石原裕次郎の情報(いしはらゆうじろう) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
石原 裕次郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
石原裕次郎と関係のある人
松尾昭典: 紅の翼(作曲:佐藤勝/唄:石原裕次郎 テイチクレコード 1958年日活映画紅の翼主題歌) 大坂志郎: 紅の翼(1958年、日活 主演:石原裕次郎)西脇徹 泉谷しげる: 「君といつまでも」(加山雄三)、「嵐を呼ぶ男」(石原裕次郎)、「上を向いて歩こう」(坂本九)のカバーを行う。 宇野重吉: 宇野の長男の寺尾聰も同じ俳優で、石原裕次郎の生涯を描いたテレビドラマ『弟』(2004年、テレビ朝日)では寺尾が父・宇野を演じた(石原裕次郎と共演した清酒のCMのシーン)。 佐藤勝: 他にも石原裕次郎主演作品、東宝特撮SF作品、五社英雄監督作品など、日本映画を代表する数々の映画音楽を手がけた。 浜口庫之助: 港町 涙町 別れ町(歌:石原裕次郎)(1969年) 小夜福子: 気品がある優しい母親を演じることが多く、1957年(昭和32年)公開の『嵐を呼ぶ男』では石原裕次郎の母親役を演じた。 柴俊夫: 石原裕次郎と渡哲也の二大スターと共演したことは忘れがたい思い出だという。 長津義司: 『勝負道』[作詞:藤本義一、歌:石原裕次郎] 舘ひろし: この初めて会ったとき、立って挨拶してくれたという話は、渡が石原裕次郎を心酔する切っ掛けと同じである。 品田雄吉: 没後、山路ふみ子文化財団特別賞と第28回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞・特別功労賞が贈られた。 舘ひろし: 石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。 渡邉邦門: 留学先から応募した石原プロモーションの新人オーディション『オロナミンC「1億人の心をつかむ男」新人発掘オーディション〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜』にて応募総数5万2005人の中から2000年8月7日に木村昇と共に準グランプリに選ばれ芸能界入り。 宝田明: 三船のほか、森繁久彌や黒澤明、後輩で同い年の石原裕次郎などとも交流が深かった。 井上梅次: 素晴しき男性(主演・石原裕次郎、1958年) - 日活 ※原作・脚本兼任 松尾昭典: 日本映画の黄金時代に活躍し、石原裕次郎主演の「清水の暴れん坊」「男が命を賭ける時」、吉永小百合主演の「風と樹と空と」などや高橋英樹主演の「霧の夜の男」『男の紋章シリーズ』に代表される任侠映画も監督、また石原裕次郎主演の『紅の翼』をはじめ、脚本作品も何本か執筆していた。 稲垣吾郎: 第23回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 助演男優賞『十三人の刺客』 菅原卓磨: 2000年、 石原プロモーション主催の新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で最終候補入り。 金子信雄: 日活では、主に石原裕次郎や小林旭などの銀幕スターに対抗する敵役を演じた。 道枝駿佑: 第35回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞「石原裕次郎新人賞」「ファンが選ぶ最高演技賞」(『今夜、世界からこの恋が消えても』) 山内賢: 第一作目は『雲に向かって起つ』(石原裕次郎主演)。 三島由紀夫: 6月からは、勝新太郎、石原裕次郎、仲代達矢らと共演する映画『人斬り』(五社英雄監督)の撮影に入り、薩摩藩士の田中新兵衛役を熱演した。 野村孝: 石原裕次郎主演の『夜霧のブルース』、宍戸錠主演の『拳銃(コルト)は俺のパスポート』など多くのアクション映画を手掛けた。 木下龍太郎: 石原裕次郎「風花の宿」 上原賢六: 『錆びたナイフ』(昭和32年9月)[萩原四朗作詞、歌:石原裕次郎] なかにし礼: 石原裕次郎 渡哲也: 岡田からの東映移籍の誘いは「私は石原裕次郎に恩義があります。石原裕次郎を裏切ることはできません」とキッパリ断った。 新藤兼人: 海の野郎ども(1957年) - 石原裕次郎主演作。 金児憲史: 広島修道大学在学中 であった2000年に、石原プロモーション主催の「オロナミンC 1億人の心をつかむ男 新人発掘オーディション〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜」で、52005人の応募者の中から選ばれ石原プロ入り。 上原賢六: 『俺は待ってるぜ』(昭和32年3月)[石崎正美作詞、歌:石原裕次郎] |
石原裕次郎の情報まとめ
石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)さんの誕生日は1934年12月28日です。兵庫出身の俳優のようです。
映画、現在、卒業、結婚、テレビ、ドラマ、病気、解散、父親、兄弟、趣味、家族、退社、姉妹、事件、事故に関する情報もありますね。1987年に亡くなられているようです。
石原裕次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)映画『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』『銀座の恋の物語』 新人賞 1958年『勝利者』 企画賞 1964年『太平洋ひとりぼっち』 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉12月28日 - 1987年〈昭和62年〉7月17日)は、日本の俳優、歌手。兄は、芥川賞を受賞した小説家で政治家の石原慎太郎。 石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。ヨットマンとしても活動していた。昭和を代表する俳優・タレントとされている。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・男優編」で日本男優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター男優」では第6位になった。2014年に発表された『キネマ旬報』の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本男優の14位となっている。 1934年(昭和9年)12月28日(金曜日)に父石原潔(山下汽船社員、愛媛県出身)、母光子(広島県宮島の出身)のもと、兵庫県神戸市須磨区で誕生。北海道小樽市および神奈川県逗子市で育つ。 小樽のマリア幼稚園(現在の小樽藤幼稚園)卒園、小樽の稲穂国民学校時代に、競泳や(天狗山 で)スキーに親しむ。逗子中学校時代からはバスケットボールに熱中し、五輪出場を目指していたこともあったが、高校2年生の時にケガをして、その夢を諦めた。慶應義塾高等学校の受験に失敗し、慶應義塾農業高等学校に進学したが、1951年に慶應義塾高校に編入学。卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に内部進学するが、正に『太陽の季節』そのものという様な放蕩生活に明け暮れていた。 大学在学中から俳優を目指し、東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格であった。デビューについて複数の説があるが、1956年に、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の時に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、同映画作品の端役で映画デビューした。 1957年、映画『俺は待ってるぜ』、『嵐を呼ぶ男』など軒並みヒットし、この頃人気は絶頂を迎えた。またブルーリボン賞新人賞受賞も受賞した。 1960年1月、交際が噂されていた北原三枝とアメリカ婚前旅行、4月には婚約を発表、結婚後も人気を維持し、『あじさいの歌』、『闘牛に賭ける男』など出演作の興業成績が好調であった。1962年頃には渡り鳥シリーズの大ヒットで小林旭人気の高まりとともに、これまでと異なる作品に出演するようになった。 1963年に石原プロモーションを設立。第1回石原プロ製作映画に市川崑監督を迎え、『太平洋ひとりぼっち』を製作し、この作品での芸術祭賞を授与された。1968年、三船敏郎と共に製作した映画『黒部の太陽』は大ヒットした。以降『栄光への5000キロ』『富士山頂』『ある兵士の賭け』など大金を費やした骨太の映画作品をいくつも世に送り出したが、映画界斜陽の時代で興業成績が悪く、事務所の経営が悪化した。1971年には結核を患い療養することになる。 1972年、旧知の舛田利雄の勧めや、 東宝と日本テレビの粘り強い交渉の末、事務所の経済的事情もあり、13話だけでという約束でテレビドラマ『太陽にほえろ!』への出演を開始した。予定の通り13話で降板するという石原を夫人や竜雷太らが説得し、出演を継続することとなり、日活黄金期の石原を知らない若い世代にも番組においての名称であるボスとして認識されるなど、人気を獲得、番組は1986年まで続き、高い視聴率を記録した。 1973年石原プロ製作の映画『反逆の報酬』に主演、その後『凍河』に友情出演、また『わが青春のアルカディア』では声の出演をしたが、この作品が最後の主演にして最後の本格的な映画出演となった。 1976年からは『大都会シリーズ』、1979年からは『西部警察シリーズ』などの企画・助演など多面的に活躍しつづけた。 1977年に発売された『ブランデーグラス』は発売時にはほとんど売れなかったが、数年後に『西部警察 PARTI』の第48話「別離のブランデーグラス」の中で裕次郎が歌うと、売り上げが伸び始め、152万枚を売り上げるヒット曲となった。1986年、病気療養のため渡哲也に代役を任せ『太陽にほえろ!』を一度降板、同番組の最終回718話で復帰、ワンカット7分間のアドリブで命の大切さを語る圧巻の演技を見せたが(後述のエピソード欄にアドリブの補足あり)、これが俳優としての最後の演技に、そして渡哲也との最後の共演になった。 1978年、舌下潰瘍のため入院、手術。その後、悪性腫瘍(舌癌)との診断を受けたが、本人には告知されなかった(1983年再発)。1979年には舌下白板症と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術する。 1981年4月、『西部警察』のロケ撮影中に背中と胸に激痛が走り、慶應義塾大学病院に緊急入院。当初椎間板ヘルニアが疑われたが、その後、解離性大動脈瘤と診断され大手術を決行。生還率3%と言われたが、奇跡的な回復を遂げ無事退院した。退院後も首、腰の痛み、発熱が続き、右耳が難聴となった。 1984年、肝臓癌が発覚した。前の定期健診で肝細胞癌と診断されるが、裕次郎本人には最期までガン告知をされなかった。 1986年5月、高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院。血圧降下剤の副作用による肝内胆管炎と診断され、7月の退院後はハワイで静養した。 1987年4月20日、体調不良を受けてハワイから急遽帰国し、慶應義塾大学病院へ検査入院。5月2日に一旦退院したものの、3日後に再入院し容態が悪化。幻覚症状(肝性脳症)を発する。その後も意識不明の状態が続き、7月17日15時43分、医師が臨終を告げ7分後心停止。酸素吸入により一度は心拍が再開するも、16時26分再度心停止し死去。52歳没。裕次郎の遺言は「俺が死んだら即会社をたたみなさい」であったが、まき子夫人が所属俳優やスタッフに言い出せなかったため、石原プロモーションはその後も存続した。 戒名は、陽光院天真寛裕大居士。墓は、万成石五輪塔で神奈川県横浜市鶴見区にある總持寺に立てられている。墓碑にはまき子夫人の直筆で次のような言葉で綴られている。 死後に生前録音していた『北の旅人』、『わが人生に悔いはなし』が発売され、北の旅人は125万枚を売りげるヒット曲となった。 没後、毎年7月17日には總持寺で法要が行われ、裕次郎が生前あじさいの花が好きだったということにちなんで「あじさい忌」と呼ばれていた。まき子夫人や舘ひろし・神田正輝ら石原プロモーションの俳優・スタッフが集結し、記者会見を行うのが定例となっていた。また多くの一般客ファンも参列し、年忌法要では一般参列者に記念品がプレゼントされるといった、身内だけの法要に留まらない大規模イベントとなっていた。1993年の七回忌は3万8000人、1999年の十三回忌は20万人以上が参列した。十三回忌で20万人以上の参列者の人出で總持寺周辺が大混乱したことから、2009年の二十三回忌は国立競技場に総持寺の本殿を再現した拝殿を建てて行われ、約12万人が参列した。 1991年7月22日、裕次郎ゆかりの品々を展示する石原裕次郎記念館が、裕次郎が幼少時に過ごした小樽、しかもヨットマンだった裕次郎にふさわしい場所である小樽港マリーナの隣に開設された。多数のファンが訪れ裕次郎をしのぶ場となっていたが、2017年8月31日、入場者減少や施設の老朽化もあり、閉館。その代替として、2018年7月17日に行われた32回忌法要では、法要終了後、同年8月22日より2年間、全国8箇所を巡り石原裕次郎ゆかりの品々を展示する「石原裕次郎の軌跡」展を開催することを発表した。 そして2019年7月17日に行われた33回忌法要の終了後の会見にて、まき子夫人が、今回をもって「弔い上げ」とし今後は石原プロとしての墓前供養を行わない旨を発表した。まき子夫人のほか一般参列者が高齢化し、裕次郎の墓がある高台まで昇るのが困難になっていることへの配慮を理由とした。 2020年7月には「株式会社石原プロモーションの商号を石原裕次郎の仏前に返還する」として、2021年1月16日を以て芸能事務所としての業務を終了することが発表された。そして発表通り、2021年1月16日に「解散式」が執り行われ、3月31日に全業務を終了。2021年4月30日、株主総会にて解散が決議された。 裕次郎は日本のセーリング界でもその歴史に名を残している人物である。 もともと父親が郵船会社の社員、つまり船と海の世界に生きていた人物で、父親の転勤の折、父親の判断で海の近くの逗子、逗子湾近くに住居を構え、その地で裕次郎がヨットに興味を持ち、裕次郎の熱烈な希望に応える形で父親が木製のディンギーヨットを買い与えたのが、裕次郎にとってのヨットとの本格的な付き合いの始まりとなった。兄・慎太郎も一発でこのディンギーヨットの操作方法を会得し、兄弟でヨットを楽しむようになり、主に逗子湾や葉山などをフィールドに経験を深めていった。当時の日本ではそもそもセーリング・ボートを所有している人が大人を含めてほとんどおらず、ましてや学生の身分ですでに自分のセーリング・ボートを所有している人は(ほぼ)いなかったので、二人は日本のセーリング界では稀有な存在となってゆくことになった。 その後、裕次郎が俳優として映画界で活躍するようになると、石原兄弟のセーリングへの情熱、その経験や技術は、映画作品のシーン構築や撮影でも活用されるようになった。結果として日本の映画のシーンにセーリング・ボートが何度も登場するようになり、それを見た映画観客がセーリングに興味を持ち、結果として日本のセーリング人口を増やすのにも貢献した。石原兄弟は有名人となり裕福になるにつれ、艇をディンギーからセーリング・クルーザーへと、そして徐々に高級な艇へとグレードアップしていった。艇には、兄・慎太郎の趣味で「コンテッサ」という名(フランス語で「伯爵夫人」の意)をつけ、その名は艇を買い替えても「コンテッサII」「コンテッサIII」...と継承されてゆくことになる。この名は他には無い独特のものなので、日本のセーリング界では、ヨット・レースなどの出場艇のリストに「コンテッサ」とあれば、誰でも即「石原兄弟の艇だ!」と分かる存在となっていった。コンテッサには、主に石原兄弟の地元の逗子や葉山在住の古くからの仲間などが、クルーとして乗り込んだ。 コンテッサ号は、いくつもの国内ヨット・レースに参加し日本のセーリング界を盛り上げる一翼を担いつづけたが、中でも特筆すべきことは、1963年、裕次郎がトランスパシフィック・ヨット・レースに兄弟の愛艇「コンテッサⅢ」で参加したことである。Transpacific Yacht Race(トランスパシフィック・ヨット・レース、略称「Transpac(トランスパック)」)とは、米国西海岸から出発し、太平洋を渡るようにして進み、ハワイでゴールするセーリング・クルーザーのためのレース。当時、日本から国際的なヨットレースに参加できる人はほぼ皆無であり、裕次郎は日本のセーリング界の歴史に名を残す人物にもなった。 なお裕次郎の歴代の愛艇のうちひとつは、1991年開館の石原裕次郎記念館の入り口付近に展示された。 1956年3月28日(水曜日)、日活撮影所内の理容室で『太陽の季節』の撮影に際し、太陽族に扮する連中の「慎太郎刈り」のモデルを引き受けたのが、日活での初仕事であった。 『太陽の季節』のカメラマンを務めた伊佐山三郎は水の江瀧子を呼び、エキストラとしてファインダーに映っていた裕次郎を「阪妻がいる」と絶賛。急遽端役が与えられ映画デビューとなった。 日活時代から劇中で歌うシーンが多かったが、コンサートやテレビ番組で歌うことには消極的だった。佐瀬稔の取材に対し、テレビカメラの前で歌うのは緊張して「胃が痛くなる」とした上で、「あの中森明菜みたいな芸当は到底、私にはできない」と答えたという。 「銀座の恋の物語」、「二人の世界」、「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲がある裕次郎だが、『紅白歌合戦』には1957年・第8回に雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。 裕次郎の若手時代はヒット曲を多数持つスター歌手が他人の持ち歌をカバーすることに消極的だったが、裕次郎自身はそうした中で積極的に他人の持ち歌をレコードに吹き込んだ。その中には裕次郎がカバーしたことで有名になった曲も存在する。ただ、梶芽衣子の「怨み節」のカバーについては断ったという。 性格として今で言う体育会系の気質があり、車の中や外、店の隅(外)・店内で運転手を待たせることや、自分の車の中に1人でも人が残ることを嫌っていたという。 ロケ先などで女学生に囲まれサインをねだられても断ることが多かった。理由は「真っ白な紙に名前だけ書いて渡すなんて試験の答案のようなもの」であることからと語っていた。 困っていることがあると、自ら率先して動くタイプであった。また「人の悪口は絶対に口にするな。人にしてあげたことはすぐ忘れろ。人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな」という信念を持っていた。 石原プロの名物である炊き出しは、俳優やスタッフ皆が同じ釜の飯を食べようと、元々は裕次郎が考案したものである。 デビューの頃からオーダーメイドで衣装を仕立てていたのは遠藤千寿で、私服が3,000着ほど、トータルで5,000着ほど作ったという。ジャケットの裏地からポケットなどまで、裕次郎がデザインして指定。ワイシャツの襟の高さは5.5cm程度のハイカラー(一般的なものは4cm)を好んだという。 日本では力道山、夏木陽介と裕次郎の3人だけと言われるメルセデス・ベンツ・300SL(〈W198〉ガルウィングクーペのオーナーだった。シートは深紅。車体はシルバー(ただし、ヘッドランプを含むフロントフェンダー部分は所有当初から300SLロードスター用のものに交換されている)。他にロールス・ロイス・シルヴァーシャドウやキャデラックなど複数の高級車を所有するカーマニアであった。 勝新太郎とは家族ぐるみの付き合いで、互いを「兄弟」と呼び合った仲。勝は裕次郎の葬儀で友人代表の弔辞も読んだ。 1学年下の長嶋茂雄とは、巨人入団前に対談の企画で出会った。対面を重ねるうち、親交を深め、1959年には裕次郎が応援歌「男の友情 背番号3」の制作を考え、歌唱した。1962年1月には雑誌の企画で、前年結婚したまき子夫人を含めて米国を旅行した。 裕次郎と同じ12月28日生まれの渡哲也は日活所属だった際、1970年の映画『ある兵士の賭け』による石原プロの倒産危機を知ると、180万円を差し出した(貯金全額と書かれている資料もあるが、映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムックには『さらば掟』出演時の渡のギャラ全額相当とある。)裕次郎が気持ちだけは頂くというと、石原プロ入りを志願した。 関町進は、石原プロの車両部として作品に携わり、裕次郎の逝去前まで付き人兼運転手を務めた。 前述の通り公式上の生年月日は1934年12月28日だが、運転免許証によると戸籍上の生年月日は6日後の1935年(昭和10年)1月3日とされている。 1961年12月9日(土曜日)、翌日の10日に開業する伊豆急行線の開業式典にヘリコプターで伊豆急下田駅へ駆けつけた。 主演した『赤い波止場』はジャン・ギャバン主演の、日本で特に人気が高いフランス映画の名作『望郷』が元ネタである。『赤い波止場』のリメイクである渡哲也主演の『紅の流れ星』も『望郷』を手本にしている作品であるが、主人公像はギャバンではなくてゴダール『勝手にしやがれ』のジャン・ポール・ベルモンドがモデルである。これは国民的ヒーローのギャバン=裕次郎と、アウトローなベルモンド=渡という主演スターのイメージや個性・持ち味の違いからきている。 1964年の日活映画『太陽西から昇る』において、当時東宝撮影所近くに存在した石原の自宅(現在は解体済)がロケーションで使用された。 1980年1月に成城の自宅(上神明遺跡内)において、古墳時代の遺跡、土器が発見されたこともある。それが歴史的大発見で話題になった。石原プロの俳優だった苅谷俊介は、裕次郎邸の遺跡発見がきっかけとなって考古学に目覚め、同社を退社して考古学研究の道に踏み出すこととなった。 『太陽にほえろ!』で共演した渡辺徹は、石原からどんな所に住んでいるかを聞かれ、「アパートの三階」と答えたところ、石原の成城の旧自宅をあげると言われ喜んだが、光熱費などだけでも数百万を要することから、当時新人で給料も安い渡辺は、貰うことを諦めたという。 亡くなった1987年7月17日にはテレビ朝日では急遽19:30から1時間半近い特番が組まれた。これにより、当時金曜19:30にレギュラー放送されていた「宇宙船サジタリウス」は10月2日で放送終了が決まっていたが1話分放送できなくなり、急遽翌3日の土曜日に19:30から放送されることになった。 『大都会 PARTIII』の終了後、日本テレビからパートⅣ製作の打診を受けた一方で、テレビ朝日からは大都会の流れを踏襲した様な、新たな刑事ドラマの製作を持ちかけられた。これを聞いた石原は、日本テレビのおかげで石原プロの経営が良好になったこともあり、その義理からテレビ朝日の打診を一蹴した。しかし、義理よりも金銭的に有利なテレビ朝日のオファーを小林正彦専務が強引に押し進める形で、日本テレビからテレビ朝日に鞍替えし、『西部警察シリーズ』が製作されることとなった。 同じ日活出身で、当時『太陽にほえろ!』レギュラー出演した俳優の中で、唯一故人となっていた沖雅也の自殺に相当なショックを受けていた石原は『太陽にほえろ!』最終回において、沖が演じたスコッチ刑事に言及してアドリブで命の大切さを説く演技を見せた。 父・潔(山下汽船社員) 母・光子 兄・慎太郎(作家、政治家) 妻・まき子(元女優) 子・なし 甥・伸晃、良純、宏高、延啓 裕次郎は良家の子弟というイメージがあるが、父・潔は山下汽船のサラリーマンであり、旧制中学も出ていない身から叩き上げて関連会社役員にまで出世した人物である。戦後の新興中流階級に属する。 石原潔━光子 ┣━━━━━━━━━━━━━┓ 石原慎太郎━典子 石原裕次郎━まき子 ┃ ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 石原伸晃 石原良純 石原宏高 石原延啓 出演映画">映画映画">実写映画
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CM
大島ヨットレース(1959年・1963年) トランス・パシフィック・レース(1965年・1973年・1975年) アドミラルズ・カップ・レース(1977年) パンナム・クリッパーカップ・ヨットレース(1982年) インビテーショナル・ゴルフ大会-途中ホールアウト(1986年) 石原裕次郎メモリアルヨットレース(死後) CR石原裕次郎(2009年・オリンピア・平和) 斎藤耕一『海とトランペット』三笠書房、1958年4月20日。 『わが青春物語』東西文明社、1958年7月1日。 『太陽の神話 : 体験的人生問答』集英社、1982年8月25日。 『裕次郎のつづり方』(1958年サンデー毎日) フジテレビ『人間ドキュメント・石原裕次郎物語』(1993年7月23日放送)での配役
テレビ朝日『弟』(2004年11月17日 - 21日放送)での配役
富岡涼(少年期) 武田航平(思春期) 徳重聡(青年期) 三浦友和(壮年期・晩年期) NHK BSプレミアム『裕次郎は死なない〜心に刻まれた5つの物語〜』(2017年6月17日放送)での配役
細田善彦(青年期) NHK BS4K『裕さんの女房』(2021年3月20日放送)での配役
^ 見舞い客は1万2,000人、手紙5,000通、花束2,000束、千羽鶴1,000束、さらには石原の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった。 ^ この時裕次郎を治療したチームの中に、後にオウム真理教にて地下鉄サリン事件などを引き起こした林郁夫がいた。 ^ このあたりのいきさつは、石原慎太郎の小説『弟』にも(断片的に)出てくる。 ^ 2017年の閉館とともに小樽港マリーナに寄贈されている。 ^ 少なくとも1963年・第14回に関しては本人の都合により辞退している。 ^ 当時のヒット曲や古い流行歌など。 ^ 当時金曜19:00から放送されていた「ドラえもん」は予定通り放送。20:00からの『ミュージックステーション』(以下『Mステ』)は内容を変更して追悼特番に内包された。なお、同年1月の『Mステ』に静養先のハワイから石原がゲスト出演しており、これが生涯最後のテレビ出演となった。 ^ 関西地区では当時19:30から「部長刑事」が放送されていたため、この枠の他番組と同様に17:55から繰り上げ放送された。 ^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月19日閲覧。 ^ “石原慎太郎・裕次郎の母 〜時代の寵児を育んで〜”. グレートマザー物語. テレビ朝日 (2002年2月24日). 2002年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月9日閲覧。 ^ 佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社 2003年) ^ “石原裕次郎略歴”. Kinenote. 2022年7月12日閲覧。 ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、105頁。 ^ 完本 市川崑の映画たち 2015年 洋泉社、P.217 ^ “新撰 芸能人物事典 明治~平成「石原 裕次郎」の解説”. 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- 座頭市物語 今晩は裕次郎です 作品 - シングル - アルバム - パパとあるこう(『みんなのうた』楽曲) 石原慎太郎(兄)- 石原典子(義姉)- 石原まき子(妻)- 石原伸晃(甥)- 石原良純(甥)- 石原宏高(甥)- 石原延啓(甥)- 荒井玉青(姪) 石原プロモーション - 日活 - 石原裕次郎記念館 - 昭和九年会 - 弟 表 話 編 歴 灰色の教室 - 太陽の季節 - 処刑の部屋 - 日蝕の夏 - 理由なき復讐(改題前:喪失)- 黒い水 – 北壁 – 透きとおった時間 – 婚約指輪 - 狂った果実 - 青春にあるものとして - 若い獣 - 完全な遊戯 - 海の地図 - 価値紊乱者の光栄 - 月蝕 - 亀裂 - 夜を探がせ – 乾いた花(改題前:渇いた花) - 男の掟 – 鱶女 - ファンキー・ジャンプ - 殺人教室 青年の樹 - これが恋愛だ - 南米横断一万キロ - 挑戦 - 見知らぬ顔 - 青い糧 - 汚れた夜 - 死んでいく男の肖像 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 断崖 - 狼生きろ豚は死ね・幻影の城 - 日本零年 - 密航 - てっぺん野郎青雲編 - 死の博物誌 - 石原慎太郎文庫 - 行為と死 - てっぺん野郎昇竜編 - 銀色の牙 - 傷のある羽根 - 終幕 - 青春とはなんだ - 命の森 - 星と舵 - おゝい、雲! - 砂の花 - 人魚と野郎 - 大いなる海へ - 還らぬ海 - 飛べ、狼 - 孤独なる戴冠 - 青い殺人者 - 野性の庭 - 黒い環 - 青春との対話 - 巷の神々 – 待伏せ - 怒りの像 - 祖国のための白書 - 野蛮人のネクタイ - プレイボーイ哲学 - 鎖のついた椅子 - スパルタ教育 慎太郎の政治調書 – 化石の森 - 慎太郎の第二政治調書 - 男の世界 - 野蛮人の大学 - 真実の性教育 - 信長記 - 酒盃と真剣 - 石原慎太郎短編全集 - 新和漢朗詠集 - 男の海 - 対極の河へ - 息子をサラリーマンにしない法 - 風の神との黙約 - 真の革新とはなにか - 伯爵夫人物語 - 大いなる手との黙約 - 情熱のための航海 - 光より速きわれら - 刃鋼 - 暗闇の声 - 嫌悪の狙撃者 - 型破りで勝つ! - 戦士の羽飾り - 一点鐘 亡国 - 大いなる海へ - 秘祭 - バカでスウェルな男たち - 暗殺の壁画 - 流砂の世紀に - 現代史の分水嶺 - 拝啓息子たちへ - 生還 不思議な不思議な航海 - わが人生の時の時 - 時の潮騒 - 光速の時代に - 十代のエスキース - 来世紀の余韻 - 三島由紀夫の日蝕 - 禁断の島へ - 遭難者 - かくあれ祖国 - 風についての記憶 - わが人生の時の会話 - 亡国の徒に問う - 肉体の天使 – 弟 - “父”なくして国立たず - 法華経を生きる - 国家なる幻影 - 聖餐 この日本をどうする - いま魂の教育 - 生きるという航海 - 僕は結婚しない - 東京の窓から日本を - わが人生の時の人々 - 老いてこそ人生 - 日本よ - 惰眠を貪る国へ - 息子たちと私 - 日本よ、再び - 石原愼太郎の文学 - 東京の窓から世界を - オンリー・イエスタディ - 私の好きな日本人 - 火の島 - 生死刻々 声に出して詠もう和漢朗詠集 - 真の指導者とは - 再生 - 新・堕落論 我欲と天罰 - 平和の毒、日本よ - 石原愼太郎の思想と行為 新旧の対決か調和か - 人間の原点 - いかに国を守るか - エベレスト - 闘論 - 「NO」と言える日本 - それでも「NO」と言える日本 - 断固「NO」と言える日本 - 「No」と言えるアジア - 宣戦布告「NO」と言える日本経済 - 「アメリカ信仰」を捨てよ - 勝つ日本 - 永遠なれ、日本 - 人生への恋文 - 日本の力 - 生きる自信 太陽の季節 - 処刑の部屋 - 狂った果実 - 日蝕の夏 - 婚約指輪 - 月蝕 - 危険な英雄 - 穴 - 俺は待ってるぜ - 錆びたナイフ - 霧の中の男 - 死の壁の脱出 - 若い獣 - 完全な遊戯 - 海は狂っている - 海の地図 - 海底から来た女 - 夜を探がせ - 青年の樹 - 接吻泥棒 - トップ屋を殺せ - 愛と炎と - 青い狩人 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 二十歳の恋 - 素晴らしい悪女 - 狼の王子 - 小さな冒険旅行 - 乾いた花 - 敗れざるもの - おゝい雲! - 青春とはなんだ - 処刑の島 - これが青春だ! - 男なら振りむくな - 復讐の歌が聞える - 狂戀詩 Summer Heat - 野蛮人のネクタイ - スパルタ教育 くたばれ親父 - 化石の森 - 青年の樹 - 秘祭 - 俺は、君のためにこそ死ににいく - 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 深夜のメス - 幽霊と宝石と恋 - 見知らぬ顔 - この情報を買ってくれ - 分身 - 降霊 - 怒りの果実 - これが恋愛だ - 密航 - 殺人キッド - 青年の樹 - 死んでゆく男の物語 - 喪われた街 - 夜を探せ - 闇から来る - アラスカ物語 - 青い糧 - 断崖 - 雲に向って起つ - 夜の道 - 喪われた街 - 小さき斗い - 有馬稲子アワー 喪われた街 - てっぺん野郎 - 青春とはなんだ - おゝい雲! - 人魚と野郎 - おおい雲 - 恐怖の人喰い鱶 鱶女 - 太陽の季節 - 狂った果実2002 - 弟 環境庁長官 - 運輸大臣 - 東京都知事 黒シール事件 - 成田空港高速鉄道 - トーキョーアーツアンドスペース - ババア発言 - 発言テロップ事件 - 新銀行東京 - チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル - 2016年東京オリンピック構想 - 2020年東京オリンピック - 東京都青少年健全育成条例 - 東京都都民安全推進本部 - 首都大学東京 自由民主党 - 青嵐会 - 自由革新同友会 - 清和政策研究会 - たちあがれ日本 - 太陽の党 - 日本維新の会 - 次世代の党 - 東京3区 - 東京8区 石原裕次郎(弟) - 石原まき子(義妹) - 石原典子(妻) - 石原伸晃(長男) - 石原良純(次男) - 石原宏高(三男) - 石原延啓(四男) 石原慎太郎 - 作品 - 芥川賞受賞者 - 芥川龍之介賞 表 話 編 歴 石原裕次郎 浅丘ルリ子 渡哲也 黛ジュン 鳥居恵子 川地民夫 浜田光夫 小高雄二 竹脇無我 玉川伊佐男 寺尾聰 峰竜太 苅谷俊介 武藤章生 五代高之 御木裕 石原良純 秋山武史 谷川竜 深江卓次 ウラン 渡邉邦門 木村昇 岩永ジョーイ 神田穣 宮下裕治 金児憲史 舘ひろし 神田正輝 徳重聡 池田努 増本尚 田川大樹 太平洋ひとりぼっち - 殺人者を消せ - 敗れざるもの - 城取り - 二人の世界 - 青春大統領 - 栄光への挑戦 - 黒部の太陽 - 夕月 - 栄光への5000キロ - 富士山頂 - 愛の化石 - ある兵士の賭け - エベレスト大滑降 - 男の世界 - 甦える大地 - 蒼ざめた日曜日 - 影狩り - 影狩り ほえろ大砲 - 反逆の報酬 - ゴキブリ刑事 - ザ・ゴキブリ - 欽ちゃんのシネマジャック - 終わった人 冬物語 - 大都会シリーズ(大都会 闘いの日々 - 大都会 PARTII - 大都会 PARTIII) - 浮浪雲 - 西部警察シリーズ(西部警察 - 西部警察 PART-II - 西部警察 PART-III - 西部警察 SPECIAL) - ただいま絶好調! - ゴリラ・警視庁捜査第8班 - 代表取締役刑事 - 生命燃ゆ - 愛しの刑事 - 弟 - 祇園囃子 - マグロ - おいしいごはん 鎌倉・春日井米店 - 告知せず - 結婚 史上最強のバラエティ クイズ100万ボルト 石原まき子 小林正彦 石野憲助 金宇満司 増田久雄 石原裕次郎記念館 日活 日本テレビ テレビ朝日 表 話 編 歴 佐分利信(1950) 三國連太郎(1951) 野村芳太郎(1953) 山村聰(1954) 小林恒夫、南原宏治(1955) 川頭義郎(1956) 石原裕次郎(1957) 今村昌平(1958) 大島渚(1960) 岩下志麻(1961) 浦山桐郎(1962) 佐藤純彌(1963) 緑魔子(1964) 熊井啓(1965) 渡哲也(1966) 大竹しのぶ、三浦友和(1975) 原田美枝子(1976) 大林宣彦(1977) 永島敏行(1978) 金田賢一(1979) 隆大介(1980) 佐藤浩市(1981) 美保純(1982) 原田知世、金子正次(1983) 吉川晃司(1984) 斉藤由貴(1985) 有森也実(1986) 髙嶋政宏(1987) 緒形直人(1988) 川原亜矢子(1989) 牧瀬里穂、松岡錠司(1990) 石田ひかり(1991) 墨田ユキ(1992) 遠山景織子、岸谷五朗(1993) 鈴木砂羽(1994) 江角マキコ(1995) ナインティナイン(1996) 佐藤仁美、三谷幸喜(1997) 田中麗奈(1998) 松田龍平(1999) 藤原竜也(2000) 柴咲コウ(2001) 小西真奈美、中村獅童(2002) 石原さとみ(2003) 土屋アンナ、森山未來(2004) 多部未華子(2005) 檀れい、塚地武雅(2006) 新垣結衣(2007) 吉高由里子、リリー・フランキー(2008) 岡田将生、木村大作(2009) 生田斗真、桜庭ななみ(2010) 芦田愛菜(2011) マキタスポーツ(2012) 黒木華(2013) 小芝風花(2014) 石井杏奈(2015) 岡村いずみ(2016) 石橋静河(2017) 南沙良(2018) 関水渚(2019) 奥平大兼(2020) 河合優実 (2021) Kōki,(2022) 黒川想矢(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 56 池内淳子 石原裕次郎 川口浩 草薙幸二郎 白川由美 杉田弘子 高倉健 / 57 団令子 江原眞二郎 北沢典子 仲代達矢 森美樹 筑波久子 川崎敬三 / 58 浅丘ルリ子 叶順子 桑野みゆき 大空眞弓 佐久間良子 佐藤允 千乃赫子 / 59 本郷功次郎 星輝夫 水木襄 中谷一郎 夏木陽介 清水まゆみ 山本豊三 60 赤木圭一郎 藤巻潤 星由里子 川口知子 松方弘樹 三上真一郎 吉田輝雄 / 61 岩下志麻 加山雄三 三田佳子 田宮二郎 山﨑努 吉永小百合 / 62 倍賞千恵子 浜美枝 浜田光夫 姿美千子 千葉真一 山本圭 / 63 和泉雅子 加賀まりこ 北大路欣也 中川ゆき 中尾ミエ 高田美和 高橋幸治 / 64 藤村志保 本間千代子 市川染五郎 加藤剛 香山美子 松原智恵子 吉村実子 / 65 江波杏子 藤純子 内藤洋子 小川眞由美 竹脇無我 渡哲也 / 66 栗塚旭 黒沢年男 大原麗子 山口崇 山本陽子 安田道代 / 67 梓英子 栗原小巻 中山仁 小川知子 酒井和歌子 杉良太郎 / 68 生田悦子 峰岸徹 中山麻里 丘みつ子 高橋悦史 谷隼人 / 69 渥美マリ 沖雅也 尾崎奈々 太地喜和子 高橋紀子 橘ますみ 70 原田大二郎 森田健作 夏純子 岡田裕介 岡本信人 堺正章 佐藤オリエ 武原英子 梅田智子 渡瀬恒彦 八並映子 / 72 池玲子 近藤正臣 榊原るみ 関根恵子 三船史郎 山口果林 吉沢京子 / 73 宇津宮雅代 杉本美樹 志垣太郎 松坂慶子 村野武範 山本亘 田中真理 藤岡弘 本田みちこ 真木洋子 / 74 浅田美代子 梢ひとみ 島田陽子 関根世津子 仁科明子 萩原健一 三浦友和 桃井かおり 大門正明 高橋洋子 中島ゆたか / 75 秋吉久美子 草刈正雄 池上季実子 檀ふみ 志穂美悦子 中村雅俊 萩尾みどり / 76 東てる美 岡田奈々 大竹しのぶ 田中健 片平なぎさ 根津甚八 三林京子 勝野洋 早乙女愛 多岐川裕美 / 77 浅茅陽子 岩城滉一 江藤潤 原田美枝子 真野響子 / 78 新井春美 浅野ゆう子 井上純一 清水健太郎 夏樹陽子 竹下景子 武田鉄矢 永島暎子 / 79 国広富之 永島敏行 藤真利子 森下愛子 友里千賀子 80 熊谷真実 古手川祐子 柴田恭兵 松平健 宮内淳 / 81 金田賢一 神崎愛 岸本加世子 滝田栄 樋口可南子 / 82 鹿賀丈史 真田広之 田中裕子 夏目雅子 古尾谷雅人 / 83 風間杜夫 紺野美沙子 中井貴一 名取裕子 隆大介 / 84 佐藤浩市 時任三郎 中井貴恵 原田知世 役所広司 / 85 石原真理子 榎木孝明 和由布子 渡辺徹 藤谷美和子 / 86 菊池桃子 吉川晃司 沢口靖子 柳沢慎吾 / 87 斉藤由貴 陣内孝則 中山美穂 安田成美 渡辺謙 / 88 国生さゆり 富田靖子 後藤久美子 南野陽子 仲村トオル / 89 麻生祐未 緒形直人 髙嶋政宏 三上博史 若村麻由美 90 井森美幸 鈴木保奈美 南果歩 本木雅弘 柳葉敏郎 / 91 工藤夕貴 髙嶋政伸 中嶋朋子 野村宏伸 牧瀬里穂 / 92 石田ひかり 仙道敦子 和久井映見 永瀬正敏 吉岡秀隆 田中実 / 93 加藤雅也 清水美砂 赤井英和 裕木奈江 唐沢寿明 / 94 桜井幸子 鷲尾いさ子 墨田ユキ 筒井道隆 萩原聖人 村田雄浩 / 95 山口智子 鈴木杏樹 羽田美智子 岸谷五朗 豊川悦司 木村拓哉 / 96 常盤貴子 鶴田真由 一色紗英 永澤俊矢 高橋克典 椎名桔平 / 97 松たか子 飯島直子 瀬戸朝香 上川隆也 西村雅彦 / 98 菅野美穂 木村佳乃 田中美里 浅野忠信 内野聖陽 / 99 松嶋菜々子 柏原崇 金子賢 酒井美紀 深田恭子 00 中谷美紀 池内博之 石井正則 加藤晴彦 中村俊介 / 01 伊藤英明 窪塚洋介 及川光博 池脇千鶴 加藤あい 矢田亜希子 / 02 国仲涼子 坂口憲二 竹内結子 妻夫木聡 藤木直人 米倉涼子 / 03 小澤征悦 菊川怜 柴咲コウ 仲間由紀恵 藤原竜也 / 04 上戸彩 オダギリジョー 小雪 寺島しのぶ 中村獅童 山田孝之 / 05 石原さとみ 伊東美咲 長澤まさみ 成宮寛貴 山本耕史 / 06 伊藤淳史 内山理名 沢尻エリカ 速水もこみち 堀北真希 / 07 蒼井優 綾瀬はるか 上野樹里 劇団ひとり 玉木宏 松山ケンイチ / 08 新垣結衣 小栗旬 貫地谷しほり 檀れい 大森南朋 / 09 瑛太 黒木メイサ 戸田恵梨香 松田翔太 三浦春馬 宮﨑あおい 10 榮倉奈々 岡田将生 志田未来 多部未華子 松田龍平 水嶋ヒロ / 11 吉瀬美智子 桐谷健太 佐藤健 松下奈緒 満島ひかり 向井理 / 12 高良健吾 井上真央 杏 長谷川博己 吉高由里子 / 13 染谷将太 尾野真千子 松坂桃李 武井咲 森山未來 真木よう子 / 14 綾野剛 木村文乃 東出昌大 能年玲奈 福士蒼汰 橋本愛 / 15 池松壮亮 北川景子 斎藤工 黒木華 鈴木亮平 二階堂ふみ / 16 柄本佑 有村架純 菅田将暉 土屋太鳳 玉山鉄二 吉田羊 / 17 坂口健太郎 高畑充希 ディーン・フジオカ 波瑠 星野源 広瀬すず / 18 高橋一生 門脇麦 竹内涼真 杉咲花 ムロツヨシ 吉岡里帆 / 19 志尊淳 葵わかな 田中圭 永野芽郁 中村倫也 松岡茉優 20 神木隆之介 安藤サクラ 横浜流星 清原果耶 吉沢亮 橋本環奈 / 21 賀来賢人 伊藤沙莉 北村匠海 上白石萌音 窪田正孝 浜辺美波 成田凌 森七菜 / 22 仲野太賀 江口のりこ 柳楽優弥 川口春奈 山田裕貴 広瀬アリス / 23 中川大志 芦田愛菜 松下洸平 岸井ゆきの 間宮祥太朗 奈緒 / 24 磯村勇斗 今田美桜 眞栄田郷敦 小芝風花 目黒蓮 堀田真由 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ オーストラリア オランダ CiNii Books CiNii Research MusicBrainz Trove(オーストラリア)
IdRef 石原裕次郎 石原慎太郎 石原家 日本の男優 アクション俳優 ヤクザ映画の俳優 日本の男性アイドル 日本の男性歌手 演歌歌手 日本のタレント 日本の司会者 日本の男性モデル 日本のラジオパーソナリティ 20世紀日本の実業家 石原軍団 過去の石原プロモーション所属者 テイチクエンタテインメントのアーティスト 日活の俳優 日本の男子セーリング選手 西部警察 小樽市の歴史 慶應義塾高等学校出身の人物 慶應義塾志木高等学校出身の人物 神戸市出身の人物 肝癌で亡くなった人物 1934年生 1987年没 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 2024/11/20 11:17更新
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ishihara yuujirou
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