高橋義孝の情報(たかはしよしたか) ドイツ文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
高橋 義孝さんについて調べます
■名前・氏名 |
高橋義孝と関係のある人
ヨハン=ペーター=エッカーマン: 『ゲーテ対話録』 ビーダーマン兄弟 編、大野俊一・菊池栄一・国松孝二・高橋義孝ほか訳、白水社(全5巻)、1962-70年。 山口瞳: だが、正式の大学を出ていないことに対する劣等感を指摘され、師事していた高橋義孝から「正式な大学を出れば、もっと大きな出版社に紹介してあげる」と言われたことから、國學院大學文学部に入り、1954年に卒業。 福田恆存: 高橋義孝と同級。 琴櫻傑將: 」と述べ、委員の一人高橋義孝は「ここ2場所の姿は、以前に比べて別人のごとくなったことで、過去のことは吹き飛んだ。 今東光: この年の『中央公論』2月号に掲載した短篇「闘鶏」は、浅吉親分こと、岩田浅吉に教えられた闘鶏の魅力に取り憑かれて作家としての情熱を取り戻し、数年かけて取材執筆したもので、闘鶏を通して河内の風土を描いており、平野謙、高橋義孝はこの時代の秀れた代表作として推すなど高く評価されている。 双羽黒光司: 委員長の高橋義孝は「稀に見る逸材で将来性の多さが買える」と高評価を与えた。 山口瞳: 『作法・不作法 師弟対談』高橋義孝 角川書店 1974 のち集英社文庫 輪島大士: この無精ひげについては場所後の横綱審議委員会で委員の一人、高橋義孝(ドイツ文学者、のち委員長)から「見苦しい、相手も不愉快だろう」と苦言を呈した。 玉の海正洋: 2場所連続優勝の北の富士は文句なしだったが、玉乃島は横審委員の野間省一から「先場所の10勝がきがかり」との懸念が出て、委員長の舟橋聖一も「わたし自身、三分の二ぐらいに議論が分れると思った」と審議を振り返ったが、大関時代の勝率は北の富士を上回ること、1月場所は北の富士を破って優勝同点に持ち込んだこと、過去二度横綱昇進を見送られているがその時よりも力を付けていること等の理由で高橋義孝、御手洗辰雄両委員が玉乃島の安定感を高く評価し、この意見が審議を圧倒した。 福田恆存: 1937年(昭和12年)1月、同期の友人高橋義孝に誘われ第一次『作家精神』の後継誌である『行動文学』の同人となり、論壇デビュー作として「横光利一と『作家の秘密』」を発表した。 パウル=ハイゼ: 『新版世界文学全集 第2』片意地娘 カプリ島の婚礼(高橋義孝訳) 新潮社 1959年 桜田常久: 1936年独文科の仲間である豊田三郎、高木卓、高橋義孝、および福田恆存、野口冨士男らと『作家精神』を創刊。 山口瞳: 国立に移住する際、師と仰いだ高橋義孝の紹介による若手女性建築家に自宅の設計を任せたところ、「コンクリート打ちっぱなし、家の真ん中にある半地下の部屋が食堂」という、非常にモダンで実験的な家が出来上がった。 呉茂一: レッシング『ラオコオン』高橋義孝共訳 筑摩書房 1942年 |
高橋義孝の情報まとめ
高橋 義孝(たかはし よしたか)さんの誕生日は1912年3月27日です。東京出身のドイツ文学者のようです。
卒業、兄弟、現在に関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。
高橋義孝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。 1939年に帰国し、東京の旧制府立高等学校教授に就いた。教鞭を執る一方で、翻訳のほか文芸評論を発表した。1944年、陸軍科学学校教授としてドイツ語を教えた。また、第二次世界大戦中はナチスの紹介もした。またマルクス主義の文学理論を批判し、戦後もその姿勢は継続した。 1947年に北海道大学法文学部助教授となるも、北海道が東京からはるか離れた僻地であることに嫌気が差して1948年に退官。その後は執筆に専念するが、1950年、九州大学助教授の任に就いた。1954年、教授昇格。1961年、学位論文『文学研究の諸問題:ドイツ文芸学を中心として』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1968年、ベルリン大学客員教授。1970年、九州大学を辞任。1973年、名古屋大学教授となり、1976年に定年退官。その後は桐朋学園短期大学名誉教授として週1回講義をしていた。 教授時代は終始一貫して東京の自宅を動かず、九州大学時代は最初は国鉄の寝台車で、のちにジェット機で東京との間を往復し「ジェット教授」と呼ばれ、名古屋へも新幹線で通勤した。 1955年:『森鴎外』で第6回読売文学賞(文芸評論賞)を受賞。 専門はドイツ文学で、マン、フロイト、ゲーテなどの訳書も多い。また、江戸っ子をもって任じ、洒脱な随筆を数多く刊行した。 師は内田百閒と尾崎士郎。百閒の愛猫ノラが失踪した際、酒に酔って「今頃は三味線の胴と化してますよ」と電話を入れた事が逆鱗に触れ、しばらく出入り差し止めとなった(電話の件は、百閒の『ノラや』にも登場する)。 弟子に山口瞳がいる。 子供の頃から相撲好きで、1964年、横綱審議委員会委員、1981年には委員長になった。 江戸っ子をもって任じ、蝶ネクタイがトレードマークだった。 息子:高橋鷹志は東京大学名誉教授(工学部、建築学)。 『ナチスの文学』牧野書店 1941 『構想する精神 独逸文学論集』育英書院 1942 『批評・懐疑・超克』鱒書房 1947 『マン・ヘッセ・カロッサ』南北書園 1947 『文芸学批判』国土社 1948 『森鷗外』雄山閣 1948 『芸術について』玄理社 1948 『芸術の秘密 芸術批評における享受の問題』東大協同組合出版部 1949 『ゲーテ小伝』郁文堂書店 1949 『文芸の心理学』日本教文社(教文新書) 1955 『思想の抜け穴』読売新書 1955 『ぼくの文芸評論』大日本雄弁会講談社 1955 『無意識』新潮社(一時間文庫)1955 『随筆合切袋』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1955 『落ちていた将棋の駒について』暮しの手帖社 1955 『随筆大名の酒盛り』新潮社 1955 『現代ドイツ文学』要書房(要選書) 1955 『随筆狸の念仏』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1956 『文学と人生』河出新書、1956 『まぬけの効用』文藝春秋新社 1956
『現代文学の相貌』英宝社、1956 『幸福になる条件 ひとつの考え方』(1957年、新潮社) 『イエスとノーの間』新潮社、1957 『しかしながら』実業之日本社、1957 『色けと食いけ』六月社、1957 『私の人生料理術』角川書店 1957 『随筆ひとり相撲』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1957 『芸術文学論集』東京創元社 1958 『道徳の笑いと怒り』新潮社 1958 『文学研究の諸問題 ドイツ文芸学を中心として』新潮社 1958 『現代不作法読本』文藝春秋新社、1958
『現代知性全集13 高橋義孝集』日本書房、1958 『あたふたの記』雪華社、1959 『この日この時』新潮社、1959 『無意識の発見』光書房、1959 『ヰタ・セクスアリス』中央公論社、1959 『死と日本人 文学論集』室町パブリシティー 1959 『人生短期大学』文藝春秋新社 1960 『おんな大学』新潮社 1961 『日本再発見』ダイヤモンド社 1963 『日本旅情』新潮社 1963 『悩んでいます 幸せへのアドバイス』秋田書店(サンデー新書) 1964 『旅・酒・浮世』秋田書店(サンデー新書) 1964 『わたくしの東京地図』文藝春秋新社 1964 『近代芸術観の成立』(1965年、新潮社) 『おやじといたしましては』オリオン社 1965 『穏健なペシミストの観想』新潮社 1967 『ワレハ雲ヲ愛ス 最新随筆集』オリオン出版社 1968 『芸術・文学小論集』中央大学出版部 1970 『帰りなんいざ』講談社 1970 『言説ノ指』同信社 1971 『文学非芸術論』新潮社 1972 『酒客酔話』日本交通公社(ベルブックス) 1972 『酒飲みの詭弁 ユーモアエッセイ集』番町書房 1974 『新つれづれ草 随筆選』角川文庫 1975 『叱言たわごと独り言』新潮社 1976
『飲み食いのこと』ゆまにて 1976 『高橋義孝文芸理論著作集』人文書院 1977 『蝶ネクタイとオムレツ』文化出版局 1978
『芸術と精神分析』人文書院 1979 『ファウスト集注 ゲーテ『ファウスト』第一部・第二部注解』郁文堂 1979 『粋と野暮の間』PHP研究所 1980
『旅路の想い 辛口日本紀行』PHP研究所 1980 『大人のしつけ紳士のやせがまん』新潮社 1981
『生々流転』阪急コミュニケーションズ 1981年 『言いたいことばかり』新潮文庫 1981 『すこし枯れた話』講談社 1981
『こんな考え方』講談社 1982 『へんくつの発想』新潮文庫 1982 『大相撲のすがた』平凡社 1984 『夜目遠目的はずれ』PHP研究所 1984 『能のすがた』平凡社 1984 『若気のいたり年寄の冷や水』新潮文庫 1984 『華の園』朝日新聞社 1985 『芸術・文学覚書 ユングとフロイトその他』同学社 1987 『私の人生頑固作法 高橋義孝エッセイ選』講談社文芸文庫 2001 『蝶ネクタイ先生の飲み食い談義』河出文庫 2024 『日本の文学 文学案内』久松潜一・今井源衛、新潮社、1962 『ドイツの文学 文学案内』国松孝二、新潮社、1963 『作法・不作法 師弟対談』山口瞳、角川書店、1974、集英社文庫、1984 『大相撲』(北出清五郎と)平凡社カラー新書、1977 『旅情100選 エッセイ集』(編著)日本交通公社、1980 『対談集 ひと筋の人』平凡社、1981 『成年の秘密』ハンス・カロッサ著、冨山房百科文庫 1939、のち新潮文庫 『復讎』ハンス・グリム著、三笠書房 1941 『ラオコオン』レッシング著、呉茂一共訳 筑摩書房 1942 『理念の形成』ローゼンベルグ著、吹田順助共訳 紀元社 1942 『ドイツ国民文芸学』ヴァルター・リンデン/ハインツ・キンダーマン編、博文館 1943 『独逸浪曼派』パウル・クルックホーン著、青木書店 1943 『自由の問題』トオマス・マン著、佐藤晃一共訳 日本橋書店 1946 『ゲエテとトルストイ 人間性への考察』トオマス・マン著、山水社 1946、のち新潮文庫 『リアリズムと憧憬の文学』シルレル著、若草書房 1948 トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』今日社 1949、のち新潮文庫 『ドイツ文学史第2巻』ヴイルヘルム・シェーラー著、創元社 1949 『鐵手のゲッツ』(ゲエテ名作選) ゲーテ著、中央公論社 1949 『若きウェルテルの悩み』ゲーテ著、新潮文庫 1951 『マリオと魔術師』トーマス・マン著、新潮文庫 1951 H.J.ゼーリング『トスカナの恋人』岩波書店 1952 『変身』フランツ・カフカ著、新潮文庫 1952 『指導と信従 わが人生メモ』カロッサ著、新潮文庫 1953 『恋愛論』ゲオルク・ジンメル著、辻王星共訳、玄海出版社 1953 『みずうみ』テオドール・シュトルム著、新潮文庫 1953 クルト・ハス編『運命の下の青年 戦後ドイツ青年男女の手紙』新潮社 1953 シュミート『ニッポン再発見』中込忠三共訳 角川新書 1953 『フロイド選集7 芸術論』日本教文社 1953、のち新版 トーマス・マン『欺かれた女』新潮社 1954 『フロイド選集第11・12巻 夢判断』日本教文社 1954-55、のち新版 エルンスト・ユンガー『文明について』 江野専次郎共訳 新潮社 1955 ハンス・カロッサ『ルーマニヤ日記』新潮文庫 1956 カール・グスタフ・ユング『人生の午後三時』新潮社 1956
『三色菫・溺死』シュトルム著、新潮文庫 1957 『ヴェニスに死す』トーマス・マン著、新潮文庫 1958
『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』新潮文庫 1967 のち改版 『芸術の歴史 美術と文学の社会史』アーノルド・ハウザー著、平凡社、1958-59
『ヨゼフとその兄弟たち』(世界文学全集) トーマス・マン著、菊盛英夫・佐藤晃一共訳、新潮社 1958。のち「全集4・5」 『ウイルヘルム・マイスターの修業時代』(全集5) ゲーテ著、人文書院 1960。「ゲーテ 新潮世界文学」ほか 『性の世界史』モールス著、生松敬三・中野孝次共訳 新潮社 1960 『愛情の心理学』(フロイド選集 第14巻) フロイド著、日本教文社 1960、のち新版 『ある詐欺師の回想 フェリクス・クルルの告白』(世界文学全集) トーマス・マン著、森川俊夫・円子修平共訳、新潮社 1961、他に「全集 7」 『ファウスト』(世界文学全集) ゲーテ著、新潮社 1962
『魔の山』(世界文学全集) マン著、新潮社 1963
『特性のない男』ローベルト・ムジール著、共訳、新潮社 1964-66 『ゲーテ対話録』第4・5巻、W.ビーダーマン/F.ビーダーマン編、白水社 1968-70 『精神分析入門』(著作集1) フロイト著、懸田克躬ほか共訳、人文書院 1971
『フロイト その人間像』ルートヴィヒ・マルクーゼ著、高田淑共訳 日本教文社 1972 『レンブラント 芸術哲学的試論』ゲオルク・ジンメル、岩波書店 1974 『ゲーテ その生涯と作品』アルベルト・ビルショフスキ著、佐藤正樹共訳 岩波書店 1996 『ゲルマニスティクの諸相』高橋義孝先生還暦記念論集刊行会 1975 ^ 文壇関係者からは名前を音読みして「たかはし ぎこう」と称される場合もある。 ^ 戦時中から戦後にかけての高橋の「転身」について、山口知三は「終戦直後期の日本におけるトーマス・マン受容(その一)」希土同人社『希土』44号 2019、90-130頁、特に101頁以降において厳しい見方をしている。 ^ CiNii(学位論文) ^ この著書について、国松孝二は『浮塵抄』(同学社, 1988年)207-209頁において、「近代における芸術至上主義的な芸術・文学観の成立の経緯を解明しようとしたもの」とし、「強靭な思弁力と犀利な本質直観とが結晶して、絢爛たる氷花を咲かせたような著書」と絶賛している。 表 話 編 歴 酒井忠正 1950 - 1969 舟橋聖一 1969 - 1976 石井光次郎 1976 - 1981 高橋義孝 1981 - 1990 上田英雄 1990 - 1993 渡辺誠毅 1993 - 1997 坂本朝一 1997 - 1999 一力一夫 1999 - 2001 渡邉恒雄 2001 - 2003 石橋義夫 2003 - 2007 海老沢勝二 2007 - 2009 鶴田卓彦 2009 - 2013 内山斉 2013 - 2015 守屋秀繁 2015 - 2017 北村正任 2017 - 2019 矢野弘典 2019 - 2022 高村正彦 2022 - 2023 山内昌之 2023 - 現在 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 日本の文学研究者 ドイツ文学者 文学博士取得者 20世紀日本の翻訳家 20世紀日本の評論家 読売文学賞受賞者 横綱審議委員会委員 名古屋大学の教員 桐朋学園芸術短期大学の教員 九州大学の教員 北海道大学の教員 陸軍砲工学校の教員 東京大学出身の人物 旧制高知高等学校出身の人物 東京都立上野高等学校出身の人物 東京都出身の人物 1913年生 1995年没 2024/11/20 05:54更新
|
takahashi yoshitaka
高橋義孝と同じ誕生日3月27日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
高橋義孝と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「高橋義孝」を素材として二次利用しています。