佐藤順一の情報(さとうじゅんいち) アニメ演出家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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佐藤順一と関係のある人
月岡貞夫: 佐藤順一、片渕須直、安藤雅司など多くの人材を育成した。 徳光由香: 『夢のクレヨン王国』の声優オーディションでシリーズディレクターの佐藤順一が徳光を含めたオーディション合格者に「君、天然だね」と言ったところ、場慣れしていた他の参加者は適当にあしらう中で徳光は「違います!」と反論した。 茅野愛衣: 声優を志すきっかけとなった作品に参加したことについて、佐藤順一監督はアフレコ現場で感動のあまり泣き出してしまったことを打ち明けている。 東雲水生: プリンセスチュチュ(秋田書店)全2巻 ※原作:伊藤郁子、佐藤順一 徳光由禾: 『夢のクレヨン王国』の声優オーディションでシリーズディレクターの佐藤順一が徳光を含めたオーディション合格者に「君、天然だね」と言ったところ、場慣れしていた他の参加者は適当にあしらう中で徳光は「違います!」と反論した。 島田満: なおこの時の東映動画の研修生募集の合格者には、演出が、佐藤順一・有迫俊彦・梅澤淳稔・江幡宏之・大久保唯男・貝澤幸男・芝田浩樹・島田満・西尾大介。 関島眞頼: ファイ・ブレイン 神のパズル 第2シリーズ (2012年、シリーズ構成・脚本)※シリーズ構成は佐藤順一と連名 五十嵐卓哉: きっかけは、佐藤順一がこれから登場させるキャラをスタッフに説明する時、「五十嵐みたいに爽やかなヤツなんですよ」と言ったところから。 川上とも子: その後は2009年2月21日のテアトル新宿での『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』上映時のトークショーで幾原邦彦が川上からのメッセージを紹介した例、『キネマ旬報』2009年3月下旬号での佐藤順一のインタビュー記事で川上が病気療養中であることを紹介した例、2011年5月27日(26日深夜)のNHK-FM『とことんアニソンクラシックス』で『少女革命ウテナ』のオープニングテーマ曲「輪舞-revolution」を放送した際に案内役の緒方恵美が「言葉に詰まっちゃった」と前置きしつつ川上が療養中であることを紹介した例などを除いて、川上の病気について公に言及される機会も少なく、具体的な病状が一般に伝えられる機会もなかった。 小中千昭: 魔法使いTai!VOL.1〜4(佐藤順一との共同制作、1996年 - 1998年、富士見ファンタジア文庫) 幾原邦彦: その派手なルックスから、メディアでは“アニメ界のヴィジュアル系”という冠で紹介されることがある(さいとうちほ曰く「アニメ界の小室哲哉」、佐藤順一曰く「どうすれば目立つかということを色々考えていた人」)。 五十嵐卓哉: 東映では佐藤順一の下で主に少女向け作品の演出に携わる。 西尾大介: 同期に佐藤順一、貝澤幸男、芝田浩樹、梅澤淳稔、有迫俊彦といった演出家がいる。 宮﨑駿: 『魔女の宅急便』(1989年)はスポンサーの意向により、当初指名されていた佐藤順一、次に指名された片渕須直が降板し宮崎が後を継いだ。 儀武ゆう子: 『たまゆら』では、当時キャストに内定していなかった(というかオーディションにすら呼ばれていなかった)にもかかわらず、監督の佐藤順一の取材旅行を追い掛けて、広島県竹原市まで自腹で同行し、その道中がたまゆら公式サイトで「たけはらんど」として公開された。 浜野謙太: 魔女見習いをさがして(2020年11月13日公開、佐藤順一・鎌谷悠監督) - 久保聖也 役 関島眞頼: ファイ・ブレイン 神のパズル 第3シリーズ (2013年-2014年、シリーズ構成・脚本)※シリーズ構成は佐藤順一と連名 大地丙太郎: 2002年9月、自身がパーソナリティを務めるラジオ大阪系ラジオ番組『大地ラヂオ』にアニメ監督の佐藤順一をゲストで迎えた際「(佐藤が監督をした)『ストレンジドーン』のアフレコ現場を訪問して、佐藤監督が音響監督も兼任しているのを見て自身の作品『フルーツバスケット』では音響監督にも挑戦したがすぐに挫折した。 幾原邦彦: のちに初代『美少女戦士セーラームーン』のシリーズディレクターを務める佐藤順一の下で数々のアニメ制作に携わる。 幾原邦彦: 師匠格にあたる佐藤順一は、「シナリオが直せないなら直せないなりの、作画が期待できないなら期待できないなりの、制作現場に対応した絵コンテを描ける人」と評している。 海部正樹: WOWOWで放送された『ゲートキーパーズ』では総監督佐藤順一の指名に応え「元首相の息子」ということで、声優として総理大臣役を演じていた。 五十嵐卓哉: 演出助手時代、もう辞めようと思っていた時に佐藤順一に出会い、その仕事ぶりを見て思いとどまった。 儀武ゆう子: ARIA The NATURAL DVD特典映像・佐藤順一監督インタビュー(インタビュアー) 儀武ゆう子: ^ 緒方恵美さんが声をかけると、動員力がハンパ無い〈佐藤順一監督インタビュー Part.3〉 内田彩: 作品の音響監督が、自身が声優を目指すきっかけの一つとなった『美少女戦士セーラームーン』の監督を務めた佐藤順一であったことから、佐藤のディレクションでセリフを言える自分は「恵まれている」と感じたという。 庄司宇芽香: 2021年から出演している『ワッチャプリマジ!』の皇あまね役については、庄司がかつて目指していた宝塚歌劇団の男役を思わせる人物像であること、庄司が声優になるきっかけとなったアニメ作品を手掛けていた佐藤順一が同作品の総監督を務めていることなどから、「佐藤順一総監督の作品を見て声優という職業を知り、宝塚に憧れ芸能界を志した私にとってあまね役は使命・運命」と話している。 儀武ゆう子: 親交の深い人物は、声優ではかかずゆみ、伊藤亜矢子、白石涼子、矢作紗友里、大浦冬華、釘宮理恵、宮崎羽衣、堀江由衣、福井裕佳梨、緒方恵美、竹達彩奈、阿澄佳奈、井口裕香などがおり、声優以外では佐藤順一・恭野夫妻、音楽ユニットmarbleと非常に親交が深い。 宮崎駿: 『魔女の宅急便』(1989年)はスポンサーの意向により、当初指名されていた佐藤順一、次に指名された片渕須直が降板し宮崎が後を継いだ。 |
佐藤順一の情報まとめ
佐藤 順一(さとう じゅんいち)さんの誕生日は1960年3月11日です。愛知出身のアニメ演出家のようです。
映画、趣味、母親、ドラマ、テレビ、家族、卒業、退社に関する情報もありますね。去年の情報もありました。佐藤順一の現在の年齢は64歳のようです。
佐藤順一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐藤 順一(さとう じゅんいち、1960年3月11日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。東映動画出身。フリーを経て2000年にハルフィルムメーカー取締役に就任し、吸収合併でTYOアニメーションズとなった後も2016年まで所属。2017年よりツインエンジン所属。 別名義として「甚目 喜一」「天上 はじめ」「ミソト ハジメ」「星野 らんちゅう」「ひかわ さくら」などがある。 愛称はサトジュン、さとし、ジュミスなど。妻は多くの佐藤作品で選曲など音響関係の仕事を務めている佐藤恭野(旧姓渡辺)。 『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』『ケロロ軍曹』などの長期放映された人気作品の第1シリーズを立ち上げたヒットメーカー。東映動画(現・東映アニメーション)出身で、1990年代には児童・少女向け作品のシリーズディレクターを歴任し、数多くの名作を世に送り出してきた。特に少女向け作品では、1990年代以降に日本で生まれ育った女性で彼の作品を見ずに育った人はほとんどいないのではないかと言われるほどの存在。東映独立後もその手腕を発揮し、児童向けからハイターゲットまで幅広い作品の監督・総監督を担当しながら、企画段階から精力的に関わったオリジナル作品の制作も精力的に行なっている。 1986年、25歳の時に『メイプルタウン物語』で東映動画史上最年少のシリーズディレクターに抜擢される。また、1989年公開のスタジオジブリの映画『魔女の宅急便』では最初の監督候補として指名された。しかし、ジブリとは原作のアレンジの仕方やライターの選定などのざっくりとした打ち合わせはしていたものの、諸般の事情で企画が決まる前に作品からは外れている。それでも自分なりに作品をどういう形にまとめるかは考えていた。 子供の頃から活字よりは漫画が好きで、読んでいたのは赤塚不二夫、石ノ森章太郎、横山光輝など当時の普通の子供たちが読んでいたような漫画が多かった。また妹がいたので、少女漫画も読んでいた。 アニメーションの原体験の記憶はないが、見ていたのはおそらく子供たちに向けて優しさや正義感などが語られていた作品であり、それが自身の作品制作のベースになっている気がするという。業界入りするまで「アニメ好き」というほど作品を見ておらず、同世代のアニメ監督と比べるとオタクではなかった。社会的ブームを起こした作品も、『宇宙戦艦ヤマト』は楽しんで観てはいたものの、興味のポイントが違うのか他の人とは全く話が合わなかった。『機動戦士ガンダム』は本放送時にはまったく触れておらず、大学の課題発表で初めてクラスメイトが選んだエピソードを見たものの、それで続きを見たいとも思わなかった。 中学高校時代の部活は美術部だったが、アニメーターを目指したり漫画家を夢見たりはしていなかった。しかし、高校生の頃、懐かしいアニメのオープニングを流す特番があり、子供の頃見ていた作品を久しぶりに見て泣いてしまった。それは子供の頃の記憶によるものであり、様々な感情をアニメからもらっていたことに気づいて「子ども向けのアニメ作りとはものすごく面白い仕事かもしれない」と興味を抱き、日本大学藝術学部映画学科を進学先に選んだ。映画学科はその中の映像コースのさらに分科としてアニメーションがあるという理由で選んだだけだったが、映画マニアでもなければ観た本数も少なかった彼にとって、そこで自分からは見ないような作品までたくさん見せられて映画を勉強できた経験は非常に有益だったという。 自ら「アニメ屋」と名乗ることがあるが、由来は富野由悠季の言葉。『機動戦士Ζガンダム』に参加した際、彼が描いた絵コンテの中に「このアニメ屋が」と書き込まれていた。否定的なニュアンスの言葉だったが、佐藤はむしろそれをかっこいいと思い、名乗ることにした。 後輩への育成指導に長け、シリーズが安定してくると自身は監督を退いて後進にその座を譲り、バトンタッチすることもままある。東映動画時代には幾原邦彦、宇田鋼之介、五十嵐卓哉、細田守など、多くの才能が佐藤のもとで演出を学んだ。しかし、佐藤自身は直接の弟子は取らないというスタンスである。幾原邦彦については若い頃から見どころがあると思い、アニメ専門誌などに売り込んでいた。その幾原から監督作『少女革命ウテナ』の絵コンテを依頼された際には、「いつそう言われるかと待ってました」と返事をし、後輩の作品にペンネームではご祝儀にならないとして東映以外の作品ながら本名で仕事をした。 アニメーション監督としてはメディア・イベント露出が非常に多い。自身の作品に出演した声優との特典映像やラジオ・イベントなどで積極的に関わっており、一度起用した声優を繰り返し採用する傾向がある。 眼鏡は伊達眼鏡。痛風持ち。趣味は料理と取材旅行。Mac使い。キーボードはかな入力。 本名である佐藤順一名義での活動が主であるが、以下のペンネームを用いることもある。 甚目 喜一 (はだめ きいち)
主にロボットアニメの絵コンテの仕事を受ける際に名乗っていた。東映では当時、外部のスタジオの仕事をすることは公には認められておらず、芦田豊雄からサンライズ制作の『超力ロボ ガラット』の絵コンテを依頼された際に正直に申告したところ却下されたため、次の『機動戦士Ζガンダム』のオファーは黙って受けた。以後、サンライズからの仕事はこの名義で引き受けるようになるが、同社の作品はロボットアニメが多いため、そのジャンルの仕事を受ける時に用いるペンネームというイメージになった。そのため、その後はサンライズ以外の作品でもロボットアニメならこの名義を用い(『新世紀エヴァンゲリオン』)、サンライズ作品でもロボットアニメでないなら用いないこともあった(『カウボーイビバップ』)。 ロボットアニメであっても担当するのはメカシーンのないパートや戦闘シーンのないキャラクターの芝居が中心の日常回であることがほとんど。本人はロボットのアクション演出は不得意であるからだと言っているが、ドラマの要となる日常シーンを任されるほど各監督からの信頼が厚いという評価もある。 天上 はじめ
他社制作作品の『ちびまる子ちゃん』と『ジャングル大帝(新)』で使用。 ミソト ハジメ
『マクロス7』にシリーズ構成補として呼ばれた際にのみ使用。 ロボットアニメなのにどうして「甚目喜一」にしなかったのかは本人も覚えていない。 星野 らんちゅう
ひかわ さくら
ポジティブで優しく感動的な作風。主に少女が主人公である女子児童向け作品を担当し、佐藤の描く少女像は業界内でも高い評価を得ている。その一方で、本人には少年ものがやりたいという気持ちもあったが、なかなかやらせてもらえなかった。しかし、『ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)』でそれが実現し、「完全な少年ものとは言えないが、いつもとは違うことが出来た」「色々試せて楽しかった印象がある」と語っている。 東映時代は未就学児童を対象にした作品が多く、「自分がこうやりたいというようなことには何の意味もなく、ターゲットが何かということを理解してその的に当てていくという作業をずっと自然にやってきただけで、特別なことをやっているわけではない」と語っている。「3〜5歳くらいの子に見せるアニメを作ったとして、見てくれた子たちはストーリーを忘れるし、忘れて構わないと思う。ただ、大人になってアニメを見たことすら忘れてしまっても、物語の中で感じた気持ちが記憶の片隅に残っていれば同じ立場になった時に自分から手を差し伸べることができるかもしれない。その『かもしれない』の一点のために、作品を描き込んでいる」という。またさまざまな作品に関わる上で「その都度、子供たちに伝えること」を大切にし、子供たちが抱える葛藤、家族の問題を丁寧に描いてきた。社会や子供たちの置かれる環境が変化する中、アニメで描く子供たちにも変わるもの、変わらないものはあり、子供たちに対してその時、その時に気になっていることについて、常に自分なりのやり方でアプローチしている。 若い頃に刺激を受けたクリエイターは、アニメーション的には大塚康生と宮崎駿、物語や演出では高畑勲と宮崎駿。最初はそれほど熱心に彼らの作品を追いかけていたわけではないが、大学に入ってからいろいろな作品を見て行く内に意識するようになった。演出デビューしてすぐの頃は傾倒する宮崎駿の強い影響下にあって、彼のように構図や芝居まですべてコントロールしようとする意気込みで作品に臨み、評価されるきっかけとなった『とんがり帽子のメモル』でも、宮崎のレイアウトをコピーしたという。アニメーション以外では漫画家の近藤ようこに影響を受けた。それまでの漫画では見たことのない、女子高生のありのままの描写が心地よく、自身が少し年齢の高い女の子を描くときの下敷きになっているかもしれないという。 アニメ業界の標準的ツールの多くの創始者で、佐藤が始めたいろいろな表現はその後、業界のスタンダードになっている。『きんぎょ注意報!』でアニメーションの世界に持ち込んだ台詞の吹き出しや「冷や汗タラリ」などの漫符、「いきなり二頭身キャラになる」等身の変化などの漫画的表現は、国内アニメ作品のみならず海外でも使われるようになっている。それ以外にも、『セーラームーン』で始めたロボットアニメの変形合体シーンを応用した戦闘魔法少女の変身シーンの演出(歌が流れる中でキャラクターが回転したり各部がアップになったりエフェクトが出たりする)などがある。 東映時代、『メイプルタウン物語』において、それまで原画マンがレイアウトと原画を同時に出していたものを、まず演出がレイアウトをチェックしてから原画マンが原画を描くという新しい制作のフローチャートを作った。それ以前にも『世界名作劇場』では1970年代から宮崎駿をはじめとするレイアウト専門の役職を立て、彼らがレイアウトを描くというシステムを取っており、亜細亜堂もレイアウトシステムの導入は早かったという。しかし、演出家が原画作業の前にレイアウトをチェックする工程がアニメ業界全体で当たり前の物として定着したのは、1980年代後半から90年代前半にかけてのことであり、1986年の段階でそれを採用した佐藤はかなり早かったと言える。 東映動画時代に社内方針で演出回において音響を兼ねていた経験から、フリーとなった以降は音響監督を務めることもある。また、自身の監督する作品の場合、「音を含めての演出」というポリシーから、できる限り音響監督も兼任するスタンスであるため、音響監督がクレジットされていない場合が多い。また音楽の使い方にこだわりを持ち、脚本・コンテの段階から選曲を決定し音楽に合わせて絵を作りこんでいる。音楽発注、作曲家との打ち合わせ、音楽録りの段階から関わったのは、『メイプルタウン物語』が初めて。 声優のキャスティングを自身で行うことも多い。東映時代、青二プロダクションが担当していた時期も青二の声優を使っていなかった時期も積極的に関わっていた。 演出家としては、長編劇場映画よりもテレビアニメ、そしてシリーズディレクターや総監督よりも各話演出の方が自分の性に合っていると思っている。 演出として東映に入社したために動画や原画の経験はなく、アニメーターとしてクレジットされることもないが、絵の上手さには定評がある。若い頃は演出でありながら作画監督の画に勝手にアタリを描いたり、レイアウトにかなり手を入れたりしていた。『悪魔くん』のオープニングでは原画も描いている。たまゆらにおいては写真カットのレイアウトの殆どを担当、もしくはチェックしている。『メモル』の頃は、光と影を意識した画作りをするなど、撮影処理にもかなり凝っていた。 絵コンテを切るスピードが速いことで有名である。特に『カレイドスター』ではスケジュールが切羽詰っていたこともあり、週1というハイペースでコンテを上げ続けた。 シリーズ監督としてはスタッフに作品のスタンスを効率的に伝えるため、第1話のコンテを自身で書くことが多い。そして脚本や各話演出家のコンテについて、極力直さないスタンスを取っている。2000年以降は少し引いた立場として総監督や監修として参加する作品が多くなっており、監督は千明孝一・河本昇悟・佐山聖子・平池芳正・山本裕介・追崎史敏・紅優等が務めた。またコンテに専念することが多くなり、演出でクレジットされることが稀になった。
作品リストテレビアニメ">テレビアニメ2024/11/20 15:04更新
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satou junichi
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