粟津潔の情報(あわづきよし) グラフィックデザイナー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
粟津 潔さんについて調べます
■名前・氏名 |
粟津潔と関係のある人
環ROY: いくつもの一緒(金沢21世紀美術館 / 粟津潔、マクリヒロゲル1 美術が野を走る 関連プログラム)2014年9月13日 マツシマススム: 琵琶湖を撮り続けて53年(2017年現在)になるが、マツシマススムの作品を用いて制作された滋賀県観光ポスターは11点にのぼり、その内の代表的な4点はアートディレクター粟津潔、コピーライター今西慧、デザイナー久谷政樹の手になるもので、1982年のそれはポスターコンクールに入選し『年鑑日本のグラフィックデザイン1983』(日本グラフィックデザイナー協会/編)に収録されており、1998年の「Mother Lake」は10月22日の朝日新聞で全面広告され反響を呼んだ。 黒川紀章: 1959年(昭和34年)に建築理論メタボリズムを浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓、粟津潔、栄久庵憲司、川添登らと提唱した。 大高正人: 1960年に東京で開催された世界デザイン会議を契機に川添登、菊竹清訓、粟津潔、黒川紀章、槇文彦らと戦後の日本で最初の建築思想であり運動であったメタボリズム・グループを結成した。 吉増剛造: 『ブリタニカ絵本館ピコモス 3 さわる』粟津潔 絵(日本ブリタニカ、1983年) 蛭子能収: そこで初めてグラフィックデザインに出会い、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策、佐伯俊男に大きな影響を受ける。 福田繁雄: 『世界のグラフィックデザイン 7 (環境のグラフィック)』粟津潔,磯崎新共編 講談社 1974 竹山実: また、一番館にほど近い場所に施行された二番館は、一番館に比べ、よりカラフルな構成、色彩となり、粟津潔による外装デザインが今なお斬新である。 環ROY: パフォーマンス「いくつもの一緒」を発表(金沢21世紀美術館 粟津潔、マクリヒロゲル1 関連プログラム)。 加藤秀俊: 小松、粟津潔、泉眞也らと、万国博の娯楽施設のプランも作った。 小松左京: 加藤、粟津潔、泉眞也らと、万国博の娯楽施設のプランも作った。 原將人: この時の審査員は、植草甚一、武満徹、勅使河原宏、松本俊夫、粟津潔、飯村隆彦、山田宏一。 |
粟津潔の情報まとめ
粟津 潔(あわづ きよし)さんの誕生日は1929年2月19日です。東京出身のグラフィックデザイナーのようです。
映画に関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。
粟津潔のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。 東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。 1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。1966年に『エンバイラメント』の会を結成、翌年の1967年頃から大阪万国博覧会のテーマ館別構想計画などを練る。その他、国内外問わず国際的なプロジェクトに参加している。1990年に紫綬褒章受章。2000年、勲四等旭日小綬章受章。2009年4月28日に肺炎のため川崎市内の病院で死去。 津山文化センター中庭 1965年 渋谷・天井桟敷館のデザイン(1969年) ピアノ炎上(1973年)出演・演奏:山下洋輔 映画『田園に死す』(1974年)詩人役 日本文化デザイン会議 諸ポスター作品(1986年) 北陸自動車道ピアパーク壁画 1988年 世界デザイン博覧会 諸ポスター作品(1989年) 第43回アスペン国際デザイン会議 諸ポスター作品(1993年) 大阪万国博覧会 映画『心中天網島』美術監督 つくば万国博覧会・テーマ館アートプロデューサー 『デザインの発見』 三一書房、1966年 『現代との対話 若き創造者へ』 学芸書林、1968年 『デザインに何が出来るか』 田畑書店、1969年 『粟津潔デザイン図絵』 田畑書店、1970年 『デザイン夜講』 筑摩書房、1974年 『世界のグラフィックデザイン 7』 磯崎新,福田繁雄共編、講談社、1974年 『造型思考ノート』 河出書房新社、1975年 『粟津潔原点画』 土曜美術社、1975年 『阿部定 昭和11年の女』 井伊多郎,穂坂久仁雄共著 田畑書店、1976年 『粟津潔のブック・デザイン』 河出書房新社、1977 (アート・テクニック・ナウ)年 『粟津潔・作品集』全3巻 講談社、1978-79年 『ガウディ讃歌』現代企画室、1981年 『デザイン巡遊』現代企画室、1982年 『表層は深層の皮膚』 京都芸術短期大学「楽」編集室、1984年 『粟津潔・8夜快談集 青春のこと。都市のこと。デザインのこと。』 文化出版局、1985年 『粟津潔の仕事 1949-1989』 河出書房新社、1989年 『世界のグラフィックデザインシリーズ11 粟津潔』 ギンザ・グラフィック・ギャラリー、1994年 『象形文字遊行 文字始源』 東京書籍、2000年 『ロックアート 神話そしてイマジネーション 粟津潔とN・A・R・A探検隊』 フィルムアート社、2002年 『粟津潔デザインする言葉』 フィルムアート社 2005年 『不思議を眼玉に入れて 粟津潔横断的デザインの原点』 現代企画室、2006年 『粟津潔 荒野のグラフィズム』 フィルムアート社、2007年 『粟津潔 マクリヒロゲル』 現代企画室、2012年 『すてたろう』秩父前衛派ほか、KEN BOOKS、2014年 『まるのおうさま』粟津潔、谷川俊太郎、福音館書店、2019年 ニューヨーク近代美術館 アムステルダム現代美術館 オスロ近代美術館 ワルシャワ・ポスター美術館 富山県立近代美術館 金沢21世紀美術館 ^ 「秋の叙勲、251人に 地道な努力報われる」『読売新聞』2000年11月3日朝刊 ^ 時事通信 (2009年5月1日 21時17分). “時事ドットコム:粟津潔さん死去=グラフィックデザイナー、大阪万博で活躍”. 2009年5月1日閲覧。 粟津潔オフィシャルサイト 粟津潔の木版画作品一例(アダチ伝統木版画技術保存財団作品ギャラリー) 粟津潔 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ ラトビア 日本 ポーランド CiNii Books CiNii Research ニューヨーク近代美術館 ULAN IdRef 日本のグラフィックデザイナー 日本の美術教育者 日本の装幀家 アートプロデューサー 勲四等旭日小綬章受章者 紫綬褒章受章者 武蔵野美術大学の教員 東京都区部出身の人物 1929年生 2009年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 LNB識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MoMA識別子が指定されている記事 ULAN識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/20 16:02更新
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awadu kiyoshi
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