榎本直樹の情報(えのもとなおき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
榎本 直樹さんについて調べます
■名前・氏名 |
榎本直樹と関係のある人
辻恭彦: 翌12日のダブルヘッダーでもスタメンマスクを被り、第2試合で榎本直樹からシーズン1号、同年唯一の本塁打を放った。 山口高志: 疲労の残る関西大学は、エース榎本直樹を擁する中京大学に敗れて準優勝であった。 大島忠一: 1970年には、エース榎本直樹とバッテリーを組み、全日本大学野球選手権大会決勝で関大を破り初優勝。 水谷孝: 高校同期に左翼手の渋谷洋一(阪急)、控え投手の榎本直樹がいる。 相本和則: 翌1970年の第1回明治神宮野球大会は、大学同期の川端理史の好投もあって、決勝で中京大の榎本直樹を打ち崩し優勝を飾る。 瀬戸和則: 同年オフに榎本直樹との交換トレードで、ヤクルトスワローズへ移籍するが、ここでは公式戦での登板機会に恵まれず1977年限りで引退した。 道原裕幸: 初安打・初本塁打・初打点:1972年10月8日、対ヤクルトアトムズ25回戦(広島市民球場)、2回裏に榎本直樹から左越3ラン 小田義人: 初打点:1973年5月15日、対大洋ホエールズ4回戦(明治神宮野球場)、5回裏に榎本直樹の代打として出場、竹内広明から内野ゴロの間に記録 長崎慶一: 初打点:1973年5月16日、対ヤクルトアトムズ5回戦(明治神宮野球場)、4回表に榎本直樹から二塁ゴロ失策の間に記録 三原脩: また、ヤクルトアトムズ監督時代の1973年には小林国男、榎本直樹ら若手投手を3回ずつ登板させた後、主戦投手の松岡弘、浅野啓司を中継ぎで起用させるパターンを練り上げ、その結果、チーム防御率がリーグトップの好成績を記録した。 成田昇: 昇格直後にはエース榎本直樹を擁する中京大を破り、成田旋風を巻き起こした。 |
榎本直樹の情報まとめ
榎本 直樹(えのもと なおき)さんの誕生日は1948年7月10日です。三重出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。榎本直樹の現在の年齢は76歳のようです。
榎本直樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は、三重県南牟婁郡御浜町出身の元プロ野球選手(投手)。 三重高校では1966年に、エース水谷孝の控え投手として春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では2回戦(初戦)で宇部商に敗れ、榎本の登板機会はなかった。夏の選手権では2回戦に進出するが、平安の門野利治、池田信夫両投手の継投の前に2-7で敗退。この試合で水谷をリリーフし、1イニングだけ登板した。 高校卒業後は、中京大学に進み、愛知大学野球リーグでは1968年秋季リーグから1970年秋季リーグまでの連覇に貢献。3年生春から4季連続で最優秀選手とベストナインに選ばれた。1970年の全日本大学野球選手権では、決勝で山口高志投手を擁する関西大学を降し、愛知大学野球連盟代表として初優勝を飾る。ただ山口は法大との準決勝で延長20回を投げ抜いており、この試合は登板を回避した。同年の明治神宮野球大会では、決勝でエース川端理史らのいた東海大学に敗れ準優勝にとどまった。愛知大学リーグ通算59試合登板、36勝7敗、防御率1.15、266奪三振。 大学4年時の1970年秋には、ドラフト会議で大洋ホエールズから6位指名を受けるも、プロ入りを拒否。翌年、北海道拓殖銀行へ入行した。1971年の北海道大会で最優秀選手となる。 ドラフト会議でヤクルトアトムズに2位指名され、入団。最も活躍したのは2年目の1973年で、松岡弘に次ぐ23試合に先発し5勝4敗、規定投球回(13位)にも到達した。しかし翌年は未勝利に終わり、その後は主に中継ぎとして起用された。 1976年オフに、瀬戸和則投手との交換トレードで広島東洋カープへ移籍するも10試合のみの登板に留まり、1978年暮れに引退した。引退後は北海道にある夫人の実家で酪農業に従事する。 左のサイドスローから、スライダーやシンカー、フォークボールなどの変化球を繰り出す、抜群のコントロールで勝負する技巧派投手。中でも特に、左腕特有の縦に割れるカーブは評価が高い。 13 (1972年 - 1976年) 47 (1977年 - 1978年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、92ページ 三重県出身の人物一覧 中京大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 広島東洋カープの選手一覧 個人年度別成績 榎本直樹 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1位:杉山重雄 2位:榎本直樹 3位:尾崎健夫(入団拒否) 4位:益川満育 5位:渡辺孝博 6位:安田猛 7位:松岡清治 8位:尾崎亀重 9位:水谷新太郎 10位:高松勇好(入団拒否) 11位:藤沢公也(入団拒否) 12位:小林国男 表 話 編 歴 1位:野口善男 2位:佐藤守(入団拒否) 3位:清水透(入団拒否) 4位:鵜沢達雄 5位:八木勝彦(入団拒否) 6位:榎本直樹(入団拒否) 7位:芦岡俊明(入団拒否) 日本の野球選手 三重高等学校出身の野球選手 中京大学硬式野球部の選手 たくぎん野球部及びその前身チームの選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 三重県出身の人物 1948年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/18 21:25更新
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enomoto naoki
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