遠藤周作の情報(えんどうしゅうさく) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
遠藤 周作さんについて調べます
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遠藤周作と関係のある人
マルキ=ド=サド: 日本には木々高太郎や式場隆三郎、田辺貞之助、「丸木砂土」こと秦豊吉、遠藤周作、澁澤龍彦、片山正樹たちによって紹介された。 若林真: 解説「「狭き門」はキリスト教小説か」(遠藤周作) 深井国: 1997年 - ギャラリーでオリジナル油彩と、1970年代に週刊朝日に連載された遠藤周作「王妃マリー・アントワネッ ト」の挿絵原画の一部を展示し完売する。 近藤啓太郎: 愛犬家で中学生の頃からの日本犬保存会の会員であり、鴨川で家を建てた後は「八色犬舎」という犬舎号を登録して柴犬や紀州犬の繁殖を行い井上靖、遠藤周作ら作家仲間に柴犬の仔犬を譲ったり、安岡章太郎に紀州犬の仔犬を世話したりした。 佐藤朔: 芥川比呂志、加藤道夫、遠藤周作などに影響を与えたほか、松原秀一、鷲見洋一、立仙順朗らを育てた。 利光松男: 遠藤周作との深く長い親交で知られる。 加賀乙彦: 58歳で親友遠藤周作を代父としてカトリックの洗礼を受けたクリスチャンである。 浅木一華: 好きな小説は遠藤周作、太宰治、三島由紀夫などの作品。 檀ふみ: 大学在学中、1学年上の遠藤龍之介(遠藤周作の一人息子。 近藤久美子: 大学時代の研究テーマは遠藤周作。 新野美知: 遠藤周作原作の『沈黙』の舞台を見てから劇団に入団して芝居をやろうと思い立つ。 菊池麻衣子: 遠藤周作没後スペシャルドラマ「夫の宿題」(1999年12月)- 遠藤慶子 役 松村禎三: サントリー音楽財団委嘱による遠藤周作の小説に基づくオペラ《沈黙》の作者としても知られ、その成果により京都音楽賞大賞、毎日芸術賞、モービル音楽賞、都民文化栄誉賞など数々の賞を受賞している。 浦山桐郎: 遠藤周作の原作をもとに実験的演出を試みた『私が棄てた女』を撮ったのち日活を離れ、大竹しのぶのデビュー作となった『青春の門』、『青春の門・自立篇』、テレビドラマ『飢餓海峡』などを演出する。 柴田錬三郎: 遠藤周作や吉行淳之介とは遠縁にあたる。 佐藤春夫: 俗に門弟三千人といわれ、その門人もまた井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、稲垣足穂、龍胆寺雄、柴田錬三郎、中村真一郎、五味康祐、遠藤周作、安岡章太郎、古山高麗雄など、一流の作家になった者が多かった。 遠藤龍之介: 作家の遠藤周作の長男。 若林真: 『ロベルトは今夜』(ピエール・クロソウスキー、遠藤周作共訳、河出書房新社) 1960、のち河出文庫 2006 橋本武: 当時(旧制中学時代)の教え子に、作家の遠藤周作(1940年卒業)がいる。 和田秀樹: 灘校出身の遠藤周作に触発され作家を目指すも1行も書けず、日本を脱出しようと高校1年のときに留学生試験を受けたが不合格になるなど、夢という夢が全部破綻した。 古山高麗雄: 遠藤周作 編「非人情」『心』作品社〈日本の名随筆 13〉、1984年2月。 櫻井秀勲: 遠藤周作、川端康成、三島由紀夫、松本清張など歴史に名を残す作家と親交を持つ。 遠藤龍之介: 名前の「龍之介」は生誕の前年(1955年)に父の遠藤周作が芥川龍之介賞を受賞したことに由来している。 安岡章太郎: 1988年 遠藤周作に影響を受けた結果、カトリックの洗礼を受ける 阿川弘之: 第三の新人と言われた作家グループの遠藤周作や、吉行淳之介、また紀行文等で知られる開高健らとは親友で、北杜夫、三浦朱門、安岡章太郎、講談社での編集担当であった大久保房男らとの長年の交友も知られており、随筆などでその交友ぶりが記されている。 西村伊作: 美術は、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎、正宗得三郎、棟方志功、ノエル・ヌエットらが、音楽は、山田耕筰、エドワード・ガントレットなど、ほかにも、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が文化学院で教えた(2018年閉校)。 加賀乙彦: すると、不思議なことにとたんに書けるようになる」といい、同地で執筆に励んだほか、同じく軽井沢にいた学者や作家仲間の鈴木道彦、原卓也、加藤周一、小島信夫、中村真一郎、遠藤周作、北杜夫、矢代静一らと交流するなどした。 大林宣彦: この他、山口百恵・三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「国鉄フルムーン」、森繁久弥の「国鉄新幹線」、勝新太郎の「大塚製薬ウメビタ内服液」、遠藤周作の「日立ヘアカーラ」、山村聰の「トヨタ・クラウン」、若尾文子の「ナショナル浄水器」、「レナウン・「ピッコロ」、ワンサカ娘」、泉アキの「キリンレモン」、花王石鹸「ハイター」、長門裕之・南田洋子の「カルピス」、真野響子の「味の素ハイ・ミー」、「マックスファクターキャメイ石鹸」、10年間で製作したテレビCMは3000本を越え、国際CM賞も受賞。 篠田正浩: 沈黙 SILENCE (1971年) 原作:遠藤周作 澁澤龍彦: 埴谷雄高・遠藤周作・白井健三郎が特別弁護人、大岡昇平・吉本隆明・大江健三郎・奥野健男・栗田勇・森本和夫などが弁護側証人となった。 |
遠藤周作の情報まとめ
遠藤 周作(えんどう しゅうさく)さんの誕生日は1923年3月27日です。東京出身の作家のようです。
父親、卒業、現在、結婚、離婚、再婚、兄弟、映画、病気、事件、テレビ、ドラマ、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1996年に亡くなられているようです。
遠藤周作のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)は、日本の小説家。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 11歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。 父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごした。帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリック夙川教会で洗礼を受けた。1941年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した(1942年同学中退)。 その後、慶應義塾大学文学部仏文科に入学。慶大卒業後は、1950年にフランスのリヨンへ留学。帰国後は批評家として活動するが、1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。第三の新人の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。1960年代初頭に大病を患い、その療養のため町田市玉川学園に転居してからは「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、ぐうたらを軸にしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けた。 無類の悪戯好きとしても知られ、全員素人による劇団「樹座」や素人囲碁集団「宇宙棋院」など作家活動以外のユニークな活動を行う一方で、数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センターを立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行った。彼の悪戯として友人に対するいたずら電話がその例として挙げられる。 『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目されたが、『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。 1923年3月27日、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区北大塚)に、第三銀行に勤めていた銀行員遠藤常久と東京音楽学校ヴァイオリン科の学生郁(旧姓・竹井)の次男として生まれた。父・常久は東京帝国大学独法科在学中の1920年に郁と知り合い、翌1921年に結婚。同年に長男の正介、その2年後に次男の周作が誕生した。 かつて鳥取県東伯郡浅津村下浅津(現・湯梨浜町下浅津)にあった遠藤家は、江戸時代に鳥取の池田家に御典医として仕え、維新後同地に移り住んだ開業医だった。明治後期から終戦後まで当地で医業に当たったのは遠藤河津三で、花見村長和田(現・湯梨浜町長和田)には出張診療所も設け繁盛した。しかし、河津三には子どもがなかったため、鳥取市生まれの常久を養子に迎えた。 父・常久は後に安田工業の社長などを歴任する実業家となる。軽井沢の泉の里に持っていた別荘から白水甲二という筆名を編み出し、『きりしたん大名 大友宗麟』という作品を遺している。 母・郁は現在の岡山県笠岡市出身で、岡山県の土豪竹井党を遠祖に持つ。後に周作は、この遠祖の地(現在の岡山県井原市美星町中世夢が原歴史公園)に「血の故郷」と題した石碑を建立している。 1926年、常久の転勤(第三銀行から安田銀行)で、一家は満洲関東州大連に移る。1929年に遠藤は大連市大広場小学校に入学。この頃、郁が指先を血まみれにしながらヴァイオリンを練習する姿や満人のお手伝いさんに優しくする姿を見て敬意を抱く一方、常久からは勉強がよく出来る正介と比較して説教されることが多く、強烈な劣等生意識を抱いた。小学校4年のときに、作文「どじょう」が大連新聞に載る。1932年前後に常久に愛人が出来てから両親の仲が微妙になりはじめ、遠藤は暗い少年時代を送った。翌1933年、遠藤が10歳のときに両親は離婚した。ただし、正式な協議離婚届を提出したのは1937年で、その直後に常久は郁を常久の父・遠藤河津三の養女として迎え入れている。その数ヵ月後に常久は16歳下の女性と再婚した。 遠藤は郁に連れられて帰国し、伯母(郁の姉)の家で同居生活を始めた。同年8月に兵庫県神戸市の六甲小学校に転入。この頃から伯母の影響で西宮市にあるカトリック夙川教会聖テレジア大聖堂に一家で通い始めるようになった。カトリックの公教要理を学び始めるようになると、一家は教会に近い池の畔に転居した。 1935年、遠藤は灘中学校に入学。宝塚市にある小林聖心女子学院で音楽教師として勤め始めた郁がそこの聖堂で5月29日に洗礼を受け、6月23日には兄弟そろってカトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で洗礼を受けた。郁の洗礼名はマリア、周作の洗礼名はパウロ。 正介の勉強指導の成果もあり、灘中入学当初は優秀生徒のクラスに入ったが、映画狂・読書狂・ジョーク好きなど様々な要因により、徐々に成績が低下、卒業前には成績最下位のクラスに在籍していた。江戸時代の滑稽本を好み、特に十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に熱中し、弥次喜多に憧れ、自分も彼のような人物になりたいと考えていた。 1939年に一家は宝塚市仁川月見ヶ丘に転居した。この時すでに、正介は四修で第一高等学校に合格し、寮生活を始めている。この頃、郁は宗教的・精神的支柱になったドイツ人宣教師ペトロ・ヘルツォークと出会い、新居に併設した音楽レッスン場を聖書講話やミサの場として開放するようになる。 遠藤は1939年に正介の影響もあり、四修で三高を受験するが敢えなく失敗している。1940年、再び三高を受験するが失敗、広島高も失敗。この為、阿川弘之等の広高出身者に対しては尊敬の念を抱いていたらしい。遠藤は同年に183名中141番の成績で灘中学校を卒業し、浪人生活に入った。なお、同年、正介が一高を卒業し東京帝国大学法学部に入学。正介は郁の帰国から数年遅れて帰国した常久の、世田谷経堂の家に身を寄せている。 1941年に再び広島高などを受験して失敗。同年4月に上智大学予科甲類(独語)に入学するが、翌1942年2月9日に退学している。同年、浪速高と姫路高と甲南高を受け、全て失敗している。この頃に肺を病み、喀血している。 遠藤は郁にこれ以上の経済的負担をかけることを恐れ、1942年に東京帝大を卒業し逓信省へ入省した正介の仲介で、常久の家に移った。常久が出した同居の条件は「旧制高校か医学部予科のどちらか」に入学することだった。しかし、遠藤は東京外国語学校、日本医科大学予科、東京慈恵会医科大学予科、日本大学医学部予科に不合格となり、慶應義塾大学医学部予科には自信がなかったため、常久に告げず同大の文学部予科を受験、補欠合格。翌1943年4月に慶應義塾大学文学部予科に入学する。医学部予科を受験したものと思っていた常久は真相を知らされ激怒、遠藤を勘当した。 生活基盤を失った遠藤は、友人の利光松男宅に居候し、家庭教師などのアルバイトで生活費を稼ぐことになった。まもなく、吉満義彦が舎監を務めるカトリックの学生寮白鳩寮に入寮した。学生寮での生活は、遠藤にとって初めての開けた世界だった。吉満の影響でジャック・マリタン、寮内で出来た友人松井慶訓の影響でリルケなどを読み耽った。また、吉満の紹介で、亀井勝一郎、堀辰雄などと知り合うことになった。堀辰雄との出会いは、ひとつの転機となり、自他ともに認める劣等生だった遠藤は猛烈な勢いで読書を始め、一夜にして勉強家と化した。 第二次世界大戦の日本の戦局の悪化に伴い、徐々に予科での授業は少なくなり、その期間、川崎の勤労動員の工場などで働くことを余儀なくされた。寮内での影響を多大に受けたフランス志向にさらに拍車を掛けたのが、下北沢で偶然購入した佐藤朔の『フランス文学素描』で、1945年4月に、慶應義塾大学文学部仏文科(佐藤朔が講師を務めていた)に進学した。この頃、戦局の悪化は日本国内にも大きな被害を与えるようになっていた。後の大作家・遠藤周作を生み出す土台となった白鳩寮は東京大空襲で焼失した。なお、遠藤は徴兵検査では第一乙種だったが、肋膜炎などで入隊期間が大幅にずれ、入隊直前に終戦を迎えた。 終戦後は大学に戻り、ジョルジュ・ベルナノス、フランソワ・モーリアックなどのフランスのカトリック文学に傾倒した。大学の一年先輩の安岡章太郎との知遇も得た。1946年になり、遠藤が慶應義塾大学文学部仏文科に入学したのを知った常久は、態度を軟化させ勘当を撤回した。学生寮から焼け出されて再び生活基盤を失っていた遠藤は、この誘いを受けて常久の家に戻った。 1947年12月、初めて書いた評論「神々と神と」が神西清に認められて、角川書店の『四季』第5号に掲載され、批評家としてデビューした。その後、佐藤朔の推挙で評論「カトリック作家の問題」を『三田文学』上で発表したのをきっかけに、佐藤朔の推挙で『三田文学』、神西清の推挙で『高原』などで評論を多数発表している。1948年末もしくは1949年初頭には正式に『三田文学』同人となり、柴田錬三郎、原民喜、丸岡明、山本健吉、堀田善衛との知遇を得ている。 1948年に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業。卒業論文は「ネオ・トミズムにおける詩論」。松竹大船撮影所の助監督試験を受けたが、敢えなく不採用に終わっている。その後、佐藤朔の紹介で鎌倉文庫の嘱託として働き始め、また、ペトロ・ヘルツォーク神父が主催する雑誌『カトリック・ダイジェスト』の編集作業に、正介・郁(小林聖心女子学院を依願退職して上京した)とともに携わっている。同年、評論活動とこれらの仕事の合間に、小林聖心女子学院のシスターから依頼を受けて、初の戯曲「サウロ」を書き上げている。 1950年6月4日、遠藤はフランスのカトリック文学をさらに学ぶため、戦後初のフランスへの留学生として渡欧した。フランス船マルセイエーズ号(英語版)で横浜港を出航し、7月5日にマルセイユに着く。新学期までルーアンの建築家ロビンヌ家に滞在し、9月にリヨン大学に入学した。 留学時代には勉強の合間に通常の評論活動に加え、フランスでの見聞などをエッセイや小説風のルポルタージュにまとめた。それらは大久保房男の厚意で『群像』、そして『カトリック・ダイジェスト』誌などで発表された。 1951年夏にはフランソワ・モーリアックの『テレーズ・デスケルゥ(フランス語版)』の舞台になったフランス南西部ランド地方を徒歩旅行するなどし、フランスでの生活を満喫したが、翌1952年初夏に肺結核を起こし、吐血。6月から8月までコンブルー(英語版))の国際学生療養所に入所する。退所後にパリに移ったものの12月に再び肺結核が悪化し、ジュルダン病院に入院した。病状の悪化でフランスでの生活に見きりをつけ、リヨン大学の博士論文の作成を断念する。翌1953年1月に、日本船赤城丸で帰国の途に着いた。翌月に日本着。 帰国後、遠藤は企業家岡田幸三郎の長女、慶應義塾大学文学部仏文科に在籍していた岡田順子と交際を始めた。体調は相変わらず優れなかったが、7月に留学時代のエッセイをまとめた『フランスの大学生』を早川書房から処女出版し、批評家の道をゆっくりながら踏み出した。12月に敬愛する母が脳溢血で急死する悲劇に見舞われた。 遠藤は書簡や日記によれば、留学から帰国直前、フランスの7歳下の女子学生と交際していた。その女性は遠藤が結婚したと聞き、1966年フランス語講師として北海道大学に赴任した。遠藤は彼女に『沈黙』のフランス語訳をすすめた。彼女は1970年に帰国し、1971年乳がんのために死去した。41歳。 1954年4月から文化学院の講師を務めた。安岡章太郎の紹介で、谷田昌平とともに構想の会に参加し、小島信夫、近藤啓太郎、庄野潤三、進藤純孝、三浦朱門、吉行淳之介らとの知遇を得た。 遠藤はこの年から、本格的に作家として活動を始める。奥野健男の依頼で現代評論に創刊号から参加するなど駆け出しとしては上々と思われた。 1954年末に執筆した、初の小説「アデンまで」は仲間内で高い評価を受けた。続いて執筆した小説「白い人」は、翌1955年7月に、一足飛びに第33回芥川賞を受賞した。同年9月、岡田順子と2年半の交際を実らせ、結婚した。交際当初、岡田の父岡田幸三郎は「文士風情」「肺に病気を抱えている」などの理由でこれを認めなかったが、遠藤周作の文章を早い時期から評価し、なおかつ、岡田家とも繋がりがあったフランス文学者小林正が説得に当たったという。結婚後は、一時期父の家に順子夫人が家入りする形で同居したが、まもなく世田谷松原に転居した。1956年6月、長男の龍之介が誕生しささやかにも家庭を築き始めると、遠藤の父に対する敵意は本格的な物になっていった。芥川賞を受賞し、作家としては順風満帆な駆け出しかと思えたが、当時の生活は決して楽なものではなかったという。1956年から上智大学文学部の講師を務めた。 1957年、九州大学生体解剖事件(相川事件)を主題にした小説「海と毒薬」(文学界、6・8・10月)を発表し、小説家としての地位を確立した。『海と毒薬』は、翌1958年4月に文藝春秋新社から出版され、12月に第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞を受賞した。 9月末にアジア・アフリカ作家会議に出席するため、伊藤整、加藤周一、野間宏らとともに渡ソ。10月にソ連のタシケントでの会議に参加した後、モスクワを廻り、12月に帰国した。同1958年、第六次三田文学に編集委員として参加。他の委員は堀田善衛、梅田晴夫、安岡章太郎、白井浩司、柴田錬三郎、庄司総一。 1959年11月には、マルキ・ド・サドの勉強/さらに理解を深めるために、順子夫人を同伴して、フランスに旅行した。遠藤はこの時に、マルキ・ド・サドの研究家、ジルベール・レリー(フランス語版))、ピエール・クロソウスキーとの知遇を得た。その後、イギリス、スペイン、イタリア、ギリシャからエルサレムを廻り、翌1960年1月に帰国した。 帰国後に体調を崩し、4月に肺結核が再発した。東京大学伝染病研究所病院に入院し、治療を試みたがなかなか回復せず、年末に慶應義塾大学病院に転院した。翌1961年に、3度にわたり肺の手術を行った(1月7日、1月21日前後、12月末)。危険度が高い3度目の手術の前日、とある見舞い客が持ってきた紙で出来た踏絵を見たという。一時は危篤状態までに陥ったが、奇跡的に回復した。翌1962年5月にようやく退院することになった。 1966年には代表作『沈黙』を発表している。同作で第二回谷崎潤一郎賞を受賞する。同年に第七次三田文学で編集長となる。 1968年、長野県軽井沢町に別荘を建てる。別荘は近所の北杜夫や矢代静一ら作家仲間たちとの交流の場となる。なお軽井沢に初めて訪れたのは、大学在学中に病気療養中の堀辰雄を訪ねたときである。 1973年『死海のほとり』発表。 1973年、評伝『イエスの生涯』発表。 1978年、評伝『キリストの誕生』を発表する。第三十回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞する。 1979年、『マリー・アントワネットの生涯』発表。 1980年、『侍』で第三十三回野間文芸賞を受賞する。 1980年代から「武功夜話」をベースにした小説『反逆』を読売新聞に連載(1988年1月26日 - 1989年2月7日)、同じく小説『決戦の時』を山陽新聞などに連載(1989年7月30日 - 1990年5月31日)、同じく小説『男の一生』を日本経済新聞に連載した(1990年9月1日 - 1991年9月13日)。この3作品は遠藤周作の戦国三部作と呼ばれる。 1993年『深い河』発表。この小説は冒頭から「シンクロニシティ」を扱っている。なお「シンクロニシティ」については、1992年8月「朝日新聞」に連載していた随筆「万華鏡」の「人生の偶然」において、F・D・ピート(英語版)の『シンクロニシティ』を絶賛し、それにより同書がベストセラーに躍り出るという事が起きている(「シンクロニシティ」を良い意味で取り上げることはカトリック作家としては異例の事態であったが、遠藤によるオカルトへの好意的言及はエッセイやホラー小説の分野では古くから行われている)。 1993年5月に腹膜透析の手術を行った。一時は危篤状態までに陥ったが、奇跡的に回復する。最初はなかなか苦痛に耐えられず、愚痴や泣き言を繰り返していたが、自分とヨブの境遇を重ね合わせ、「ヨブ記の評論を書く」と決心してからはそれがなくなった。 1995年『深い河』を原作として、インドの母なる大河ガンジス(ガンガー)を舞台に、愛と悪と魂の救済がテーマとする映画が公開される。撮影にあたりインド政府の協力により、日本映画初のインドでの長期ロケーションが実現している。 1996年4月、腎臓病治療のため慶應義塾大学病院に入院、同年9月に脳出血。同月28日には昼食を喉に詰まらせ、肺に誤嚥し呼吸停止に陥った。それはすぐに取り除かれたが、そこから病原菌が広がり、肺炎を併発した。それは肺を片方しか持たない人間には致命的な事態だった。翌9月29日午後6時36分、肺炎による呼吸不全で同病院で死去した。73歳だった。 絶筆は三田文学1996年夏季号に掲載された佐藤朔の追悼文(口述)だった。ヨブ記の評論を書く希望は遂に叶えられなかった。 スポーツ新聞は、遠藤の死を「狐狸庵先生逝く」という見出しで報じた。葬儀は麹町の聖イグナチオ教会で行われた。教会は人で溢れ、行列は麹町通りにまで達した。生前の本人の遺志で『沈黙』と『深い河』の2冊が棺の中に入れられた。カトリック府中墓地に埋葬された。2015年12月に聖イグナチオ教会の地下納骨堂に移された。 その後遺族や親交のあった関係者により文学館の建設構想が進められ、2000年5月に『沈黙』の舞台となった長崎県西彼杵郡外海町(現・長崎市)に「外海町立遠藤周作文学館」が開館した。 1926年(大正15年・昭和元年) 1929年(昭和4年) 1933年(昭和8年) 1935年(昭和10年) 1940年(昭和15年) 1941年(昭和16年) 1942年(昭和17年) 1943年(昭和18年) 1945年(昭和20年) 1946年(昭和21年) 1947年(昭和22年) 1948年(昭和23年) 1949年(昭和24年) 1950年(昭和25年) 1951年(昭和26年) 1953年(昭和28年) 1954年(昭和29年) 1955年(昭和30年) 1956年(昭和31年) 1958年(昭和33年) 1959年(昭和34年) 1960年(昭和35年) 1961年(昭和36年) 1962年(昭和37年) 1963年(昭和38年) 1965年(昭和40年) 1966年(昭和41年) 1967年(昭和42年) 1968年(昭和43年) 1969年(昭和44年) 1970年(昭和45年) 1971年(昭和46年) 1972年(昭和47年) 1973年(昭和48年) 1974年(昭和49年) 1975年(昭和50年) 1976年(昭和51年) 1977年(昭和52年) 1978年(昭和53年) 1979年(昭和54年) 1980年(昭和55年) 1981年(昭和56年) - 日本芸術院会員になる。 1985年(昭和60年) 1986年(昭和61年) 1987年(昭和62年) 1988年(昭和63年) 1989年(昭和64年・平成元年) 1990年(平成2年) 1991年(平成3年) 1993年(平成5年) 1995年(平成7年) 1996年(平成8年) 初代・元衛(元哲) 二代目・玄益 三代目・玄里 四代目・玄益 謙三の子たち 謙三の二男・河津三 父 常久(銀行員) 母 郁 - 郁子とも。 義母 秀子 - 父親の再婚相手。 兄 正介 妻 順子(実業家岡田幸三郎の娘。俳優岡田英次の従妹) 長男 龍之介 『フランスの大学生』(1953年、早川書房)のち角川文庫、ぶんか社文庫 『カトリック作家の問題』(1954年、早川書房) 『堀辰雄』(1955年、一古堂)「堀辰雄覚書」講談社文芸文庫 『白い人・黄色い人』(1955年、講談社)のち文庫、新潮文庫、講談社文芸文庫 『神と悪魔』(1956年、現代文芸社) 『青い小さな葡萄』(1956年、新潮社)のち講談社文庫、文芸文庫 『タカシのフランス一周』(1957年、白水社) 『恋することと愛すること』(1957年、実業之日本社) 『月光のドミナ』(1958年、東京創元社)のち新潮文庫 『海と毒薬』(1958年、文藝春秋新社)のち角川文庫、講談社文庫、新潮文庫 『恋愛論ノート』(1958年、東都書房) 『恋の絵本』(1959年、平凡出版)のち大和書房・女性論文庫 『おバカさん』(1959年、中央公論社)のち角川文庫、中公文庫、ぶんか社文庫 『蜘蛛 周作恐怖譚』(1959年、新潮社) 『若い日の恋愛ノート』(1960年、青春出版社)「恋愛とは何か」角川文庫 『新鋭文学叢書6 遠藤周作集』(1960年、筑摩書房) 『火山』(1960年、文藝春秋新社)のち角川文庫 『あまりに碧い空』(1960年、新潮社) 『聖書のなかの女性たち』(1960年、角川書店)のち講談社文庫 『ヘチマくん』(1961年、新潮社)のち角川文庫 『結婚』(1962年、講談社)のち文庫 『宗教と文学』(1963年、南北社) 『わたしが・棄てた・女』(1964年、文藝春秋新社)のち講談社文庫、改版2012 『浮世風呂』(1964年、講談社) 『一・二・三!』(1964年、中央公論社)のち文庫 『偽作』(1964年、東方社) 『留学』(1965年、文藝春秋新社)のち新潮文庫 『狐狸庵閑話』(1965年、桃源社)のち新潮文庫『狐狸庵閑話』(「古今百馬鹿」「現代の快人物」も併録) 『哀歌』(1965年、講談社)のち文庫、文芸文庫 『沈黙』(1966年、新潮社)のち文庫 『金と銀』(1966年、佼成出版社)のち文春文庫 『楽天主義のすすめ』(1966年、青春出版社) 『協奏曲』(1966年、講談社)のち文庫 『さらば、夏の光よ』(1966年、桃源社)のち講談社文庫 『闇のよぶ声』(1966年、光文社)のち角川文庫、ぶんか社文庫 『ぐうたら生活入門』(1967年、未央書房)のち角川文庫 『キリシタン時代の知識人-背教と殉教』(1967年、日本経済新聞社) 『現代の快人物-狐狸庵閑話巻之弐』(1967年、桃源社)のち角川文庫 『どっこいショ』(1967年、講談社)のち文庫 『私の影法師』(1967年、桂書房) 『古今百馬鹿-狐狸庵閑話巻之参』(1967年、桃源社)のち角川文庫 『影法師』(1968年、新潮社)のち文庫 『快男児・怪男児』(1968年、講談社) 『それ行け狐狸庵』(1969年、文藝春秋)のち文庫 『遠藤周作ユーモア小説集』(1969年、講談社)のち文庫 『大変だァ』(1969年、新潮社)のち文庫 『薔薇の館・黄金の国』(1969年、新潮社) 『楽天大将』(1969年、講談社)のち文庫 『遠藤周作怪奇小説集』(1970年、講談社)のち文庫 『愛情論-幸福の手帖』(1970年、虎見書房) 『遠藤周作の本』(1970年、KKベストセラーズ) 『石の声』(1970年、冬樹社) 『切支丹の里』(1971年、人文書院)のち中公文庫 『母なるもの』(1971年、新潮社)のち文庫 『黒ん坊』(1971年、毎日新聞社)のち角川文庫 『埋もれた古城』(1971年、新潮社)のち集英社文庫 『遠藤周作シナリオ集』(1971年、講談社) 『ただいま浪人』(1972年、講談社)のち文庫 『狐狸庵雑記帳』(1972年、毎日新聞社) 『ぐうたら人間学』(1972年、講談社)のち文庫(狐狸庵閑話) 『牧歌』(1972年、番町書房)のち新潮文庫 『狐狸庵型』(1973年、番町書房)のち角川文庫 『灯のうるむ頃』(1973年、講談社)のち角川文庫 『ぐうたら愛情学』(1973年、講談社)のち文庫(狐狸庵閑話) 『死海のほとり』(1973年、新潮社)のち文庫 『メナム河の日本人』(1973年、新潮社) 『ぐうたら会話集』(1973年、角川書店)のち文庫 『イエスの生涯』(1973年、新潮社)のち文庫 『遠藤周作第二ユーモア小説集』(1973年、講談社)のち文庫 『ぐうたら好奇学』(1974年、講談社) 『ピエロの歌』(1974年、新潮社)のち文庫 『周作快談』(1974年、毎日新聞社) 『口笛をふく時』(1974年、講談社)のち文庫 『うちの女房、うちの息子』(1974年、講談社) 『喜劇 新四谷怪談』(1974年、新潮社) 『最後の殉教者』(1974年、講談社)のち文庫 『恋愛作法』(1974年、いんなあとりっぷ社) 『日本人を語る』(1974年、小学館) 『白い風船』(1974年、教育出版「小学校国語」6年昭和49年度版) 『君たちの悩みにまじめにお答えします』(1975年、集英社) 『彼の生き方』(1975年、新潮社)のち文庫 『この人たちの考え方』(1975年、読売新聞社) 『身上相談』(1975年、毎日新聞社)「小説身上相談」文春文庫 『ぼくたちの洋行』(1975年、講談社)のち文庫 『吾が顔を見る能はじ』(1975年、北洋社) 『観客席から』(1975年、番町書房)「観客席から 私の大好きな映画と芝居」角川文庫 『続・日本人を語る』(1975年、小学館) 『遠藤周作ミステリー小説集』(1975年、講談社) 『ボクは好奇心のかたまり』(1976年、新潮社)のち文庫 『勇気ある言葉』(1976年、毎日新聞社)のち集英社文庫 『私のイエス-日本人のための聖書入門』(1976年、祥伝社) 『砂の城』(1976年、主婦の友社)のち新潮文庫 『悲しみの歌』(1977、新潮社)のち文庫 『鉄の首枷-小西行長伝』(1977年、中央公論社)のち文庫、ぶんか社文庫 『走馬燈-その人たちの人生』(1977年、毎日新聞社)のち新潮文庫 『旅は道づれ世は情け』(1977年、番町書房) 『自選作家の旅』(1977年、山と渓谷社) 『日本人はキリスト教を信じられるか』(1977年、講談社) 『愛情セミナー』(1977年、集英社文庫) 『白い風船』(1977年、教育出版6年生国語教科書昭和52年度版) 『ウスバかげろう日記』(1978年、文藝春秋)のち文庫、河出文庫 『人間のなかのX』(1978年、中央公論社)のち文庫 『キリストの誕生』(1978年、新潮社)のち文庫 『ぐうたら会話集』第2-3集(1978、80年、角川書店)のち文庫 『王妃マリー・アントワネット』全3巻(1979-80年、朝日新聞社)のち新潮文庫
『銃と十字架』(1979年、中央公論社)のち文庫(ペトロ岐部) 『十一の色硝子』(1979年、新潮社)のち文庫 『異邦人の立場から』(1979年、現代の随想 日本書籍)のち講談社文芸文庫 『お茶を飲みながら』(1979年、小学館)のち集英社文庫 『ぐうたら社会学』(1979年、集英社文庫 『結婚論』(1980年、主婦の友社) 『天使』(1980年、角川書店)のち文庫 『侍』(1980年、新潮社)のち文庫 『狐狸庵二十面相』(1980年、文藝春秋) 『父親』〈上・下〉(1980年、講談社)のち集英社文庫、講談社文庫、集英社文庫 『かくれ切支丹』(1980年、角川書店) 『作家の日記』(1980年、作品社)のち講談社文庫、福武文庫、講談社文芸文庫 『遠藤周作による遠藤周作』(1980年、青銅社) 『真昼の悪魔』(1980年、新潮社)のち文庫 『狐狸庵うちあけ話』(1981年、集英社文庫) 『愛と人生をめぐる断想』(1981年、文化出版局)のち光文社文庫 『王国への道-山田長政』(1981年、平凡社)のち新潮文庫 『名画・イエス巡礼』(1981年、文藝春秋)「イエス巡礼」文庫 『女の一生』(1982年、朝日新聞社)のち新潮文庫 『足のむくまま 気のむくまま』(1982年、文藝春秋)のち文庫 『自分をどう愛するか〈生活編〉』(1982年、青春出版社)のち文庫 『冬の優しさ』(1982年、文化出版局)のち新潮文庫 『あべこべ人間』(1982年、集英社)のち文庫 『遠藤周作と考える-幸福、人生、宗教について』(1982年、PHP研究所) 『悪霊の午後』(1983年、講談社)のち文庫 『私にとって神とは』(1983年、光文社)のち文庫 『よく学び、よく遊び』(1983年、小学館)のち集英社文庫 『イエス・キリスト』(1983年、新潮社) - 『イエスの生涯』『キリストの誕生』の合本 『イエスに邂った女たち』(1983年、講談社)のち文庫 『自分づくり-自分をどう愛するか〈生き方編〉』(1984年、青春出版社)のち文庫 『私の愛した小説』(1985年、新潮社)のち文庫 - 「テレーズ・デスケルウ」作品論と訳 『何でもない話』(1985年、講談社)のち文庫 『ほんとうの私を求めて』(1985年、海竜社)のち集英社文庫 『宿敵』〈上・下〉(1985年、角川書店)のち文庫(小西行長・加藤清正) 『心の夜想曲(1986年、文藝春秋)のち文庫 『ひとりを愛し続ける本』(1986年、青春出版社)のち講談社文庫 『スキャンダル』(1986年、新潮社)のち文庫 『風の肉声』(1986年、大和出版) 『私が見つけた名治療家32人』(1986年、祥伝社) 『遠藤周作のあたたかな医療を考える』(1986年、読売出版社) 『あなたの中の秘密のあなた』(1986年、ハーレクイン・エンタープライズ支社)のちPHP文庫 『男感覚女感覚の知り方』(1986年、青春出版社)のち文庫 『わが恋う人は』(1987年、講談社)のち文庫 『死について考える-この世界から次の世界へ』(1987年、光文社)のち文庫 『ピアノ協奏曲二十一番』(1987年、文藝春秋)のち文庫 『眠れぬ夜に読む本』(1987年、光文社)のち文庫 『あまのじゃく人間へ』(1987年、青春出版社)のち文庫 『妖女のごとく』(1987年、講談社)のち文庫 (長崎俊一監督で「妖女の時代」として映画化) 『こころの不思議、神の領域』(1988年、PHP研究所)のち文庫 『ファーストレディ』〈上・下〉(1988年、新潮社)のち文庫 『その夜のコニャック』(1988年、文藝春秋)のち文庫 『“逆さま流”人間学』(1989年、青春出版社)「らくらく人間学 逆さまに見れば何んでも面白くなる」文庫 『春は馬車に乗って』(1989年、文藝春秋)のち文庫 『こんな治療法もある』(1989年、講談社) 『反逆』〈上・下〉(1989年、講談社)のち文庫 (織田信長) 『落第坊主の履歴書』(1989年、日本経済新聞社)のち文春文庫、日経文芸文庫(私の履歴書) 『変るものと変らぬもの』(1990年、文藝春秋)のち文庫 『心の海を探る』(1990年、プレジデント社)のち角川文庫 『考えすぎ人間』(1990年、青春出版社)のち文庫 『生き上手 死に上手』(1991年、海竜社)のち文春文庫 『決戦の時』〈上・下〉(1991年、講談社)のち文庫(織田信長、生駒吉乃) 『男の一生』〈上・下〉(1991年、日本経済新聞社)のち文春文庫、日経文芸文庫 (前野長康) 『ヘンな自分を愛しなさい』青春出版社、1991 「ちょっと幸福論 あなたの中の未知のあなたへ」文庫 『心の砂時計』(1992年、文藝春秋)のち文庫 『王の挽歌』〈上・下〉(1992年、新潮社)のち文庫 (大友宗麟) 『異国の友人たちに』(1992年、読売新聞社) 『狐狸庵 歴史の夜話』(1992年、牧羊社)のちPHP文庫 『万華鏡』(1993年、朝日新聞社)のち朝日文芸文庫 『深い河』(1993年、講談社)のち文庫 『心の航海図』(1994年、文藝春秋)のち文庫 『女』(1995年、講談社)のち文春文庫 『戦国夜話』(1996年、小学館) 『風の十字路』(1996年7月、小学館) 『なつかしき人々』1・2(1996年、小学館) 『生きる勇気が湧いてくる本』(1996年、騎虎書房)のち祥伝社黄金文庫、青志社 『最後の花時計』(1997年、文藝春秋)のち文庫 『無鹿』(1997年、文藝春秋)のち文庫 『好奇心は永遠なり』(1997年、講談社) 『「深い河」創作日記』(1997年、講談社)のち文庫、講談社文芸文庫 『夫婦の一日』(1997年、新潮社)のち文庫 『心のふるさと』(1997年、文藝春秋)のち文庫 『ルーアンの丘』(1998年、PHP研究所)のち増補版 『信じる勇気が湧いてくる本』(1998年、祥伝社)のち黄金文庫 『愛する勇気が湧いてくる本』(1998年、三笠書房)のち黄金文庫 『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』(2006年、海竜社)のち新潮文庫 『遠藤周作短篇名作選』(2012年、講談社文芸文庫) 『人生の踏絵』(2017年、新潮社)のち文庫 『沈黙の声』(2017年、青志社)、1992年時の著作 『影に対して―母をめぐる物語』(2020年、新潮社)のち文庫 『秋のカテドラル―遠藤周作初期短篇集』(2021年、河出書房新社) 『薔薇色の門 誘惑―遠藤周作初期中篇』(2021年、河出書房新社) 『稔と仔犬 青いお城―遠藤周作初期童話』(2022年、河出書房新社) 『善人たち』(2022年、新潮社)、戯曲集 『フランスの街の夜―遠藤周作初期エッセイ』(2022年、河出書房新社) 『現代誘惑論―遠藤周作初期エッセイ』(2023年、河出書房新社) 『ころび切支丹―遠藤周作初期エッセイ』(2023年、河出書房新社) 『人生を抱きしめる―遠藤周作初期エッセイ』(2023年、河出書房新社) 『沈黙の声―遠藤周作初期エッセイ』(2024年、河出書房新社) 『アラベスケ―遠藤周作初期エッセイ』(2024年、河出書房新社) 『遠藤周作短篇集』(2024年、岩波文庫、山根道公編) CD版 遠藤周作講演選集〈全6巻〉アートデイズ、2002年3月、新版2017年 CD版 日本人とキリスト教ほか、新潮社、新版2010年 『遠藤周作文庫』〈全51冊〉(1974-78年、講談社) 『遠藤周作文学全集』〈全11巻、1975年、新潮社) 『遠藤周作歴史小説集』(全7巻、1996年、講談社) 『遠藤周作文学全集』(全15巻、1999-2000年、新潮社) 『遠藤周作全日記』(2018年、河出書房新社、2巻組) 『遠藤周作のまごころ問答』(1967年、コダマプレス) 『周作口談』(1968年、朝日新聞社)「ぐうたら交遊録」講談社、1973年 『狐狸庵 vs マンボウ』(1974年、講談社) - 共著:北杜夫 のち文庫 『狐狸庵 vs マンボウ PART II』(1975年、講談社) - 共著:北杜夫 のち文庫 『ぐうたら怠談』(1973年、毎日新聞社) 『怠談 ユーモア対談集』(1975年、番町書房) 『周作怠談・12の招待状』(1979年、主婦の友社) 『僕のコーヒーブレイク 遠藤周作対談録』(1981年、主婦の友社) 『生きる学校 対談』(1984年、文藝春秋) 『快人探検 遠藤周作対談』(1984年、青人社) 『狐狸庵が教える「対話術」』(1985年、光文社)のち文庫 『狐狸庵が教える「対談学」 その方法と実地指導』(1986年、光文社) 『新 ぐうたら怠談』(1987年、光文社) 『まず微笑』曽野綾子、三浦朱門共著、PHP文庫、1988年 『遠藤周作と語る-日本人とキリスト教』(1988年、女子パウロ会) 『人生の同伴者』聞き手佐藤泰正(1991年、春秋社)のち新潮文庫 『狐狸庵対談 快女・快男・怪話』(1991年、文藝春秋)のち文庫 『対論 たかが信長 されど信長』(1992年、文藝春秋)のち文庫 編『 キリスト教ハンドブック(1993年、三省堂) 『「遠藤周作」とShusaku Endo』(1994年、春秋社) 『「深い河」をさぐる』(1994年、文藝春秋)のち文庫 おっさんのバラード(1978年、キングレコード、歌:藤田まこと)
沈黙 Silence(1972年、オランダ・スウェーデン・スペイン・ノルウェー・フランス・ポーランド) おバカさん Wonderful Fool(1974年、イギリス、Peter Owen Publishers) イエスの生涯 A Life of Jesus(1978年、イタリア、クエリニアナ出版社) 火山 Volcano(1978年、イギリス、Peter Owen Publishers) わたしが・棄てた・女 The Girl I Left Behind(1978年、ポーランド、パックス出版社) 口笛をふく時 When I Whistle(1979年、イギリス、Peter Owen Publishers) イエスの生涯 A Life of Jesus(1979年、アメリカ、ポーリスト出版社) 侍 The Samurai(1982年、イギリス、Peter Owen Publishers) 十一の色硝子 Stained Glass Elegies(1984年、イギリス、Peter Owen Publishers) スキャンダル Scandal(1988年、イギリス、Peter Owen Publishers) 留学 Foreign Studies(1989年、イギリス、Peter Owen Publishers) 深い河 Deep River ほんものは誰だ!(日本テレビ、解答者) わくわく動物ランド(TBS、解答者・初期) すばらしき仲間(中部日本放送制作・TBS系列、北杜夫と佐藤愛子と共演) アップダウンクイズ(毎日放送制作・TBS系列、15周年記念大会決勝・シルエットクイズのゲスト) 木曜ドラマストリート「孤独な週末」(フジテレビ) ほか 大変だァ(1970年、NETテレビ系) - 医者役(カメオ出演) ネスレ ネスカフェゴールドブレンドCM(1972年。2008年のCMは合成映像で唐沢寿明と共演。) キヤノン 電子漢字字典(1982年) 麒麟麦酒 キリンラガービール(1990年) ホテルハマツ 開業スタッフ募集(1990年) NEC 文豪MINI5SH CM(1992年) 私が棄てた女(1969年、日活) - 医者役(カメオ出演) 千夜一夜物語(1969年、日本ヘラルド) - 女奴隷市の野次馬役(友情出演) 日曜美術館「私とルオー 遠藤周作」(1983年4月17日、NHK) ETV特集「遠藤周作 封印された原稿」(2021年10月9日、NHK Eテレ) こころの時代「遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる、前編・後編」(2021年10月31日、11月7日、NHK Eテレ) 2010年4月25日、未完成の中編小説が書かれたノートが長崎市の遠藤周作文学館で発見されたことが報じられた。 2020年2月、長崎市遠藤周作文学館で未発表の完成した小説「影に対して」が発見された。1963年3月より後、40歳以降に執筆されたと推測される、自伝的作品。 短編作品数篇を併録し、同年10月に新潮社から単行本化された。 ジョルジュ・ネラン - ガストン・ボナパルト(『おバカさん』、『悲しみの歌』、『深い河』に登場する人物)のモデルとなった神父 廣石廉二 - 遠藤周作研究者 阿川弘之 - 旧知の仲。遠藤のエッセイの中にも頻繁に登場し、その人柄を「瞬間湯沸かし器」と評している。 北杜夫 - 旧知の仲で、共著を2冊出している。 三浦朱門 ‐ 『わが友遠藤周作 ある日本的キリスト教徒の生涯』(PHP研究所、1997年)がある。曽野綾子との結婚に際しては遠藤が代父となったが、当時三浦は代父がどんなものかよくわかっていなかった。 安岡章太郎 - 学生時代以来の親友で、遠藤の影響でカトリックへ入信。 佐藤愛子- 旧知の友人。遠藤が骨折入院したときに見栄を張って松坂慶子の名前で花束を届けるよう依頼したが、直後に会った際に怪我の具合も訊かずに即代金を請求された旨、エッセイに記している。真偽は明らかでない。 古山高麗雄 - お互い芥川賞作家であり、古くからの友人。競馬の師匠として述べている 吉行淳之介 加賀乙彦 篠田正浩 さくらももこ - 生前、遠藤周作と会食をした際、散々からかわれたと著書で述べている。 瀬戸内寂聴 堀辰雄 原民喜 - 先輩作家 柴田錬三郎 - 先輩作家で、遠縁に当たる。遠藤は彼の家に居候していたこともあるほか、遠藤の対談集『ぐうたら会話集 第2集』に収められた対談の中で「君(遠藤)が黒ミサで生まれた子にしろと言ったから眠狂四郎の設定が決まった」と柴田から言及されている。 梅崎春生 - 戦後間もない、学生時代に「ランボォ」という店で初めて会ったらしい。互いにいたずらの腕を競い合った。梅崎春生の死後、色んな思い出話をエッセーで遠藤は語っている。 山口トキコ - テレビ、ラジオでも活躍中の女医。彼女の学生時代、遠藤の「トキちゃん肛門科医になったらどうだい?」の言葉に大きな感銘を受ける。 橋本武 - 灘中学校時代の国語教師。「週刊読売」1974年4月6日号にて遠藤と対談(対談は『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』(日本実業出版社 2012年)p.201-214に再録されている)。 青島広志 - 『黄金の国』を自身の台本でオペラ化した。 竹中直人 - コメディアンとして売れ始めた頃、ものまねのレパートリーとしていた。 松坂慶子 - 劇団樹座の演出を担当。 ^ 遠藤周作は上智大学時代のことに触れられることを極度に嫌がった。浪人時代の回想エッセイなどを数多く発表しているが、上智時代の事には全く触れていない。自作年譜にも載せていない徹底ぶりである。この時期の評論は加藤宗哉が詳しい。 ^ この試験の際に採用されたのが鈴木清順である。 ^ 「海と毒薬」に対する一部からの反発は強く、発表後、遠藤家に「死ね」と書かれた血書や、「日本の恥部を抉ってどうするつもりだ」という脅迫状、果てには日本刀が送り付けられた。 ^ 1953年死去、当時はまだ土葬だった。 ^ 医師森納によれば「医師の諸身分について、江戸時代には封建制上の身分によって大別すれば、藩医・町医師・在医師の区別があった。藩医は、藩によって召し抱えられた医師である。それに準ずる身分として鳥取藩の場合、東西両分知家と着座家に召し抱えられた医師、即ち陪臣医があった。藩医・陪臣医は俗に“御典医”と呼ばれ、武士身分の処遇をうけた。町医師は、鳥取城下・米子・倉吉等の町で町奉行支配を受けた町民医師である。藩医には御医師、無足医師の区別があった。御医師は城詰を命ぜられた医師である。藩臣の礼席上の地位では、御近習の次席に置かれたので、御近習医師とも呼ばれた。次に、士分格医師の初級の者が無足医師である。町医師から抜擢されて藩に召し抱えられ士分取り立てとなった際、まず無足医師とされ、五人扶持を与えられるのが普通であった。 ^ 医師森納によれば「御近習医師の筆頭が御匕役で、内科の医師のうち特に業務の勝れた者が選ばれた。御匕役は大体2人か3人で、藩主の日常の健康管理、投薬、膳部の毒味などに当たった。 ^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。 ^ 湯梨浜町企画情報課(編)「遠藤周作氏のルーツ」『広報ゆりはま』2007年1月号、鳥取県東伯郡湯梨浜町、2007年1月、2019年3月15日閲覧。 ^ 加藤 2006, p. 不明. ^ 桑原真夫『フランソワーズ・パストル』論創社 2022年 ^ 戸板康二『思い出す顔』(講談社)P.54 ^ “第28回文学講座(H27.2.2)”遠藤周作文学館(長崎市) ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)50頁 ^ 遠藤 2000, p. 不明. ^ さくらももこ『さるのこしかけ』(集英社、1992年)25-30頁。 ^ 兼子 1995, pp. 27–28. ^ 遠藤周作文学全集 vol. 12所収,「合わない洋服」(1967) ^ 長谷川(間瀬) 2008, p. 79-100. ^ 兼子 1995, p. 28. ^ カトリック新聞 1979年4月8日付 ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 4-6頁 ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 25-26頁 ^ 「有吉氏らが委員に 新中教審の18氏決る」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月30日夕刊、3版、3面 ^ 『朝日新聞』1979年3月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。 ^ 森 1993, pp. 15–16. ^ 森 1985, p. 98. ^ 森 1993, p. 17. ^ 森 1985, p. 99. ^ 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、え36頁。 ^ 『因幡人事興信録』因幡人事興信録編纂所、1923年、p.73。 ^ 『遠藤周作のすべて』朝文社、1991年4月20日、328頁。 ^ "故遠藤周作氏の妻、遠藤順子さん死去 文学館建設に尽力". 長崎新聞. 2021年3月12日. 2023年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧。 ^ 「高卒社長が誕生の可能性も!?」フジテレビ“次期社長レース”の行方、日刊サイゾー、2012年6月11日 ^ フジテレビ社長に遠藤周作氏長男 「騒動」時に広報部長 2019年5月13日20時17分 - 『朝日新聞』 ^ フジ新社長の遠藤龍之介氏「高卒社長誕生」デマ語る [2019年5月14日5時1分] - 『日刊スポーツ』 ^ “株式会社フジ・メディア・ホールディングス 第80期有価証券報告書”. 株式会社フジ・メディア・ホールディングス. 2024年5月26日閲覧。 ^ 「フジは「面白さ」を追求 遠藤龍之介社長に聞く」『読売新聞東京』2019年9月9日、夕刊。 ^ “過去の教科書 - 教育出版”. www.kyoiku-shuppan.co.jp. 2024年1月13日閲覧。 ^ “過去の教科書 昭和52年度版”. 教育出版. 2022年11月30日閲覧。 ^ 国立国会図書館. “所蔵調査 教科書に載った遠藤周作著「白い風船」について”. レファレンス協同データベース. 2022年11月30日閲覧。 ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、245 - 246頁。NDLJP:12025175/127。 ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第128号、マドラ出版、1990年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:1853094/55。 ^ "日曜美術館 「私とルオー」 遠藤周作". 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Yahoo Japan Corporation.. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月15日閲覧。 ^ “遠藤周作さん未発表小説発見 長崎の文学館 完成状態では初”. 西日本新聞ニュース. 2020年10月1日閲覧。 ^ 川崎友理子 (2020). “遠藤周作未発表小説「影に対して」について”. 三田文学 夏季号: 50. ^ “遠藤周作 『影に対して―母をめぐる物語―』 | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2020年11月14日閲覧。 ^ “作品情報 - 黄金の国”. 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター. 2019年3月15日閲覧。 『遠藤周作の世界』(1997年9月、朝日出版社) 『遠藤周作のすべて』(文春文庫、1998年) 『文豪ナビ 遠藤周作』(新潮文庫、2023年) 遠藤順子『夫・遠藤周作を語る』文藝春秋〈文春文庫〉、2000年9月。 加藤宗哉『遠藤周作』慶應義塾大学出版会、2006年10月。ISBN 4766412907。 兼子盾夫「日本におけるキリスト教受容の問題──遠藤の『沈黙』から『深い河』まで」(PDF)『比較思想研究』第22号、大正大学、1995年、27-33頁。 長谷川(間瀬)恵美(著)、金城学院大学キリスト教文化研究所紀要編集委員会(編)「遠藤周作の文学における宗教的視点」(PDF)『金城学院大学キリスト教文化研究所紀要』第12号、2008年、79-100頁、 オリジナルの2018年3月29日時点におけるアーカイブ。 森納『因伯の医師たち 続』1985年。 森納『因伯洋学史話』富士書店、1993年12月。
神戸文学館 遠藤周作文学館ホームページ 白い人(日本ペンクラブ:電子文藝館) 遠藤周作 - NHK人物録 『遠藤周作』 - コトバンク 「子ども時代に感じた不思議さ・おもしろさから」(国語教科書に掲載された短編『白い風船』の紹介:札幌市健康・福祉・子育て) 表 話 編 歴 第1回 石川達三「蒼氓」 第2回 該当作品なし 第3回 小田嶽夫「城外」/ 鶴田知也「コシャマイン記」 第4回 石川淳「普賢」/ 冨澤有爲男「地中海」 第5回 尾崎一雄「暢気眼鏡」他 第6回 火野葦平「糞尿譚」 第7回 中山義秀「厚物咲」 第8回 中里恒子「乗合馬車」他 第9回 半田義之「鶏騒動」/ 長谷健「あさくさの子供」 第10回 寒川光太郎「密獵者」 第11回 高木卓「歌と門の盾」 第12回 櫻田常久「平賀源内」 第13回 多田裕計「長江デルタ」 第14回 芝木好子「青果の市」 第15回 該当作品なし 第16回 倉光俊夫「連絡員」 第17回 石塚喜久三「纏足の頃」 第18回 東野邊薫「和紙」 第19回 八木義徳「劉廣福」/ 小尾十三「登攀」 第20回 清水基吉「雁立」 第21回 由起しげ子「本の話」/ 小谷剛「確証」 第22回 井上靖「闘牛」「猟銃」 第23回 辻亮一「異邦人」 第24回 該当作品なし 第25回 安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」/ 石川利光「春の草」他 第26回 堀田善衛「広場の孤独」「漢奸」他 第27回 該当作品なし 第28回 五味康祐「喪神」/ 松本清張「或る『小倉日記』伝」 第29回 安岡章太郎「悪い仲間・陰気な愉しみ」 第30回 該当作品なし 第31回 吉行淳之介「驟雨」他 第32回 小島信夫「アメリカン・スクール」、庄野潤三「プールサイド小景」 第33回 遠藤周作「白い人」 第34回 石原慎太郎「太陽の季節」 第35回 近藤啓太郎「海人舟」 第36回 該当作品なし 第37回 菊村到「硫黄島」 第38回 開高健「裸の王様」 第39回 大江健三郎「飼育」 第40回 該当作品なし 第41回 斯波四郎「山塔」 第42回 該当作品なし 第43回 北杜夫「夜と霧の隅で」 第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」 第45回 該当作品なし 第46回 宇能鴻一郎「鯨神」 第47回 川村晃「美談の出発」 第48回 該当作品なし 第49回 後藤紀一「少年の橋」/ 河野多惠子「蟹」 第50回 田辺聖子「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」 第51回 柴田翔「されどわれらが日々──」 第52回 該当作品なし 第53回 津村節子「玩具」 第54回 高井有一「北の河」 第55回 該当作品なし 第56回 丸山健二「夏の流れ」 第57回 大城立裕「カクテル・パーティー」 第58回 柏原兵三「徳山道助の帰郷」 第59回 丸谷才一「年の残り」/ 大庭みな子「三匹の蟹」 第60回 該当作品なし 第61回 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」/ 田久保英夫「深い河」 第62回 清岡卓行「アカシヤの大連」 第63回 吉田知子「無明長夜」/ 古山高麗雄「プレオー8の夜明け」 第64回 古井由吉「杳子」 第65回 該当作品なし 第66回 李恢成「砧をうつ女」/ 東峰夫「オキナワの少年」 第67回 畑山博「いつか汽笛を鳴らして」/ 宮原昭夫「誰かが触った」 第68回 山本道子 「ベティさんの庭」/ 郷静子「れくいえむ」 第69回 三木卓「鶸」 第70回 野呂邦暢「草のつるぎ」/ 森敦「月山」 第71回 該当作品なし 第72回 日野啓三「あの夕陽」/ 阪田寛夫「土の器」 第73回 林京子「祭りの場」 第74回 中上健次「岬」/ 岡松和夫「志賀島」 第75回 村上龍「限りなく透明に近いブルー」 第76回 該当作品なし 第77回 三田誠広「僕って何」/ 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」 第78回 宮本輝「螢川」/ 高城修三 「榧の木祭り」 第79回 高橋揆一郎「伸予」/ 高橋三千綱「九月の空」 第80回 該当作品なし 第81回 重兼芳子「やまあいの煙」/ 青野聰「愚者の夜」 第82回 森禮子「モッキングバードのいる町」 第83回 該当作品なし 第84回 尾辻克彦「父が消えた」 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」 第86回 該当作品なし 第87回 該当作品なし 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/ 唐十郎「佐川君からの手紙」 第89回 該当作品なし 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」 第91回 該当作品なし 第92回 木崎さと子「青桐」 第93回 該当作品なし 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」 第95回 該当作品なし 第96回 該当作品なし 第97回 村田喜代子「鍋の中」 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/ 三浦清宏「長男の出家」 第99回 新井満 「尋ね人の時間」 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/ 李良枝「由煕」 第101回 該当作品なし 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」 第103回 辻原登「村の名前」 第104回 小川洋子「妊娠カレンダー」 第105回 辺見庸「自動起床装置」/ 荻野アンナ「背負い水」 第106回 松村栄子「至高聖所アバトーン」 第107回 藤原智美「運転士」 第108回 多和田葉子「犬婿入り」 第109回 吉目木晴彦「寂寥郊野」 第110回 奥泉光「石の来歴」 第111回 室井光広「おどるでく」/笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 第112回 該当作品なし 第113回 保坂和志「この人の閾」 第114回 又吉栄喜「豚の報い」 第115回 川上弘美「蛇を踏む」 第116回 辻仁成「海峡の光」/ 柳美里「家族シネマ」 第117回 目取真俊「水滴」 第118回 該当作品なし 第119回 花村萬月「ゲルマニウムの夜」/ 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」 第120回 平野啓一郎「日蝕」 第121回 該当作品なし 第122回 玄月「蔭の棲みか」/ 藤野千夜「夏の約束」 第123回 町田康「きれぎれ」/ 松浦寿輝「花腐し」 第124回 青来有一「聖水」/ 堀江敏幸「熊の敷石」 第125回 玄侑宗久「中陰の花」 第126回 長嶋有「猛スピードで母は」 第127回 吉田修一「パーク・ライフ」 第128回 大道珠貴「しょっぱいドライブ」 第129回 吉村萬壱「ハリガネムシ」 第130回 金原ひとみ「蛇にピアス」/ 綿矢りさ「蹴りたい背中」 第131回 モブ・ノリオ「介護入門」 第132回 阿部和重「グランド・フィナーレ」 第133回 中村文則「土の中の子供」 第134回 絲山秋子「沖で待つ」 第135回 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」 第136回 青山七恵「ひとり日和」 第137回 諏訪哲史「アサッテの人」 第138回 川上未映子「乳と卵」 第139回 楊逸「時が滲む朝」 第140回 津村記久子「ポトスライムの舟」 第141回 磯﨑憲一郎「終の住処」 第142回 該当作品なし 第143回 赤染晶子「乙女の密告」 第144回 朝吹真理子「きことわ」/ 西村賢太「苦役列車」 第145回 該当作品なし 第146回 円城塔「道化師の蝶」/ 田中慎弥「共喰い」 第147回 鹿島田真希「冥土めぐり」 第148回 黒田夏子「abさんご」 第149回 藤野可織「爪と目」 第150回 小山田浩子「穴」 第151回 柴崎友香「春の庭」 第152回 小野正嗣「九年前の祈り」 第153回 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」/ 又吉直樹「火花」 第154回 滝口悠生「死んでいない者」/ 本谷有希子「異類婚姻譚」 第155回 村田沙耶香「コンビニ人間」 第156回 山下澄人「しんせかい」 第157回 沼田真佑「影裏」 第158回 石井遊佳「百年泥」/ 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」 第159回 高橋弘希「送り火」 第160回 上田岳弘「ニムロッド」/ 町屋良平「1R 1分34秒」 第161回 今村夏子「むらさきのスカートの女」 第162回 古川真人「背高泡立草」 第163回 高山羽根子「首里の馬」/ 遠野遥「破局」 第164回 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 第165回 石沢麻依「貝に続く場所にて」/ 李琴峰「彼岸花が咲く島」 第166回 砂川文次「ブラックボックス」 第167回 高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」 第168回 井戸川射子「この世の喜びよ」/ 佐藤厚志「荒地の家族」 第169回 市川沙央「ハンチバック」 第170回 九段理江「東京都同情塔」 第171回 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」/ 松永K三蔵「バリ山行」 表 話 編 歴 第1回 小島信夫『抱擁家族』 第2回 遠藤周作『沈黙』 第3回 安部公房『友達』/大江健三郎『万延元年のフットボール』 第4回 受賞作なし 第5回 円地文子『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』 第6回 埴谷雄高『闇のなかの黒い馬』/吉行淳之介『暗室』 第7回 野間宏『青年の環』 第8回 丸谷才一『たった一人の反乱』 第9回 加賀乙彦『帰らざる夏』 第10回 臼井吉見『安曇野』 第11回 水上勉『一休』 第12回 藤枝静男『田紳有楽』 第13回 島尾敏雄『日の移ろい』 第14回 中村真一郎『夏』 第15回 田中小実昌『ポロポロ』 第16回 河野多惠子『一年の牧歌』 第17回 後藤明生『吉野大夫』/深沢七郎『みちのくの人形たち』 第18回 大庭みな子『寂兮寥兮』 第19回 古井由吉『槿』 第20回 黒井千次『群棲』/高井有一『この国の空』 第21回 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 第22回 日野啓三『砂丘が動くように』 第23回 筒井康隆『夢の木坂分岐点』 第24回 受賞作なし 第25回 受賞作なし 第26回 林京子『やすらかに今はねむり給え』 第27回 井上ひさし『シャンハイムーン』 第28回 瀬戸内寂聴『花に問え』 第29回 池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』 第30回 辻井喬『虹の岬』 第31回 辻邦生『西行花伝』 第32回 受賞作なし 第33回 保坂和志『季節の記憶』/三木卓『路地』 第34回 津島佑子『火の山―山猿記』 第35回 高樹のぶ子『透光の樹』 第36回 辻原登『遊動亭円木』/村上龍『共生虫』 第37回 川上弘美『センセイの鞄』 第38回 受賞作なし 第39回 多和田葉子『容疑者の夜行列車』 第40回 堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第41回 町田康『告白』/山田詠美『風味絶佳』 第42回 小川洋子『ミーナの行進』 第43回 青来有一『爆心』 第44回 桐野夏生『東京島』 第45回 受賞作なし 第46回 阿部和重『ピストルズ』 第47回 稲葉真弓『半島へ』 第48回 高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』 第49回 川上未映子『愛の夢とか』 第50回 奥泉光『東京自叙伝』 第51回 江國香織『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』 第52回 絲山秋子『薄情』/長嶋有『三の隣は五号室』 第53回 松浦寿輝『名誉と恍惚』 第54回 星野智幸『焰』 第55回 村田喜代子『飛族』 第56回 磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史』 第57回 金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』 第58回 吉本ばなな『ミトンとふびん』 第59回 津村記久子『水車小屋のネネ』 第60回 柴崎友香『続きと始まり』 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 1943: 島田墨仙 1948: 伊東深水 1951: 徳岡神泉 1953: 児玉希望 1954: 金島桂華 1955: 橋本明治 1956: 東山魁夷・山口華楊 1957: 杉山寧 1958: 森白甫・菅楯彦・望月春江 1959: 加藤栄三・森田沙伊 1960: 高山辰雄・池田遙邨・郷倉千靱 1961: 川崎小虎・岩田正巳・矢野橋村・西山英雄 1962: 榊原紫峰・小倉遊亀・三輪晁勢 1963: 奥田元宋・山田申吾 1964: 山本丘人 1965: 浜田観・麻田弁自 1966: 中村貞以・山本倉丘 1967: 上村松篁・佐藤太清 1968: 伊東万燿 1969: 三谷十糸子 1970: 寺島紫明 1971: 吉岡堅二 1972: 岩橋英遠 1973: 大山忠作 1974: 猪原大華 1975: 片岡球子 1976: 川本末雄 1977: 加藤東一 1978: 浦田正夫 1979: 松尾敏男 1980: 浜田台児 1981: 加倉井和夫 1982: 吉田善彦 1984: 福王寺法林 1985: 村山径 1986: 関主税 1987: 堂本元次 1988: 鈴木竹柏 1989: 佐藤圀夫 1990: 郷倉和子 1991: 稗田一穂 1992: 山岸純 1993: 岩沢重夫 1994: 白鳥映雪 1995: 上村淳之 1997: 中路融人 2000: 那波多目功一 2001: 福王寺一彦 2003: 岩倉寿 2004: 宇佐美江中 2005: 川崎春彦 2006: 福田千惠 2007: 土屋礼一 2008: 清水達三 2011: 山﨑隆夫 2013: 能島和明 2016: 後藤純男 2017: 西田俊英 2018: 田渕俊夫 2020: 村居正之 1942: 小磯良平 1943: 宮本三郎 1950: 鍋井克之 1951: 三宅克己・寺内万治郎 1952: 白滝幾之助・中山巍 1953: 石川寅治 1954: 小糸源太郎 1956: 鬼頭鍋三郎 1957: 鈴木千久馬・東郷青児 1958: 中野和高 1959: 木村荘八・小山敬三・林武 1960: 大久保作次郎・鈴木信太郎 1961: 新道繁・田崎広助 1962: 耳野卯三郎 1963: 田村一男・中村琢二 1964: 中川紀元・岡鹿之助 1965: 吉井淳二 1966: 池部鈞・井手宣通 1967: 島村三七雄 1968: 佐竹徳・服部正一郎 1969: 黒田重太郎・中村善策 1970: 小堀進・森田茂 1971: 高光一也 1972: 高田誠 1973: 野村守夫 1976: 岡田又三郎 1977: 伊藤清永 1979: 宮永岳彦 1980: 西山真一 1981: 楢原健三 1982: 菅野矢一 1984: 寺田竹雄 1985: 渡辺武夫 1986: 広瀬功 1988: 大内田茂士 1990: 鶴岡義雄 1991: 国領経郎 1992: 平松譲 1993: 藤本東一良 1994: 芝田米三 1995: 織田広喜 1996: 奥谷博 1997: 寺島竜一 1998: 中山忠彦 1999: 島田章三 2000: 庄司栄吉 2001: 絹谷幸二 2002: 清原啓一 2003: 塗師祥一郎 2004: 山本貞 2005: 寺坂公雄 2006: 村田省蔵 2007: 大津英敏 2008: 藤森兼明 2009: 藪野健 2010: 山本文彦 2012: 池口史子 2013: 佐藤哲 2015: 馬越陽子 2017: 根岸右司 2018: 湯山俊久 1943: 古賀忠雄 1950: 吉田三郎 1952: 加藤顕清 1953: 沢田正広 1954: 清水多嘉示 1955: 橋本朝秀 1957: 雨宮治郎 1958: 松田尚之 1961: 堀進二 1963: 中川清・大内青圃 1966: 円鍔勝三・藤野舜正 1968: 北村治禧 1970: 昼間弘 1971: 水船六洲 1972: 富永直樹 1973: 進藤武松 1974: 木下繁 1975: 分部順治 1977: 淀井敏夫 1979: 三坂耿一郎 1980: 佐藤助雄 1981: 野々村一男 1982: 伊藤五百亀 1985: 小森邦夫 1986: 高橋剛 1987: 中村博直 1988: 中村晋也 1990: 雨宮敬子 1991: 長江録弥 1992: 柴田鋼造 1994: 吉田鎮雄 1996: 橋本堅太郎 1997: 雨宮淳 1998: 川崎普照 1999: 山田良定 2002: 蛭田二郎 2003: 澄川喜一 2004: 山本真輔 2005: 能島征二 2006: 市村緑郎 2007: 瀬戸剛 2008: 神戸峰男 2009: 宮瀬富之 2012: 吉野毅 2016: 山田朝彦 2019: 池川直 1943: 吉田源十郎 1950: 小場恒吉 1951: 岩田藤七 1952: 山鹿清華 1953: 香取正彦 1954: 沼田一雅 山崎覚太郎・楠部弥一 1955: 杉浦非水・内藤春治 1956: 初代竜村平蔵・六代目清水六兵衛・三井義夫 1957: 宮之原謙 1958: 山室百世 1959: 三代目井上良斎・大須賀喬 1960: 各務鑛三・岸本景春 1961: 佐治賢使・皆川月華 1962: 蓮田修吾郎・山脇洋二 1963: 河村蜻山・番浦省吾・森野嘉光 1964: 辻光典 1965: 高橋節郎 1966: 帖佐美行 1967: 浅見隆三 1968: 北出塔次郎・安原喜明 1969: 般若侑弘 1970: 海野建夫 1971: 吉賀大眉 1973: 佐野猛夫 1980: 新開寛山 1981: 浅蔵五十吉 1982: 岩田久利 1983: 大久保婦久子 1984: 十三代目中里太郎右衛門 1985: 大樋年朗 1986: 折原久佐ヱ門 1988: 三谷吾一 1989: 藤田喬平 1990: 奥田小由女 1991: 青木竜山 1992: 永井鉄太郎 1993: 中井貞次 1994: 井波唯志 1996: 大塩正義 1997: 河合誓徳 1998: 今井政之 1999: 西本瑛泉 2000: 吉賀将夫 2001: 川尻一寛 2003: 大角勲 2004: 伊藤裕司 2006: 原益夫 2007: 森野泰明 2010: 武腰敏昭 2012: 宮田亮平 2013: 寺池静人 2016: 春山文典 2018: 三田村有純 2019: 並木恒延 1951: 川村驥山 1953: 辻本史邑 1955: 西川寧 1957: 鈴木翠軒 1960: 田中親美・松本芳翠 1961: 安東聖空・二代中村蘭台 1962: 炭山南木 1963: 山崎節堂 1964: 松井如流 1965: 日比野五鳳 1966: 青山杉雨 1967: 金子鷗亭 1968: 村上三島 1969: 田中塊堂 1970: 桑田笹舟 1971: 大石隆子・金田心象 1972: 広津雲仙 1973: 宮本竹径 1976: 木村知石 1977: 殿村藍田 1978: 上条信山 1981: 小坂奇石 1983: 杉岡華邨 1984: 小林斗盦 1985: 古谷蒼韻 1986: 浅見筧洞 1987: 今井凌雪 1989: 浅香鉄心 1990: 伊藤鳳雲 1991: 近藤摂南 1992: 成瀬映山 1993: 尾崎邑鵬 1994: 栗原蘆水 1995: 高木聖鶴 1996: 榎倉香邨 1997: 甫田鵄川 1998: 松下芝堂 1999: 日比野光鳳 2000: 梅原清山 2001: 津金孝邦 2002: 桑田三舟 2003: 井茂圭洞 2004: 新井光風 2005: 黒野清宇 2006: 劉蒼居 2007: 池田桂鳳 2008: 杭迫柏樹 2009: 小山やす子 2010: 樽本樹邨 2011: 黒田賢一 2012: 星弘道 2017: 高木聖雨 2018: 土橋靖子 2019: 真神巍堂 1950: 岸田日出刀 1952: 吉田五十八 1953: 村野藤吾 1957: 堀口捨己 1959: 中村順平 1961: 谷口吉郎 1962: 竹腰健造 1965: 前田健二郎 1966: 今井兼次 1967: 佐藤武夫 1968: 藤島亥治郎 1971: 海老原一郎 1974: 前川国男 1975: 吉村順三 1980: 白井晟一 1981: 大江宏 1982: 高橋靗一 1984: 芦原義信 1985: 西沢文隆 1987: 谷口吉生 1988: 池原義郎 1989: 内井昭蔵 1990: 阪田誠造 1991: 中村昌生 1992: 黒川紀章 1993: 安藤忠雄 1995: 柳沢孝彦 1996: 岡田新一 1999: 伊東豊雄 2000: 長谷川逸子 2001: 山本理顕 2003: 栗生明 2004: 宮本忠長 2006: 香山寿夫 2008: 鈴木了二 2010: 北川原温 2011: 古谷誠章 2013: 槇文彦 2015: 陶器二三雄 2020: 藤森照信 1950: 大仏次郎 1951: 小川未明 1952: 川端康成 1955: 坪田譲治 1956: 井伏鱒二 1957: 幸田文 1959: 井上靖 1960: 火野葦平 1961: 石川淳 1963: 獅子文六 1966: 中山義秀・永井竜男 1967: 伊藤整 1968: 網野菊 1969: 芹沢光治良 1972: 平林たい子・宇野千代 1973: 庄野潤三 1975: 中里恒子 1976: 司馬遼太郎・安岡章太郎 1977: 戸板康二・海音寺潮五郎 1979: 阿川弘之・遠藤周作・吉行淳之介 1980: 田中千禾夫 1981: 島尾敏雄 1982: 芝木好子・野口冨士男・小島信夫 1984: 河野多恵子 1986: 水上勉 1987: 三浦朱門・吉村昭 1988: 八木義徳 1989: 阪田寛夫 1993: 曽野綾子・石井桃子 1994: 竹西寛子 1995: 陳舜臣 1998: 大原富枝・堀田善衛 1999: 加賀乙彦 2000: 小川国夫・黒井千次・日野啓三 2001: 伊藤桂一 2003: 津村節子 2004: 中野孝次・富岡多恵子 2006: 辻井喬 2007: 三木卓 2009: 井上ひさし 2011: 山崎正和 2016: 辻原登 2017: 髙樹のぶ子 2019: 松浦寿輝 1942: 高村光太郎・川田順 1948: 折口信夫 1949: 半田良平 1951: 尾山篤二郎 1953: 三好達治・土屋文明・服部担風 1958: 川路柳虹 1964: 水原秋桜子 1971: 富安風生 1977: 宮柊二 1980: 佐藤佐太郎 1981: 飯田竜太 1983: 木俣修 1984: 中村草田男・中村汀女 1987: 山口誓子・上田三四二 1994: 那珂太郎 1995: 大岡信・清岡卓行 1997: 森澄雄 1998: 岡野弘彦・田村隆一 1999: 伊藤信吉 2003: 馬場あき子・まど・みちお・金子兜太 2005: 前登志夫 2015: 吉増剛造・鷹羽狩行 2016: 宇多喜代子 2019: 荒川洋治 1943: 野口米次郎 1950: 山内義雄 1951: 小林秀雄 1952: 日夏耿之介 1953: 石川欣一 1954: 小宮豊隆 1955: 鈴木信太郎 1956: 昇曙夢 1957: 折口信夫 1957: 和田芳恵 1958: 新関良三 1959: 吉田精一 1961: 河上徹太郎 1963: 福原麟太郎 1964: 亀井勝一郎 1966: 舟木重信・山本健吉 1967: 三宅周太郎・中村光夫 1969: 高橋健二 1971: 唐木順三 1973: 中村白葉 1976: 江藤淳 1977: 平野謙 1981: 福田恒存 1981: 生島遼一 1982: 佐伯彰一 1984: 磯田光一 1986: 富士川英郎 1990: 新庄嘉章 1991: 佐藤朔 1997: 高橋英夫 2000: 河竹登志夫 2001: 菅野昭正 2002: 高階秀爾 2010: 粟津則雄 2012: 三浦雅士 2017: 渡辺保 2018: 芳賀徹 1948: 野口兼資 1951: 観世華雪 1953: 桜間弓川 1954: 茂山弥五郎 1960: 近藤乾三 1961: 橋岡久太郎 1963: 後藤得三 1970: 六世野村万蔵 1975: 喜多実 1977: 三世茂山千作 1980: 宝生弥一 1983: 田中幾之助 1985: 梅若雅俊 1987: 四世野村万之丞 1988: 梅若恭行・観世元正 1990: 九世片山九郎右衛門・二世野村万作 1992: 八世観世銕之丞・宝生閑 1995: 二世金剛巌 1996: 二十二世金春惣右衛門 1999: 五十六世梅若六郎 2000: 粟谷菊生 2001: 近藤乾之助 2002: 関根祥六 2003: 友枝昭世 2005: 三世観世喜之 2006: 野村四郎 2007: 四世山本東次郎 2008: 一噌仙幸 2009: 九世観世銕之丞 2011: 山本孝 2013: 浅見真州 2014: 香川靖嗣 2015: 柿原崇志 2016: 高橋章 2017: 大槻文蔵 2019: 亀井忠雄 1951: 三代目中村時蔵 1952: 二代目市川猿之助 1953: 三代目市川寿海 1954: 三代目阪東寿三郎 1956: 三代目市川左団次 1962: 六代目中村歌右衛門 1966: 七代目尾上梅幸・八代目坂東三津五郎 1969: 十七代目中村勘三郎 1970: 二代目中村鴈治郎 1972: 十三代目片岡仁左衛門 1974: 八代目松本幸四郎 1975: 七代目中村芝翫 1981: 四代目中村雀右衛門 1982: 三代目實川延若 1984: 十七代目市村羽左衛門 1985: 二代目中村吉右衛門 1986: 二代目中村扇雀 1987: 五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎 1988: 片岡孝夫 1989: 十二代目市川団十郎 1990: 八代目中村福助 1991: 九代目坂東三津五郎 1993: 五代目中村松江 1996: 二代目中村又五郎 1999: 五代目中村勘九郎 2001: 六代目沢村田之助 2005: 九代目中村福助 2006: 十代目坂東三津五郎 2007: 五代目中村翫雀 2008: 五代目中村時蔵・五代目中村芝雀 2011: 三代目中村橋之助 2016: 五代目中村歌六・五代目坂東玉三郎 2017: 四代目市川左團次 2018: 三代目中村扇雀 2020: 十代目松本幸四郎 2021: 片岡孝太郎 1944: 二代目豊竹古靱太夫 1950: 四代目鶴沢清六 1963: 八代目竹本綱大夫 1968: 二代目野沢喜左衛門 1972: 六代目鶴沢寛治 1976: 十代目竹沢弥七 1997: 三代目吉田簑助 1998: 七代目竹本住大夫 2003: 九代目竹本綱大夫 2009: 豊竹咲大夫 2010: 三代目桐竹勘十郎 2011: 五代目野沢錦糸 2012: 二代目鶴沢藤蔵 2013: 六代目鶴沢燕三 2014: 吉田玉女 2018: 鶴澤清介 1948: 芝祐泰 1953: 三代目常磐津文字兵衛・初代中尾都山 1955: 山田抄太郎 1956: 三代目杵屋栄蔵 1957: 七代目芳村伊十郎 1959: 中能島欣一 1961: 十四代目杵屋六左衛門 1962: 安倍季巌 1968: 清元志寿太夫 1971: 五代目荻江露友 1972: 杵屋六一朗 1974: 中能島慶子 1980: 二代目上原真佐喜 1983: 三代目今藤長十郎 1987: 初代富山清琴 1990: 多忠麿 1991: 二代目青木鈴慕・清元栄三郎 1992: 三代目杵屋五三郎 1993: 四代目常磐津文字兵衛 1994: 山彦節子 1995: 山口五郎 1999: 十五代目杵屋喜三郎 2000: 東儀俊美 2002: 六代目山勢松韻 2002: 初代米川敏子 2003: 芝祐靖・東音宮田哲男 2004: 鶴沢清治・川瀬白秋・二代目富山清琴 2007: 唯是震一 2009: 七代目杵屋巳太郎・豊英秋 2010: 二代目今藤政太郎・五代目常磐津文字兵衛 2011: 二代目野坂操寿 2012: 山本邦山・笠置侃一 2013: 二代目米川文子 2014: 小野功竜 2015: 十二代目都一中・二代目米川敏子 2017: 鳥羽屋里長 2020: 杵屋勝国 1943: 井口基成 1948: 藤原義江 1961: 豊増昇 1965: 柳兼子 1966: 団伊玖磨 1967: 渡辺暁雄 1971: 園田高弘 1972: 小沢征爾 1975: 安川加寿子 1976: 朝比奈隆 1979: 江藤俊哉 1980: 武満徹 1986: 山田一雄 1989: 伊藤京子 1990: 三善晃 1991: 東敦子 1992: 若杉弘 1993: 堤剛 1994: 吉田雅夫 1996: 木村俊光 1999: 湯浅譲二 2002: 岩城宏之 2004: 前橋汀子 2005: 内田光子 2006: 畑中良輔 2007: 栗林義信 2009: 中村紘子 2010: 大野和士 2011: 栗山昌良 2013: 飯守泰次郎 2014: 野島稔 2017: 一柳慧 2019: 野平一郎 1952: 四代目井上八千代 1957: 二代目花柳寿輔 1963: 六代目藤間勘十郎 1965: 四代目藤間勘右衛門 1966: 八代目坂東三津五郎 1967: 吾妻徳穂 1979: 藤間藤子 1985: 森下洋子 1988: 二代目花柳寿楽 1989: 藤間友章 1990: 三代目花柳寿輔 1991: 十代目西川扇蔵 1992: 花柳寿南海 1997: 七代目藤間勘十郎 1999: 五代目井上八千代 2000: 藤間蘭景 2001: 五代目花柳芳次郎 2002: 二代目尾上菊之丞 2004: 二代目吾妻徳弥 2008: 藤間藤太郎 2015: 山村友五郎 2016: 二代目中村梅弥 2018: 三代目花柳寿楽 2019: 宮城能鳳 2020: 藤間蘭黄 2021: 西川箕乃助 1948: 杉村春子 1950: 伊藤熹朔 1955: 花柳章太郎 1956: 初代水谷八重子 1959: 小津安二郎 1980: 六代目市川染五郎 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン
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SNAC IdRef 遠藤周作 20世紀日本の小説家 日本の文芸評論家 日本の宗教評論家 学士号取得者 20世紀日本の劇作家 キリスト教小説家 キリスト教弁証家 日本ペンクラブ会長 芥川賞受賞者 谷崎潤一郎賞受賞者 読売文学賞受賞者 日本藝術院賞受賞者 日本藝術院会員 文化勲章受章者 上智大学の教員 日本のカトリック教会の信者 私の履歴書の登場人物 灘中学校・高等学校出身の人物 慶應義塾大学出身の人物 東京都区部出身の人物 感染症で死亡した人物 1923年生 1996年没 大言壮語的な記述になっている項目 独自研究の除去が必要な記事/2017年2月 出典のページ番号が要望されている記事 2024/11/11 16:05更新
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endou syuusaku
遠藤周作と同じ誕生日3月27日生まれ、同じ東京出身の人
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