上田敏の情報(うえだびん) 詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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中島敦: 文学活動を休止していたようにみえるこの時期ではあったが、一方で、永井荷風、谷崎潤一郎、正岡子規、上田敏、森鷗外らのほぼ全作品を読むなど読書にも熱中した。 木村元: 日立スペシャル「獅子のごとく」(1978年 テレビマンユニオン、TBS)-上田敏 海音寺潮五郎: なぜ「海音寺潮五郎」という名前が急に思い浮かんだのかについて海音寺は、「上田敏の訳詩集「海潮音」や近松門左衛門と才をきそった紀海音などのことが意識の深層部にあったのかもしれない」と説明している。 秋元波留夫: 『精神を病むということ』上田敏共著、医学書院、1990 瀧口修造: 同年、上田敏雄、上田保 (英文学者)、北園克衛、山田一彦、冨士原清一、三浦幸之助らで『衣裳の太陽』(編集発行人:冨士原清一)発刊、また詩雑誌『詩と詩論』(編集人:春山行夫、厚生閣書店刊)同人となる。 木下杢太郎: 3年半頻繁に催されたこの集いには、鉄幹、上田敏、永井荷風、荻原碌山、小山内薫、高村光太郎、武者小路実篤、谷崎潤一郎、岡本一平らも顔を出した。9月、上田敏の洋行壮行会で森鷗外とはじめて面語してから、ときおり鷗外を訪ねたものの、「先生から聴かうと欲した所は万事をすてて文芸の事に従へといふ言葉であった。 森鴎外: 1910年(明治43年)、慶應義塾大学の文学科顧問に就任(教授職に永井荷風を推薦)し、慶應義塾大学幹事の石田新太郎の主導により、上田敏を顧問に、永井荷風を主幹にして、「三田文學」を創刊した。 松川尚瑠輝: 生徒諸君!(2007年4月10日 - 6月22日、テレビ朝日) - 上田敏也 役 嘉治隆一: 上田敏の娘婿。 岩永徹也: また、植田一三と上田敏子の著書「英語で説明する科学技術」(語研)第2章の医学パートの執筆に参加するなど、活動する分野は多岐にわたる。 田口卯吉: 嘉治隆一の岳父の上田敏は卯吉の恩師・乙骨太郎乙の甥であり、隆一の娘は文太の上役だった森林太郎の孫の小堀鴎一郎と結婚した。 斎藤茂吉: 1909年(明治42年):森鴎外の観潮楼歌会に初めて出席、与謝野鉄幹、北原白秋、石川啄木、上田敏、佐佐木信綱などの歌人を知る。 岡鹿之助: なお『遊蝶花』という題は、グウルモンの詩『シモオヌ』上田敏訳で見つけたという。 菊池寛: この京大時代では文科大学(文学部)教授となっていた上田敏に師事した。 森鴎外: 伊藤左千夫・平野万里・上田敏・佐佐木信綱等が参加し、「新詩社」系の北原白秋・吉井勇・石川啄木・木下杢太郎、「根岸」派の斎藤茂吉・古泉千樫等の新進歌人も参加した(与謝野晶子を含めて延べ22名)。 室生犀星: 藤井紫影の紹介で上田敏を訪問する。 シュリ=プリュドム: 上田敏『海潮音』(本郷書院、1905年) - シュリ・プリュドンという表記揺れが見られるが、この中にシュリ・プリュドムの『夢』という詩が収められている。 西脇順三郎: 『三田文学』を中心に「PARADIS PERDU」を仏文で発表するなど批評活動を開始し、講義の後には佐藤朔、上田敏雄、上田保、三浦孝之助などの学生がしばしば自宅に押しかけて深夜まで芸術論を交わすようになる。 ロバート=ブラウニング: 上田敏の訳詩集『海潮音』(1905年)の中で愛誦される詩の一つに、ブラウニング「春の朝」(はるのあした)がある。 梶井基次郎: 信州の平林英子が宮崎県日向の「新しき村」に入るために京都に立ち寄るが、中谷孝雄とよりが戻り、基次郎と3人で嵐山に行って保津川のボート上で上田敏の『牧羊神』の「ちゃるめら」を朗読した。 永井荷風: 2月 - 慶應義塾大学文学科刷新に際し、森鷗外、上田敏の推薦により、教授に就任。 日夏耿之介: 『上田敏詩集』弘文堂〈アテネ文庫〉1954年 永井荷風: 横浜正金銀行リヨン支店に8か月勤め(当時リヨンは一大金融都市だった)、退職後パリに遊び、モーパッサンら文人の由緒を巡り、上田敏と知り合った。 厨川白村: 1916年(大正5年)アメリカに留学し帰国後の1917年(大正6年)、病没した上田敏の後を受けて京都帝国大学英文科助教授となり、1919年、教授となる。 ロバート=ブラウニング: 8行の平易な詩句とのびやかで肯定的な主題は、上田敏の心地よい韻律の名訳とあいまって、広く親しまれてきた。 本明寛: 『国家Ⅲ種・地方初級公務員事例に学ぶ面接と作文試験』上田敏晶共編 実務教育出版 1992 山崎紫紅: 『三田文学』は鴎外、上田敏らを顧問に、荷風を編集主幹に招いて創刊された。 稲垣眞美: 『旧制一高の文学 上田敏・谷崎潤一郎・川端康成・池谷信三郎・堀辰雄・中島敦・立原道造らの系譜』国書刊行会 2006 平井康三郎: わすれなぐさ(ウィルヘルム・アレント(ドイツ語版);上田敏訳) 秋元波留夫: 『99歳精神科医の挑戦 好奇心と正義感』上田敏構成 岩波書店、2005 |
上田敏の情報まとめ
上田 敏(うえだ びん)さんの誕生日は1874年10月30日です。東京出身の詩人のようです。
現在、兄弟、卒業、家族、事件、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1916年に亡くなられているようです。
上田敏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上田 敏(うえだ びん、1874年(明治7年)10月30日 - 1916年(大正5年)7月9日)は、日本の評論家・詩人・翻訳家・英文学者。学位は、文学博士。京都帝国大学文科大学教授。族籍は静岡県士族。「 外国文学、とくに西欧の象徴詩の紹介と翻訳を精力的に行った。名訳詩集『海潮音』(1905年)は、日本の詩壇を覚醒させ、「パンの会」結成などに影響を与えた。作品に訳詩集『牧羊神』(1920年)など。 1905年(明治38年)に本郷書院で刊行された訳詩集『海潮音』で知られ、日本にベルギー文学や南仏プロヴァンス文学、象徴派や高踏派の詩を紹介した。 『海潮音』に収められたドイツの詩人カール・ブッセの詩『山のあなた』より「山のあなたの空遠く 「 小説家としても、唯一の小説である『うづまき』を1910年(明治43年)に著しており、享楽主義者である主人公の牧春雄は作者の上田敏の経験がモチーフになっている。ウォルター・ペイター作品の影響も強い。また島崎藤村の長編小説『春』に登場する「福富」は上田敏がモデルである。 日本にヴェルレーヌの詩やジョリス=カルル・ユイスマンスの詩を紹介したのも上田敏である。 旧幕臣上田絅二(けいじ)の長男として1874年(明治7年)、東京築地に生まれる。絅二は昌平黌教授をつとめた儒学者の乙骨耐軒の次男で、英学者で沼津兵学校教授の乙骨太郎乙は伯父(耐軒の長男)、その子で音楽評論家の乙骨三郎は従兄弟に当たる。 静岡尋常中学、私立東京英語学校、および一高を経て、1897年(明治30年)東京帝国大学英文科卒。文学士の称号を得る。講師小泉八雲から「英語を以て自己を表現する事のできる一万人中唯一人の日本人学生である」とその才質を絶賛されたという。卒業後、東京高等師範学校教授、東大講師(八雲の後任)。 一高在学中、田口卯吉邸に寄寓しており、平田禿木を通じて北村透谷・島崎藤村らの『文学界』同人となり、東大在学中、第一期『帝国文学』の創刊(1895年(明治28年1月))にかかわる。 1902年(明治35年)6月、主宰誌の『芸苑』と廃刊になっていた森鷗外の主宰誌『めざまし草』とを合併し、『芸文』を創刊(その後、出版社とのトラブルで廃刊したものの、10月に後身の『万年艸』を創刊)。その後、鷗外とは家族ぐるみで交際した。 明治大学文学部で教鞭を執っていたが、1908年(明治41年)欧州へ留学。帰国後、京都帝国大学教授となり、同志社大学にも出講した。この頃、「マント事件」によって一高を退学し京都帝大英文科に進学していた菊池寛が上田に師事し、上田からの感化でアイルランドの戯曲家ジョン・ミリントン・シングに傾倒した。1910年(明治43年)2月15日、慶應義塾大学部文学科顧問に就任。同年6月、文学博士の学位を授けられる。 1916年(大正5年)7月9日、尿毒症のため東京市芝区白金三光町(現:東京都港区白金)の自宅で急逝。享年41。戒名は含章院敏誉柳邨居士(森鷗外の撰)。 後述の#主な作品に見る通り、ヨーロッパの当時の文芸思潮を熱心に紹介し、後進を啓発した。たとえば永井荷風は、「上田先生などの著述の感化で、西欧の風物文物へのあこがれを持った」由を綴っている(書かでもの記)。住所は京都市上京区岡崎町、東京市芝区白金三光町。 学者や海外留学経験者が複数いる。 母方祖父・上田友助(畯、東作、汪斎、1817?~?) - 新潟奉行支配並定役を務めた幕臣で、津田仙とともに新潟洋学講習所の講師も務めた。1862年の文久遣欧使節に随行、のち遊撃隊 (幕府軍)を務めた。 母・こう(孝子)(1849年 - ?) - 上田友助の娘。 父方祖父・乙骨耐軒(儒学者、1806年 - 1859年) 父方祖母・りき(1835年 - ?、東京士族、遠藤多助の長女) 父・上田絅二(旧名・乙骨亘、1844?-1888)(幕臣、静岡士族) - 耐軒の二男。1864年(文久3年)の「横浜鎖港談判使節団」に理髪師として海外を視察。帰国後、幕府の通訳などを務め、上田友助の婿養子となり改名。 妻・エツ(1878年 - ?、北海道、斎藤玄の叔祖母) 長女・瑠璃子(1902年 - ?、嘉治隆一の妻、経済学者嘉治元郎の母。孫に嘉治美佐子) 父方の伯父・乙骨太郎乙(洋学者) - 乙骨耐軒の長男。日本の国歌である『君が代』を提案した人物とされる。 母方の叔母・上田悌子(1855-1939) - 上田友助の娘。岩倉使節団とともに渡米した日本初の女子留学生に吉益亮子、山川捨松、永井繁子、津田梅子とともに選ばれたが、体調を崩して翌年吉益とともに帰国、のち代々幕府の奥医師を務めた桂川家一族の桂川甫純と結婚した。 従兄弟・乙骨三郎(音楽学者、作詞家) - 乙骨太郎乙の長男。 従兄弟・吹田順助 - 父の妹の子 『耶蘇(世界歴史譚)』博文館 明治32年(1899) 『最近海外文学』交友館 明治34年(1901) 『みをつくし』文友館 明治34年(1901) - 訳文集 『最近海外文学』文友館 明治34年(1901) 『文芸論集』春陽堂 明治34年(1901) 『詩聖ダンテ』金港堂 明治34年(1901) 『最近海外文学続編』、交友館 明治35年(1902) 『海潮音』本郷書院 明治38年(1905) - 訳詩集 『文芸講話』金尾文淵堂 明治40年(1907) 『うづまき』大倉書店 明治43年(1910) - 自伝的小説 『小唄』阿蘭陀書房 大正4年(1915) - 小唄撰注 『現代の芸術』実業之日本社 大正5年(1916) 『牧羊神』金尾文淵堂 大正8年(1919) - 訳詩集 『上田敏全集』全8巻補巻1、改造社 昭和3年(1928) - 昭和6年(1931) 『定本上田敏全集』全10巻、教育出版センター 昭和53年(1978) - 昭和56年(1981) ^ “都立霊園の著名人の墓が消えた!?理由を探ったら現代の「墓じまい」事情が見えてきた<ニュースあなた発>”. 東京新聞. (2023年6月25日). オリジナルの2023年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230625095651/https://www.tokyo-np.co.jp/article/258749 ^ 『人事興信録 第3版』う17 - 18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月27日閲覧。 ^ 『人事興信録 第4版』う11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月6日閲覧。 ^ 「初めてユイスマンスを日本に紹介したのは永井荷風か知りたい。」(埼玉県立久喜図書館) - レファレンス協同データベース 2017年2月13日閲覧。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)52頁 ^ 乙骨太郎乙(おつこつ たろうおつ)とは - コトバンク ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、351頁 ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)45頁 ^ 『津田梅子』橘木俊詔 、平凡社、2022 ^ 「上田友助(友助は友輔とも表記)の号が汪斎だと書かれている資料を知りたい。」(新潟市立中央図書館) - レファレンス協同データベース 2020年09月03日 ^ 『全国版幕末維新人物事典』学研パブリッシング、2010、p319 ^ 乙骨耐軒とは - コトバンク ^ (乙骨亘とは - コトバンクより) ^ 教育を読むKawaijuku Guideline 2014.9 ^ 『明治の女子留学生 最初に海を渡った五人の少女』」寺沢龍 平凡社新書、p118 ^ 『世界紀行文學全集 フランスⅡ』(修道社 1971年)p102 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所 1903 - 1911年。 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所 1915年。 石丸久文章著『万有百科大事典 1 文学』小学館 1973年。 石丸久文章著『大日本百科事典 2 いこーえいか』小学館 1967年。 石丸久文章著『グランド現代百科事典 3 イチノツーウソ』学習研究社 1983年。 安田保雄文章著『世界大百科事典 3 ウーエホ』平凡社 1972年。 上田 敏:作家別作品リスト - 青空文庫 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の詩人 20世紀日本の詩人 19世紀日本の翻訳家 20世紀日本の翻訳家 日本の文学研究者 戦前日本の学者 京都大学の教員 東京高等師範学校の教員 東京大学の教員 明治大学の教員 同志社大学の教員 慶應義塾大学の教員 文学博士取得者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 静岡県立静岡高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1874年生 1916年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/06 18:43更新
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