西口文也の情報(にしぐちふみや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西口 文也さんについて調べます
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西口文也と関係のある人
松坂大輔: 8000万円増の年俸3億3000万円でサインし、3億円で更改した同僚の西口文也を抜き、現時点では今年に続いてパ・リーグ投手の最高年俸となった。 南昌輝: 球歴が似ていることから、同郷および大学の先輩にちなんで、「西口文也二世」と呼ばれる。 入来祐作: 入替戦では2年後輩の部坂俊之らと登板するも西口文也擁する立正大学に敗れ、亜大野球部の1部昇格以来初の2部降格で終える。 谷佳知: 同年4月10日の対西武ライオンズ戦(ナゴヤドーム)では3-3の同点の9回一死満塁の打席で西口文也からサヨナラ安打、5月11日の対近鉄戦(グリーンスタジアム神戸)では1点を追う9回二死一塁の打席でカルロス・バルデスから自身初のサヨナラ本塁打である逆転サヨナラ2点本塁打の2度のサヨナラ打を放った。 小関竜也: 同年はファーム監督の西口文也が新型コロナ陽性になった関係で、7月14日から25日まで監督代行を務めた。 駒田徳広: 西武ライオンズとの日本シリーズでは第4戦までわずか2安打とシーズン終盤の不調をひきずっていたが、第5戦(西武ドーム)で満塁での適時打を含む4安打5打点と大活躍をして調子を取り戻すと、日本一を決めた第6戦(横浜スタジアム)では、スコア0-0の8回裏、西口文也から決勝2点適時二塁打を放ちシリーズ優秀選手に選出された。 山本和範: 同年の西武ライオンズとの開幕第2戦に1-0で1点リードの8回に代打として古巣復帰後初出場を果たし、西口文也から見事に代打本塁打を放ち、華々しい移籍デビューを飾る。 田中靖洋: 西口文也が発熱の影響で登板予定を変更したことで4月29日の千葉ロッテマリーンズ戦では急遽プロ初先発となったが、3回6安打4失点でプロ初黒星を喫した。 岩﨑哲也: 開幕戦で西口文也を救援し、1イニングを無失点に抑えたが、翌日は9回に登板して2/3回6失点とプロの洗礼を受けた。 髙橋光成: また、背番号が西口文也の引退以降欠番となっていた13に変更された。 松村豊司: 長身から投げ下ろす最速150km/hのストレートが最大の売りで、同じく細身の西口文也を目標としていた。 江川智晃: 5月6日の同カードでは4回二死二塁の場面で西口文也からプロ初打点となるダメ押し適時打を放った。 坂本勇人: 埼玉西武ライオンズとの日本シリーズ第7戦では西口文也から本塁打を放つ。 細川亨: 翌9月23日の対オリックス・ブルーウェーブ戦でも8番捕手で先発出場し、エース西口文也との初コンビで、2回の塩崎真の同点打で本塁突入した高見澤考史をブロックした際に右大腿上部を打撲して負傷退場し、翌9月24日に出場選手登録を抹消され、10月10日に一軍へ戻ったが、同年の一軍出場は2試合で無安打。 巽真悟: 自身と同じ和歌山県の出身で、西武のエースとして活躍した右腕投手・西口文也に細身の体格や投球フォームが似ていることから、現役時代には「西口二世」と呼ばれていた。 広田庄司: 東都大学野球リーグの立正大学へ進学、入学時は西口文也が4年生エースだったが、春からリーグ戦に登板。 伊東勤: 日本プロ野球において、先発投手が9イニング完全試合状態を継続しながらも、9回終了時に0-0だったためその時点で記録が成立せず延長戦となり、延長10回に登板して安打を許し記録達成を逃した事例は僅か2回だけであるが、伊東は最初の2005年8月27日、インボイスSEIBUドームにおける西口文也の事例においては監督として、2例目となった2022年5月6日、バンテリンドームナゴヤにおける大野雄大の事例においてはNHK BS1の生中継解説者として、いずれも現場に立ち合うという稀有な経験をしている。 高橋光成: また、背番号が西口文也の引退以降欠番となっていた13に変更された。 大久保秀昭: 初本塁打:1999年8月18日、対西武ライオンズ20回戦(西武ドーム)、5回表に古久保健二の代打で出場、西口文也から右越ソロ 小池秀郎: 最終的には27試合に登板して投球回は182イニング2/3を記録、15勝6敗・防御率2.96(パ・リーグ5位)の好成績を挙げ、西口文也(西武)と同数でリーグ最多勝投手となる。 クリス=ドネルス: 初安打・初打点:1996年3月31日、対西武ライオンズ2回戦(西武ライオンズ球場)、3回表に西口文也から左中間へ先制決勝適時二塁打 帆足和幸: 8月21日の対オリックス戦では先発の西口文也が1回を無失点で終えた所で内転筋違和感により降板したため、帆足が緊急登板した。プロ野球ストライキにより2試合中止の後、9月20日に4万5000人のファンがかけつけた本拠地西武ドームでの対千葉ロッテ戦で先発西口文也が再び右足内転筋痛で初回二死満塁で降板。 マイカ=ホフパワー: クライマックスシリーズのファーストステージ第2戦では、4回裏に西口文也から右中越ソロ本塁打を放った。 高木浩之: 引退セレモニーでは西武での14年間を「悔いはありません」とコメントし、同期入団で同い年の西口文也(セレモニー開始時にLビジョンで流された高木の足跡を振り返るVTRの最後にメッセージを贈った。 トロイ=ニール: 1996年には4月14日の西武ライオンズ戦で西口文也からサヨナラ本塁打、6月25日の日本ハムファイターズ戦で岩本勉からサヨナラ本塁打、9月8日のロッテ戦で河本育之からサヨナラ2ラン本塁打を放った。 厚沢和幸: 4年春に2部でMVPとなり、入替戦では初戦で西口文也と投げ合って勝利し、東都大学野球リーグ1部昇格の原動力となる。 沖原佳典: 同年8月27日の対西武ライオンズ戦では、延長10回表に安打を放って西口文也の完全試合を阻止した。 山崎敏: 2004年5月8日の対日本ハムファイターズ戦でプロ初登板を果たすと、5月12日の対福岡ダイエーホークス戦では、西口文也の故障によってプロ初先発、6回2失点に抑える好投を見せ、プロ初勝利を挙げた。 大松尚逸: 2006年、4月15日に一軍に昇格し、対西武ライオンズ戦に1番・右翼手で即先発出場すると、7回に西口文也からプロ初本塁打となる逆転満塁本塁打を放った。 松本航: スライダーについては、プロ1年目は試合で投げていなかったが、オフに西口文也投手コーチから教えを受け改良した。 |
西口文也の情報まとめ
西口 文也(にしぐち ふみや)さんの誕生日は1972年9月26日です。和歌山出身の野球選手のようです。
引退、卒業、病気、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。西口文也の現在の年齢は52歳のようです。
西口文也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手。(投手) 現役時代は1995年から2015年までの21年間にわたり西武ライオンズ(2008年以降は埼玉西武ライオンズ)一筋でプレーしたフランチャイズ・プレイヤーであり、通算182勝を挙げた。愛称の「オツ」は体型がジョセフ・オツオリに似ていることから名付けられた。 市立西和佐小学校から市立高積中学校までは遊撃手、外野手としてプレー。和歌山県立和歌山商業高等学校では1年生の途中から、当時部員が10人しかいない人手不足で、同学年に1人しか投手がいなかったという台所事情から投手を兼任。高校入学当初は二塁手を希望したが二塁手の動きが体に負担で筋肉痛がひどくなり、即座に二塁手失格を言い渡され、それからピッチングマシーンもない部内の環境で打撃投手をしていた中で良い球を投げることに目を付けられて投手に転向した。高校時代は無名であり、1990年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、星林高等学校に敗退した。高校時代はストレートとカーブしか持ち球が無く、速球の最高球速は136 km/h。 立正大学入学後は投手に専念して活躍。当時の立正大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、1992年春季二部リーグで最優秀投手賞を受賞している。以降はエース格の働きを見せ、1993年秋季リーグで5勝を挙げ二部優勝。東京農業大学との入替戦を制して一部リーグに昇格するが、翌1994年春季リーグでは一部最下位となり国士舘大学に入替戦で敗れまたも二部陥落。二部リーグで迎えた最後の同94年秋季リーグで優勝し、入替戦で4年同期入来祐作投手擁する亜細亜大学を相手に2勝を挙げる活躍で、一部昇格を置き土産にした。一部リーグ通算5試合に登板、0勝3敗、防御率1.74、39奪三振を記録。二部リーグ通算では28試合、14勝4敗。後のプロ野球での決め球となるスライダーはこの大学時代に会得したもので、大学入学してからカーブが曲がらなくなるスランプに陥ったため曲がる投げ方を探していたらスライダーに行き着いた。大学時代には球速が最速で137 km/hから158 km/hまでアップした。 西口を担当していた西武ライオンズのスカウトは当初、酒井弘樹を視察していたが、西口を見て「こっちのほうがいい」と目を付けたことからプロ入りの道が開けた。 1994年のドラフト会議で、西武から3巡目で指名を受けて入団。背番号は13で、2015年に現役を引退するまで21年間にわたり着用した。なおドラフト会議前には中日ドラゴンズ(セントラル・リーグ)も紀田彰一(横浜高校)の抽選を外した場合の1位指名候補として、西口と同郷の金森隆浩(立命館大学)の2人をリストアップしていたが、結局は西口ではなく金森を1位指名した。しかし西口が後に西武で通算182勝を挙げた一方、金森は一軍未勝利(通算2試合登板)のまま現役生活を終えている。当時中日の関西地区担当スカウトだった中田宗男は高校時代から西口と金森それぞれのスカウティングを担当しており、西口は高校卒業時に指名を検討したものの、その時は立正大に進学することから指名を断念したという。中田によれば同年のドラフト当時、関東地区担当スカウトの堀江忠一が西口のスライダーの切れの良さを高く評価していたが、当時の中日スカウト陣はスカウト部長の岡田悦哉の方針により、自身の担当地区以外の選手を見ることが事実上できなかったため、中田は大学進学後の西口の投球を見ておらず、岡田から2人のどちらが良いか質問され、高校時代に限れば西口よりも金森の方が好素材だと感じていたということを話したところ、岡田は金森を紀田の外れ1位として指名することを決断したという。 1995年、富岡久貴とともにアメリカの独立リーグであるノーザンリーグのスーシティ・エクスプローラーズに野球留学し、後の決め球となるチェンジアップを習得。後半戦で初完投・初完封勝利を記録。 1996年には開幕から先発ローテーションに入り、初めて規定投球回(リーグ7位、防御率3.17)にも達する。キップ・グロス(日本ハムファイターズ)に次ぐパ・リーグ2位の16勝を挙げ、奪三振数173も工藤公康(福岡ダイエーホークス)に次ぐパ・リーグ2位を記録。また、リーグ最多完投13を記録した。オールスターにも監督推薦で初選出された。9月23日の対近鉄24回戦では5回無死から7回二死まで8連続奪三振をし、この試合初回2番水口栄二の安打以外は全て打ち取り無四球完封勝利の準完全試合となった。 1997年は初の開幕投手を務める。優勝争いの佳境の9月以降は先発登板に加えてリリーフ登板もこなした。小池秀郎(近鉄バファローズ)と共に15勝を挙げてパ・リーグの最多勝を獲得したほか、最多奪三振(192奪三振)・最高勝率 (.750) ・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・沢村賞・MVPを受賞した。ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、第1戦(10月18日・西武球場)で石井一久と投げ合ったが、8回表にジム・テータムからソロ本塁打を打たれ、0対1で敗れた。第5戦(10月23日・明治神宮野球場)でも先発登板したが、5回3失点で敗戦投手になり、チームも敗退した。 1998年も開幕投手を務めたが、一向に調子が上がらず、5月半ばまでで1勝5敗の成績からリリーフに回された。しかしリリーフでも8試合0勝2敗4セーブ防御率6.94と復調の兆しが見えない中、6月15日に一軍投手コーチの森繁和が二軍コーチへの降格が報道された。その2日後の6月17日に先発復帰すると、シーズン初完封を記録し、次の試合も連続完封勝利を挙げてからは復調。最終的に武田一浩(ダイエー)・黒木知宏(千葉ロッテマリーンズ)とともに13勝を挙げ、2年連続のパ・リーグ最多勝を獲得。また最多奪三振(148個)・ベストナイン・ゴールデングラブ賞も2年連続で獲得し、チームもパ・リーグ2連覇を果たした。横浜ベイスターズとの日本シリーズでは第1戦(10月18日・横浜スタジアム)で先発登板したが、横浜の「マシンガン打線」に打ち込まれて4失点を喫し、3回に降板。10月21日の第3戦予定の日に試合は雨天延期となったが、風邪による発熱を発症し点滴療養する。第5戦(10月24日・西武ドーム)では当初、先発登板予定だったが風邪に加え、腰痛も発症し急遽先発を回避し横田久則が代役先発に上がることになった。横浜に王手を掛けられ、3勝2敗で迎えた第6戦(10月26日・横浜スタジアム)では7回まで横浜打線を無失点に抑えたが、味方打線も川村丈夫に無失点に抑えられ、8回に2失点を許し敗戦投手になった。 1999年は3年連続で開幕投手を務める。チーム最多勝は新人の松坂大輔に奪われたが、2年連続で最多完封勝利を記録した。また、同年9月19日のオリックス・ブルーウェーブ戦(西武ドーム)で8回二死まで無安打の投球をしていた。三輪隆に内野安打を許し、記録は途切れたが、エピソードの「幻の完全試合・2度のノーヒットノーラン未遂、被安打1の「準」完全試合」に加え、この試合が語られている。 2000年は右足内転筋を痛めて約1か月半離脱、シーズン成績は辛うじて2桁勝利と規定投球回はクリアしたがこの内転筋の怪我が後に持病となってしまった。 2001年は91与四死球と制球難に苦しみ、防御率が初の4点台に悪化した。 2002年はエース松坂が長期離脱の中チームを引っ張りチームトップ、リーグ2位となる15勝を挙げてリーグ優勝に貢献。3度目のゴールデングラブ賞を受賞した。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは相手チームの本拠地の東京ドームでの相性の悪さ等もありチームが3連敗の中第4戦に先発し、5回を2安打2失点と粘りの投球で抑えるも6回に代わった松坂が勝ち越され、そのまま敗れ日本一を逃した。 2003年は右足のケガの悪化に不調も重なり、規定投球回数に届かない6勝・防御率6.84の成績に終わり、連続2桁勝利・連続防御率10傑入りが共に7年で途切れた。 2004年から禁煙・食事制限など節制に努めて復活を期し、3度右足内転筋を痛めて離脱したが10勝を挙げる。この年FA権を取得するが「これから西武で何勝できるかやってみたい」と発言し残留を決めた。怪我の影響でプレーオフは登板はなかったが、チームはリーグ優勝した。自身は中日ドラゴンズとの日本シリーズ第5戦に先発し、6回2/3を投げて3失点で敗戦投手となり中日の日本一に王手をかけられたが、チームはそこから2連勝し日本一を達成した。 2005年は開幕から絶好調でセ・パ交流戦では6勝を挙げて交流戦の初代最多勝投手に輝く。杉内俊哉とシーズン最多勝を争い、直接対決で敗れたため1勝及ばずタイトルを逃すが、自己最多の17勝を挙げた。防御率も初の2点台を記録した。なお、8月27日の対楽天戦では9回終了時点で完全試合だったものの味方が無得点のため延長戦となり、延長10回先頭打者に安打を許し記録達成を逃した。なお加えて四球も与えたものの得点は許さず、その裏に西武がサヨナラ勝ちしたため勝利投手となっている。 2006年は自身4度目となる開幕投手を務めたが、序盤は調子が上がらず負けが先行し、中盤以降に復調して9勝を挙げるが2桁勝利には届かなかった。 2007年に松坂がボストン・レッドソックスへ移籍し、5度目の開幕投手を務めて1999年以来の白星を記録。3・4月の月間MVPを初めて獲得した他、8月17日の対オリックス・バファローズ戦(グッドウィルドーム)に先発して、史上46人目の通算150勝を達成。9月18日の対オリックス戦では史上83人目の2000投球回を達成した。しかし6月以降の失速が響いて勝ち星は前年と同じ9勝(11敗)となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなった。 2008年は試合前半に打ち込まれる姿が目立ち、7月までは防御率6.35と苦しんだ。しかし後半は持ち直し、7月27日の対日本ハム戦で好投して以降は4勝1敗・防御率2.74と活躍、終盤のケガもあって前年より勝ち星は減ったが、レギュラーシーズンを勝ち越して終えた。巨人との日本シリーズでは第7戦に先発。初回に一死満塁のピンチを作ると暴投で先制点を与えたが、暴投時の打席の亀井義行、続く李承燁を打ち取り1失点で切り抜ける。しかし、2回には先頭の坂本勇人にソロ本塁打を打たれ2回2失点で降板した。その後チームは3回からの継投で一人の走者も出さないピッチングが打線の8回の逆転劇を呼び込み、4年ぶりの日本一を勝ち取った。 2009年も前年同様前半戦はローテーションに入ったものの、打ち込まれる試合が続いたほか、チーム事情もあって中継ぎに回される。しかし中継ぎでも打たれる場面が多く、防御率は2年連続の5点台、勝ち星も4勝に終わった。 不調を払拭するためにウエイトトレーニングに取り組んだ結果、翌年2010年には球速が145km/hまで回復し、終盤には好投も見せたが3年連続の防御率5点台・3勝に終わった。 2011年は開幕当初6人目の先発要員となり、前半戦は負け越していたが8月以降は7勝1敗、防御率2.00を記録した。8月28日には2006年以来となる完投勝利を2005年以来の完封で飾り、自身の先発登板連続無完投記録(102試合で当時の日本記録)をストップさせた。この試合により、ジョージア魂賞も受賞。10月12日には2005年以来、実に6年ぶりの2桁勝利を挙げ、迎えた10月18日の最終戦に先発、8回2失点140球で勝利し、チームをクライマックスシリーズ進出へと導いた。最終的に規定投球回には4イニング足らなかったものの、チームトップの11勝、防御率2.57を記録した。日本ハムとのクライマックスシリーズ1stステージ第2戦では7回0/3を1失点に抑え、ポストシーズン通算10試合目にして初勝利を挙げると共に、チームの2ndステージ進出を決めた。 2012年は短いイニングでマウンドを降りるケースが目立った。シーズン中盤に右肩痛に悩まされるようになり、投球内容が悪化して二軍落ちした。シーズン最後まで再調整を行うものの一軍昇格は見送られた。 2013年8月8日の日本ハム戦で先発し、高橋直樹が持っていた最年長先発投手の球団記録を更新した。この年はプロ入り初の未勝利でシーズンを終えた。 2014年は中継ぎで8試合に登板。2年連続で未勝利に終わり、プロ入り初の先発登板なしのシーズンとなった。 2015年は開幕二軍スタートとなったが、5月28日の巨人戦で一軍初登板を果たし、2年ぶりに先発したが4回4失点で降板した。結局この1試合で二軍落ちとなった。9月23日に現役引退を表明した。フランチャイズ・プレイヤー歴21年は伊東勤の22年に次ぐ記録。11月5日に日本野球機構(NPB)より任意引退公示された。 2015年10月、球団本部編成部に所属することが決まる。 2016年1月、2016年3月から4月の間、台湾の統一ライオンズ臨時コーチ就任が発表される。その前の同年2月、韓国プロ野球のハンファ・イーグルスで臨時コーチを務める。 2016年10月、翌2017年度の埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチ就任が発表された。 2017年6月27日、一軍投手コーチを務めていた森慎二が病気療養で休養することが発表され、代わって西口が一軍投手コーチとしてブルペン部門を担当することとなった(翌28日、森は多臓器不全のため死去)。その後、2018年からは正式に一軍投手コーチとなり、2020年からはベンチ担当。 2022年からはファーム監督に就任
現役時代はキレの良いスライダーを代名詞としていた。変化の大きいものから小さいもの、横変化の強いものや縦変化の強いものと様々な種類のスライダーを投げ分け、特に2ストライクに打者を追い込んでからは、時にフォークボールと見間違えられる程に鋭く縦に変化し、打者にスライダーを空振りしたのではなくフォークを空振りしたかのようなスイングをさせることがあった。好調時には高い確率で打者の空振りを誘い、早いカウントの時は小さな変化でストライクを稼ぐというように使い分けていた。速球はかつては150km/h以上(最速152km/h)を計測することもあったが、晩年は平均球速約138km/hに収まっていた。 本人が2024年3月5日公開分の『フルタの方程式』で語ったところによると、スライダーは思い切り手首を捻って投げたといい、手首で変化方向や変化量、緩急を調整したとのこと。速球の握りも親指の腹で握る特殊なものであった。ボールの握り方が通常と違うのは常人より掌と比べて指が非常に長いためであった。高校・大学時代には走り込みで体を作り、投げ込みや打撃投手の仕事でひたすら投球数を重ねて制球力を磨いた。 毎年20本前後の本塁打を打たれ、先発投手としては良い被安打率を誇る割には防御率が良くない。現役21年のプロ生活で10回の2桁勝利を達成している(9勝のシーズンも2回)が、規定投球回投げている年で防御率が3点未満になったのは1度だけである(2005年)。 また尻上がりに調子を上げていく傾向があり、西口いわく「僕はどうしても点差が開くと気が抜けて、投球が雑になってしまうタイプ」「投手戦の方が、気が張っていい結果が出る」という。 2006年6月4日の対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)で8回2/3を2失点完投して(この試合は9回サヨナラ負け)以降、2011年8月28日の北海道日本ハムファイターズ17回戦(西武ドーム)で後述する「幻の完全試合」となった2005年8月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦以来の完封勝利を挙げるまで、先発での登板時に102試合連続で完投がなかった。この数字は、従来ケビン・ホッジスが持っていた81を大幅に更新する日本記録(当時)であった。後日、この記録について西口は、「おそらく、この記録は抜かれることはないと思いますから。どんなことでも記録として名前が残るのは、うれしいことです」と振り返っていたが、翌2012年には藤井秀悟が先発登板時に103試合連続完投なしとなり、西口の記録は1年あまりで更新された。 ゴールデングラブ賞を3度受賞している。西口は松坂と共に1997~2006年までの10年間パ・リーグゴールデングラブ賞投手部門を西武勢で独占した。 また1996年の近鉄戦に8者連続三振、2006年には通算1500奪三振を記録し、要した投球回数1729イニングは当時48人の達成者の中で石井一久、江夏豊、川口和久に次ぐ4番目のスピード記録であり、右投げでは歴代1位であった。1997年4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の2回裏に、史上4人目の1イニング4奪三振を記録している。2006年6月18日の対横浜ベイスターズ戦では12個の三振を奪い、1996年から11年連続で2桁奪三振試合を達成するというパ・リーグ新記録を樹立した。 本塁打が出やすいと言われている東京ドームでは、1996年8月3日の対日本ハムファイターズ戦から2007年6月24日の読売ジャイアンツ戦(交流戦)まで11年間勝ち星から遠ざかっていた(その余りの相性の悪さに2002年の巨人との日本シリーズではチーム最多の15勝を挙げたもののシリーズ開幕が東京ドームから西口の登板は第4戦まで無かった)。その後2012年6月8日の読売ジャイアンツ戦でも5回1/3を1失点で勝利投手となったが、これが西口にとって東京ドームでの現役最後の勝利となった。逆に大阪ドームでは1997年の開場以来、先発登板した試合では2003年5月20日まで敗戦投手にはなっていなかった。 日本シリーズには5回出場し7回登板したが、0勝5敗で1度も勝つことができなかった。 完全試合またはノーヒットノーラン達成まで「残りアウト1つ」の場面で、いずれも「28人目の打者」を相手に安打を打たれて大記録達成を逃し完封・完投どまりになったことが3度ある。すなわち、「相手打者27人」を3度「無安打無得点」に抑え、そのうち1度は「パーフェクトピッチング」だった。以下に概要を記す。 2015年9月23日に行った西口の引退会見でも、「日本シリーズ未勝利と共にノーヒットノーランを達成できなかったことが心残りである」と述べた。 2022年5月6日、中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦(バンテリンドーム)において、中日の先発・大野雄大が9回終了まで相手打線を完全に抑えながらも、0-0で延長戦に突入してしまい、そこで被安打を喫して完全試合達成を逃すという、2005年8月の西口のケースからNPB史上2度目となる出来事が発生した。その回の裏で中日はサヨナラ勝ちしており、西口同様、大野も完封勝利が記録されている。この試合の終了後、西口は「僕と一緒ですね」「1本打たれた後の方がさらにギアが入った」「大野投手も同じ気持ちだったんじゃないですかね」と球団を通じてコメントしている。なお、西口も大野も同じ9月26日生まれであることも取り上げられた。 各年度の太字はリーグ最高 最多勝利:2回(1997年、1998年) 最多奪三振:2回(1997年、1998年) 最高勝率:1回(1997年) 沢村栄治賞:1回(1997年)※シーズン完封無しでの受賞は史上初(後に前田健太も記録) 最優秀選手:1回(1997年) ベストナイン:2回(1997年、1998年) ゴールデングラブ賞:3回(1997年、1998年、2002年) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1997年) 最優秀バッテリー賞:3回
1997年 捕手:伊東勤 1998年 捕手:伊東勤
月間MVP:5回(1996年5月、1998年8月、2002年8月、2005年7月、2007年4月) 「ジョージア魂」賞:1回(2011年度第10回) パ・リーグ連盟特別表彰:1回(功労賞:2015年) 立正大学校友会奨励賞(2015年) 初登板:1995年8月16日、対福岡ダイエーホークス18回戦(福岡ドーム)、5回裏に2番手として救援登板、3回0/3を2失点 初奪三振:同上、5回裏に秋山幸二から 初先発・初勝利:1995年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(千葉マリンスタジアム)、8回0/3を3失点 初完投勝利・初完封勝利:1995年9月23日、対福岡ダイエーホークス22回戦(福岡ドーム) 初セーブ:1996年4月23日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(西武ライオンズ球場)、9回表二死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点 初ホールド:2009年5月28日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に3番手として救援登板、1回無失点 初安打・初打点:2005年5月6日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回表にトム・デイビーから中前2点適時打 1000投球回:2001年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム)、4回表一死目に小坂誠を三振で達成 ※史上289人目 1000奪三振:2002年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に初芝清から ※史上107人目 100勝:2002年10月9日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(グリーンスタジアム神戸)、先発で7回1失点 ※史上118人目 1500投球回:2004年8月13日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(西武ドーム)、5回表三死目に坪井智哉を一塁ゴロで達成 ※史上153人目 1500奪三振:2006年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回表にフリオ・ズレータから ※史上46人目 150勝:2007年8月17日、対オリックス・バファローズ17回戦(グッドウィルドーム)、先発登板で8回無失点 ※史上46人目 2000投球回:2007年9月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(京セラドーム大阪)、3回裏三死目に平下晃司を一塁ゴロで達成 ※史上83人目 2000奪三振:2011年10月6日、対オリックス・バファローズ24回戦(西武ドーム)、1回表にT-岡田から空振り三振 ※史上21人目 2500投球回:2012年7月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(西武ドーム)、1回表三死目にホセ・フェルナンデスを三塁ゴロで達成 ※史上45人目 1イニング4奪三振:1997年4月12日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に山下徳人、大村巌(振り逃げ)、ジェイソン・トンプソン、吉鶴憲治から ※史上4人目、5度目 7年連続防御率十傑入り(1996年 - 2002年)※史上8人目 8者連続奪三振:1996年9月22日、対近鉄バファローズ24回戦(西武ライオンズ球場) 11年連続2桁奪三振試合達成(1996年 - 2006年)※パ・リーグ記録 先発登板し102試合連続完投なし:2006年6月11日 - 2011年8月21日 ※当時のNPB記録 日本シリーズ5連敗(未勝利) ※NPB記録 フランチャイズ・プレイヤー:1994年の入団から引退まで21年間移籍なし 開幕投手:5回(1997年、1998年、1999年、2006年、2007年) オールスターゲーム出場:4回(1996年、1997年、1999年、2005年) 13(1995年 - 2015年) 85(2016年台湾の統一ライオンズ臨時コーチ) 74(2017年 - ) 『自然体』ベースボール・マガジン社、2015年12月。ISBN 978-4583109473。 ^ 紀田は中日と横浜ベイスターズが1位指名し、抽選により横浜が交渉権を獲得。 ^ 同年のチーム唯一の2桁勝利でもあった。 ^ 歴代6位の319試合での達成で、2リーグ制後に入団した投手では最速だった。大卒投手の150勝は94年の佐藤義則以来13年ぶり。 ^ のちにリック・ガトームソンが、日本人では杉内俊哉が交流戦初のノーヒットノーラン達成者となった。ちなみに、西口と清水は2009年の1年間だけチームメイトになっている。 ^ 江夏は延長11回で達成。 ^ 連続奪三振記録は、2022年に佐々木朗希が13連続奪三振の日本記録達成している。 ^ ただし、西口と違って大野はノーヒットノーラン達成経験がある。 ^ 他は山本由伸、菅野智之 ^ 他は山本由伸 ^ 「西武一筋21年 “悲劇のエース”西口文也の軌跡」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2015年9月30日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「【西武検定】 西武一筋182勝の西口文也の愛称「オツ」は、誰にちなんだもの?」『西日本スポーツ』2020年5月14日。2021年10月26日閲覧。 ^ 通算182勝“獅子のエース”西口文也 伝家の宝刀・スライダーの極意【ピッチャーズバイブル】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】2024/03/05 (2024年3月18日閲覧) ^ 「背番号の歴史」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』埼玉西武ライオンズ、2020年。2020年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 『中日スポーツ』1994年11月19日第5版1頁「ドラフト1位 金森(立命館大) はばたけ147キロ右腕 早くも心は竜の一員 無念!紀田は横浜」(中日新聞社) ^ 『中日スポーツ』1994年11月18日第5版1頁「紀田(横浜高)中日1位 横浜とクジ勝負 確率5割、高木監督が引き当てる 外れれば金森(立命大)らが候補に」(中日新聞社) ^ 「金森 隆浩(中日ドラゴンズ) | 個人年度別成績」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構。2021年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月26日閲覧。 ^ 中田宗男『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』カンゼン、2023年10月23日初版、「高木守道監督時代(3) 1994年 「高校時代の印象」で逃した、後の大物ピッチャー」85-86頁。 ^ 『中日ドラゴンズ '97ファンブック』〈中日ドラゴンズファンブック〉、中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)、1997年3月18日、119頁。ISBN 978-4806203360。 ^ 「年度別成績 1997年 パシフィック・リーグ」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1997年。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「西口 文也 闘志あふれる全力投球の本格派右腕」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』埼玉西武ライオンズ。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1997年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1997年10月18日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1997年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1997年10月23日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1997年度日本シリーズ 試合結果」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1997年10月23日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1998年 大逆転でリーグ2連覇」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』埼玉西武ライオンズ、1998年。2018年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「年度別成績 1998年 パシフィック・リーグ」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1998年。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1998年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1998年10月18日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「野球人&ファン300人 歴代最強チームはこれだ! 第4位 マシンガン打線と大魔神!1998年横浜ベイスターズ(17票)」『週刊ベースボールONLINE』ベースボール・マガジン社、2014年8月26日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1998年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1998年10月24日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 「1998年度日本シリーズ 試合結果(第6戦)」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、1998年10月26日。2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。 ^ 久保田龍雄「もう少しで球史に名を残せたのに…悔やんでも悔やみきれない「ノーノー未遂」を振り返る」BASEBALL KING、2022年4月12日。2022年7月25日閲覧。 ^ 「大野雄大の“完全未遂” 過去には西武・西口の例が 延長での完全試合達成者は0人」デイリースポーツ online、2022年5月6日。2022年5月6日閲覧。 ^ 「2005年8月27日(土)西武ライオンズ 対 東北楽天ゴールデンイーグルス」日本野球機構。2022年5月7日閲覧。 ^ 「西武西口 2年ぶり先発も4回4失点」『日刊スポーツ』2015年5月29日。2024年3月20日閲覧。 ^ 「西口文也投手が現役引退を表明」『埼玉西武ライオンズ』2015年9月23日。2024年3月20日閲覧。 ^ 「任意引退選手 | 2015年度公示」『日本野球機構』。2024年5月21日閲覧。 ^ 「西口文也投手 来季「球団本部編成部」に所属」『埼玉西武ライオンズ』2015年10月28日。2024年5月21日閲覧。 ^ 「西口文也「統一ライオンズ」臨時コーチ就任についてのお知らせ」『埼玉西武ライオンズ』2016年1月16日。2024年5月21日閲覧。 ^ 「西武・森投手コーチが病気休養 渡辺SD「まだ病名分からない」」『スポーツニッポン』2017年6月28日。2024年5月21日閲覧。 ^ 「西武・森慎二投手コーチ死去 42歳…辻監督「ショックです」」『スポーツニッポン』2017年6月28日。2024年5月21日閲覧。 ^ 「【西武】西口文也投手コーチが来季2軍監督に就任へ ソフトバンク退団の平石洋介氏を1軍打撃コーチ招へい」『スポーツ報知』2021年10月28日。2022年4月12日閲覧。 ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、38頁。ISBN 978-4-905411-04-8。 ^ 「第10回「ジョージア魂」賞受賞 西口文也選手インタビュー」『ジョージア ベースボールパーク』。2012年1月10日閲覧。 ^ 「西口 晴れやか引退会見 やり残したことは「ノーヒットノーラン」」『Sponichi Annex』2015年9月23日。2015年9月23日閲覧。 ^ 「【西武】西口文也2軍監督「僕と一緒ですね」快挙逃した中日大野雄大と実は誕生日も同じ」『日刊スポーツ』2022年5月6日。2022年5月7日閲覧。 ^ 「西武・西口文也2軍監督 9回完全も記録達成ならずの先駆者として「大野投手も同じ気持ちだったのでは」」『Sponichi Annex』2022年5月6日。2022年5月7日閲覧。 ^ 西口文也投手 立正大学校友会奨励賞を受賞 和歌山県出身の人物一覧 立正大学の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 フランチャイズ・プレイヤー 日本のプロ野球監督一覧 個人年度別成績 西口文也 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 選手名鑑 - 埼玉西武ライオンズ公式サイト 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 表 話 編 歴 74 西口文也 91 鳥越裕介(ヘッド) 81 豊田清(投手チーフ) 95 大石達也(投手) 96 中田祥多(バッテリー) 78 仁志敏久(野手チーフ兼打撃) 83 立花義家(打撃) 80 大引啓次(内野守備走塁) 84 熊代聖人(外野守備走塁) 79 小関竜也(監督) 72 土肥義弘(投手総合) 98 渡辺智男(投手) 93 青木勇人(投手) 85 榎田大樹(投手) 82 野田浩輔(二軍バッテリー) 87 黒田哲史(二軍野手) 77 辻竜太郎(二軍野手) 86 赤田将吾(二軍野手) 88 大島裕行(二軍野手) 97 青木智史(三軍総合) 76 田辺徳雄(三軍野手) 94 鬼﨑裕司(三軍野手) 89 木村文紀(三軍野手) 11 上田大河 12 渡邉勇太朗 13 髙橋光成 14 増田達至 15 與座海人 16 隅田知一郎 17 松本航 19 佐藤隼輔 20 田村伊知郎 21 武内夏暉 23 糸川亮太 25 平井克典 29 青山美夏人 34 甲斐野央 36 山田陽翔 40 浜屋将太 41 成田晴風 42 ボー 43 羽田慎之介 45 本田圭佑 47 杉山遙希 48 今井達也 54 アブレイユ 56 宮澤太成 57 黒田将矢 58 中村祐太 59 大曲錬 61 平良海馬 69 水上由伸 70 豆田泰志 71 菅井信也 2 岡田雅利 22 古賀悠斗 27 炭谷銀仁朗 37 柘植世那 38 野田海人 53 牧野翔矢 65 古市尊 0 児玉亮涼 4 山野辺翔 5 外崎修汰 6 源田壮亮 8 渡部健人 10 佐藤龍世 30 元山飛優 31 平沼翔太 32 山村崇嘉 50 髙松渡 52 陽川尚将 60 中村剛也 62 滝澤夏央 66 ブランドン 67 野村大樹 99 村田怜音 1 栗山巧 7 金子侑司 9 蛭間拓哉 33 古川雄大 35 松原聖弥 46 鈴木将平 51 西川愛也 63 長谷川信哉 68 岸潤一郎 73 高木渉 75 奥村光一 ガルシア 114 上間永遠 115 佐々木健 116 ロペス 120 井上広輝 121 三浦大輝 125 シンクレア 127 森脇亮介 129 川下将勲 131 木瀬翔太 122 是澤涼輔 118 野村和輝 126 谷口朝陽 130 金子功児 134 川野涼多 119 モンテル 135 仲三河優太 表 話 編 歴 宮崎要 1950 三原脩 1951 - 1959 川崎徳次 1960 - 1961 中西太 1962 - 1969 稲尾和久 1970 - 1974 江藤慎一 1975 (レオ・ドローチャー 1976当初) 鬼頭政一 1976 - 1977 根本陸夫 1978 - 1981 広岡達朗 1982 - 1985 森祇晶 1986 - 1994 東尾修 1995 - 2001 伊原春樹 2002 - 2003 伊東勤 2004 - 2007 渡辺久信 2008 - 2013 伊原春樹 2014 田邊徳雄 2015 - 2016 辻発彦 2017 - 2022 松井稼頭央 2023 - 2024 西口文也 2025 - 現在 表 話 編 歴 1947 別所昭 1948 中尾碩志 1949 藤本英雄 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 杉下茂 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 金田正一 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実, 堀内恒夫 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 星野仙一 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 松岡弘 1979 小林繁 1981 西本聖 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 野茂英雄 1991 佐々岡真司 1992 石井丈裕 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 西口文也 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2001 松坂大輔 2002 上原浩治 2003 井川慶, 斉藤和巳 2004 川上憲伸 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 前田健太 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2020 大野雄大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 野村武史 1951 中谷信夫 1952 柚木進 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 植村義信 1957 稲尾和久 1958 秋本祐作 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 皆川睦男 1963 田中勉, 森中千香良 1964 J.スタンカ 1965 林俊彦 1966 皆川睦男 1967 石井茂雄 1968 村上雅則 1969 清俊彦 1970 佐々木宏一郎 1971 山田久志 1972 佐藤道郎 1973 八木沢荘六 1974 竹村一義 1975 鈴木啓示, 野村収 1976 山田久志 1977 稲葉光雄 1978 山田久志 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 間柴茂有 1982 工藤幹夫 1983 高橋直樹 1984 石川賢 1985 石本貴昭 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 郭泰源 1989 星野伸之 1990 野茂英雄 1991 工藤公康 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 郭泰源 1995 平井正史 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 黒木知宏 1999 篠原貴行 2000 小野晋吾 2001 田之上慶三郎 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 斉藤和巳 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉 2010 杉内俊哉 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 岸孝之 2015 大谷翔平 2016 和田毅 2017 千賀滉大 2018 M.ボルシンガー 2019 山岡泰輔 2020 石川柊太 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 伊藤大海 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 野口正明 1953 川崎徳次 1954 宅和本司, 田中文雄 1955 宅和本司 1956 三浦方義 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保征弘 1963 稲尾和久 1964 小山正明 1965 尾崎行雄 1966 米田哲也 1967 池永正明 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 成田文男 1971 木樽正明 1972 山田久志, 金田留広 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 東尾修 1976 山田久志 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 今井雄太郎, 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修, 山内和宏 1984 今井雄太郎 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 山沖之彦 1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野田浩司, 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 K.グロス 1996 K.グロス 1997 西口文也, 小池秀郎 1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 涌井秀章 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 和田毅, 金子千尋 2011 D.ホールトン, 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平, 涌井秀章 2016 和田毅 2017 東浜巨, 菊池雄星 2018 多和田真三郎 2019 有原航平 2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平、伊藤大海 表 話 編 歴 1950 米川泰夫 1951 阿部八郎 1952 柚木進 1953 米川泰夫 1954 宅和本司 1955 河村久文 1956 梶本隆夫 1957 梶本隆夫 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 杉浦忠 1961 稲尾和久 1962 米田哲也 1963 稲尾和久 1964 尾崎行雄 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 成田文男 1974 鈴木啓示 1975 東尾修 1976 村田兆治 1977 村田兆治 1978 鈴木啓示 1979 村田兆治 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 松沼博久 1983 山沖之彦 1984 佐藤義則 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 阿波野秀幸 1988 小川博 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 工藤公康 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 松坂大輔 2004 新垣渚 2005 松坂大輔 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 杉内俊哉 2009 杉内俊哉 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 田中将大 2013 金子千尋 2014 則本昂大 2015 則本昂大 2016 則本昂大 2017 則本昂大 2018 則本昂大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大, 山本由伸 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 今井達也 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 梶本隆夫 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 稲尾和久 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 木樽正明 1971 山田久志 1972 山田久志 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 鈴木啓示 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 東尾修 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 西崎幸広 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 E.ヒルマン 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 菊池雄星 2018 菊池雄星 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1972 足立光宏 1973 成田文男 1974 足立光宏 1975 足立光宏 1976 足立光宏 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 山田久志 1982 山田久志 1983 東尾修 1984 東尾修 1985 東尾修 1986 東尾修 1987 東尾修 1988 西崎幸広 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信 1991 郭泰源 1992 郭泰源 1993 野田浩司 1994 工藤公康 1995 工藤公康 1996 西崎幸広 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 西口文也 2003 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 松坂大輔 2006 松坂大輔 2007 ダルビッシュ有 2008 ダルビッシュ有 2009 涌井秀章 2010 涌井秀章 2011 田中将大 2012 田中将大 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 涌井秀章 2016 涌井秀章 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1950 若林忠志 1951 江藤正 1952 大神武俊 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 柚木進 1956 川崎徳次 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 中西勝己 1961 J.スタンカ 1962 土橋正幸 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 杉浦忠 1966 渡辺泰輔 1967 米田哲也 1968 石井茂雄 1969 石井茂雄 1970 木樽正明 1971 足立光宏 1972 山田久志 1973 江本孟紀 1974 金田留広 1975 足立光宏 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 井本隆 1980 井本隆 1981 高橋一三 1982 松沼博久 1983 松沼博久 1984 山田久志 1985 松沼博久 1986 東尾修 1987 東尾修 1988 渡辺久信 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信 1991 工藤公康 1992 渡辺久信 1993 工藤公康 1994 渡辺久信 1995 佐藤義則 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 若田部健一 2001 J.パウエル 2002 松坂大輔 2003 斉藤和巳 2004 石井貴 2005 清水直行 2006 ダルビッシュ有 2007 ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 武田勝 2010 成瀬善久 2011 和田毅 2012 吉川光夫 2013 則本昂大 2014 J.スタンリッジ 2015 武田翔太 2016 大谷翔平 2017 千賀滉大 2018 千賀滉大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平 表 話 編 歴 1991 工藤公康 - 伊東勤 1992 石井丈裕 - 伊東勤 1993 金石昭人 - 田村藤夫 1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎 1995 平井正史 - 中嶋聡 1996 西口文也 - 伊東勤 1997 西口文也 - 伊東勤 1998 西口文也 - 伊東勤 1999 工藤公康 - 城島健司 2000 吉田修司 - 城島健司 2001 田之上慶三郎 - 城島健司 2002 豊田清 - 伊東勤 2003 斉藤和巳 - 城島健司 2004 三瀬幸司 - 城島健司 2005 渡辺俊介 - 里崎智也 2006 斉藤和巳 - 的場直樹 2007 成瀬善久 - 里崎智也 2008 岩隈久志 - 藤井彰人 2009 涌井秀章 - 銀仁朗 2010 杉内俊哉 - 田上秀則 2011 田中将大 - 嶋基宏 2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也 2013 田中将大 - 嶋基宏 2014 金子千尋 - 伊藤光 2015 大谷翔平 - 大野奨太 2016 石川歩 - 田村龍弘 2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗 2018 多和田真三郎 - 森友哉 2019 増田達至 - 森友哉 2020 千賀滉大 - 甲斐拓也 2021 山本由伸 - 若月健矢 2022 山本由伸 - 若月健矢 2023 山本由伸 - 若月健矢 2024 有原航平 - 甲斐拓也 表 話 編 歴 1950 木下勇 1951 武末悉昌 1952 川崎徳次 1953 川崎徳次 1954 太田正男 1955 長坂衛 1956 河村久文 1957 島原幸雄 1958 河村久文 1959 島原幸雄 1960 稲尾和久 1961 稲尾和久 1962 稲尾和久 1963 稲尾和久 1964 田中勉 1965 田中勉 1966 田中勉 1967 田中勉 1968 池永正明 1969 与田順欣 1970 池永正明 1971 高橋明 1972 高橋明 1973 加藤初 1974 三浦清弘 1975 東尾修 1976 東尾修 1977 東尾修 1978 山下律夫 1979 東尾修 1980 東尾修 1981 東尾修 1982 森繁和 1983 高橋直樹 1984 東尾修 1985 東尾修 1986 東尾修 1987 東尾修 1988 工藤公康 1989 工藤公康 1990 渡辺久信 1991 渡辺久信 1992 工藤公康 1993 渡辺久信 1994 郭泰源 1995 郭泰源 1996 新谷博 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 西口文也 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 松坂大輔 2003 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 松坂大輔 2006 西口文也 2007 西口文也 2008 涌井秀章 2009 涌井秀章 2010 涌井秀章 2011 涌井秀章 2012 涌井秀章 2013 岸孝之 2014 岸孝之 2015 牧田和久 2016 菊池雄星 2017 菊池雄星 2018 菊池雄星 2019 多和田真三郎 2020 Z.ニール 2021 髙橋光成 2022 髙橋光成 2023 髙橋光成 2024 今井達也 表 話 編 歴 1位:富岡久貴(逆指名) 2位:小関竜也 3位:西口文也 4位:高木浩之 5位:寺本比呂文 6位:山田和幸 VIAF 日本 西口文也 日本の野球選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 最多勝利 (NPB) 最多奪三振 (NPB) 最高勝率 (野球) 最優秀選手 (NPB) 沢村栄治賞 NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球監督 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の監督 立正大学硬式野球部の選手 和歌山県立和歌山商業高等学校出身の野球選手 和歌山県出身のスポーツ選手 1972年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 独自研究の除去が必要な節のある記事/2010年 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/20 19:31更新
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nishiguchi fumiya
西口文也と同じ誕生日9月26日生まれ、同じ和歌山出身の人
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