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渡哲也の情報 (わたりてつや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

渡哲也の情報(わたりてつや) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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渡 哲也さんについて調べます

■名前・氏名
渡 哲也
(読み:わたり てつや)
■職業
俳優
■渡哲也の誕生日・生年月日
1941年12月28日 (年齢78歳没)
巳年(へび年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和16年)1941年生まれの人の年齢早見表

渡哲也と同じ1941年生まれの有名人・芸能人

渡哲也と同じ12月28日生まれの有名人・芸能人

渡哲也と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


渡哲也と関係のある人

渡瀬瑞基: 俳優の渡哲也、渡瀬恒彦兄弟は遠戚。


奥嶋ひろまさ: 尊敬する人は猿渡哲也で、一番好きな漫画家は井上雄彦だという。


舘ひろし: 人生の転機と話す渡哲也を敬愛するようになった切っ掛けとして、「それまで会った東映の先輩俳優に挨拶しても『おうおう、頑張れや』とたばこを吸いながら返されたり、すごく軽んじられた。


伊藤蘭: 第60回 渡哲也サスペンス「絆」(2002年3月) - 弓丘奈緒子 役


渡瀬恒彦: 葬儀終了後、自宅に戻った渡哲也が取材に応じ、亡くなる間際まで出演へ執念を見せた「警視庁捜査一課9係 Season12」に出演できない無念を代弁した。


石原裕次郎: 裕次郎と同じ12月28日生まれの渡哲也は日活所属だった際、1970年の映画『ある兵士の賭け』による石原プロの倒産危機を知ると、180万円を差し出した(貯金全額と書かれている資料もあるが、映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムックには『さらば掟』出演時の渡のギャラ全額相当とある。


金児憲史: スペシャルドラマ 弟 第4夜(2004年11月20日) - 渡哲也


渡瀬恒彦: 」既に日活のスターになっていた渡哲也へのライバル心を隠そうとはしなかった。奈村は1972年、工藤栄一監督「忍法かげろう斬り」で身体を壊した兄・渡哲也の代役を任された時が初対面。


中村玉緒: 渡哲也の『くちなしの花』がお気に入りでありこの曲に関するエピソードがある。


渡邉邦門: 以降、徳重聡に次ぐ重要な配役に抜擢され渡哲也が出演するテレビドラマに数本出演。


松方弘樹: 1974年(昭和49年)NHK大河ドラマ『勝海舟』で主演の渡哲也が病気降板となり、代役に抜擢される。


鈴木清順: 1958年(昭和33年)の「暗黒街の美女」で鈴木清順と名を改め、以後、1959年(昭和34年)赤木圭一郎のデビュー作「素ッ裸の年令」、1963年(昭和38年)小林旭主演の「関東無宿」、1964年(昭和39年)野川由美子主演の「肉体の門」、1966年(昭和41年)渡哲也主演の「東京流れ者」、高橋英樹主演の「けんかえれじい」などの作品を発表。


鈴木清順: 1975年1月にはTBSの林美雄の企画による、渡哲也、菅原文太、原田芳雄ら映画俳優のコンサート「歌う銀幕スター夢の狂演」に出演し、「麦と兵隊」を歌った。


鈴木一真: 富豪刑事デラックス(テレビ朝日) - 猿渡哲也


中山秀征: 俳優では石原裕次郎や渡哲也に憧れていた。


深江卓次: 日本興亜損保(渡哲也・舘ひろし・神田正輝とともに)


渡瀬恒彦: 兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。


水木かおる: 渡哲也 「くちなしの花」「わかれ花」「あじさいの雨」「あいつ」「みちづれ」「水割り」「ひとり」「日暮れ坂」「おもいで蛍」「酒は男の子守唄」


いしだあゆみ: 1986年には渡哲也とのデュエットシングル『わかれ道』を発表、同年12月11日放送の『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに出演した。


山根久幸: 渡哲也特別公演・信長(青山与三右衛門)


中山忍: 2時間ドラマに本気で向き合い、役者人生が変わったきっかけともなった渡瀬恒彦からは、兄・渡哲也と比べられるなど自分と似たような境遇があっただけに良く思いやられたことがあった。


荒川尭: 当時の東映はエースの高倉健主演映画が不発続きで、"ポスト健さん"として期待した渡哲也も胸の病気の再発で東大病院に入院する事態となっており、次代のスターを育てることが急務となっていた。


小杉健治: 絆(2002年3月20日、主演:渡哲也


舘ひろし: 石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。


片岡秀明: テレビ朝日金曜ドラマ 『家族』 出演:竹野内豊 石田ゆり子 渡哲也、他 取材ディレクター


浜田光夫: このアクシデントを受け、当初吉永とのコンビで出演予定であった『愛と死の記録』は急遽、渡哲也が代演することとなった。


松坂慶子: 渡哲也演じる夫に離婚を切り出し、新たな人生を歩み出す主婦役を演じた。


クリス松村: 年末ジャンボ宝くじ(2013年) - 人形の木村拓哉、渡哲也、壇蜜と共演(声のみの出演)


二谷英明: ^ 渡哲也、小林旭沈痛 後輩・中尾彬「素晴らしい俳優」 スポーツニッポン 2012年1月11日閲覧


蒼木雅彦: “パラリンピックジャンプ発売、井上雄彦の車いすバスケ観戦記や猿渡哲也らの連載”.


渡哲也の情報まとめ

もしもしロボ

渡 哲也(わたり てつや)さんの誕生日は1941年12月28日です。兵庫出身の俳優のようです。

もしもしロボ

人物、モデル・オマージュなどについてまとめました。父親、結婚、卒業、映画、退社、テレビ、ドラマ、現在、病気、事故、兄弟、家族、趣味に関する情報もありますね。78歳で亡くなられているようです。

渡哲也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

渡 哲也(わたり てつや、本名:渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)、1941年〈昭和16年〉12月28日 - 2020年〈令和2年〉8月10日)は、日本の俳優・演歌歌手・タレント・実業家。

島根県生まれ、兵庫県・淡路島 出身。株式会社石原プロモーション第2代代表取締役社長、相談取締役。俳優の渡瀬恒彦は実弟。

島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ。父親は日立に勤務して広島県呉市の軍需工場などを転々とし、日立の安来工場に勤務していた時に当地出身の渡の母と結婚していた。戦時中の1943年、父親は任地の日立呉工場を退職し、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻り洋品店を開業、小学校一年生途中から淡路島で育った。出身を淡路島にしているのは、日活に入ったとき石原が神戸市生まれなので、淡路島の方がイメージ的にいい、という判断で決めたからだという。終戦後の物資不足で長男と四男は亡くなった。淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)、青山学院大学経済学部卒業。大学在学中は空手道部(流派は日本空手協会・松濤館流)に在籍し、青山学院大学・空手道部OB会長・渡瀬道彦の札もかかっていた。空手弐段。柔道初段。

大学へ通うため上京。弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していたが、在学中に日活が浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集していた。弟の渡瀬や所属していた空手部の仲間が内緒で応募した。小さい頃から機械いじりが好きだったので就職を希望した日本航空の整備士社員の採用試験 (国語・数学・物理・化学) が全科目英文で不合格となり、「せめて日本語の問題だったら…ブラブラしてて日活撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」と友人から言われ、出向いていた日活撮影所の食堂で偶然スカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社した。

既に斜陽期に差し掛かってた日活では高橋英樹に続くスター候補として、デビュー前の記者会見では破格の扱いを受け “映画界待望久し!日活に驚異の新星!渡哲也!!” の横断幕(実は模造紙)で大々的に売り出された。記者会見の場で瓦割りを披露し、翌日のスポーツ紙やニュース映像でも大きく取り上げられた。

1965年(昭和40年)3月『あばれ騎士道』で宍戸錠とのW主演でデビューし、この作品で、エランドール賞新人賞を受賞し、2作目の『青春の裁き』で単独主演、オープニングクレジット映像では空手の型・約束組手を披露し、本編での複数相手の乱闘シーンでは飛び蹴りや二段蹴りを連発し正拳突きで止めを刺すなど空手部キャプテンの実績を生かした作品になっている。ただし殺陣師から「そんなに腰を落としちゃスクリーンでの見栄えが悪い」として腰高に直され不本意な空手になってしまった、と述懐していた。同期で活躍しているのは太田雅子(後の梶芽衣子)。

1965年、『泣かせるぜ』で石原裕次郎と初共演。続いて『赤い谷間の決斗』でも共演した。裕次郎は当時の渡の中に亡くなった赤木圭一郎を見ていたという。

1966年には監督鈴木清順 脚本川内康範 『東京流れ者』に主演し、主題歌「東京流れ者」を歌いヒットさせた。

吉永小百合との初共演映画の『愛と死の記録』で第17回ブルーリボン賞新人賞を獲得。

また「裕次郎2世」と言われたことから、リバイバル版の『嵐を呼ぶ男』に主演するなど、日活は裕次郎と同様な路線での売り込みをしていた。

1968年(昭和43年)舛田利雄監督による『無頼より・大幹部』から始まる『無頼』シリーズ6作品は渡の日活時代の代表作となった。同年には『紅の流れ星』に出演、この作品でも新たな魅力を見せるなど、日活のスターとなった。しかし映画界は斜陽の時代で、日活も苦戦したが、渡は小林旭等他のスターとは異なる存在感を示し、『新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ』、『関東流れ者』など最後まで、日活ニュー・アクションと呼ばれた映画で輝きを放った。1971年、日活のロマンポルノ路線への転換にともない、1971年(昭和46年)7月封切の『関東破門状』を最後に日活を退社した。

1971年からは『さらば掟』、『追いつめる』、『剣と花』など松竹製作映画に連続して主演した。東映など映画会社数社から渡の引き合いがあったものの、『さらば掟』の撮影時、石原プロから出向いていたスタッフの仕事ぶりに感銘を受けたことや石原への尊敬の念などから、渡は1971年(昭和46年)、借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社。また『ゴキブリ刑事』、『野良犬』などの東宝作品にも出演した。また連続テレビドラマにも出演する中、1972年(昭和47年)、テレビ時代劇『忍法かげろう斬り』収録中に肋膜炎を発症し入院。第20話で降板となり、第21話から最終話(第26話)まで渡瀬恒彦が代役を務めた。

1974年(昭和49年)大河ドラマ『勝海舟』の主演に抜擢されるが、収録中に高熱が続き入院。第9話で途中降板となる。風邪をこじらせた後、急性肝機能不全症を併発して国立熱海病院(現在の国際医療福祉大学熱海病院)に入院、入院は9か月に及んだ(その後、膠原病であったことが判明)。なお代役には松方弘樹が抜擢された。一方で前年1973年8月にリリースした「くちなしの花」が年明けからヒットチャートを上昇し、1974年の年間シングルチャートで7位を記録。オリコンセールス:77.4万枚、累計150万枚を売り上げ、全日本有線放送大賞金賞も獲得し渡の代表曲となった。渡の体調も秋には回復し、年末の第25回NHK紅白歌合戦に初出場し、テレビで初めて生歌唱した。

1974年(昭和49年)、再び映画各社の間で激しい争奪戦が起こり、特に弟・恒彦をスカウトした岡田茂東映社長(当時)が、高倉健の次の東映の看板スターにしたい」と熱心に誘い、渡自身も「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない」と強く東映入りを希望したとされたため、1975年(昭和50年)に渡は東映入りと報道もされた。当時の東映は実録ヤクザ路線の台頭から、俊藤浩滋が高倉らを伴い独立しようとしたお家騒動があり、岡田は渡を高倉の後釜に据えようと画策していた。もともと1973年の『仁義なき戦い』で菅原文太をスターダムに押し上げた広能昌三役も最初にキャスティングされたのは渡であったが、この時期、渡は体調が優れず実現に至らなかった。1974年暮れ、『脱獄広島殺人囚』「新仁義なき戦いシリーズ」とも渡は出演要請を受けたが、体調がまだ万全ではなく断った。岡田からの東映移籍の誘いは「私は石原裕次郎に恩義があります。石原裕次郎を裏切ることはできません」とキッパリ断った。但し、東映の映画出演については了承したため、1975年2月、東映実録ヤクザ路線の極北といわれる『仁義の墓場』でようやく東映初出演、初主演した。東映映画の出演は、岡田社長が『勝海舟』の代役をスムーズに進めてくれた返礼の意味もあった。同作公開後、岡田社長は「今年はわが陣営に引き込んだ渡哲也君の"渡路線"を確立することだ」とぶち上げ、この年4月の『大脱獄』で菅原文太と、5月の『県警対組織暴力』で梅宮辰夫と競演させ、6月の『スーパー・アクション/強奪』(『資金源強奪』として映画化)と8月の『日本暴力列島・北九州電撃戦』(映画化されず)で主演させ、"東映スター渡"をイメージ付けようとしたが、『仁義の墓場』撮影後、再び病に倒れた。先の『大脱獄』は、最初は高倉健、渡哲也、五木ひろしの三大共演を予定していたが、五木がギャラ問題で降り、代わりに抜擢されたのが菅原文太で、高倉、渡、菅原という三大共演の可能性もあり、実際に3人の名前の書かれたポスターも製作された。しかし渡が前年に続き長期入院したため三大共演はおろか、渡と高倉、渡と菅原の共演も永遠に実現することはなかった。この1975年は、東宝系の芸苑社製作で今井正監督の水上勉原作『その橋まで』の映画化の主演も受けていたがこれも流れた。入院は延べ2年半に及んだが、病み上がりで撮影中に体調が急激に悪化した『仁義の墓場』は、点滴を打ちながら演じる渡の負のエネルギーが、石川力夫の怨念が乗り移ったかのような迫力を持ち、評価が高い。キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)では、日本映画歴代38位に選出されている。1976年(昭和51年)『やくざの墓場 くちなしの花』の主演で第19回ブルーリボン賞主演男優賞を獲得。渡はこの後、石原プロのテレビドラマに専念するため、映画出演から一時的に撤退した。しかし、岡田茂との付き合いはその後も続き、1996年に岡田から「もう映画を演ってもいいんじゃないか」と促され、『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』の宮沢賢治の父・政次郎役で20年ぶりに映画界に本格復帰した。本作でこの年の各映画賞助演男優賞を独占している。

石原プロは会社再建と経営安定のため、テレビドラマへ本格進出。渡にとって復帰第1作及び主演ドラマ『大都会 闘いの日々』は『大都会 PARTII』『大都会 PARTIII』とシリーズ化、続いて主演した『西部警察』もシリーズ化され、5年間放映された。

これら刑事ドラマでの「角刈りにサングラス」というスタイルは渡のトレードマークとなった。

同時期に放送されていたTBS『クイズ100人に聞きました』では、「サングラスと言えば誰?」の問題で渡哲也が圧倒的人数で第1位を獲得した。ちなみに第2位が「ルビーの指環」でメガヒットを飛ばした寺尾聰で、第3位は藤竜也であった。

渡は石原プロ再建に貢献し、石原の下で副社長も兼務していた。1986年、病気療養のため降板を余儀なくされた石原裕次郎の代役として『太陽にほえろ!』に出演し、同番組の最終回まで出演して最終回では復帰した石原裕次郎と共演し、これが二人の最後の共演となった。

1987年(昭和62年)7月17日午後4時26分に石原裕次郎が肝細胞癌のため52歳で死去。10月、渡が石原プロの二代目社長に就任した。

1989年(平成元年)3月、渡が社長となって初の石原プロ制作作品『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の第5話を撮影中、渡扮する倉本班長がヘリから降りて全力疾走するシーンで、ヘリから着地した際、左足に激痛が走ったが「ただの捻挫だろう」と、痛みを感じつつも撮影を続行した。しかし痛みは増すばかりで翌日、病院で診察を受けたところ、全治1か月半の「腓腹筋断裂」と診断された。これは、ヘリから着地した際の腓腹筋の捻挫が、その後の撮影続行で更にひどくなり、遂に断裂したのが原因だった。しかし渡は、撮影に穴を開けるわけにはいかないと、撮影続行を宣言。報道陣の前で「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません」と、石原プロ社長としての責任感の強さをのぞかせた。その後、このケガが原因で、足をひきずって歩く後遺症が残った。

翌年放映された、時代劇スペシャル『大激闘! 四匹の用心棒』では、足を引きずって歩く主人公の浪人「かかしの半兵衛」こと金子半兵衛役を演じている。

1991年(平成3年)に自ら直腸癌であると発表。柏木純一の著書『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト(人工肛門使用者)であることを明らかにしている。

1996年(平成8年)に大河ドラマ『秀吉』に出演。劇中では、主人公の秀吉(演・竹中直人)の主君である織田信長を演じ、退場回に放送された本能寺の変でのシーンは大きな反響を呼んだ。大河ドラマへの出演は、1974年(昭和49年)に病のため途中降板した『勝海舟』で主演をした時以来である。その後は2005年(平成17年)放送の『義経』に出演。劇中では、主人公の源義経(演・滝沢秀明)の物語上における父のような存在である平清盛を演じた。

2003年(平成15年)8月、テレビ朝日系『西部警察2003』のロケーションで、石原プロ所属俳優の自動車運転ミスにより、見物客5人が重軽傷を負う事故が発生。名古屋市内で会見した渡は、予定していた連続ドラマの制作、放送中止を明らかにした。その後、第1弾として制作されたスペシャル版については紆余曲折を経て『西部警察 SPECIAL』のタイトルで、翌年2004年10月31日に放送された。

2005年(平成17年)に紫綬褒章を受章した。

2011年(平成23年)5月11日、2009年(平成21年)の石原裕次郎23回忌を終えたことの区切りや、自らの健康上のこと、社長在籍期間が裕次郎の社長在籍期間と同じ24年目を迎え「それを越えるわけにはいかない」などの理由から、3月28日付をもって石原プロモーション社長を退任したことを発表した。12月23日放送のTBSの年末スペシャルドラマ『帰郷』では、弟の恒彦と約40年ぶりの共演を果たした。1971年(昭和46年)4月から1972年(昭和47年)3月に放送のNHKの連続ドラマ『あまくちからくち』以来のことで、その時と同じく兄弟役で共演した。その後恒彦とは、十津川警部シリーズ50「消えたタンカー」で再び共演、渡は犯人役で出演した。

2015年(平成27年)6月10日、急性心筋梗塞で緊急入院、手術を受けていたことが、7月17日に明らかになる。約1か月で退院。11月10日、宝酒造「松竹梅」のCM撮影で仕事復帰(前年8月の同CM発表会見以来、1年3か月ぶり)。

2017年(平成29年)3月14日午後11時18分、弟・恒彦が胆嚢癌による多臓器不全のため72歳で死去。4月1日、石原プロモーションの経営陣に復帰。「相談取締役」の肩書きで相談役と取締役を兼任する。

2020年(令和2年)8月10日午後6時30分、肺炎のため死去。78歳没(享年80)。渡の遺志により直後の発表はされず、石原プロ関係者には8月12日に死去が知らされ、一般への公表は家族葬が終了した8月14日に行われた。お別れの会なども、渡の遺志により行われなかった。最後の仕事は同年の6月下旬、同年過去に製作された宝酒造のCMに新たに声を録音する形で出演したものとなった。映画での遺作は『男たちの大和/YAMATO』である。

戒名は「萬修院泰然自道居士」。墓所は目黒区碑文谷の円融寺にある。

人物

人柄

日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、本来なら食事中に挨拶をするのは失礼なことであるにもかかわらず、石原は他の俳優達とは違い怒りもせず、立ち上がって自ら進んで握手し、「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声を掛けてくれたため、渡はとても感銘を受けた。その後、石原プロが財政難に陥ると、いろいろと世話になった石原の窮地を救うため、当時180万円を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出した。

『さらば掟』で監督を務め、渡や石原と旧知の仲である舛田利雄に石原プロへの加入を考えていることを話すと、舛田は渡に「石原裕次郎という存在が居る以上は、裕次郎が一番という扱いになるのは明らかで、やめたほうがいいのではないか」と言われたが、それでも構わないと石原プロ入りした。

高倉健と会う機会があり、話をした際に、いつか共演したいと渡が言うと高倉は「いつか一緒に泥船に乗ろう」と返したという。

渡が東映に来るようになり、深作欣二の映画に出演した際、擬斗を担当していた菅原俊夫と深作の意見が合わず、渡の意見を聞くことになったが、まだ駆け出しの菅原の気持ちを渡が尊重し、「菅原の案を採用したい」と気配りしたことに対し、菅原は呼吸ができなくなるほど感動し、渡の人柄に大きく心を引かれたと語った。

日活でデビュー間もない頃、日活所属の大部屋俳優たちから生意気だと言われ、その日は黙ってリンチを受けたが、翌日には空手部の部員を引き連れて日活に乗り込むと、大部屋俳優たちに勝負をしようと言い放ち、大部屋俳優たちは恐れをなしたという。

ある時、撮影所の食堂に渡がやって来ると、食堂のテーブルや椅子が散乱していた。渡は少し前に来た萩原健一が何かに怒って食堂を荒らしたと知り、萩原をここへ連れて来いと激怒、渡のケンカ強さを知る萩原は、恐れをなしてそそくさと逃げ出したという。

『大都会 PARTII』で共演した松田優作は渡を尊敬していて、渡と共演したいという理由で同番組への出演を決めた。また松田は渡に「石原プロの経営の為に映画への出演を諦めてまでドラマに出るべきではない。」と言っていたという。渡もそこまで自分のことを思ってくれる松田の言葉にとても感動したという。

『大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院していた。苅谷が金に困っているという話を聞いた渡は、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は「帰っていく渡さんの後ろ姿を涙でまともに見られなかった」と語っている。

『西部警察』で共演した庄司永健によると、渡は他の誰よりも早くスタジオ入りし、いつもセットの掃除をしていたという 。

鈴木清順は渡の存在を月に例えていた。

石原プロに所属していたものの、「俳優は一匹の狼」であるべきであり、気に入った仕事だけを選びたいという信念を持っていた。

趣味・嗜好

趣味は「焚火」、焚火を見ながら煙が何処へたどり着くのかなどを漠然と考えるのが好きであったという。また渡の自宅を訪れた松田優作にも焚火に付き合わせていたという。

甘党であり、ソフトクリーム好きで、石原プロワールドでは「渡哲也のヘルシーソフトクリーム」なる商品が販売されていた。

その他

『太陽にほえろ!』では、石原裕次郎の代役としてボスのポジションを務めたが、日本テレビと東宝は718話で番組の放送を終わらせず、もう少し長い間、渡を出演させて『太陽にほえろ!』を継続させる構想を持っていた。

1966年、映画『愛と死の記録』で共演して以来数作品で共演した吉永小百合とは、日活所属当時、結婚も考える仲であったが、吉永の両親の反対により断念した。1998年の映画『時雨の記』で約30年振りの共演を果たすと、2000年の『長崎ぶらぶら節』でも共演、また、宝酒造「松竹梅」のCMでも共演、互いにもう一度映画で共演を望んでいたが叶わなかった。

プロテニスプレイヤーの錦織圭は遠縁の親戚である。渡の祖母と錦織の曽祖父が兄弟にあたり、渡は錦織の試合を観戦したことがある。

石原裕次郎と誕生日が同じである。年齢は7歳差。

モデル・オマージュ

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "渡哲也" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年8月)

島崎譲著『THE STAR』第5巻で大門プロ副社長であり、大俳優の嶋哲也(しま てつや、渡がモデル)が登場し、天下の大門プロが社運を賭けて巨費を投じて企画した新作刑事ドラマ『バイオレンス刑事(コップ)』で初監督をする。嶋の独断で初めて大門プロ以外の俳優として長瀬優也(主人公)を主役に抜擢し、どんなに危険な状況でもおもしろいものになれば撮影を続行し、仕事のためならなんでもする仕事の鬼だが、閉鎖的になっていく大門プロに一石を投じるために長瀬を起用し、人命さえもおびやかす危険なシーンをこんなにも美しい愛のシーンに変えてしまう長瀬の俳優としての力量に感謝している。

新田たつお著『静かなるドン』の「静かなる慕情」の挿話で主人公の近藤静也(新鮮組)が敵対する日本最大の広域暴力団鬼州組若頭(No.2)として不渡哲也(ふわたり てつや、渡がモデル)が登場し、六代目組長・海腐雄二からも力量を見込まれて、七代目襲名のための手柄として新鮮組に決戦を挑むも戦い慣れしていないことが災いして死亡する。

宮崎克・高岩ヨシヒロ著『松田優作物語』第4巻legend of you;36.「Illusion」では、映画監督:深作欣二のインタビューの中で深作が優作と撮る予定であった作品(口のきけないヤクザの話)について語られ、その内容を漫画で再現した挿話が描かれており、配役は口のきけないヤクザを松田優作、組長を渡が演じている。劇中では組長の渡に従順に仕えるヤクザの優作が幼なじみで組長の情婦である女性との逢引きをマンションの外で待っていたところ、ベランダからヒットマンが侵入するのを目撃し、それを電話で渡に伝えようとするも伝えることができずにマンションに響く銃声を耳にして号泣する優作の姿が描かれている。

ゆでたまご原作の漫画・アニメ『キン肉マン』には、渡をモデルにした赤岩刑事(『大都会シリーズ』の黒岩刑事のパロディ)、または五分刈刑事が主にコメディパートに登場する。

2024/06/15 16:47更新

watari tetsuya


渡哲也と同じ誕生日12月28日生まれ、同じ兵庫出身の人

高井 美紀(たかい みき)
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高井 美紀(たかい みき、1967年〈昭和42年〉12月28日 - 2023年〈令和5年〉1月25日)は、毎日放送(MBS)アナウンサー。同局のアナウンス副部長を兼務した後に、「チーフアナウンサー」と…

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)
1934年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

映画『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』『銀座の恋の物語』 新人賞 1958年『勝利者』 企画賞 1964年『太平洋ひとりぼっち』 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉1…

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喜多田 悠(きただ ゆう)
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喜多田 悠(きただ ゆう、1987年12月28日 - )は、日本の男性声優。兵庫県出身。ベストポジション、WITH LINEを経て、EARLY WING所属。 太字はメインキャラクター。 しばい…

井植 歳男(いうえ としお)
1902年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

井植 歳男(いうえ としお、英語:Toshio Iue, 1902年12月28日 - 1969年7月16日)は、日本の実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナ…

西野 秀人(にしの ひでと)
1940年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

12月28日生まれwiki情報なし(2024/06/18 04:23時点)

佐々木 恭介(ささき きょうすけ)
1949年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 - )は、兵庫県氷上郡青垣町(現・丹波市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野…

トータス松本(とーたす まつもと)
1966年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

トータス松本(トータスまつもと、1966年12月28日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。ロックバンド・ウルフルズのボーカリスト。本名は松本 敦(まつもと あつし)。兵庫県多可郡黒田庄町(…

山下 登(やました のぼる)
1934年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 山下 登(やました のぼる、1934年12月28日 - 1976年7月16日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄、南海に在籍し…

藤本彩花(ふじもと あやか)
12月28日生まれの有名人 兵庫出身

藤本 彩花(ふじもと あやか、12月28日 - )は、日本の女性声優。兵庫県出身。EARLY WING所属。 2015年12月より声優ガールズユニット「Twinkle☆Girls」のメンバーとなる…


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渡哲也と近い名前の人

猿渡 哲也(さるわたり てつや)
1958年6月25日生まれの有名人 福岡出身

猿渡 哲也(さるわたり てつや、1958年6月25日 - )は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。男性。血液型はB型。 福岡県大牟田市生まれで、小学校低学年より兵庫県姫路市で育つ。高校中退後さまざ…

渡部 絵美(わたなべ えみ)
1959年8月27日生まれの有名人 東京出身

渡部 絵美(わたなべ えみ、本名:渡部・キャスリン・絵美、1959年8月27日 - )は、1970年代に活躍した日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)、タレント。現在はタレント兼プロフィギュア…

渡辺 莉奈(わたなべ りな)
2009年2月7日生まれの有名人 福岡出身

日向坂46(ひなたざかフォーティーシックス、Hinatazaka46)は、日本の女性アイドルグループである。秋元康のプロデュースにより、2015年11月30日に結成。2019年2月11日までは、けやき…

渡辺 裕之_(アナウンサー)(わたなべ ひろゆき)
1966年2月1日生まれの有名人 埼玉出身

渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1966年2月1日 - )は、NHKの元アナウンサー。 旧浦和市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て早稲田大学卒業後、1989年入局。 嗜好・挿話・特徴 旧浦和市、…

渡辺 茂_(作曲家)(わたなべ しげる)
1912年2月1日生まれの有名人 東京出身

渡辺茂(わたなべ しげる、1912年2月1日 - 2002年8月2日)は、日本の童謡の作曲家、教育者。「たきび」「ふしぎなポケット」の作曲で知られる。作詞家としてのペンネームに戸塚一郎、野中十三夫。 …

渡辺 茂_(システム工学者)(わたなべ しげる)
1918年8月12日生まれの有名人 兵庫出身

渡辺茂(わたなべ しげる、1918年8月12日-1992年3月10日)は、日本のシステム工学者。 兵庫県出身。東京帝国大学工学部卒。海軍技術大尉。1950年「歯車に関する研究」で東京大学工学博士。…

渡辺 直樹_(ミュージシャン)(わたなべ なおき)
1956年10月13日生まれの有名人 神奈川出身

渡辺 直樹(わたなべ なおき、1956年10月13日 - )は、日本の作曲家・編曲家・ベーシスト。 神奈川県生まれ。兄はザ・ワイルドワンズの渡辺茂樹、妹は歌手の南翔子。15歳で伊丹幸雄のバックバン…

渡邊 直樹_(編集者)(わたなべ なおき)
1951年11月5日生まれの有名人 東京出身

渡邊 直樹(わたなべ なおき、1951年(昭和26年) - )は、日本の雑誌編集者。国際宗教研究所顧問。元大正大学文学部表現文化学科客員教授。 東京都出身。 1964年に東京教育大学附属小学校(現…

渡辺 武_(経営者)(わたなべ たけし)
1948年6月14日生まれの有名人 静岡出身

6月14日生まれwiki情報なし(2024/06/18 21:33時点)

渡辺 武_(官僚)(わたなべ たけし)
1906年2月15日生まれの有名人 東京出身

渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年)2月15日 - 2010年(平成22年)8月23日)は、日本の官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラ…

渡辺 明_(モトクロス)(わたなべ あきら)
1954年10月21日生まれの有名人 栃木出身

渡辺 明(わたなべあきら、akira watanabe、1954年 - )は、栃木県宇都宮市出身のモーターサイクル・モトクロスレーサー。日本人として唯一のモトクロス世界選手権チャンピオン。 その後は…

渡辺 明_(棋士)(わたなべ あきら)
1984年4月23日生まれの有名人 東京出身

渡辺 明(わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は、羽生善治、大山康晴、中原誠に次ぎ歴代4位で、永世竜王・永世棋王の資格を保持。所司和晴七段門下。棋士番号235…

渡辺 文雄_(政治家)(わたなべ ふみお)
1929年1月8日生まれの有名人 栃木出身

渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日 - 2020年3月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。元栃木県知事(在任期間は1984年12月9日 - 2000年12月8日)。 栃…

渡辺 文雄_(俳優)(わたなべ ふみお)
1929年10月31日生まれの有名人 東京出身

渡辺 文雄(わたなべ ふみお、1929年10月31日 - 2004年8月4日)は、日本の俳優、タレント、エッセイスト。東京府東京市神田区東松下町(現:東京都千代田区神田東松下町)生まれ。 旧制第二…

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