである。 野茂英雄: パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの沢村賞受賞者第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。 井川慶: この年は最終的にセ・リーグでは1999年の巨人・上原浩治以来4年ぶりの20勝投手となり、阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた。 原辰徳: また、上原浩治のMLB移籍によって先発投手の戦力低下が危惧されたが、ヤクルトから獲得したディッキー・ゴンザレスやテスト生出身のウィルフィン・オビスポがその穴を埋めたため前年とは対照的に春先から首位を快走した。 東克樹: また、この年はベストナインも受賞しており、セ・リーグMVPを受賞した投手(この年は村上頌樹)を差し置いてのベストナイン受賞は吉見一起以来12年ぶり、MVPを受賞した先発投手を差し置いてのベストナイン受賞は上原浩治・松坂大輔以来24年ぶりとなった。 大畑大介: 高校の同級生である建山義紀投手(当時テキサス・レンジャーズ)と上原浩治投手(当時ボストン・レッドソックス)が出演すると云うことで、3人揃うのは滅多にないから、とのことであった。 山本昌広: しかし、防御率2.96はこの年20勝を挙げた巨人の新人上原浩治や19勝を挙げシーズンMVPになった同僚野口茂樹に次ぐリーグ3位で、野口や川上憲伸・武田一浩とともに先発ローテの4本柱を担った。 坪井新三郎: ^ 1年生のカレーにはアレが無い!?「娯楽室に集合」は地獄のゴング!?PL学園出身の天才バッターが語る笑撃の寮生活【女を見るのNGでも彼女いた!?プロで驚きの再会】【PL入学で父の衝撃事実判明】【①/4】 上原浩治の雑談魂 中野渡進: 店には松坂大輔・上原浩治をはじめ、かつて所属した横浜や地理的に近隣である西武やロッテの現役選手・コーチ陣が訪れ、店内には選手のサイン色紙などが数多く並べられていた。 田川賢吾: ヤクルト入団後の2016年春季キャンプ前には、小川泰弘と共に上原浩治の自主トレーニングに参加し、上原から「素材は素晴らしい」との賛辞を受けた。 尾形佳紀: 翌7月28日に2番二塁手で初めて先発出場し、上原浩治からプロ初安打を放つ。 二岡智宏: 例年ならば新人王に選ばれても決しておかしくない活躍だったが、同期入団で投手主要タイトルを総ナメにしていた上原浩治が新人王に選出された。 ケビン=ホッジス: 2002年はシーズンを通して先発ローテーションの軸として活躍して17勝を挙げ、上原浩治と同数で最多勝のタイトルを獲得した。 クレイグ=ブレスロウ: 左肩腱炎のため開幕から故障者リスト入りしたが、5月7日からセットアッパーとして復帰し、右腕の田澤純一、上原浩治等と共にレッドソックスのリリーフ陣を牽引した。 菅野智之: また、開幕投手7回は巨人では2006年の上原浩治以来15年ぶりの球団歴代最多タイ記録となった。 川井貴志: セ・パ交流戦で先発陣の一角に入ると、6月18日の対巨人戦(東京ドーム)では、上原浩治と投げ合った末に勝利投手になった。 鈴木啓示: 野村克也は自著『野村ノート』の中で、当時、巨人に在籍していた上原浩治と重ね、エースと呼ぶのに相応しい投手だったとした上で、無理しない、意気に感じないという鈴木の思いが相手チームだけでなく、味方も感じていたと述べ、300勝という数字を残している投手であるにもかかわらず、監督になって成功しなかったと指摘している。 二岡智宏: 球団も野村謙二郎の後継者として期待していたが、最終的に二岡はドラフト直前になって一気に交渉を進め巻き返した巨人(上原浩治の1位指名を予定していたため、2位指名が確実だった)を逆指名。 新庄剛志: 自身も前夜から一転して上原浩治から3打席連続三振を喫するなど5打数無安打に終わった。 福地寿樹: 初安打:1999年4月20日、対読売ジャイアンツ4回戦(広島市民球場)、5回裏に上原浩治から遊撃内野安打 会田有志: 同シーズンは上原浩治がクローザーとして固定されたことで、林昌範とともに豊田清がセットアッパーとして安定、勝ちパターンの継投に組み込まれた会田との4人組を 後藤武敏: 上原浩治の公式YouTubeチャンネルに2021年7月に公開された動画で森本稀哲は、松坂世代における「勝負強い、プラス守備に難有り」の筆頭として真っ先に彼の名前を挙げた。 船迫大雅: 幼少期から巨人ファンで、上原浩治に憧れていた。 福留孝介: その後も4月20日の巨人戦(ナゴヤドーム)では上原浩治から、4月29日の広島戦では高橋建から先頭打者本塁打を放つなど、4月は自己最多となる月間6本塁打を記録した。 萩原智子: なお、プロ野球は特にどこのチームのファンというわけではないが、ファンである選手に松本の他、上原浩治、松坂大輔、内川聖一、栗山英樹を挙げている。 |
上原浩治の情報まとめ

上原 浩治(うえはら こうじ)さんの誕生日は1975年4月3日です。大阪出身の野球選手のようです。

現在、引退、事故、結婚、病気、テレビ、家族、ドラマ、父親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。上原浩治の現在の年齢は50歳のようです。
上原浩治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート koji-uehara.net(公式サイト) 上原浩治|所属アスリート - SPORTS BACKS OFFICIAL SITE KOJI UEHARA (@TeamUehara) - X(旧Twitter) Koji Uehara (@koji19uehara) - Instagram Koji Uehara(上原浩治) (19koji.uehara) - Facebook 上原浩治の雑談魂 上原 浩治(うえはら こうじ、1975年4月3日 - )は、大阪府寝屋川市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。YouTuber。野球解説者。野球評論家。タレント。 投手として読売ジャイアンツでは4度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献。MLB(テキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブス)では4度の地区優勝、2度のリーグ優勝、1度のワールドシリーズ優勝に貢献した。個人ではNPBで合計16個のタイトル(9個)・主要表彰(7個)を獲得している。 元メジャーリーガーで、2013年にはMLBで日本人初のリーグチャンピオンシップおよびワールドシリーズ胴上げ投手ともなった。NPB時代に20世紀最後の沢村栄治賞受賞と20世紀最後の投手三冠王を達成している。最高勝率を3回獲得(セ・リーグ最多タイ記録)している。日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した唯一のアジア人選手。日本代表ではWBCで1度優勝している。アテネオリンピック銅メダリスト。 マネジメントはスポーツバックス。 実兄は北川ヒューテック代表取締役社長の北川隆明。 実父がコーチを務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始めた。寝屋川市立第十中学校では野球部がなかったため、同じ団地内にある「明徳アスナローズ」で野球を続けながら、陸上部に所属した。 高校は自転車で通えて野球が強いという理由から東海大学付属仰星高等学校に進学した。高校時代は建山義紀、ラグビー元日本代表の大畑大介とも同級生であり、3人は1年時に同じクラスであった。1、2年時は中学時代に陸上部で鍛えた脚力を見込まれて外野手を務める一方で、練習では打撃投手を務めることも多かった。2年生秋の大会で背番号8をもらいセンターのレギュラーとなる。3年になって投手になるが建山義紀の控えでほとんど登板機会がなく、同校も夏の大阪大会準々決勝で敗退したため全くの無名選手であった。その頃、建山がプロ球団などから勧誘される中、体育教師になる夢を叶えるため大阪体育大学への進学に備える。受験にあたっては運動能力、学力とも合格ラインに達していると自負していたが、結果は不合格であった。 この時のショックは未だに忘れられないほど強烈なものであったが、浪人してもう一度受験することを決意。隣町の予備校(KEC近畿予備校)に通う傍らジムでトレーニングを積み、更に家計への負担を減らすために夜間は道路工事のアルバイトもこなした。この間の努力は「人生であれほど燃えた1年間はない」程だったという。 「野球ができなかった苦しさを思えば、打たれても野球ができるプロは辛くない。」と19歳当時の1年間を忘れないように巨人入団後及びMLB時代所属した4球団でも背番号は「19」を選択した。 この翌年、再度大体大を受験し合格、野球部に入部した。1年時から阪神大学リーグでは主戦投手として優勝に貢献。大学選手権では初戦で完投勝利、準々決勝ではこの年のドラフト上位候補である東北福祉大・門倉健と投げ合って延長で惜敗も完投、プロのスカウトから注目されるようになった。2年時の同大会でも2回戦まで連続完投勝利。大学3年時の1997年、日米大学野球選手権大会では大会タイの14三振を奪って、メジャー球団の関心を惹いた。この大会で速球が通用したことでプロでやっていく自信が芽生えたという。日本代表に選ばれた同年8月の第13回インターコンチネンタルカップ決勝で、当時国際大会84連勝中だったキューバ相手に先発して勝利投手となり、この年のインターコンチネンタル最優秀投手賞を受賞。秋の大阪経済法科大学戦では1試合21奪三振を記録。これはリーグ記録として残っている(2024年現在)。4年春の姫路獨協大学戦ではノーヒットノーランを達成した。また大学選手権では1回戦で九州共立大注目の山村路直(2年)と延長10回を投げ合って勝利。秋は進路問題もあって最終節登板せず優勝を逃す。大学4年間で通算リーグ優勝5回(1年春、2年春・秋、3年秋、4年春)、36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回という成績を挙げた。通算36勝と完封13はリーグ記録。学生時代に、珠算初段、中高の教員免許(体育)を取得している。なお、教員免許は更新をしていないため後に失効している。 本人は在学当時の大阪体育大学の知名度を「3年生の頃まで東京の大学に練習試合を申し込んでも全部断られ、4年生の時にやっと試合してくれた」と説明している。4年生の時に明治大学が練習試合に応じてくれた際、明治大学の下級生が丁寧に敷地内を案内してくれる様子を見て、上下関係の全く無い大阪体育大学と異なり軍隊のようだったと後に振り返っている。 1998年のドラフトでは横浜高等学校の松坂大輔と並ぶ目玉と目された。大学時代は地元の大阪近鉄バファローズが目をつけていたが、国際大会の活躍で注目度を上げたことで、メジャー4球団を含む複数球団が獲得に乗り出し、最終的にメジャーリーグベースボール(MLB)のアナハイム・エンゼルスと読売ジャイアンツによる争奪戦となった。迷いながらも巨人を逆指名し、1位で入団した。入団会見では「メジャーでやるにはまだ自信がないから、日本を選んだ」と述べ、悔しさを滲ませた。背番号は上述の理由により19を選択した。 引退後に本人が語ったところによると、メジャーのスカウトから「100%の自信がないと成功しない」「90%では来るな」と言われたこと、親からの「ケガしたらどうする?」「言葉の壁はどうする?」という言葉に「自信があったのが、どんどん崩れていったんで、そう考えると100%ではないな」と考えてメジャーを断念したと語っている。 1999年は毎週日曜日に登板するという先発ローテーションが組まれていたために「サンデー上原」と呼ばれた。前半戦で新人では37年ぶりの12勝を挙げるなど5月30日から9月21日まで、歴代4位タイとなる15連勝を記録。新人投手の記録としては1966年に堀内恒夫が記録した13連勝を33年ぶりに更新する。 10月5日のヤクルトスワローズとの最終戦では、すでに中日ドラゴンズの優勝が決まった後の消化試合であったため、注目はタイトル争いとなり、各チームに所属する松井秀喜が41本、ロベルト・ペタジーニが42本と、本塁打王を激しく争い、松井が一貫して敬遠気味の四球で歩かされ続けた。ここで上原も、7回裏にペタジーニの3打席目を迎えたところでベンチからの敬遠の指示に従いストレートの四球で渋々歩かせたが、勝負できない悔しさからマウンドの土を思いっきり蹴り上げ、目に浮かんだ涙をユニフォームの袖で拭った。なお、この年、ペタジーニを無安打に押さえ込んでいた上原は、1・2打席目では勝負して打ち取り、9回の4打席目では再び勝負し適時打を打たれた。また上原自身も当時中日の野口茂樹と最多勝を争い、この試合に20勝目がかかっており、2失点完投勝利で20勝目を挙げた。 このシーズンは20勝4敗の好成績を残し、両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇以来19年ぶりの20勝投手となった。最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成。また、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞(20世紀最後)も受賞する。鈴木啓示の座右の銘「草魂」に由来する、自身を雑草に喩えた「雑草魂」という言葉は松坂大輔の「リベンジ」と共に1999年の流行語大賞に選ばれた。 2000年7月2日の広島東洋カープ戦で右太もも肉離れを起こし登録抹消。7月27日には川崎市内で自家用車を運転中にオートバイと接触事故を起こし、オートバイの男性が重傷を負った。この事故について球団から厳重注意の上謹慎10日間の処分を受け、業務上過失傷害で書類送検され罰金30万円の略式命令を受けた。これによりアサヒ飲料「十六茶」のCM契約も打ち切られ、シーズンは9勝7敗に終わり規定投球回数もクリアできなかった。同年の日本シリーズ(対福岡ダイエーホークス)では、第3戦に先発し、チームの1勝目と同時に自身のシリーズ初勝利を挙げ、その後のチームの4連勝で日本一を果たした。 2001年は、4月13日の横浜ベイスターズ戦で左太ももの肉離れを起こして一時離脱し、後半戦では右膝の故障もあり、2年ぶりに2桁勝利を記録したが、この年も規定投球回数がクリアできず防御率は自身最低となる4.02に終わった。 2002年は自身初の200イニング登板を達成し、17勝5敗の好成績で最多勝を獲得し、最高勝率も達成。沢村賞、ベストナインも受賞する。西武ライオンズとの2002年の日本シリーズ第1戦に先発し、12奪三振・1失点完投勝利の快投でチーム史上初で1990年の西武以来12年ぶりの4連勝ストレート勝ちでの日本一に貢献し、優秀選手賞を獲得。シーズン後に行われた日米野球にも選出され、バリー・ボンズから3打席連続三振を奪い、メジャーリーグのスカウトからの注目を集める。11月29日にはアフガニスタンの子どもたちへの支援金として200万円を当協会事務局長に手渡した。 2003年に7月20日から8月29日にかけて7試合連続完投勝利を挙げるなどして最多勝争いに加わり(最終的には20勝の井川慶)、2年連続で200イニング登板達成、16勝5敗、最多奪三振を獲得と、ゴールデングラブを受賞した。 2004年は例年より始動を早め、万全のコンディションで臨んだが、キャンプで右足を負傷する。開幕には間に合わせ、当初は中5日かつ最初の6試合で平均球数130球以上を記録と投げまくるも、5月に左足を故障。しかしローテーションを1回飛ばしたのみですぐに復帰。膝に負担がかからないようにコンパクトなフォームに変更し試合を作った。同年シーズン途中にはアテネ五輪出場により一時離脱。最後は6連勝でシーズンを終えた。同年シーズンはリーグ3位の13勝を記録し、防御率はリーグ唯一の2点台となる2.60で2度目の最優秀防御率を受賞。9月14日には元モデルの山﨑美穂と結婚した。この年の契約更改で年俸が3億円に到達。入団6年目での3億円到達は史上最速であった。 2005年はポスティングシステムによるメジャー移籍志願を公言したために契約交渉がもつれ、キャンプ入りが遅れた(後述)。防御率リーグ3位、完投数リーグ3位、奪三振リーグ5位、投球回リーグ4位、WHIPリーグ1位など好成績を残したが、打線の援護に恵まれず、またリリーフ陣が打ち込まれたこともあって、勝敗は9勝12敗と自身初めてのシーズン負け越し、唯一のシーズン二桁敗戦を経験した。 2006年は球団史上最多、7度目(7年連続)の開幕投手を務め自身5年ぶりの開幕戦勝利を挙げ、8月25日の阪神戦で、ドラフト制以降では松坂大輔と並ぶ最速タイとなる191試合目での100勝を達成したものの、8勝9敗で2年連続一桁勝利で負け越した。 この年から、巨人の財団法人骨髄移植推進財団への支援開始をきっかけに、自身も骨髄バンクへの登録を呼びかける活動を始めた。6月に自らも骨髄バンクに登録し、試合前のイベントなどで登録を呼びかける。また、シーズンオフには東海大学医学部付属病院へ訪問し、病気の子供達にクリスマスプレゼントを渡している。 2007年は故障により出遅れたため、8年連続での開幕投手及び9年連続開幕一軍を逃し、プロ入り初の開幕二軍となった。序盤に抑えの豊田清の不調が重なったことでこの年は抑えとして起用されることになった。5月2日の中日戦でプロ初セーブを挙げた。8月5日には球団史上初の4日連続セーブを記録し、8月29日のヤクルト戦では球団新記録及びプロ野球タイ記録の月間11セーブを挙げた。9月26日の中日戦でも球団新記録となる31セーブを達成。最終的には32セーブを挙げ、MVP投票でも2位の評価を受けた。プロで20勝を挙げ30セーブを記録した投手は江夏豊に次ぎ史上2人目であった。中日とのクライマックスシリーズ・2ndステージでは第2戦・第3戦に登板したが、シーズンにもなかったビハインドの場面に登板。レギュラーシーズンで12試合登板無失点7セーブを記録していた中日打線にも李炳圭にソロ本塁打を打たれるなど追加点を許し、3連敗でのクライマックスシリーズ敗退後はベンチで号泣した。オフには初めて巨人の後輩(西村健太朗)を伴い自主トレを行った。 2008年4月4日にFA権を取得。翌年のメジャーリーグ移籍を目指すことを7日に表明。巨人の球団代表清武英利からは「全力を上げて慰留する」と同時に「今までよく我慢してくれた」という労いの言葉が贈られた。シーズンではかねてから希望していた先発ローテーション復帰を果たすも5試合に登板して4敗、防御率6.75と不調が続いたため、4月27日付で一軍登録抹消。故障以外ではプロ入り後初となる二軍落ちを経験した。二軍では小谷正勝コーチなどと調整と投球修正を続けていた。7月に北京オリンピックの日本代表監督である星野仙一からの代表招集要望で一軍に緊急復帰し、セットアッパーとして登板するも、本来の調子を取り戻すことはできなかった。しかし星野から「日本代表に最も必要な男」と国際試合での相性・経験を見込まれ、代表に選出された。一軍でも尾花高夫投手コーチと遠投に取り組むなど、引き続き投球修正を続け、原監督には精神的な部分での問題を指摘され、ビハインドでの救援や、僅差で二死からの救援など、段階を上げながら試行錯誤を重ねた。前半戦最終戦、五輪代表合宿合流前の最後の試合となった7月29日、8回1点差から登板し1イニング無失点、その後4点差となったことで9回も続投して3三振に抑え、この年の一軍初セーブを記録した。前年の2007年に代謝異常の難病を患っていた少年と「元気になったら東京ドームでキャッチボールをする」と約束。8月28日の東京ドームでの横浜戦の試合前に約束は実現し、少年はその試合で始球式を務める。この様子はその年の24時間テレビで放送された。この試合では約4か月ぶりの先発復帰を果たし、先発投手として693日ぶりの勝利を挙げた。その後も尻上がりに調子を上げ、北京五輪後は7試合で4勝1敗。唯一の敗戦もソロ本塁打での1失点のみで防御率2.08という好成績で巨人の逆転優勝に貢献した。西武との日本シリーズでは第1戦(11月1日)に先発したが、負け投手となる。10月以降の敗戦は自身初であった。第5戦にも先発したが、3回2失点で降板。しかしチームが逆転勝ちしたため敗戦は免れた。 日本時代に2回の沢村賞を受賞したが、複数回の沢村賞を受賞したのは15人で、平成に入ってからおよびセ・パ両リーグ対象(6球団→12球団)になってからは斎藤雅樹・上原・斉藤和巳・田中将大・前田健太・菅野智之・山本由伸の7人しかいない(2024年シーズン終了現在)。また、前年に73本塁打を記録した全盛期のバリー・ボンズを日米野球で3打席連続三振に抑えたり、国際試合負け無し、最多勝・最優秀防御率・最多奪三振をそれぞれ複数回獲得するなど、球界を代表する投手として活躍した。 11月14日、FA宣言を行い、正式にメジャーリーグ挑戦を表明。SFX社のマーク・ピーパーを代理人に迎えた。 2009年1月6日にボルチモア・オリオールズと2年契約で基本合意。13日に2年1000万ドル+出来高600万ドルで正式に契約を交わし、同球団初の日本人選手となった。背番号は巨人時代と同じ「19」に決まった。 開幕から先発ローテーション入りし、4月8日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューし初勝利を挙げた。しかし、同年5月23日のワシントン・ナショナルズ戦では脱水症状からくる左太もも裏の痛みを訴えて降板し、27日にも痛みが再発したためDL入りしたのに続き、6月23日のフロリダ・マーリンズ戦では右肘に違和感を訴え途中降板し、28日に精密検査で右肘腱の部分断裂が判明し再び故障者リスト入り。監督のデーブ・トレンブリー(英語版)は復帰後はリリーフに転向させる意向を示唆していたが、約8週間リハビリを続けたものの回復にはさらに長くかかり、9月上旬にシーズン中の復帰を断念した。結局、MLBの1年目は前半戦に先発登板した12試合のみとなった。 2010年1月1日に株式会社スポーツカンパニーとマネジメント契約を結び、8月にはグリーンカードを取得。スプリングトレーニング中に左太もも裏を痛め、DL入りして開幕を迎えた。5月からリリーフとして復帰するが、6試合の登板後に右肘痛が再発して再びDL入りした。約1か月後の6月29日に復帰した後は、17試合登板して防御率1.80、WHIP1.10と好投を続けた。敗戦処理を含む比較的楽な場面であったが、安定した投球を続けていたことが、新しく監督に就任してオリオールズの再建に着手したバック・ショーウォルターの目に留まって暫定クローザーとして起用されることになった。8月21日のテキサス・レンジャーズ戦の9回に登板し1安打無失点に抑えメジャー初セーブを挙げた。7月16日のトロント・ブルージェイズ戦でMLB歴代4位タイの32試合連続無四球を記録。オフに250万ドルの出来高を含む総額550万ドルの1年契約を結んだ(2年目は年俸350万ドルの球団オプション)。 2011年は、ブルージェイズからケビン・グレッグがクローザー契約で加入したことにより、セットアッパーを務めた。グレッグが精彩を欠いた反面、スプリングトレーニングで右肘を痛めたが、その後は安定した投球を続け、7月まで43試合に登板し1勝1敗、防御率1.72、WHIP0.70(リーグの救援投手でトップ)という好成績を残した。また前年から続いていた連続無四球試合数は36試合にまで伸び、MLB歴代3位の記録となった。オリオールズでは上原が投げるときに「kojiコール」が起きるほど、ファンからも信頼されていた。 2011年7月30日にトミー・ハンター、クリス・デービスとのトレードで、前年にワールドシリーズ進出を果たしたテキサス・レンジャーズに移籍し、高校時代に同級生であった建山義紀とチームメイトとなった。背番号は巨人、オリオールズ時代と同じ「19」。残りのレギュラーシーズン(2011年)では打者優位の球場(後述)に対応できず、8月前半の11試合は防御率6.52、WHIP1.24を喫し、被本塁打率は3.72と大きく打ち込まれた。しかしその後は持ち直し、8月31日には55試合登板を達成し翌年の契約オプションを更新。9月は10試合の登板で防御率1.23、WHIP0.23と復調し、チームのポストシーズン出場に貢献した。シーズン通算では65試合で防御率2.35、リリーフ投手中リーグ1位のWHIP0.72、同5位の奪三振率11.77、同2位の与四球率1.25を記録した。 自身初となったポストシーズンではタンパベイ・レイズとのディビジョンシリーズ第2戦で登板を果たすも、エバン・ロンゴリアから3点本塁打を打たれた。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦でもミゲル・カブレラに本塁打を打たれ、さらに第5戦でもライアン・レイバーンに本塁打を打たれてポストシーズン史上初となる3戦連続被本塁打を記録。チームはワールドシリーズ進出を決めたが「レギュラーシーズンは良かったのに、この3試合で成績すべてが消えた感じになった。もう1回、チャンスがほしい」と語り、復調を目指したがセントルイス・カージナルスとのワールドシリーズではロースターから外れ、チームは第7戦で敗退した。 2012年1月23日にトロント・ブルージェイズとのトレードが成立したが、ブルージェイズを含む6球団に対してトレードの拒否権を持っていたため翌日に移籍を拒否し、トレードは破談となった(他の5球団は公開されていないが関係者によると「優勝の可能性が低く、家族の滞在を考慮した住環境が整いにくいところ」だという)。 同年のシーズンは、20試合の登板で防御率2.11、WHIP0.70という成績を残していたが、右広背筋を痛めて6月14日にDL入り。その後マイナーでリハビリ登板を続けていたが、右広背筋に再び張りが出て復帰が遅れ、8月26日にDLから復帰。レギュラーシーズン最終戦まで14試合連続無失点を記録し、後半戦は17試合の登板で1セーブ、防御率1.23、WHIP0.54の成績を残したが、チームは地区優勝を逃す。ESPNの1900年からの統計によると、この年のK/BB14.33は、年間35イニング以上を投げた投手ではエカーズリーが1989年と1990年に記録した数値に次ぐメジャー歴代3位の記録だった。本人はこの年は『一発病』の克服をテーマとしていたが、イニング数の違いはあるものの、被本塁打数は前年11本から4本へと減少した。ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのワイルドカードゲームの8回に登板しクリーンナップを3者連続三振の快投を見せるも、チームは敗退しディビジョンシリーズ進出を逃した。 リリーフ転向後、2010年は43試合で防御率2.86、13セーブ、2011年は65試合で防御率2.35、2012年は37試合で防御率1.75と、安定した成績を残してきた上原は、オフにはMLBの複数球団で争奪戦となった。12月6日にボストン・レッドソックスと総額425万ドル+出来高の1年契約(2年目は55試合登板で自動更新される年俸425万ドルの球団オプション)で合意したことが報じられ、18日に契約した。本人は決め手を、自分を最も必要としてくれている球団だと感じたこと、そしてクラブハウスに温水洗浄便座があることも良かったと語った。一方で前年地区最下位のレッドソックスの側では、GMのベン・チェリントンはどうしても必要な補強では無いと当初考えていたが、セイバーメトリクスに精通したスタッフやアドバイザーのビル・ジェームズが強く進言したため、急遽獲得に動いたと言う。この契約は後に「レッドソックスは奇跡を捕まえた」と称された。 2013年レギュラーシーズンに、2010年以来トレードマークとしていたもみあげをさっぱりと剃りあげたこの年は、序盤は4月21日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で失点するまでの8試合、前年から続く22試合連続無失点を記録。6月9日のエンゼルス戦で与死球を記録したが、これがメジャー移籍後、183試合目、打者920人目にして初めての与死球であった。シーズン当初にクローザーを務めたジョエル・ハンラハン、アンドリュー・ベイリー、田澤純一が不調となったため、6月21日に上原が(4人目の)クローザーに指名された。6月26日に指名後初セーブを挙げ、6月27日のブルージェイズ戦では、NPB/MLB通算50セーブを記録した。前半戦は44試合の登板で2勝0敗8セーブ、防御率1.70、WHIP0.76の成績を残し、MLBオールスターゲーム最終投票の候補に選ばれるまでとなった。8月13日のブルージェイズ戦でシーズン55試合目の登板に到達、翌年の契約オプションを更新した。日本人投手歴代最長の26試合連続無失点を記録し、34人連続アウトの球団記録も更新。13日も3人で抑えて記録を更新したが、次の17日のオリオールズ戦でダニー・バレンシアに三塁打を打たれ、犠飛で失点してシーズン初の負け投手となり、記録はストップした。連続アウト37人はメジャー史上10位(救援投手では2位)また同時に連続無失点試合は27試合、連続無失点イニングは30回1/3連続無失点を達成した。9月20日のブルージェイズ戦で20セーブ目を挙げてチーム6年ぶりの地区優勝を決め、MLBにおける日本人2人目の胴上げ投手となった。9月27日のオリオールズ戦では、救援投手では球団史上初となるシーズン100奪三振に到達。救援投手でのメジャー記録となるWHIP0.57を記録した。なお、このシーズンは73試合に登板した。シーズン途中からの抑え転向だったことでセーブ数こそ21と伸びなかったものの、救援投手ながらサイヤング賞投票でも10ポイントの票が入っていた。ディビジョンシリーズでは、本人が嫌な相手と語るタンパベイ・レイズと対戦。第2戦から第4戦に出場し2セーブを挙げたものの、第3戦では、同点の9回裏二死の場面で、途中から守備で入っていたホセ・ロバトンに39試合ぶりの被弾となるまさかのサヨナラ本塁打を打たれている。この打球はトロピカーナ・フィールド名物の「エイが入った巨大水槽」に叩きこまれ(球場史上3回目)、レイズの選手による初のタンクヒットとして記録された。リーグチャンピオンシップシリーズでは前年ア・リーグ王者のデトロイト・タイガースとの対戦となったこのシリーズの6試合中5試合に登板し、1勝0敗3セーブ4安打9奪三振無四球無失点という圧倒的数字で、リーグ優勝決定シリーズMVPに選ばれた。これは救援投手としてはマリアノ・リベラ(2003年)以来、MLB史上3人目の快挙であった。また、日本人では初の受賞でもあった。ワールドシリーズはセントルイス・カージナルスが相手で、両リーグの最高勝率球団同士の対戦となった。第3戦の同点の9回裏一死・走者二・三塁の場面で、ジョン・ジェイの二塁ゴロで三塁走者を本塁でタッチアウトにしたが、捕手のジャロッド・サルタラマッキアが三塁へ悪送球。捕球できずに倒れた三塁手のウィル・ミドルブルックスに走者のアレン・クレイグが躓き、これが走塁妨害と判定されて、ワールドシリーズ史上初めての「走塁妨害によるサヨナラ負け」を喫した。第4戦では、9回裏二死走者一塁の場面で一塁走者のコルテン・ウォンを牽制アウトに仕留めた。これはワールドシリーズ史上初めての「牽制死によるゲームセット」で、同時に日本人としてもワールドシリーズで初のセーブを挙げた。第5戦でもセーブを挙げ、歴代のポストシーズンで最多タイの7セーブを挙げた。更に、優勝のかかった第6戦においても9回5点差で登板し、最後にマット・カーペンターを三振にしとめ、MLBにおける日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手となった。なお、このシーズンはポストシーズンを含むと86試合に登板しており、メジャー全投手の中で最多登板という、量・質共に比類の無いシーズンを過ごした。 2014年シーズン始めからクローザーに定着、前半戦は42試合に登板し18セーブを挙げ、防御率1.65、WHIP0.76、奪三振率11.75と大躍進を遂げた前年に劣らぬ好成績を収める。田中将大が故障者リスト入りしたことに伴いMLBオールスターゲームへの出場を辞退したため、代わりに選出された。オールスターゲームでは6回二死の場面で登板し、デビン・メソラコを三振に切って取った。後半戦に入っても好投を続けていたが、8月16日から6試合の登板で10失点を喫する乱調に陥り、9月5日にはクローザーの役割から外れることとなった。シーズン通算では2年連続で60試合以上の登板を果たし、26セーブを挙げた。防御率は終盤の乱調が影響し前年より大幅に悪化したが、WHIP0.92、奪三振率11.19は高い水準を保った。 2015年4月3日に故障者リスト入りが発表され、同年シーズンの開幕メンバーから外れることが決定した。4月14日のワシントン・ナショナルズ戦のシーズン初登板で、1回無失点でセーブを挙げた。40代の日本人投手がセーブを挙げたのは斎藤隆以来2人目であった。5月10日ブルージェイズ戦で9回に登板、無安打1四球の無失点で6セーブ目、NPB/MLB通算100セーブ目を挙げた。8月7日の敵地タイガース戦で9回途中に登板した際、打球を止めようとして出した右手に打球がぶつかり、手首を骨折した。非分離型撓骨遠位端骨折と診断され、同年の残り試合を欠場する見通しであると球団が発表した。レッドソックスは11月13日、サンディエゴ・パドレスとのトレードでメジャー通算225セーブ(2015年シーズン終了時点)を記録し、MLBを代表するクローザーのクレイグ・キンブレルを獲得したと発表。これにより、NBCスポーツなどの複数メディアは上原がチームから8回を担当するセットアッパーに配置転換されることになったと同日に報じた。 2016年7月19日のジャイアンツ戦で右胸筋を痛め、翌日故障者リスト入りとなった。9月5日に復帰すると、7日のパドレス戦に復帰後初めて登板し、1回を無安打無失点に抑えた。結局復帰後は11試合に登板し無失点でレギュラーシーズンを終えている。最終的には50試合に登板し、2勝3敗、7セーブ、18ホールド、防御率3.45を記録した。地区シリーズでは第1戦、第3戦と無失点を記録するもチームは敗退した。11月3日にFAとなった。 2016年12月14日にシカゴ・カブスと1年600万ドルで契約を結んだ。この年のオフには、来期のオフにメジャーでのオファーがなければ引退すると発言していた。 2017年は開幕戦となる4月2日のカージナルス戦で同年シーズン初登板。1イニングを投げ無失点に抑えた。11月2日にフリーエージェント(FA)となった。 カブスをFAとなった時点で日本球界復帰やマイナー契約の意志はなく、MLBから契約のオファーがなければ同年限りでの引退の可能性も示唆していた。しかし、2018年になると一転して日本球界への復帰を示唆。そして3月9日に古巣の巨人と1年契約を結び、同日に入団記者会見が行われた。かつての背番号「19」は菅野智之が着用していたため「11」を背負うこととなった。これは空番から本人が指定した。契約金は1億円、推定年俸は2億円+出来高払い(いずれも推定)となり、同日付で支配下選手登録公示された。 2018年3月31日の阪神タイガース戦の8回に4番手として、2008年10月5日の対中日戦以来3,464日ぶりのNPB公式戦登板を果たし、1回を三者凡退無失点に抑えて公式戦3,535日ぶりのホールドを挙げた。しかし、オープン戦での段階での入団だったにも関わらずすぐ一軍に合流したことから調整不足に陥り4月10日のDeNA戦と4月15日の広島東洋カープ戦で打ち込まれ2試合連続で敗戦投手となる。同年のマイナビオールスターゲーム2018に中継ぎ投手部門のファン投票で選出され、11年ぶりに球宴へ出場。第2戦(リブワーク藤崎台球場)の6回に4番手で登板。43歳3か月での球宴登板となり、2005年に当時チームメイトだった工藤公康が記録した球宴最年長登板記録(42歳2か月)を更新。7月20日、広島東洋カープ戦の7回に3番手で登板してホールドを挙げ、世界で2人目、日本人では史上初となる日米通算100勝100セーブ100ホールドを記録した。しかし夏場に入ると再び打ち込まれる場面が目立ち、7月26日のヤクルト戦で延長11回から登板するも山田哲人に勝ち越し適時打を打たれて敗戦投手となり、翌27日に二軍へ降格した。その後、調整を経て8月25日に再昇格すると以降はシーズン終了まで一軍に帯同した。日本復帰1年目は36試合に登板し、5敗14ホールド・防御率3.63を記録した。10月23日、左膝のクリーニング手術を受けた。経過を見極める必要性から、10月29日に一度自由契約となったが、12月14日に自身のブログを更新し、巨人と再契約を結んだことを明かした。 2019年からは、菅野が背番号を「18」へ変更したため、メジャー移籍前に使用していた背番号「19」を再び背負うことになった。また、中日に在籍していた岩瀬仁紀が2018年限りで現役を引退したことにより、同い年でもある千葉ロッテマリーンズの福浦和也と並んで球界最年長選手となった。開幕は二軍で迎えたが一軍復帰はならず、同年5月20日にシーズン途中での現役引退を表明。同日付でNPBより任意引退選手として公示された。シーズン中に引退という異例の事態に球団では慰留の構えを見せるも本人は残らず「二軍で抑えられないようでは一軍では抑えられない。辞めるなら球団に迷惑かけたくない。若手の投げる機会を奪いたくないから」などといった内容の発言を残している。なお、日本プロ野球12球団における令和最初の任意引退選手となった。 2020年からはTBSテレビ『サンデーモーニング』内のスポーツコーナー「週刊御意見番」コメンテーター(不定期出演。2021年まで)、NHK『サンデースポーツ』コメンテーターとして活動。同年1月31日にYouTubeの公式チャンネル「上原浩治ベースボールアカデミー」を開設した。9月に、『サンデーモーニング』の番組内で、新型コロナウイルスに感染していたことを公表した。上原によると、アメリカから帰国後、成田空港でのPCR検査で陽性であることが判明した。無症状であったため、ホテルで数日隔離しているだけで済んだという。10月、自身のYouTubeチャンネルの登録者数が10万人を超えた。 2021年9月9日放送のテレビドラマ『八月は夜のバッティングセンターで。』の第9話(最終回)に本人役で出演した。 2022年からは日本テレビゲスト解説者、日刊スポーツ野球評論家、タレントとして活動。同年からは『サンデーモーニング』内のスポーツコーナー「週刊御意見番」に新しい御意見番として就任した。12月9日、名球会の入会条件(投手は 200勝 もしくは250セーブ)を達成してはいないものの、名球会の入会規定に相当する記録保持者として理事会にて推薦を受け、会員の4分の3以上の賛成を得たため、史上初めて特例枠で名球会入りを果たした。 2024年12月、自身のYouTubeチャンネルの登録者数が100万人を超えた。 1997年、大学3年夏に日本代表に選出され、第13回IBAFインターコンチネンタルカップの決勝でキューバ戦で、5回と1/3を投げて1失点と好投し、キューバの連勝記録を151でストップさせた。 2003年、アテネオリンピックアジア予選では中国戦に先発し、7回1失点で勝利投手となった。本戦では2登板で1勝0敗、防御率2.08で銅メダル獲得に貢献。 2006年は第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。2次リーグ初戦のアメリカ戦で勝敗が付かなかったが5回1失点と好投した。準決勝ではこの大会の対戦で2敗していた韓国を相手に7回を無四球無失点の快投で勝利を呼び込んだ。3戦2勝の好投、大会最多の16奪三振を記録し、日本の初制覇に貢献した。 2007年12月の北京オリンピックアジア予選でも1セーブを記録。2008年のシーズンは絶不調であったために批判が多かったが、北京オリンピック野球日本代表監督を務めた星野仙一が直々に交渉してクローザー兼投手主将として起用。北京オリンピックでは2試合に登板し防御率0.00、1セーブを記録した。 北京オリンピック終了後に代表引退を表明したが、2013年の第3回WBCについては要請があれば前向きに検討していたと述べた。2017年の第4回WBCについては「出てみたくなってきているのは確か」とブログに綴っていたが、カブスの意向で出場辞退し、「申し訳ない気持ちでいっぱい」とコメントした。 本人は「対戦相手に恵まれていただけ」と謙遜するが、外国チームとの国際試合では大学時代から数えて通算25戦12勝0敗2セーブ、「国際戦負けなし」という無類の強さを誇る。 基本的にフォーシームとフォークボールを軸に投げる。メジャー移籍前の巨人時代はこれにカットボールを混ぜて投げていたが、メジャー移籍後からは前者の2球種以外の割合は低い。最も特筆すべきはその制球力であり、奪三振が多く与四球が少ないピッチャーである。NPB10年間で奪三振率7.99(主にクローザーを務めた2007年は奪三振率9.58)、MLB8年間で奪三振率10.7、2013年においては自己最高12.2を記録する。制球力を示す指標である奪三振を与四球で割るK/BBでは、生涯1000イニング以上投げた投手の中では日本プロ野球歴代最高となる通算6.68(2位は土橋正幸の4.61、3位は田中将大の4.50であり、上原の数値は突出している)で、メジャーリーグでも2014年まで通算100イニング以上投げた投手の中で歴代最高の通算8.96を記録している。日本での10年間の1549イニングで与四球数はわずかに206個。日本での通算与四球率は1.20で、「精密機械」と呼ばれた北別府学の1.90、小山正明の1.80といった、往年の名投手達の記録を大きく上回っている。また、本来はワンバウンドしやすいため暴投が多くなりがちなフォークピッチャーでありながら暴投も非常に少なく、2018年までの20年間で僅か19個(NPBの11年で10個、MLBの9年で9個)しか記録していない。 飛球の割合が多いフライボールピッチャーとして知られ、もともと被本塁打がやや多い傾向があった(日本での通算被本塁打率1.1)。リリーフに転向したメジャー時代での通算被本塁打率は1.12。また内野フライに打ち取った確率23.0パーセントは2013年メジャー1位であった(シーズン途中時点)。 オリオールズ時代のチームメイトで捕手のマット・ウィータースは「構えた場所に寸分の狂いなく投げ込んでくるから、受けるのが楽しい投手だった」と言い、シカゴ・ホワイトソックス投手コーチのドン・クーパーも「フォームに惑わされている打者がいるのは確かだが、それだけで行きつける場所は限られている。上原が何年も活躍できているのは、スプリッターの使い方がうまいことと、コマンド(狙ったスポットに投げる能力)が優れているからだ」と制球力の良さを特徴に挙げた。 ジャイアンツ在籍中に成績が伸び悩んだ2000-2001年ごろに、球種を増やすことについて先輩投手の工藤公康に相談した際に「球種を増やすよりも、今持っている球をもっと正確に磨いた方がいいんじゃない?」と言われたことが転機になったと上原本人が度々語っている。工藤自身も、主な球種はストレート・カーブと少なかったが、同じフォームや腕の振りから、緩急をコントロールしてコーナーに投げ分ける技術を磨くことで勝ち星を重ねており、上原が工藤のブルペンを見学させてもらった際に「何球投げても、球種を変えてコーナーを変えても、常に同じ場所に足がつくため、綺麗な靴のあとがマウンドに残っていて、衝撃を受けた」「僕が知る限り、あんなことができる投手はほとんどいないし、バッターからすると、ピッチャーの投げるフォームから球種やコースを読むことが困難で、かつ緩急をつけてコーナーに自在にコントロールできる。あれはかなり打ちにくいと思った」と語っており、以降、基本的にはストレートとフォークに球種を絞り、その投球術を磨くことに専念した。 上述の制球力に加えて、「迷ったらプレートを外せばいいだけ」と一球ごとの投球間隔が非常に短く速いテンポでどんどんストライクを投げ込んでいくため、巨人時代には2時間程度での完投勝利もしばしばあり、1999年7月4日の横浜ベイスターズ戦では1時間59分での完投勝利を記録した。「打者1人に対して5球。1イニング15球なら次の日もそんなに疲れも残らない」という考えで、1試合あたりの球数も少ない。 テイクバックが小さく腕の振りが速いのが特徴で、ややトルネード投法気味のノーワインドアップのスリークォーターで投げる。この投球フォームは非常にスムーズで一見それほど特徴的には見えないが、投球動作の前半は腕が体の陰に隠れて見えない上に球持ちが非常に短いため、テイクバックからボールを離すまでの時間が短く、メジャーの多くの選手が「球の出どころが見づらい」と語り、速球を実際の球速以上に感じさせる「Deceptive(幻惑的)」な投球フォームと呼ばれている。同僚の外野手ダニエル・ナバは、「見極める時間が無い」、「ど真ん中の速球が、投げられてから半分通過するまで判らない」と述べ、捕手のデビッド・ロスですら「投げた瞬間、ボールがストライクかどうかは高めに外れた時以外は判別できない」と述べている。 投球フォームは、メジャーに来て肉離れで苦しんでいた時に、MLBの硬くて傾斜のきついマウンドに合わせジェイク・ピービーを参考にマウンドからジャンプするような投球フォームに変更することにより、太ももの負担を減らすと同時にボールの方に力を乗せるようにした。 前述のように配球はフォーシームとフォークで半々であるが、絶妙に投げ分けており、二球種を全く同じように投げられることは、上原の優れた長所である。対戦したヤンキースのライル・オーバーベイは「速球だけでなく、スプリッターも両サイドに投げ分ける。速球とスプリッターが同じような軌道を描くから、見極めるのが難しい」と言う。スカウトの意見では「スプリッターが常に鍵」で、配球は制球力が上原の武器だと分析した。 速球はフォーシームを2種類の握りで投げ分ける。ツーシームは投げられないと語っている。最速は大学時代に計測した153km/h。巨人の先発時代の平均球速は約140km/h前後。メジャー移籍後は、最速92mph(約148km/h)、平均球速も88-89mph(約142-143km/h)と10セーブ以上挙げているクローザーの中ではメジャーで(2013年で)2番目に遅いが、「いろいろ動かしたりしている」と本人も発言している通り、微妙な変化をつけている他、投球フォームにも速度の変化をつけて打者のタイミングを外している。フォーシームの回転数が多く、最高2,700rpmを計測。2013年の速球の空振り率36.3パーセントはメジャー3位であった。上原の速球は回転が良く浮き上がるようだと評され、同僚の捕手だったウィータースは「コウジの場合何より大きいのは、全く同じ腕の振りから速球とスプリッターが繰り出されること。投球モーションが幻惑的なこともあって、手を離れた瞬間は全く同じ球に見えるんだ」と言い、同じく外野手のニック・マーケイキスも「コウジの球は、手から離れた瞬間にジャンプして向かってくるような印象を受ける。ボールを放す位置が打者の近くで回転も良いから、スピードガンが示すよりも速く見えるんだ。あの幻惑的な投げ方が有利に働いている部分もあるだろう」と語っている。オリオールズ時代の監督のバック・ショーウォルターはその切れ味を「シャープなナイフ」と表現していた。 2017年6月16日のパイレーツ戦では、速球を軸に好投した上原に対し、アメリカの解説者は「メジャーの引っ張る打者にとって、最もフラストレーションの溜まる投手の筆頭が上原でしょう。球速を見れば85-86mph(約137-138km/h)ですが、彼らは速球を空振りしてしまうのです。とても幻惑的な腕の動きです。素早い腕の振り。ボールは間違いなく打者の予想よりも速く手元に届くのです」。さらに「リベロのファストボールよりも15mph(約24km/h)は遅いのですが、打者の反応はほとんど同じに見えます。クレイジーだ」と、この日パイレーツの4番手で登板した左腕のフェリペ・リベロの100mph(約161km/h)の豪速球と、上原の130km/h台の速球は変わらぬ威力で打者を制圧していると強調し、絶賛している。 フォークボールは、落差の大きいもの、小さいもの、シュート回転させて右に落とすもの、スライダー回転させて左に落とすものなど、数種類のフォークを投げ分ける。ただし上原本人は佐々木朗希の完全試合を評価した際に佐々木と自身のフォークとの比較で「私は現役時代、シュート気味に曲がるフォークは投げることができたが、カット気味のフォークを操ることができなかった。もちろん、滑るボールでたまたまボールがカット気味にスライドするケースはあったが、意図して投げることは最後までかなわなかった」と述べておりカット気味のフォークを意図的には投げたことはない。メジャー移籍後を境に上原のフォークはスプリットと呼ばれるようになり、上原自身もスプリットと呼ぶ。オーバーベイは「2シームのように動きながら沈んでくる場合もある。スプリッターに限っていえば、ロジャー・クレメンスに似ていると思う。同じように2シームのような回転をしながら沈んでいくし、低めの制球力も見事だった。“球速の遅いクレメンス”という感じかな。ボールの手からの離れ方、回転なんかはすごく似ていると思う」と語っていたが、実際の上原のスプリットはいわゆるワンシーム回転であるがゆえに左右の投げ分けが可能であり、回転も握りもツーシームのそれではない。レッドソックス投手コーチのフアン・ニエベスも「スプリットもただ落とすだけじゃなく思い通りのコースに投げることができるから、打者も対応しきれないんだ」と語り、同僚の外野手マイク・カープは、「スプリットを制球出来る点で、他の投手と圧倒的に違う」と述べている。2013年のスプリットの空振り率は43.4パーセントで、200投球以上の投手ではメジャー2位だった。時に落ちないで減速のみするスプリットは、PITCHf/xではチェンジアップと判断される場合もあるが、実戦ではチェンジアップを投げることはない。 その他の球種としては、スライダーを少し投げ、極めて稀にカーブを投げることがある。メジャー移籍直後は人差し指と親指だけで投げる「一本指カーブ」をキャンプ前のトレーニングで練習していた。ただこのカーブは制球が未だに定まらず、メジャーで初の与死球となったボールは、2013年シーズンにたった3球投げたカーブのうちの1つである。フォークを覚えたのはプロに入ってからで、アマチュア時代はマッスラとナックルカーブを軸にしていた。しかし、ナックルカーブはプロ入り初先発の試合で阪神(当時)の佐々木誠に痛打され、先輩捕手の村田真一から「いらんやろ?」と指摘されて以来投げていない。また本人曰く、「フォークを覚えたらスライダーの投げ方が分かんなくなっちゃった」ため、プロ入り後数年にわたってスライダーを封印していた。スライダーは依然として得意としておらず、Twitterで後輩のダルビッシュ有に握りの伝授をお願いして断られたことがある。カットボールは巨人時代には投げていたが、「次に投げるストレートや別変化球のキレに影響」が出るということでメジャーでは封印している。 座右の銘には「雑草魂」を挙げている。 巨人時代の先輩橋本清によると、上原は「究極の負けず嫌い」で「野球が純粋に好きな、野球少年」であるという。その陽気な性格から、ふざけて抱きついたりすることも。酔ってイチローに抱き付いた写真を投稿したり、試合後の抱擁が情感溢れるとアメリカのメディアに茶化されたこともある。 若手時代にはライバルの松坂と共に児童雑誌の見開きページに特集されたが、当時としても児童雑誌で若手野球選手を特集するのは異例であった。 2006年のWBC優勝時のシャンパンファイトでイチローへ口に含んだシャンパンを吹きかけ、イチローから「お前は人間性に問題がある!」と冗談交じりに怒られた。このシーンは生放送で全国中継されていたためブログのコメント欄が批判で炎上してしまったという。イチローとは仲がこじれることはなく2020年現在でも連絡を取り合っており「実際どういう気持ちだったのか、イチローさんに本音を聞きたいですね」と述べている。 元々は先発に対して人一倍強いこだわりがあり、上原自身「先発が一番好きだ」と言う。日本で(先発として)限界説が囁かれる中に渡米し、ボルチモア・オリオールズと契約したのも、先発としての起用を優先するという条件をオリオールズが呑んだからである。巨人や五輪代表で、抑えとして起用されたことに本人は納得していなかった。2009年にリリーフに転向。翌年は再び自らの要望により先発に復帰したものの、MLBでは2年目以降はリリーフに配置転換され、中継ぎの重要性に目覚めてリスペクトするようになり、2013年のWBCで不調の田中将大が中継ぎに“降格された”という記事を見て激怒するに至る。「抑えて当たり前、打たれたときだけ記事になる」という中継ぎの仕事の過酷さを訴え、メディアの扱いが小さいという不満から自らブログで全投球の解説をするという情報発信を行っている。 2010年にルパン三世のように髪を短く刈った。その際にもみあげをのばした理由は相手チームに名前を覚えてもらうためであったというが、しばらくして本人も次第に「自分の方向性がわからなくなって」しまったということから、2013年からは髭ともみあげをさっぱりと剃りあげたが、これは「若く見える」と評判がよく、この年大半の選手が髭を生やしたボストン・レッドソックスでは逆に異彩を放つ目立つ存在となった。レッドソックスのチームメイトは、上原は田澤のように髭が余り伸びないたちだと思いこんでいて、かつて立派な髭をたくわえていたことを記者に知らされて驚いたという。 2013年後半戦の上原の活躍は、メディアから様々な表現で形容された。「strike machine(ストライクを投げる機械)」、「Mr. Automatic(強制終了)」、「unflappable(動じない)」、「untouchable(触れられない)」、「simply unstoppable(全く止められない)」、「the sixth sense(第六感の持ち主)」、「Deceptive(幻惑的)」、「Ninja」、「Unhittable God-Creature(打てない生き物)」、「Yoda with a splitter(スプリッターを投げるヨーダ)」などなど思いつく限りの賞讃が与えられた。 更にボストンでは上原の行動はレッドソックスを盛り上げていると認められ、次の10の特徴を写真付きで地元紙が掲げるほど気に入られた。 彼はハイタッチを愛している。 彼のもみあげは最高。 彼の名前と日本国旗入りのグローブは、悪い奴らに禁止された。 彼は勝利を決めた後、アリ・ゴールドのような抱擁をする。 彼はガッツポーズの宝庫。 彼の投げ終わった姿は、一球一球がドラマのクライマックスシーンのようだ。 彼は人助けに幸せを覚える。これがリリーフピッチャーの本質だ。 彼の顔は感情を正確に表す。 彼の熱意は感染する。 彼は勝利に対して本当にエキサイトする。そして、一日も経てば、彼はチームメイトにふさわしいタイプに思えてくる。 2013年のワールドシリーズMVPのデビッド・オルティーズは成績だけでなく人柄にも触れ、「投手としても、人間としても最高の男」だとして、最大級の賛辞を送った。同学年のオルティーズとは公私ともに仲が良く、家族ぐるみの付き合いである。シーズン中はチームが勝利した後に列になってハイタッチをする時に、相手の股間をどっちが先に触るかという遊びをしていた。ポストシーズンで担がれるといったパフォーマンスをするようになったのは、(精神的に)疲れすぎてその遊びをする余裕がなくなったことから、上原がオルティーズにもたれかかったことが始まりと、NHK-BSの特番でインタビュアーとなった田口壮に打ち明けている。 2011年、東日本大震災で揺れる日本の中において開幕強行に踏み切ったセ・リーグに対して選手会に同調し、「正気の沙汰とは思えない」と批判したことがある。 2016年、第35回ベスト・ファーザー イエローリボン賞・スポーツ部門を受賞。2020年現在、長男はフロリダ州のIMGアカデミーで野球を学んでいる。 巨人時代にチームメイトだった高橋由伸と生年月日が同じである。澤村拓一とは年齢は13歳違いだが誕生日が同じである。 松井秀喜と非常に仲が良い。 優勝争いできる強いチームでモチベーションの高い同僚とともにプレーすることに価値を感じており、2022年に大谷翔平が所属するエンゼルスが下位に低迷していることについてトレードされたほうがいいとし「だって下のチームおっても、他の選手のモチベーションと違うんやから、そりゃ強いチームに行って同じモチベーションでやったほうが絶対いい。優勝目指すためにやってるわけやろ? そりゃあやっぱり、優勝を争ってるところに行ってやったほうが本人にとっては楽しいと思うけどね」と持論を述べた。 前述のような思想ではあるが「勝利至上主義」というわけではなく小学生(少年野球)の犠牲バントや申告敬遠について「打席に立てば、やっぱりバットを振って打ちたいはずで、犠打はもう少し上のカテゴリーになってからで良い」とし、申告敬遠も「投手は打たれて学ぶこともある。相手が強打者なら、なおさらだ」とし「『送りバント禁止』『申告敬遠も禁止』というルールで戦ってもいいのではないか」と持論を述べている。 大阪出身ということからか、少年時代は阪神タイガースのファンであった。 入団当初からメジャーへの強い希望を持ち続けており、2004年オフにポスティングシステムによる翌2006年のメジャー移籍を直訴。当時の年俸3億3500万円を8500万円分減額して、FA権を取得するまでかかる4年間分の違約金を払うとまで申し出たが、球団首脳陣は頑としてポスティングシステム行使を容認せず、「わがまま」であると評したために、フロントとの感情的な対立に発展。そのシーズンは契約交渉がまとまらないままキャンプ入りした。ポスティング移籍拒否されたこの年から翌年にかけて、怪我などもあって成績が落ちたため、メディアの論調も厳しかった。結局、メジャー移籍を果たしたのは2009年の海外FA権取得後(5年後)で、現在も『ポスティングの12球団統一ルール』の施行を主張している。一浪しての大卒プロ入り、海外FA取得での移籍だったためMLB移籍時にすでに34歳であった。 菅野智之が2021年にポスティング申請してからの巨人残留となった際には「私自身がかつて巨人にポスティングを訴えたときは認めてもらえなかったが、もしも認めてくれていたなら、どの球団のどんな条件のオファーにも応じる覚悟だった」と批判的に論じた。 各年度の太字はリーグ最高 各年度の太字はリーグ最高 太字シリーズはリーグチャンピオンシップシリーズMVP受賞 最多勝利:2回(1999年、2002年) 最優秀防御率:2回(1999年、2004年) 最多奪三振:2回(1999年、2003年) ※4年のブランク受賞は同賞史上最長タイ(他に杉下茂、鈴木啓示) 最高勝率:3回(1999年、2002年、2004年) ※セ・リーグタイ記録(他は堀内恒夫、北別府学、斎藤雅樹)。当時連盟表彰なし 沢村栄治賞:2回(1999年、2002年) 新人王(1999年) ベストナイン:2回(1999年、2002年) ゴールデングラブ賞:2回(1999年、2003年) 月間MVP:4回(1999年8月、2002年7月、2003年8月、2004年9月) 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2002年) 最優秀投手:2回(1999年、2002年) スピードアップ賞:2回(1999年、2004年) 最優秀バッテリー賞:1回(2002年 捕手:阿部慎之助) 最優秀バッテリー賞特別賞:1回(1999年) オールスターゲーム優秀選手賞:2回(1999年第1戦、2001年第2戦) サンヨーオールスター新人賞(オールスターゲーム)(1999年) サンヨー賞(オールスターゲーム):1回(2002年) 最優秀JCB・MEP賞:1回(1999年) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1999年) 日韓プロ野球スーパーゲーム第1戦 優秀選手賞(1999年) 東京ドームMVP:2回(1999年、2007年) ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:2回(1999年、2002年) リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(2013年) 第13回IBAFインターコンチネンタルカップ最優秀投手賞:1回(1997年) 日本プロスポーツ大賞【日本プロスポーツ協会】
報知プロスポーツ大賞【報知新聞社】:1回(1999年) 日本新語・流行語大賞【ユーキャン】
毎日スポーツ人賞【毎日新聞社】
感動賞:1回(1999年) アサヒスーパードライ THE BEST PLAYER【日刊スポーツ】:3回(1999年6月、7月、9月) アサヒスーパードライ 年間ベストプレーヤー【日刊スポーツ】:1回(1999年) 2004GIANTS月間MIP賞:1回(9月度) ナンバーMVP賞【文藝春秋】:1回(2013年) 速玉賞【新宮商工会議所青年部】(2016年) ベスト・ファーザー イエローリボン賞(スポーツ部門)【日本ファーザーズ・デイ委員会】:1回(2016年) ※【】内は主催機関 初登板・初先発登板:1999年4月4日、対阪神タイガース3回戦(東京ドーム)、6回2/3を4失点で敗戦投手 初奪三振:同上、1回表に坪井智哉から見逃し三振 初勝利・初先発勝利:1999年4月13日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)、7回3被安打無失点 初完投勝利:1999年5月16日、対横浜ベイスターズ7回戦(東京ドーム)、9回2失点 初完封勝利:1999年9月14日、対中日ドラゴンズ25回戦(ナゴヤドーム) 初セーブ:2007年5月2日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、11回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点 初ホールド:2007年7月12日、対阪神タイガース12回戦(東京ドーム)、9回表に6番手で救援登板、2回無失点 初安打:1999年4月13日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)、3回裏にネイサン・ミンチーから投手内野安打 初打点:1999年8月10日、対ヤクルトスワローズ18回戦(東京ドーム)、2回裏に山部太から遊撃ゴロの間に記録 初本塁打:2003年7月20日、対横浜ベイスターズ20回戦(横浜スタジアム)、3回表に吉見祐治から左越ソロ 1000投球回:2004年8月3日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、5回裏三死目に岩村明憲を一塁ゴロで達成 ※史上298人目 1000奪三振:2005年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、6回裏に小田智之から空振り三振 ※史上115人目 100勝:2006年8月25日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で6回2/3を2失点 ※史上121人目 1500投球回:2008年7月20日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、8回裏二死目に大西宏明を二直併殺で達成 ※史上161人目 投手三冠王:1回(1999年)※史上16人目、20世紀最後、セ・リーグ平成初 投手4冠 :1回(1999年) ※史上10人目、2021年現在セ・リーグ最後の達成者 新人投手4冠(1999年) ※史上3人目 新人連続勝利 :15(1999年) ※NPB記録 月間セーブ数 :11(2007年) ※NPBタイ記録 100勝到達試合数 :191 ※ドラフト制以降最速タイ、史上4位タイ 20勝30セーブ投手 ※史上2人目 投手4タイトル複数獲得者 ※史上2人目 入団6年目で80勝 ※史上6人目 新人で両リーグ10勝1番乗り ※2リーグ制後史上5人目 通算「K/BB」:6.68 ※NPB歴代1位(通算1000投球回数以上) 交流戦1試合最多奪三振 :14(2006年6月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦) ※交流戦タイ記録 1試合5三振:2000年5月6日、対ヤクルトスワローズ7回戦(東京ドーム) ※史上9人目(セ・リーグ5人目) オールスターゲーム出場:8回(1999年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2007年、2018年) ※2000年も選出されるも怪我のため出場辞退 新人勝利投手(1999年) ※史上7人目 新人先発勝利投手(1999年) ※史上3人目 最年長登板:43歳3か月(2018年) 日本シリーズ1イニング最多奪三振 :3(2002年) ※シリーズタイ記録 連続無四球試合数:36(2010年7月19日 - 2011年4月15日) ※歴代3位 連続試合無失点:27(2013年7月9日 - 9月13日) 連続イニング無失点:30回1/3(同上) 連続打者アウト:37(2013年8月17日 - 9月13日) ※MLB史上10位、救援投手史上2位 1イニング以上をパーフェクト投球した連続登板数:11試合 ※歴代2位 シーズンWHIP:0.565(2013年) ※救援投手史上1位(40イニング以上) MLBオールスターゲーム選出:1回(2014年) ポストシーズン年間セーブ:7(2013年) ※史上1位タイ 100セーブ:2015年5月10日(日本時間11日) 2000投球回:2017年5月12日、8回裏に4番手として救援登板、1回無失点 700試合登板:2017年7月24日、8回裏に4番手として救援登板、1回1失点 100ホールド:2018年7月20日 100勝100セーブ:※日本人史上8人目、日米通算では斎藤隆以来2人目、先発100勝100セーブは史上3人目(過去に江夏豊・佐々岡真司が記録。) 100セーブ100ホールド:※日本人史上5人目(日米通算での達成は史上初) 100勝100セーブ100ホールド:※日本人初、世界では2人目(過去にトム・ゴードンが記録。)、先発100勝100セーブ100ホールドは史上初 19(1999年 - 2017年、2019年) 11(2018年) 「Sandstorm」ダルード(2013年 - 2019年) 1997 IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表 2004年アテネオリンピック野球日本代表 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2008年北京オリンピック野球日本代表 上原浩治のスポーツBOMBER!(2003年10月 - 2004年3月、TBSラジオ) エキサイト・スタジアム(2006年10月 - 2007年3月、TBSラジオ) ザ・ドキュメンタリー「上原浩治・密着400日〜それでもメジャーに行く理由」(2009年2月28日、テレビ東京) サンデーモーニング(2022年1月9日 - )TBSテレビ) ソロモン流(2013年11月3日、テレビ東京) プロフェッショナル 仕事の流儀(2014年8月4日、NHK総合) アスリートの魂(2016年5月7日、NHK BS1) サンデースポーツ(2020年10月 - 、NHK総合) 海と空と蓮と(2021年8月10日 - 8月25日、朝日放送テレビ) - 成田健司 役 八月は夜のバッティングセンターで。 第9話(2021年9月8日、テレビ東京) - 本人 役 スカパーJSAT「スカパー! プロ野球」(2022年) 東京シティ競馬「東京大賞典」「3歳ダート三冠競走」(2023年) 『我慢』(2005年、ぴあ、ISBN 978-4835615165) 『闘志力。―人間「上原浩治」から何を学ぶのか』(2010年、創英社/三省堂書店、ISBN 978-4881421932) 『不変』(2014年1月、小学館、ISBN 978-4093883504) 『覚悟の決め方』(2014年5月、PHP研究所、ISBN 978-4569819075) 『SPORTS FILE 野球上達日記 大リーガー編』日販アイ・ピー・エス、2015年4月。ISBN 978-4908316005。 ※川﨑宗則との共著 『OVER 結果と向き合う勇気』(2019年、ワニブックス) 『不屈の心』(2019年、ポプラ社) 『雑草魂の育て方』ゴマブックス、1999年10月。ISBN 978-4907710439。 ※両親による著書 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。 p.78~79 #関連書籍、遠投主体の独自の調整法など 柏英樹『プロ野球選手になるには』ぺりかん社、2009年 高畑好秀『メンタル強化55の基本』エイ出版社、2015年8月。ISBN 978-4777937431。 ※インタビューを受けた4人のうちの1人 ^ 最多勝利2個、最優秀防御率2個、最多奪三振2個、最高勝率3個 ^ 沢村栄治賞2個、新人王、ベストナイン2個、ゴールデングラブ賞2個 ^ 高校時代の公式戦通算投球回は6回1/3である。 ^ 1982年から1997年まで、16年間無敗とする言説は、その期間に出場した全ての大会で優勝した事実との混同である。1980年代後半には予選リーグでの敗戦がいくつかあり、その中には1985年インターコンチネンタルカップでの日本戦も含まれる。また、国際試合公式戦で151連勝との言説も見られる。これは1987年パンアメリカン競技大会予選リーグ・アメリカ戦での敗戦から、1997年インターコンチネンタルカップ決勝・日本戦での敗戦までを指すが、実際には1991年インターコンチネンタルカップ予選リーグ・ニカラグア戦で敗れているため、正しくは84連勝である。(オリンピック、ワールドカップ、インターコンチネンタルカップ、パンアメリカン競技大会、中央アメリカ・カリブ海競技大会の通算記録) ^ 2013年8月17日のヤンキース戦の9回第4打者から9月17日のオリオールズ戦の9回第1打者に打たれるまで ^ 7月6日のエンゼルス戦9回二死満塁で登板し、プホルス、ハミルトンにニ連打、ケンドリックを打ち取るも悪送球で同点(1失点・自責点なし)にされたが、次の7月9日のマリナーズ戦から9月17日のオリオールズ戦まで間、無失点に抑えた。 ^ なお、上原はそれに関しては後に巨人復帰した時には「軽はずみな発言をした」と答えている。 ^ なおこの時対戦相手だったオール・パシフィックチームの監督がその工藤であった。 ^ 小数点以下四捨五入。 ^ 投じた17球中、15球をストレートを投げ込み2奪三振の好リリーフを見せ2勝目を上げた。 ^ 以降はカーブのサインを無くし、フォークを軸にするよう村田からアドバイスを受け、その年に新人ながら20勝を記録した。 ^ 上原 浩治 - 日本プロ野球名球会 | GOLDEN PLAYERS CLUB ^ 「上原が胴上げ投手、Rソックス優勝 MLBワールドシリーズ[フォトレポート]」『RBB TODAY』2013年10月31日。2022年10月9日閲覧。 ^ 『上原浩治、畠山愛理ほかトップクラスのアスリートが所属するマネジメント事務所「スポーツバックス」、ポータル&会員サイトを開設』(プレスリリース)SKIYAKI、2019年10月1日。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000480.000017372.html。2020年2月5日閲覧。 ^ 「巨人・上原が「全くかなわなかった」憧れの兄・隆明さんは売上げ170億円の社長になっていた」『スポーツ報知』報知新聞社、2019年5月19日。2019年6月14日閲覧。 ^ 上原浩治『闘志力。―人間「上原浩治」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年。ISBN 978-4-8814-2193-2。 ^ 『日本プロ野球偉人伝 vol.14 2000→2005編』ベースボール・マガジン社、2014年、12–13頁。ISBN 978-4-583-62118-0。 ^ 「帝京大優勝報告会+大畑大介・上原浩治・建山義紀・同級生トークショー」『2016 RUGBY Japan 365』2012年1月13日。2018年5月26日閲覧。 ^ 上原「世界一クローザーへの軌跡」打撃投手だった高校時代 - 東京スポーツ・2014年7月23日 ^ 「巨人・上原が背番号「19」をつけ続けた理由」『ニッポン放送』2019年5月20日。2021年9月17日閲覧。 ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球95秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社 ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球95秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社 ^ 「圧倒的な強さを誇ったキューバはどこへ… | ショウアップナイター」『BASEBALL KING』2017年3月16日。2024年2月18日閲覧。 ^ 「日本4連勝、また由伸が常勝キューバ止めた/復刻 - 野球」『日刊スポーツ』2016年11月11日。2024年2月18日閲覧。 ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球98秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社 ^ 「上原浩治に聞く Q.22 セカンドキャリアについて考えていることはありますか?」『BEST TiMES』2016年2月22日。2024年7月23日閲覧。 ^ 【ズバリ】「新人選手のレベルが落ちている」コーチ歴13年の倉野信次さんが語る若手の体と指導法の変化【あのドラ1投手にガチ説教!?】【ちゃんと野球の話SP③/3】【ソフトバンク巨人】 上原浩治の雑談魂 2022/04/29 (2022年5月1日閲覧) ^ 「受験と私:上原浩治さん原点の浪人経験 苦しい時は19を見る」『毎日新聞』2015年1月19日。2024年7月23日閲覧。 ^ 「上原浩治「この話は、あんまり話してないですね」巨人入団前のメジャー断念秘話!」『フジテレビュー!』2020年5月8日。2022年5月22日閲覧。 ^ 上原浩治『闘志力。―人間「上原浩治」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、99頁。ISBN 978-4-8814-2193-2。 ^ 臼北信行のスポーツ裏ネタ通信:メジャーリーグでMVP級の大活躍――上原浩治はなぜ自らを「雑草」と呼ぶのか? 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選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) Koji Uehara stats MiLB.com (英語) 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE koji-uehara.net(公式サイト) 上原浩治|所属アスリート - SPORTS BACKS OFFICIAL SITE KOJI UEHARA (@TeamUehara) - X(旧Twitter) Koji Uehara (@koji19uehara) - Instagram Koji Uehara(上原浩治) (19koji.uehara) - Facebook 上原浩治の雑談魂 - YouTubeチャンネル 上原浩治- シンクロナス 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1947 別所昭 1948 中尾碩志 1949 藤本英雄 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 杉下茂 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 金田正一 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実, 堀内恒夫 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 星野仙一 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 松岡弘 1979 小林繁 1981 西本聖 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 野茂英雄 1991 佐々岡真司 1992 石井丈裕 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 西口文也 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2001 松坂大輔 2002 上原浩治 2003 井川慶, 斉藤和巳 2004 川上憲伸 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 前田健太 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2020 大野雄大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 2024 船迫大雅 表 話 編 歴 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 大友工, 長谷川良平 1956 別所毅彦 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 藤田元司 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 権藤博 1963 金田正一 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 江夏豊 1974 松本幸行, 金城基泰 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 高橋里志 1978 野村収 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 小松辰雄 1988 小野和幸, 伊東昭光 1989 斎藤雅樹, 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹, B.ガルベス 1997 山本昌 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2000 M.バンチ 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治, K.ホッジス 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 下柳剛, 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 S.グライシンガー 2008 S.グライシンガー 2009 吉見一起, 館山昌平 2010 前田健太 2011 吉見一起, 内海哲也 2012 内海哲也 2013 小川泰弘 2014 R.メッセンジャー, 山井大介 2015 前田健太 2016 野村祐輔 2017 菅野智之 2018 大瀬良大地, 菅野智之 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋, 九里亜蓮 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 杉下茂 1951 金田正一 1952 金田正一 1953 金田正一 1954 杉下茂 1955 金田正一 1956 金田正一 1957 秋山登 1958 金田正一 1959 金田正一 1960 金田正一 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 金田正一 1964 金田正一 1965 村山実 1966 村山実 1967 江夏豊 1968 江夏豊 1969 江夏豊 1970 江夏豊 1971 江夏豊 1972 江夏豊 1973 高橋一三 1974 金城基泰 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 池谷公二郎 1978 斉藤明雄 1979 新浦寿夫 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 江川卓 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 遠藤一彦 1987 川口和久 1988 槙原寛己 1989 川口和久 1990 木田優夫 1991 川口和久 1992 仲田幸司 1993 今中慎二 1994 桑田真澄 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤隆 1997 山本昌 1998 石井一久 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 井川慶 2003 上原浩治 2004 井川慶 2005 門倉健, 三浦大輔 2006 川上憲伸, 井川慶 2007 内海哲也 2008 C.ルイス 2009 C.ルイス 2010 前田健太 2011 前田健太 2012 杉内俊哉, 能見篤史 2013 R.メッセンジャー 2014 R.メッセンジャー 2015 藤浪晋太郎 2016 菅野智之 2017 M.マイコラス 2018 菅野智之 2019 山口俊 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 戸郷翔征 2023 今永昇太 2024 戸郷翔征 表 話 編 歴 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 堀内恒夫 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 新浦寿夫 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 山根和夫 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 山本昌 1998 佐々木主浩 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 S.グライシンガー 2009 D.ゴンザレス 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 内海哲也 表 話 編 歴 1950 真田重男 1951 別所毅彦 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 別所毅彦 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 金田正一 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 堀内恒夫 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 新浦寿夫 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 山根和夫 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 山本昌 1998 佐々木主浩 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 S.グライシンガー 2009 D.ゴンザレス 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 内海哲也 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 前田健太 2016 野村祐輔 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 古田敦也 一 R.ペタジーニ 二 R.ローズ 三 L.ゴメス 遊 石井琢朗 外 松井秀喜 / 関川浩一 / 高橋由伸 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 阿部慎之助 一 R.ペタジーニ 二 今岡誠 三 岩村明憲 遊 井端弘和 外 松井秀喜 / 清水隆行 / 福留孝介 表 話 編 歴 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 堀内恒夫 1975 堀内恒夫 1976 堀内恒夫 1977 堀内恒夫 1978 堀内恒夫 1979 西本聖 1980 西本聖 1981 西本聖 1982 西本聖 1983 西本聖 1984 西本聖 1985 西本聖 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 桑田真澄 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 桑田真澄 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二, 桑田真澄 1994 桑田真澄 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 桑田真澄 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 上原浩治 2004 川上憲伸 2005 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 石川雅規 2009 D.ゴンザレス 2010 前田健太 2011 浅尾拓也 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 前田健太 2015 前田健太 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 西勇輝 2020 菅野智之 2021 柳裕也 2022 森下暢仁 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 古田敦也 一 駒田徳広 二 仁志敏久 三 進藤達哉 遊 宮本慎也 外 新庄剛志 / 高橋由伸 / 緒方孝市 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 矢野輝弘 一 G.アリアス 二 今岡誠 三 立浪和義 遊 宮本慎也 外 福留孝介 / 高橋由伸 / 赤星憲広 表 話 編 歴 1991 西村龍次 - 古田敦也 1992 岡林洋一 - 古田敦也 1993 山本昌広 - 中村武志 1994 桑田真澄 - 村田真一 1995 T.ブロス - 古田敦也 1996 斎藤雅樹 - 村田真一 1997 田畑一也 - 古田敦也 1998 佐々木主浩 - 谷繁元信 1999 野口茂樹 - 中村武志 2000 五十嵐亮太 - 古田敦也 2001 藤井秀悟 - 古田敦也 2002 上原浩治 - 阿部慎之助 2003 井川慶 - 矢野輝弘 2004 川上憲伸 - 谷繁元信 2005 藤川球児 - 矢野輝弘 2006 川上憲伸 - 谷繁元信 2007 高橋尚成 - 阿部慎之助 2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助 2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助 2010 前田健太 - 石原慶幸 2011 吉見一起 - 谷繁元信 2012 内海哲也 - 阿部慎之助 2013 前田健太 - 石原慶幸 2014 菅野智之 - 阿部慎之助 2015 石川雅規 - 中村悠平 2016 野村祐輔 - 石原慶幸 2017 菅野智之 - 小林誠司 2018 大瀬良大地 - 會澤翼 2019 山口俊 - 小林誠司 2020 大野雄大 - 木下拓哉 2021 柳裕也 - 木下拓哉 2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎 2023 東克樹 - 山本祐大 2024 菅野智之 - 小林誠司 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 藤本英雄 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 大友工 1957 義原武敏 1958 藤田元司 1959 義原武敏 1960 鈴木隆 1961 中村稔 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 村山実 1965 金田正一 1966 城之内邦雄 1967 金田正一 1968 金田正一 1969 堀内恒夫 1970 堀内恒夫 1971 堀内恒夫 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 松本幸行 1975 外木場義郎 1976 堀内恒夫 1977 小林繁 1978 安田猛 1979 北別府学 1980 山根和夫 1981 江川卓 1982 小松辰雄 1983 江川卓 1984 山根和夫 1985 池田親興 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 槙原寛己 1991 佐々岡真司 1992 岡林洋一 1993 荒木大輔 1994 桑田真澄 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 石井一久 1998 野村弘樹 1999 野口茂樹 2000 工藤公康 2001 石井一久 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 井川慶 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 上原浩治 2009 D.ゴンザレス 2010 吉見一起 2011 チェン 2012 内海哲也 2013 内海哲也 2014 R.メッセンジャー 2015 石川雅規 2016 K.ジョンソン 2017 井納翔一 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 奥川恭伸 2022 小川泰弘 2023 村上頌樹 2024 A.ジャクソン 表 話 編 歴 1936夏 沢村栄治 1936秋 沢村栄治 1937春 沢村栄治 1937秋 沢村栄治 1938春 V.スタルヒン 1938秋 前川八郎 1939 川上哲治 1940 V.スタルヒン 1941 須田博 1942 広瀬習一 1943 須田博 1944 藤本英雄 1946 近藤貞雄 1947 川崎徳次 1948 川崎徳次 1949 多田文久三 1950 藤本英雄 1951 別所毅彦 1952 藤本英雄 1953 別所毅彦 1954 大友工 1955 別所毅彦 1956 別所毅彦 1957 大友工 1958 藤田元司 1959 伊藤芳明 1960 伊藤芳明 1961 中村稔 1962 城之内邦雄 1963 伊藤芳明 1964 高橋明 1965 金田正一 1966 金田正一 1967 城之内邦雄 1968 金田正一 1969 金田正一 1970 高橋一三 1971 渡辺秀武 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 高橋一三 1975 堀内恒夫 1976 堀内恒夫 1977 堀内恒夫 1978 堀内恒夫 1979 新浦寿夫 1980 江川卓 1981 西本聖 1982 江川卓 1983 西本聖 1984 江川卓 1985 西本聖 1986 江川卓 1987 西本聖 1988 桑田真澄 1989 桑田真澄 1990 斎藤雅樹 1991 槙原寛己 1992 槙原寛己 1993 斎藤雅樹 1994 斎藤雅樹 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 斎藤雅樹 1998 桑田真澄 1999 B.ガルベス 2000 上原浩治 2001 上原浩治 2002 上原浩治 2003 上原浩治 2004 上原浩治 2005 上原浩治 2006 上原浩治 2007 内海哲也 2008 高橋尚成 2009 S.グライシンガー 2010 内海哲也 2011 東野峻 2012 内海哲也 2013 宮國椋丞 2014 菅野智之 2015 菅野智之 2016 菅野智之 2017 M.マイコラス 2018 菅野智之 2019 菅野智之 2020 菅野智之 2021 菅野智之 2022 菅野智之 2023 T.ビーディ 2024 戸郷翔征 2025 戸郷翔征 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 1982 広岡達朗 1983 青木功 1984 山下泰裕 1985 吉田義男 1986 清原和博 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 ラグビー日本代表 1990 野茂英雄 1991 中嶋悟 1992 亀山努 1993 三浦知良 1994 長嶋茂雄 1995 イチロー 1996 伊達公子 1997 中田英寿 1998 清水宏保 1999 松坂大輔 2000 高橋尚子 2001 イチロー 2002 稲本潤一 2003 松井秀喜 2004 北島康介 2005 武豊 2006 WBC野球日本代表 2007 中村俊輔 2008 上野由岐子 2009 原辰徳 2010 本田圭佑 2011 澤穂希 2012 内村航平 2013 上原浩治 2014 羽生結弦 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 桐生祥秀 2018 大坂なおみ 2019 ラグビー日本代表 2020 藤井聡太 2021 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 栗山英樹・WBC日本代表 2024 北口榛花 表 話 編 歴 1980 フランク・ホワイト 1981 グレイグ・ネトルズ 1982 フレッド・リン 1983 マイク・ボディッカー 1984 カーク・ギブソン 1985 ジョージ・ブレット 1986 マーティー・バレット 1987 ゲイリー・ガイエティ 1988 デニス・エカーズリー 1989 リッキー・ヘンダーソン 1990 デーブ・スチュワート 1991 カービー・パケット 1992 ロベルト・アロマー 1993 デーブ・スチュワート 1994 開催中止 1995 オーレル・ハーシュハイザー 1996 バーニー・ウィリアムス 1997 マーキス・グリッソム 1998 デビッド・ウェルズ 1999 オーランド・ヘルナンデス 2000 デビッド・ジャスティス 2001 アンディ・ペティット 2002 アダム・ケネディ 2003 マリアノ・リベラ 2004 デビッド・オルティーズ 2005 ポール・コネルコ 2006 プラシド・ポランコ 2007 ジョシュ・ベケット 2008 マット・ガーザ 2009 CC・サバシア 2010 ジョシュ・ハミルトン 2011 ネルソン・クルーズ 2012 デルモン・ヤング 2013 上原浩治 2014 ロレンゾ・ケイン 2015 アルシデス・エスコバー 2016 アンドリュー・ミラー 2017 ジャスティン・バーランダー 2018 ジャッキー・ブラッドリー・ジュニア 2019 ホセ・アルトゥーベ 2020 ランディ・アロサレーナ 2021 ヨルダン・アルバレス 2022 ジェレミー・ペーニャ 2023 アドリス・ガルシア 2024 ジャンカルロ・スタントン 表 話 編 歴 選手 02 ジャコビー・エルズベリー 03 デビッド・ロス 05 ジョニー・ゴームズ 07 スティーブン・ドリュー 11 クレイ・バックホルツ 12 マイク・ナポリ 15 ダスティン・ペドロイア 16 ウィル・ミドルブルックス 18 シェーン・ビクトリーノ 19 上原浩治 22 フェリックス・ドゥブロン 29 ダニエル・ナバ 31 ジョン・レスター 32 クレイグ・ブレスロウ 34 デビッド・オルティーズ(シリーズMVP) 36 田澤純一 37 マイク・カープ 39 ジャロッド・サルタラマッキア 41 ジョン・ラッキー 44 ジェイク・ピービー 46 ライアン・デンプスター 50 クインティン・ベリー 56 フランクリン・モラレス 67 ブランドン・ワークマン 72 ザンダー・ボガーツ 監督 53 ジョン・ファレル コーチ 13 ブライアン・バターフィールド(三塁) 17 トーリ・ロブロ(ベンチ) 28 グレッグ・コルブラン(打撃) 43 アーニー・ベイラー(一塁) 47 フアン・ニエベス(投手) 57 ビクター・ロドリゲス(打撃補佐) 58 デイナ・レバンジー(ブルペン) 表 話 編 歴 本川貢 内田俊雄 後藤寿彦 清水章夫 小池俊児 林卓史 川上憲伸 宇高伸次 松修康 上原浩治 安田真範 鈴木郁洋 藤井彰人 高橋光信 高須洋介 三島裕 門岡泰弘 二岡智宏 松瀬大 山下勝己 奥野桂 飯塚智広 高橋由伸 古屋和之 板野真士 井阪真之 小関幸夫 山口法弘 橋本大祐 高勝 箭内一彦 古澤智紀 小笠原孝 木村茂 白岩敬之 小野間義和 佐々木忍 表 話 編 歴 30 佐竹政和 池田善吾 伊藤義博 11 松修康 14 建山義紀 16 川上憲伸 17 前田和之 18 上原浩治 19 池添修世 20 椎葉厚生 9 大橋晋也 21 黒須隆 22 小田幸平 1 福留孝介 2 上村匡史 3 二岡智宏 5 松葉研志 6 桑元孝雄 7 前田健吾 8 西郷泰之 10 高林孝行 24 坪井智哉 25 佐藤友昭 26 川崎博孝 27 石田勝彦 表 話 編 歴 大田垣耕造 荒井信久 筒井大助 池添修世 杉浦正則 建山義紀 宮田仁 川上憲伸 上原浩治 清水章夫 黒須隆 藤井彰人 阿部慎之助 西郷泰之 桑元孝雄 田頭欣士 福留孝介 田原隆三郎 二岡智宏 高須洋介 高林孝行 梶山義彦 船尾隆広 渡辺敦 高橋由伸 表 話 編 歴 大田垣耕造 垣野多鶴 萩野友康 林裕幸 荒井信久 中野渡進 上原浩治 矢野英司 山村路直 宇高伸次 吉野誠 佐藤宏志 愛敬尚史 的場直樹 藤井彰人 阿部慎之助 門間真 二岡智宏 山下勝己 吉見宏明 砂塚陽介 佐藤毅明 的場寛一 石井康雄 赤尾秀幸 板野真士 西澤祐介 表 話 編 歴 3 長嶋茂雄 33 中畑清 32 大野豊 31 高木豊 11 木佐貫洋 13 岩瀬仁紀 15 黒田博樹 16 安藤優也 18 松坂大輔 19 上原浩治 21 和田毅 30 小林雅英 61 石井弘寿 8 谷繁元信 9 城島健司 2 小笠原道大 6 宮本慎也 7 松井稼頭央 17 二岡智宏 48 井端弘和 1 福留孝介 5 和田一浩 10 谷佳知 23 木村拓也 24 高橋由伸 表 話 編 歴 33 中畑清 31 高木豊(守備・走塁) 32 大野豊(投手) 11 清水直行 13 岩瀬仁紀 15 黒田博樹 16 安藤優也 17 三浦大輔 18 松坂大輔 19 上原浩治 20 岩隈久志 21 和田毅 30 小林雅英 61 石井弘寿 9 城島健司 59 相川亮二 2 小笠原道大 5 中村紀洋 6 宮本慎也 8 金子誠 25 藤本敦士 1 福留孝介 10 谷佳知 23 村松有人 24 高橋由伸 27 木村拓也 55 和田一浩 表 話 編 歴 89 王貞治 86 鹿取義隆(投手) 84 武田一浩(投手) 87 大島康徳(打撃) 85 辻発彦(内野守備走塁) 88 弘田澄男(外野守備走塁) 11 清水直行 12 藤田宗一 15 久保田智之 18 松坂大輔 19 上原浩治 20 薮田安彦 21 和田毅 24 藤川球児 31 渡辺俊介 40 大塚晶則 41 小林宏之 47 杉内俊哉 61 石井弘寿(途中離脱) 61 馬原孝浩(追加招集) 22 里崎智也 27 谷繁元信 59 相川亮二 1 岩村明憲 2 小笠原道大 3 松中信彦 7 西岡剛 8 今江敏晃 10 宮本慎也 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 5 和田一浩 6 多村仁 9 金城龍彦 17 福留孝介 23 青木宣親 51 イチロー 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一 80 山本浩二 72 大野豊 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 14 小林宏之 16 涌井秀章 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 27 藤川球児 28 長谷部康平 60 成瀬善久 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 6 井端弘和 7 西岡剛 17 荒木雅博 25 新井貴浩 36 宮本慎也 50 川﨑宗則 55 村田修一 5 和田一浩 9 大村三郎 23 青木宣親 29 森野将彦 41 稲葉篤紀 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一(ヘッド兼打撃) 72 大野豊(投手) 80 山本浩二(守備走塁) 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 15 田中将大 16 涌井秀章 17 成瀬善久 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 21 和田毅 28 藤川球児 47 杉内俊哉 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 2 荒木雅博 3 中島裕之 6 宮本慎也 7 西岡剛 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 55 村田修一 23 青木宣親 31 森野将彦 41 稲葉篤紀 46 佐藤隆彦 表 話 編 歴 1位:上原浩治(逆指名) 2位:二岡智宏(逆指名) 3位:加藤健 4位:安原政俊 5位:酒井純也 6位:玉峰伸典 7位:進藤実 8位:高野忍 表 話 編 歴 …じゃあ〜りませんか チャーリー浜 「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん Jリーグ 川淵三郎(Jリーグチェアマン) すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実 無党派 青島幸男(東京都知事) / NOMO 野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督) 自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ監督) 失楽園(する) 渡辺淳一、黒木瞳 ハマの大魔神 佐々木主浩(横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人) ブッチホン 小渕恵三(内閣総理大臣) / リベンジ 松坂大輔(西武ライオンズ) / 雑草魂 上原浩治(読売ジャイアンツ) おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年) 「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣) タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子(フジテレビ・レポーター) / W杯(中津江村) 坂本休(中津江村・村長) 毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭(早稲田大学教授) チョー気持ちいい 北島康介(競泳選手) 小泉劇場 武部勤(自由民主党幹事長)ほか / 想定内(外) 堀江貴文(ライブドア社長) イナバウアー 荒川静香(プロスケーター) / 品格 藤原正彦(数学者) (宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫(宮崎県知事) / ハニカミ王子 石川遼(アマチュアゴルフ選手) グ〜! エド・はるみ / アラフォー 天海祐希 政権交代 鳩山由紀夫(内閣総理大臣) ゲゲゲの - 武良布枝(『ゲゲゲの女房』作者) VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 上原浩治 日本の野球選手 MLBの日本人選手 在アメリカ合衆国日本人の野球選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 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uehara kouji
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