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内田裕也の情報 (うちだゆうや)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

内田裕也の情報(うちだゆうや) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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内田 裕也さんについて調べます

■名前・氏名
内田 裕也
(読み:うちだ ゆうや)
■職業
ミュージシャン
■内田裕也の誕生日・生年月日
1939年11月17日 (年齢81歳没)
卯年(うさぎ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和14年)1939年生まれの人の年齢早見表

内田裕也と同じ1939年生まれの有名人・芸能人

内田裕也と同じ11月17日生まれの有名人・芸能人

内田裕也と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


内田裕也と関係のある人

大口広司: PYG脱退後は、1972年内田裕也のツアー参加時に意気投合したアラン・メリルと「ウォッカ・コリンズ」(Vodka Collins)を結成(1974年アランの渡英で解散したが、1996年アランの再来日と共に、かまやつひろしと加部正義も含めて再結成)。


成毛滋: 「The cool boys」はバンド名を「The savage」と改め、さらに寺内タケシが率い、内田裕也らが在籍していた「ブルージーンズ」からもじって「ブルー・サウンズ」と改名した。


尾藤イサオ: 1965年12月、内田裕也とのアルバム第2弾『レッツ・ゴー・モンキー』(演奏:ブルージーンズ、ブルー・コメッツ)を発売。


寺内タケシ: この頃、ロカビリー出身の内田裕也や、「ザ・スパイダース」のセカンドギターだった加瀬邦彦が加入。


鮎川誠: 12月31日、内田裕也主催の「New Years World Rock Festival」に、1978年から36年連続完全出場記録を更新。


石間秀機: 同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。


近田春夫: 同年、アラン・メリル、金沢ジュンとゴジラを結成、同年、内田裕也の1815ロックンロールバンドに参加。


内海利勝: 生放送で司会の愛川欽也が、「この中からリーゼントの一番キマってるナウいやつを1人選ぶ」と宣言し、内田裕也も出演していたが、完全にキャロルが番組を圧倒した。


崔洋一: 同作のプロデューサーであった日本テレビの山口剛、セントラルアーツの黒澤満のプロデュースのもと、「火曜サスペンス劇場」を2作撮り、満を持して1983年(昭和58年)、『十階のモスキート』(主演内田裕也)でスクリーンに本格的にデビューする。


尾藤イサオ: 1966年、ビートルズ日本公演の前座として内田裕也、ブルージーンズ、ブルー・コメッツ等と出演し、合同演奏を行った。


植木等: また、渡辺貞夫がサックスを演奏し、ミッキー・カーチスと内田裕也は弔辞の後、松任谷を交えて祭壇の前で『スーダラ節』を即興で歌った。


内田夕夜: 桐朋の学生時代に内田裕也にかけて“ゆうや”とあだ名され、後にそれを芸名とした。


真木ひでと: フェスのプロデュースは内田裕也。演歌歌手としては真木だけが出演しているが、これは内田裕也が真木に直々に声をかけたことで実現したものである。


康芳夫: しかし内田裕也と誤認した人が多く、テレビ、ラジオでもそのような内容の報道が散見された。


村井邦彦: 1970年に川添象郎、ミッキー・カーチス、内田裕也、木村英樹と共に音楽レーベル『マッシュルーム』を創立する。


山下敬二郎: 1960年に入るとバンドは三上定雄とレッド・コースターズとして山下から離れ東洋企画に移籍、代わりに新バンドのザ・コースターズを結成、セカンドシンガーに菊地正雄(同年テイチクからコースターズをバックに「ひとりぼっちで/スタコイ東京」でデビューした) と内田裕也、ギターに野口武義がいた。結局コースターズを解散して東京ヤンキースを結成、バンドリーダーは寺沢武、シンガーに内田裕也と田川譲二(この二人でダブルビーツというユニットを組んだが、これは男性版ザ・ピーナッツを目指したナベプロの目論見だった)ギターに杉本喜代志、野球チームも兼ねて野球経験者を参加条件とした。


マック赤坂: マック赤坂は政見放送を行うにあたって、1991年東京都知事選挙における内田裕也の政見放送を30回以上見て研究した。


浅田美代子: 吉田との結婚に猛反対していた両親を説得したのも内田裕也と樹木夫妻である。


滝田洋二郎: 1985年(昭和60年)、主演と脚本を務めた内田裕也に指名され、初の一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』を監督し、高い評価を得る。


大野真澄: その後も多岐にわたる音楽ジャンルで才能を発揮し、内田裕也、松田優作、三浦友和などのレコーディングに参加。


ちあきなおみ: 自動車教習所編(美川憲一と共演)、デュエット編(内田裕也と共演)なども作られ、面白いCMシリーズとして知られた。


アイ高野: さらば愛しき女よ(1982年、バックボーカルで参加) - 内田裕也


中原裕也: 2017年10月より芸名を本名の内田裕也に改名した。


佐川満男: 「銀馬車」でのオーディション合格翌日から、「クレイジー・バブルス」というバンドで内田裕也とツインボーカルを務めたところ、バンドは大きな人気を博した。


樹木希林: 2番目の夫は内田裕也


指原莉乃: ロック・シンガーの内田裕也が1985年以来のシングル盤として同年6月12日に発売する同映画の主題歌「シェキナベイベー」(エイベックス)に、内田とデュエット歌唱する形で参加した。


モブ・ノリオ: 『JOHNNY TOO BAD内田裕也』(2009年10月28日、文藝春秋、ISBN 9784163283104)


野中“まさ”雄一: 内田裕也 feat.指原莉乃


瞳みのる: 解散公演終了後に有楽町の高速高架下にあったちゃんこ鍋屋にて内田裕也主催の食事会(懇親会)が開かれた後は直ぐさま、店の前に待たせてあった、京都時代の友人達と家財道具一式を積んだ2tトラックで東名高速道路~名神高速道路とひた走り25日には京都の実家へ到着した。


島田陽子: 1988年、ハワイのコンドミニアムで内田裕也と不倫密会をしている写真を写真週刊誌『フライデー』に掲載される。


内田裕也の情報まとめ

もしもしロボ

内田 裕也(うちだ ゆうや)さんの誕生日は1939年11月17日です。兵庫出身のミュージシャンのようです。

もしもしロボ

各種ロックフェスティバル、家族などについてまとめました。映画、結婚、卒業、脱退、退社、離婚、病気、家族に関する情報もありますね。81歳で亡くなられているようです。

内田裕也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月17日 - 2019年〈平成31年〉3月17日)は、日本のミュージシャン、俳優、プロモーター、タレント・スカウト、音楽プロデューサー、エンターテイナー、政治活動家。本名:内田 雄也(読み同じ)。身長174cm。血液型はB型。

兵庫県西宮市に生まれ、1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。内田裕也とザ・フラワーズ、フラワー・トラベリン・バンドでのロッカーとしての活動のほか、1970年代後半からは俳優としても活動した。映画の代表作に『コミック雑誌なんかいらない!』『エロティックな関係』『水のないプール』『十階のモスキート』『魚からダイオキシン!!』などがある。若松孝二監督や神代辰巳監督の作品にも出演した。口癖は「ロックンロール」(Rock'n Roll)。

妻は俳優の樹木希林。娘は内田也哉子。内田也哉子と結婚した本木雅弘は娘婿に当たる。

父・鐵蔵(1969年12月28日 81歳没)、母・壽子(1985年1月29日 88歳没)の間に兵庫県西宮市に生まれ、大阪府堺市で育つ。堺市立大美野小学校〜堺市立三国丘中学校入学(1952年)。中学二年の時、清教学園中学校に転入(一期生)、翌1953年、大阪市立旭陽中学校へ転入。1955年、大阪府立旭高等学校へ入学。少年時代は発明に凝るなど、真面目で勉強熱心なタイプで、清教学園中学時には生徒会副会長を務める。中学ではラグビー部、高校では野球部に所属。しかし、エルヴィス・プレスリーに憧れたことで学校に行かなくなり、旭高等学校を退学して1956年、大阪府立三国丘高等学校に転校する。1957年、高校卒業後、日本大学法学部の夜学を中退。

プロ野球は阪神タイガースファンである。

バンドボーイとして音楽生活を開始し、間もなく佐川ミツオ(現・佐川満男)とともにバンドボーイ兼ボーカルとしてロカビリー・バンドのブルー・キャップスを結成する。

1958年、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成。メンバーには美川鯛二(現・中村泰士)、北原謙二などがいた。

1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルへ初出場する。

1960年、かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退し、山下敬二郎とレッド・コースターズ、田川譲二とダブル・ビーツなどのバンドを渡り歩く。

1962年、寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加する。

1963年、恩地日出夫監督の『素晴らしい悪女』に映画初出演。その後も、1965年公開の『エレキの若大将』に勝ち抜きエレキ合戦の司会者役で出演し、「レディース&ジェントルメン、マイ・ネーム・イズ・ショーン・コネリー...なんてなことを言っちゃったりして」、「シャークス...シャーク(癪)な名前ですね」などのジョークを交えた軽妙なセリフと演技が見られる。

1960年代中頃から、ベンチャーズやビートルズの影響により、ロック色を強めた活動に転換していく。1966年6月のビートルズ日本公演では、尾藤イサオとのツインボーカル、バックにジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズを従えた特別編成のバンドで前座として出演(「ウェルカム・ビートルズ」など数曲を演奏)する。同年には大阪のジャズ喫茶・ナンバ一番で活動していたファニーズ、のちのザ・タイガースをスカウトする。東京へ活動の場を移しジャズ喫茶・新宿ACBなどからステージ・再デビューや内田のバック・バンドを足がかりに活動を広げる計画を持ちかける。しかし諸事情で頓挫とんざし、また、所属する渡辺プロダクションと自身の活動で軋轢あつれきが生ずる。内田は広い人脈を築き、裏方的な役割を志向するが、プロダクション配下で行う芸能活動と両立できず、また、会社側に提案したロック音楽プロデュースという役割も当時は理解されず退社の余儀ない状況に追い込まれる。

1967年、春頃から3か月ほどヨーロッパに渡る。オーストリア、ドイツ、イタリア、スペイン、イギリス、フランスを放浪し、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイド、ジャニス・ジョプリンなどの新しいロックを体験する。その経験を活かし、同年11月に麻生レミをヴォーカルとして内田裕也とザ・フラワーズを結成し、ジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレインなどのカバーを中心に、ジャズ喫茶でのライヴ活動を展開する(レコード・デビュー前の音源として、一柳慧の「オペラ横尾忠則を唄う」〈正式な発売は1970年3月〉がある)。

1969年、1月にフラワーズのデビュー・シングル「ラスト・チャンス」、同年7月にはジャケットにメンバーのヌード写真を使用したアルバム「チャレンジ!」が発売されるが、志とは裏腹にセールスには繋がらなかった。

1970年、前年年末にフラワーズへ参加したジョー山中(ヴォーカル、元・4.9.1〈フォー・ナイン・エース〉)、石間秀樹(リードギター、元・ビーバーズ)によりサウンド面が強化され、1970年1月26日に開催されたコンサート「ロックンロール・ジャム'70」(同録音は後にレコード化される)では石間がシタールを使用するなど、意欲的な演奏であったが、同時期にメンバーの麻生レミと小林勝彦(スチール・ギター)が渡米のため脱退する。このため、メンバーを新たにピックアップして同年春にはフラワーズをフラワー・トラベリン・バンドとして再編成するが、自身はヴォーカルを降りてプロデュースを担当する。同年10月にデビュー・アルバム「Anywhere」を発表する。日本万国博覧会(通称・大阪万博)で出会ったバンド、ライトハウスのプロデュースを手掛けていたヴィンセント・フスコーが興味を持ったことやオリジナル曲によるアルバム製作も可能となったため、12月には自身とメンバーがカナダへと渡った。

1971年、4月に当時発足したばかりのワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)のアトランティック・レーベルから、フラワー・トラヴェリン・バンドとして2枚目のアルバムとなる『SATORI』を発売。その後、1972年2月にライトハウスのキーボード奏者ポール・ホファートのプロデュースによる3枚目のアルバム『Made in Japan』、1973年2月にはカナダより凱旋帰国後に行われた1972年9月16日の横須賀文化会館でのライブ音源に、スタジオ録音の新曲を加えた2枚組として4枚目のアルバム『Make Up』を発売するが、1973年4月の京都円山公園でのコンサートを最後にフラワー・トラベリン・バンドは活動を休止する。

1973年、初のソロアルバム『ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK'N ROLL BROADCASTING STATION)』を発表。10月には悠木千帆(現・樹木希林)と結婚。12月には年越しロックイベント「フラッシュ・コンサート」を開催する。

1974年8月にワンステップ・フェスティバル、1975年8月に第1回ワールドロック・フェスティバルの主催、ジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズなどの来日に尽力するなど、1970年代中盤からは国外アーティストの招聘しょうへいに労力を注いだ。ただし、トラブルメーカーの内田は、レイ・チャールズやルー・リードと喧嘩になったこともある。なお、矢沢永吉を殴ったという噂話は虚偽であり、真相は内田が矢沢を殴ろうと思ったが、矢沢が「一発殴ってください」と言ったために、彼を高く評価して殴ることをやめたという。川添象郎によると、内田裕也が初めて大麻を使用したのは川添の自宅で、裕也はけいれんを起こしていたという。

1970年代後半からは映画俳優としても活躍し、神代辰巳監督の『嗚呼!おんなたち 猥歌』では、本人のキャラクターを活かした歌手役を演じた。また、『コミック雑誌なんかいらない!』『魚からダイオキシン!!』では脚本・主演を兼ね、一定の評価を得た。

1979年1月、妻の樹木が『ムー一族』の打ち上げパーティーの席上、番組プロデューサーの久世光彦と番組出演者の不倫を暴露し騒動となる。騒動を聞きつけた内田はパーティー会場へ乗り込もうとするが、入店を断られたため店員と押し問答となった揚句、パトカーが出動する騒ぎを起こした。

1981年、離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、訴訟となり、離婚無効との判決が下る。

1991年にはアントニオ猪木が一度出馬表明しながら撤回したことに触発され東京都知事選挙に立候補し、対立候補である浜田マキ子と共闘。政見放送の冒頭から10秒間の沈黙の後アカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、後半にも「コミック雑誌なんかいらない!」を歌い、英語及びフランス語で主張を演説した。また選挙戦最終日の4月6日の街頭演説では対立候補である「鈴木俊一」と書かれたたすきを帯び、ほとんど演説をしないまま演奏に終始し、最後は「明日は投票日、絶対に入れないでください」との言葉で締めた。選挙公報は「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク! Love&Peace Tokyo」とだけ手書きで書かれた物だった。マスコミへのアピール時に政策をフリップ(放送用の手書きボード)に書き込むことを求められた際、「GOMISHUSHUSHA NO TAIGUU O KAIZEN SURU」(ゴミ収集者の待遇を改善する)とローマ字で政策を書いた。以上、数々のエピソードを作り(この模様は映画『魚からダイオキシン!!』にて一部見ることができる)、メディアからは「売名出馬の泡沫候補」と批判され、結果的には落選したが、無所属(政党推薦候補除く)ではトップの票(5万4654票、16人中5位)を獲得した。

シンガーでありながら1985年に発売した「アニー FOR A CHEEK TIME(Annie For A Cheek Time)」以来シングル盤を発表していなかったが、2014年6月11日に29年ぶりとなるシングル盤をエイベックスから「シェキナベイベー」を指原莉乃(HKT48)とのコラボレーション・デュエットという形で発売した。

2017年11月には脱水症状を起こして緊急入院するなど、晩年は怪我や病気が続いたことで体力が低下し、自身が主催する恒例の年越しライブ「New Years World Rock Festival」では2017・18年と車椅子での出演となった。

2018年9月15日に妻の樹木と死別。その約半年後となる2019年3月17日5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去。79歳だった。

同年4月3日、青山葬儀場でお別れの会が開かれ、AI、堺正章、指原莉乃、竹中直人、ダイアモンド☆ユカイ、浅田美代子、鮎川誠、崔洋一、尾藤イサオ、DJ KOO、PANTA、田代まさし、郷ひろみ、氏神一番、巻上公一、秋元康、南部虎弾、ギュウゾウ、ビートたけし、美勇士ら950人が参列した。戒名は「和響天裕居士」。

各種ロックフェスティバル

ワン・ステップ・フェスティバル(1974年)

1974年7月31日から8月10日まで福島県郡山市で開催(その内のロックコンサートは8月4・5日と8~10日に実施)され、リタ・クーリッジ、オノ・ヨーコ、沢田研二、キャロル、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、サディスティック・ミカ・バンド、四人囃子など、数多くのアーティストが出演した。ロックコンサートの部分に関しては裕也と素人のブティック・オーナーとが共催したが、実質的な仕切りは裕也だった。

ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド(1975年~76年)

1975年8月3日から9日にかけて札幌・名古屋・京都・東京・仙台で順次開催され、8月7日の東京(後楽園球場)公演には、ニューヨーク・ドールズ、フェリックス・パッパラルディ、ジェフ・ベック、カルメン・マキ&OZ、四人囃子、クリエイション、イエローが出演した。各地の公演で出演者が微妙に異なっている。翌1976年に第2回が開催されたが、前年ほどは盛り上がらなかった。

ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル(1974年~)

内田裕也が始めた「打倒!NHK紅白歌合戦」をテーマとして、1973年12月に年越しロックイベント「フラッシュ・コンサート」を渋谷西武劇場(現:PARCO劇場)にて開催され、ニュー・イヤー・ロック・フェスティバルとして、裕也が亡くなった後も開催されている。開催会場は度々変わっている。

名称については「浅草ROCK'N'ROLL VOLUNTEER」、「スモーキン・クリーンコンサート」、「New Year Rock Festival」を経て、2007年からは「New Years World Rock Festival」の名称で実施。開催会場は一時は浅草の国際劇場やロックンロック、ロック座で行われた時期もあるが、2008年(36回)から東京会場は銀座の博品館劇場をメイン会場に据えるようになっている。2013年からは日本国内において2都市同時公演を東京と石巻(2015年は福島)で行っており、東北開催ではその地ゆかりのアーティストが参加している。

ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル参加者

内田の非常に幅広い交友関係を生かして、多くのアーティストが出演してきた。 【常連(古参)】白竜、シーナ&ザ・ロケッツ、THE NEWS、石橋勲BAND、頭脳警察(PANTA)、近田春夫/活躍中、氏神一番/カブキロックス、陣内孝則/ザ・ロッカーズ。他に故人となったジョー山中、桑名正博、安岡力也が生前は、ほぼ毎年参加していた。

【常連(若手)】カイキゲッショク、新月灯花、高木完、高樹町ミサイルズ(Vo.中村獅童)、原田喧太(原田芳雄の長男)/KATAMALI、美勇士(桑名正博の長男)/トライポリズムなど。

【常連以外】原田芳雄、宇崎竜童、かまやつひろし、ビートたけし、などが数回出演。ほかに沢田研二、萩原健一、キャロル、本木雅弘、RCサクセション、アナーキー、あぶらだこ、THE MODS、ルースターズ、HOUND DOG、P-MODEL、BOØWY、ラッツ&スター、ザ・スターリン、松田優作、JAGATARA、つんく♂、ヒカシュー、AI(カイキゲッショク・HIROの妻)、Zeebraなど。

家族

娘は内田也哉子、娘婿は婿養子となった本木雅弘である。

『SWITCH』誌にて、本木も含む家族全員の記念写真が掲載されたり、孫の七五三を報じるワイドショーでは、内田裕也は不在だったが、一家の祝い事を撮影するジョー山中の姿が全国にオンエアされたこともある。女優の内田伽羅は孫。

2024/06/17 21:12更新

uchida yuuya


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内田 安咲美(うちだ あさみ)
1986年2月6日生まれの有名人 千葉出身

内田 安咲美(うちだ あさみ、1986年2月6日 - )は、千葉県出身の女性ファッションモデル。ウイントアーツ所属。血液型AB型 主にティーンファッション誌『セブンティーン』の2002年ミスセブンテ…

内田 真礼(うちだ まあや)
1989年12月27日生まれの有名人 東京出身

内田 真礼(うちだ まあや、1989年12月27日 - )は、日本の声優、女優、歌手。東京都出身。アイムエンタープライズ所属。レコードレーベルはポニーキャニオン。公式ファンクラブは「LIFE IS L…

内田 さやか(うちだ さやか)
1984年10月3日生まれの有名人 東京出身

内田 さやか(うちだ さやか、1984年10月3日 - ) は、日本の元グラビアアイドル、元レースクイーン。東京都出身。 高校の時、学校帰りに自転車に乗って帰宅している所をオフィスエムの社長にスカ…

内田 眞由美(うちだ まゆみ)
【AKB48】
1993年12月27日生まれの有名人 東京出身

内田 眞由美(うちだ まゆみ、1993年〈平成5年〉12月27日 - )は、日本の実業家、タレント、小説家、プロデューサーであり女性アイドルグループ『YORISOERU』(下段にて後述)をプロデュース…

内田 春菊(うちだ しゅんぎく)
1959年8月7日生まれの有名人 長崎出身

内田 春菊(うちだ しゅんぎく、1959年8月7日 - )は、日本の漫画家、小説家、エッセイスト、女優。ノックアウト所属。落語立川流の門下でもあり、高座名「立川於春の方」を持つ。 1959年、長崎…

内田 智也(うちだ ともや)
1983年7月10日生まれの有名人 三重出身

内田 智也(うちだ ともや、1983年7月10日 - )は、三重県出身の元プロサッカー選手である。 ルーキーイヤーの2002年のJ2第6節で早速デビューし、堂々としたプレーを披露。当時の信藤健仁監…

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