松林宗恵の情報(まつばやししゅうえ) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松林 宗恵さんについて調べます
■名前・氏名 |
松林宗恵と関係のある人
佐伯秀男: 『婚約指輪 エンゲージリング』 : 監督松林宗恵、脚本若尾徳平、原作・脚本・主演石原慎太郎、製作・配給東宝、1956年11月20日公開 - 「宝石店支配人」役 御木本伸介: 鈴木紳也の名前で、阿部豊の監督作『叛乱』、『日本敗れず』、『花真珠』、松林宗恵監督・須崎勝弥脚本の『人間魚雷回天』に出演した。 古沢憲吾: 東宝復帰後は、市川崑、渡辺邦男、松林宗恵、本多猪四郎、稲垣浩、鈴木英夫らの助監督を務めた。 藤本真澄: 稲垣浩監督『日本誕生』『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』、松林宗恵監督『世界大戦争』、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』など、東宝が社を挙げて大作映画を製作する時は、藤本と田中が共同でプロデュースに当たった。 手塚勝巳: ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年 松林宗恵監督):花嫁の介添え 丹阿弥谷津子: 東京のえくぼ(1952年)監督:松林宗恵 共演:上原謙 手塚勝巳: 太平洋の翼(1963年 松林宗恵監督) 中井貴一: 赤面症で俳優になるなど考えたこともなかったというが、父の17回忌の法要の際に映画監督の松林宗恵にスカウトされる。 阿部九州男: 『てなもんや東海道』 : 監督松林宗恵、1966年 久保明: 青い山脈(1957年、松林宗恵監督) - 金豊六助 平田昭彦: ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、松林宗恵監督) - 飛行長 御木本伸介: 阿部豊や松林宗恵が新東宝を離れた後は、供給過剰の製作体制の中で作品に恵まれたとは言い難いが、主演男優的ポジションを務めた小林悟監督のオールロケ作品『三人の女強盗』では、平凡な日常生活が一気に暗転して追い込まれていく不運なタクシー運転手を演じ、「御木本伸介の素ぼくな熱演を注目してやりたい」と深沢哲也から好意的批評を受けた。 伊藤実: 世界大戦争(1961年 松林宗恵監督):観測員 永島敏行: しかし、本人は「当時は岡本喜八や松林宗恵といった素晴らしい監督たちと仕事ができることが嬉しく、みんなで作品を作る喜びを感じ“こんな楽しい世界にいていいのか”という気持ちだった」と後年語っている。 黒沢年雄: 岡本喜八、福田純、西村潔、松林宗恵などの作品に多く起用されて人気が出る。 藤本真澄: 世界大戦争(松林宗恵監督、1961年) 平田昭彦: 潜水艦イ-57降伏せず(1959年、松林宗恵監督) - 中沢中尉 佐伯秀男: 1959年(昭和34年)4月5日に公開された『まり子自叙伝 花咲く星座』(監督松林宗恵)が三原名義の最後の出演作であり、同作を期に東宝を去る。 渋谷英男: 世界大戦争(1961年 松林宗恵監督):笠置丸船員 久慈あさみ: 続・社長三代記(1958年、東宝) 監督:松林宗恵 この作品から「続・社長学ABC」(1970年)まで社長シリーズに連続27本、「はりきり社長」と合わせて28本に、社長・森繁久彌の夫人役でレギュラー出演。 佐伯秀男: 『まり子自叙伝 花咲く星座』 : 監督松林宗恵、原作菊田一夫、脚本関沢新一、主演宮城まり子、製作・配給東宝、1959年4月5日公開(映倫番号 11122) - 「花山行之介」役 乙羽信子: 世界大戦争(1961年、東宝 松林宗恵監督) - 田村お由 鍛冶昇: 勝利者たち (1993年 円谷プロ)‐ 松林宗恵監督と共同演出 平田昭彦: 兄とその妹(1956年、松林宗恵監督) - 有田道夫 御木本伸介: 阿部の命名で芸名を御木本伸介と改め、松林宗恵初の喜劇作品となる『風流交番日記』の新人巡査役で本格的にデビュー。 藤本真澄: 監督では堀川弘通、松林宗恵、松山善三、須川栄三、岩内克己ら。 平田昭彦: 太平洋の翼(1963年、松林宗恵監督) - 加藤航空隊副長 渡邊祐介: 助監督として中川信夫、佐伯幸三、斎藤寅次郎、市川崑、松林宗恵らにつく。 平田昭彦: 連合艦隊(1981年、松林宗恵監督) - 下田飛行長 井手雅人: 浅草の鬼(1955年、監督:松林宗恵) - 瀬川昌治と共同脚本 |
松林宗恵の情報まとめ
松林 宗恵(まつばやし しゅうえ)さんの誕生日は1920年7月7日です。島根出身の映画監督のようです。
映画、卒業、退社、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。
松林宗恵のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年(大正9年)7月7日 - 2009年(平成21年)8月15日)は、日本の映画監督。元海軍士官で、僧侶でもある。法名、釈 宗惠(しゃく しゅうえ)。 島根県江津市桜江町(元邑智郡桜江町)の浄土真宗の寺の五男に生まれる。小学校から井原村満行寺(現・邑智郡邑南町)に移り、中学は広島新庄中学に入学して2年生から広陵中学(現・広陵高校)に転校し、広島市へ出た。1938年(昭和13年)に卒業した後には京都へ進み、1941年(昭和16年)に龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部に移り、在学中の1942年(昭和17年)には映画に仏心を注入したいと考え、東宝演出助監部に入る。 1943年(昭和18年)、学部を短縮卒業して海軍第3期兵科予備学生となり、1944年(昭和19年)には海軍少尉に任官され、部下150名を連れて南支那廈門島の陸戦隊長となる。戦後は復員して東宝への復職を経て、東宝争議に際し渡辺邦男や斎藤寅次郎らに従って新東宝に移った。 1952年(昭和27年)に上原謙主演の『東京のえくぼ』で初監督。藤本真澄プロデューサーの東宝復帰に伴い、1955年(昭和30年)に新東宝を退社して東宝に復帰。以降は、森繁久彌主演の『社長シリーズ』をはじめとする喜劇や『連合艦隊』をはじめとする戦争映画など、多岐にわたる68本の劇映画を監督した。 そのほか、テレビドラマの演出なども担当して1980年(昭和55年)からはフリーとなり、1990年代以降は主に講演活動などに従事していた。 2004年(平成16年)3月には、故郷である江津市桜江町の「水の国/ミュージアム104"」内に、「松林宗恵映画記念館」が開館した。 2009年8月15日午前7時10分に心不全で死去。89歳没。同年9月10日には東宝スタジオにて「お別れ会」が行われ、追悼の辞を述べた司葉子ら芸能界関係者や安倍晋三元首相などが出席した。生家の福泉寺に墓所がある。 2020年(令和2年)には江津市総合市民センターにて展示会「松林宗恵生誕100周年記念展示」が行われたほか、2022年には川越まちづくり協議会による『川越かるた』の読み札の1枚に挙げられている。 自らの作家性よりも脚本の意図に忠実に撮影する職人気質で知られるが、仏心を描こうと常に心がけていたという。先輩の黒澤明や市川崑のように華々しい映画賞に恵まれる存在ではなかったが、大ヒットシリーズと特撮超大作のどちらも着実にこなし、黒澤や市川が不在だった1960年代後半には岡本喜八と並ぶ東宝のエース監督であった。市川とは特に仲が良く、1979年の『女王蜂』の応援監督としてまったく違和感のないB班をこなしている。 『太平洋の嵐』などに出演した夏木陽介は、松林は従軍経験から自ら敬礼などの指導を行っていたと証言している。また、戦争経験者であることから一本筋が通った人物であったと評しており、戦争を繰り返してはいけないというテーマを最も重視していたと述懐している。 『世界大戦争』などに出演した女優の星由里子は、松林は冗談を言うなど現場を明るくしようと務めていたと証言しており、楽しい人物であったと述懐している。 『世界大戦争』に出演した宝田明は、松林は同作品に格別の思いを持っていることを語っていたと証言しており、宝田も同作品を松林の代表作に挙げている。 水色のワルツ(青柳信雄との共同監督、東映、1952年5月15日) 東京のえくぼ(新東宝、1952年7月15日) ハワイの夜(マキノ雅弘との共同監督、新東宝、1953年1月8日) アチャコ青春手帳第三話 まごころ先生の巻(新東宝、1953年3月12日) 戦艦大和(応援監督、新東宝、1953年6月15日) 青春ジャズ娘(国際放映、1953年9月22日) 花と波涛(新東宝、1954年2月10日) トラン・ブーラン 月の光(新東宝、1954年9月21日) 慈悲心鳥(新東宝、1954年11月15日) 人間魚雷回天(新東宝、1955年1月9日) 月に飛ぶ雁(東宝、1955年4月19日) 浅草の鬼(大映東京、1955年8月14日) 風流交番日記(新東宝、1955年11月8日) 天国はどこだ(新東宝、1956年4月23日) あなたも私もお年頃(大映京都、1956年6月21日) 兄とその妹(東宝、1956年9月19日) 婚約指輪 エンゲージリング(東宝、1956年11月20日) 美貌の都(宝塚映画、1957年3月13日) ひかげの娘(東宝、1957年6月5日) 青い山脈・新子の巻(東宝、1957年10月27日) 続青い山脈・雪子の巻(東宝、1957年11月19日) 社長シリーズ
続・社長三代記(東宝、1958年3月18日) 社長太平記(東宝、1959年1月3日) 社長道中記(東宝、1961年4月25日) 続・社長道中記(東宝、1961年5月30日) サラリーマン清水港(東宝、1962年1月3日) 続サラリーマン清水港(東宝、1962年3月7日) 社長外遊記(東宝、1963年4月28日) 続・社長外遊記(東宝、1963年5月29日) 社長紳士録(東宝、1964年1月3日) 続・社長紳士録(東宝、1964年2月29日) 社長忍法帖(東宝、1965年1月3日) 続・社長忍法帖(東宝、1965年1月31日) 社長行状記(東宝、1966年1月3日) 続・社長行状記(東宝、1966年2月25日) 社長千一夜(東宝、1967年1月1日) 続・社長千一夜(東宝、1967年6月3日) 社長繁盛記(東宝、1968年1月14日) 続・社長繁盛記(東宝、1968年2月24日) 社長えんま帖(東宝、1969年1月15日) 続・社長えんま帖(東宝、1969年5月17日) 社長学ABC(東宝、1970年1月15日) 続・社長学ABC(東宝、1970年2月28日) 風流温泉日記(東宝、1958年8月19日) 大学の人気者(東宝、1958年9月30日) まり子自叙伝 花咲く星座(東宝、1959年4月5日) 潜水艦イ-57降伏せず(1959年7月5日) 夜を探がせ(東宝、1959年10月18日) ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(東宝、1960年4月26日) がんばれ! 盤嶽(東宝、1960年10月16日) 世界大戦争(東宝、1961年10月8日) 新・狐と狸(宝塚、1962年9月29日) 太平洋の翼(東宝、1963年1月3日) こんにちは赤ちゃん(東宝、1964年3月20日) 万事お金(東宝、1964年10月14日) てなもんや東海道(東宝、1966年8月14日) 落語野郎 大泥棒(東宝、1967年4月15日) てなもんや幽霊道中(東宝、1967年9月2日) 喜劇 百点満点(東宝、1976年10月2日) 恋の空中ぶらんこ(東宝、1976年12月25日) 関白宣言(東宝、1979年12月22日) 連合艦隊(東宝、1981年8月8日) ふしぎな國 日本(松竹=松林プロ、1983年4月29日)※ 製作も担当 山下少年物語(キネマ東京、1985年10月10日) ゴルフ夜明け前(東宝、1987年12月19日) 勝利者たち(円谷プロ、1992年10月10日) 泣いてたまるか(1966年 - 1968年、TBS) 帰ってきたウルトラマン(1972年、TBS・円谷プロダクション) ライオン奥様劇場 妻の過去(1974年、フジテレビ・東宝) 少年探偵団 (BD7)(1975年 - 1976年、日本テレビ・日本現代企画) 平成維新伝 群狼がゆく(2000年、GPミュージアム) - 制作総指揮 『私と映画・海軍・仏さま』(1985年3月、大蔵出版) ISBN 4804320032 『まことしやかにさりげなく -映画監督 松林宗恵』(2011年1月1日、仏教伝道協会) ISBN 9784892375187 ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 540, 「特撮映画スタッフ名鑑」 ^ 野村宏平、冬門稔弐「7月7日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、183頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 ^ 小林淳 2022, p. 159, 「第四章 色彩感豊かなSF映画に活力を注ぐ奏楽 [1960、1961] 五『世界大戦争』」 ^ “松林宗恵生誕100周年記念展示を開催しています”. 江津市ホームページ. 江津市 (2020年10月15日). 2022年8月2日閲覧。 ^ “▼松林宗恵映画記念館”. 島根県江津市桜江町観光情報(公式). 江津市観光協会桜江支部. 2022年8月2日閲覧。 ^ “龍谷人偉人伝 松林宗恵”. 龍谷大学. 2022年8月2日閲覧。 ^ “黒澤明監督の盟友、松林宗恵監督のお別れ会に大御所らが出席”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2009年9月11日). https://www.cinematoday.jp/news/N0019556 2022年8月2日閲覧。 ^ “島根:川越愛 深まるかるた”. 読売新聞オンライン (読売新聞社). (2022年7月1日). https://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/news/20220630-OYTNT50081/ 2022年8月2日閲覧。 ^ ゴジラとともに 2016, p. 88, 構成・文 友井健人「夏木陽介」 ^ 東宝特撮女優大全集 2014, pp. 76–77, 聞き手:手塚昌明/構成:鈴木啓之「星由里子インタビュー」 ^ ゴジラとともに 2016, p. 7, 構成・文 浦山珠夫「宝田明」(『映画秘宝』2010年2月号掲載) 「監督も演技するのです 松林宗恵氏にきく」(対談文責:増渕健『季刊映画宝庫9 日本映画が好き!!!』芳賀書店、1979年1月) 映画全史1983">『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。 別冊映画秘宝編集部 編『〈保存版〉別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日。ISBN 978-4-8003-0495-7。 別冊映画秘宝編集部 編『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日。ISBN 978-4-8003-1050-7。 小林淳『東宝空想特撮映画 轟く 1954-1984』アルファベータブックス〈叢書・20世紀の芸術と文学〉、2022年5月14日。ISBN 978-4-86598-094-3。 水の国 - 江津市桜江町に所在するミュージアム。しばしば松林の記念展示・上映会を開催する。 中井貴一 - 松林が俳優にスカウトした。 松林宗恵 - allcinema 松林宗恵 - KINENOTE 松林宗恵 - 日本映画データベース 松林宗恵映画記念館 情報 龍谷人偉人伝 -映画監督 松林宗恵 映画監督 松林宗恵 -和尚・海軍士官・映画監督を生かされて- - イーライフストリート NPO法人千日倶楽部 Shue Matsubayashi - IMDb(英語) 表 話 編 歴 水色のワルツ 東京のえくぼ ハワイの夜 アチャコ青春手帳第三話 まごころ先生の巻 戦艦大和 青春ジャズ娘 花と波涛 トラン・ブーラン 月の光 慈悲心鳥 人間魚雷回天 月に飛ぶ雁 浅草の鬼 風流交番日記 天国はどこだ あなたも私もお年頃 兄とその妹 婚約指輪 エンゲージリング 美貌の都 ひかげの娘 青い山脈・新子の巻 続青い山脈・雪子の巻 社長三代記 続・社長三代記 風流温泉日記 大学の人気者 社長太平記 まり子自叙伝 花咲く星座 潜水艦イ-57降伏せず 夜を探がせ ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 がんばれ! 盤嶽 社長道中記 続・社長道中記 世界大戦争 サラリーマン清水港 続サラリーマン清水港 新・狐と狸 太平洋の翼 社長外遊記 続・社長外遊記 社長紳士録 続・社長紳士録 こんにちは赤ちゃん 万事お金 社長忍法帖 続・社長忍法帖 社長行状記 続・社長行状記 てなもんや東海道 社長千一夜 落語野郎 大泥棒 続・社長千一夜 てなもんや幽霊道中 社長繁盛記 続・社長繁盛記 社長えんま帖 続・社長えんま帖 社長学ABC 続・社長学ABC 喜劇 百点満点 恋の空中ぶらんこ 関白宣言 連合艦隊 ふしぎな國 日本 山下少年物語 ゴルフ夜明け前 勝利者たち FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research SNAC 日本の映画監督 日本の放送関係者 日本のテレビディレクター 特撮スタッフ 東宝の人物 新東宝の人物 浄土真宗の僧 大日本帝国海軍予備員 龍谷大学出身の人物 日本大学出身の人物 広島新庄高等学校出身の人物 広陵高等学校 (広島県)出身の人物 島根県出身の人物 1920年生 2009年没 プロジェクト人物伝項目 2024/11/20 11:17更新
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matsubayashi syuue
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