大内延介の情報(おおうちのぶゆき) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大内 延介さんについて調べます
■名前・氏名 |
大内延介と関係のある人
佐々木勇気: 「横歩取り勇気流」は、大内延介から愛蔵の将棋盤を2015年に譲り受けたのを契機に、その盤に向かい合って研究を重ね、自分の将棋について深く考えることが増えた中で生まれた。 真部一男: その後、真部の通夜が行われた11月27日のC級2組順位戦、村山慈明-大内延介戦で再び同一局面が出現し、後手の大内が34手目にこの手を指した。 関屋喜代作: 同年、第10回全日本プロトーナメント2回戦で佐藤康光を下し3回戦に駒を進めるが、大内延介に敗れる。 加藤一二三: 一方、棋王戦においては1976年度に大内延介から2度目のタイトルを獲得し、翌1977年度に中原の挑戦を受けるが今度は逆にストレートで防衛を果たした。 西村一義: クリーニング店で住み込みで働きながら将棋道場に通い、土居市太郎門下の関屋喜代作四段(当時)、大内延介4級(当時)、高柳敏夫門下の中原誠などの指導を受けた。 吉永小百合: 夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、大内延介と交遊があった。 飯田弘之: 棋士としては大内延介九段門下で、棋士番号は159。 藤森奈津子: 大内延介門下。 芹澤博文: 1973年度は、最終局に星取りでライバルだった大内延介との直接対戦に敗れてしまい、昇級を逃す。 東和男: 挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす(大内延介、二上達也らに勝利)。 西村一義: 大内延介と並ぶ振り飛車穴熊の先駆者としても有名。 大野源一: 彼の戦法は後に大内延介、近藤正和らに受け継がれているといわれる。 淡路仁茂: 勝敗に関わらず引退となる対局に勝ち「有終の美」を飾ったケースは、大内延介以来5年ぶりであった。 芹沢博文: 1973年度は、最終局に星取りでライバルだった大内延介との直接対戦に敗れてしまい、昇級を逃す。 樫山文枝: 素晴らしき地球の旅 大内延介九段 アジア縁台将棋紀行(NHKデジタルラジオ、ナレーション、1995年) 淡路仁茂: 反則負けの他、2007年6月7日・第20期竜王戦5組昇級者決定戦2回戦(対大内延介戦)では時間切れによって敗北した。 勝浦修: 1962年には十段戦でアマチュア枠において参加、大内延介に敗れた。 日色ともゑ: 父親が将棋の観戦記者だったこともあり、幼少の頃から父親に付いて対局場などに出入りする機会が多く、大内延介や米長邦雄といった同世代の棋士とは、彼らの修業時代から数えて五十年来の付き合いという。 田村康介: 大内延介九段門下。 藤森奈津子: 師匠の大内延介が1999年から新橋駅SL広場で行っている、春の名人戦・秋の竜王戦の大盤解説会では、毎回聞き手を務めている。 佐伯昌優: 1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。 中原誠: 大内延介と戦った1975年の名人戦(中原4-大内3、持1)では、途中2勝3敗となり角番に追い込まれるも、第7局で大内必勝の局面での大内の悪手(107手目▲7一角)に助けられて持将棋に持ち込み、薄氷の逆転防衛をする。 |
大内延介の情報まとめ
大内 延介(おおうち のぶゆき)さんの誕生日は1941年10月2日です。東京出身の将棋棋士のようです。
卒業、引退、趣味、家族、現在、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2017年に亡くなられているようです。
大内延介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日)は、将棋棋士。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京府東京市(現:東京都港区)出身。中央大学卒業。 小学4年生のとき、将棋道場で二枚落ちで3連敗し、それがきっかけで将棋にのめりこむ。小学6年生の頃には、将棋の駒の名産地として知られる山形県天童市にて、1か月間の将棋修行をした。 1954年、土居市太郎名誉名人の最後の弟子として入門。1963年4月1日の四段昇段(プロ入り)は、同じ中大の後輩である米長邦雄と同期である。大内と、高島弘光、西村一義、山口英夫との4名は同年生まれで若手時代から活躍して「花の昭和16年組」と呼ばれた。 順位戦では初出場となった第18期(C級2組)・第19期(C級1組)と連続で昇級した。 1967年、第8期王位戦にて大山康晴への挑戦権を獲得し、タイトル戦番勝負に初登場。段位が六段のままタイトル棋戦に挑戦した棋士は当時史上初だったが、七番勝負は1勝4敗で敗退した。 1972年度・第27期順位戦で初のA級在位(成績は最下位に終わった。)。 穴熊戦法を駆使し、2回目のA級で迎えた1974年度・第29期順位戦では7勝2敗と最高成績を修め、翌1975年に開催された第34期名人戦で中原誠の挑戦者となった。二人は対比的に、“中原は王道、大内は覇道”と表現された。この名人戦で大内は中原と互角に戦い、3勝3敗でフルセットとなり(このほか千日手も1局あった)、迎えた最終第7局は1日目の封じ手の時点で大内が大優勢となった。しかし、勝利目前でミス(手順前後)をして勝ちを逃し、持将棋に持ち込まれてしまった。これについて大内自身は後年に「対局室(羽沢ガーデン)の近くにビアガーデンがあり、そこから聞こえる酔った人の話し声と将棋の読みとの‘葛藤’があり、後で指すべき手を先に指してしまった」と語っていた。そして指し直しの第8局で敗れ、名人を獲得することができなかった。 タイトル戦に昇格した第1期(1975年度)棋王戦で敗者復活戦を勝ち抜き、棋王決定リーグに進出。前年棋王戦優勝の内藤國雄と本戦優勝の高島弘光との三者によるリーグ戦で内藤と相星の3勝1敗となり、同点決勝で内藤を破り、自身初のタイトルとなる棋王の座を獲得。翌期には加藤一二三の挑戦を受け、3連敗のストレート負けで失冠した。 日本将棋連盟渉外担当理事だった1991年8月、大内は朝日新聞社に名人戦(当時は毎日新聞社主催)主催に復帰する考えがあるか打診した。日本将棋連盟の8人の理事のうち、朝日新聞社への移行に賛成していたのは大内、二上達也、田丸昇の3名のみで、他の5名は反対していた。その後、1991年9月・1992年3月・1992年5月の棋士会でも反対意見に押され、廃案となった。 第68期(2009年度)順位戦でC級2組からの降級が決定。当時既に60歳を超えていた関係上、フリークラスに編入を経ずに引退が決まった。タイトル獲得歴を有する棋士が順位戦C級2組から降級して引退するケースは、同年の有吉道夫と共に初であった。引退決定(当期順位戦終了)時点で第23期竜王戦で5組に在籍し、昇級者決定戦及び残留決定戦に出場する権利を残しており、昇級者決定戦は1回戦(2010年3月17日)で泉正樹に敗北、そして勝敗に関わらず引退日となる2010年4月20日の竜王戦5組残留決定戦で石田和雄に勝ち、石田を6組に降級させ、自身は6組降級(の成績)の汚点を棋士人生に残すことなく、勝負師として最後の華を飾った。 2017年6月23日に死去(死因は非公表)。75歳没。 葬儀は近親者のみで済ませ、7月17日に東京・将棋会館で「お別れの会」を開催した。囲碁を趣味とした大内に、日本棋院から囲碁アマ八段が追贈され、女優の吉永小百合(吉永は、家族ぐるみで、数十年の親交があった)など、関係者と一般の将棋ファンを合わせて約500名が出席した。 2018年4月2日に発表された第45回将棋大賞(2017年度)で、大内に升田幸三賞特別賞が贈られた。受賞事由は「振飛車穴熊を戦法に確立した工夫」。 振飛車穴熊を駆使して「怒濤流」と呼ばれた。邪道視されていた穴熊をプロの戦法に昇華させ、「穴熊党総裁」との呼び名がある(なお、副総裁と呼ばれたのは西村一義)。 生家は洋服店を営んでいたが、和服を好み、タイトル戦などを除く通常の対局でもよく着用した。 将棋のルーツについての研究家でもあり、著書に「将棋の来た道」「アジア勝負の旅」がある。 江戸っ子気質の持ち主として知られ、それを物語るエピソードに事欠かなかった。 第2期棋王戦の番勝負に先立ち、挑戦者の加藤一二三に対局時の癖(空咳をする、相手の後ろに回り込んで将棋盤を見るなど)の改善を求め、将棋連盟理事会に申し入れをした。「気にしては損だとわかってはいるんだけど、気になるのだからしようがない」と語っていた。自身のタイトル防衛がかかった第2期棋王戦は加藤に3連敗で敗れ棋王を失冠した。 1991年の竜王戦予選で、当時五段の村山聖と対局した際、爪を切るのを嫌って伸ばしていた村山に、「駒に傷もつくし、相手にも失礼だろう」と年長棋士として遠慮なく注意した。厳しく言われた村山は落ち込んだ様子を見せたとするものの、当該対局には勝った。 当時奨励会初段だった阿久津主税と将棋会館の控え室で鉢合わせになった際、阿久津が畏れ多さの余り目を逸らしたことに対し、「なぜ挨拶しない、師匠は誰だ」と咎め、阿久津が「滝先生です。」と返答するやいなや、「自分の師匠のことを人前で『先生』なんて付けて呼ぶ奴があるか!」と強く叱責した。阿久津はこの件を人格的な成長のきっかけになったと述懐した。なお、大内自身も、修業時代に木村義雄十四世名人から「君の師匠は?」と聞かれて「土居先生です」と答えてしまい、木村に「土居先生ですという言い方はないよ。土居ですといいたまえ」と同じように叱責された経験を持っていた。 2006年5月1日に妻が死去。 若き時代は、スキーやゴルフ、登山などのスポーツに熱中しており、特にスキーは1級指導員の資格を保有するほどの腕前であった。 1993年から1996年まで日本将棋連盟の専務理事を務め、1999年から開始された国際将棋フォーラムの立ち上げなどで活躍した。 長きにわたり、新橋駅SL広場で名人戦(春)ならびに竜王戦(秋)の大盤解説会を開催していた(聞き手は弟子の藤森奈津子)。2017年6月に死去したが、同年秋、弟子たちによって第30期竜王戦の大盤解説会が引き続き開催された(第4局(2017年11月24日、鈴木大介・藤森奈津子・梶浦宏孝)、第5局(2017年12月5日、鈴木大介・藤森奈津子・藤森哲也))。2018年春の名人戦でも同様であり、大内の志を弟子たちが引き継いでいる。 一周忌のしばらく後の2018年7月16日に、(株)囲碁将棋チャンネル・日本将棋連盟の主催、「大内延介九段一門」の協力で、「大内門下杯 子ども将棋大会」が開催された。大内延介九段一門として名を連ねたのは、塚田泰明・鈴木大介・富岡英作・田村康介・梶浦宏孝、および藤森奈津子(LPSA)の6名。 (段位・主な活躍は2024年4月1日現在のもの。) 鈴木の「大介」という名前は、鈴木の親が大内の名前にあやかって命名したとされる。 孫弟子は2011年10月1日付で四段に昇段した藤森哲也(五段・塚田門下)・2015年4月1日付で四段に昇段した梶浦宏孝(七段・鈴木門下)・2014年10月1日付で女流2級に昇級した塚田恵梨花(女流二段・塚田門下)の3人がいる。 第42期(1984年度)順位戦10回戦・関西将棋会館での小林健二との対局で、対局場を東京・将棋会館と勘違いして不戦敗となった。この1敗が響いて大内は翌第43期にB級2組に降級した。 2003年10月10日、数名の知人と韓国へ観光に向かう途中だったが、成田空港を午前9時50分に出発するソウル行き日本航空951便を利用しようとし、搭乗手続きは済ませていたものの、搭乗口に現れるのが遅れて同便に搭乗できなかった。飛行機が離陸態勢に入った後の午前10時10分頃に搭乗口に現れ、自分を搭乗させるよう求めて騒ぎを起こし、日本航空関連会社の男性管理職(42歳)と口論して、男性管理職の顔を殴って軽傷(殴ったのは1回、全治3週間と診断された)を負わせた。同空港を所轄する千葉県警新東京空港署から事情聴取を受けた大内は容疑を認め、同署は逃亡の恐れがないとして釈放した。事情聴取が終了した後、他の航空会社の便でソウルに向かった。2003年10月15日、日本将棋連盟理事会に謝罪文を提出した。 1954年00月00日 : 6級 = 奨励会入会 1958年00月00日 : 初段 1963年04月01日 : 四段 = プロ入り 1964年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級) 1965年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級) 1970年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級) 1972年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級) 1984年04月01日 : 九段(勝数規定/八段昇段後公式戦250勝) 2010年04月20日 : 引退(フリークラス棋士引退規定) 2017年06月23日 : 死去 棋王 1期(1975年度 = 第1期)
タイトル戦 登場回数(合計 4回)
王位:1回(第8期〈1967年度〉) 棋王:2回(第1期〈1975年度〉、第2期) 全日本プロトーナメント 1回(1986年度 = 第5回) NHK杯戦 1回(1975年度 = 第25回) オールスター勝ち抜き戦5勝以上 1回(1978年度 = 第1回 9連勝) 日本将棋連盟杯争奪戦 2回(1974年度 = 第7回、1980年度) 古豪新鋭戦 2回(1961年度 = 第5回、1962年度) 名人戦復帰記念特別棋戦 1回(1976年度) 第2回(1974年度) 連勝賞・殊勲賞 第3回(1975年度) 敢闘賞 第5回(1977年度) 連勝賞 第14回(1986年度) 特別賞 第36回(2008年度) 東京将棋記者会賞 第45回(2017年度) 升田幸三賞特別賞(没後受賞) 1982年 産経児童出版文化賞(『決断するとき 将棋に生きる』) 1987年 将棋栄誉賞(通算600勝達成) 1987年 現役勤続25年 2000年 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝達成) 2002年 現役勤続40年 2015年 旭日双光章 名局集 将棋戦型別名局集 1 (穴熊名局集)大内延介 監修 日本将棋連盟 2015 大内延介名局集(2012年5月、マイナビ、ISBN 4839942056) 大内の名局(一手精読・現代将棋)(1984年、筑摩書房) 教則本 実戦・詰将棋を楽しむ : 頭の体操 大内延介 著 日東書院 2003 将棋・端攻め全集―破壊力抜群の必勝手筋 (PERFECT SERIES)(1998年、日本将棋連盟)[将棋連盟文庫、2011年] 羽生善治に学ぶ子どものための「超」集中記憶術 大内延介 監修 講談社 1997 必勝向かい飛車 : 豪快!攻める怒濤流 大内延介 著 日本将棋連盟 1996(Super series) 天才たちの名手 : 将棋史を変えた次の一手 大内延介 著 三一書房 1995(三一将棋シリーズ) 次の一手でわかる寄せの決め手 大内延介 著 三一書房 1994(三一将棋シリーズ) 初心者のための大内延介の将棋必勝定跡 大内延介 著 日東書院 1994 将棋必勝手筋100 日本将棋連盟(SUPER SERIES) 1994 大内延介の最新詰将棋200選 : 初心者から有段者まで 大内延介 著 日東書院 1994 史上最強の穴熊(全2巻、1994年、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-610-0 ほか) 穴熊戦法 イビアナ・振り飛車穴熊のすべて(1990年1月、創元社、ISBN 4-422-75072-0) 大内延介の初歩の基本戦法(1986年9月、日東書院、ISBN 4-528-00486-0) 必勝向かい飛車(1984年、日本将棋連盟) 日本将棋大系 10 大橋柳雪(解説)(1978年8月、筑摩書房) 5七銀左戦法 大内将棋文庫(1975年、大泉書院) エッセイ 大内怒涛流アジア勝負の旅 朝日ソノラマ 1996 将棋の来た道(1986年12月、めこん、ISBN 4-8396-0032-5)[小学館文庫、1998年] 決断するとき 将棋に生きる(1981年7月、筑摩書房・ちくま少年図書館、ISBN 4-480-04056-0)[ちくま文庫、1987年] 共著 名匠の棋跡 大内延介 (著), 天狗太郎 (著) 時事通信社 1980 振飛車のルーツ 大内延介 (著), 天狗太郎 (著) 時事通信社 1982 将棋‐こう指せば勝つ 大内延介 (著), 天狗太郎 (著) 日本文芸社 1985 ^ 2009年の第67期名人戦第6局の立会人を務めた際、1日目のテレビ中継(NHK衛星第2テレビジョン、2009年6月15日午前)で、大内の名人戦登場の映像が紹介された際、アナウンサーが、「名人位に手が届くとなると平常心を保てなくなるか」と質問したのに対して語ったものである。なお、語った後、微笑しながら「一生言うまいと思っていましたが、気が緩みましたね」と述懐した。 ^ のちに淡路仁茂九段も同様の形で有終の美を飾る(2015年5月21日竜王戦5組残留決定戦・対森雞二) ^ 2019年現在の規定では、引退内定の時点で竜王戦5組に残留した場合は竜王戦のみ最長2年間延長して出場できる。但し同規定は2010年7月9日に改訂されたものであり、大内は翌期竜王戦には出場できなかった。 ^ 東京都は1943年設置。港区は1947年に芝区、麻布区、赤坂区が合併して成立。 ^ “大内延介九段 訃報ならびに「お別れの会」のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年6月26日). 2017年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月26日閲覧。 ^ “将棋部会”. 白門 中央大学学員会名古屋支部. 2019年7月25日閲覧。 ^ 「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録。 ^ 田丸昇『運命の一着』(毎日コミュニケーションズ)P.75 ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65 ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66 ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70 ^ “訃報 大内延介さん75歳=将棋棋士九段、怒濤流の棋風”. 毎日新聞 (2017年6月26日). 2017年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月5日閲覧。 ^ 田丸昇 (2017年7月27日). “『山口瞳、吉永小百合をも魅了した大内延介九段の生涯』-「将棋界を斬る 田丸昇九段の眼」”. 日刊ゲンダイ. 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月26日閲覧。 ^ “大内延介九段「お別れの会」 - 関係者・ファン約500人が参会”. 日本将棋連盟 (2017年7月18日). 2017年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月18日閲覧。 ^ “大内九段に別れ - 将棋・500人が惜しむ”. 朝日新聞 (2017年7月21日). 2017年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月21日閲覧。 ^ 「最優秀棋士賞に羽生善治竜王、特別賞に藤井聡太六段。第45回将棋大賞決まる|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2018年4月2日。オリジナルの2018年4月2日時点におけるアーカイブ。2018年4月2日閲覧。 ^ “穴熊名局集~穴熊の名棋士へインタビュー~|将棋情報局”. マイナビ出版 将棋情報局 (2015年5月19日). 2018年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。 ^ 中平 1974, pp. 87–95, 奇行 ^ 山田 2002, p. 167 ^ 山田 2002, p. 70 ^ NHKテレビテキスト 「将棋講座」2012年5月号。 ^ “新橋SL広場で将棋の名人戦大盤解説会-今年も大内九段が登壇” (日本語). 新橋経済新聞. (2012年4月23日). 2012-4-23. オリジナルの2018年4月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180409233510/https://shinbashi.keizai.biz/headline/1212/ 2018年4月9日閲覧。 ^ “第30期竜王戦七番勝負第4局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年10月11日). 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月11日閲覧。 ^ “第30期竜王戦七番勝負第5局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年11月27日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。 ^ “ツィート”. 藤森哲也 (2017年12月5日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。 ^ 「第76期名人戦第1局 新橋西口SL広場大盤解説会|イベント」『日本将棋連盟』。オリジナルの2018年4月10日時点におけるアーカイブ。2018年4月9日閲覧。 ^ “[締切迫る大内門下杯 子ども将棋大会のご案内]”. 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。 ^ “大内門下杯 子ども将棋大会 告知チラシ” (PDF). 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。 ^ “将棋の大内九段、搭乗断られ成田で暴力容疑”. 朝日新聞 (2003年10月11日). 2003年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。 ^ “将棋の大内九段、JAL機に乗り遅れ係員とトラブル”. 産経新聞 (2003年10月11日). 2003年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。 ^ “理事会よりご報告”. 日本将棋連盟 (2013年10月15日). 2003年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。 ^ 「大内延介九段が引退|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2010年4月21日。 ^ “第36回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年4月1日). 2017年7月19日閲覧。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 中平邦彦『棋士・その世界』講談社、1974年。 山田, 史生『将棋名勝負の全秘話全実話』講談社〈講談社+α文庫〉、2002年。ISBN 978-4-06-256643-8。 将棋棋士一覧 棋戦 (将棋) 将棋のタイトル在位者一覧 大内延介|棋士データベース|日本将棋連盟 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 表 話 編 歴 ____________01. 大内延介 (1975年度)__ 02. 加藤一二三 (1976年度)_ 03. 加藤一二三 (1977年度)_ 04. 米長邦雄 (1978年度)__ 05. 中原誠_ (1979年度) 06. 米長邦雄 (1980年度) 07. 米長邦雄 08. 米長邦雄 09. 米長邦雄 10. 桐山清澄 11. 谷川浩司 12. 高橋道雄 13. 谷川浩司 14. 南芳一_ 15. 南芳一_ (1989年度) 16. 羽生善治 (1990年度) 17. 羽生善治 18. 羽生善治 19. 羽生善治 20. 羽生善治 21. 羽生善治 22. 羽生善治 23. 羽生善治 24. 羽生善治 25. 羽生善治 (1999年度) 26. 羽生善治 (2000年度) 27. 羽生善治 28. 丸山忠久 29. 谷川浩司 30. 羽生善治 31. 森内俊之 32. 佐藤康光 33. 佐藤康光 34. 久保利明 35. 久保利明 (2009年度) 36. 久保利明 (2010年度) 37. 郷田真隆 38. 渡辺明_ 39. 渡辺明_ 40. 渡辺明_ 41. 渡辺明_ 42. 渡辺明_ 43. 渡辺明_ 44. 渡辺明_ 45. 渡辺明_ (2019年度) 46. 渡辺明_ (2020年度) 47. 渡辺明_ 48. 藤井聡太 49. 藤井聡太 50. (棋戦進行中、2024年度) 羽生善治 渡辺明 表 話 編 歴 01. 桐山清澄 02. 谷川浩司 03. 谷川浩司 04. 谷川浩司 05. 大内延介 06. 谷川浩司 07. 森内俊之 08. 羽生善治 09. 森下卓 10. 羽生善治 11. 深浦康市 12. 阿部隆 13. 谷川浩司 14. 屋敷伸之 15. 谷川浩司 16. 羽生善治 17. 丸山忠久 18. 谷川浩司 19. 森内俊之 20. 堀口一史座 21. 深浦康市 22. 羽生善治 23. 羽生善治 24. 羽生善治 25. 羽生善治 朝日新聞社 表 話 編 歴 01. 木村義雄 02. 升田幸三 03. 塚田正夫 04. 大山康晴 05. 大山康晴 06. 原田泰夫 07. 升田幸三 08. 灘蓮照 09. 丸田祐三 10. 加藤一二三 11. 大山康晴 12. 灘蓮照 13. 升田幸三 14. 大山康晴 15. 丸田祐三 16. 加藤一二三 17. 大友昇 18. 丸田祐三 19. 内藤國雄 20. 大山康晴 21. 加藤一二三 22. 大山康晴 23. 加藤一二三 24. 中原誠 25. 大内延介 26. 加藤一二三 27. 中原誠 28. 米長邦雄 29. 大山康晴 30. 有吉道夫 31. 加藤一二三 32. 中原誠 33. 大山康晴 34. 田中寅彦 35. 谷川浩司 36. 前田祐司 37. 中原誠 38. 羽生善治 39. 櫛田陽一 40. 先崎学 41. 羽生善治 42. 中原誠 43. 加藤一二三 44. 中原誠 45. 羽生善治 46. 森内俊之 47. 羽生善治 48. 羽生善治 49. 鈴木大介 50. 羽生善治 51. 森内俊之 52. 三浦弘行 53. 久保利明 54. 山崎隆之 55. 丸山忠久 56. 佐藤康光 57. 佐藤康光 58. 羽生善治 59. 羽生善治 60. 羽生善治 61. 羽生善治 62. 渡辺明 63. 郷田真隆 64. 森内俊之 65. 村山慈明 66. 佐藤康光 67. 山崎隆之 68. 羽生善治 69. 深浦康市 70. 稲葉陽 71. 豊島将之 72. 藤井聡太 73. 佐々木勇気 74. (棋戦進行中) 羽生善治 ( 通算10回優勝者が該当 / 計11回優勝={ 第38回,41,45,47,48,50,58,59,60,61,第68回 } ) 現 司会 鈴木環那 (2022 - ) 現 司会 室谷由紀 (2024 - ) 倉島竹二郎(ラジオ放送時代) 田辺一鶴(197x) 神田山陽 (? - 1980) 永井英明 (1981 - 1990) 谷川治恵 (1991 - 1993) 山田久美 (1994 - 1996) 藤森奈津子 (1997 - 1999) 中倉彰子 (2000 - 2002) 千葉涼子 (2003 - 2005) 中倉宏美 (2006 - 2008) 矢内理絵子 (2009 - 2013) 清水市代 (2014 - 2015) 藤田綾 (2016 - 2021) 中村桃子 (2019 - 2023) 日本放送協会 NHKラジオ第1放送 NHK教育テレビジョン 将棋の時間 将棋フォーカス 表 話 編 歴 1 大内延介(9) 2 桐山清澄(6) 3 勝浦修(7)・内藤國雄(6)・石田和雄(6) 4 森安秀光(11) 5 谷川浩司(6)・田中寅彦(6)・島朗(5) 6 淡路仁茂(5)・南芳一(5) 7 有吉道夫(11)・谷川浩司(5)・中原誠(5) 8 青野照市(6)・勝浦修(6)・大山康晴(5)・島朗(6) 9 谷川浩司(12)・島朗(7) 10 該当なし 10-11 中原誠(12) 11 羽生善治(6) 12 森下卓(6)・南芳一(9)・米長邦雄(6)・中田宏樹(8) 13 屋敷伸之(10)・森内俊之(6)・羽生善治(5)・森下卓(6) 14 丸山忠久(6)・森雞二(6)・南芳一(7) 15 丸山忠久(11) 16 森下卓(8) 17 該当なし 18 久保利明(6)・中田宏樹(5) 19 深浦康市(5)・野月浩貴(6)・佐藤康光(7) 20 丸山忠久(8)・羽生善治(16)・阿部隆(5) 20-21 郷田真隆(7) 21 丸山忠久(6) 22 羽生善治(7) 近代将棋 表 話 編 歴 3 松下力(12) 6 大友昇(14) 15 内藤國雄(15) 16 西村一義(10) 1 山田道美 2 米長邦雄 3 中原誠 4 内藤國雄 5 大山康晴 6 内藤國雄 7 大内延介 8 大山康晴 9 二上達也 10 板谷進 11 大山康晴 12 大山康晴 13 大内延介 14 勝浦修 15 森安秀光 16 米長邦雄 17 田中寅彦 1 加藤一二三 2 高橋道雄 3 羽生善治 4 羽生善治 5 谷川浩司 6 森下卓 7 谷川浩司 8 高橋道雄 大阪新聞社 表 話 編 歴 1 加藤一二三 2 神田鎮雄 1 佐藤庄平 2 関屋喜代作 3 木村嘉孝 4 二見敬三 5 大内延介 6 大内延介 7 佐伯昌優 8 米長邦雄 9 賀集正三 10 桜井昇 11 中原誠 12 桐山清澄 13 北村秀治郎 14 安恵照剛 15 菊地常夫 16 森安秀光 17 森安秀光 1 田中正之 2 石田和雄 3 若松政和 4 佐藤大五郎 5 青野照市 6 谷川浩司 7 北村昌男 共同通信社 最強者決定戦 表 話 編 歴 74 木村義雄 75 大山康晴 76 大山康晴 84 谷川浩司 85 加藤治郎 86 大山康晴 87 大内延介 90 二上達也 92 大山康晴 94 米長邦雄 95 谷川浩司 96 羽生善治 97 清水市代 99 村山聖 03 谷川浩司 09 中原誠 13 羽生善治 17 加藤一二三 18 藤井聡太 20 木村一基 表 話 編 歴 74 板谷進 75 大内延介 76 桐山清澄 77 森雞二 78 加藤一二三 79 加藤一二三 80 木村義徳 81 加藤一二三 82 森安秀光 83 谷川浩司 84 森安秀光 85 桐山清澄 86 中村修 87 福崎文吾 88 南芳一 89 島朗 90 米長邦雄 91 森下卓 92 森内俊之 93 郷田真隆 94 佐藤康光 95 郷田真隆 96 郷田真隆 97 三浦弘行 98 屋敷伸之 99 佐藤康光 00 藤井猛 01 丸山忠久 02 郷田真隆 03 丸山忠久 04 久保利明 05 渡辺明 廃止 表 話 編 歴 74 原田泰夫 75 熊谷達人 76 大内延介 77 真部一男 78 花村元司 79 石田和雄 80 淡路仁茂 81 桐山清澄 82 田中寅彦 83 桐山清澄 84 田中寅彦 85 中村修 86 塚田泰明 87 中村修 88 羽生善治 89 南芳一 90 森下卓 91 屋敷伸之 92 羽生善治 93 村山聖 94 深浦康市 95 深浦康市 96 森雞二 97 屋敷伸之 98 郷田真隆 99 郷田真隆 00 鈴木大介 01 久保利明 02 森内俊之 03 佐藤康光 04 渡辺明 05 山崎隆之 廃止 表 話 編 歴 1974-中原誠 75-大内延介 76-石田和雄 77-大山康晴 , 加藤一二三 , 森雞二 , 坪内利幸 , 田中寅彦 78-大内延介 1979-青野照市 1980-伊藤果 81-有吉道夫 82-加藤一二三 83-南芳一 84-小野修一 85-有吉道夫 86-南芳一 87-塚田泰明 88-神谷広志 1989-羽生善治 1990-羽生善治 91-中田宏樹 92-中田宏樹 93-羽生善治 94-佐藤康光 95-丸山忠久 96-丸山忠久 97-鈴木大介 98-屋敷伸之 1999-久保利明 2000-丸山忠久 01-羽生善治 02-佐藤康光 03-山崎隆之 04-山崎隆之 05-近藤正和 06-羽生善治 07-糸谷哲郎 08-佐藤和俊 2009-金井恒太 2010-阿久津主税(13連勝) 2011-佐藤天彦(17連勝) 2012-永瀬拓矢(18連勝) 2013-中村太地(15連勝) 2014-永瀬拓矢(12連勝) 2015-横山泰明(13連勝) 2016-佐藤天彦(15連勝) 2017-豊島将之 , 青嶋未来(12連勝) 2018-藤井聡太(29連勝) 2019-渡辺明(15連勝) 2020-永瀬拓矢(15連勝) 2021-澤田真吾(14連勝) 2022-渡辺和史(20連勝) 2023-渡辺和史(18連勝) 2024-佐々木大地(15連勝) 表 話 編 歴 81 松下力 82 原田泰夫 83 角田三男 84 荒巻三之 85 金子金五郎 86 渡辺東一 , 花村元司 87 山本武雄 88 高柳敏夫 89 廣津久雄 90 佐瀬勇次 91 五十嵐豊一 92 加藤治郎 93 大山康晴 94 蛸島彰子 95 長谷部久雄 96 丸田祐三 97 木村義徳 98 内藤國雄 99 加藤博二 00 関根茂 , 関根紀代子 01 有吉道夫 02 加藤一二三 03 西村一義 04 二上達也 05 河口俊彦 06 瀬川晶司 07 コンピュータ将棋協会 08 真部一男 09 大内延介 10 谷川治恵 11 佐伯昌優 12 勝浦修 13 石田和雄 14 滝誠一郎 15 佐藤義則 16 淡路仁茂 17 森信雄 18 森雞二 19 伊藤果 20 高橋和 21 杉本昌隆 22 桐山清澄 23 田中寅彦 , 中田宏樹 24 小林健二 , 小山怜央 表 話 編 歴 95 内藤國雄 96 中原誠 97 藤井猛 98 青野照市 99 中座真 00 米長邦雄 01 三浦弘行 02 近藤正和 03 児玉孝一 04 谷川浩司 , <立石勝己> 05 鈴木大介 06 淡路仁茂 , <森下卓> 07 佐藤康光 08 今泉健司 , <真部一男> 09 久保利明 10 飯島栄治 11 星野良生 12 佐藤康光 , <山崎隆之> 13 藤井猛 14 松尾歩 15 菅井竜也 , <塚田泰明> 16 富岡英作 17 千田翔太 , <加藤一二三> 18 青野照市 , 佐々木勇気 , <大内延介> 19 藤井聡太 , <丸山忠久> 20 elmo , <脇謙二> 21 大橋貴洸 , <藤井聡太> 22 千田翔太 , <田中寅彦> 23 嬉野宏明 24 伊藤匠 , <村田顕弘> FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 将棋棋士 1941年生 2017年没 東京都区部出身の人物 中央大学出身の人物 学士号取得者 旭日双光章受章者 Pages using the JsonConfig extension FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/23 05:15更新
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oouchi nobuyuki
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