原田泰夫の情報(はらだやすお) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
原田 泰夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
原田泰夫と関係のある人
遠藤龍之介: 学生時代は原田泰夫九段から「慶大将棋部員の強豪」と呼ばれ、「慶大将棋部師範の原田は、今春、合宿の折に龍之介さんと平手でテスト、その棋力、立派な態度に感心した」と讃えられた。 中原誠: 石川の紹介で1956年に五十嵐豊一、原田泰夫と対戦し、その他何人かの真剣師と対戦し腕を磨く。 淡路仁茂: 受けにおける粘り強さに因み、原田泰夫に「不倒流」と命名され、二つ名として定着していた。 鈴木環那: 原田泰夫九段門下。 内藤國雄: そのような内藤の棋風は、敬愛していた原田泰夫の命名により「自在流」と呼ばれていた。 内藤国雄: そのような内藤の棋風は、敬愛していた原田泰夫の命名により「自在流」と呼ばれていた。 井上慶太: 11期振りのA級復帰は、原田泰夫(14期振り)に次ぐ2番目の記録。 森安秀光: 第7期棋王戦第3局前夜祭の席上で、立会人兼解説担当の原田泰夫より「七転八起流、『だるま流』はいかがか」との別名を呈示される。 近藤正和: 原田泰夫九段門下。 中原誠: 全盛期は本格派の居飛車党で、「自然流」と称された(「攻めるべき時に攻め、受けるべき時に受ける、まるで大河の流れるような自然な指し回し」原田泰夫)。 有吉道夫: 第12回(1972年度)最強者決定戦で、決勝三番勝負で原田泰夫を2勝1敗で破り、同棋戦で2度目の優勝。 山口瞳: 将棋には幼少の頃から熱心に打ち込み、専業作家になってからも、原田泰夫の弟子である山口英夫を自宅に呼んで稽古をつけてもらっていた。 二上達也: 加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 石垣純二: 『石垣流二枚落大血戦』原田泰夫共著 講談社、1975 山口瞳: これを用いて「血涙十番勝負」では、飛車落ちで、当時のトッププロであった米長邦雄、原田泰夫に勝利し、山田道美と引き分け、3勝6敗1分け(ただし、6敗のうちの1敗は後述する蛸島彰子との平手戦である)という結果を残した。 鈴木環那: 原田泰夫一門最後の門下生。 |
原田泰夫の情報まとめ
原田 泰夫(はらだ やすお)さんの誕生日は1923年3月1日です。新潟出身の将棋棋士のようです。
現在、卒業、姉妹、結婚、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2004年に亡くなられているようです。
原田泰夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004年7月11日)は、将棋棋士。棋士番号35。新潟県西蒲原郡(現在の燕市)出身。分水町名誉町民。加藤治郎名誉九段門下。 10歳のころ、13世名人(関根金次郎)の立派な指導対局姿に心を打たれ、棋士を志す。原田の父は棋士になることに反対していたが、結局は高等小学校を卒業した原田とともに上京して棋士になる手助けをしている。はじめに縁のあった溝呂木光治(当時七段)を訪ねたが、溝呂木は当時三段で足踏みしていた弟子の間宮純一の名前を出して「自分は弟子運が悪い」「私のところじゃ四段になれない」と入門を断り、加藤治郎(当時五段)を紹介した。このため加藤に弟子入りすることになった。 1944年1月に四段に昇段するが、同年4月に陸軍新発田連隊に入隊。中国にわたり、現地で敗戦をむかえて抑留され、1946年6月に帰国して、同年の第1期順位戦に参戦する。 昭和中期を代表する強豪棋士だったことは意外と知られていない。名人以外の全プロが参加する「最強者戦」で見事最強者となったこともあり、大山康晴、升田幸三に次ぐ実力を有していた。なお、升田幸三は現役最後の新聞棋戦棋聖戦で敗北したが、相手は原田泰夫であった。この将棋は原田の名局とされている。 1965年の順位戦でB級2組に陥落したが、居飛車党から振り飛車党に棋風を変更し、1968年にB級1組に復帰する。1971年(昭和46年)には、14期ぶりに48歳でA級に復帰して、石川達三の同名小説に準え「四十八歳の抵抗」といわれ話題になった(自分から「四十八歳の抵抗」と述べたという説もあり)。B級2組まで陥落してからA級に復帰したのは原田一人のみ。 前項の通り、40代になって居飛車党から振り飛車党に転じたが(原田自身は「縦から横への変化」と棋風転換を表現している)、晩年は相居飛車・対抗型・相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤーであった。 「玉損の攻め」といわれるほど攻撃的な棋風で知られ、おだやかな人柄と全く相違しているため驚かれたという。1952年、「AB級対抗勝抜戦」(共同通信)で10連勝し、新潟出身であることから「原田謙信流」と呼ばれた。 詰将棋作家としても知られており、実戦向けの作品を得意とした。 最長手数(勝負のついた局)の記録がある(1969年2月3日 B級1組順位戦・対芹沢博文 相振飛車 389手)。 (2021年5月20日現在) (2020年9月22日現在) 佐藤と近藤は同郷の後輩でもある。中田宏樹・飯島栄治・藤倉勇樹・横山泰明・村山慈明・伊藤真吾・千葉涼子は孫弟子(いずれも桜井の弟子)。和田あき・はな姉妹は曾孫弟子(いずれも藤倉の弟子)。他にアマチュアの孫弟子として山口瞳がいる(山口英夫の弟子)。 将棋の初心者向け解説者として最も著名な棋士の一人。常に目先を読む「三手の読み」(こうやる、こう来る、そこでこう指す)を提唱し、普及にも力を注いだ。格言も多く作っており、今日知られる格言の多くは原田によるものである。自分のことを「原田」と呼ぶ、人を呼ぶときに「やあこれは巨匠」と呼びかけるなど、独特の表現で人気があり、将棋界以外でも有名であった。今福栄は原田の人柄を「潔癖家、お洒落、破滅型でない浪費家、若者好き、柔軟な保守主義者」と評している。(『将棋プロアマ角落十番勝負』講談社刊より) 「自在流」(内藤國雄)、「さわやか流」(米長邦雄)、「自然流」(中原誠)、「光速流」(谷川浩司)など棋風の名付け親としても知られる。 原田家は、新潟県西蒲原郡分水町で、代々の医者・町学者の家柄であり、先祖の原田鵲斎・原田正貞父子は良寛と親交があった。 1948年、馬淵逸雄陸軍少将の娘・栄子と結婚、媒酌人は漫談家の西村楽天だった。 1961年から6年間、日本将棋連盟の会長を務め、同1961年の旧将棋会館の建設に尽力する。また1973年からの加藤治郎会長時代には副会長をつとめる。新将棋会館建設問題で加藤が1974年に辞任し、塚田正夫会長・大山康晴副会長となったのちも、請われて、再度、副会長をつとめる。 30代で日本将棋連盟会長を務めた唯一の棋士であり、引退後も長きにわたり棋界の御意見番として重きをなすとともに、タイトル戦の立会人や毎年恒例となっている将棋まつり、将棋の日関連イベントなどを通じて、棋界の発展に大きく寄与した。 俳人・書家でもあり、泰風と号した。 羽生善治は小学5年生のとき、引退直前の原田と二枚落ちで対戦し、善戦するも攻めを誤って敗れた。この局の棋譜は小学館入門百科シリーズ118『将棋初段への道』(1982年1月)に所収されているほか、インターネット上でも公開されている。 しゃべり好きで、パーティー等でスピーチを頼まれるといつも話が止まらなくなるほか、本人も「原田の話は長いことで有名で」と自らネタにするほどだった。そのため原田にスピーチを頼む際は「今日は誰が話を止めるか」が必ず関係者の間で話題になっていた。
1996年の加藤の死去後、将棋ペンクラブ名誉会長を引き継いだ。 愛棋家として知られた医事評論家の石垣純二は、生前原田を一番の贔屓としていた。その理由は以下の四つにあったという。
二つ。相手のイス(地位)に絶対負けることがない。たとえ相手がだれであっても、相手を認めて堂々と話す。 三つ。他人のいい所をみてよくほめる。若い人を育てるためにしており大きなものにしっぽを振ってはいない。 四つ。男一匹、生きていくんだという気概にみちている。腕一本で生きてきた自信と努力が達意の文を書かせ、味のある講演をさせる。温かい、心の広さがある。 1937年00月00日 : 入門 1941年00月00日 : 初段 1944年01月00日 : 四段 1947年05月10日 : 六段(順位戦C級上位) 1948年04月01日 : 七段(順位戦B級昇級) 1949年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級) 1982年04月07日 : 引退 1982年11月17日 : 九段(贈九段 = 将棋の日表彰) NHK杯戦 1回(第6回) 高松宮賞争奪選手権戦 1回(第4回) 最強者決定戦 1回(第13回) 第1回(1973年度) 敢闘賞 第9回(1981年度) 東京将棋記者会賞 1982年秋 藍綬褒章 1996年春 勲四等旭日小綬章 将棋小學校 (1952年、大阪屋号書店) よくわかる将棋 (1970年、東京書店) - 21世紀まで増刷を重ねているロングセラー。 将棋名勝負物語 (1972年、天狗太郎共著、時事通信社) 攻め方コーチします (1973年、日本将棋連盟) 将棋プロアマ角落十番勝負 (1977年、今福栄共著、講談社) 日本将棋大系 6 伊藤看寿(1978年、筑摩書房) 昭和生まれの天才棋士たち (1985年、創元社) 名棋士81傑ちょっといい話 (1998年、講談社プラスアルファ文庫) 棋士・原田九段の書と随想(2001年11月、梧桐書院、ISBN 4-340-02707-3) 最強の詰将棋200題 実戦型3手から13手詰め(2004年6月、梧桐書院、ISBN 4-340-07115-3) 日本将棋用語事典(監修、2004年12月、東京堂出版、ISBN 4-490-10660-2) ^ 持将棋1 ^ 持将棋では中尾敏之・牧野光則の420手で持将棋成立が最長(2018年2月27日) ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 175 ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, pp. 96–98. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, pp. 97–109. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, pp. 156–159. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, pp. 159–160. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 160. ^ 鈴木輝彦「原田泰夫」『神の領域に挑む者』日本将棋連盟、2014年1月。ISBN 978-4-839950187。 ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 123. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 78. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 113. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 144-147. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 147. ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 147-150. ^ 将棋の棋譜でーたべーす ^ 先崎学『先崎学の実況!盤外戦』講談社〈講談社文庫〉、2006年5月、100-101頁。ISBN 4062754029。 ^ 中平邦彦『棋士・その世界』(電子書籍版)講談社〈講談社文庫〉、2020年4月1日(原著1979年7月)、193頁。国立国会図書館書誌ID:000001420192。 ^ 加藤, 原田 & 田辺 1999, p. 96. ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 ^ [1] ^ [2] ^ [3] ^ [4] ^ [5] ^ [6] ^ [7] ^ [8] ^ [9] ^ [10] ^ [11] ^ [12] ^ [13] ^ [14] ^ [15] ^ [16] ^ [17] ^ [18] ^ [19] ^ [20] ^ [21] ^ [22] ^ [23] ^ [24] ^ [25] ^ [26] ^ [27] ^ [28] ^ [29] ^ [30] ^ [31] ^ [32] ^ [33] ^ [34] ^ [35] ^ [36] ^ [37] 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『「証言」将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4839902550。 将棋棋士一覧 原田泰夫 - 日本将棋連盟 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 表 話 編 歴 01. 木村義雄 (1947) 02. 渡辺東一 (1948-1952) 03. 坂口允彦 (1953-1954) 04. 萩原淳 (1955-1956) 05. 加藤治郎 (1957-1960) 06. 原田泰夫 (1961-1966) 07. 坂口允彦 (1967-1968) 08. 丸田祐三 (1969-1972) 09. 加藤治郎 (1973) 10. 塚田正夫 (1974-1976) 11. 大山康晴 (1977-1988) 12. 二上達也 (1989-2002) 13. 中原誠 (2003-2004) 14. 米長邦雄 (2005-2012) 15. 谷川浩司 (2012-2017) 16. 佐藤康光 (2017-2023) 17. 羽生善治 (2023-現在) 表 話 編 歴 01. 木村義雄 02. 升田幸三 03. 塚田正夫 04. 大山康晴 05. 大山康晴 06. 原田泰夫 07. 升田幸三 08. 灘蓮照 09. 丸田祐三 10. 加藤一二三 11. 大山康晴 12. 灘蓮照 13. 升田幸三 14. 大山康晴 15. 丸田祐三 16. 加藤一二三 17. 大友昇 18. 丸田祐三 19. 内藤國雄 20. 大山康晴 21. 加藤一二三 22. 大山康晴 23. 加藤一二三 24. 中原誠 25. 大内延介 26. 加藤一二三 27. 中原誠 28. 米長邦雄 29. 大山康晴 30. 有吉道夫 31. 加藤一二三 32. 中原誠 33. 大山康晴 34. 田中寅彦 35. 谷川浩司 36. 前田祐司 37. 中原誠 38. 羽生善治 39. 櫛田陽一 40. 先崎学 41. 羽生善治 42. 中原誠 43. 加藤一二三 44. 中原誠 45. 羽生善治 46. 森内俊之 47. 羽生善治 48. 羽生善治 49. 鈴木大介 50. 羽生善治 51. 森内俊之 52. 三浦弘行 53. 久保利明 54. 山崎隆之 55. 丸山忠久 56. 佐藤康光 57. 佐藤康光 58. 羽生善治 59. 羽生善治 60. 羽生善治 61. 羽生善治 62. 渡辺明 63. 郷田真隆 64. 森内俊之 65. 村山慈明 66. 佐藤康光 67. 山崎隆之 68. 羽生善治 69. 深浦康市 70. 稲葉陽 71. 豊島将之 72. 藤井聡太 73. 佐々木勇気 74. (棋戦進行中) 羽生善治 ( 通算10回優勝者が該当 / 計11回優勝={ 第38回,41,45,47,48,50,58,59,60,61,第68回 } ) 現 司会 鈴木環那 (2022 - ) 現 司会 室谷由紀 (2024 - ) 倉島竹二郎(ラジオ放送時代) 田辺一鶴(197x) 神田山陽 (? - 1980) 永井英明 (1981 - 1990) 谷川治恵 (1991 - 1993) 山田久美 (1994 - 1996) 藤森奈津子 (1997 - 1999) 中倉彰子 (2000 - 2002) 千葉涼子 (2003 - 2005) 中倉宏美 (2006 - 2008) 矢内理絵子 (2009 - 2013) 清水市代 (2014 - 2015) 藤田綾 (2016 - 2021) 中村桃子 (2019 - 2023) 日本放送協会 NHKラジオ第1放送 NHK教育テレビジョン 将棋の時間 将棋フォーカス 表 話 編 歴 1 丸田祐三 2 大野源一 3 升田幸三 1 下平幸男 2 加藤一二三 3 灘蓮照 4 加藤一二三 1 二上達也 2 灘蓮照 3 廣津久雄 4 内藤國雄 5 山田道美 6 内藤國雄 7 山田道美 8 山田道美 9 有吉道夫 10 内藤國雄 11 中原誠 12 有吉道夫 13 原田泰夫 共同通信社 古豪新鋭戦 表 話 編 歴 1 加藤一二三 2 丸田祐三 3 丸田祐三 4 原田泰夫 5 大山康晴 6 大山康晴 7 二上達也 8 大野源一 9 加藤一二三 10 山田道美 11 有吉道夫 1 下平幸男 2 梶一郎 3 関根茂 4 芹沢博文 5 長谷部久雄 6 有吉道夫 7 大友昇 8 加藤博二 9 花村元司 10 北村昌男 11 加藤一二三 東京新聞社 表 話 編 歴 81 松下力 82 原田泰夫 83 角田三男 84 荒巻三之 85 金子金五郎 86 渡辺東一 , 花村元司 87 山本武雄 88 高柳敏夫 89 廣津久雄 90 佐瀬勇次 91 五十嵐豊一 92 加藤治郎 93 大山康晴 94 蛸島彰子 95 長谷部久雄 96 丸田祐三 97 木村義徳 98 内藤國雄 99 加藤博二 00 関根茂 , 関根紀代子 01 有吉道夫 02 加藤一二三 03 西村一義 04 二上達也 05 河口俊彦 06 瀬川晶司 07 コンピュータ将棋協会 08 真部一男 09 大内延介 10 谷川治恵 11 佐伯昌優 12 勝浦修 13 石田和雄 14 滝誠一郎 15 佐藤義則 16 淡路仁茂 17 森信雄 18 森雞二 19 伊藤果 20 高橋和 21 杉本昌隆 22 桐山清澄 23 田中寅彦 , 中田宏樹 24 小林健二 , 小山怜央 表 話 編 歴 74 原田泰夫 75 熊谷達人 76 大内延介 77 真部一男 78 花村元司 79 石田和雄 80 淡路仁茂 81 桐山清澄 82 田中寅彦 83 桐山清澄 84 田中寅彦 85 中村修 86 塚田泰明 87 中村修 88 羽生善治 89 南芳一 90 森下卓 91 屋敷伸之 92 羽生善治 93 村山聖 94 深浦康市 95 深浦康市 96 森雞二 97 屋敷伸之 98 郷田真隆 99 郷田真隆 00 鈴木大介 01 久保利明 02 森内俊之 03 佐藤康光 04 渡辺明 05 山崎隆之 廃止 VIAF 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 将棋棋士 藍綬褒章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 新潟県出身の人物 1923年生 2004年没 Pages using the JsonConfig extension 名無しリンクを引用している記事/2024年9月 無効な出典が含まれている記事/2024年 書きかけの節のある項目 ウィキデータにある棋士番号 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 06:25更新
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harada yasuo
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