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増井浩俊の情報 (ますいひろとし)
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【4月9日】今日誕生日の芸能人・有名人

増井浩俊の情報(ますいひろとし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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増井 浩俊さんについて調べます

■名前・氏名
増井 浩俊
(読み:ますい ひろとし)
■職業
野球選手
■増井浩俊の誕生日・生年月日
1984年6月26日 (年齢40歳)
子年(ねずみ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
静岡出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

増井浩俊と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

増井浩俊と同じ6月26日生まれの有名人・芸能人

増井浩俊と同じ出身地静岡県生まれの有名人・芸能人


増井浩俊と関係のある人

竹安大知: 6月21日の楽天戦で先発登板したのを最後に同24日に登録を抹消され、その後は長らく二軍調整が続いたが、増井浩俊や本田仁海が振るわず、途中加入のスパークマンとバルガスも機能せず、9月に入りチームが先発ローテーションに苦悩するとシーズン終盤は一軍で先発陣の一角を担った。


山本和作: 初安打:2013年4月14日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(ほっともっとフィールド神戸) 、9回裏に増井浩俊から右前安打


田中賢介: 現役最終年となった2019年は各球場の最終戦で川島慶三、岡大海、ブランドン・レアード、増井浩俊ら元同僚から敵地にもかかわらず花束がサプライズで贈呈されるなど、後輩や同僚に慕われている。


山崎福也: シーズン終了後の11月30日には国内FA権の行使によって日本ハムから移籍してきた増井浩俊が背番号17を付けることに伴い、背番号を鉄平の退団(2015年)以来空番だった0へ変更。


オコエ瑠偉: 8月26日の対日本ハム戦では9回裏に増井浩俊から本拠地でのプロ入り後初本塁打、同月31日の対西武戦(いずれもKoboパーク宮城)では1回裏に菊池雄星が投じた初球でプロ入り後初の先頭打者本塁打を記録した。


中村剛也: 7月19日の対オリックス・バファローズ戦では増井浩俊から史上20人目となる通算400号本塁打をサヨナラ本塁打で達成した。


ブランドン=ディクソン: 2018年からクローザーを務めていた増井浩俊まで不調だったことから、増井の二軍調整を機にクローザーへ転向すると、6月19日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でNPB公式戦初セーブを記録した。


石川直也: 2018年、前年オフに守護神の増井浩俊がFA移籍、セットアッパーのマーティンが退団し、開幕クローザー最有力であった鍵谷陽平も故障で離脱し、抑えとして開幕を一軍で迎えた。


吉村裕基: 日本ハムと対戦したクライマックスシリーズファイナルステージでは、全6試合でスタメン出場し、10月15日第1戦では3回に先頭で浦野博司からライトにヒットを放ち、柳田悠岐の先制二塁打で生還すると9回1点ビハインド一死二・三塁の場面では増井浩俊の落ち切れなかったフォークボールを仕留め、前進していたセンター陽岱鋼の頭上を越える逆転サヨナラ二塁打を放った。


江川智晃: 9月21日の対日本ハム戦では、増井浩俊からソロ本塁打を放った。


山﨑福也: シーズン終了後の11月30日には国内FA権の行使によって日本ハムから移籍してきた増井浩俊が背番号17を付けることに伴い、背番号を鉄平の退団(2015年)以来空番だった0へ変更。


古谷拓哉: 駒大では3学年先輩に武田久、2学年先輩に稲田直人と前田大輔と川岸強、1学年先輩に梵英心、1学年後輩に服部泰卓、2学年後輩に新井良太、3学年後輩に増井浩俊がいた。


宮西尚生: 5月8日のソフトバンク戦から7月1日の西武戦にかけては13試合連続無失点を記録するなど、その後は復調してシーズンを通してブルペンの一角を担ったものの、榊原諒・増井浩俊・武田久の勝ちパターンが確立されていたこともあり、前年と比べてホールド機会が減少。


武田久: 自身の抹消期間中に増井浩俊やマイケル・クロッタがクローザーで活躍したこともあって、シーズン終了後の契約交渉では、NPBが規定する年俸の減額制限(1億円以上の場合には40%)を超える減俸率を翌2015年の契約へ適用することを球団から打診。


小笠原道大: 6月5日の対日本ハム戦(東京ドーム)では延長11回裏無死二・三塁の場面で代打で出場し、増井浩俊から自身2年ぶりの本塁打となるサヨナラ3点本塁打を打つ。


川端崇義: 同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている


中井大介: 翌26日には増井浩俊から人生初のサヨナラヒットを記録した。


服部泰卓: 駒大では3学年上に稲田直人と川岸強と前田大輔、2学年上に梵英心、1学年上に古谷拓哉、1学年下に新井良太、2学年下に増井浩俊、3学年下に大島洋平がいた。


山本由伸: さらに守護神増井浩俊が3連投中で迎えた、5月1日の埼玉西武ライオンズ戦では代役でクローザーを務めると、2奪三振を含む3者凡退に抑えてプロ初セーブを挙げた。


大久保学: 2014年1月20日付で日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性を認定されたことによって、同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部を指導できるようになったため、同年春から母校の静岡高校硬式野球部に投手コーチとして復帰(同部のOBである増井浩俊の弟・達哉の後任)。


海田智行: 秋には、増井浩俊に次ぐ2番手投手として2勝を挙げ、リーグ2位となる防御率2.01の好成績を残す。


ライネル=ロサリオ: 6月22日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、延長10回に増井浩俊から、左翼席後方へ初のサヨナラ打となる特大の7号3点本塁打を打った。


福留孝介: 6月16日の対オリックス戦(京セラドーム)9回裏に代打で出場すると、増井浩俊から2点適時二塁打を放ったことによって、日本人選手としては史上3人目のNPB/MLB公式戦通算500二塁打を達成した。


竹安大知: 伊東商高で指導を受けた野球部監督は、増井浩俊の弟である増井裕哉であった。


北川倫太郎: 初打席:同上、9回裏に増井浩俊から空振り三振


増井浩俊の情報まとめ

もしもしロボ

増井 浩俊(ますい ひろとし)さんの誕生日は1984年6月26日です。静岡出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、結婚、引退、家族、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。増井浩俊の現在の年齢は40歳のようです。

増井浩俊のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。

愛称は「まっすー」。

小学校4年時から地元焼津市の野球少年団で野球を始めると、中学時代にノーヒットノーランを記録。この経験をきっかけにプロ野球選手を志した。増井と同じく焼津市出身の牧田和久と川端崇義とは同学年で、小学校時代から対戦の経験がある。

静岡高へ進学し硬式野球部に所属したが、春夏共に甲子園への出場はなし。高校卒業後に駒澤大学へ進学すると、東都大学野球のリーグ戦で、通算34試合に登板。8勝12敗という成績を残した。

大学卒業後に入社した東芝では、当時エースの座にあった磯村秀人の陰に隠れていたが、入社3年目の2009年に実力が開花。第38回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。同年のNPBドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから5巡目指名を受け、契約金5000万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団。入団当初の背番号は43。

2010年4月9日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板を果たしたが、3失点で敗戦投手となった。それ以後も先発ローテーションの一員として起用され、4月27日のオリックス・バファローズ戦で7回1安打無失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。また、5月13日の阪神タイガース戦ではプロ初安打と初打点を記録した。その後、右肩肩甲上神経炎により6月16日に出場選手登録を抹消され、8月後半に再登録されるも不振が続き9月前半に再度抹消された。11月8日には一般人女性と結婚

2011年は開幕からセットアッパーとして起用され、前半戦は防御率一点台前半の好成績を記録。けがのため欠場した馬原孝浩(ソフトバンク)の補充選手としてオールスターゲーム初出場を果たし、第2戦で4番手として登板した。その後もセットアッパーとしてシーズンを乗り切り、リーグ3位の34ホールドポイント、防御率も1点台と飛躍の年となった。また、背番号も「43」から同年限りで退団した林昌範が着用していた「19」に変更された。

2012年もセットアッパーとして起用されたが、5月2日に抑えの武田久が右膝の故障により戦線を離脱したため、その間は抑えを担うこととなり、抑えとして初登板した5月6日に初セーブを挙げた。武田の復帰後は再びセットアッパーに戻り、6月・9月に疲労の蓄積で不調に陥りながらも、最終盤には持ち直し、共にパ・リーグ新記録となる45ホールド・50ホールドポイントを挙げ最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献した。

2013年は武田久の離脱により抑えを任されたが、4月後半からセットアッパーに復帰した。しかし6月5日の読売ジャイアンツ戦で小笠原道大に2年ぶりの本塁打となるサヨナラ3ランを打たれ、7月には2試合連続で救援失敗するなど不安定な投球が続き、宮西尚生やルーキーの河野秀数にセットアッパーの座を譲ることもあった。最終的に3年連続の50試合登板、そして史上最速(192試合)での100ホールドを達成したものの、シーズン終盤に持ち直したとはいえ防御率、ホールド数共に前年に比べて数字を大幅に落とした。

2014年も開幕早々に武田久が離脱したことで抑えに回った。序盤はリードを守りきれない場面が目立ち、6月には4試合連続で失点するなど投球が安定せず、一時は新外国人のマイケル・クロッタが守護神を務めていた。後半戦は25試合でわずか2失点と精彩を取り戻し、自己最多となる23セーブを記録した。8月16日の埼玉西武ライオンズ戦では、指名打者が解除された上に野手を使い切ったことから延長11回に4年ぶりに打席に立つ場面も見られた(結果は二ゴロ)。なお、この日は大谷翔平がベンチ入りしていたものの、休養日だったために代打で起用されることはなかった。

2015年は開幕から抑えとして君臨し自身初となる30セーブを挙げ、ソフトバンクのデニス・サファテとセーブ王争いを演じたが最終的には2セーブ差で競り負け、それでも自己最多の39セーブとなった。10月9日には第1回WBSCプレミア12の最終ロースター28名に選出された。

2016年2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された。シーズン開幕当初は抑えとして活躍するが、3勝2敗10セーブ、防御率6.30と大きく悪化し、6月20日に一軍登録を抹消された。その後の抑えはクリス・マーティンに譲り、7月9日に栗山英樹監督は増井を先発に転向することを明言した。8月4日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で2010年以来先発として登板し、5回を投げて無失点に抑えた。同月25日のロッテ戦(QVC)ではプロ入り初めて完投を記録し、9月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)で初めての完封勝利を成し遂げた。先発8登板のうち6勝を挙げ、シーズン最終試合の9月30日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)では引退登板の武田勝のあとを受けて登板し、1失点ながらも救援勝利を挙げて自身初の2桁勝利を達成し、10勝10セーブを記録した。10勝10セーブを記録するのは、2000年に小林雅英が達成して以来の快挙となった。結局9月は5試合に登板して5勝0敗、防御率1.10、1完封を記録し、9月度の猛烈な追い上げによるチームのリーグ優勝に大いに貢献、自身初の月間MVPに選出された。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。

2017年には、NPBのオープン戦期間中に開かれた第4回ワールド・ベースボール・クラシックに、日本代表として出場。1次ラウンドでは対中国代表戦、2次ラウンドではオランダ代表戦とキューバ代表戦に登板すると、通算投球イニング2回2/3で防御率3.38という成績を残した。NPBのレギュラーシーズンでは、自身の希望でクローザーへ復帰すると、一軍公式戦52試合の登板で6勝1敗27セーブ7ホールド、防御率2.39を記録。 6月11日の対巨人戦ではNPB一軍公式戦史上59人目(65度目)の1球セーブ、8月16日の対ロッテ戦(いずれも札幌ドーム)ではNPB史上28人目の一軍公式戦通算100セーブを達成した。一方でセーブ失敗も6度記録してしまい、井口資仁の現役引退試合であった9月24日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)でも、2点リードの9回裏に登板したが、先頭の代打・清田育宏に右前打を打たれた後に次打者の井口から同点本塁打を打たれた。井口は増井降板後の延長11回裏に迎えた最終打席で凡退したため、この本塁打によって、現役最後の安打・打点・得点も記録したことになる。シーズン終了後の11月14日に、国内FA権の行使を表明。日本ハム球団からの残留交渉の他、オリックス、巨人が増井の獲得を検討。実際には巨人は獲得に乗り出さず、北海道日本ハムとオリックス両球団による交渉の結果、オリックスへの移籍を決意した。

2017年11月30日に、オリックスが増井の入団を発表。同日付で、フリーエージェント宣言選手契約締結合意がNPBから公示された。「契約期間3年・推定年俸総額9億円」という条件がベースの4年契約で、4年目の年俸については、成績などに応じて変動。背番号については、山﨑福也が2015年の入団以来着用してきた17を付ける。このため、山﨑は背番号を0へ変更。

2018年6月29日に札幌ドームで行われた北海道日本ハムとの試合でシーズン20セーブ目を挙げ、プロ野球史上4人目、日本人選手としては江夏豊以来となる12球団すべてからセーブを挙げた一人となった。 この年はシーズン途中までセーブ数はリーグ1位だったが森唯斗の7試合連続セーブなどもありセーブ数はリーグ2位で終えた。

2019年も開幕からクローザーを任されたが、調子が上がらずリリーフ失敗を繰り返したためシーズン中盤にセットアッパーに配置転換された。4月19日に通算150セーブ、9月2日には通算150ホールドを達成。NPBでは同年達成の藤川球児以来2人目(日米通算では平野佳寿を含め3人目)となり、パ・リーグでは初の達成となった。

2021年は、クローザーである平野がオリックスに復帰したことに伴い、先発に再び転向。15試合に登板し、3勝6敗、防御率4.94を記録。オフに、1億3000万円減となる推定年俸7000万円で契約を更改した。

2022年は、開幕から二軍が続き、6月9日に一軍に昇格するも敗戦。なおこの試合(対東京ヤクルトスワローズ戦)で勝利投手となっていれば、史上初の「全球団から勝利・セーブ・ホールド」を達成していた。最終的に2試合の登板で、0勝2敗、防御率3.86を記録に終わり、オフに戦力外通告を受けた。当初は現役続行を希望していたが、移籍先が決まらず、翌2023年1月27日に現役引退が報じられた。

2025年からは、GAORAの野球解説者として活動する。

オーバースローからリリーフとして起用された際の平均球速約149km/h、最速155km/hのストレートと落差の大きいフォークボールを軸に、スライダー・カーブも混ぜる。

野球を始めたきっかけは小学3年時に地元で行われた子供会のソフトボール大会に出場した際チームに野球をしていた同級生と6年生が居り、特に6年生の活躍に憧れそれまでスポーツ経験も無く公文式しかしてなかったが、少年野球の体験に行き4年生に進級後本格的に野球を始める。

出身の焼津はマグロで有名なため、練習用のグラブにはマグロのマークが刺繍されている。

増井自身の甲子園出場はないが、弟2人が静岡高と静岡商高で出場経験がある。なお、弟のうちの1人は静岡県立伊東商業高等学校野球部で監督として竹安大知を指導していたことがある。

家族は都内で暮らす夫人と息子2人、娘1人。シーズン中は離れ離れで過ごすので、スマートフォンでのビデオ電話機能で連絡を取り合う。第2子誕生の時に送られた夫人による手作りのお守りを肌身離さず持っている。また、オリックス移籍後も、増井は大阪で単身赴任を続けていた。現役引退決断後は家族のいる都内に身を移し、「主夫」として家族サービスに時間を費やしていることを語っている。

「ストレスをためたくない」と徹底したストイックな食生活は送っておらず、スナック菓子を普段から食べる。

各年度の太字はリーグ最高

最優秀中継ぎ投手:1回(2012年)

月間MVP:1回(投手部門:2016年9月)

パ・リーグ連盟特別表彰:1回(特別賞:2012年)

初登板・初先発登板:2010年4月9日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回7被安打4失点で敗戦投手

初奪三振:同上、1回裏に川﨑宗則から見逃し三振

初勝利・初先発勝利:2010年4月27日、対オリックス・バファローズ6回戦(札幌ドーム)、7回1被安打無失点

初ホールド:2011年4月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(札幌ドーム)、8回表に2番手で救援登板、1回無失点

初セーブ:2012年5月6日、対オリックス・バファローズ9回戦(札幌ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点

初完投勝利:2016年8月25日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(QVCマリンフィールド)、9回5被安打1失点8奪三振

初完封勝利:2016年9月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(東京ドーム)、9回8被安打2奪三振

初打席・初安打・初打点:2010年5月13日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、2回表に下柳剛から左中間適時二塁打

100ホールド:2013年8月20日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)、7回裏に4番手で救援登板、1回1与四球無失点 ※192試合目での達成は史上最速

100セーブ:2017年8月16日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(札幌ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回1失点 ※史上28人目

150セーブ:2019年4月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(楽天生命パーク)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上14人目

500試合登板:2019年8月2日、対埼玉西武ライオンズ16回戦(京セラドーム大阪)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点 ※史上100人目

150ホールド:2019年9月2日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上8人目

シーズン45ホールド:2012年 ※パ・リーグ記録

シーズン50ホールドポイント:2012年(救援勝利5+45ホールド) ※パ・リーグ記録

1球セーブ:2017年6月11日、対読売ジャイアンツ3回戦(札幌ドーム)、9回表にルイス・クルーズを一塁ゴロ ※史上59人目65度目、パ・リーグ史上28人目30度目

全球団からセーブ:2018年6月29日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、9回裏に4番手で救援登板、1回無失点 ※史上4人目

100セーブ100ホールド ※史上4人目

150セーブ150ホールド ※史上2人目、パ・リーグ初

オールスターゲーム出場:3回(2011年、2013年、2018年)

43(2010年 - 2011年)

19(2012年 - 2017年)

17(2018年 - 2022年)

2015 WBSCプレミア12 日本代表

2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

^ ホールドと、ホールドポイントの両方でパ・リーグのシーズン新記録を樹立したため。

^ 「17 増井 浩俊 選手名鑑2019|オリックス・バファローズ」『オリックス・バファローズ オフィシャルサイト』。2021年7月27日閲覧。

^ 広報やいづ2011年4月1日号 焼津市役所

^ オリックス8位・川端崇義「26歳、遅咲きルーキー」 ~ルーキーたちの軌跡No.6~ 二宮清純責任編集SPORTS COMMUNICATIONS 2012年1月31日付

^ 「ハム増井結婚「守るものできた」飛躍誓う」『日刊スポーツ』2010年11月9日。2024年6月21日閲覧。

^ 馬原が球宴辞退 ハム2年目右腕が代役で初出場 スポーツニッポン 2011年7月20日付記事

^ 馬原の“代役”増井 全球直球勝負!150キロ台連発 スポーツニッポン 2011年7月23日付記事

^ 日刊スポーツ大阪版・特報版 2012年5月7日付 6版5面「久離脱で守護神大役ドキドキ F増井プロ初S」より

^ 新守護神・増井プロ初セーブ「これからも激しい投球で」 - スポニチ,2012年5月7日

^ 「ハム増井が史上最速100ホールド」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2013年8月21日。2014年2月20日閲覧。

^ ハム5度目サヨナラ負け…守護神・増井「疲れてはない」スポーツニッポン 2014年6月23日付記事

^ ハム珍プレー 満塁機で「4番ピッチャー増井」 野手使い切り…スポーツニッポン 2014年8月17日付記事

^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧

^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧

^ 不振で2軍落ちの日本ハム・増井、先発転向 栗山監督が明言 デイリースポーツ 2016年7月9日

^ 増井10勝10S 00年のロッテ・小林雅以来 スポニチアネックス 2016年10月1日付記事

^ 「2016年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ) | 表彰選手」『NPB.jp 日本野球機構』。2016年10月7日閲覧。

^ 11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月18日) 2016年10月18日閲覧

^ 「増井浩俊投手が通算100セーブ達成」『北海道日本ハムファイターズ』2017年8月16日。2017年8月16日閲覧。

^ 「オリックス、日本ハムFA・増井は巨人と争奪」『SANSPO.COM』サンケイスポーツ、2017年11月16日。2017年12月21日閲覧。

^ 「オリックス、増井獲得発表! 4年最大12億背番17」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2017年11月30日。2017年11月30日閲覧。

^ 『フリーエージェント宣言選手契約締結合意』(HTML)(プレスリリース)2017年11月30日。https://npb.jp/announcement/2017/fa_signed.html。2017年11月30日閲覧。 

^ 「オリックス FAの日本ハム・増井を獲得 3年9億円プラス4年目の年俸は変動制」『Sponichi Annex』2017年11月30日。2018年11月27日閲覧。

^ 「オリックス増井12球団S達成 日本人は江夏以来」『日刊スポーツ』2018年6月29日。2018年6月29日閲覧。

^ 「オリックス・増井 NPB史上2人目の150セーブ&150ホールド 藤川球児に続き」『デイリースポーツ online』2019年9月2日。2019年9月2日閲覧。

^ 「オリックス増井浩俊1億3000万円減 減額制限を超える65%ダウン」『日刊スポーツ』2021年12月15日。2021年12月15日閲覧。

^ 「【オリックス】増井浩俊“偉業”ならず 史上初12球団勝利&セーブ&ホールド目指すもリード許し降板」『日刊スポーツ』2022年6月9日。2024年6月21日閲覧。

^ 「オリックスが増井浩俊、中村勝に戦力外通告 両投手とも現役続行を希望」『スポーツニッポン』2022年10月17日。2023年1月27日閲覧。

^ 「元オリックス増井浩俊が現役引退 現役続行希望も移籍先決まらず 昨季2試合登板」『日刊スポーツ』2023年1月27日。2023年1月27日閲覧。

^ 「森繁和の投手考察 今週の考察対象/増井浩俊[日本ハム]」『週刊ベースボールONLINE』2012年10月16日。2016年7月18日閲覧。

^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、90頁。ISBN 978-4-905411-17-8。

^ 侍ジャパントップチーム選手紹介/増井浩俊(北海道日本ハムファイターズ) 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月25日) 2016年5月1日閲覧

^ 熱球ナイン2014年4月号 北海道新聞社

^ 「『よかったね』日本ハム・増井が奮い立った夫人・佳奈さんの言葉」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2016年9月29日。2016年9月29日閲覧。

^ 「【オリックス】増井浩俊「家族と離れ離れ」一人ぼっちのGWも「健康第一」」『スポーツ報知』2020年5月5日。2021年5月9日閲覧。

^ 「オリックス・平野佳寿の史上初日米通算200セーブ&200ホールド…「ずっとライバル」増井浩俊さんだから知るすごさ」『スポーツ報知』2023年5月15日。2024年4月15日閲覧。

^ 「【球界ここだけの話(1644)】オリックスの守護神、増井とピザポテト」『サンケイスポーツ』2019年6月8日。2021年12月19日閲覧。

^ 「増井を特別表彰、小久保に功労賞」『日刊スポーツ』2012年10月1日。2021年12月19日閲覧。

^ 「先週達成された主な記録と近日達成が予想される記録(6/12現在)」『NPB.jp 日本野球機構』2017年6月13日。2023年1月27日閲覧。

^ 「オリックス・増井 史上初の「全球団勝利&全球団セーブ」に意欲 残るはヤクルト戦勝利だけ」『スポーツニッポン』2021年1月13日。2023年1月27日閲覧。

^ 「ハム増井、広げた視野と投球の幅 プロ人生で手にした「まさか」の偉業」『Full-Count』2017年8月17日。2023年1月27日閲覧。

静岡県出身の人物一覧

駒澤大学の人物一覧

北海道日本ハムファイターズの選手一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

個人年度別成績 増井浩俊 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

1996 島崎毅

1997 橋本武広

1998 吉田修司

1999 藤井将雄

2000 藤田宗一

2001 吉田修司

2002 森慎二

2003 森慎二

2004 建山義紀

2005 菊地原毅

2006 武田久

2007 薮田安彦

2008 川﨑雄介

2009 攝津正

2010 B.ファルケンボーグ, 攝津正

2011 平野佳寿

2012 増井浩俊

2013 佐藤達也

2014 佐藤達也

2015 増田達至

2016 宮西尚生

2017 岩嵜翔

2018 宮西尚生

2019 宮西尚生

2020 L.モイネロ

2021 堀瑞輝

2022 平良海馬, 水上由伸

2023 L.ペルドモ

2024 河野竜生

30 杉本泰彦

31 小島啓民

32 高見泰範

33 堀井哲也

11 山中浩史

13 田中篤史

14 斎藤貴志

15 阿南徹

16 岡本洋介

17 増井浩俊

18 大谷智久

19 亀川裕之

20 平井英一

21 比嘉幹貴

23 佐伯亮

24 鈴木健司

27 山岡剛

4 久米健

5 澤村幸明

6 森志朗

7 宮澤健太郎

8 佐々木勉

9 横山憲一

1 長野久義

3 小手川喜常

10 池邉啓二

28 清田育宏

29 荒波翔

90 小久保裕紀

73 奈良原浩(ヘッド)

79 大西崇之(外野守備・走塁)

80 稲葉篤紀(打撃)

87 仁志敏久(内野守備・走塁)

88 矢野燿大(バッテリー)

89 鹿取義隆(投手)

10 松井裕樹

11 菅野智之

14 則本昂大

15 澤村拓一

16 大谷翔平

18 前田健太

19 増井浩俊

21 西勇輝

22 大野雄大

24 山﨑康晃

29 小川泰弘

30 武田翔太

35 牧田和久

27 炭谷銀仁朗

37 嶋基宏

52 中村悠平

2 今宮健太

3 松田宣浩

5 川端慎吾

6 坂本勇人

9 中島卓也

13 中田翔

23 山田哲人

60 中村剛也

7 中村晃

8 平田良介

25 筒香嘉智

55 秋山翔吾

90 小久保裕紀

73 奈良原浩(ヘッド)

72 権藤博(投手)

80 稲葉篤紀(打撃)

87 仁志敏久(内野守備・走塁)

79 大西崇之(外野守備・走塁)

84 村田善則(バッテリー)

10 松井裕樹

11 菅野智之

12 秋吉亮

14 則本昂大

15 宮西尚生

17 藤浪晋太郎

19 増井浩俊

20 石川歩

30 武田翔太

34 岡田俊哉

35 牧田和久

41 千賀滉大

66 平野佳寿

9 炭谷銀仁朗

22 小林誠司

27 大野奨太

2 田中広輔

3 松田宣浩

4 菊池涼介

6 坂本勇人

13 中田翔

23 山田哲人

1 内川聖一

7 青木宣親

8 平田良介

25 筒香嘉智

51 鈴木誠也

55 秋山翔吾

1位:中村勝

2位:大塚豊

3位:加藤政義

4位:運天ジョン・クレイトン

5位:増井浩俊

6位:荒張裕司

日本の野球選手

静岡県立静岡高等学校出身の野球選手

駒澤大学硬式野球部の選手

東芝野球部の選手

北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

最優秀中継ぎ投手 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

野球日本代表選手

WBSCプレミア12日本代表選手

2015 WBSCプレミア12選手

ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手

2017 ワールド・ベースボール・クラシック選手

野球解説者

静岡県出身のスポーツ選手

1984年生

存命人物

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プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2025/04/08 21:57更新

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