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千代の富士貢の情報 (ちよのふじみつぐ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【1月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

千代の富士貢の情報(ちよのふじみつぐ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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千代の富士 貢さんについて調べます

■名前・氏名
千代の富士 貢
(読み:ちよのふじ みつぐ)
■職業
相撲
■千代の富士貢の誕生日・生年月日
1955年6月1日 (年齢2016年没)
未年(ひつじ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
北海道出身

(昭和30年)1955年生まれの人の年齢早見表

千代の富士貢と同じ1955年生まれの有名人・芸能人

千代の富士貢と同じ6月1日生まれの有名人・芸能人

千代の富士貢と同じ出身地北海道生まれの有名人・芸能人


千代の富士貢と関係のある人

千代の山雅信: それ以外にも、出身地も卒業した小学校も同じで後に史上最強の小兵横綱とも言われる千代の富士貢をスカウトした。


松田優作: また、翔太の妻でモデルの秋元梢の父親は元大相撲力士で第58代横綱の千代の富士貢であり、優作と千代の富士が双方没後に翔太と梢は結婚しているが、千代の富士とは親戚関係である。


山本文郎: TBSアナウンサー同期の岡部達・木元教子(旧姓:町田)、TBSアナウンサー後輩の久米宏・生島ヒロシ・渡辺真理、TBSの後輩にあたる石井ふく子・堂本暁子、フリーアナウンサー仲間の徳光和夫・小倉智昭、芸能・スポーツ界から関口宏、毒蝮三太夫、市村正親、仲本工事、小室等、ボニージャックス、渡嘉敷勝男、千代の富士貢(九重親方)、千代の国憲輝、桂由美が参列。


向坂松彦: 『私はかく闘った 横綱千代の富士』千代の富士貢共著. 日本放送出版協会, 1991


陣幕久五郎: 陣幕の死去から88年後の平成3年(1991年)、千代の富士貢が引退して年寄・陣幕を襲名した際、陣幕の故郷である東出雲町では千代の富士と師匠である北の富士勝昭を招いて陣幕の顕彰記念行事を催している。


北の富士勝昭: 1977年に千代の山が没すると、12代九重を襲名し自らの井筒部屋と合同させる形で九重部屋を継承、元々は弟弟子で北の富士の九重継承の2年前に入幕後に幕下まで陥落して当時は十両だった千代の富士貢を弟子として引き取った。


秋元梢: 大相撲第58代横綱千代の富士貢の次女。


海部俊樹: 総理就任から一ヶ月後、大相撲で通算勝ち星記録を更新した横綱・千代の富士貢に国民栄誉賞を授与したが、この直前、大相撲九月場所で千代の富士は29回目の優勝を達成しており、かつ授与式が行われたのも9月29日であった。


玉錦三右衛門: 大鵬幸喜(在位58場所、金星28個)や千代の富士貢(在位59場所、金星29個)でも及ばない。


宍戸開: 千代の富士物語(1992年、関西テレビ / フジテレビ系) - 千代の富士貢


石井代蔵: 『天下盗り狼(ウルフ)千代の富士貢-九重三代風雲録』講談社 1981 のち徳間文庫


栃錦清隆: また、この春日野の教えは、栃錦の談話を通して同門の千代の山雅信・北の富士勝昭・千代の富士貢へと代々受け継がれ、さらに別門の大鵬幸喜にも真摯に受け継がれた。


吉葉山潤之輔: その吉葉山ファン達の興奮ぶりは、昭和時代後期の貴ノ花利彰・千代の富士貢の幕内初優勝や、平成時代初期の「若貴フィーバー」に匹敵するものだったという。


安念山治: それでも当時は横綱が千代の富士貢しか存在せず、協会が一人横綱状態を早期に解決したかったことと、同時期に北勝海信芳の大関昇進が決定的で、北尾を大関に据え置くと「1横綱6大関」という非常にバランスの悪い番付となるため、北尾の横綱昇進が決定した。


両国梶之助: その後も小結から前頭上位を行ったり来たりしていたが、千代の富士貢を3度に渡って破るなど「千代の富士キラー」ぶりを発揮し、再度の関脇昇進を目指していた。


千代の富士貢の情報まとめ

もしもしロボ

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)さんの誕生日は1955年6月1日です。北海道出身の相撲のようです。

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家族、卒業、兄弟、引退、現在、テレビ、事件、ドラマ、結婚、父親、母親、趣味、事故に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2016年に亡くなられているようです。

千代の富士貢のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年(昭和30年)6月1日 - 2016年(平成28年)7月31日)は、北海道松前郡福島町出身で九重部屋に所属した大相撲力士。位階は従四位。

本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。第58代横綱。昭和最後の大横綱。血液型はA型。

秋元貢は1955年、北海道松前郡福島町で漁師の家に誕生。父は筋肉質というほどではなかったが骨太で、貢に骨格面が遺伝したものと見られる。幼少期から体格は同級生より頭一つ大きく、食卓に並んだホッケや鮭などの魚類で体を作っていた。

子供の頃から漁業を手伝うことで自然に足腰が鍛えられ、運動神経が抜群で最初はスポーツとしてはバスケットボールを行っていた。特に福島町立福島中学校の陸上競技部では走り高跳び・三段跳びの松前郡大会で優勝し、中学時代は走り高跳び1m62、三段跳びは12m58という記録が残っている。「オリンピック選手でもいける」と言われるほどだったが相撲は大嫌いだった。

中学1年生の時に盲腸炎の手術を受けたが、腹の筋肉が厚いために手こずり、予定を大幅に上回る長時間の手術となり、終了直前に麻酔が切れた。それでも必死に耐え続ける体格の良い貢を見た病院長が、千代の山の入門の世話をしたことがある若狭龍太郎(当時、九重部屋北海道後援会世話人)に連絡した。九重(千代の山)と、貢の母の実家である大村家が遠縁であり、北海道巡業の際に九重は直々に秋元家に勧誘に赴いたが、貢自身は乗り気がせず、両親も入門に大反対したため一旦は断った。

それでも諦めない九重は貢に対して「とりあえず東京に行こう。入門するなら飛行機に乗っけてあげるよ」「中学の間だけでも(相撲を)やってみて、後のことを考えたらどうだ?」などと持ちかけると、貢は飛行機にどうしても乗りたいがために、家族の反対を押し切って九重部屋に入門を決めた。

まだ現役であった北の富士も貢と会っているが、その時を後に北の富士は「小さかったよ。だけど、物おじしないで平気な顔で部屋に来たのを覚えている。『おれのこと知ってるか』と聞いたら、『知らない。大鵬なら知ってるけど』。それが初めての会話だった。」と振り返っている。上京前夜には、父が巡業の接待役にあたっていた貴ノ花に会わされ、「坊や、相撲に行くんだって?」「(九重部屋は)親方もいい。横綱もいい。とっても明るくて、いい部屋だよ……坊や、目つきが違うぞ。頑張れよ」と声をかけられた。

中学3年生で本名のまま1970年9月場所初土俵を踏み、翌11月場所序ノ口につき「大秋元」と改名、1971年1月場所序二段に昇進すると「千代の冨士」(1975年1月場所より「千代の富士」)と名付けられた。四股名の由来は、九重の四股名である「千代の山」と同じ部屋の先輩横綱・北の富士から取られていて、九重からはそれだけの大器と見られていた。上京して相撲を始めたものの陸上への未練も捨てがたく、転入した台東区立福井中学校では台東区立中学連合の陸上競技大会の砲丸投げで2位に入賞する活躍を見せた。ただ相撲には馴染めず、中学校を卒業後に帰郷しようと、1971年3月場所の終了後は荷物を実家へ送り返してしまった。土俵での成績は概ね良好のため、逸材を手放すことを恐れた九重は故郷の後援会会員に世話を頼んで千代の冨士を明治大学付属中野高校定時制へ進学させた。そこで学業と相撲の両立を図ったが、これを妬んだ兄弟子からの折檻を受け、さらに同年7月場所を負け越しで終えると「学校と相撲は両立できない」と6か月で高校を中途退学し、相撲に専念した。同年秋ごろに右足首の骨折でやる気が薄れたが、当時東京で上野の松坂屋に勤めていた姉に励まされて踏みとどまった。

小兵(幕内定着の頃まで体重は100kg以下)ながら気性の激しさを見せる取り口で順調に出世して、1974年11月場所で19歳5ヶ月にして十両昇進、史上初の5文字四股名の関取となった。異名の「ウルフ」については、ちゃんこ番として魚をさばいているところを見た九重が「狼みたいだな」と言ったことから名付けられた。当初は狼と呼ばれていたものがいつしか変化したそうで、これを聞いた春日野理事長は「動物の名前で呼ばれる力士は強くなる。ワシは『マムシ』だった。狼は若乃花の昔のあだ名だ」と言ったという。

幕下時代は投げに頼った強引な相撲が目立ち、このことが肩の脱臼癖を招くこととなった。1973年3月場所13日目、白藤との取組で左腕をねじられた際に左肩を脱臼した。このときは医者に相手にされず湿布でしのいだが、翌5月場所3番相撲、立山との取組で二本差しになり左から投げを打ったところその左腕を抱えられた瞬間に再度脱臼し、休場に追い込まれた。三段目に下がった翌7月場所では場所前の稽古でまた左肩を脱臼したが、痛みに耐えて出場し6勝を挙げた。新十両の1974年11月場所でも11日目の隆ノ里との取組で土俵下に転落した際に左肩を脱臼している。

1975年9月場所で昭和30年代生まれの力士として第1号の新入幕を果たし、2日目に元大関・大受からは幕内初白星を挙げるが、相撲の粗さもあって5勝10敗と負け越した。その後も故障もあって1976年1月場所まで連続負け越しとなり、幕下まで番付を下げる。昭和30年代生まれの力士としての幕内勝ち越し第1号は、当時「北の湖二世」と呼ばれ将来を嘱望された小沼が達成し先を越された。奮起し76年7月場所で帰り十両を果たすが、先天的に骨の形状から両肩の関節のかみ合わせが浅く、左肩を脱臼しやすいという弱点が顕在化し、最初の幕下からの5年間で公式には7回、部屋で半脱臼したものも含めれば10回を超える脱臼を繰り返した。その頃の取り口は類い稀な運動神経を活かし、力任せの強引な投げ技で相手を振り回すのを得意としていたが、それは左肩へますます負担をかけ、度重なる脱臼に悩まされることとなった。けがの影響で2年間を十両で過ごすことになるが、元NHKアナウンサーの向坂松彦はこの頃から「(千代の冨士は)ケガ(脱臼)さえなければ幕内上位にいる人だと思う。ウルフと言われる鋭い目はいつの日か土俵の天下を取るものと見ている」と将来性を見抜いていた。

1977年10月29日に九重が死去したため、部屋は北の富士が継承した。この頃から師匠(北の富士)の指導で脇を締めて左の下手を取って引き付ける相撲を身に付ける。その成果もあって脱臼も幾分か治まり、1978年1月場所には再入幕を果たした。同年5月場所13日目の対貴ノ花戦は、取組前の「両者とも足腰が良いからもつれるだろう」という実況・解説者の予想を覆して、頭を付けて懐に入ってから強烈な引き付けで貴ノ花の上体を起こし、貴ノ花が左からおっつけるところを一気に寄り切るという会心の相撲で勝利し、大関戦初勝利と勝ち越しを同時に手にする大きな白星となった。この場所、9勝6敗の成績を挙げて初の敢闘賞を受賞。同年7月場所では新小結に昇進し、貴ノ花・旭國の2大関を破る活躍も見せたが、5勝10敗と負け越す。西前頭8枚目で迎え、幕内への定着も見えてきた1979年3月場所の播竜山戦では右肩を脱臼する。全治1年、手術すれば2年という重大なけがで途中休場し入院。脱臼との戦いをまたも強いられることとなった。このときの診察で肩関節の臼が左右とも普通人の3分の2しかないことが発見された。三重県四日市中央病院の院長には「手術すれば半年は稽古ができない」と言われる一方、「もし2カ月で治したいなら筋力トレーニングを行い肩の周辺を筋肉で固めなさい」とアドバイスされたことが、肩を鋼の筋肉で固めるというけが防止策を見出すこととなった。毎日500回の腕立て伏せ・ウェイトトレーニングに励み、当時東京都江戸川区に構えていた自宅の8畳の自室を4か月に一度、畳替えをしなければならないほどすさまじいトレーニングだったという。

1979年5月場所は休場明けで西十両2枚目に下がり、取組中のケガだったことから公傷制度を利用して肩の治療に専念するはずだった。しかし、手続きの不手際(書類を受け取った担当の親方が書類を鞄に入れたまま提出するのを忘れてしまった)で公傷と認められないことが場所の直前になって発覚したため、このまま休場し続ければ幕下陥落の危機もあったことから3日目より強行出場、9勝を挙げて同年7月場所に幕内へ復帰した。以後は着実に力をつけ、幕内上位に定着することとなる。

肩の脱臼を受けて、それまでの強引な投げから前廻しを取ってからの一気の寄りという形を完成させ、1980年3月場所から幕内上位に定着する。横綱・大関陣を次々と倒して人気者となり、特に大関昇進後の増位山に対しては6戦6勝負けなしと「増位山キラー」とされた。同年9月場所には小結で4日目に北の湖を初めて破り、連勝を24でストップさせ、幕内初の二ケタ勝利となる10勝5敗の成績を挙げた(この場所以降引退まで、皆勤場所では全て二ケタ勝利)。同年11月場所に新関脇に昇進すると初日から8連勝した。連勝は9日目輪島に敗れて止まったが11勝4敗の成績を挙げ、大関を目前として1981年1月場所を迎えた。

1981年1月場所は前場所をはるかに上回る快進撃を見せる。輪島を相手得意の左四つからの上手投げ、若乃花を外四つで寄り倒し、いずれも不利な体勢から2横綱を破るなど初日から14連勝を記録。そして迎えた千秋楽(1月25日)、1敗で追いかけた北の湖との直接対決を迎えた。本割では吊り出しで敗れて全勝優勝こそ逃し、北の湖に14勝1敗で並ばれたが、吊り出された時に北の湖の足の状態が不完全であることに気付いて立てた作戦が優勝決定戦で見事に決まり、北の湖を右からの上手出し投げで下し、幕内初優勝を果たした。千秋楽の大相撲中継視聴率は52.2%、千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、現在でも大相撲中継の最高記録となっている(ビデオリサーチ調べ)。九重は千代の富士の優勝で一番思い出に残る取組にこの優勝決定戦を挙げており、塩沢実信のインタビューでは「やっぱり、初優勝の時ですね。北の湖との本割で敗れて、そして優勝決定戦。あの二番は忘れられません。大関に昇進、横綱に昇進という時は、感激が大きすぎてピンと来ないもんなんです。初優勝した時は、千代の富士の姿を見て涙が出ましたから」と語っていた。当時のフィーバーについて後に千代の富士本人は「若貴ブームは2人で作った数字だけど、ウルフフィーバーは俺1人だからね(笑)。どれだけすごかったことか」と冗談交じりに語っていた。場所後に千代の富士の大関昇進が決定した。

新大関で迎えた3月場所は11勝4敗、5月場所は13勝2敗と連続して千秋楽まで優勝争いに残り、横綱昇進が懸かった7月場所には千秋楽で北の湖を破って14勝1敗の成績で2度目の優勝を果たした。7月場所後の横綱審議委員会ではわずか10数分の審議で「歴代横綱に比べてそん色がない」との考えで委員が一致し、満場一致で横綱推薦を決めた。この千秋楽の取組では千代の富士が立合い、得意の左前ミツを取って頭をつけた。北の湖が左をのぞかせ、右からおっつけたが、千代の富士は土俵際、回り込んで右の前ミツも取ると、右上手出し投げで北の湖の体を泳がし、そのまま寄り切った。この一番は、それまで7年横綱に君臨し、22回の優勝を数える北の湖がこの一番に敗れ優勝を逃した後は、引退までの3年半は(それまで一度もなかった)休場が増え、優勝も2回にとどまることとなり、勝って横綱を手にした千代の富士との覇者交代の一番と位置付けられる。非常に劇的な瞬間に、千秋楽審判委員として土俵下に控えていた当時の九重親方(北の富士)は勝負が決まった瞬間手で涙を拭った。この日のNHK大相撲中継の視聴率は2017年3月場所終了までの記録で夏場所としては第3位となる36.5%と盛り上がった。横綱昇進の際「2代目・千代の山」の襲名を打診されたが「今の横綱2人分(千代の山+北の富士=『千代の富士』)の四股名の方が強そうだから」と述べ固辞。千代の富士の大関・横綱昇進伝達式の際には、北の富士と、北の富士の配慮で先代九重親方の未亡人が同席していた。横綱昇進伝達式では「横綱の名をけがさぬよう一生懸命がんばります」と口上を述べた。横綱土俵入りは九重と同じ雲龍型とし、当初は先代九重の化粧廻しを使用する意向を示した。なお横綱昇進にあたって横審からは「長続きする横綱に」との注文がついた。

新横綱となった同年9月場所の2日目、ライバルと言われた隆の里との取組で場所前から痛めていた足を負傷し、新横綱が途中休場という憂き目を見る(新横綱の休場は昭和以降では武蔵山・吉葉山に次いで3人目)。新横綱の期待が一転し、一部に「不祥事」「短命か」などの批判もあった。しかし、同年11月場所では12勝3敗の成績で朝汐との優勝決定戦を制して横綱としての初優勝を飾ることで復活を見せた。なお、この場所も14日目に隆の里に敗れ、隆の里はその後も千代の富士の天敵と言えるような存在で千代の富士を長く苦しめた。対隆の里戦の通算成績は12勝16敗で、下位力士(関脇~大関時代の隆の里)相手に8連敗という不名誉な記録も作っている。

1981年は、同一年中に関脇・大関・横綱の3つの地位で優勝するという史上初の記録を達成した。関脇から横綱へ一気に駆け上がるとともに新横綱での挫折、翌場所の復活優勝と、1981年は千代の富士にとって激動の1年であった。一気に大関・横綱への昇進を決めた1年間は「ウルフフィーバー」の年として記憶されている。細身で筋肉質な体型と精悍な顔立ち、そして豪快でスピーディな取り口から若い女性や子供まで知名度が高まり、一種のアイドル的な人気を得た。千代の富士の取組にかかる懸賞の数は他の力士に比べて圧倒的に多く、懸賞旗が土俵を数周してもまだ余る状態だった(大抵の場合3周以上していた)。スピード昇進だったことから、千代の富士が関脇や大関として登場した広告などの記録は、大関時代に『テレビマガジン』における永谷園「味ぶし」の宣伝に登場した例があるものの少ない。

1982年は3~7月の3場所連続優勝を達成し、初の年間最多勝を記録した。しかし横綱昇進後の最初の3年間は強い時は強いが頼りない部分も見受けられ、1982年7月場所後の『読売大相撲』では「ウルフV3はしたけれど……ひどい、低調しらけ場所」という総評が出されるなど周囲の崩れに助けられたという意見もあった。1983年は1月場所は11日目に朝潮に敗れ、前場所からの連勝が24で止まり、終盤に崩れて優勝を逃した、3月場所は初の全勝優勝を遂げたが、場所後の巡業中に左肩を亜脱臼。そのため5月場所は全休。7月場所は千秋楽に隆の里との相星対決に敗れ、9月場所は千秋楽、この場所新横綱の隆の里との全勝対決となったが、吊り出しで敗れた。11月場所は初日に大ノ国に敗れたものの、勝ち進み、千秋楽は3場所連続で隆の里との相星決戦となり、この場所は隆の里に勝って、1年ぶりの優勝を決めた。1984年は年明けから振るわず、1月場所は朝潮に連勝を20で止められ、千秋楽は4場所連続で隆の里との相星対決となったが、敗れて優勝を逃した。3月場所は右股関節捻挫で中日から途中休場。同年5月場所は2年ぶりの優勝を目指す北の湖から一方的な寄りを受けて敗れるなど11勝4敗に終わった。同年7月場所は左肩の脱臼で全休。同年9月場所は入幕2場所目の小錦の突き押しにあっけなく敗れ、同年11月場所は1年ぶりに優勝したが、翌年は30歳を迎えるという年齢的な面から「千代の富士限界説」が流れた。

しかし、千代の富士にとっての本格的な黄金時代は30代に入ってからだった。両国国技館のこけら落としとなった1985年1月場所は全勝優勝を果たして幸先良いスタートを切る。5月場所から廻しの色を青から「黒」に変え、この年には史上3人目となる年間80勝を達成、3年ぶり2度目の年間最多勝にも輝き、「限界説」を一蹴して「千代の富士無敵時代」がやってきた。1986年1月場所に天敵・隆の里が引退し、同年3月場所から7月場所までの番付は千代の富士のみの一人横綱となり(7月場所後に北尾が横綱昇進し一人横綱は3場所で解消)、1986年5月場所から1987年1月場所までは5場所連続優勝を達成した(1986年も2年連続3度目の年間最多勝となるが、これが自身最後の同受賞)。

1987年前半は1月場所は双羽黒との優勝決定戦を制し、優勝20回の大台と5連覇を達成し、3月場所は大鵬以来となる6連覇が懸かったが、8日目まで3敗を喫し、最終的には11勝4敗で優勝を逃した。続く5月場所も10勝5敗に終わるなど崩れ、千代の富士時代は終わりに近づいたとの声も出て「次の時代を担う力士は誰か」というアンケートも実施された。しかし1988年5月場所7日目から11月場所14日目まで53連勝を記録してそんな声を打ち消し、他を寄せ付けない強さで昭和末期から平成初期にかけての「千代の富士時代」を築き上げた。昭和最後の取組となった11月場所千秋楽で大乃国に破れ連勝を止められたが、53連勝は昭和以降の記録としては2020年7月場所現在、双葉山(69連勝)、白鵬(63連勝)に次いで歴代3位の記録となった。

1989年1月場所も優勝候補筆頭だったが、8日目に寺尾に敗れて以降は優勝争いから後退、11勝4敗に終わる。4年4ヶ月ぶりに西正横綱として登場した同年3月場所は初日から他を寄せ付けない強さで、14日目に大乃国を破って優勝を決めたが、この一番で左肩を再び脱臼したことで千秋楽が不戦敗となり、表彰式では左手首にテープを巻いて腹に固定して登場、右手のみで賜杯を手にした。

さらに、1989年6月には、2月に生まれたばかりの三女・愛がSIDS(乳幼児突然死症候群)で生後わずか4か月足らずで死去した。自身や家族が受けた精神的ショックは計り知れず、師匠・九重でさえも「もう相撲は取れないのではないか」と思われるほどだったという。しかし直後の7月場所は首に数珠を掛けて場所入りし、12勝3敗の成績ながらも千秋楽の優勝決定戦にて同部屋の弟弟子・横綱北勝海を下して優勝を果たした。この優勝決定戦では2人は仕切りでほとんど目を合わせなかった。立ち上がって北勝海が右ノド輪で攻めたが、千代の富士は左おっつけから差し手争いに持ち込み左四つがっぷりの体勢になった。千代の富士は北勝海が再三右上手を切りにくるのも構わず、出し投げ気味のタイミングのいい上手投げで、28回目の優勝を決めた。この優勝に際して千代の富士は「優勝できて、愛のためにいい供養ができた」とコメントした。同年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し、同年9月28日に大相撲で初となる「国民栄誉賞」授与が決定した。この日は先代九重(千代の山)の13回忌が行われた日でもあり、千代の富士は「苦労をかけた師匠に良い報告ができます」と言った。翌9月29日に首相官邸において、内閣総理大臣・海部俊樹から賞が授与された。協会は一代年寄「千代の富士」を満場一致で承認するが、本人は九重とも相談した上で辞退している。

1990年1月場所に優勝回数を30の大台に乗せた。同年3月場所の7日目には花ノ国戦に勝利して前人未踏だった通算1000勝の大記録を達成した。同年5月場所と7月場所は旭富士に優勝を奪われ、旭富士の横綱昇進の引き立て役にもなった。夏巡業で左足を痛めて同年9月場所を全休、35歳という年齢から引退を囁かれたが、同年11月場所に復帰して4横綱の中で14日目に31回目の優勝を決め、同時に北の湖と並び史上1位タイとなる幕内通算804勝目を上げて貫禄を見せ付けた。

1991年1月場所初日に幕内通算805勝目を挙げ、当時の大相撲史上単独1位(2020年7月場所終了後現在では史上3位)の記録を達成したが、翌日の逆鉾戦で左腕を痛めて途中休場。翌場所も全休した。復帰場所となった1991年5月場所は初日に新鋭・貴花田(のち貴乃花)と対戦。貴花田との対戦は5月場所に出場した目的でもあったが、まわしが取れず頭をつけられて寄り切りで敗れた。この時点では引退を否定、翌日の板井戦は勝利したものの納得いく相撲とはほど遠かった。「もう1敗したら引退する」と決意して3日目の貴闘力戦に挑んだが、現役時代で唯一となったとったりを受けて完敗。その日の夜に九重部屋にて緊急記者会見し、現役引退を表明した。会見では冒頭に「体力の限界・・・、気力もなくなり、引退することになりました」と述べた。引退理由として「最後に貴花田と当たってね、若い、強い芽が出てきたな、と。そろそろ潮時だな、と」と貴花田戦の衝撃を挙げた。

日本相撲協会は理事会で功績顕著として全会一致で一代年寄を認めたが、将来的に九重部屋を継ぐことが決まっていたため、同じ九重部屋に所属していた16代・陣幕(元前頭1・嶋錦)と千代の富士自身が所有していた年寄・八角の名跡交換を行い、17代・陣幕を襲名し九重部屋の部屋付きの親方となった。

あと1回優勝すれば大鵬の優勝32回に並ぶところでの引退であり、巷では引退を惜しむ声が高かったが、九重は塩澤実信からのインタビューで「そりゃみんなそう言うし、本人もできればもう一度優勝して辞めたかったんだろうけど、しかし僕は『記録は31回も32回も一緒だ。記録にこだわっちゃいかん。辞める時が大事だ』と言ったんです。そういう意味じゃ、僕も納得したし、千代の富士本人も納得したいい辞め方だったと思います」と答えている。

千代の富士の引退相撲・断髪式は1992年1月場所後に行われた。その様子はTBSテレビで放映された。

1992年4月に師匠の12代・九重(元横綱・北の富士)と名跡交換し13代・九重を襲名、九重部屋を継承した。しかし、まもなく前師匠である陣幕(12代・九重)との考え方の違いなどもあり、1993年弟弟子の八角(元横綱・北勝海)が10月に九重部屋から独立し八角部屋を創設する際、陣幕を含む部屋付の年寄全員が同部屋に移籍することになった。さらに、施設も旧九重のものを継承し九重の方が部屋を出て行く形となった。このため、九重は自宅を改装して部屋を新設した。現在の九重部屋は「大横綱・千代の富士が師匠の相撲部屋」という色を前面に打ち出した部屋になっている。

引退後、2010年5月場所まで毎場所に渡って中日新聞に「一刀両断」と題した相撲解説コラムを連載していた(系列紙の東京新聞には「ウルフの目」というタイトルで掲載)。注目した取組や力士に関する独自の解説、相撲界への提言、優勝力士の予想など幅広く執筆していた。優勝力士予想については千秋楽当日でも当たらない場合があった。しかし、親方業の傍ら執筆しているために自分の部屋に所属する力士の情報なども詳細に語られ、新聞の相撲担当記者が書いた記事とは違った魅力がある。晩年には力士の稽古不足・下半身の強化不足を主張し続けた。

部屋の千代大龍の証言によると、部屋の師匠としては自身が突き押し力士に苦戦した経験から突き押しが相撲の中で一番強いと信じており、事実弟子は多数突き押し力士が関取として育っている。稽古場で厳しく、相撲を取る稽古でも立合いの当たりが悪かったりいきなり胸から当たって廻しを取るとやり直しを命じられたが、技術面は口を出されなかったと証言している。

日本相撲協会では、1994年に武蔵川と揃って役員待遇に昇格し、審判部副部長を務めていたが、評議員が少ない高砂一門に所属しており、さらに一門内でも外様出身であるため、理事に立候補することが出来ずにいた。また、1998年に弟弟子の八角が格上の監事に就任したり、また、長く審判部副部長を務めているのにもかかわらず、理事が務める審判部長には二子山・押尾川・放駒と大関止まりの理事が3代続いて九重を超えて就任していて、「副部長を務めている」と言うより「部長に昇進できずにいる」という印象が強かった。

しかし、2007年半ばより始まる朝青龍のトラブルや時津風部屋力士暴行死事件で角界が大揺れの中、一門代表の理事・高砂が朝青龍の師匠として責任を問われたことにより2008年2月からようやく理事に就任し、広報部長・指導普及部長を務めた。審判部の職から離れたことでNHKの大相撲中継の解説者として登場することが可能となり、2008年3月場所8日目には15年ぶりに正面解説席で幕内取組の解説を務めた。また、直後の5月場所から東京場所限定でファンサービスの一環として、親方衆による握手会を開催して先着100名に直筆サイン色紙をプレゼントした。その後は日替わりで玉ノ井・高田川とともに日本相撲協会のキャラクターグッズを先着100名にプレゼントをした。

その直後の理事選挙には、高砂一門から立候補して当選を果たし、新弟子検査担当・ドーピング委員長を兼任する審判部長に就任した。理事長が放駒に代わった後の体制では巡業部長を務めている。2010年9月場所7日目に正面解説席で解説を務め、この日に自身の連勝記録(53連勝)を超えた白鵬を支度部屋で祝福した。

2012年の理事改選で再選されるが最下位当選。しかし、改選直後の理事会において、貴乃花とともに北の湖の理事長就任に尽力したことから、論功行賞により2月の職掌任命において、事実上のナンバー2である事業部長に就任した。9月に雷理事が辞任したことを受けて、総合企画部長と監察委員長も兼任。

北の湖が腸閉塞のため2014年1月場所・初日から7日目までを休場する中で理事長代行を務める運びとなり協会あいさつも担当。あいさつとして「大関稀勢の里が休場致し遺憾に存じます」と述べる。

2014年の理事改選では最下位である5票しか獲得できず、11人の候補者中唯一の落選となった。現職の事業部長の落選は史上初であったが、理事・九重への悪評は「豪傑すぎる言動」として常時指摘されており、件の理事選で高砂一門が八角を第1候補に擁立していたことからも、驚きをもって迎えられることはなかった。同年4月の職務分担では委員に降格。友綱(元関脇・魁輝)のように前期に理事を務めた年寄が次の職務分担で委員に降格する例が過去にも存在するが、前期の年寄序列と現役時代の実績を考えれば左遷や冷遇と呼べるものがあった。育成面では大関に昇進した千代大海の他に千代天山、千代鳳、千代丸、千代大龍、千代の国、千代翔馬らを育てている。大鵬以降の一代年寄で現職中に弟子が大関に昇進した親方は2016年時点では九重ただ一人である(ただし前述の通り、一代年寄は辞退している)。

2015年6月1日、還暦(60歳)を迎え、前日の5月31日に両国国技館にて、北の湖以来2年ぶり10人目の還暦土俵入りを行った。土俵入りの露払いを日馬富士が、太刀持ちを白鵬が務めた(いずれも当時横綱。両者ともに現役横綱が務めるのは初)。

この還暦土俵入りに際しては、太刀持ちの袱紗、また新調した赤い綱の御幣(これまでは白色)も赤色にし、記念パーティーの羽織ひもも赤にするというこだわりを見せていた。

2015年7月に「内臓疾患」として7月場所を全休。同年9月場所で復帰した際に、同年6月の定期検診でがんが見つかっていたこと、膵臓がんの手術を受けていたこと、約1か月入院して7月末に退院していたと9月13日(同場所初日)に自ら述べた。7月20日頃には、周囲に「ありがとね」と感謝の言葉を口にした。

2015年11月20日夜に北の湖ががんによる多臓器不全のため死去した際は、翌11月21日に出演したNHKの大相撲中継番組で、1981年1月場所に北の湖を下して幕内初優勝を達成した優勝決定戦のVTRを見て「自分が本当に勝ったのか…という状態だった」と述懐。さらに、「きのう病院に運ばれたことは聞いていたが、その何時間後にまさか…」「自分たちの世代は全員(横綱北の湖は)大きな壁で大きな目標だった。それを超えないと何にもならない。そういう意味で偉大な人だった」と目を涙で潤ませながら語り、急死した北の湖を悼んだ。

2016年に入ってからがんが再発。胃や肺などに転移しており、鹿児島県などで放射線治療などを受け続けていた。2016年3月場所のころからは急激にやせ細った。2016年7月場所では名古屋市内の九重部屋宿舎でやせた姿で弟子の指導に当たっていたが、同場所4日目の7月13日からは体調不良を訴え休場し、帰京して入院していた。7月場所3日目には監察の部屋で「きついなあ、きついよ」と言って机に突っ伏しており、同じ監察委員として九重親方の側にいた武蔵川(元横綱・武蔵丸)は「そんなこと言う人じゃなかったから、びっくりした」と語っている。

【訃報】元横綱・千代の富士 - 「ウルフ」の愛称で親しまれる (2016年8月1日)

2016年7月31日17時11分、膵臓がんのため、東京大学医学部附属病院で死去。61歳没。次女の秋元梢が同日夜に、「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と報告した。

8月1日には12代九重の北の富士が弔問し、「穏やかな表情だった。やっぱり、千代の富士らしい顔でね。ご苦労さんしかないでしょう」「千代の富士とは縁もあって、横綱になってくれて先代に面目が立った」と語った。

同月6日には通夜、7日には葬儀・告別式が九重部屋で営まれた。弟弟子である八角理事長や読売ジャイアンツ前監督(当時)の原辰徳、歌手の細川たかしら約1000人が参列した。また、交友のあった阪神タイガース二軍監督(当時)の掛布雅之や1989年に国民栄誉賞授与を決めた当時の内閣総理大臣である海部俊樹らから弔電が寄せられた。

戒名は「千久院殿金剛貢力優梢禪大居士」(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)。

10月1日には「第58代横綱千代の富士 お別れ会」が国技館で行われ、故人と親交のあった関係者約1500人が参列、一般ファンによる献花には約3500人が長蛇の列をつくり故人を偲んだ。弔辞を読んだ友人の松山千春は、故人の半生を描いたドラマ『千代の富士物語』(1991年・1992年にフジテレビにて製作・放送)の主題歌で自身の楽曲「燃える涙」を熱唱、最後に「千代の富士〜!」と絶叫して追悼した。

日本政府は生前、力士および年寄として相撲界の発展に尽くしたことや、昭和を代表するスポーツ界のヒーローとして一般大衆への認知度が高いことなどを踏まえ、死没日となる7月31日付をもって、秋元貢を従四位に叙し、旭日中綬章を追贈することを、同年8月24日の閣議において決定した。

2020年8月26日、自身の優勝額が9月8日からJR両国駅西口の改札内に設置されることをJR東日本が発表した。同駅に飾られている優勝額では14年3月以来の設置で三重ノ海、2代目若乃花、武蔵丸、白鵬の4横綱に続いて5枚目になる。設置を記念して、9月場所初日の9月13日から駅構内で記念展が開催されることも決まった。設置日までに除幕式が行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により関係者のみで行われた。

2022年4月19日、Twitterのあるユーザーが千代の富士の写真を2枚添えて「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね? 無知ですみません」と投稿すると、秋元梢が「うちの父です ありがとうございます」と反応し、これをきっかけに話題が広がり、「千代の富士」がこの日のトレンドワードとなった。

歴代3位・通算31回の幕内最高優勝を果たしたほか、歴代3位の通算勝利数(1045勝)と同3位の幕内勝利数(807勝)、1988年5月場所7日目から同年11月場所14日目までの53連勝(取り直し制度導入後歴代3位)など、数々の栄光を手にした史上有数・昭和最後の大横綱である。小兵ながら速攻と上手投げを得意にして一時代を築いた。しかも、一直線にのぼりつめたエリートではなく、二度も平幕と十両を往復した苦労人である。

体格で上回る力士との差を埋めるために土俵上では凄まじい集中力を見せ、本場所で負けた相手に対しては相手の部屋に出向いて稽古、攻略法を身につける努力家。廻しを緩まぬようにきっちり巻くことにより、四つに組み相手の指が廻しにかかっても腰の一振りで払いのける、など体格差を感じさせない取り口で、全盛期に見せた相手の頭を押さえるような独特の上手投げは、「ウルフスペシャル」としてつとに知られた。このウルフスペシャルは「横綱になったら勝った相撲は新聞に載せてもらえない。それなら勝っても取り上げてもらえるような相撲を取ろう」という思いから編み出されたという。鍛え抜かれた腕力を生かした廻しの引きつけには驚異的なものがあり、重い相手も腰を浮かせた。また、体の芯が異常に強く、常に軸がぶれずに堂々とした相撲を取った。自身が得意とした前ミツ相撲は輪湖時代の四つ身時代へのアンチテーゼとも言われた。

十両以上では41種類の決まり手で937勝を挙げ、勝った決まり手は寄り切りが最多で391勝、2位が上手投げで169勝。逆に負けは29種類の決まり手で373敗。最多は寄り切りで131敗、次点が吊り出しの76敗。決まり手から腕っ節の強さと軽量の弱さが窺える。

元々力任せな投げを武器としていただけあって腕力に長けており、1981年2月の測定では左の握力が92kg、右が89kgを記録した。同じ測定で千代の富士の記録を破ったのは北天佑ただ1人であり、全盛期は100kg近くの握力を誇った出羽の花も3位に甘んじていた。左前褌を取る稽古を積み重ね、本場所の取組でも左前褌を取ることを徹底したことから、左手小指の爪は常に切る必要がないほど擦り切れていた。

横綱土俵入りは四股も美しく、全体として気合の入った土俵入りでかなり上手い。重い横綱を付けた状態で上げた足が頭より高い位置に達するのは、千代の富士のほかにはあまり例がない。また取組前の入場時には両手で下がりを持ち、制限時間いっぱいになった時には、頭を下げて廻しを右手で叩いてピンク色のタオルを受け取り、必ず左右の腋の下の後に顔面の汗を拭くなど、几帳面に見えるほど礼儀作法を重んじている。

立合いの踏み込みの鋭さは歴代屈指のもので、短距離走のスタートにも例えられた。この鋭い立合いがすぐに得意の左廻しを奪うこと、重みに優る相手にも当たり負けしない強さを可能にしていた。休場明けの場所に強いことも特徴で、実に6度も休場明けの場所で優勝している。特に30代に入ってからが顕著で、休場の度に限界がささやかれながらも翌場所に優勝して不死鳥とも言われた。

対戦相手の1人であった小錦は後に「今の時代(令和期)相撲を取ったら多分60回ぐらい優勝してるんじゃないかな」と評価している。

その強さもさることながら、均整のとれた筋肉質の体格(183cm・126kg、体脂肪率10.3%)、たくましさ漂う風貌でも人気を集めた。幕内から大関、横綱へ一気に昇進してからは絶大な人気を誇った。相撲協会診療所の林盈六医師は「筋肉質というのは、生まれつきの体質なんですね。骨が太いから、筋肉が余計についている。毎年2月に全関取を測定していますから分かるんですが、レントゲン写真でも千代の富士は明らかに骨が太い。それに引き換え、アンコ型の力士というのは骨が細いんです。胸部撮影で鎖骨の写真なんか見ると、それがよく分かります」「そして素晴らしい点は皮下脂肪がついていない。十両以上の力士で千代の富士は一番少ない。あの痩せている大旺よりも、なお皮下脂肪が少ないんですからね。測定した数字で言えば上腕が9mm、背中が10mm、腹が9mmなんです。これを幕内力士の平均数値、各15mm、20mm、20mmと比べて見れば分かって頂けるでしょう」と1981年2月の検査について分析して絶賛していた。

現役時代のある時、巡業で自分より40㎏も重い力士に稽古土俵で胸を出したら、胸に当たった力士の頭が割れた、というエピソードがある。琴風も千代の富士の胸に頭から当たると稽古後にリンパ腺が腫れて痛くなり、千代の富士が出稽古に訪れていた時期(1980年代当時一門外への出稽古は珍しかった)は毎日湿布していたと回顧している。

ボディビルダーの遠藤光男は「「千代の富士さんはボディビルの世界大会でも優勝できたのではないですかね。肩の三角筋の厚みと上腕二頭筋が素晴らしい」と千代の富士の筋肉を評価している。そんな遠藤は現役時代の千代の富士に「コの字型で、ドアの取っ手の大きいようなもの」という現在のプッシュアップバーの原型となる自らが考案した木製器具を勧めたことがある。遠藤によると千代の富士の体質は元々「生まれつき筋肉質で脂肪が少ない。体重増加のためには筋肉量を増やすしかなかった。他の力士のように“食っちゃ寝”しても体重は増えず、むしろ筋肉が衰えて体が小さくなってしまう」とのことで、ウエイトトレーニングを重ねることで後に大成に繋がった。

同世代の大関であった朝潮は「とにかく気が強くて感情の起伏が激しく、よく泣く。後年、師匠の北の富士さんが、『朝青龍にそっくりだよ』と言っていたものです。千代の富士は、口にする言葉は荒っぽかったかもしれないけれど、けして中身はそうじゃなかった。よくも悪くも、この世界でしか生きられない――相撲界だからこそ、その存在がいきた人だった」と千代の富士を評している。

岳父は玄洋社記念館館長、玄洋ビル社長を務めた進藤龍生。妻は進藤喜平太(第2代・第5代玄洋社社長)の曾孫で、進藤一馬(第十代玄洋社社長、元福岡市長)の姪孫。次女はファッションモデルの秋元梢で、その夫は俳優の松田翔太。他に長男の秋元剛と長女の秋元優(梢の兄と姉)も同じくファッションモデルとして活動している。上述の通り、梢の妹に当たる末娘もいたが、生後4か月で死去した。梢が結婚したのは、千代の富士の没後ではあるが、梢の夫の松田翔太の父親は俳優の松田優作、母親は松田美由紀、美由紀の姉(翔太の伯母)は熊谷真実であり、千代の富士とは親戚関係となる。

出身地や卒業した小学校とも千代の山と同じで、これは非常に珍しいケースで他に例がない。故郷の福島町には横綱千代の山・千代の富士記念館があり、千代の山と千代の富士の土俵入りの様子をモデルにした銅像がある。

晩成型で最年少記録の類とは無縁であるが、19歳で新十両、20歳で新入幕と出世は早く、新入幕からしばらくは「幕内経験をもつ最若年者」の地位を保っていた。

1978年ごろ、元恋人が借金を抱えていたこと、梶原一騎らの誘いを受けていたことからプロレス転向を考えていたが、プロレスでも肩を壊せば脱臼だけでなく左腕切断の危険性もあり、これは思いとどまった。

「入幕後、幕下まで陥落」「三役昇進後、十両まで陥落」という経験を併せて持つことは、後の大横綱としては極めて異例。

尊敬する力士として貴ノ花を名を挙げている。新入幕後に十両から幕下で低迷してしまいやけになって煙草の本数が増え、一時は1日3箱も吸うヘビースモーカーとなったが、貴ノ花から禁煙を勧められたことに「尊敬していた大関がそんなに自分の事を心配してくれているのか」と感激し、50万円のダンヒルの金のライターを隅田川に投げ捨て、さらにあめ玉を使って禁煙を果たした。これがきっかけで体重が増え、後の横綱昇進につながった。後に喫煙に関しては「喫煙大関はみんな禁煙すれば横綱になれた」と自身の経験を元に冗談交じりに語っていたとも伝わる。

脱臼癖に苦しめられてきた千代の富士であったが、一方では脱臼が大成の一助になったという見方もある。玉ノ海は「若い頃は軽量のくせに相手を引っ張り込んで、天井を向いて上手投げにいく『身の程知らずの相撲取り』だった」と語っている。そのような大きな相撲から前廻しを引き、頭をつける体格にマッチした取り口に変わっていったきっかけは、少しでも脱臼のリスクを軽減するためだった。この相撲が完全に身につき、大関・横綱に進むことができたことから、九重は「脱臼が千代の富士という大横綱を作った。前のままの相撲なら陸奥嵐のような存在で終わったかも知れない」と語っている。千代の富士自身も「もう少し早く、この相撲の取り方に気付いていたら、もっと早く横綱になれていた」と語っている。

横綱に上がる頃、稽古場で肩を脱臼したにもかかわらず直後にその場で高速で300回の腕立て伏せを行い、そこから10番程度稽古した。琴風は参与時代に「脱臼したら普通は安静にするものだと思ってたけど、どこか常識を突き抜けているというか……。それだけ勝負への、白星への貪欲さがあった。そうじゃないと横綱にはなれなかったのでは?と思うんだよね」と語っている。

平幕時代苦手にしていた力士が琴風で、鋭い当たりと一気の出足に苦しんで初顔合わせから5連敗したが、出稽古で克服して6度目の対戦では初勝利を挙げ、その後は逆にカモにする(通算で千代の富士の22勝6敗)。ある日、佐渡ヶ嶽部屋での三番稽古の際に琴風の右指が大きく裂けるケガをしているが、琴風本人は裂けた瞬間全く気がつかなかったという。「打倒琴風」を胸に琴風との出稽古を開始した千代の富士は「がっぷりになる前に十二分の力を出せるように」と速攻相撲の体得に取り組み、見事果たした。横綱昇進して3年ほど経つまでは琴風との三番稽古を度々行い、これが双方の地力強化につながった。琴風自身も、「千代の富士関には勝てなくなったけど、(千代の富士関と)三番稽古をしたおかげで私も大関になれました」とコメントしている。

隆の里については千代の富士曰く「裏の裏をかかれる」。大関から横綱にかけて8連敗するほど苦手にしていた。通算でも13勝18敗(十両1勝2敗、幕内12勝16敗)と負け越しており、隆の里に負けたことで優勝や全勝を逃した場所が多かった。特に1983年7月場所から1984年1月場所にかけて4場所連続で勝った方が優勝という千秋楽相星決戦を行い1勝3敗を記録、この間に隆の里は横綱に昇進し、新横綱だった9月場所では全勝決戦を制して15日制で唯一の新横綱全勝優勝という偉業を成し遂げている。

向坂松彦との共著『私はかく闘った 横綱千代の富士』

隆の里の証言

「私は、五六年初場所の同点優勝で、千代の富士関が北の湖さんを破ったときから、次の天下を取るのは千代の富士とにらんだんです。その日から、千代の富士の相撲のデータを集めました。自分が上位に上がるためには、王者になる千代の富士を破らなければいけないと考えたんです。」 「データは、本場所のビデオはもちろんのこと巡業中の千代の富士の稽古、それに千代の富士の物の考え方が知りたくなりまして、趣味嗜好や横綱の読む本まで調べたものです。巡業中は、なるべく千代の富士関のそばに明け荷を置いて、暇なときに何をするか観察したものです。そうして集めたデータから、今場所の千代の富士は、どう攻めてくるか作戦を練ったものです。」 「大事な一番で顔を合わせるときには、二、三日前から、二四時間、一緒に生活している気持になって相手の出方を考えたものです。」 「私にとっては、千代の富士関は、最大のライバルでした」                                               (110ページ)

同書で、向坂から隆の里の自身への対策の数々について知らされた千代の富士は「うーん、これでは当然研究負けだね。こっちはそこまでは考えてなかったもの......」と唸っている。

小錦についても上述の1984年9月場所の初対戦では完敗している。当時不振が続いていた千代の富士は目が覚めたかのように、場所後に「小錦対策」として高砂部屋に出稽古を開始し、翌場所から対小錦戦で8連勝を記録(通算でも20勝9敗)。

北尾(のち双羽黒)についてもやや苦手にしており、幕内取組成績は千代の富士の8勝6敗(ほか優勝決定戦で2勝)。ただし、優勝が懸かった一番は全て千代の富士が制している(千秋楽相星決戦2回、優勝決定戦2回)。1987年11月場所後、双羽黒は師匠・立浪親方(元関脇・安念山)らとの衝突の末24歳の若さで廃業したが、千代の富士は現役引退後の著書で「もし双羽黒が廃業せずに現役を続け、さらに力を付けて来ていたら、その後の私の相撲人生は全く違っていたかも」と記していた。

このように、本場所で負けた相手に対して出稽古や巡業で相手の攻略法を見つけるほか、横綱になってからは若い力士に率先して稽古をつけていた。特に前場所負けた相手に対して巡業では積極的に稽古に狩り出した(安芸乃島、琴錦、両国など)。

しかし、横綱昇進後には同じ力士に対して滅多に連敗しないと言われたが、隆の里以外には小錦に1987年1月場所 - 5月場所まで3連敗、小錦が初優勝した1989年11月場所 - 1990年5月場所まで4連敗している。

1年通して不振だった1984年には朝潮には1月場所から4連敗。北天佑には1月場所から5連敗(不戦敗を含む)している。全盛期でもカモにしていた大乃国や若嶋津・益荒雄に2連敗したことがある。さらに平幕だった安芸ノ島(当時)には1990年3月と5月に連敗し2場所連続で同力士に金星を配給(結局対安芸ノ島戦は千代の富士の7勝4敗で、4敗は全て金星)をしているなど、歯車が狂った時は意外な脆さを見せる所もあった。

8歳年下である弟弟子・北勝海信芳との稽古は毎回壮絶だったという。その甲斐もあって北勝海は1986年9月場所に新大関、その後1987年7月場所には第61代横綱へ昇進を果たし、幕内優勝を合計8回も達成した。さらに1989年7月場所では、千代の富士と北勝海で史上初の同部屋横綱優勝決定戦で対戦、千代の富士が優勝(しかし優勝決定戦後は二人共「今後は二度とやりたくない」と述べている)。北勝海本人は現役引退後「大将(千代の富士)がいたおかげで自分も横綱になれたと思う」と語っており、千代の富士の指導力・影響が如何に大きかったかを物語っている。事実、千代の富士が横綱昇進を決めた時は部屋の関取が千代の富士だけだったが、その後も北勝海を筆頭に、孝乃富士・巴富士が関取(共に最高位は小結)に昇進している。当の千代の富士本人も「北勝海は同部屋ながらも自身にとって非常に良いライバルだった。もしも稽古熱心な北勝海がいなかったら、自分の力士寿命はもっと短かったかもしれない」と語っている。

北勝海が横綱に昇進して同部屋に横綱が2人になったことで力士が2人を区別してどう呼ぼうかと思った際に、北勝海の提案で千代の富士を「大将」と呼ぶようにした話も残っているが、横綱となった身の者が先輩横綱という意味のみならず「ワンランク上の横綱」と見ていた存在感の大きさを現す逸話である。

2002年2月に行われた、元師匠の第52代横綱・北の富士勝昭の還暦土俵入りでは、太刀持ちを千代の富士、露払いを北勝海が務めた(ただし日本相撲協会を退職している北の富士は両国国技館が使えないので代わりにホテルイースト21東京を借りて披露した)。

2016年7月31日、千代の富士こと九重親方が61歳で病死した際、北勝海は、訃報の直後は衝撃が大き過ぎてコメント出来なかった。翌8月1日に北勝海は記者陣に対し「兄弟子でしたが、もう1人の親方という感じだった」と現役時代を振り返った後、「現役の頃から絶対に負けないという目で見ていたので治ると思っていた。(亡くなったのは)本当なのかという感じ」と驚きを隠せなかった。千代の富士に面会した最後は同年1月、高砂一門の会合が開催した焼き肉店で「何年か経って、二人で酒を飲みながら思い出を語りたかったのに…」と無念さをにじませている。

大乃国に敗れた「53連勝でストップ」の一番は連勝記録の方へ話題が行きがちのためあまり語られないが、実は「年間3回の全勝優勝」「3場所連続15戦全勝優勝」という史上初の快挙を逸する一番でもあった(2010年3月場所から7月場所にかけて、白鵬が達成した)。また、50連勝以上達成した力士のうちで横綱に敗れて連勝記録が止まったケースは千代の富士が唯一(双葉山、白鵬は平幕力士(いずれも後に横綱)に敗れている)。

引退時の通算勝利数1045勝と幕内勝利数807勝は、共に当時史上1位の記録だった。それから19年近く経過の後、魁皇が2010年1月場所3日目に幕内勝ち星を808勝、2011年7月場所5日目には通算勝利数を1046勝とそれぞれ更新されたが、その都度九重は直接「おめでとう」と祝福の言葉を掛けて握手を交わし、「(記録を)抜かれた寂しさは全然ない。これからの力士に励みになるようにどんどん記録を作って欲しい」とコメントしていた。なお魁皇は1047勝、幕内879勝まで延ばしたが、2011年7月場所10日目限りで現役引退。九重は魁皇の引退に「日々こつこつと踏ん張った成果が(通算)1047もの白星につながった。本人は完全燃焼以上だろう。(通算最多勝の)記録を抜いたと同時に心の芯や張りがなくなったのかも。長い間本当にご苦労様だった」とねぎらっていた。

初日から8連勝の中日勝ち越し回数は、通算25回。平成25年3月場所で白鵬に抜かれるまで最多。

年間最多勝の受賞は3回と、優勝20回以上の大横綱の中ではかなり少ない。これは千代の富士の横綱昇進後の休場がほぼ年に1場所程度のペースで均等に散らばっている(横綱在位中は連続休場は一度もない)ためであり、現に休場を除いた勝率ではその年1位という年度が多く存在する。同様の理由で連続勝ち越し場所数、連続二桁勝利場所数、任意の連続場所(10場所、12場所など)での勝ち星記録などでも実力に比例する記録は残していない。

横綱昇進が決まった日の夜、九重は千代の富士を自分の部屋に呼び、いきなり「ウルフ、辞めるときはスパッと潔く辞めような。ちんたらちんたらと横綱を務めるんじゃねえぞ」と言った。祝儀がもらえるのかと思っていた千代の富士はこの言葉に面食らったという。しかし、千代の富士の引退は正にこの言葉に従った潔いものとなった。これは、栃木山から言われた言葉を栃錦が千代の山に語り、千代の山から北の富士を経て、千代の富士へ受け継がれたものと言われている。

1991年5月場所が始まる前の最大の注目は、3月場所に幕内下位ながら終盤まで優勝争いに加わった貴花田(二代目貴乃花)と千代の富士の初対戦であった。何日目に対戦するかが話題となる中で、誰も予想しなかった初日に取組が組まれた。これは当時審判部長だった九重が「勝ち負けが全くついていない、まっさらな状態で対戦させたい」との思いからであったが、千代の富士はこの取組に敗れ、その2日後に引退を表明。ある意味、自らの師匠が招いた引退とも言える。貴花田に敗れた時点で実は千代の富士は引退も頭をちらつかせるほどだったが、そのことを伝えに九重のもとに行ったところ、九重は千代の富士を見るなり「先に廻しを取られたからなあ。まあ明日がんばれよ」と言った。このために気勢を削がれた千代の富士は引退の意思を伝えそびれてしまい、引退表明が3日目の貴闘力戦に敗れた後になったという。その千代の富士からついに引退の決意を伝えられた時、千代の富士と共に九重も思わず2人で男泣きしたという。

千代の富士が引退した1991年5月14日は午前中に信楽高原鐵道列車衝突事故が発生し、NHKでは断続的に事故に関するニュースを放送していた。しかし夜になって、千代の富士自ら九重部屋にて突如引退会見を行うことになったため急遽ニュースを中断、駆け付けた大勢のマスコミ陣の前で会見の生中継を行い千代の富士は「長い間、本当に皆様には大変お世話になりました。まああの(「月並な言い方ですが」と言うべきところを)月並な引退ですが…」と言った後、言葉を詰まらせながら目を赤くして、「体力の限界!…気力も無くなり、引退することになりました…以上です…」と振り絞るように発言し記者陣の目の前でハンカチで涙をぬぐった。後年千代の富士が自ら語ったところによると、1991年5月場所3日目の夜に九重から「明日、発表しよう」と言われたがその日の夜に『サザエさん』を見ていた際に額の上に自身の引退を報じる速報が確認され、そうして慌てて会見に臨んだという。ただ、ちょうど20年前の1971年5月14日には、大鵬も当時新鋭だった貴ノ花に敗れて引退を表明しており、大横綱と二子山部屋、藤島部屋が絡んでいる花田家には因縁がある。ちなみに、千代の富士が幕内初優勝を果たした1981年1月場所は、奇しくも貴ノ花(初代)が現役引退を表明した場所でもあった。

同年7月場所前、千代の富士改め陣幕は自ら土俵に立って若い力士に稽古をつけたが、あまりの充実ぶりに九重から「現役以上じゃないか。引退させるのは早かったな」と言われたほか、周囲からは「史上最強の新米親方」と評した人もいた。それから21世紀に入り、当時千代の富士の持つ通算勝星及び幕内勝星を塗り替えた魁皇も「余力を残して辞められた九重親方(千代の富士)と違って、こっちは必死こいてたどり着いた記録なので。とても比較にはならないし、申し訳ない」と謙遜するコメントを述べている。

引退相撲が行われた1992年2月1日はTBSで放送され、最後の横綱土俵入りでは露払いに引退直後の旭富士・太刀持ちには弟弟子の横綱・北勝海の両横綱を随行。大銀杏を切り落とす瞬間には大粒の涙を流していた。

ロンドンにある蝋人形館であるマダム・タッソーでは最近まで千代の富士の蝋人形が置かれていた。ウルフと呼ばれていたことなどが記されていた。現在はデックス東京ビーチ内にあるマダム・タッソー東京で展示されている。

部屋持ち時代は北海道福島町の夏合宿時の恒例行事として素潜りを開催し、自らは誰よりも早く海に行って、いの一番に海の幸を見つけていた。このことは2017年に日刊スポーツの絵日記企画に参加した弟子の千代丸が明かしており、千代丸もまた、5mから6mの素潜りはお手の物であるという。

弟子の千代大龍が網谷勇志との対談で証言したところによると、自分が禁煙して大成した経験から部屋の師匠としては部屋の現役力士の喫煙を認めず、見つけたらぶつかり稽古で引きずり回したという。ある時朝稽古の際に自身が稽古場に降りるなり他の弟子を土俵から退かし、前日の夜に喫煙がバレた弟子を朝稽古を土俵に立たせ、千代大龍に胸を出させる形でぶつかり稽古でしごいた。喫煙がバレた弟子はテーピングされた竹箒で引っ叩かれた(千代大龍の現役当時、角界は表向き角界から体罰を無くそうと宣言していたが、実際には体罰が無くなっていなかった)。一方で他のことは自由だったようで、例えば酒は弟子が泥酔状態で朝帰りしても、稽古さえきちんとすれば何もいなかった。

現役を引退した以降も現役時代ほどではないにしろトレーニングは継続しており、還暦土俵入りでは60歳とは思えない肉体美を披露し、周囲を驚かせた。

シンガーソングライターの松山千春とは同じ北海道(足寄郡足寄町)出身で、また1955年生まれの同級生で親友だった。千代の富士が現役引退後の1991年、フジテレビドラマ(花王ファミリースペシャル)「千代の富士物語」では松山自らエンディング・テーマ曲として「燃える涙」を製作。ほか1992年の引退相撲・断髪式や、満60歳を祝う還暦土俵入りのパーティー等にも出席していた。だが千代の富士は2016年7月31日に61歳で病死。通夜に参列した松山は記者陣に対して、「あれだけ屈強な男が、こんなに早く逝くとは…冥福なんか祈らない。棺の中から早く起き上がれ、と言いたい」と悔しがっていた。

父親は戦時中に広島市宇品(現南区)にあった旧陸軍船舶司令部(暁部隊)に所属しており、1945年8月6日敬礼の訓練中被爆し、救援活動で広島市内を奔走した。1991年に広島平和文化センターが制作した証言ビデオに被爆体験を寄せた。このため千代の富士は被爆2世である。

次女でモデル・タレントの秋元梢はモデルとして成功するまで父が千代の富士であることを正式には公表していなかったが、専属モデルや広告モデルに起用されるようになってからバラエティーで公表し、「二世タレント」としてバラエティーなどに出演しているが、相撲を知らず、さらに千代の富士の現役時代を知らない世代が中心の環境であり、千代の富士自身も現役時代から引退後を通じてバラエティ番組に出演した経験があまりないため、ほとんど本人の実力で芸能活動をしているといえる。なお、1988年5月場所に千代の富士が23回目の幕内優勝を果たし、千代の富士が天皇賜杯を抱いての記念撮影を行う際には賜杯と共に当時生後10か月の秋元を抱いて記念撮影を行い、実名を記載した報道機関もあったため(近年よく記念撮影で力士が子供と賜杯を抱いて記念写真に納まるというケースは、千代の富士が最初に行ったといわれている)、本人が正式に公表する以前も名前で推測される可能性はあった。

角界屈指のゴルフ好きで知られたが、元々は趣味としていなかった。休みの日は麻雀やファミコンに夢中の千代の富士に対して、九重(北の富士)が「健康的な休みを取らないとダメだ」と無理やりゴルフに連れて行ったことがきっかけだった。しかし初めてのゴルフのハーフで40台を出し、ワンラウンドを86で回って、九重のスコアより良かったことに「いやぁ、ゴルフっていいですねぇ!」とすっかり上機嫌になって九重のメンツは丸つぶれ、以後ゴルフにのめり込んだ。

ゴルフの他にもジグソーパズルを趣味としていた時期もあった。1986年4月から8カ月をかけて5146ピースもある古い世界地図が描かれたパズルを完成させたという。これが良い気分転換となってか千代の富士の土俵人生は絶頂期に突入し、特に1987年1月場所の辺りで最後の1ピースをはめて完成させた頃の相撲を見た当時の春日野理事長は「この相撲なら2、3年は大丈夫だな」と語ったそうだったが、その予測通りに2、3年間は全盛期に近い相撲を取り、4年後の1991年5月場所中に引退した。

1989年11月場所5日目の寺尾戦では、寺尾を後ろから高々と抱え上げて土俵上に叩きつけるような吊り落としを放って白星を収めたが、その激しい相撲ぶりからファンの間で論争が巻き起こり、当時一部では横綱としての品格を問う声まであった。だが2019年に寺尾はインタビューで「駄目押しと違って土俵の中で落とされるだけなので誰も怪我はしない」と受け入れる発言していた。

現役時代、九州巡業の船中で同室となった朝潮(7代高砂)に「オレは第2の千代の富士を作りたいんだ。それがオレの夢。千代の富士というしこ名を弟子に継がせたいんだ」と語ったという。最後に会ったのは2016年5月場所の初日で、監察室で「痩せたねえ」と声をかけたら、「健康管理のためにダイエットしてるんだよ」と強がって返してきたという。高砂は「治療してることも口に出さず、弱みを見せたくなかったのだろう。そうやって我を張って生きて、それが引退後はマイナスになった部分もあるかもしれないけど、我を張らなかったらアイツじゃない。千代の富士らしい生きざまを、最後まで貫いて、見せてくれたと思う」と記者に語っている。

横綱として全盛期を極めていた当時、テレビ番組、特に生放送の番組に出演することはまれであったが『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ)には1985 - 1987年まで3回、特別ゲストとして番組オープニングからエンディングまで出演している。これは当時の同番組司会者であり、千代の富士・九重との親交がある芳村真理の誘いを受けての出演だったと言われている。そのため、芳村が司会を降板した1988年以降は1回も顔を出していない。

数少ない5文字の四股名を名乗った力士であり、歴代横綱の四股名では千代の富士は唯一の5文字であり、文字数が最も多い。

千代の富士の銅像が横綱千代の山・千代の富士記念館(北海道福島町)、ちゃんこ千代の富士玄関前(東京都墨田区)、玉林寺(東京都台東区)の3箇所に建立されている。

引退後のある時、日刊スポーツの記者との会食で『俺は日刊が嫌いなんだ!』と言っていたが、マッコリをたくさん飲むと記者に対して笑顔を見せた。死去する前まで「三役が大関を、大関が横綱を目指すなら、もっともっと稽古をやらないと。『もっと』じゃないよ。もっともっと、だ」と語っていた。

永い大相撲史上、初めて前人未到の通算1000勝を達成した際、インタビューで記者から「次の目標は?」と訊かれ、笑顔で「1001勝です」と冗談を言うなど、剽軽な一面があった。

通算成績:1,045勝437敗159休(通算勝ち星は歴代3位)勝率.705

幕内成績:807勝253敗144休(幕内勝ち星は歴代3位)勝率.761

横綱成績:625勝112敗137休(横綱勝ち星は歴代3位)勝率.848

大関成績:38勝7敗 勝率.844

現役在位:125場所

幕内在位:81場所(歴代10位)

横綱在位:59場所(歴代3位)

大関在位:3場所

三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)

年間最多勝:3回

    1982年(74勝16敗)、1985年(80勝10敗)、1986年(68勝10敗12休)

    連続6場所勝利:83勝(1988年5月場所 - 1989年3月場所)

    通算(幕内)連続勝ち越し:11場所(1986年5月場所 - 1988年1月場所)

    幕内連続2桁勝利:9場所(1981年11月場所 - 1983年3月場所、1984年9月場所 - 1986年1月場所)

    幕内連続12勝以上勝利:5場所(1981年11月場所 - 1982年7月場所、1986年5月場所 - 1987年1月場所)

      通算連続勝ち越し・幕内連続2桁勝利・連続12勝以上勝利の記録については、大関及び横綱昇進を果たした1981年以降、年間全て皆勤した年が1982年と1985年の2年間に留まったため、歴代ベスト10には入っていない。しかし、初優勝を果たした1981年1月場所以降、大関・横綱時代に皆勤した場所で1桁勝利に終わった場所は皆無である。

      相星決戦出場経験が通算9回あり、この回数は史上1位である。対戦内訳は北の湖:3回、隆の里:4回、北尾(後の双羽黒):2回である。特に隆の里とは1983年7月 - 1984年1月まで4場所連続相星決戦による千秋楽結びの対戦となった。同じ対戦カードによる相星決戦が連続することは、他には輪島 - 北の湖(1976年11月 - 1977年1月)、北の湖 - 千代の富士(1981年5月 - 7月)、曙 - 貴乃花(1995年3月 - 5月)、朝青龍 - 白鵬(2008年1月 - 3月)があるが、いずれも2場所連続にとどまっており、4場所連続で相星決戦が実現したケースは、千代の富士 - 隆の里以外過去に例がない。

      千代の富士の最多連勝記録は、53連勝である。(1988年5月場所7日目 - 1988年11月場所14日目、昭和以降では双葉山、白鵬に次いで歴代3位、大相撲史上では歴代6位)

      下記に、千代の富士のその他の連勝記録を記す。(20連勝以上対象)

      上記の通り、20連勝以上7回、30連勝以上1回記録している。

      幕内最高優勝:31回(歴代3位)

        1981年(3回)1月場所、7月場所、11月場所

        1982年(4回)3月場所、5月場所、7月場所、11月場所

        1983年(2回)3月場所、11月場所

        1984年(1回)11月場所

        1985年(4回)1月場所、5月場所、9月場所、11月場所

        1986年(5回)1月場所、5月場所、7月場所、9月場所、11月場所

        1987年(3回)1月場所、7月場所、11月場所

        1988年(4回)5月場所、7月場所、9月場所、11月場所

        1989年(3回)3月場所、7月場所、9月場所

        1990年(2回)1月場所、11月場所

        全勝優勝:7回(北の湖と並んで歴代4位タイ)

        連覇:5連覇(1986年5月場所 - 1987年1月場所)

        場所別優勝回数(東京場所:13回(蔵前国技館:2回、両国国技館:11回)、地方場所:18回)

          初場所:5回

          春場所:3回

          夏場所:4回

          名古屋場所:6回

          秋場所:4回

          九州場所:9回(1981年 - 1988年まで8連覇)

          幕下優勝:1回(1974年9月場所)

          優勝決定戦に出場した6回は全て勝利し優勝している。北の湖との1回、北尾(双羽黒)との2回は本割に負けた後の再戦で、土壇場での強さを見せつけた。しかし双羽黒の強さは認めており、不祥事による廃業に関しては残念がっていた。決定戦での勝率ならびに決定戦での優勝回数はそれぞれ最高記録保持者。弟弟子の北勝海との優勝決定戦の経験もある。

          優勝回数31回は白鵬、大鵬に次ぐ記録で、全勝優勝7回も白鵬と双葉山・大鵬に次ぎ、北の湖と並ぶ第4位、53連勝も昭和以降では双葉山、白鵬に次ぐ第3位の記録である。また連続優勝5場所も歴代4位タイと堂々たる記録である。参考ながら九州で行われる11月場所では、1981年から1988年までの8連覇を含め9度優勝している。妻が九州出身なので「九州場所は地元のようなもの」とも言われた。その一方で、3月場所がやや鬼門のきらいがあった。初めての全勝優勝を3月場所(1983年)で遂げたのを除くと休場も多く、1989年は優勝を決めた相撲で肩を脱臼するという憂き目にあっている。また、両国国技館が開館した1985年1月場所から1987年1月場所まで、同所で行われる本場所(毎年1月、5月、9月)に7連覇している。さらに、蔵前国技館と1985年開館の両国国技館の両方で優勝経験があるのも千代の富士だけである。

          三賞:7回

            殊勲賞:1回(1981年1月場所)

            敢闘賞:1回(1978年5月場所)

            技能賞:5回(1980年3月場所、1980年7月場所、1980年9月場所、1980年11月場所、1981年1月場所)

            金星:3個(三重ノ海2個、若乃花幹士1個)

            ^ 琴の郷との優勝決定戦

            ^ 右肩関節脱臼により8日目から途中休場

            ^ 北の湖と優勝決定戦

            ^ 左足首関節捻挫により3日目から途中休場

            ^ 4代・朝汐と優勝決定戦

            ^ 右股関節捻挫により8日目から途中休場

            ^ 腰背部挫傷により3日目から途中休場

            ^ 北尾(のち双羽黒)と優勝決定戦

            ^ 双羽黒と優勝決定戦

            ^ 腰部椎間板損傷により11日目から途中休場

            ^ 左肩関節脱臼により千秋楽不戦敗

            ^ 北勝海と優勝決定戦

            ^ 左上腕二頭筋部分断裂により3日目から途中休場

            他に優勝決定戦では、朝潮と双羽黒に各2勝、北の湖と北勝海(唯一の同部屋横綱決戦)に各1勝が有り、6戦全勝である。

            秋元 貢(あきもと みつぐ)1970年9月場所

            大秋元 貢(おおあきもと みつぐ)1970年11月場所

            千代の冨士 貢(ちよのふじ みつぐ)1971年1月場所 - 1974年11月場所

            千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)1975年1月場所 - 1991年5月場所

            陣幕 貢(じんまく みつぐ)1991年5月15日 - 1992年4月1日

            九重 貢(ここのえ みつぐ)1992年4月1日 - 2016年7月31日

            陣幕貢『負けてたまるか』東京新聞出版局(1991年)

            千代の富士貢『不撓不屈 : 一〇四五勝への道のり』日之出出版(1992年)

            九重貢『ウルフと呼ばれた男』読売新聞(1993年)

            九重貢『綱の力』ベースボールマガジン社(2011年)

            千代の富士貢、向坂松彦『私はかく闘った 横綱千代の富士』日本放送出版協会(1991年)

            『千代の富士物語 北の大将 上・下巻』(山崎匡佑)

            『あこがれベビー』最終話「真人さん頑張って」(日本テレビ、1981年)

            『千代の富士物語』(関西テレビ制作 / フジテレビ系列(FNS)、1991年 - 1992年)

              『花王ファミリースペシャル』枠で放送。第1部は1991年6月2日 - 23日(全4回)、第2部「青春編」は1992年2月2日 - 9日(全2回)、第3部「栄光への道」は1992年10月4日 - 11日(全2回)にてそれぞれ放送された。

              演出は清水満、中村金太。脚本は内舘牧子、小山内美江子。音楽は坂田晃一が担当。宮下直紀(新弟子時代)、宍戸開(現役時代)が千代の富士を演じた。

              燃える涙:松山千春の楽曲。関西テレビドラマ「千代の富士物語」エンディングテーマ。ミニ・アルバム『燃える涙』(廃盤)に収録。

              昭和の旋風(かぜ)〜ウルフ〜:石原修二の楽曲。石原は三重県鳥羽で漁師宿「浜辺屋」を営む傍ら演歌歌手として活動し、千代の富士存命時からその趣味であった釣りを通じ長年家族・部屋ぐるみで付き合いがあった。訃報を受け自ら作詞し、歿後1年に合わせて2017年7月26日にキングレコードからリリース。

              常盤薬品工業 ビタシーZ1000(1983年)

              千代の富士の大銀杏(ファミリーコンピュータ、FACEより発売。1990年)

              メインモードの「昇進モード」は本場所で相撲を取って番付を上げ、稽古をしながら能力を上げていき、横綱を目指すことが目的。「昇進モード」には難易度の高い「関取モード」と初心者向けの難易度である「幕下モード」がある。千代の富士は「関取モード」のラスボス的存在として登場する。他にも「練習モード」「対戦モード」「観戦モード」がある。ゲーム画面は『つっぱり大相撲』と酷似している。

              ^ 当時、全日本空輸が所有していたフォッカーフレンドシップだったとされ、当時は福島町の町長でさえも搭乗したことがない乗り物だった。

              ^ 中学在学中の入門は1971年11月に禁止された。

              ^ 鋭く当たって左からのおっつけで体勢を起こし、突き落とそうとする大受の動きに乗じて回り込み、寄り立て、がぶり寄りの攻めで寄り切った。大受は当時は西前頭8枚目。

              ^ 天龍に弾かれるようにしていなされ一方的に突き出されるなどの敗戦がある。

              ^ 自著『負けてたまるか』では父が戦時中に広島で被爆していたことについて記述されており、肩のかみ合わせとの因果関係が示唆されている。

              ^ 肩を徹底的に鍛えて筋肉で固めたことが脱臼しにくくする効果はあった反面、脱臼してしまうと元に戻すことが非常に難しくなってしまい、これを治せた人は元大関・清國の伊勢ヶ濱親方1人だけだった。このため千代の富士が肩を脱臼すると伊勢ヶ濱親方がすぐに支度部屋に駆けつけていたほどだった。はめ直すシーンはたびたびテレビ中継で放映された。

              ^ この取り口の変化は北の富士も予想していなかった。北の富士は「前みつを取って食い下がって投げを打って勝つような相撲になると思っていた」と語っている。

              ^ 立合いから左前みつを取って攻め立てた。敗れはしたものの足腰の良さを発揮して輪島の投げを再三しのぎ、連続投げについていく場面、瞬発力を活かして攻勢に出る瞬間もあった。最後は吊り出されて敗れたが、輪島を吊ろうとする場面もあった。

              ^ 横審が「長続き」を指摘したのは、千代の富士が肩の怪我を乗り越えて幕内に戻ってきた経歴と、直近の横綱である若乃花が休場がち、三重ノ海が短期で引退に追い込まれたことが背景としてあった(いずれも1981年7月21日付朝刊スポーツ面)。

              ^ 1984年11月場所終了時点で優勝回数は10回に到達したが、蔵前国技館で開催の東京場所の優勝は2回のみ(1981年1月場所・1982年5月場所)に終わっている。

              ^ この時は賜杯を受け取り損ねることがないように武蔵川親方(三重ノ海)が表彰式に付き添っていた。

              ^ 直前の9月場所で千代の富士は29回目の優勝を達成、また授与式が行われたのも9月29日であった。さらに、授与した側である海部俊樹は、「第29回衆議院議員総選挙に29歳で初当選したから、29年後には総理大臣になる」と公言して、実際に29年後の1989年に総理大臣に就任したばかりであった。

              ^ このため、一代年寄に千代の富士を含めるかどうか解釈が分かれているが、大鵬は自身の還暦土俵入りの際に「千代の富士も含まれる」との見解を示し、この還暦土俵入りに千代の富士(九重)を露払いとして随行させている。

              ^ その20年後の2010年5月場所千秋楽に魁皇も史上2人目の通算1000勝を達成した。

              ^ 当初は翌日(5月15日)に引退発表する予定で千代の富士も既に帰宅していたが、当日夜にマスコミに引退情報が漏れ(千代の富士も『まんが名作劇場 サザエさん』を視聴中にニュース速報のテロップが表示され、驚いたという)、取材陣が九重部屋に押し寄せる事態になったため、九重(元横綱・北の富士)の判断で急遽会見を前倒しした。

              ^ なお、引退を表明した5月14日は午前10時35分頃に信楽高原鐵道列車衝突事故が発生していたため、マスコミやテレビ局各社にとっては事故の報道と横綱の引退報道が合わさる形となり、多忙をきわめた1日となった。

              ^ 2002年には北の富士の還暦土俵入りに太刀持ちとして率先して随行するなど、個人的な関係までは悪化しなかった。また、北の富士は不仲については否定し、「信頼している」とまで発言していた(北の富士さん無念「コメントする気になれない」 - 日刊スポーツ、2016年8月1日、9時53分)。

              ^ 旧九重→八角部屋の施設は北の富士が所有しているため。北の富士は相撲協会退職後も八角部屋最上階に居住している。

              ^ 北の富士は「千代の富士は一人でやれるし、いても邪魔になるだけ。八角は応援してやらんと」と、九重の能力を評価し、自由に運営できるようにするために配慮したことと同時に、八角への支援の必要性があったことを理由としている。

              ^ 千代大海が継承した後も、2020年に葛飾区に移転するまでの間、千代の富士の遺族から施設を借用している。

              ^ たとえば、三段目に昇進すると四股名が与えられるが、全ての力士に「千代〜」と命名していた。なお、千代大海が九重部屋を継承してからは、「三段目に上がることを最終目標にしてはいけない」ということで新弟子の時点で四股名が与えられる方針に変わったが、やはり全員「千代〜」と命名されている。

              ^ 千代の山が出羽海部屋から独立した際に出羽一門を破門され、高砂一門入りしたことによる。

              ^ 八角が九重部屋から独立した際に部屋付の年寄が全員八角部屋に移籍したことも影響している。

              ^ 2019年に貴景勝光信が大関に昇進しているが、その時点で師匠だった貴乃花は相撲協会を退職している。

              ^ 元DESTROSE、Mary's BloodのギタリストERIのこと。

              ^ 同じことを貴ノ花は栃赤城にも勧めたとされているが、栃赤城は「それならば幕内を維持しているほうがいい」と言って拒否したという。

              ^ 同様に千代の富士は賜杯と共に自身の子供を抱いての記念撮影を長女、長男、三女とも行っている(長女は1984年11月場所、長男は1987年11月場所、三女は1989年3月場所)。

              ^ 特に初めて番組に顔を出したときには、アン・ルイスが吉川晃司との過激なパフォーマンスを展開して物議を醸した回で、歌の最中に千代の富士は不機嫌な表情を浮かべながらその一部始終を見届けており、その形相を気にした芳村が話題をそらそうとして千代の富士に頻繁に話しかけていた。

              ^ 該当の回は芳村のパートナーの司会者が井上順から古舘伊知郎に交代した初回であり、古舘が当時実況を担当していた『ワールドプロレスリング』の繋がりで、この番組で試合を中継していたプロレス団体である新日本プロレスの当時社長で古舘と交友のあったアントニオ猪木も出演していた。猪木と千代の富士はその後も猪木の引退試合に千代の富士が駆けつけたり、千代の富士の還暦土俵入りや死去の際には猪木が駆けつけたりするなど、千代の富士が死去するまで交友が続いていた。また、師匠である北の富士は現役力士だった時代に歌手として『夜ヒット』に出演した経験がある。

              ^ 愛弟子の千代大海が14代九重を継承した後の2020年に九重部屋は東京都葛飾区へ新築移転。これに伴い13代九重部屋の施設がちゃんこ料理店に改装された。

              ^ 玉林寺は秋元家の菩提寺であり、乳児の時に死去した三女の墓がある。

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              横綱一覧

              大相撲優勝力士一覧

              超五十連勝力士碑

              北海道出身の横綱

              一代年寄

              九重部屋

              秋元梢 - 次女

              松山千春 - 同じ北海道出身ということもあり、公私共に親交が深かった

              脱臼

              ウルフマン(リキシマン) - 千代の富士をモチーフにした、漫画『キン肉マン』の登場人物

              サクラチヨノオー - 競走馬。名前の由来が千代の富士。

              九重部屋

              横綱千代の山・千代の富士記念館

              千代の富士貢 - NHK人物録

              千代の富士 53連勝 - NHK放送史

              1977年(昭和52年):王貞治

              1978年(昭和53年):古賀政男

              1984年(昭和59年):長谷川一夫

              1984年(昭和59年):植村直己

              1984年(昭和59年):山下泰裕

              1987年(昭和62年):衣笠祥雄

              1989年(平成元年):美空ひばり

              1989年(平成元年):千代の富士貢

              1992年(平成4年):藤山一郎

              1992年(平成4年):長谷川町子

              1993年(平成5年):服部良一

              1996年(平成8年):渥美清

              1998年(平成10年):吉田正

              1998年(平成10年):黒澤明

              2000年(平成12年):高橋尚子

              2009年(平成21年):遠藤実

              2009年(平成21年):森光子

              2009年(平成21年):森繁久彌

              2012年(平成24年):吉田沙保里

              2013年(平成25年):大鵬幸喜

              2013年(平成25年):長嶋茂雄

              2013年(平成25年):松井秀喜

              2016年(平成28年):伊調馨

              2018年(平成30年):羽生善治

              2018年(平成30年):井山裕太

              2018年(平成30年):羽生結弦

              2023年(令和5年):国枝慎吾

              2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表

              高見山酉之助

              常陸山谷右エ門

              太刀山峯右エ門

              鳳谷五郎

              両國勇治郎

              西ノ海嘉治郎 (2代)

              大錦卯一郎

              栃木山守也

              常ノ花寛市

              鶴ヶ濱増太郎

              西ノ海嘉治郎 (3代)

              大蛇山酉之助

              宮城山福松

              常陸岩英太郎

              能代潟錦作

              玉錦三右エ門

              豊國福馬

              山錦善治郎

              武藏山武

              綾櫻由太郎

              清水川元吉

              沖ツ海福雄

              男女ノ川登三

              双葉山定次

              出羽湊利吉

              安藝ノ海節男

              羽黒山政司

              佐賀ノ花勝巳

              前田山英五郎

              備州山大八郎

              東富士欽壹

              増位山大志郎

              千代の山雅信

              照國萬藏

              栃錦清隆

              鏡里喜代治

              時津山仁一

              吉葉山潤之輔

              三根山隆司

              朝潮太郎 (3代)

              若乃花幹士 (初代)

              安念山治

              玉乃海太三郎

              若羽黒朋明

              若三杉彰晃

              大鵬幸喜

              柏戸剛

              佐田の山晋松

              栃ノ海晃嘉

              北葉山英俊

              富士錦猛光

              北の富士勝昭

              若浪順

              玉の海正洋

              琴櫻傑將

              清國勝雄

              栃東知頼

              長谷川勝敏

              輪島大士

              高見山大五郎

              北の湖敏満

              魁傑將晃

              貴ノ花健士

              金剛正裕

              三重ノ海剛司

              若乃花幹士 (2代)

              千代の富士貢

              琴風豪規

              隆の里俊英

              北天佑勝彦

              若嶋津六夫

              多賀竜昇司

              朝潮太郎 (4代)

              北勝海信芳

              大乃国康

              旭富士正也

              小錦八十吉

              霧島一博

              琴富士孝也

              琴錦功宗

              貴乃花光司

              曙太郎

              水戸泉政人

              若乃花勝

              武蔵丸光洋

              貴ノ浪貞博

              千代大海龍二

              出島武春

              武双山正士

              貴闘力忠茂

              魁皇博之

              琴光喜啓司

              栃東大裕

              朝青龍明徳

              白鵬翔

              琴欧洲勝紀

              日馬富士公平

              把瑠都凱斗

              旭天鵬勝

              鶴竜力三郎

              照ノ富士春雄

              琴奨菊和弘

              豪栄道豪太郎

              稀勢の里寛

              栃ノ心剛史

              御嶽海久司

              貴景勝貴信

              玉鷲一朗

              朝乃山英樹

              德勝龍誠

              正代直也

              大栄翔勇人

              若隆景渥

              逸ノ城駿

              阿炎政虎

              霧島鐵力

              豊昇龍智勝

              尊富士弥輝也

              大の里泰輝

              琴櫻将傑

              一覧

              年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。

              1958 若乃花幹士

              1959 栃錦清隆

              1960 若乃花幹士(※)

              1961 大鵬幸喜

              1962 大鵬幸喜

              1963 大鵬幸喜

              1964 大鵬幸喜

              1965 佐田の山晋松

              1966 大鵬幸喜(※)

              1967 大鵬幸喜

              1968 玉乃島正夫

              1969 大鵬幸喜(※)

              1970 北の富士勝昭

              1971 玉の海正洋(※)

              1972 貴ノ花満(※)

              1973 輪島大士

              1974 北の湖敏満

              1975 三重ノ海五郎(※)

              1976 輪島大士

              1977 輪島大士(※)

              1978 北の湖敏満

              1979 北の湖敏満

              1980 北の湖敏満

              1981 千代の富士貢(※)

              1982 千代の富士貢

              1983 隆の里俊英

              1984 若嶋津六夫

              1985 千代の富士貢

              1986 千代の富士貢

              1987 千代の富士貢(※)

              1988 千代の富士貢(※)

              1989 千代の富士貢(※)

              1990 旭富士正也

              1991 小錦八十吉(※)

              1992 貴花田光司

              1993 曙太郎

              1994 貴乃花光司

              1995 貴乃花光司

              1996 貴乃花光司

              1997 貴乃花光司

              1998 若乃花勝

              1999 武蔵丸光洋

              2000 曙太郎

              2001 武蔵丸光洋

              2002 朝青龍明徳

              2003 朝青龍明徳

              2004 朝青龍明徳

              2005 朝青龍明徳

              2006 朝青龍明徳

              2007 白鵬翔

              2008 白鵬翔

              2009 白鵬翔

              2010 白鵬翔

              2011 白鵬翔

              2012 白鵬翔

              2013 白鵬翔

              2014 白鵬翔

              2015 白鵬翔

              2016 日馬富士公平(※)

              2017 受賞者なし

              2018 栃ノ心剛史

              2019 白鵬翔(※)

              2020 貴景勝光信

              2021 照ノ富士春雄

              2022 若隆景渥

              2023 霧島鉄力

              2024 琴櫻将傑

              1957 栃錦清隆

              1958 若乃花幹士

              1959 栃錦清隆

              1960 大鵬幸喜

              1961 大鵬幸喜

              1962 大鵬幸喜

              1963 大鵬幸喜

              1964 大鵬幸喜

              1965 佐田の山晋松

              1966 柏戸剛

              1967 大鵬幸喜 / 柏戸剛

              1968 玉乃島正夫

              1969 北の富士勝昭

              1970 北の富士勝昭 / 玉の海正洋

              1971 北の富士勝昭

              1972 輪島大士

              1973 輪島大士

              1974 北の湖敏満

              1975 北の湖敏満

              1976 輪島大士

              1977 北の湖敏満

              1978 北の湖敏満

              1979 北の湖敏満

              1980 北の湖敏満

              1981 北の湖敏満

              1982 千代の富士貢

              1983 隆の里俊英

              1984 若嶋津六夫

              1985 千代の富士貢

              1986 千代の富士貢

              1987 北勝海信芳

              1988 旭富士正也

              1989 北勝海信芳

              1990 旭富士正也

              1991 霧島一博

              1992 貴花田光司

              1993 曙太郎

              1994 貴乃花光司

              1995 貴乃花光司

              1996 貴乃花光司

              1997 貴乃花光司

              1998 若乃花勝

              1999 武蔵丸光洋

              2000 曙太郎

              2001 武蔵丸光洋

              2002 朝青龍明徳

              2003 朝青龍明徳

              2004 朝青龍明徳

              2005 朝青龍明徳

              2006 朝青龍明徳

              2007 白鵬翔

              2008 白鵬翔

              2009 白鵬翔

              2010 白鵬翔

              2011 白鵬翔

              2012 白鵬翔

              2013 白鵬翔

              2014 白鵬翔

              2015 白鵬翔

              2016 稀勢の里寛

              2017 白鵬翔

              2018 栃ノ心剛史

              2019 朝乃山英樹

              2020 貴景勝光信

              2021 照ノ富士春雄

              2022 若隆景渥

              2023 霧島鐵力

              2024 琴櫻将傑

              初代明石志賀之助

              2代綾川五郎次

              3代丸山権太左衛門

              4代谷風梶之助

              5代小野川喜三郎

              6代阿武松緑之助

              7代稲妻雷五郎

              8代不知火諾右衛門

              9代秀ノ山雷五郎

              10代雲龍久吉

              11代不知火光右衛門

              12代陣幕久五郎

              13代鬼面山谷五郎

              14代境川浪右衛門

              15代梅ヶ谷藤太郎(初代)

              16代西ノ海嘉治郎(初代)

              17代小錦八十吉

              18代大砲万右エ門

              19代常陸山谷右エ門

              20代梅ヶ谷藤太郎(2代)

              21代若嶌權四郎

              22代太刀山峯右エ門

              23代大木戸森右エ門

              24代鳳谷五郎

              25代西ノ海嘉治郎(2代)

              26代大錦卯一郎

              27代栃木山守也

              28代大錦大五郎

              29代宮城山福松

              30代西ノ海嘉治郎(3代)

              31代常ノ花寛市

              32代玉錦三右エ門

              33代武藏山武

              34代男女ノ川登三

              35代双葉山定次

              36代羽黒山政司

              37代安藝ノ海節男

              38代照國萬藏

              39代前田山英五郎

              40代東富士欽壹

              41代千代の山雅信

              42代鏡里喜代治

              43代吉葉山潤之輔

              44代栃錦清隆

              45代若乃花幹士(初代)

              46代朝潮太郎

              47代柏戸剛

              48代大鵬幸喜

              49代栃ノ海晃嘉

              50代佐田の山晋松

              51代玉の海正洋

              52代北の富士勝昭

              53代琴櫻傑將

              54代輪島大士

              55代北の湖敏満

              56代若乃花幹士(2代)

              57代三重ノ海剛司

              58代千代の富士貢

              59代隆の里俊英

              60代双羽黒光司

              61代北勝海信芳

              62代大乃国康

              63代旭富士正也

              64代曙太郎

              65代貴乃花光司

              66代若乃花勝

              67代武蔵丸光洋

              68代朝青龍明徳

              69代白鵬翔

              70代日馬富士公平

              71代鶴竜力三郎

              72代稀勢の里寛

              73代照ノ富士春雄

              雷電爲右エ門

              161代 能代潟錦作

              162代 常陸岩英太郎

              163代 豊國福馬

              164代 玉錦三右エ門

              165代 武藏山武

              166代 清水川元吉

              167代 男女ノ川登三

              168代 双葉山定次

              169代 鏡岩善四郎

              170代 前田山英五郎

              171代 羽黒山政司

              172代 安藝ノ海節男

              173代 五ツ嶋奈良男

              174代 照國万蔵

              175代 名寄岩静男

              176代 佐賀ノ花勝巳

              177代 東冨士謹一

              178代 汐ノ海運右衛門

              179代 増位山大志郎

              180代 千代ノ山雅信

              181代 吉葉山潤之輔

              182代 鏡里喜代治

              183代栃錦清隆

              184代 三根山隆司

              185代 大内山平吉

              186代 松登晟郎

              187代 若乃花勝治

              188代 朝汐太郎

              189代 琴ヶ濱貞雄

              190代 若羽黒朋明

              191代 柏戸剛

              192代 大鵬幸喜

              193代 北葉山英俊

              194代 佐田の山晋松

              195代 栃ノ海晃嘉

              196代 栃光正之

              197代 豊山勝男

              198代 北の富士勝昭

              199代 玉乃島正夫

              200代 琴櫻傑將

              201代 清國勝雄

              202代 前の山太郎

              203代 大麒麟將能

              204代 輪島大士

              205代 貴ノ花利彰

              206代 大受久晃

              207代 北の湖敏満

              208代 魁傑將晃

              209代 三重ノ海剛司

              210代 旭國斗雄

              211代 若三杉壽人

              212代 増位山太志郎

              213代 千代の富士貢

              214代 琴風豪規

              215代 隆の里俊英

              216代 若嶋津六夫

              217代 朝潮太郎

              218代 北天佑勝彦

              219代 大乃国康

              220代 北尾光司

              221代 北勝海信芳

              222代 小錦八十吉

              223代 旭富士正也

              224代 霧島一博

              225代 曙太郎

              226代 貴ノ花光司

              227代 若ノ花勝

              228代 貴ノ浪貞博

              229代 武蔵丸光洋

              230代 千代大海龍二

              231代 出島武春

              232代 武双山正士

              233代 雅山哲士

              234代 魁皇博之

              235代 栃東大裕

              236代 朝青龍明徳

              237代 琴欧洲勝紀

              238代 白鵬翔

              239代 琴光喜啓司

              240代 日馬富士公平

              241代 把瑠都凱斗

              242代 琴奨菊和弘

              243代 稀勢の里寛

              244代 鶴竜力三郎

              245代 豪栄道豪太郎

              246代 照ノ富士春雄

              247代 髙安晃

              248代 栃ノ心剛史

              249代 貴景勝貴信

              250代 朝乃山英樹

              251代 正代直也

              252代 御嶽海久司

              253代 霧島鐵力

              254代 豊昇龍智勝

              255代 琴櫻将傑

              256代 大の里泰輝

              1968 西城正三

              1969 読売ジャイアンツ

              1970 大鵬幸喜

              1971 長嶋茂雄

              1972 松本勝明

              1973 沢村忠

              1974 王貞治

              1975 広島東洋カープ

              1976 王貞治

              1977 王貞治

              1978 ヤクルトスワローズ

              1979 具志堅用高

              1980 具志堅用高

              1981 中野浩一

              1982 落合博満

              1983 広岡達朗

              1984 衣笠祥雄

              1985 ランディ・バース

              1986 落合博満

              1987 岡本綾子

              1988 千代の富士貢

              1989 千代の富士貢

              1990 野茂英雄

              1991 辰吉丈一郎

              1992 貴花田光司

              1993 三浦知良

              1994 イチロー

              1995 イチロー

              1996 尾崎将司

              1997 中田英寿

              1998 佐々木主浩

              1999 松坂大輔

              2000 松井秀喜

              2001 イチロー

              2002 FIFAワールドカップ日本代表

              2003 松井秀喜

              2004 朝青龍明徳

              2005 朝青龍明徳

              2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

              2007 浦和レッドダイヤモンズ

              2008 石川遼

              2009 石川遼

              2010 白鵬翔

              2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表

              2012 阿部慎之助

              2013 田中将大

              2014 錦織圭

              2015 ラグビー日本代表

              2016 大谷翔平

              2017 福岡ソフトバンクホークス

              2018 大谷翔平

              2022 井上尚弥

              2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

              76 輪島大士

              77 北の湖敏満

              78 北の湖敏満

              79 北の湖敏満

              80 若乃花幹士

              81 千代の富士貢

              82 若嶋津六夫

              83 隆の里俊英

              84 若嶋津六夫

              85 北尾光司

              86 千代の富士貢

              87 北勝海信芳

              88 千代の富士貢

              89 千代の富士貢

              90 旭富士正也

              91 貴花田光司

              92 貴花田光司

              93 若ノ花勝

              94 貴乃花光司

              95 貴乃花光司

              96 貴乃花光司

              97 貴乃花光司

              98 若乃花勝

              99 武蔵丸光洋

              00 魁皇博之

              01 栃東大裕

              02 朝青龍明徳

              03 朝青龍明徳

              04 朝青龍明徳

              05 朝青龍明徳

              06 朝青龍明徳

              07 白鵬翔

              08 白鵬翔

              09 なし

              10 白鵬翔

              11 琴奨菊和弘

              12 日馬富士公平

              13 白鵬翔

              14 なし

              15 嘉風雅継

              16 なし

              17 なし

              18 御嶽海久司

              19 朝乃山英樹

              20-21 中止

              1982 広岡達朗

              1983 青木功

              1984 山下泰裕

              1985 吉田義男

              1986 清原和博

              1987 岡本綾子

              1988 千代の富士貢

              1989 ラグビー日本代表

              1990 野茂英雄

              1991 中嶋悟

              1992 亀山努

              1993 三浦知良

              1994 長嶋茂雄

              1995 イチロー

              1996 伊達公子

              1997 中田英寿

              1998 清水宏保

              1999 松坂大輔

              2000 高橋尚子

              2001 イチロー

              2002 稲本潤一

              2003 松井秀喜

              2004 北島康介

              2005 武豊

              2006 WBC野球日本代表

              2007 中村俊輔

              2008 上野由岐子

              2009 原辰徳

              2010 本田圭佑

              2011 澤穂希

              2012 内村航平

              2013 上原浩治

              2014 羽生結弦

              2015 ラグビー日本代表

              2016 大谷翔平

              2017 桐生祥秀

              2018 大坂なおみ

              2019 ラグビー日本代表

              2020 藤井聡太

              2021 大谷翔平

              2022 井上尚弥

              2023 栗山英樹・WBC日本代表

              春日由三

              吉本明光

              中山晋平

              春日由三

              吉川義雄

              春日由三

              吉川義雄

              川村専一

              狩野近雄

              河上英一

              笹本恭彦

              明瀬裕

              池田太郎

              牧定忠

              春日由三

              吉川義雄

              渋沢秀雄

              横山隆一

              西崎緑

              貝谷八百子

              田付辰子

              メイ牛山

              春日由三

              吉川義雄

              岩田専太郎

              勅使河原蒼風

              千代の山雅信

              小山いと子

              吉村公三郎

              市川翠穂

              マヤ片岡

              春日由三

              吉川義雄

              三國連太郎

              小西得郎

              栃錦清隆

              青木茂高

              河上牧子

              水木洋子

              坂西志保

              田村佐紀子

              吾妻徳穂

              吉川義雄

              田中角栄

              菊田一夫

              若乃花勝治

              金田正一

              奥むめお

              森田たま

              細川ちか子

              近藤百合子

              吉川義雄

              横山泰三

              水原茂

              稲垣浩

              朝汐太郎

              沢田美喜

              杉村春子

              戸川エマ

              赤堀全子

              吉川義雄

              木下惠介

              大宅壮一

              杉浦幸雄

              若羽黒朋明

              長谷川春子

              大濱英子

              榊淑子

              谷桃子

              吉川義雄

              秋山登

              唐島基智三

              柏戸剛

              松本幸四郎

              中村汀女

              田中絹代

              秋山ちえ子

              江上トミ

              長沢泰治

              土門拳

              高田元三郎

              仲代達矢

              大鵬幸喜

              和田夏十

              勅使河原霞

              村山リウ

              森光子

              長沢泰治

              工藤昭四郎

              東郷青児

              森英恵

              大山康晴

              山内一弘

              佐田の山晋松

              藤間紫

              岡田茉莉子

              十返千鶴子

              浪花千栄子

              長沢泰治

              細川隆元

              丹羽文雄

              實川延若

              中西太

              栃ノ海晃嘉

              飯田蝶子

              貞閑晴

              新珠三千代

              花柳壽輔

              佐久間良子

              長沢泰治

              大林清

              北葉山英俊

              林与一

              古賀忠道

              春風亭柳橋

              岩下志麻

              司葉子

              長谷川町子

              林美智子

              吉屋信子

              坂本朝一

              円地文子

              安達曈子

              入江美樹

              藤村志保

              小絲源太郎

              松下幸之助

              ファイティング原田

              緒形拳

              坂本朝一

              樫山文枝

              五代利矢子

              浜美枝

              山崎豊子

              大佛次郎

              尾上菊之助

              加藤芳郎

              鶴ヶ嶺昭男

              中山卯郎

              福島慎太郎

              木村秀政

              西本幸雄

              石坂浩二

              福原美和

              栗原小巻

              塩月弥栄子

              平岩弓枝

              中山卯郎

              江夏豊

              王馬熙純

              榊原仟

              鈴木俊一

              曽野綾子

              高田敏子

              藤田弓子

              三船敏郎

              中山卯郎

              浅丘ルリ子

              市川海老蔵

              今井通子

              大谷直子

              菅野義丸

              佐藤愛子

              鶴岡一人

              平幹二朗

              中道定雄

              坂東玉三郎

              樋口久子

              小林弘

              三田佳子

              志村喬

              武原はん

              玉の海正洋

              中山律子

              仲代達矢

              小野田勇

              浪花家辰造

              大場政夫

              宇田川龍男

              堀内寿子

              大山英子

              村山加代子

              中山きよ子

              樫山文枝

              山口果林

              高橋信雄

              山下迪子

              館弘子

              石田芳夫

              中山紀子

              井沢つま

              森戸辰男

              溝尾正志

              花本方美

              為久優子

              成田和子

              桑田たつ子

              村上巳里

              山下誠

              小川善三郎

              河野久枝

              桑原永子

              田中由起子

              佐藤太圭子

              山田三智穂

              大谷豊二

              高橋優子

              貴ノ花利彰

              赤塚洋文

              平内義幸

              富岡雅寛

              山崎勲

              平賀輝子

              中川時子

              加藤稔

              池内淳子

              中原誠

              森英恵

              小林桂樹

              中村汀女

              井上ひさし

              中野貴代

              神田好武

              真木洋子

              輪島大士

              高橋洋子

              生沼スミエ

              棟方志功

              村上元三

              京マチ子

              サトウサンペイ

              高田ユリ

              尾上菊五郎

              寺島純子

              北の湖敏満

              根本良夫

              橋本明治

              杉村春子

              尾上松緑

              栗原小巻

              堀江謙一

              檀ふみ

              魁傑將晃

              新垣留美子

              根本良夫

              尾上梅幸

              高橋展子

              吉永小百合

              加藤剛

              三林京子

              大竹しのぶ

              古葉竹識

              三重ノ海五郎

              池田彌三郎

              浅丘ルリ子

              中村梅之助

              小野清子

              村上隆

              堤加蓉子

              カロリーナ・ピレス・ド・リオ

              若三杉壽人

              川上哲治

              川口幹夫

              市川染五郎

              上田利治

              旭國斗雄

              水島新司

              川橋幸子

              橋田壽賀子

              新井春美

              竹下景子

              川口幹夫

              北の湖敏満

              岩下志麻

              植村直己

              八千草薫

              安奈淳

              森和人

              森下洋子

              山本浩二

              加藤好雄

              若山富三郎

              ミヤコ蝶々

              菅原文太

              大原麗子

              松本零士

              重兼芳子

              古葉竹識

              多岐川裕美

              加藤好雄

              松本幸四郎

              陳舜臣

              佐久間良子

              木田勇

              向田邦子

              島田陽子

              鈴木喜久子

              角田好雄

              渡辺一雄

              石毛宏典

              古手川祐子

              緒形拳

              花井幸子

              倉本昌弘

              森光子

              坂田栄男

              高橋洋子

              秋竜山

              澤地久枝

              香川宏

              生沼スミエ

              玉の海梅吉

              森英恵

              山藤章二

              池上季実子

              広岡達朗

              村松友視

              真野響子

              滝田栄

              橋田壽賀子

              前橋汀子

              市川猿之助

              香川宏

              三船敏郎

              松本幸四郎

              大原麗子

              田淵幸一

              樋口久子

              松坂慶子

              田中裕子

              隆の里俊英

              谷川浩司

              林真理子

              胡桃沢耕史

              宮尾登美子

              山口小夜子

              役所広司

              菊池綜一

              江上由美

              釜本邦茂

              名取裕子

              風間杜夫

              石井幹子

              連城三紀彦

              里中満智子

              衣笠祥雄

              松坂慶子

              市川海老蔵

              遠藤利男

              三田佳子

              中村吉右衛門

              高野悦子

              小池一夫

              武原はん

              ジェームス三木

              山口洋子

              吉田義男

              大地真央

              北尾光司

              中野正之

              森光子

              清原和博

              森下洋子

              雁屋哲

              黒柳朝

              加藤芳郎

              山崎洋子

              渡辺謙

              加納みゆき

              千代の富士貢

              吉岡利夫

              若尾文子

              中井貴一

              森瑤子

              江藤俊哉

              俵万智

              逢坂剛

              森口祐子

              近藤真一

              若村麻由美

              北勝海信芳

              今西陽一郎

              三田佳子

              片岡孝夫

              伊藤京子

              森祇晶

              浅野温子

              安野光雅

              伊勢桃代

              新井満

              山口智子

              千代の富士貢

              沖清司

              千代の富士貢

              いしだあゆみ

              ねじめ正一

              小林浩美

              中村勘九郎

              村崎芙蓉子

              西田敏行

              石岡瑛子

              斎藤雅樹

              渡辺梓

              沖清司

              山本陽子

              中村鴈治郎

              諏訪内晶子

              野田秀樹

              コシノジュンコ

              渡辺久信

              森口祐子

              松岡修造

              沢口靖子

              真田広之

              小林由紀子

              増井光子

              山崎豊子

              秋山幸二

              芦原すなお

              荻野アンナ

              若花田勝

              貴花田光司

              緒形直人

              鷲尾いさ子

              田中好子

              内林達夫

              有森裕子

              曙太郎

              古賀稔彦

              富司純子

              中田久美

              野茂英雄

              村上弘明

              伊藤みどり

              森光子

              高橋克彦

              松尾武

              三田佳子

              米長邦雄

              市川團十郎

              細川直美

              筒井道隆

              つみきみほ

              松原敏春

              平瀬真由美

              宮尾登美子

              川淵三郎

              内館牧子

              田村亮子

              植木等

              野村克也

              中丸三千繪

              古田敦也

              ミヤコ蝶々

              曙太郎

              古橋廣之進

              大林素子

              松尾武

              イチロー

              赤井英和

              奥野史子

              岩下志麻

              羽生善治

              南井克巳

              賀来千香子

              川本ゆかり

              市川崑

              森光子

              上田洋一

              古田敦也

              田村亮子

              天海祐希

              竹中直人

              原辰徳

              水谷八重子

              中村紘子

              ジョージ川口

              柳家小さん

              大石芳野

              上田洋一

              有森裕子

              川口能活

              江角マキコ

              仰木彬

              清水市代

              中村橋之助

              森英恵

              桂米朝

              大石静

              周防正行

              大橋晴夫

              井原正巳

              吉永小百合

              片岡仁左衛門

              伊藤みどり

              佐々木主浩

              佐藤夕美子

              本木雅弘

              篠田節子

              谷川浩司

              吉行あぐり

              大橋晴夫

              清水宏保

              藤原紀香

              琴錦功宗

              中村玉緒

              松平健

              俵万智

              ジェームス三木

              服部道子

              熊川哲也

              浅利純子

              伊東律子

              出島武春

              松嶋菜々子

              内館牧子

              野村萬斎

              田村亮子

              津川雅彦

              草笛光子

              阿久悠

              福嶋晃子

              乙武洋匡

              伊東律子

              田村亮子

              長嶋茂雄

              高橋尚子

              渡辺謙

              池内淳子

              佐々木主浩

              岡本綾

              井上康生

              木村佳乃

              内藤國雄

              出田幸彦

              栃東大裕

              川原亜矢子

              室伏広治

              竹田恆和

              松岡佑子

              唐沢寿明

              平良とみ

              天海祐希

              藤田宜永

              森下洋子

              出田幸彦

              朝青龍明徳

              米倉涼子

              市川新之助

              阿川佐和子

              宮本恒靖

              仲間由紀恵

              高橋由伸

              恩田美栄

              岩合光昭

              岸惠子

              中村季恵

              浅野ゆう子

              五木寛之

              優香

              三谷幸喜

              村山由佳

              末續慎吾

              村主章枝

              武田真治

              有馬稲子

              星野仙一

              中村季恵

              野口みずき

              野村忠宏

              橋田壽賀子

              中村勘九郎

              荒川静香

              滝沢秀明

              高島礼子

              和田一浩

              森光子

              日野原重明

              琴欧州勝紀

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              長澤まさみ

              山田洋次

              森光子

              上川隆也

              眞鍋かをり

              林家正蔵

              栗原はるみ

              渡辺謙

              阿木燿子

              リリー・フランキー

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              田口壮

              吉田都

              鎌田實

              瀬戸内寂聴

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              岡島秀樹

              青木功

              中村勘三郎

              新垣結衣

              茂木健一郎

              坂東眞理子

              陣内智則

              藤原紀香

              本木雅弘

              吉田沙保里

              太田雄貴

              高橋尚子

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              松坂慶子

              姜尚中

              堀北真希

              妻夫木聡

              上野由岐子

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              草刈民代

              阿部寛

              深田恭子

              原辰徳

              勝間和代

              城田優

              杉山愛

              西田敏行

              森光子

              野口聡一

              湊かなえ

              岩崎夏海

              寺島しのぶ

              髙橋大輔

              上野樹里

              伊勢谷友介

              仲間由紀恵

              北大路欣也

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              綾瀬はるか

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              中村勘九郎

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              吉田沙保里

              入江陵介

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              VIAF

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              CiNii Books

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              千代の富士貢

              北海道出身の大相撲力士

              横綱

              日本相撲協会の役員

              NHK紅白歌合戦審査員

              旭日中綬章受章者

              従四位受位者

              九重部屋

              国民栄誉賞受賞者

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              膵癌で亡くなった人物

              1955年生

              2016年没

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6月1日生まれの有名人 北海道出身

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宮林 康(みやばやし やすし)
1965年6月1日生まれの有名人 北海道出身

宮林 康(みやばやし やすし、1965年6月1日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。アクセント所属。北海道出身。 劇団Actor5代表。 北海道で演劇、FMラジオパーソナリティー、テレビCM…

福居 良(ふくい りょう)
1948年6月1日生まれの有名人 北海道出身

福居 良(ふくい りょう、1948年6月1日 - 2016年3月15日)は、日本のジャズピアノ奏者、アコーディオン奏者。 美しい旋律のオリジナル曲と、力強くスウィング感あふれるビバップスタイルの演奏…

冨田 恵一(とみた けいいち)
1962年6月1日生まれの有名人 北海道出身

冨田 恵一(とみた けいいち、1962年6月1日 - )は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。北海道旭川市出身。別名義に冨田ラボ(とみたラボ、Tomita Lab.)、KEDGEがある…


伊藤 美菜子(いとう みなこ)
1968年6月1日生まれの有名人 北海道出身

6月1日生まれwiki情報なし(2025/01/26 06:53時点)

水野 滉也(みずの こうや)
1994年6月1日生まれの有名人 北海道出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 水野 滉也(みずの こうや、1994年6月1日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、企業家。現役引退後…

南乃こと(なんの こと)
6月1日生まれの有名人 北海道出身

南乃 こと(なんの こと、6月1日 - )は日本の女性声優。主にアダルトゲームに声をあてている。以前はアトリエピーチに所属していた 2014年 愛妹恋愛(黒谷) OH!! マイクロマン 〜小さくな…


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