辰野隆の情報(たつのゆたか) 文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


辰野 隆さんについて調べます
■名前・氏名 |
辰野隆と関係のある人
鈴木力衛: 『世界古典文学全集47 モリエール』(他は辰野隆訳:筑摩書房) 1965 林髞: 『随筆寄席』全4巻 辰野隆、徳川夢声共著 日本出版協同 1954-60 中島健蔵: 当時助教授だった辰野隆に師事する。 中島健蔵: 1934年、辰野隆や鈴木信太郎の世話で臨時講師となる。 谷崎潤一郎: 一中では、大貫雪之助(岡本かの子の兄)、土屋計左右、恒川陽一郎、吉井勇、辰野隆らと知り合う。 水野成夫: 翻訳に当たってはフランス文学者の辰野隆の紹介で辰野の弟子に当たる渡辺一夫と出会い、翻訳上、不明な点がある時は、渡辺の教えを請い正確を期した。 辰野金吾: 東大仏文科で小林秀雄、三好達治らを育てた仏文学者の辰野隆は息子であり、薬学者の辰野高司は孫である。 今日出海: 1925年(大正14年)、東京帝国大学仏蘭西文学科へ入学し、辰野隆・鈴木信太郎らに学んだ。 志賀直哉: 直哉の門人である河盛好蔵や辰野隆は「失言」ととらえており、他の門人たちも特に触れた文章を残していない。 日夏耿之介: 友人・知人による還暦記念論集(全53篇)『近代日本の教養人 日夏耿之介博士華甲記念文集』(辰野隆編、実業之日本社)が刊行 田中舘愛橘: ただし、藤井は辰野隆が『スポオツ随筆』で「計測の誤り」「11秒24の間違いではないか」と書いたことを見て激怒し、それを1950年頃に愛橘に伝えると、愛橘も「あれがおかしいということはない。 今江祥智: ヴェルコールやクロード・モルガンやルイ・アラゴンやアランやフランソワ・ラブレーなどの仏文学に傾倒し、辰野隆や渡辺一夫など仏文学者の著書を愛読、さらにロマン・ロラン研究会を設立して顧問に新村猛講師(当時名古屋大学教授)を迎える。 双葉十三郎: 自身は辰野隆に傾倒し、仏文科へ進みたかったのだが、父親から「仏文に行ったら勘当する」と強硬に申し渡されたため、泣く泣く経済学部に入学した。 ヴィリエ=ド=リラダン: 大正・昭和初期に、フランス文学者の辰野隆が講読紹介し、鈴木信太郎・伊吹武彦等と『リイルアダン短編集』(上・下、弘文堂書房→岩波文庫)を訳した。 徳川夢声: 随筆寄席 座談会 全4巻(辰野隆、林髞共編) 日本出版協同 1954 / 新版 春歩堂 1960 夏目漱石: その年、辰野隆の結婚式に出席して後の12月9日、体内出血を起こし『明暗』執筆途中に自宅で死去した。 出口裕弘: 『辰野隆 日仏の円形広場』(新潮社) 1999、のち中公文庫 2019 エドモン=ロスタン: 辰野隆・鈴木信太郎「シラノ週報の場」、鶴見俊輔・安野光雅・森毅・井上ひさし・池内紀共編『ちくま哲学の森7』(筑摩書房〈ちくま文庫〉2012年)所収 岸田國士: フランス文学や近代演劇を学び、鈴木信太郎・辰野隆・豊島与志雄・関根秀雄らと親交をむすぶ。 徳川夢声: 1949年、第1回文藝春秋読者賞「天皇陛下大いに笑ふ」(辰野隆・サトウハチロー鼎談) 太宰治: 目算が外れた太宰は他の志願者とともに試験場で手を挙げ、試験官の辰野隆に事情を話し、格別の配慮で入学を認められた。しかし友人の大高勝次郎などには、仏文科への志望を「肩書のカッコ良さ」や「高名な研究者の辰野隆がいるから」など、もっともらしい理由をつけて虚勢を張っていたという。 笠置シヅ子: シズ子の後援会には錚々たる顔ぶれが集まり、作家の吉川英治、林芙美子、林房雄、フランス文学研究の辰野隆、画家の梅原龍三郎、女優の田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子らの名前があったが、特に映画『銀座カンカン娘』で共演した高峰はシズ子の追っかけをするほどの大ファンで「笠置シヅ子は歌そのものであった」とシズ子の事を絶賛した。 邱永漢: しかし文学への関心やみがたく、仏文科の辰野隆の講義も聴講した。 佐藤正彰: 東京帝国大学仏文科卒、辰野隆の門下生。 長谷川如是閑: なお、如是閑の思想は、友人のジャーナリスト丸山幹治の息子である政治学者の丸山眞男や仏文学者辰野隆等に大きな影響を与えている。 エドモン=ロスタン: 辰野隆・鈴木信太郎共訳、白水社、1922年、1951年 / 岩波書店〈岩波文庫〉1951年、1983年 岸田國士: 鈴木信太郎・辰野隆・豊島与志雄らと知悉を得る。 ギョーム=アポリネール: 辰野隆、鈴木信太郎、堀辰雄共訳『贋救世主アンフィオン ― 一名ドルムザン男爵の冒険物語』野田書房、1936年(目次・書誌情報)、沖積舎、2005年 白井浩司: 1966年第2回辰野隆賞受賞、1976年フランス政府より教育功労章授与。 |
辰野隆の情報まとめ

辰野 隆(たつの ゆたか)さんの誕生日は1888年3月1日です。東京出身の文学者のようです。

卒業、兄弟、結婚に関する情報もありますね。1964年に亡くなられているようです。
辰野隆のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)辰野 隆(たつの ゆたか、1888年(明治21年)3月1日 - 1964年(昭和39年)2月28日)は、日本の仏文学者・随筆家。東京帝国大学教授として多くの後進を育てた。初めて本格的にフランス文学を日本に紹介した。 1888年(明治21年)、建築家の父・辰野金吾と母・秀子の長男として東京市で生まれた。赤坂中之町小学校、東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1908年に東京帝国大学法科大学仏蘭西法学科に入学。1913年に卒業し、その後は法学ではなく文学研究を志して東京帝国大学文科大学仏蘭西文科に進んだ。1916年に修士課程を修了。博士課程に進み、1918年に退学。 1918年、慶應義塾大学部文学科講師に就いた。また、同年より母校の東京帝国大学文科大学仏蘭西文学科の副手も務めた。翌1919年より早稲田大学大学部文学科講師。1920年に東京帝国大学文学部講師、1921年に東京帝国大学助教授に昇進。これは東京帝国大学仏文科初の日本人助教授就任であった。 同1921年より研究のため2年間フランスに留学を命じられた。1923年に帰国。1930年、学位論文『ボオドレエルの態度』を東京帝国大ガニ提出して文学博士の学位を取得。1931年、教授に昇格。以降、定年退官するまでフランス文学の主任教授を務めた。在任中には、1932年に新設された明治大学専門部文科文芸科でも講師(非常勤)として教鞭を執った。戦時中は、日本文学報国会理事を務めた。 1948年、東京大学を定年退官し、名誉教授となった。東京大学退官後は中央大学専任講師となり、仏文学専攻を創設し、1950年から教授を務めた。1948年、日本芸術院会員に選出された。1949年2月、サトウハチロー・徳川夢声と共に皇居へ参内。昭和天皇との会見録である「天皇陛下大いに笑う」が、文藝春秋に掲載され大いに反響を呼んだ。 1964年に死去。辰野は生前いち早くアイバンクに登録しており、死後角膜を献体をした。墓所は新宿区常圓寺にある。 1962年:文化功労者となった。 1964年:従三位、勲一等瑞宝章授与。 専門はフランス文学で、鈴木信太郎と共訳した『シラノ・ド・ベルジュラック』(1922年)の翻訳が良く知られている。同戯曲は、翻訳発表後も上演のたびに改訂を重ねていた。鈴木は、辰野の初の著書『信天翁の眼玉』が日本初の本格的フランス文学紹介であり、数々の学生がフランス文学に進むきっかけとなったと評している。 文学研究の一方で、『さ・え・ら』、『あ・ら・か・る・と』など軽妙な文芸エッセイでも知られた。漱石や谷崎らを取り上げた『忘れ得ぬ人々』は人物描写エッセイ(ポルトレ)の名著と評される。 東京大学文学部のフランス文学講座で長く教え、多数の後進をや文学者を育てた。 三好達治 渡辺一夫 飯島正 伊吹武彦 小林秀雄 田辺貞之助 今日出海 中島健蔵 井上究一郎 中村光夫 森有正 鈴木力衛 小松清 早稲田大学の教え子の中からも、佐藤輝夫など文学研究・文芸評論で活躍した人物が生まれた。 谷崎潤一郎とは府立一中以来の友人であった。 父辰野金吾は建築家。東京駅(丸の内)・日本銀行本店などの設計で知られる近代日本を代表する建築家で、その長男である。 兄弟:辰野保は陸上選手で、隆本人も学生時代は運動に打ち込み、体力には自信があった。父金吾は国技館(初代)の設計者でもあり、また大の相撲好きで、中学時代に隆を相撲部屋に入門させた。隆も1950年から終生、横綱審議委員を務めた。 妻:辰野久子は江川英龍の孫。 息子:辰野高司は薬学者。日本薬史学会副会長、理化学研究所名誉研究員。
『信天翁の眼玉』白水社 1922
『佛蘭西文學の話』春陽堂 1925 『白葡萄』春陽堂 1925 『佛蘭西文藝閑談』聚芳閣 1926 『ボオドレエル研究序説』第一書房 1929
再版 全國書房 1948 再版 酣燈社 1951 『さ・え・ら』白水社 1931 『え・びやん』白水社 1933 『南の風』白水社, 1933 『ドンク』中央公論社 1934 『りやん』白水社 1935 『あ・ら・かると 評論随筆集』白水社 1936 『スポオツ閑談』昭森社 1936 『南の窓:佛蘭西翻案戯曲集』創元社 1937
『書齋閑談』白水社 1938 『忘れ得ぬ人々』弘文堂書房 1939
新編文庫化 講談社文芸文庫 1991 『ルナアルを語る』白水社 1939 『印象と追憶』弘文堂書房 1940 『續 忘れ得ぬ人々』弘文堂書房 1940
『ふらんす人』青木書店 1941
『佛蘭西文學』(上下)白水社 1943
『谷崎潤一郎』イヴニング・スター社 1947
『河童随筆』酣燈社 1947 『青春回顧』酣燈社 1947 『酔眠巣雑記』生活社 1947 『佛蘭西演劇私観』酣燈社 1948 『フアブルの目』秀文館 1948 『曳尾庵随筆』要書房 1948 『燈前茶後』日本出版協同 1949 『閑人独語』洛陽書院 1949 『濁り酒』創元選書 1949 『男女問答』要書房 1950 『老若問答』要書房 1950 『ひとりごと』河出書房 1950 『老書生独語』河出書房 1951 『フランス文學入門』要書房(要選書) 1951 『老年期』要書房 1951 『えとせとら』三笠書房 1953 『独語と対話 青春と老後』実業之日本社 1956 『凡愚問答』角川新書 1956 『凡愚春秋』角川新書 1957 『フランス革命夜話』朝日新聞社 1958
新訂文庫化 中公文庫 2015 『おかめはちもく』河出書房新社 1961 『ボーマルシェーとフランス革命』筑摩書房 1962 『辰野隆選集』(全5巻) 改造社 1948-1950
『佛蘭西文學考(上)』 『佛蘭西文學考 (下)』 『ボオドレエルとルナアル』 『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』- 新訂文庫版 中公文庫 2015 『信天翁の眼玉』 『辰野隆・内田百閒集』(現代随想全集 5) 創元社 1953 『辰野隆集』(現代知性全集 14) 日本書房 1959
『辰野隆随想全集』(全5巻・別巻)福武書店 1983 『忘れ得ぬ人々』 『え・びやん』 『フランス文芸閑談』 『ふらんすとふらんす人』 『忘れ得ぬことども』 別巻『「天皇陛下大いに笑う」 対談・座談集』 『スポオツ随筆』辰野保共著、大畑書店 1932 『佛蘭西自然主義』本田喜代治共著、三省堂 1936 『モリエール』本田喜代治共著、創元選書 1939 『忘れ得ぬことども 辰野隆対談集』朝日新聞社 1948/三笠文庫 1952(抜粋) 『酒談義』(正・続)日本交通公社 1949-1950 『近代日本の教養人』実業之日本社 1950 『大学生活第二』光文社 1950 『落第読本』鱒書房 1955 『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン著、鈴木信太郎共訳、白水社 1922
『孤客 ミザントロオプ モリエール著、筑摩書房 1947
『女房学校 他2編』モリエール著、鈴木力衛共訳、岩波文庫 『フィガロの結婚』ボーマルシェ著、要書房, 1950
『贋救世主アンフィオン:名ドルムザン男爵の冒険物語』アポリネール著、鈴木信太郎・堀辰雄共訳、沖積舎
出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』新潮社 1999
辰野隆:作家別作品リスト - 青空文庫 ^ 鈴木信太郎『辰野隆前曾長(会長)の思出 : 辰野隆博士著作目録・年譜』日本フランス語フランス文学会、1964年。doi:10.20634/ellf.5.0_1。https://doi.org/10.20634/ellf.5.0_1。2022年7月31日閲覧。 ^ 東京駅・辰野金吾家の人々宮島醤油会長コラム ^ CiNii(学位論文) ^ 退官後に勤務した中央大学は、敬愛した長谷川如是閑の母校で、父金吾が同校最初の新築校舎(1888年英吉利法律学校)及び同校の校長邸宅(1911年増島六一郎、1906年菊池武夫)を設計したという縁がある。 ^ 『辰野隆随想全集』別巻「天皇陛下大いに笑う」 対談・座談集 ^ 『世界文學』1947年12月号、p.1 ^ 解説 小倉孝誠。電子書籍も刊 ^ 電子書籍も刊 ^ 友人日夏耿之介の還暦記念論集。 ^ ISBN 400325631X ^ ISBN 978-4003256312 ^ ISBN 4003251210 ^ ISBN 978-4003251249 ^ ISBN 4003251245 ^ ISBN 978-4003251218 ^ ISBN 4003252217 ^ ISBN 978-4003252215 ^ ISBN 4806030473 ^ ISBN 978-4806030478 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 韓国 オランダ 日本の文学研究者 フランス文学者 20世紀日本の翻訳家 20世紀日本の随筆家 文化功労者 日本藝術院会員 横綱審議委員会委員 文学博士取得者 東京大学の教員 学習院大学の教員 中央大学の教員 辰野金吾 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京都立日比谷高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 日本文学報国会の人物 従三位受位者 勲一等瑞宝章受章者 1888年生 1964年没 シラノ・ド・ベルジュラック ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2022年7月 2025/03/30 14:54更新
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tatsuno yutaka
辰野隆と同じ誕生日3月1日生まれ、同じ東京出身の人


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