辰野金吾の情報(たつのきんご) 建築家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
辰野金吾と関係のある人
遠藤新: 卒業の翌年には、建築界の大御所だった辰野金吾設計による東京駅建築の批判を発表した。 ジョサイア=コンドル: 辰野金吾はじめ創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。 片山東熊: 1887年(明治20年)10月 - 帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)の渡辺洪基や辰野金吾、藤本寿吉らとともに、「工手学校」(現・工学院大学)を設立。 高橋是清: この時の教え子に、辰野金吾、曽禰達蔵、大島小太郎、天野為之、掛下重次郎、田邊新之助らがいる。 長野宇平治: 辰野金吾の弟子として知られ、数々の銀行建築を残した。 佐野利器: 建築学を辰野金吾に学んだ(辰野は佐野が3年のときに辞任)。 葛西萬司: 1919年(大正8年) - 辰野金吾没後、単独で建築設計事務所(葛西設計事務所)を経営する 片山東熊: 明治12年ごろ、山縣が麹町区五番町に自宅を新築する際には、片山が在籍する工部大学校造家学科第1期生の4名(辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵、佐立七次郎)で学生コンペを行ない、片山案を採用し、片山の処女作として木造家屋を建設した。 谷口吉郎: 父の清足は名古屋出身で、1903年に東京帝国大学工科大学建築学科(現・東京大学工学部建築学科)を卒業後、辰野葛西事務所の辰野金吾の下で東京駅の設計主任となったが、工法を巡って辰野と対立し、中途で海軍技師に転じ、晩年は大林組東京支店長や日本建築学会副会長を歴任した。 東秀紀: その後『東京駅の建築家:辰野金吾伝』、『ヒトラーの建築家』、『異形の城』、『東京の都市計画家:高山英華』など、主に専門である建築や都市計画の知識を活かした著作を発表。 張富士夫: また曽祖父の鈴木乗熙は建築家・辰野金吾の叔父にあたる。 ジョサイア=コンドル: 1884年(明治17年)工部省との契約終了により工部大学校を退官(辰野金吾が教授就任)。 渡辺いっけい: 辰野金吾「日本銀行本店本館」(2021年7月10日) 浜口隆一: 卒業設計は「満州国中央火力発電所」、辰野金吾賞受賞。 葛西萬司: 辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。 辰野隆: 建築家の父・辰野金吾と母・秀子の長男として東京市に生まれる。 葛西萬司: 1903年(明治36年) - 辰野金吾と東京で辰野葛西設計事務所を開設する 勝田銀次郎: 設計:辰野金吾、片岡安 東秀紀: 『東京駅の建築家 辰野金吾伝』(2002年9月、講談社、新田次郎文学賞最終候補) 片山東熊: 辰野金吾、曽禰達蔵、佐立七次郎と同期。 張富士夫: 長兄は養子に行った姫松倉右衛門で辰野金吾の父。 藤森照信: 「辰野金吾の東京駅はアムステルダム中央駅を模倣したもの」とよく言われるが、藤森も『建築探偵雨天決行』において否定説を唱えている。 長野宇平治: 明治30年(1897年)日本銀行技師となり、辰野金吾工事顧問の指導下で、大阪・京都・小樽各支店等の明治期支店建築9件の設計監理に従事した。 岡田信一郎: 辰野金吾・長野宇平治・岡田の連名。 菊川怜: 東京駅100年の謎〜近代建築の父・辰野金吾の暗号〜(2014年2月16日、BS朝日) - 案内役 |
辰野金吾の情報まとめ
辰野 金吾(たつの きんご)さんの誕生日は1854年10月13日です。佐賀出身の建築家のようです。
卒業、現在、事件に関する情報もありますね。1919年に亡くなられているようです。
辰野金吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年〈大正8年〉3月25日) は、日本の建築家、工学博士。位階勲等は従三位勲三等。工部大学校(現・東京大学工学部)卒業。帝国大学工科大学学長、建築学会会長。 設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。帝国大学では後進の指導にも励み、伊東忠太、長野宇平治、矢橋賢吉、武田五一、中條精一郎、塚本靖、野口孫市、大沢三之助、関野貞、岡田時太郎らの人材を輩出した。帝国大学総長渡辺洪基 の意向を受け、工手学校(現・工学院大学) の創立(1887年(明治20年))を推進し、運営にも尽力した。また、大隈重信の要請を受け、早稲田大学建築学科創設(1912年(明治45年)創設顧問に就任)にも尽力した。 東大仏文科で小林秀雄、三好達治らを育てた仏文学者の辰野隆は息子であり、薬学者の辰野高司は孫である。 肥前国(現在の佐賀県・長崎県)唐津藩の下級役人・姫松蔵右衛門とオマシの間に次男として生まれる。姫松家は足軽よりも低い家格であった。 1868年(明治元年)叔父の辰野宗安の養子となる。 1873年(明治6年)工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学。1875年(明治8年)2年終了後に、造船から造家(建築)に転じる。1877年(明治10年)ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルが工部大学校造家学教師に就任。1879年(明治12年)造家学科を首席で卒業(同期生に曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎)。 1880年(明治13年)英国留学に出発。コンドルの前職場と出身校であるバージェス建築事務所、ロンドン大学で学ぶ。1883年(明治16年)日本に帰国。1884年(明治17年)コンドルの退官後、工部大学校教授に就任。 1886年(明治19年)帝国大学工科大学教授、造家学会(のちの日本建築学会)を設立。辰野金吾建築事務所を設立(所員は岡田時太郎) 1887年(明治20年)工手学校(現工学院大学)の設立に参加。1898年(明治31年)帝国大学工科大学学長。1902年(明治35年)工科大学を辞職。 1903年(明治36年)葛西萬司と辰野葛西事務所を開設(東京)。1905年(明治38年)片岡安と辰野片岡事務所を開設(大阪)。 1907年(明治40年)明治専門学校(現・九州工業大学)協議員となる。 1910年(明治43年)国会議事堂(議院建築)の建設をめぐり、建築設計競技(コンペ)の開催を主張。日蓮主義天晴会に参加。1912年(明治45年)早稲田大学建築学科顧問に就任。 1919年(大正8年) 国会議事堂の設計競技で審査員を務める。当時大流行したスペインかぜに罹患し、3月25日死去。享年64歳。墓所は西新宿の常圓寺裏手の同寺墓地。 1884年(明治17年)8月30日 - 正七位 1886年(明治19年)7月8日 - 従六位 1897年(明治30年)10月30日 - 正五位 1901年(明治34年)3月20日 - 従四位 1896年(明治29年)12月25日 - 勲六等瑞宝章 1901年(明治34年)12月27日 - 勲三等瑞宝章
旧日本銀行小樽支店
旧岩手銀行本店本館
日本銀行本店
みずほ銀行京都中央支店
日本銀行大阪支店
大阪市中央公会堂
旧大阪教育生命保険
浜寺公園駅
奈良ホテル本館
旧第一銀行神戸支店
松本健次郎邸
旧日本生命九州支店
中央停車場(東京駅丸の内駅舎)
武雄温泉楼門
旧二十三銀行本店
旧朝鮮銀行本店
明治専門学校(現九州工業大学)旧本館の模型
ちゆうおうていしや/中央停車場(東京駅丸の内駅舎)
「辰野金吾博士 作品集成絵図」後藤慶二 1916年
唐津では、のちに首相となる高橋是清に英語を学んだ。さらに高橋の後を追って上京し、工学寮に入学している。 相撲好きで子の隆を相撲部屋に入門させた。のちに旧両国国技館を設計したのも辰野だった。 辰野が得意とした赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、辰野式建築(たつのしき けんちく)として知られる。明治から大正にかけて多くの建築家がこれを模倣した。現在でも総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎は辰野が監修した作品の一つである。直接手掛けてはいないが台中市役所も辰野式が取り入れられた。教え子で総督府の技師だった森山松之助も辰野式を取り入れた台湾総督官邸、台北州庁、台中州庁、台南州庁、台南地方法院などを現地で手掛けている。 同じく1914年の作品のうち、東京駅ドームの天井にウシ・トラ・タツ・ヘビ・ヒツジ・サル・イヌ・イノシシの8つのレリーフがあるに対し、武雄温泉楼門の天井四隅にはネズミ・ウサギ・ウマ・トリの4つの彫り絵がある。合わせて十二支となるため、辰野の遊び心から来たと解釈する人もいる。 実父・姫松倉右衞門 - 唐津藩士。足軽以下の下級武士。 養父・辰野宗安 - 父の弟。江戸の唐津藩屋敷詰 妻:秀子(1863年生) - 唐津藩士・鳥羽(西脇)乾三郎の妹。秀子の従妹に山川健次郎の妻りう。 長女:須磨子(鈴木梅太郎の妻) 長男:隆(フランス文学者) 次男:保(陸上競技選手、日本体育協会理事) 孫(隆の次男):高司(薬学者) 曽孫:智子(建築家、有限会社辰野武山建築設計事務所取締役) ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「辰野金吾」 ^ 『官報』第354号「叙任及辞令」1884年9月1日。 ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。 ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。 ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日。 ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。 ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。 ^ “支店の歴史”. 日本銀行 北九州支店. 2022年7月27日閲覧。 ^ 日活株式会社編『日活五十年史』(1962年)- 巻末年譜より、ノンブルなし。 ^ 「各地火災彙報」『保険銀行時報』1920年3月号(保険銀行時報社) - 14頁。 ^ “九州工業大学”. 北九州市. 2019年2月19日閲覧。 ^ “辰野金吾のレリーフ、十二支そろう 東京駅と佐賀に”. 日経アーキテクチュア (2013年4月19日). 2017年4月29日閲覧。 ^ “東京駅の謎が解けた? 武雄温泉楼門を保存修理”. 日経アーキテクチュア (2013年8月1日). 2017年4月29日閲覧。 ^ 辰野金吾『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月] ^ 『国家のデザイン 』藤森照信 三省堂 1979、172ページ ^ 水産学者山川洵に関する研究―男爵山川健次郎長男の功績遠藤由紀子、学苑 No. 953 (31)~(50)(2020・3) 工学博士 辰野金吾伝(白鳥省吾編、辰野葛西事務所、1926年) 日本の建築 明治大正昭和〈3〉国家のデザイン(藤森照信、三省堂、1979年)- 写真増田彰久 東京、はじまる(門井慶喜、文藝春秋、2020年)- 辰野を主人公とした小説 東秀紀『東京駅の建築家 辰野金吾伝』 講談社、2002年 河上眞理・清水重敦『辰野金吾 美術は建築に応用されざるべからず』 ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉、2015年 河上眞理・清水重敦『辰野金吾 佐賀偉人伝08』 佐賀県立佐賀城本丸歴史館、2014年。読み易い評伝案内 ジョサイア・コンドル 長野宇平治 工部大学校 歴史主義建築 日本近代建築史 西洋館 工学院大学 辰野金吾 (小惑星) - 名称は辰野に由来する。 辰野金吾 | 近代日本人の肖像(国立国会図書館) 辰野金吾小伝 日本の近代建築の先駆者 辰野金吾 - ウェイバックマシン(2009年4月30日アーカイブ分)(NHK「プロジェクトJAPAN」 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」) 日本銀行 東京ステーションホテル 表 話 編 歴 初代会長 青木周蔵 1886-1893 第2代 渡辺洪基 1893-1898 第3代 辰野金吾 1898-1904 第4代 渡辺譲 1904-1905 第5代 辰野金吾 1905-1918 第6代 曽禰達蔵 1918-1921 第7代 中村達太郎 1921-1923 第8代 塚本靖 1923-1925 第9代 横河民輔 1925-1927 第10代 塚本靖 1927-1929 第11代 佐野利器 1929-1931 第12代 大熊喜邦 1931-1933 第13代 佐野利器 1933-1935 第14代 内田祥三 1935-1937 第15代 佐野利器 1937-1939 第16代 内田祥三 1939-1941 第17代 内藤多仲 1941-1943 第18代 小林政一 1943-1945 第19代 内藤多仲 1945-1947 第20代 岸田日出刀 1947-1949 第21代 吉田享二 1949-1951 第22代 伊藤滋 1951-1953 第23代 石井桂 1953-1955 第24代 武藤清 1955-1957 第25代 佐藤武夫 1957-1959 第26代 二見秀雄 1959-1961 第27代 木村幸一郎 1961-1963 第28代 棚橋諒 1963-1965 第29代 高山英華 1965-1967 第30代 坪井善勝 1967-1969 第31代 前田敏男 1969-1971 第32代 加藤六美 1971-1973 第33代 吉阪隆正 1973-1975 第34代 横尾義貫 1975-1977 第35代 吉武泰水 1977-1979 第36代 梅村魁 1979-1981 第37代 清家清 1981-1983 第38代 小堀鐸二 1983-1985 第39代 芦原義信 1985-1987 第40代 谷資信 1987-1989 第41代 木下茂徳 1989-1991 第42代 岸谷孝一 1991-1993 第43代 内田祥哉 1993-1995 第44代 中村恒善 1995-1997 第45代 尾島俊雄 1997-1999 第46代 岡田恒男 1999-2001 第47代 仙田満 2001-2003 第48代 秋山宏 2003-2005 第49代 村上周三 2005-2007 第50代 斎藤公男 2007-2009 第51代 佐藤滋 2009-2011 第52代 和田章 2011-2013 第53代 吉野博 2013-2015 第54代 中島正愛 2015-2017 第55代 古谷誠章 2017-2019 第56代 竹脇出 2019-2021 第57代 田辺新一 2021- 表 話 編 歴 東北新幹線 上越新幹線 北陸新幹線 ■山形新幹線 ■秋田新幹線 山手線 京浜東北線 中央線快速 東海道線 上野東京ライン
高崎線 常磐線 横須賀・総武快速線 京葉線
東海道新幹線 丸ノ内線 東西線
成田エクスプレス 踊り子・サフィール踊り子 湘南 ひたち・ときわ あずさ かいじ はちおうじ・おうめ しおさい わかしお さざなみ 寝台特急サンライズ瀬戸 寝台特急サンライズ出雲 東京ステーションホテル 丸の内ビルディング 新丸の内ビルディング 丸の内オアゾ 丸の内パークビルディング TOKIA 丸ノ内ホテル パレスホテル東京 東京国際フォーラム JPタワー(東京中央郵便局、KITTE丸の内) 丸の内中央ビル
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2024/11/15 01:09更新
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tatsuno kingo
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