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吉川進の情報 (よしかわすすむ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

吉川進の情報(よしかわすすむ) テレビ プロデューサー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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吉川 進さんについて調べます

■名前・氏名
吉川 進
(読み:よしかわ すすむ)
■職業
テレビ プロデューサー
■吉川進の誕生日・生年月日
1935年10月13日 (年齢84歳没)
亥年(いのしし年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和10年)1935年生まれの人の年齢早見表

吉川進と同じ1935年生まれの有名人・芸能人

吉川進と同じ10月13日生まれの有名人・芸能人

吉川進と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


吉川進と関係のある人

前澤範: 東映プロデューサーの吉川進は、新手法の研究に熱心で自身の要望を実現してくれる前澤を高く評価しており、前澤がエキスプロを独立した後もレインボー造型企画に造形を任せている。


小山力也: 同作品プロデューサーの堀長文および吉川進とのつながりから、両者が担当していたメタルヒーローシリーズにも度々ゲスト出演していた。


曽田博久: 『キカイダー01』の頃は吉川進プロデューサーの鎌倉の自宅に泊まりこみで本を執筆していた。


池田駿介: 1973年には、古巣の東映で『人造人間キカイダー』の続編が制作されることを知り、プロデューサー・吉川進に自ら売り込みをかけ、『キカイダー01』の主人公・イチロー役に抜擢される。


川村栄二: 宇崎竜童の推薦で『仮面ライダーBLACK』の劇伴を担当、その後も吉川進の推薦で多くの東映特撮作品に関わった。


小林義明: その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。


小牧リサ: 1983年、『ゴレンジャー』のプロデューサーだった吉川進より、『宇宙刑事シャリバン』(テレビ朝日)に登場する敵側の幹部のオファーがあるが辞退する。


伴大介: 特に吉川進からは「直弥」名義での出演を拒否され、『キカイダー01』には改名後にもかかわらず「大介」名義で出演することになった。


丹波義隆: 『ジャッカー電撃隊』でもオートバイ免許を取得していないことや変身ポーズが恥ずかしいことなどから依頼を遠慮していたが、東映プロデューサーの吉川進から「今回のヒーローは自動車に乗り、カプセルで変身する」と言われ、断る理由がなくなってしまったという。


大葉健二: 東映プロデューサーの吉川進が『宇宙刑事ギャバン』の主役に大葉を起用しようとした際には、その放映時間の主人公が『キャンディ・キャンディ』以降は女性ばかりであり、「男の主人公では(インパクトとして)弱すぎる!」とテレビ局側から懸念されて圧力を受けていたこともあって、東映社内で反対の声が多数を占めていた。


日下秀昭: 『電子戦隊デンジマン』へは、東映プロデューサーの吉川進がロボット役を長身の俳優で固定したいと考え、吉川と親交があり東京宝映でマネージメントも担当していた俳優の杉義一を介して起用された。


弓あきら: 夏休みの前に、以前のマネージャーから連絡をもらい、東映の吉川進と竹本弘一の面接を受け『電子戦隊デンジマン』の桃井あきら(デンジピンク)役に決定する。


伴大介: 『バトルフィーバーJ』のプロデューサーは、以前「直弥」名義での出演を拒否した吉川進だったが、「直弥」名義での出演となった。


金子吉延: 車掌物語 旅は道づれ(1962年、日活) - 吉川進


小笠原猛: 以降、東映・吉川進プロデューサー制作番組にはほぼ全てに携わる番頭的存在となり、独特な演出で活躍。これに関しては彼の後盾だった吉川進プロデューサーの定年退職の影響や、同テレビプロがスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。


小牧リサ: 素面でのアクションも行っており、プロデューサーの吉川進は小牧のキックを評価している。


小西通雄: 杉村升と親しく、監督を務めた『星雲仮面マシンマン』では吉川進に杉村を紹介し、杉村は同作を執筆。


五代高之: 2代目バルイーグルが剣で戦うという設定は、五代が剣道三段の腕前であったことから東映プロデューサーの吉川進によって提案されたものである。


上原正三: 特撮作品では大学の先輩でもある東映プロデューサー・吉川進と組むことが多く、脚本家仲間では円谷作品時代からの盟友・市川森一に「東芝日曜劇場」の執筆をしばしば勧められていた。


降旗康男: 1978年には、東映の吉川進プロデューサーから「『スパイダーマン』の監督をやってみないか?」と声をかけられたことがあり、しばらく後になって「いつになったら俺に『スパイダーマン』を監督させてくれるんだ」と意外な返答をしたこともあったという。


竹本弘一: 『ゴレンジャー』を担当した東映プロデューサーの吉川進によると、竹本は陸軍士官学校の卒業生であることから、若い出演者による同作品のミリタリー要素に太い骨を与えていたと述べている。


東條昭平: 『ウルトラマン80』の終了によって監督業の職を失いかけた1981年に、円谷時代に知り合いだった矢島信男が、東映プロデューサーの吉川進に東條を紹介。


上原正三: しまいには東映の吉川進プロデューサーに「上原正三は二人も要らないんだよ」と一喝されそれらはことごとくボツになったという。


小林義明: 後に吉川進から『仮面ライダーBLACK』の撮影監督の要請を受けた松村は、ライダーシリーズ初参加の小林が監督すると聞かされて、当時携わっていた『あぶない刑事』を途中降板して『BLACK』に加わっている。


荒川稔久: 東映プロデューサーの吉川進に「上原正三は二人も要らないんだよ」と一喝され、それらはことごとく没になったという。


上原正三: スーパー戦隊シリーズなどを担当した東映プロデューサーの吉川進は大学の先輩にあたる。


堀長文: 1987年より監督業を休み、プロデューサーの吉川進の下で『仮面ライダーBLACK』及び続編の『RX』のプロデュースを担当。


杉村升: 対してプロデューサーの吉川進はワープロ嫌いで「だから魂が入っていないんだ!」と怒ったという。


松木聖: 『01』で監督を務めた永野靖忠は、松木の姉・路子の夫だったため、プロデューサーの吉川進は「演技指導はやりにくそうだった」と述懐している。


松村文雄: 同番組へ参加中、プロデューサーの吉川進から『仮面ライダーBLACK』の担当依頼があったが、『あぶ刑事』の現場が思いの外楽しかったため辞退した。


吉川進の情報まとめ

もしもしロボ

吉川 進(よしかわ すすむ)さんの誕生日は1935年10月13日です。東京出身のテレビ プロデューサーのようです。

もしもしロボ

エピソード、作品などについてまとめました。テレビ、父親、映画、ドラマに関する情報もありますね。84歳で亡くなられているようです。

吉川進のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - 2020年7月10日)は、東映の元プロデューサー。東京都出身。 東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長として、1980年代から1990年代前半まで東映特撮路線の作品を総合的にプロデュースした。スーパー戦隊シリーズの立ち上げ、長期シリーズ化、海外進出に寄与。またメタルヒーローシリーズの生みの親である。

元女優の吉川理恵子、フルート奏者の吉川久子は実娘にあたる。実子の吉川学はレインボー造型企画取締役。父親は元社会党国会議員の吉川末次郎。

1935年(昭和10年)、東京都世田谷区に生まれる。生家は東京発声映画製作所に近く、小中学校時代には通学途上で撮影風景を眺めていたという。

1958年(昭和33年)、22歳。東映に入社。

1964年(昭和39年)、28歳。新設された「東映テレビ部」へ配属。

1968年(昭和43年)、32歳。『日本剣客伝』にて初めてテレビドラマのプロデュースを手がける。

1972年(昭和47年)、37歳。『人造人間キカイダー』で特撮作品に初参加。

1975年(昭和50年)、39歳。『秘密戦隊ゴレンジャー』に平山亨とともに参加。スーパー戦隊シリーズの立ち上げに寄与。以降『大戦隊ゴーグルファイブ』第1話までプロデュース。

1978年(昭和53年)、42歳。東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長に就任。

1982年(昭和57年)、46歳。『宇宙刑事ギャバン』を担当、折田至とともにメタルヒーローシリーズの立ち上げに携わる。以後『機動刑事ジバン』第39話までプロデュース。

1987年(昭和62年)、52歳。これまでのライダーシリーズを担当した平山に代わり『仮面ライダーBLACK』を担当。

1992年(平成4年)、57歳。バンダイとの提携でオリジナルビデオ『真仮面ライダー序章』を担当。翌1993年には映画『仮面ライダーZO』、1994年に『仮面ライダーJ』とテレビ以外のライダーシリーズに関わった。

1995年(平成7年)、59歳。『超力戦隊オーレンジャー』終了後、東映ビデオに異動。

1996年(平成8年)、60歳。『超光戦士シャンゼリオン』が東映での最後のプロデュース作品となる。

1997年(平成9年)、61歳。東映ビデオを退職。

    1978年から1996年まで、東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長として、東映の実写特撮作品、東映本社制作のアニメを全体的に統括する立場にあった。晩年は時折、自身のプロデュース作品のDVDインタビューや特撮関係のムック本などで、インタビューに答えていた。

    2020年(令和2年)7月10日、呼吸不全のため神奈川県内の自宅で死去。84歳没。

    エピソード

    プロデューサーという職務上とはいえ、曽田博久、杉村升、宮下隼一の特撮作品への脚本家としての登用、新堀和男の「レッド役」のスーツアクターへの復帰、円谷作品主体だった東條昭平監督の東映作品への招聘、澤井信一郎監督の特撮作品招聘などスタッフ編成における采配の功績は多大なものがある。自身が現役で仕事をしていた当時は特撮番組の東映社内における地位は低く、スタジオが空いていても使用許可をもらえず、『スパイダーマン』では撮影所の端にあるトタン作りの物置小屋みたいなステージで細々と撮影を強いられるなど、苦労も多かった。こうした傾向に変化が生じたのは、『パワーレンジャー』のヒットの影響があったと回想している。

    『人造人間キカイダー』では、初めて特撮ヒーローものを手掛けたため、通常の人間ドラマと同じ感覚で制作していた。これが不評であったことから続編『キカイダー01』では従来のヒーローもののスタイルとしたが、後年のインタビューではこの変更には疑問を感じており、『人造人間キカイダー』の方が満足度が高かったと述べている。また、『01』では脚本家の長坂秀佳とともに悪役側に意識を向けて悪側中心のドラマとなり、特にビジンダーに力を入れていたとしている。

    『キカイダー01』の終了後に手掛けた『ザ・ボディガード』などの大人向けアクションドラマでは、悪役を悪徳政治家や弁護士、医者などにすると「それはやめてほしい」と言われ「中小企業のおじさんやサラリーマンなら良いけどね」という制約に不満を感じていた。そういう制約がない子供向けのキャラクター作品では、純粋に愛や正義、友情などのテーマを追い求めることが可能で、以後は子供向け作品の制作に力を入れることになる。

    『スパイダーマン』では『誰が為に鐘は鳴る』をヒントに、エンディングを八手三郎名義で作詞。数々の劇場映画でも知られる降旗康男監督に「監督をやってみないか?」と無理を承知で声をかけたところ、終盤近くの時期になって「いつになったら俺に監督をさせてくれるんだ?」と意外な返事が戻ってきたこともあったが、降旗の出番はないまま終了している。

    作詞家・山川啓介の数々の作品での起用も、吉川の指名によるところが大きかった。山川は後年のインタビューにおいて「これらの作品ではいい仕事をしていた監督や脚本家が起用されていて、プロフェッショナルが集まって本気でいいものを作ろうとしていました。吉川さんの熱の入れようはというと打ち合わせでコロムビアのロビーに来て『今度のヒーローの決め技はですね』って自分でやって見せるんですよ。蒸着! とか言って(笑)。こっちもそれに応えなきゃというので、普段書くよりは言葉をキメてそれこそ決め技をやるような気持ちで書いていましたね。このシリーズはほぼ10年やらせていただきました」と述懐している。しかしマンネリを感じはじめたため、山川は吉川に降板を申し出たという。

    『バトルフィーバーJ』に東千代之介を出演させることができたのは、吉川が「東京放映」社長・香山新二郎と懇意で、「東京放映」所属の東千代之介とも交流があったことから声をかけやすかったという理由があった。また、ミミズが大嫌いであることから、『バトルフィーバーJ』の話題でミミズの怪人に触れた際には、「こいつだけは愛せないね」とコメントしていた。

    『宇宙刑事ギャバン』で主役に大葉健二を起用しようとした際、東映社内で反対の声が多数を占めたという。吉川によると「僕の周りで大葉君に賛成する人は少なかった」そうで、そういう時には当事者に「あんたが大葉じゃ嫌だというのなら分かった。それなら代わりに誰か連れて来てよ」と言って反対の声を捻じ伏せた上で強引に大葉をキャスティングしたという。このことについて後にインタビューで「大葉君はアクションはできるし、愛嬌はあるし、勉強熱心だし…。十分じゃないですか。そりゃ新企画の立ち上げだから反対の声もあったけど、僕は頑として大葉君を推しました。ギャバンの大葉君の魅力はファンの皆様がよくお分かりなんじゃないですか」と語っている。

    仕事を多く共にした監督の田中秀夫は、吉川について「尻を叩くのがうまい人だったね」と評していた。『宇宙刑事シリーズ』で小林義明が撮った作品について「あの部分がよかった」「ああいう風に撮ってほしいなぁ」と感想を述べ、常にプレッシャーをかけ続けられたという。

    鎌倉市在住で、同市には水木一郎も在住している。1986年に吉川宅で新年会が催されたが、そこに参加した水木に吉川直々に『時空戦士スピルバン』の主題歌を依頼したという。

    杉村升が昔ワープロで入力したシナリオを吉川に提出した際、「だから魂が入ってないんだ!」と激怒されたと述懐している。もっとも、東映退職後は当の吉川がパソコンに夢中になってしまったという。

    扇澤延男が近年インタビューで語ったところによると、とにかく最初は吉川にしごかれたという。扇澤はテレビ朝日の小関明プロデューサーの紹介で『超人機メタルダー』に参加することとなったが、「たぶん(吉川は)それが気に入らなかったのでしょうね。吉川さんの考えでは脚本家というのは制作サイドが見つけてくるのが基本で、局のプロデューサーの紹介の横滑りの人材なんて認めたくないんでしょう。とにかく最初はしごかれた」と語っており、プロットをどれだけ提出しても吉川がボツにして『メタルダー』で最初に採用されたシナリオも吉川に言われ、第6稿まで書き直したという。ただし、翌年の『世界忍者戦ジライヤ』では吉川も認めるようになったのか、特に何も言わなかったという。

    『秘密戦隊ゴレンジャー』では、アクションを務めていた大野剣友会を様々な特撮作品に関わって疲れていると判断してJACに交代させたところ、この交代に納得できない剣友会のメンバーが怒り、吉川曰く「吉川ブン殴ってやる」と険悪な空気になってしまった。それを知ったJACの金田治は、「吉川さんは僕らが身体を張って守ります」と吉川に告げたという。その後、JACと剣友会は話し合いを経て円満に和解したという。

    『超力戦隊オーレンジャー』に参加した監督の辻野正人は、第3話の記憶を映像化して取り出すという描写に対し、撮影中に吉川がおかしいと言い続けていたと証言しており、変身など非現実な内容の作品でそういった部分を気にすることを不思議に思ったという。

    東映ビデオの加藤和夫プロデューサーは、『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』の制作打ち合わせの席で初めて吉川と対面した際の印象について「とにかく怖そうで厳しそうな人」というものだったと、後に語っている。

    プロデュース最終作品の『超光戦士シャンゼリオン』では、サブプロデューサーの白倉伸一郎に作品の実質的な采配を任せていたが、白倉によると原因は定かでないものの第5話か第6話の制作当時に吉川とかなり激しく衝突し、それ以来吉川と白倉は一切口を利かなくなったというが、直後の5月に行われた映画『キカイダー REBOOT』のシークレット試写においても吉川が招かれ、吉川からは造型に対して合格点が出されたと白倉は語っている。

    ヒーローが悪役を倒した後、悪役の倒れた姿は決して画面に出さないように徹底していたが、これは児童層への暴力描写を抑えると同時に、「悪は死んでいない」という正邪相克の永続性を意識したうえでの配慮であるという。

    作品作りでは、イタリアで多くの名作を手掛けたフェデリコ・フェリーニ監督の「自分のやりたいことをやりたいようにして、良い作品を作るのはさほど難しいことではない。難しいのは、やりたいことをやりたいように作りながら、それをコマーシャルベースに乗せることだ」という言葉を、常に念頭に置いていた。

    仮面ライダーBLACK

    以下は『仮面ライダーBLACK』および『BLACK RX』絡みのエピソードである。

    当時、プロデューサー補を務めた髙寺成紀によると、各回のサブタイトルのほとんどは吉川が考案したものであり、これについて吉川は「新聞のテレビ欄に載るサブタイトルひとつで視聴率が変わることがありますから、気にしていたとは思います」と述懐している。

    原作者の石ノ森章太郎に対し、「新しい仮面ライダーを作りますから、今までのライダーに関わったスタッフは一切入れません」と宣言している。また、戦闘員との立ち回りが廃されたのも、やはり「従来のライダーバトルとは大きく変えたい」という吉川の意向と言われている。

    撮影監督の松村文雄によると、当初は吉川から依頼を受けた際、松村は『あぶない刑事』を担当しており、そちらの現場が思いのほか楽しかったために断りを入れたが、「お前がやらないなら一体誰がやるんだ!」と怒鳴られたという。結果的に、仮面ライダーシリーズに関わったことのない小林義明がパイロット監督を務めるなどの魅力にも惹かれるなどし、松村は楽しく現場に携わっていた『あぶない刑事』を途中降板し、チーフ撮影監督に就任している。

    当時、まだ新人脚本家だった荒川稔久が提出するプロットが上原正三のものに似たものばかりだったことから、吉川は「上原正三は2人もいらないんだよ」と一喝した。結局、この後は独自の作風に意識的になったそうで、後年に上原との対談でこのエピソードに触れたり、エッセイでこの件について記したりするなど、荒川にとってはエポックメイキングな出来事になったようである。

    長坂秀佳が脚本に参加しようと旧知の東映・齋藤頼照プロデューサーを通して吉川にアプローチしたところ、「ギャラが高過ぎるから無理」という理由で断っている。

    パイロットグループの監督の小林義明や辻理が時間をかけて撮影したため、スケジュールがキツくなったときに参加した小笠原猛にはいきなり「8日間で2本撮れ」と要求した。小笠原が「それなりの作品しかできませんけど、よろしいですか」と答えたところ、吉川もそれを了承したという。小笠原の作品はそういった状況で作られた点を考慮し、いつも吉川は評価をしてくれたという。

    1992年に刊行された書籍『仮面ライダー大図鑑〈7〉』によれば、バンダイには『BLACK RX』の後番組の検討資料が残されており、吉川も終了後のインタビューにおいて「当初は3年続ける予定だったのに、テレビ局がニュースを増やしたために終了して残念だ」とコメントしている。

    作品

    テレビ

    日本剣客伝

    新・日本剣客伝

    あひるヶ丘77(フジテレビ系)

    ブラックチェンバー(フジテレビ系)

    特命捜査室(フジテレビ系)

    冠婚葬祭屋(1972年1月8日 - 4月1日、NET(現:テレビ朝日)系)

    人造人間キカイダー(1972年7月8日 - 1973年5月5日、NET系)

    キカイダー01(1973年5月12日 - 1974年3月30日、NET系)

    ザ・ボディガード(1974年、NET系)

    ザ★ゴリラ7(1975年、NET系)※途中まで

    五街道まっしぐら!(1976年、NET系)※企画

    透明ドリちゃん(1978年1月7日 - 7月1日 テレビ朝日系)

    スパイダーマン (東映)(1978年5月17日 - 1979年3月14日、東京12チャンネル(現・テレビ東京))

    スーパー戦隊シリーズ(旧NET・テレビ朝日系)

      秘密戦隊ゴレンジャー(1975年4月5日 - 1977年3月26日)

      ジャッカー電撃隊(1977年4月9日 - 1977年12月24日)

      バトルフィーバーJ(1979年2月3日 - 1980年1月26日)

      電子戦隊デンジマン(1980年2月3日 - 1981年1月31日)

      太陽戦隊サンバルカン(1981年2月7日 - 1982年1月30日)

      大戦隊ゴーグルファイブ(1982年2月6日 - 1983年1月29日)

      忍者戦隊カクレンジャー(1994年2月18日-1995年2月24日)

      超力戦隊オーレンジャー(1995年3月3日-1996年2月23日)

      メタルヒーローシリーズ(テレビ朝日系)

        宇宙刑事ギャバン(1982年3月5日 - 1983年2月25日)

        宇宙刑事シャリバン(1983年3月4日 - 1984年2月24日)

        宇宙刑事シャイダー(1984年3月2日 - 1985年3月8日)

        巨獣特捜ジャスピオン(1985年3月15日 - 1986年3月24日)

        時空戦士スピルバン(1986年4月7日 - 1987年3月9日)

        超人機メタルダー(1987年3月16日 - 1988年1月17日)

        世界忍者戦ジライヤ(1988年1月24日 - 1989年1月22日)

        機動刑事ジバン(1989年1月29日 - 1990年1月28日)

        機甲艦隊ダイラガーXV (1982年、テレビ東京系)

        星雲仮面マシンマン前半まで(1984年、日本テレビ系)

        ビデオ戦士レザリオン(1984年、TBS系)

        仮面ライダーシリーズ(毎日放送系)

          仮面ライダーBLACK(1987年10月4日 - 1988年10月9日)

          仮面ライダーBLACK RX(1988年10月23日 - 1989年9月24日)

          超光戦士シャンゼリオン(1996年4月3日 - 1996年12月25日、テレビ東京系)

          映画

          ※上記作品の映画版は除く

          仮面ライダーZO(1993年4月17日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - 企画

          仮面ライダーJ(1994年4月16日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - 企画

          人造人間ハカイダー(1995年4月15日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - プロデューサー

          Vシネマ

          女バトルコップ(1990年11月9日)

          真・仮面ライダー 序章(1992年2月20日) - 企画

          大予言/復活の巨神(1992年4月23日)

          超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー(1996年3月8日)

2024/06/15 18:47更新

yoshikawa susumu


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吉川 亨(よしかわ とおる)
1961年12月13日生まれの有名人 三重出身

吉川 亨(よしかわ とおる、1961年12月13日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは、MF。 日立製作所などに所属し、日本代表としても国際Aマッチ1…

吉川 精一(よしかわ せいいち)
1941年1月30日生まれの有名人 東京出身

吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年〈昭和16年〉1月30日 - )は、日本の演歌歌手、フリーアナウンサー、司会者、エッセイスト。元NHKアナウンサー。 現在の東京都大田区出身。クオレ・ア・ド…

吉川 まりあ(よしかわ まりあ)
1988年12月3日生まれの有名人 東京出身

吉川 まりあ(よしかわ まりあ、1988年12月3日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優。ボックスコーポレーションに所属していた。 趣味:おしゃべり 特技:声楽、ピアノ 桐朋女子中等…

吉川 茉優(よしかわ まゆ)
1998年5月28日生まれの有名人 秋田出身

吉川 茉優(よしかわ まゆ、1998年5月28日 - )は、日本のアイドル、歌手、女優。女性アイドルグループ・アップアップガールズ(2)の元メンバー。ニックネームはまーちゃん。ヤンヤンガールズ10期生…

吉川 ひなの(よしかわ ひなの)
1979年12月21日生まれの有名人 東京出身

吉川 ひなの(よしかわ ひなの、1979年12月21日 - )は、日本のファッションモデル、タレント、および女優。 元レプロエンタテインメント所属、現在はフリー。2019年時点ではロサンゼルス在住。…

吉川 幸枝(よしかわ さちえ)
1935年9月21日生まれの有名人 愛知出身

吉川 幸枝(よしかわ さちえ、1935年9月21日 - )は、日本の実業家。株式会社よし川代表取締役社長。 ほんものおんな塾主催。 愛称は、「歩く百億円」。 愛知県出身。13人兄弟の末っ子として生…

吉川 麻衣子(きっかわ まいこ)
1985年3月28日生まれの有名人 広島出身

吉川 麻衣子(きっかわ まいこ、1985年3月28日 - )は、日本の元グラビアアイドル。広島県呉市の倉橋島の出身。かつての所属事務所はK-point。 2005年、フィットワン内のレーベルGIR…

吉川 日菜子(きっかわ ひなこ)
1999年10月25日生まれの有名人 埼玉出身

吉川 日菜子(きっかわ ひなこ、1999年10月25日 - )は、日本の女優、タレント、歌手である。 埼玉県出身。劇団ひまわり所属。 父親が事務所に応募したことがきっかけで芸能界に入る。 20…

吉川 沙織(よしかわ さおり)
1976年10月9日生まれの有名人 徳島出身

吉川 沙織(よしかわ さおり、1976年10月9日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。参議院経済産業委員長、立憲民主党執行役員・組織委員長など。NTT労働組合出身の情報産業労…

吉川 有美(よしかわ ゆうみ)
1973年9月4日生まれの有名人 三重出身

吉川 有美(よしかわ ゆうみ、1973年〈昭和48年〉9月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党副幹事長。 経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、外務大臣政務官…

吉川 綾乃(よしかわ あやの)
1987年7月21日生まれの有名人 東京出身

吉川 綾乃(よしかわ あやの、1987年7月21日 - )は、日本の美容整体師、元グラビアアイドル。2002年デビュー。東京都出身。サムライムに所属していた。愛称は「あっちん」。現在は芸能界を引退し美…

吉川 ひとみ(よしかわ ひとみ)
1978年12月6日生まれの有名人 神奈川出身

吉川 ひとみ(よしかわ ひとみ、1978年12月6日 - )は、日本の元レースクイーンでありタレントである。趣味と特技の釣りが高じ釣り師の仕事も行う。スーパーウイング及びスタークコーポレーションに所属…

吉川 春菜(よしかわ はるな)
1982年4月27日生まれの有名人 東京出身

吉川 春菜(よしかわ はるな、旧名:吉川 はるな、1982年4月27日 - )は、日本のタレント。元サンズエンタテインメント所属。 東京都出身。出身高校は、光明学園相模原高等学校。 所属事務所はフ…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「吉川進」を素材として二次利用しています。

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