小川宏アナウンサーの情報(おがわひろし) アナウンサー/NHK→フリー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


小川 宏さんについて調べます
■名前・氏名 |
小川宏と関係のある人
木元教子: 1958年3月、TBSを退社し、フリーとなり、二人の子供を育てながら、フジテレビ「小川宏ショー」(1965年5月 - 1966年11月)、その後、同じくフジテレビ「3時のあなた」(1968年4月 - 1969年3月)の、各初代司会者となった。 川津祐介: 小川宏ショー(CX) 露木茂: 1970年には『小川宏ショー』での司会ぶりが評価され、第7回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞する。 露木茂: 小川宏ショー(5月 - 1970年3月、1975年10月 - 1981年3月、サブ司会) - 1966年11月までは、土曜日も放送 頼近美津子: 田丸と頼近でフジの二枚看板などと、鳴り物入りでフジテレビに迎えられ『小川宏ショー』の新アシスタントになるが、NHKから来たのでミスしてはいけないという気負いから「お高くとまってる」などと見られ、当時のマスメディアに散々たたかれた。 高峰秀子: ほか、フジテレビの「小川宏ショー」内の「高峰秀子対談」コーナーの司会を務めた。 前田忠明: 『小川宏ショー』(フジテレビ)以来、フジテレビ専属契約として、同局のワイドショーに出演。 芦川よしみ: 小川宏ショー(1979年4月 - 1980年3月、CX) - 9代目アシスタント 福島幸雄: 同期には八木治郎、小川宏といった、後に民放のワイドショーで司会を担当するアナウンサーがいた。 小倉智昭: その後、古巣であるテレビ東京の『タミヤRCカーグランプリ』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、さらに『小川宏ショー』のリポーター、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のナレーションが転機となる。 あがた森魚: すると色々な番組から出演オファーが来て、「小川宏ショー」(フジテレビ)や「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)など、呼ばれた番組に全て出演した。 富島健夫: ^ フジテレビ「小川宏ショー ジュニア小説と現代っ子気質」1967年3月27日。 木島則夫: 小川宏ショー(フジテレビ、国会関連リポート担当) ジーナ=ロロブリジーダ: 5月1日、小川宏ショー(フジテレビ)に出演。 山本達郎: 山本達郎, 森弘之, 小川宏, 斎藤和子, 沢株正始, 沢本武, 大谷光真, 生野善応, 早島鏡正『東南アジアの宗教と政治』日本国際問題研究所、1969年。 大塚利兵衛: 同時期入局は、小川宏、八木治郎、木島則夫、野村泰治ら。 明石家さんま: その事もあり1976年の大晦日に『小川宏ショー』に出演。 芳村真理: 「小川宏ショー」を降板するが、同年11月、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」スタートと同時に当時の人気司会者・前田武彦(マエタケ)と共に司会に抜擢される。 芳村真理: 芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ」「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当したり、「小川宏ショー」「3時のあなた」というフジテレビワイドショー番組の源流となっている2番組のホステス役も務める。 藤田弓子: 1973年7月から1975年3月まで、フジテレビ系の人気番組『小川宏ショー』のサブ司会者を務め、朝の顔となる。 田代美代子: 1968年(昭和43年)には「小川宏ショー」で司会に挑戦。 露木茂: 1969年にフジテレビの労働組合の執行委員となった際、当時の経営陣から執行委員を辞めるよう迫られ、拒否した結果、1970年3月31日の放送を最後にキャスターを担当していた『小川宏ショー』の降板を命ぜられた。 塚田茂: 小川宏ショー(フジテレビ) 中山大三郎: 1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 前田忠明: 小川宏ショー(フジテレビ) 田丸美寿々: 『FNNニュースレポート6:30』を3年半務めた後の1982年4月1日から、17年間続いた『小川宏ショー』の後番組『おはよう!ナイスデイ』のアシスタントに抜擢される。マスメディアでは「もう一度騒動を起こしたら小川宏が復帰するかも」と皮肉られた。 御厨貴: 中学校3年生で、フジテレビの小川宏ショーに出演し、都立高等学校の学校群制度について選択の自由を奪っていると批判した。 酒井ゆきえ: 小川宏ショー(フジテレビ、1976年10月5日)- 『ママとあそぼう!ピンポンパン』放送10周年を記念して、3代おねえさん(渡辺直子・石毛恭子・酒井ゆきえ)として出演。 高橋圭三: 元NHKアナウンサーだった小川宏と共に、初回で総合司会を担当。 村上七郎: 編成局長時代には、NHKの看板アナウンサーだった小川宏を自ら引き抜いて、朝の時間帯で『小川宏ショー』をスタートさせたのをはじめ、今も続く『ミュージックフェア』、国産初のカラーアニメ『ジャングル大帝』、大川橋蔵の主演で長寿番組となる『銭形平次』も開始した。 |
小川宏の情報まとめ

小川 宏(おがわ ひろし)さんの誕生日は1926年4月17日です。東京出身のアナウンサーのようです。

卒業、現在、テレビ、家族、ドラマ、病気、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2016年に亡くなられているようです。
小川宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー。東京都墨田区出身。 東京府南葛飾郡寺島町(後の東京市向島区、現:東京都墨田区東向島)生まれ。東京府立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在の安藤ハザマ)に入社するも半年で退職。NHKには二次募集で1949年に入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。 1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。同番組における圧倒的な知名度を背景に1965年1月にNHKを退職。 この退職は、他局でワイドショー番組が盛んになる中、遅れを取ったフジテレビがホスト役を求めて引き抜いたとされている。専属契約を結び、1965年より『小川宏ショー』の総合司会を通算17年務め、4451回という金字塔を打ち立て、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載された(後に『森田一義アワー 笑っていいとも!』総合司会のタモリがこの記録を塗り替えている)。 穏やかな雰囲気や話術は主婦層にも長く支持され、この点から「春の小川」なる異名を取るようになった(黒柳徹子の発言に端を発するとされる)。同番組には朝の生放送番組であるにもかかわらず、上記の黒柳をはじめ、杉村春子、高峰三枝子、石原裕次郎、長嶋茂雄、前田武彦、永六輔などの大物ゲストが多数出演しており、これも小川の司会ぶりに対する信頼の高さを裏付けるものとなった。 『小川宏ショー』終了後、うつ病を発症し自ら克服、その体験談を出版し、後にその経験を元に講演活動を行うなど活躍している。 二女の夫は作曲家の中山大三郎。2005年に中山が死去した後は中山が遺した作品は現在全て小川や二女や孫、中山の弟たちが権利を保管している。 読売新聞などのテレビ欄の投稿コーナーに「アナウンサー」として投稿することもある。また、読売の一般投稿気流欄には一国民として投稿している。 幼馴染の3代目三遊亭圓歌によると、小川は元々吃音者であり、圓歌が真似をしているうちに同じく吃音者になってしまい、それが圓歌を落語家にするきっかけとなったという。とある機会にアナウンサーと落語家として再会した時にはお互いに驚いた、と圓歌は「中沢家の人々」の中で話している。 NHK時代には先輩アナウンサーからは「小川ちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。 また、NHKの7年先輩で、日本のフリーアナウンサーの先駆的な存在である高橋圭三からは「顕微鏡で調べて望遠鏡で放送しろ」とアドバイスされたという。 2016年11月29日、東京都内の病院で多臓器不全により90歳で逝去。 NHK(日本放送協会)在職時代 クイズクラブ「スリーステップ」 ジェスチャー(1955年1月 - 1964年12月、NHK総合) - 4代目司会 婦人グラフ 午後のダイヤル「あなたのリズム」・「ミュージック・カレンダー」 フジテレビ専属契約時代 オールスター紅白大運動会(1967年11月4日放送)- 第1回の総合司会を高橋圭三と共に担当 FNS歌謡祭(1974年 - 1976年、初代総合司会) 小川宏のなんでもカンでも!(1982年10月 - 1985年3月) 日本放送演芸大賞 これが世界の心霊だ(1983年 - 1985年)- 全6回 オールスター家族対抗歌合戦(1984年7月 - 1986年9月、2代目司会) 人間の証明(1977年10月8日、東映) - ワイドショーの司会者 5・2小川宏のテレビアタック24時間!!(1975年5月2日) - 当日のフジテレビ番組(一部を除く)に出演する企画 『わが心の詩 : 「小川宏ショー・私のイメージ」より』〈サンケイ ドラマ ブックス〉、サンケイ新聞社出版局、1973年7月31日。 『汗をふきふき… 小川宏のにんげん談義』(山手書房、1976年) 『ま〜るい会話―素敵な「ふれあい」のために』(光文社 カッパ・ビジネス、1983年) 『ひと こころ ふれ愛―テレビと歩んだ40年』(廣済堂出版、1993年) 『遅すぎた男の反省』(講談社、1999年) 『病気は人生の挫折ではない―一アナウンサーの“奇跡』(文化創作出版、2001年) 『ちょっといい生き方―人生の実況放送』(青萠堂、2002年) 『あの頃』(ポプラ社、2003年) 『「定年うつ」私はこうして乗り越えた』(講談社、2004年) 『宏です。小川です―昭和わたく史交友録』(清流出版、2005年) 『夫はうつ、妻はがん―夫婦で苦境を踏み越えて』(清流出版、2006年) 『話し上手は聞き上手―あなたは、正しい日本語を話せますか?』(清流出版、2007年 ISBN 978-4860292201) 『良い言葉は心の医者でもある』(ごま書房、ひと味ちがう「日本百名言」シリーズ 2007年 ISBN 978-4341172237) 『司会者は見た──昭和テレビ史を生きたスターたちの素顔』(講談社+α文庫、2008年 ISBN 978-4062812047) 『小川宏の心に残るいい話』(清流出版、2008年 ISBN 978-4860292713) 『私の「うつ病」体験記』(PHP文庫、2008年 ISBN 978-4569670812) 『小川宏の面白交友録』(清流出版、2009年 ISBN 978-4860293079) 『小川宏の人間塾 人の輪が教えてくれた感動と知恵』展望社 2010 『「六病息災」の小川です!』(麗澤大学出版会、2010年 ISBN 978-4892055980) 『"うつ"になる人ならない人 ダジャレとユーモアで乗り切ろう』(清流出版、2011年) 『昭和はトークに生きにけり あの人この人、会った話した半世紀』(展望社、2012年) 鹿内信隆 村上七郎 高峰三枝子 中山大三郎 木元教子 芳村真理 露木茂 黒柳徹子 前田武彦 野村泰治 八木治郎(NHKで八木と同期) 3代目三遊亭圓歌 - 近所に住んでいた幼馴染 南波雅俊 - 小川同様NHKから民放に移籍したアナウンサー。 土井敏之 - 小川同様NHKから民放に移籍したアナウンサー。 ^ “小川宏さん死去、90歳 「小川宏ショー」司会でギネス記録”. Sponichi Annex (2016年12月5日). 2024年10月21日閲覧。 ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、131頁。ISBN 9784309225043。 ^ “東京特派員 年老いて、万事枯れゆく 湯浅博”. 産経新聞 (2017年5月9日). 2024年10月21日閲覧。 ^ “4月11日。高橋圭三「管理職になってハンコなんか押せない。ハンコは誰でも押せるが、職人アナの代わりはいない」”. 久恒啓一. 2024年10月21日閲覧。 ^ “「小川宏ショー」の小川宏さん死去、90歳 フリーアナウンサー”. 産経新聞 (2016年12月5日). 2024年10月21日閲覧。 小川宏 - 日本映画データベース 小川宏 - allcinema 小川宏 - KINENOTE Hiroshi Ogawa - IMDb(英語) 小川宏 - MOVIE WALKER PRESS 小川宏 - NHK人物録 VIAF 日本 フリーアナウンサー NHKの元職員アナウンサー フジテレビのアナウンサー 日本の司会者 日本の男優 日本のギネス世界記録保持者 日本の闘病記著者 早稲田大学出身の人物 東京都立墨田川高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 吃音の人物 1926年生 2016年没 書きかけの節のある項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2025/03/22 17:58更新
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ogawa hiroshi
小川宏と同じ誕生日4月17日生まれ、同じ東京出身の人

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