白坂依志夫の情報(しらさかよしお) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
白坂 依志夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
白坂依志夫と関係のある人
伊海田弘: 『白昼の襲撃』 : 監督西村潔、脚本白坂依志夫・西村潔、主演黒沢年男、製作東京映画、配給東宝、1970年2月8日公開(映倫番号 16000) 石松愛弘: 最初は東宝の入社試験を受けるが、採用者が決定する直前になって「胸に影」があったのが理由となって採用取り消しとなり、その代わりに大映を紹介してもらい、卒業後大映に入社し、白坂依志夫、舟橋和郎、増村保造らに師事。 増村保造: 青空娘(1957年、大映東京)原作:源氏鶏太、脚本:白坂依志夫 増村保造: 曽根崎心中(1978年、行動社=木村プロ=ATG)原作:近松門左衛門、脚本:白坂依志夫・増村保造 増村保造: 盲獣(1969年、大映東京)原作:江戸川乱歩、脚本:白坂依志夫 市川崑: 作曲家の山本直純と山本純ノ介、脚本家の八住利雄と白坂依志夫らが親子、詩人で多くの脚本を書いた谷川俊太郎、その子で晩年作品のほとんどで音楽監督を務めたジャズピアニストの谷川賢作らはスタッフとなっている。 八住利雄: 脚本家の白坂依志夫は長男。 増村保造: うるさい妹たち(1961年、大映東京)原作:五味康祐、脚本:白坂依志夫 増村保造: 暖流(1957年、大映東京)原作:岸田國士、脚本:白坂依志夫 増村保造: 嘘(オムニバス・第1話プレイガール)(1963年、大映東京)脚本:白坂依志夫 篠田正浩: 山の讃歌 燃ゆる若者たち (1962年) 脚本:白坂依志夫 増村保造: 巨人と玩具(1958年、大映東京)原作:開高健、脚本:白坂依志夫 増村保造: 大地の子守歌(1976年、行動社=木村プロ/松竹)原作:素九鬼子、脚本:白坂依志夫・増村保造 宮川一郎: 桂千穂は師匠・白坂依志夫は勿論、宮川のシナリオに大きな影響を受けたと話している。 増村保造: 好色一代男(1961年、大映東京)原作:井原西鶴、脚本:白坂依志夫 増村保造: 天才脚本家と呼ばれた白坂依志夫は、『青空娘』(1957年)から『曽根崎心中』(1978年)まで13作の脚本を担当し、新藤兼人も『氷壁』(1958年)から『松本清張スペシャル・黒い福音』(1984年)まで10作の脚本を担当し、それぞれ名コンビとして知られた。 増村保造: 氾濫(1959年、大映東京)原作:伊藤整、脚本:白坂依志夫 桂千穂: 白坂依志夫に師事し、『盲獣』(1969年)では、白坂の指導を受けてシナリオの一部分を執筆している(クレジット記載はなし)。 増村保造: 最高殊勲夫人(1959年、大映東京)原作:源氏鶏太、脚本:白坂依志夫 増村保造: 動脈列島(1975年、東京映画/東宝)原作:清水一行、脚本:白坂依志夫・増村保造 山本夏彦: 甥に脚本家の白坂依志夫。 伊海田弘: 『動脈列島』 : 監督増村保造、原作清水一行、脚本白坂依志夫・増村保造、主演田宮二郎、製作東京映画、配給東宝、1975年9月6日公開(映倫番号 18338) - 出演、121分の上映用プリントをNFCが所蔵 増村保造: 黒の超特急(1964年、大映東京)原作:梶山季之、脚本:白坂依志夫・増村保造 増村保造: 斜陽(1974年)原作:太宰治、脚本:白坂依志夫・増村保造(未映画化作) 木下恵介: 日常的に女性的な言葉遣いをすることが多かったが、それ以外のセクシャリティを示すような具体的なエピソードはきわめて少ない(ただし、脚本家の白坂依志夫の回顧エッセイでは、「木下監督がホモ・セクシャルなことは、有名である。 井手雅人: 第50回全国高校野球選手権大会 青春(1968年、監督:市川崑) - 白坂依志夫・伊藤清・谷川俊太郎と共同脚本 木下惠介: 日常的に女性的な言葉遣いをすることが多かったが、それ以外のセクシャリティを示すような具体的なエピソードはきわめて少ない(ただし、脚本家の白坂依志夫の回顧エッセイでは、「木下監督がホモ・セクシャルなことは、有名である。 増村保造: 大映倒産後は、映画プロデューサーの藤井浩明、脚本家の白坂依志夫とともに独立プロダクション「行動社」を設立し、『大地の子守歌』『曽根崎心中』などを監督。 増村保造: 喜劇・モッキンポット師の三度笠(1974年、東京映画)原作:井上ひさし、脚本:白坂依志夫・増村保造(未映画化作) 増村保造: 偽大学生(1960年、大映東京)原作:大江健三郎「偽証の時」、脚本:白坂依志夫 |
白坂依志夫の情報まとめ
白坂 依志夫(しらさか よしお)さんの誕生日は1932年9月1日です。東京出身の脚本家のようです。
現在、映画、ドラマ、卒業、退社、テレビ、結婚、離婚に関する情報もありますね。2015年に亡くなられているようです。
白坂依志夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1日 - 2015年(平成27年)1月2日)は、日本の脚本家である。本名︰八住 利義(やすみ としよし)。市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。 1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄(1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。 中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。成城学園高等学校卒業。早稲田大学文学部在学中は、左幸子や新東宝の若手俳優と劇団を結成し演劇活動に熱中するが、やがてアルバイトで脚本を書き始める。 1953年(昭和28年)に大学を中退。1955年(昭和30年)、大映東京撮影所に脚本家として入社する。ペンネームは、デビュー当時の阪神タイガースの二遊間コンビ、白坂長栄と吉田義男に由来するが、特にタイガース・ファンという訳ではなかった。 高校時代から交流があった三島由紀夫作品を原作とした『永すぎた春』(監督田中重雄、1957年)で注目され、1957年(昭和32年)、大映を退社し、各社と契約。『巨人と玩具』(監督増村保造、大映、1958年)、自らも出演した『野獣死すべし』(1959年、東宝、監督須川栄三)、『われらの時代』(監督蔵原惟繕、日活、1959年)と映画会社をまたにかけて、若々しい感性の作品をたてつづけに執筆し、日本映画界の若き才能として活躍する。また、1958年(昭和33年)にはテレビドラマにおいて、同年に完成した東京タワーを指す語をタイトルに、テレビの勃興を脅威に感じる映画界の人々を描く異色作『マンモスタワー』の脚本を執筆し、芸術祭奨励賞を受賞した。 同世代の若き文化人たち、大江健三郎、石原慎太郎、寺山修司、谷川俊太郎、武満徹、和田誠、伊丹十三らと盛んに交流した。増村保造とは名コンビとして、1978年(昭和53年)の『曽根崎心中』まで、多くの作品を作り続けた。大映倒産後には、増村映画のプロデューサーであった藤井浩明、増村とともに独立プロダクション「行動社」を起こした。 私生活ではプレイボーイとしても知られ、女優たちとの赤裸々な交際などを回顧したエッセイ『白坂依志夫の人間万華鏡』を月刊「シナリオ」誌に連載し、大いに話題を呼んだ。のちに別冊『脚本家白坂依志夫の世界 書いた!跳んだ!遊んだ!』としてまとめられた。門下生に石松愛弘、桂千穂がいる。中川三郎(1916年 - 2003年)の長女で女優の中川弘子(1936年 - )と結婚したが、のちに離婚した。 2015年(平成27年)1月2日、肺炎のため、東京都内の自宅で死去した。満82歳没。葬儀は近親者のみで行い、喪主は長女の竹宮映子が務め、白坂の死はその4日後の同6日に報じられた。 白坂が手がけたおもな劇場用映画、テレビ映画の一覧である。 『永すぎた春』 : 監督田中重雄、1957年5月28日公開 『青空娘』: 監督増村保造、1957年10月8日公開 大映東京 『暖流』 : 監督増村保造、1957年12月1日公開 『巨人と玩具』 : 監督増村保造、1958年6月22日公開 『完全な遊戯』 : 監督舛田利雄、1958年11月12日公開 『マンモスタワー』 : 1958年11月16日放映(テレビ映画・東芝日曜劇場) 『からっ風野郎』 : 監督増村保造、1960年3月23日公開 - 途中降板(脚本菊島隆三・安藤日出男) 『紐』 : 監督石川甫、1960年7月4日・同11日・同18日放映(テレビ映画・ナショナルゴールデン・アワー) 『バカヤロウの風景』 : 1960年8月12日放映(テレビ映画・サンヨーテレビ劇場) 『ドキュメントフィルム日本1960』 : 監督岡本愛彦、1960年11月25日放映(テレビ映画・サンヨーテレビ劇場) 『好色一代男』 : 監督増村保造、1961年3月21日公開 『黒の超特急』 : 監督増村保造、1964年10月31日公開(黒シリーズ) - 増村保造と共同で脚本 『大根と人参』 : 監督渋谷実、1965年1月3日公開 『東京オリンピック』 : 監督市川崑、1965年3月20日公開 - 和田夏十・谷川俊太郎・市川崑と共同で脚本 『けものみち』 : 監督須川栄三、1965年9月5日公開 - 須川栄三と共同で脚本 『第50回全国高校野球選手権大会 青春』 : 監督市川崑、1968年9月21日公開 - 井手雅人・谷川俊太郎・伊藤清と共同で脚本 『五人の野武士』第3回『女をつれて地獄へ行け』 : 監督内出好吉、1968年10月22日放映(テレビ映画) 『盲獣』 : 監督増村保造、1969年1月25日公開 『おさな妻』 : 監督臼坂礼次郎、1970年11月12日公開 - 安本莞二と共同で脚本 『木枯し紋次郎』第17話『無縁仏に明日を見た』 : 監督土屋啓之助、1972年5月20日放映(テレビ映画) - 大藪郁子と共同で脚本 『真夜中の警視』 : 1973年4月3日 - 同年5月15日放映(テレビ映画) 『トリプル捜査線』第5話『人気歌手・ギャング団の襲撃』 : 監督井上昭、1973年8月6日放映(テレビ映画) 『野獣死すべし 復讐のメカニック』 : 監督須川栄三、1974年6月15日公開 - 工藤裕弘・須川栄三と共同で脚本 『非情のライセンス』第22話『兇悪の夫婦』 : 監督松島稔、1975年2月27日放映(テレビ映画) 『動脈列島』 : 監督増村保造、1975年9月6日公開 - 増村保造と共同で脚本 『黄金の犬』 : 監督山根成之、1979年6月2日公開 - 加藤盟と共同で脚本 『曽根崎心中』 : 監督増村保造、1978年4月29日公開 - 増村保造と共同で脚本 『愛の嵐の中で』 : 監督小谷承靖、1978年4月29日公開 - 安本莞二と共同で脚本 『皮ジャン反抗族』 : 監督長谷部安春、1978年12月2日公開 『探偵物語』第10話『夜の仮面』 : 監督長谷部安春、1979年11月20日放映(テレビ映画) 『薔薇の標的』 : 監督村川透、1980年4月19日公開 ^ “訃報:白坂依志夫さん 82歳=脚本家”. 毎日新聞 (2015年1月6日). 2015年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月23日閲覧。 ^ “脚本家の白坂依志夫氏が死去…三島作品を映画化”. 読売新聞 (2015年1月6日). 2015年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月23日閲覧。 ^ 著作者管理検索 検索結果、日本シナリオ作家協会、2015年8月19日閲覧。 ^ 樋口[2008], p.. 『脚本家 白坂依志夫の世界 書いた!跳んだ!遊んだ!』「シナリオ6月号別冊」日本シナリオ作家協会、2008年 『「月光仮面」を創った男たち』、樋口尚文、平凡社新書、2008年9月。ISBN 4582854354 市川市水木洋子シナリオ賞 白坂依志夫 - コトバンク 白坂依志夫 - 日本映画データベース Yoshio Shirasaka - IMDb(英語) ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 IdRef 日本の映画の脚本家 大映の人物 成城学園中学校高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1932年生 2015年没 出典のページ番号が要望されている記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/12/01 02:05更新
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