渡辺義雄の情報(わたなべよしお) 写真家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
渡辺 義雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
渡辺義雄と関係のある人
金丸重嶺: 1972年、同大学に渡辺義雄とオリジナルプリント収集準備会を発足。 妹尾三郎: 128 1991年 5月「渡辺義雄写真展/文化功労者記念」横浜・横浜美術館 三木淳: 10期20年会長を務めた渡辺義雄の後任として、圧倒的な信任を得てのことだった。 木村伊兵衛: 写真部として岡田、そして光吉夏弥、渡辺義雄らと国際報道写真協会を設置した。 田村茂: この頃から渡辺義雄と親睦を深めたという。 丹野章: 1970年、著作権法の改正に関して、日本写真家協会を代表し、渡辺義雄とともに、第63回通常国会の衆参両院の関係委員会で意見を述べた。 妹尾三郎: 88 1990年 2月「渡辺義雄写真展」新潟・三条市体育文化センター 妹尾三郎: 17 1985年 9月「渡辺義雄写真展/古寺大観」新潟・伊勢丹百貨店 津村秀夫: 同誌の顧問に伊奈信男、金丸重嶺、木村伊兵衛、渡辺義雄を迎える。 木村伊兵衛: 渡辺義雄、安岡章太郎、佐々木崑 ほか 編『木村伊兵衛 写真全集 昭和時代』 2巻、筑摩書房、1984年、187頁。 金丸重嶺: 1972年 同大学に渡辺義雄とオリジナルプリント収集準備会を発足。 林忠彦: 木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人である。 妹尾三郎: 20 1986年 1月「渡辺義雄写真展/古寺大観」守口・京阪百貨店 川添登: (丹下健三、渡辺義雄)『伊勢 日本建築の原形』朝日新聞社 1962 ムロツヨシ: ダンスウィズミー(2019年8月16日、矢口史靖監督) - 渡辺義雄 役 金丸重嶺: 1950年 渡辺義雄を日本大学芸術学部写真学科に招聘。 濱谷浩: 同年、敬愛する写真家・渡辺義雄のいたオリエンタル写真工業に入社。 伊藤延男: 『日本名建築写真選集 第3巻 平等院』渡辺義雄撮影 解説 竹西寛子エッセイ 新潮社 1992 妹尾三郎: 国立の写真美術館構想が渡辺義雄氏を中心にもちあがり、実際には川崎市民ミュージアム(1988年開館)と横浜美術館(1989年開館)の写真部門、東京都写真美術館の設立(1990年の一時施設として開館)にあわせ、数多くの作品収蔵納入や保存や展示構成などを支援した。 妹尾三郎: 12 1985年 1月「渡辺義雄写真展/古寺大観」銀座・和光 妹尾三郎: 80 1989年 7月「写真家・渡辺義雄展」新潟・新潟県美術博物館 |
渡辺義雄の情報まとめ
渡辺 義雄(わたなべ よしお)さんの誕生日は1907年4月21日です。新潟出身の写真家のようです。
受賞・栄典、戦後の代表作などについてまとめました。現在、卒業に関する情報もありますね。
渡辺義雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)渡辺 義雄(わたなべ よしお、1907年4月21日 - 2000年7月21日)は、日本の写真家である。 戦前はライカなどの小型写真機を駆使したスナップ写真で著名となった。フリーランスとなってからは、対外宣伝グラフ誌『NIPPON』に参加。また国際文化振興財団や木村伊兵衛らの中央工房に関係した国際報道写真協会で活躍。報道写真家の草分けとなる。戦後には大型カメラを使用する建築写真界の第一人者、そして優れた写真教育者となった。写真家としては日本で最初の文化功労者。三条市名誉市民。 新潟県南蒲原郡三条町(現在の三条市)に呉服商の家に生まれる。1925年小西写真専門学校(のちの東京写真専門学校)に入学。在学中より『写真月報』に作品を発表。1928年東京写真専門学校(現東京工芸大学)卒業。6年間「オリエンタル写真工業」にエンジニアとして勤務。1930年木村専一の「新興写真研究会」に参加。ドイツの新しい写真表現である新即物主義に強い影響を受ける。1931年オリエンタル写真工業宣伝部所属となり『フォトタイムス』で撮影、編集に携わる。同誌にライカ等の小型カメラを駆使し、東京の都市生活におけるモダンな風俗や生活をスナップし組写真とした『CAMERA WORK』を発表。新興写真を代表する写真家の一人となる。またオリエンタル写真工業時代には濱谷浩が渡辺の助手を務めたことがあった。また戦前から建築写真を発表。美術評論家の板垣鷹穂と建築家の堀口捨己の示唆により、当時モダンな建築として話題となっていた御茶ノ水駅を撮影。東京大空襲で戦前のすべてのネガやプリントを喪失した。1950年、日本写真家協会設立の発起人・主宰者となり、1958年から23年間会長を務めた。1958年、金丸重嶺に請われて教鞭を執っていた日本大学芸術学部写真学科の教授に就任。1956年、エドワード・スタイケンによる『The Family of Man』日本巡回展では実行委員長を務めた。また東京都写真美術館では1990年の第1次開館時から館長に就任。日本写真芸術学会会長、日本写真協会理事長、ニコンサロン名誉館長、日本報道写真協会理事長、日本著作権協議会代表理事などを歴任。写真会社に勤務していたこともあり、写真化学に詳しく、光学器械の技術内容にも明るかった。「カメラを持って町に出よう、人の生活、動きを撮影しよう」「一回のシャッターに魂を込めろ」と、日大芸術学部の学生や東京写真大学(現・東京工芸大学)の後輩達に指導していた。 受賞・栄典1957年 芸術選奨文部大臣賞、日本写真協会年度賞 1961年 通産大臣賞 1970年 日本写真協会功労賞 1970年 紺綬褒章 1972年 紫綬褒章 1974年 毎日芸術賞 1978年 勲三等瑞宝章 1989年 文化功労者、東京都文化賞、三条市名誉市民 戦後の代表作『皇宮』トッパン、1949年 『帝国ホテル』鹿島研究所出版会、1968年 『伊勢神宮』平凡社、1973年(翌年、第15回毎日芸術賞受賞) 『奈良六大寺大観』岩波書店、1968-1973年(共著)
『神宮と伊勢路 日本の美 現代日本写真全集12』集英社、1979年 『宮殿と迎賓館 日本の心 現代日本写真全集12』集英社、1980年 『日本の塔 信仰とその象徴 渡辺義雄写真集』毎日新聞社、1982年 『日本名建築写真選集』新潮社、1992年(共著) 『伊勢神宮 渡辺義雄の眼』講談社、1994年 2024/06/27 23:25更新
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watanabe yoshio
渡辺義雄と同じ誕生日4月21日生まれ、同じ新潟出身の人
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