二上達也の情報(ふたかみたつや) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
二上 達也さんについて調べます
■名前・氏名 |
二上達也と関係のある人
佐伯昌優: 1972年、第21期棋聖戦の本戦で丸田祐三、二上達也に勝ち、準決勝進出(有吉道夫に敗れる)。 河口俊彦: アマチュアの神奈川県代表となったこともある(ちなみに囲碁の強い棋士としては河口、真部の他、花村元司、大山康晴、升田幸三、北村文男(囲碁・将棋双方のプロだった)、丸田祐三、佐藤庄平、二上達也らが挙げられる。 羽生善治: 羽生の師匠である二上達也、二上の師匠である渡辺東一も会長経験者であり、渡辺の師匠である関根金次郎も現行の日本将棋連盟につながる将棋大成会・(旧)日本将棋連盟の会長経験者であることから、実質師弟四世代で連盟会長の経験者となる。 高橋道雄: A級昇級を決めた2人がともに40歳以上であるのは、第43期の有吉道夫と二上達也以来。 山田道美: 打倒大山の担い手として二上達也、加藤一二三と共に期待されていたが、道半ばで急逝した。 徳川家治: 詰将棋作家としても名高いプロ棋士の二上達也は、家治の指将棋については「所詮は旦那芸」と切り捨てているが、詰将棋については「他の追随を許さぬ名作・好作を残している」と絶賛している。 羽生善治: 二上達也九段門で棋士番号は175。 佐藤大五郎: 升田幸三と二上達也には各々1勝1敗とするが、他の3名からは1勝も挙げられず、2勝8敗で陥落。 勝浦修: その二上達也が師範を務めていた新宿将棋センターでは、三段時代から手合い係を務めており、プロになってからも六段になるまで手合い係を続けた。 中原誠: 二上達也の後を受けて2003年より日本将棋連盟会長を1期務めたが、2005年会長職を米長邦雄に譲り、自らは副会長に就いた。 有吉道夫: 第12期(1962年度)には、二上達也、加藤一二三、升田幸三、山田道美らを破り6勝1敗で1位タイとなるが、プレーオフで二上に敗れ、挑戦権を逸する(一方の二上は、その勢いに乗ったまま大山から王将位を奪取する)。 鈴木大介: なお、この決勝の放送の冒頭で行われたインタビューで、「序盤で作戦負けして、逆転して勝つ」と述べたが、実際にそのとおりの展開で勝利し、解説者として出演していた二上達也日本将棋連盟会長(当時)を驚かせた。 勝浦修: また、兄弟子であり詰将棋仲間の二上達也九段を敬愛している一方で彼からも高い評価を受けており、後述するカミソリ流という名に掛けて「電動式ではない、詰将棋の作風も表しているゾーリンゲンのカミソリ」と評されている。 山口瞳: 没後、日本将棋連盟からアマ七段の免状(二上達也会長と羽生善治名人・竜王の署名入。 佐藤大五郎: 1964年、第4回「最強者決定戦」で二上達也・丸田祐三らを破り決勝進出。 大内延介: 日本将棋連盟の8人の理事のうち、朝日新聞社への移行に賛成していたのは大内、二上達也、田丸昇の3名のみで、他の5名は反対していた。 佐藤大五郎: 4勝3敗で勝ち越すが、同星の加藤博二・二上達也との残留決定戦で敗れ、リーグ陥落。 福崎文吾: 順位戦は第38期の初参加から連続の1期抜けで昇級を重ね、3期でB級1組まで昇級した(加藤一二三、中原誠、二上達也に次いで史上4人目のスピード昇級)。 加藤一二三: また、1973年には当時の連盟会長であった加藤治郎の提案により、九段昇格規定が見直され、新制度(点数制)の規定に基づき、運用が開始された11月3日付で中原誠・二上達也・丸田祐三と共に九段に昇格した(これ以前で九段であったのは名人3期以上の経験者である塚田正夫・大山康晴・升田幸三の3名のみ)。 東和男: 挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす(大内延介、二上達也らに勝利)。 森内俊之: 自身の師匠である勝浦と、羽生善治の師匠である二上達也は、いずれも渡辺東一名誉九段門下である。 大山康晴: 二上達也・山田道美・加藤一二三・内藤國雄といった若い俊才たちが次々に挑みかかったが、大山の正確な受けによる「受け潰し」に阻まれた。 |
二上達也の情報まとめ
二上 達也(ふたかみ たつや)さんの誕生日は1932年1月2日です。北海道出身の将棋棋士のようです。
引退、兄弟、卒業、病気、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2016年に亡くなられているようです。
二上達也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日 - 2016年(平成28年)11月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 1932年、北海道函館市の網元の家で8人兄弟の末子として生まれた。1939年に母が亡くなり、京都帝大を卒業した兄は太平洋戦争で北千島に出征した後にシベリア抑留を受けた。比較的裕福な家庭だったが、戦後の農地改革で土地を失い、インフレにより貯蓄の価値が失われ、父は1946年に病気で亡くなった。その頃に函館中学(後の北海道函館中部高等学校)へ通っていた二上は友人との将棋に時間を費やすようになり、やがてアマチュア六段の白土誠太郎の将棋会所で指導を受けるようになった。 1949年、17歳のときにアマ名人戦北海道大会で準優勝し、優勝した島田永信と共に北海道代表として東京で開かれたアマ名人戦に参加して二上は2回戦敗退、島田は優勝した。中央棋界との交流がある白土は日本将棋連盟会長を務めていた渡辺東一に二上を弟子とすることを提案した。シベリアから復員して函館中学の英語教師をしていた親代わりの兄は反対したが、軍で兄と面識のあった島田の説得もあり1950年に渡辺の内弟子となり上京した。 1950年4月、奨励会に二段で入会し、8か月後の同1950年11月に18歳で四段昇段しプロ入り。奨励会入会から四段昇段までの所要期間8か月は、四段昇段した棋士の中で「奨励会在籍最短記録」。 順位戦には1951年度の初参加から3年連続昇級して、一気にB級1組に上がる。さらに1年の間を置いて1956年にA級八段となる。入門から八段昇段までの所要期間6年間という最短記録は、その後も破られていない(2022年3月現在) 。 その後は23期連続でA級に留まり、名人へは3回挑戦した。1958年には準タイトル扱いの王座戦の決勝に進んだが、塚田正夫に敗れた。 初のタイトル挑戦は第10期(1959年度)九段戦であり、大山康晴三冠王(名人・九段・王将を独占)と戦ったが3勝4敗で敗れた。その直後の第9期王将戦でも大山に挑戦したが、2勝4敗で敗退した。第10期(1960年度)王将戦、第12期(1961年度)九段戦、第21期(1962年)名人戦では、四冠王の大山(新設の王位も含めて独占)と対決するが、いずれも敗退。 第12期(1962年度)王将戦では、今度は五冠王となっていた大山(新設の棋聖も含めて独占)を4勝2敗で破り、初のタイトルとなる王将を獲得。タイトル戦の数が3つの時代の1959年から続いていた大山の全冠独占を初めて崩した。 翌年度、王将を大山に奪還されて五冠復帰を許した。大山は1963年から1966年の間にタイトル19連続獲得を達成して五冠王を維持し、その間に二上はタイトル戦で大山に6回挑戦したがいずれも敗れた。第8期(1966年度前期)棋聖戦で大山を3勝1敗で破り、再び大山のタイトル独占を崩す。半年後に棋聖位を奪還され、再び大山が五冠を独占した。 大山とは、通算で45勝116敗、タイトル戦では20回対戦し奪取2・防衛0・敗退18であるが、大山の五冠独占を2度崩した。 1958年にA級入りした加藤一二三をはじめ、芹沢博文・山田道美・内藤國雄など年下の棋士が徐々に台頭した。1967年には山田が棋聖を獲得し、1968年には当時20歳の中原誠が当時の最年少記録で棋聖を獲得した。二上は1970年代に棋聖戦で4回、王座戦で1回、王将戦で1回タイトルに挑戦したが、いずれも敗れた。 1980年度後期の第37期棋聖戦で米長邦雄を破り、14年半ぶりにタイトル獲得。その後も1981年度の前期・後期で棋聖位を無敗で防衛し3連覇。1982年前期に森雞二に奪われ、通算5期が条件である永世棋聖にはなれなかった。なお、1981年度後期の棋聖位防衛による50歳のタイトル保持は、59歳で王将、54歳で棋聖のタイトルを保持していた大山康晴に次ぐ歴代2位の高齢記録である。 順位戦では1978年に6勝4敗で4名が並び、名人挑戦者を決めるプレーオフに出場し、二上は米長に敗れた。1979年には3勝6敗でB級1組へ降級したが翌1980年にはA級へ復帰した。1982年の2度目の降級後も2期後にA級へ復帰した。1986年に3度目に降級した後の1988年頃から引退を考え始め、1989年に公式戦であるオールスター勝ち抜き戦で弟子の羽生善治と対局して負けた際に最終的に引退を決意した(これが羽生との公式戦唯一の師弟対決である)。1990年3月31日に引退。 1967年から1973年の間、連盟の理事の一人となって出版などを担当した。勝負に集中するため1973年に辞任したが、将棋会館の建設問題が発生した。理事会が不透明な形で計画を進めたことに対して多数の棋士が反発し、二上は若手の代表として意見をまとめた。結果として1974年に当時の理事会が全て辞職し、塚田が会長、副会長に大山と中原、二上が専務理事となった。大山が建設担当となり東西に新しい将棋会館が建設された。 二上は理事として渉外を担当していたが、朝日新聞と契約していた名人戦の1976年度の交渉が難航し、合意に至らず順位戦・名人戦は中止された。代わりに名人戦の設立時にスポンサーだった毎日新聞が契約候補となり、棋士総会で毎日との契約が決定した。契約問題の責任をとって塚田理事会は総辞職し、新たに大山が会長に就任する際に二上は慰留を受けたが断って辞職した。 1989年5月、12年続いた大山会長に対する不満が若手・中堅の棋士の間で高まり、中原からの要請を受けて大山が最高顧問、二上が日本将棋連盟会長となった。二上は2003年5月まで、歴代最長の14年間に渡り会長を務めた。その間に女流王位戦、大山名人杯倉敷藤花戦の創設や竜王戦などのタイトル戦における女流枠の設定による女流棋士戦の活性化と、国際将棋フォーラムの開催による日本以外の国への普及活動を行った。 2016年11月1日、肺炎により死去。84歳没。 棋風は居飛車の攻め将棋。相掛かりガッチャン銀戦法は二上定跡として有名である。守りが薄い状態で攻め込むため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負した。木村14世名人は二上のスピードの早い将棋を評価した。塚田は、自身の師匠である花田長太郎と塚田を足して2で割った棋風と語った。大山によれば振り飛車を嫌っていたとされるが、自身では対大山で経験を積んだため振り飛車の相手が苦にならなくなったという。 上の世代の棋士は対局中につぶやいたり、歌を歌う等、相手を惑わせることを日常的に行ったが、二上は盤上での勝負にこだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後の棋士達はそうした行為をしない傾向があった。 二上は詰将棋作家でもあり、処女作品集「将棋魔法陣」等を出版している。アマチュア時代の1948年に将棋世界に掲載されたことを初めとして、50年以上の間に約1万題を作成した。スポーツ新聞では15年以上の間、定期的に出題を行った。将棋ペンクラブ名誉会長。 若い頃はスピード昇級したため上の世代との対決が多かったが、2年年上の熊谷達人は順位戦で競い、気が合った。同じ時期に奨励会を過ごした山田道美もA級まで昇ったが、1970年に病死した。後輩の北村昌男・芹沢博文は一緒に酒を飲む機会が多かった。詰将棋作家同士の縁から、内藤國雄とも親しくなった。 在任期間が歴代最長となった連盟会長としての実績はもちろん、棋士として最も脂がのっていた30代半ばから連盟理事を務めるなど、棋界の中でもその見識の高さと人柄は一目置かれていた。米長邦雄は「意見の対立があったときは両者の言い分を皆まで聞く必要はない。二上達也が正しいと思ったほうが、正しいのである」と二上の見識の高さを評したうえで、「もっとも、二上さんと喧嘩や口論をする人などありはしない。二上さんが怒れば、必ず相手が悪いに決まっている」と、その人柄にも敬意を払っていた。 若いときには「函館の天才」と呼ばれた。また、その容姿から、「北海の美剣士」とも呼ばれた。「ガミさん」というニックネームで呼ばれた。 カラオケが好きなことから、芹沢に「マイク二上」という呼び名をつけられたこともある。 (2023年11月25日現在) 約10人の弟子を取ったが、その中から棋士となったのは上記の2名だけである。 1950年04月00日 : 二段 = 奨励会入会 1950年11月00日 : 四段 = プロ入り 1952年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級) 1953年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級) 1954年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級) 1956年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級) 1973年11月03日 : 九段(九段昇格規定30点) 1990年03月31日 : 引退 856勝 752敗 勝率0.532 タイトル戦登場 合計26回
十段:03回 - 0第4期〈1965年度〉- 6期 九段:02回 - 第10期〈1959年度〉、12期 王位:01回 - 0第5期〈1964年度〉 王将:05回 - 0第9期〈1959年度〉-10期、12-13期、19期 棋聖:12回 - 0第2期〈1963年度前期〉、7-9期、19期、26-27期、33期、37-40期 優勝合計5回 最強者決定戦 1回(1961年度 = 第1回) 高松宮賞争奪選手権戦 1回(1962年度 = 第7回) 日本将棋連盟杯争奪戦 1回(1976年度 = 第9回) ほか2回 0第8回(1980年度) 最優秀棋士賞 第17回(1989年度) 特別賞 第31回(2003年度) 東京将棋記者会賞 順位戦A級 連続23期(第11-30期/第36-38期) 順位戦A級 通算27期(上記連続23期のほか、 第40-41期、第44-45期) 竜王戦1組 連続3期・通算3期(第1-3期) 1977年 - 通算600勝達成(将棋栄誉賞、史上4人目の受賞) 1987年 - 通算800勝達成(将棋栄誉敢闘賞、史上4人目の受賞) 二段から八段昇段までの所要年数6年は最速記録 入門から八段昇段までの所要年数6年は最速記録 A級在位27期は名人位獲得歴が無い棋士に限定すると最多記録 名人戦七番勝負出場3回は名人位獲得歴が無い棋士に限定すると最多記録 タイトル無冠期間14年0か月(1966年度後期・第9期棋聖失冠〜1980年度後期・第37期棋聖奪取)は最長記録 同一タイトル復位29期ぶり(棋聖、1966年度後期・第9期で失冠、1980年度後期・第37期で奪取)は最長記録 1992年4月29日 紫綬褒章(将棋棋士で名人未経験者では唯一の受章) 2001年 函館市栄誉賞 2002年 勲四等旭日小綬章 二上達也『二上詰将棋選集』日本将棋連盟、2002年。ISBN 4-8197-0257-2。 二上達也『棋士』晶文社、2004年。ISBN 4-7949-6619-9。 二上達也『棋を楽しみて老いるを知らず』東京新聞出版局、2006年。ISBN 4-8083-0851-7。 ^ 日本将棋連盟の棋士データベースでは、二上の引退日が「3月1日」となっているが、3月1日以降も公式戦4局の対局が行われている。 ^ 小学校1年から6年まで二上の最初の弟子である中嶋克安指導棋士六段(家庭の事情で引退)が主催する「八王子将棋クラブ」で指導を受け、小学生将棋名人戦で優勝したあと奨励会入りし二上門下となった。 ^ 1960年に七段。函館市中央図書館 (2008年3月31日). “はこだて人物誌 白土誠太郎”. 2011年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月14日閲覧。 ^ 二上より年下で同じ函館出身の北村昌男は既に白土の紹介で渡辺の弟子となっていた。二上(2004) 34-35頁 ^ 第30期までの順位戦の期数は、名人戦の期数に対して5期のずれがあり、第36期から名人戦と順位戦の期数がそろえられた。このため、第31から35期の順位戦は存在しない。つまり、第11期から第38期までは連続23期のA級在籍である。 ^ 50代の棋士のタイトル保持は、49歳11か月で名人のタイトルを獲得した米長邦雄を含めても、3人しかいない ^ 「将棋魔法陣」は1953年に約200部を発行した。 ^ “将棋の二上達也九段が死去 元将棋連盟会長 弟子に羽生善治ら”. スポニチアネックス. (2016年11月4日14時20分). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/04/kiji/K20161104013660420.html 2016年11月4日閲覧。 ^ “訃報 二上達也九段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2016年11月4日). 2017年8月23日閲覧。 ^ 青野照市編 編『将棋年鑑 平成21年版』日本将棋連盟、2008年、521頁。ISBN 978-4-8399-3261-9。 ^ “創立・沿革|将棋連盟について|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ 二上(2004) 15頁 ^ 二上(2004) 22頁、二上(2008) 40、45-48頁 ^ 二上(2008) 47-48頁 ^ 二上(2004) 40頁、50-53頁 ^ 二上(2004) 34-35頁 ^ 二上(2008) 62-64頁 ^ 二上(2004) 43頁 ^ 二上(2004) 50頁 ^ 2023年12月17日放送「将棋フォーカス」(NHK Eテレ)による。 ^ 二上(2004) 71頁 ^ 二上(2004) 95頁 ^ “九段戦(全日本選手権戦)・十段戦|終了・休止棋戦|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ “王将戦|棋戦|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ “名人戦・順位戦|棋戦|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ 二上(2004)112-113頁 ^ 二上(2004) 116頁 ^ “棋聖戦|棋戦|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ 二上(2004) 152頁 ^ “王座戦|棋戦|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月23日閲覧。 ^ 二上(2004) 174-178頁 ^ 二上(2004) 145-149頁 ^ 二上(2004) 150-154頁 ^ 二上(2004) 155-160頁 ^ 二上(2004) 189-193頁 ^ 「将棋の公式」加藤治郎著より ^ 二上(2004) 71-76頁 ^ 二上(2004) 94-96頁 ^ 大山康晴『昭和将棋史』岩波書店、1988年。ISBN 4-00-430007-X。 177-178頁 ^ 二上(2004) 166-167頁 ^ 二上(2004) 85-86頁、127-135頁 ^ 「将棋世界」2000年1月号付録 ^ 二上(2004) 182-183頁 ^ 二上(2008) 218-220頁 ^ 二上達也『詰め物そぞろある記』毎日コミュニケーションズ、1994年、7頁。ISBN 4-89563-602-X。 ^ 二上(2004) 68-69頁 ^ 二上(2004) 141-142頁 ^ 二上(2004) 102-103頁 ^ 二上(2004) 185-187頁 ^ 『米長邦雄勝局集』(電子書籍版(2020年刊行))講談社、1984年9月10日、64頁。ISBN 9784061833364。 ^ 二上(2004) 151頁 ^ 二上達也『詰め物そぞろある記』毎日コミュニケーションズ、1994年、41頁。ISBN 4-89563-602-X。 ^ 二上(2004) 169-173頁 ^ 『「近代将棋」1990年5月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、219頁。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「秋の叙勲 染織作家・平良敏子さんと日本将棋連盟会長・二上達也さんに聞く」『読売新聞』2002年11月3日朝刊 二上達也『棋士』晶文社、2004年。ISBN 4-7949-6619-9。 二上達也『棋を楽しみて老いるを知らず』東京新聞出版局、2006年。ISBN 4-8083-0851-7。 将棋棋士一覧 将棋のタイトル在位者一覧 二上達也|棋士データベース|日本将棋連盟 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 表 話 編 歴 01. 木村義雄 (1947) 02. 渡辺東一 (1948-1952) 03. 坂口允彦 (1953-1954) 04. 萩原淳 (1955-1956) 05. 加藤治郎 (1957-1960) 06. 原田泰夫 (1961-1966) 07. 坂口允彦 (1967-1968) 08. 丸田祐三 (1969-1972) 09. 加藤治郎 (1973) 10. 塚田正夫 (1974-1976) 11. 大山康晴 (1977-1988) 12. 二上達也 (1989-2002) 13. 中原誠 (2003-2004) 14. 米長邦雄 (2005-2012) 15. 谷川浩司 (2012-2017) 16. 佐藤康光 (2017-2023) 17. 羽生善治 (2023-現在) 表 話 編 歴 01. 大山康晴 (1962 後期) 02. 大山康晴 (1963 前期) 03. 大山康晴 (1963 後期) 04. 大山康晴 (1964 前期) 05. 大山康晴 (1964 後期) 06. 大山康晴 (1965 前期) 07. 大山康晴 (1965 後期) 08. 二上達也 (1966 前期) 09. 大山康晴 (1966 後期) 10. 山田道美 (1967 前期) 11. 山田道美 (1967 後期) 12. 中原誠_ (1968 前期) 13. 中原誠_ (1968 後期) 14. 中原誠_ (1969 前期) 15. 内藤國雄 (1969 後期) 16. 大山康晴 (1970 前期) 17. 中原誠_ (1970 後期) 18. 中原誠_ (1971 前期) 19. 中原誠_ (1971 後期) 20. 中原誠_ (1972 前期) 21. 有吉道夫 (1972 後期) 22. 米長邦雄 (1973 前期) 23. 内藤國雄 (1973 後期) 24. 大山康晴 (1974 前期) 25. 大山康晴 (1974 後期) 26. 大山康晴 (1975 前期) 27. 大山康晴 (1975 後期) 28. 大山康晴 (1976 前期) 29. 大山康晴 (1976 後期) 30. 大山康晴 (1977 前期) 31. 中原誠_ (1977 後期) 32. 中原誠_ (1978 前期) 33. 中原誠_ (1978 後期) 34. 中原誠_ (1979 前期) 35. 中原誠_ (1979 後期) 36. 米長邦雄 (1980 前期) 37. 二上達也 (1980 後期) 38. 二上達也 (1981 前期) 39. 二上達也 (1981 後期) 40. 森雞二_ (1982 前期) 41. 中原誠_ (1982 後期) 42. 森安秀光 (1983 前期) 43. 米長邦雄 (1983 後期) 44. 米長邦雄 (1984 前期) 45. 米長邦雄 (1984 後期) 46. 米長邦雄 (1985 前期) 47. 米長邦雄 (1985 後期) 48. 桐山清澄 (1986 前期) 49. 桐山清澄 (1986 後期) 50. 桐山清澄 (1988 前期) 51. 南芳一_ (1988 後期) 52. 田中寅彦 (1989 前期) 53. 中原誠_ (1989 後期) 54. 中原誠_ (1989 前期) 55. 中原誠_ (1989 後期) 56. 屋敷伸之 (1990 前期) 57. 屋敷伸之 (1990 後期) 58. 南芳一_ (1991 前期) 59. 谷川浩司 (1991 後期) 60. 谷川浩司 (1992 前期) 61. 谷川浩司 (1992 後期) 62. 羽生善治 (1993 前期) 63. 羽生善治 (1993 後期) 64. 羽生善治 (1994 前期) 65. 羽生善治 (1994 後期) (第66期より年1期制) 66. 羽生善治 (1995) 67. 三浦弘行 (1996) 68. 屋敷伸之 (1997) 69. 郷田真隆 (1998) 70. 谷川浩司 (1999) 71. 羽生善治 (2000) 72. 郷田真隆 73. 佐藤康光 74. 佐藤康光 75. 佐藤康光 76. 佐藤康光 77. 佐藤康光 78. 佐藤康光 79. 羽生善治 80. 羽生善治 (2009) 81. 羽生善治 (2010) 82. 羽生善治 83. 羽生善治 84. 羽生善治 85. 羽生善治 86. 羽生善治 87. 羽生善治 88. 羽生善治 89. 豊島将之 90. 渡辺明_ (2019) 91. 藤井聡太 (2020) 92. 藤井聡太 93. 藤井聡太 94. 藤井聡太 95. 藤井聡太 96. (棋戦進行中) (2025) 大山康晴(第5期) 中原誠(第18期) 米長邦雄(第45期) 羽生善治(第66期) 佐藤康光(第77期) 藤井聡太(第95期) 表 話 編 歴 (第1回は一般棋戦)- __第1期. 升田幸三 02. 大山康晴 03. 大山康晴 04. 大山康晴 05. 升田幸三 06. 升田幸三 07. 大山康晴 08. 大山康晴_ 09. 大山康晴 10. 大山康晴 (1960年度) 11. 大山康晴 12. 二上達也 13. 大山康晴 14. 大山康晴 15. 大山康晴 16. 大山康晴 17. 大山康晴 18. 大山康晴_ 19. 大山康晴 20. 大山康晴 (1970年度) 21. 大山康晴 22. 中原誠_ 23. 中原誠_ 24. 中原誠_ 25. 中原誠_ 26. 中原誠_ 27. 中原誠_ 28. 加藤一二三 29. 大山康晴 30. 大山康晴 (1980年度) 31. 大山康晴 32. 米長邦雄 33. 米長邦雄 34. 中原誠_ 35. 中村修_ 36. 中村修_ 37. 南芳一_ 38. 南芳一__ 39. 米長邦雄 40. 南芳一_ (1990年度) 41. 谷川浩司 42. 谷川浩司 43. 谷川浩司 44. 谷川浩司 45. 羽生善治 46. 羽生善治 47. 羽生善治 48. 羽生善治_ 49. 羽生善治 50. 羽生善治 (2000年度) 51. 佐藤康光 52. 羽生善治 53. 森内俊之 54. 羽生善治 55. 羽生善治 56. 羽生善治 57. 羽生善治 58. 羽生善治_ 59. 久保利明 60. 久保利明 (2010年度) 61. 佐藤康光 62. 渡辺明_ 63. 渡辺明_ 64. 郷田真隆 65. 郷田真隆 66. 久保利明 67. 久保利明 68. 渡辺明__ 69. 渡辺明_ 70. 渡辺明_ (2020年度) 71. 藤井聡太 72. 藤井聡太 73. 藤井聡太 74. (予選 進行中、2024年度) 大山康晴 羽生善治 表 話 編 歴 3 松下力(12) 6 大友昇(14) 15 内藤國雄(15) 16 西村一義(10) 1 山田道美 2 米長邦雄 3 中原誠 4 内藤國雄 5 大山康晴 6 内藤國雄 7 大内延介 8 大山康晴 9 二上達也 10 板谷進 11 大山康晴 12 大山康晴 13 大内延介 14 勝浦修 15 森安秀光 16 米長邦雄 17 田中寅彦 1 加藤一二三 2 高橋道雄 3 羽生善治 4 羽生善治 5 谷川浩司 6 森下卓 7 谷川浩司 8 高橋道雄 大阪新聞社 表 話 編 歴 1 丸田祐三 2 大野源一 3 升田幸三 1 下平幸男 2 加藤一二三 3 灘蓮照 4 加藤一二三 1 二上達也 2 灘蓮照 3 廣津久雄 4 内藤國雄 5 山田道美 6 内藤國雄 7 山田道美 8 山田道美 9 有吉道夫 10 内藤國雄 11 中原誠 12 有吉道夫 13 原田泰夫 共同通信社 古豪新鋭戦 表 話 編 歴 1 加藤一二三 2 丸田祐三 3 丸田祐三 4 原田泰夫 5 大山康晴 6 大山康晴 7 二上達也 8 大野源一 9 加藤一二三 10 山田道美 11 有吉道夫 1 下平幸男 2 梶一郎 3 関根茂 4 芹沢博文 5 長谷部久雄 6 有吉道夫 7 大友昇 8 加藤博二 9 花村元司 10 北村昌男 11 加藤一二三 東京新聞社 表 話 編 歴 74 大山康晴 75 中原誠 76 中原誠 77 中原誠 78 中原誠 79 米長邦雄 80 大山康晴 81 二上達也 82 加藤一二三 83 中原誠 84 米長邦雄 85 米長邦雄 86 谷川浩司 87 高橋道雄 88 谷川浩司 89 羽生善治 90 羽生善治 91 谷川浩司 92 谷川浩司 93 羽生善治 94 羽生善治 95 羽生善治 96 羽生善治 97 羽生善治 98 谷川浩司 99 羽生善治 00 羽生善治 01 羽生善治 02 羽生善治 03 羽生善治 04 森内俊之 05 羽生善治 06 羽生善治 07 佐藤康光 08 羽生善治 09 羽生善治 10 羽生善治 11 羽生善治 12 羽生善治 13 渡辺明 14 森内俊之 15 羽生善治 16 羽生善治 17 佐藤天彦 18 羽生善治 19 豊島将之 20 渡辺明 21 藤井聡太 22 藤井聡太 23 藤井聡太 24 藤井聡太 表 話 編 歴 74 木村義雄 75 大山康晴 76 大山康晴 84 谷川浩司 85 加藤治郎 86 大山康晴 87 大内延介 90 二上達也 92 大山康晴 94 米長邦雄 95 谷川浩司 96 羽生善治 97 清水市代 99 村山聖 03 谷川浩司 09 中原誠 13 羽生善治 17 加藤一二三 18 藤井聡太 20 木村一基 表 話 編 歴 81 松下力 82 原田泰夫 83 角田三男 84 荒巻三之 85 金子金五郎 86 渡辺東一 , 花村元司 87 山本武雄 88 高柳敏夫 89 廣津久雄 90 佐瀬勇次 91 五十嵐豊一 92 加藤治郎 93 大山康晴 94 蛸島彰子 95 長谷部久雄 96 丸田祐三 97 木村義徳 98 内藤國雄 99 加藤博二 00 関根茂 , 関根紀代子 01 有吉道夫 02 加藤一二三 03 西村一義 04 二上達也 05 河口俊彦 06 瀬川晶司 07 コンピュータ将棋協会 08 真部一男 09 大内延介 10 谷川治恵 11 佐伯昌優 12 勝浦修 13 石田和雄 14 滝誠一郎 15 佐藤義則 16 淡路仁茂 17 森信雄 18 森雞二 19 伊藤果 20 高橋和 21 杉本昌隆 22 桐山清澄 23 田中寅彦 , 中田宏樹 24 小林健二 , 小山怜央 VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 将棋棋士 紫綬褒章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 私の履歴書の登場人物 北海道函館中部高等学校出身の人物 北海道出身の人物 1932年生 2016年没 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/13 09:30更新
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futakami tatsuya
二上達也と同じ誕生日1月2日生まれ、同じ北海道出身の人
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