小笠原道大の情報(おがさわらみちひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小笠原 道大さんについて調べます
■名前・氏名 |
小笠原道大と関係のある人
アレックス=ラミレス: 日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファウルボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した。 坪井智哉: 2番・SHINJO(新庄剛志)が送りバントで進め、3番・小笠原道大の内野ゴロでホームに還り、北海道移転後のチーム公式戦初得点も記録。 和田一浩: また、現役で2,000安打達成選手が同一球団に3人(和田、谷繁元信、小笠原道大)いるのもプロ野球史上初となった。 手嶌智: 2005年はファームで最多勝(10勝)を上げたが、やや制球・変化球に難があり、6月22日に一軍で初登板・初先発した際も甘く入ったチェンジアップを小笠原道大にレフトスタンドに運ばれるなどでノックアウトされている。 坪井智哉: オールスター後も打撃が絶好調で、8月中旬までチームメイトである小笠原道大と激しい首位打者争いを演じる。 垣内哲也: 2004年9月11日、選手会のストが前日に回避されて行われた日本ハムとのプレーオフ戦で、1点を追う9回裏二死無走者で打席に入り3塁ゴロに倒れ、敗戦と思われたが、小笠原道大の失策で出塁し、後続のタイムリーで生還して延長戦に突入する。 木下達生: しかし、同僚だった小笠原道大からは「お前はピエロだ」と言われ、高校時代の監督にも窘められたことから亀田パフォーマンスを封印した。 原辰徳: ベテランの小笠原道大やアレックス・ラミレスが期待通りの成績を残したことも、若手起用にも繋がり相乗効果となり、年間安打数1375本は球団歴代最多となった。 吉田正尚: それでも最終的には打率.339と、2位の森友哉(西武)に3分の差をつけ、パ・リーグでは2002年、2003年の小笠原道大(日本ハム)以来、球団ではイチロー以来2人目となる2年連続の首位打者、出塁率も.429で自身初の最高出塁率のタイトルを獲得した。 大道典嘉: 2008年も右の代打の切り札として活躍していたほか、膝に不安を抱えていた小笠原道大に代わって3番・一塁手としてスタメン出場することもあった。 眞下貴之: 勝敗は付かないものの、小笠原道大からは2三振を奪うなどチームの期待に応えるデビューとなった。 星野智樹: 日本シリーズ(対読売ジャイアンツ戦)では第2戦・第3戦・第7戦に中継ぎで登板すると、小笠原道大へ死球を与えた以外は安打すら許さない完璧な投球を披露した。 石川駿: 現役引退表明時、指導を受けた落合博満、加藤秀司、小笠原道大の3人に感謝の気持ちを示し、「この世界に入ったから出会えました」と有り難がった。 岩隈久志: この試合ではキューバ中堅手のヨエニス・セスペデスが小笠原道大の放った中飛を落球するなど霧深い悪質なグラウンドコンディションであったが、守りやすくしようと「フライを打たせないようにした」と低めにスライダーやシュートを制球し、アウトの15/18は内野ゴロで打ち取り、一次リーグで最も本塁打数の多かったキューバ打線を完全に手玉に取って準決勝進出に貢献した。 平山相太: サッカー選手は選手寿命が短いのだから時間の使い方がもったいないのではないか」との指摘や、NHKの番組 にてプロ野球選手・小笠原道大(当時読売ジャイアンツ所属)の練習姿勢に感銘を受けた事などが重なり、「プロとしての自覚が足りないことに気付き、極限の努力をするべき」だと意識改革を試みる。 福浦和也: 小笠原道大との首位打者争いで、9月14日時点で打率.326と、小笠原の.344に差を付けられていたが、そこから閉幕まで55打数27安打(.491)で一気に小笠原を抜き去り、打率.346で首位打者を獲得した。 藤川球児: 7月21日のオールスターゲーム第1戦では登板前に「野球漫画のような世界を創りたい」と話し、先頭打者のアレックス・カブレラへの投球前に、全球ストレートを予告し、1回もバットに当てさせず空振り三振に取り、続く小笠原道大に対しても全て直球を投じて空振り三振に打ち取った。 井出竜也: 2001年5月29日の大阪近鉄バファローズ戦(東京ドーム)では、1アウト一塁の場面で井出の打球をライトの礒部公一がクッションボールの処理に手間取り、その後ホームへの返球をキャッチャー的山哲也が捕れず、一塁ランナーの小笠原道大がホームイン。 阿部寿樹: 打撃では2018年に当時の二軍監督の小笠原道大から下半身を意識した打撃を指導され、広角に打ち分ける技術とパンチ力を身につけた。 髙橋信二: アテネオリンピックで小笠原道大の不在時は3番フェルナンド・セギノール、4番髙橋のクリーンナップを組んだこともあった。 立石尚行: チームメートにバッテリーを組んでいた小笠原道大(当時捕手)や、遊撃手の沖原佳典がいる。 亀井義行: 試合後の引退セレモニーでは、自身のドラフト指名から活躍をまとめた映像がオーロラビジョンで流れた後、かつての同僚・高橋由伸、小笠原道大、アレックス・ラミレス、内海哲也からビデオメッセージを受け、チームの主将・坂本勇人から花束を手渡された。 帆足和幸: 9月30日に昇格して同日の対日本ハムファイターズ戦に先発し、小笠原道大に初回先頭打者本塁打を打たれ、2回に押し出し四球で降板。 近藤健介: しかし、球団では小笠原道大、西川、田中賢介に次ぐ史上4人目の記録となった。 寺内崇幸: 初出場:2008年3月29日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、9回表に小笠原道大の代走で出場 木村拓也: 5月26日の対日本ハム戦では故障で欠場した小笠原道大に代わり3番でスタメン出場し、先制点となる本塁打を放ち勝利に貢献した。 片岡篤史: また、小笠原道大がまだ新人だった頃、その才能を見抜いて熱心に指導を行い、小笠原本人も「いつも片岡さんの背中を追いかけていた」と語っている。 田中祐貴: 中村剛也(西武)や小笠原道大(読売ジャイアンツ)といった強打者をスローボールで翻弄したほか、後半戦では、シュートを新たに織り交ぜることで投球の幅を広げた。 石岡諒太: 中日時代の二軍監督だった小笠原道大の“愛弟子“という縁から、ピン芸人「小笠原ミニ大」ことパキオと仲が良い。 鈴木誠也: 5年連続で打率3割以上と25本塁打以上を記録したのは王貞治、落合博満、小笠原道大に続く史上4人目の快挙だった。 |
小笠原道大の情報まとめ
小笠原 道大(おがさわら みちひろ)さんの誕生日は1973年10月25日です。千葉出身の野球選手のようです。
卒業、家族、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小笠原道大の現在の年齢は51歳のようです。
小笠原道大のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 - )は、千葉県千葉市美浜区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)。右投左打。愛称は「ガッツ」(後述)、「北の侍(サムライ)」、「ミスターフルスイング」。 2006年パシフィック・リーグ、2007年セントラル・リーグのMVP。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 7歳から野球を始め、千葉西リトルリーグでプレーする。 1989年に暁星国際高等学校に進学したが、入学時は全く無名の選手で、当時の五島卓道監督曰く「千葉西リトルの(中学)2年生で欲しい選手がいて、その選手を獲る代わりに頼まれたのが、どこからも声のかからない小笠原だった」という。それまでは遊撃手・三塁手・外野手の複数のポジションをこなしていたが、高校進学後に二塁手にコンバートされ、翌1990年にはチーム事情から捕手を兼ねる(ただし、本人は「捕手は一番嫌なポジション」だったという)。2年生の時には同期のエース北川哲也を擁し、二塁手、五番打者として1990年夏の千葉大会決勝に進むが、成田高校に敗れ甲子園出場を逸する。高校通算本塁打は0本で、県内でも注目された選手ではなかった。 コツコツと努力を続ける愚直な小笠原の姿から五島監督が「高校通算30本塁打を打った選手」との嘘の推薦により卒業後NTT関東に入社。ポジションは「仮に選手としてダメでもカベ(ブルペン捕手)で残れるから」という理由で捕手を続ける。沖原佳典とともに中心打者として活躍し、後に日本ハムでも同僚となる立石尚行とバッテリーを組む。1996年の第67回都市対抗野球に、沖原、立石とともに新日鐵君津の補強選手として出場。JR東海との1回戦では二番打者として起用され、3本の二塁打を放つなど活躍、立石、森慎二らの完封リレーで勝ち上がる。ヤマハとの2回戦でも勝ち越しの本塁打を放ち、準々決勝に進むが朝日生命に敗退した。この時のチームメイトに四番打者の松中信彦がいる。 1996年ドラフト会議で日本ハムファイターズから3位指名を受ける。入団会見では「首位打者を取れるような打者になりたい」と宣言した。 1997年は開幕一軍入りを果たし、内野手登録だったものの23試合で捕手として先発出場している。 1998年に、それまでの内野手登録から捕手登録に変更される。主に代打での出場だったが、打率.302と好成績を残す。5月22日に捕飛を取ろうとして左手人差し指を骨折し、登録抹消されたが、傷が完治する前の7月7日に一軍登録されると、その日の試合で代打本塁打を放つ(この時折れた指は当然バットを握れず、指を真っ直ぐに立てて固定した状態だった)。このことがきっかけで「ガッツ」の愛称が定着した(後述)。9月28日には代打出場した後にライトの守備に就いている(一軍で外野守備に就いたのはこの一度のみ)。 1999年は打撃を活かすため一塁手に転向。西浦克拓とのポジション争いの結果、一塁手の座を勝ち取る。足の速さを買われて2番打者を務め、一切バントをしないことから「バントをしない2番打者」として開幕からレギュラーに定着しブレイク。西武ライオンズのルーキー・松坂大輔のプロ初登板初先発の試合では8回に松坂のプロ初失点初被弾となる2点本塁打を放った。打率.285(リーグ7位)、25本塁打(リーグ5位)、83打点(リーグ6位)などリーグ内でも上位の成績を残す。 2000年に打率.329(リーグ3位)、31本塁打(リーグ4位)、102打点(リーグ4位)、リーグ新記録(当時)の126得点、球団新182安打(当時)を記録して最多安打のタイトルを獲得。またリーグ3位の24盗塁を記録、球団では張本勲以来の3割20本20盗塁を達成。同年は126得点で落合博満が持っていたパ・リーグ年間記録を更新(翌年にタフィ・ローズが更新)。 2001年はシーズン当初の打順は主に2番や3番であったが、後半戦から1番に定着。千葉ロッテマリーンズの福浦和也との首位打者争いには敗れたが、打率.339(リーグ2位)を記録。ただ本塁打数は32本と前年を上回ったものの同年から試合数が増加したことや飛ぶボールの影響かリーグ総本塁打数が1000本を超える打高年になったこともあり順位を落とし(リーグ8位)、打点も86打点と前年を下回った(リーグ13位)。しかしながら前年に続きパ・リーグ最多安打を記録(195安打)。195安打はシーズン安打数両リーグで歴代2位の数字(当時)であり、イチロー以来、史上2人目となる複数年での180安打以上も記録した。推定年俸1億1000万でサインした。 2002年も、阪神タイガースへ移籍した片岡篤史が抜けた打線の柱として3番打者に定着。同年の新ストライクゾーン導入もあり(翌年以降は廃止された)リーグ平均打率が.255(00年代最低値)と他の打者が成績を落とす中でそれを物ともせずに打ちまくり、打率.340で前年逃した首位打者を獲得。打率傑出度(RBA)や攻撃力の傑出度を測るRCWIN等は同年の数値が自身最高記録である。本塁打は32、打点は81と数値自体は前年と同程度だったが、それぞれリーグ6位、リーグ8位と順位を上げた。しかし、前年まで3年連続で記録したフル出場が故障のため途絶えた。推定年俸3億でサインした。 2003年にはチーム事情から三塁手に転向。シーズン通して首位打者争いを繰り広げ、シーズン序盤は西武の和田一浩と争い、阪神から日本ハムに移籍してきた坪井智哉やオリックス・ブルーウェーブの谷佳知とシーズン終盤まで繰り広げた。坪井・谷らを退けて打率.360という高打率で2年連続で首位打者を獲得すると同時に最高出塁率(パ・リーグ歴代3位、平成時代のプロ野球記録)のタイトルも獲得。また、31本塁打(リーグ7位)、100打点(リーグ7位)を記録し2000年から4年連続で3割・30本塁打を達成。 2004年は、右第12浮肋骨骨折で約2週間登録抹消され、またアテネ五輪出場による離脱の影響もあり、本塁打・打点は規定打席到達年で過去最低を記録。それでも、打率は.345(リーグ2位)で5年連続3割を記録した。7月24日に社会人野球出身のプロ選手では史上最速で通算1000安打を達成。また、打率.345を記録したことで4年連続で打率.330以上を記録している。 2005年には、自己最多の37本塁打を記録するも、6年ぶりに打率3割を切った。三振も自己最多の114三振を記録。チームも5位に沈んだ。 2006年は主に一塁を守り、打率.313・32本塁打・100打点で本塁打・打点の二冠王ならびに自身初のパ・リーグMVPにも輝き、ファイターズ25年ぶりの優勝・44年ぶりの日本一に貢献した。5月15日にFA権を取得し、シーズン終了後にFA権を行使。日本ハムから残留要請を受ける一方、読売ジャイアンツからも入団オファーを受けた。 提示された契約年数(日本ハムは3年に対し、巨人は4年)ならびに家族との同居が可能であること(日本ハムの札幌移転後は家族を市川市の自宅に残し、単身赴任していた)が決め手となり、2006年11月5日、巨人への移籍を正式に発表。背番号は日本ハム在籍時と同じ2。日本ハム時代のトレードマークだった髭を「新しいことの始まり」「男のけじめ」として自ら剃り落として入団会見に臨んだ。後日談で髭は容認の方向だったと聞かされたという。本人は「野球以外のことでネタになりたくなかった。髭で野球をやるわけではない。プレーでちゃんとすればいいので交渉時から剃っていった。ドラゴンズに行ったときは『髭が見たい』というファンや周りの方の要望が多かったので生やした」と当時のことを回顧している。 2007年、開幕戦に「三番・三塁」としてスタメン出場。4月3日の中日戦(東京ドーム)にて、山本昌から巨人移籍後初本塁打を打った。5月28日のオリックス・バファローズ戦(東京ドーム)では自身初の1試合3本塁打を記録。7月24日には移籍後初めて四番を任され、9月15日には史上4番目の速さで通算1500安打を達成。最終的には二年連続の3割30本を達成。前年に続いての2年連続MVPを獲得した。なおセ・パ両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目であり、野手としては史上初の受賞となった。加えて、リーグを跨いでの2年連続MVP獲得も史上初である。 2008年、前半戦は左膝の手術の影響もあり、打率は.250前後に低迷。これが原因で、1999年から9年連続で出場していたオールスターゲームへの出場を逃すとともに、2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表メンバーにも選出されなかった。しかし、試合に出場し続けることで7月頃になると「(本人曰く)スイッチが入った」ように復活。シーズン終盤9月の月間MVPを受賞したり、7月8日にチームが阪神に最大13ゲーム差をつけられた翌日からの残り66試合で11本のオガラミ弾(自分自身とアレックス・ラミレスのアベック本塁打のことで2008年は王貞治・長嶋茂雄のアベック本塁打ON弾をも凌ぐ15本)を記録したりするなどして復調。チームも小笠原の復調そのままに最大13ゲーム離されていた阪神に追いつき、逆転優勝を達成。前年・前々年に匹敵する成績を残し、移籍後初の全試合出場も果たした。6月8日、プロ入り後初の犠打を記録。9月3日の対広島東洋カープ戦(大阪ドーム)で史上62人目(史上66度目、球団史上5人目)となるサイクル安打を達成。更に9月19日には史上35人目となる通算300号本塁打を打った(球団史上8人目)。10月23日のクライマックスシリーズ第2ステージの対中日ドラゴンズ戦で、朝倉健太から1回裏に2点本塁打、2回裏には満塁本塁打と2打席連続で本塁打を打ち、クライマックスシリーズ新記録となる1試合6打点を記録した。 2009年は不動の3番打者として安定した働きを見せ、チームのリーグ3連覇に貢献。オールスターゲームにも選出された。また、移籍後初の3割30本塁打100打点を記録した(打点はキャリアハイ)。東京ドームでの通算本塁打数が松井秀喜の146号を上回る147号本塁打を打ったことで、現役最多となった。8月27日の対中日戦で通算1000打点を、9月8日の対横浜ベイスターズ戦で通算1000得点を達成した。 2010年4月7日の阪神戦で久保康友から本塁打を打つ。阪神甲子園球場での初本塁打となり、ヒーローインタビューでは、一軍内野守備走塁コーチである木村拓也が亡くなった日であることも受けて「本当に一人一人思うところがあって、そのなかでゲームをしたと思います。そういう意味で全員で勝利を掴みとれました。木村コーチに勝たせてもらったと思います」と語った。打率.359、9本塁打、29打点の好成績で通算8度目となる3、4月の月間MVPを授賞。5月30日の対西武戦で、岸孝之から史上24人目の通算350本塁打を達成。6月4日の対日本ハム戦で金森敬之からバックスクリーンへ本塁打を打ち、史上18人目となる全球団から本塁打を達成した。最終的にこの年も3割30本を記録し、移籍後4年連続の3割30本と、王貞治の18年連続、落合博満の13年連続に次ぐ11年連続のOPS.900以上を達成。この年で4年契約が終わり、11月29日の契約更改で5000万円増となる推定年俸4億3000万円の2年契約を結んだ。 2011年は新外国人のラスティ・ライアルの加入・原監督の意向で三塁手に挑戦した亀井義行の起用・小笠原の負担軽減などを視野に入れ、一塁手に固定された。5月5日には、対阪神戦の8回裏に小林宏之から中前安打を記録し、通算2000安打を達成した。通算1736試合での2000安打達成は川上哲治、長嶋茂雄、張本勲に次ぐ歴代4番目の早さとなる。しかし5月14日に左脹脛負傷で登録抹消され、8月24日にも左手首はく離骨折で登録抹消されるなど故障や不調に苦しみ、83試合の出場にとどまり、打率.242、5本塁打、20打点で、13年ぶりに規定打席に到達できずシーズンを終えた。推定年俸4億3000万でサインした。 2012年は開幕スタメンで出場するも前年同様打撃不振に苦しみ、プロ入り最少の34試合の出場に留まり、打率.152、15年ぶりにシーズン無本塁打となった。2年契約が終わり、12月5日の契約更改では当時のNPB史上最大の減額となる3億6000万円減の推定年俸7000万円で更改した。これらの時期が、打者に不利と言われた飛ばない統一球の導入と重なったため、統一球が向かい風となって成績を落とした選手の一人としてよく挙げられる。 2013年春季キャンプ中の2月17日、フリー打撃で左手の人差し指を15針縫う怪我を負ったこともあり開幕を二軍で迎えたが、5月18日の対西武戦(西武ドーム)で4回に二死満塁の場面で代打で同年初出場し、三振に倒れる。6月5日の対日本ハム戦(東京ドーム)では延長11回裏無死二・三塁の場面で代打で出場し、増井浩俊から自身2年ぶりの本塁打となるサヨナラ3点本塁打を打つ。しかし同月29日に一軍登録抹消されると、怪我などもあって以降の一軍昇格はなく、この年は22試合出場で打率.250、本塁打1本に終わり、日本シリーズの出場資格枠40人にも入らなかった。シーズン終了後の11月10日にFA宣言する意思を表明。球団としては構想外ではあったが、功労者を戦力外として出て行かせてはならないと、残留を勧めた上で出場機会のある他球団への移籍も考えていた。9月より球団と話し合いを重ね、宣言の数日前に「新しいところで挑戦」とし決断した。 2013年11月26日に中日への入団が発表され、同日入団会見が行われた。背番号は落合博満GM(当時)の現役時代の背番号である「3」と「6」を合わせた「36」となった。 2014年は、代打の切り札として起用される場面が多かったが、開幕直後は森野将彦が休養日の際のスタメン、交流戦は指名打者での出場もあった。4月9日の対ヤクルト戦で押本健彦から移籍後初の2点本塁打を打ち、また代打6打数連続安打(歴代3位)・代打9打席連続出塁(歴代2位)を記録するなど、打席数は100打席に満たなかったものの打率.301を記録する活躍を見せた。また、巨人時代に剃っていた髭もトレードマークとして再び生やしている。 2015年7月に入って出場選手登録を抹消され同28日に再び一軍に昇格したが、わずか2試合で再び二軍へ降格した。一部スポーツ紙から翌年以降の去就が注目される報道がなされる中9月12日に一軍に復帰し、その日の対ヤクルト戦で小川泰弘より適時打を打った。 2015年9月15日、中日新聞の紙上において谷繁元信監督兼選手とともに同年限りで現役を引退することが報じられ、同17日に名古屋市内で記者会見を行い、正式に引退を表明。引退試合となった9月21日の古巣・巨人戦では5番一塁手としてスタメン出場し、4回の第2打席で遊撃への内野安打(通算2120本目の安打)を打って前田智徳を上回る歴代通算安打数単独26位となる。7回の第3打席ではスコット・マシソンの155km/hを強振し、左翼線に安打性のライナーを打ったが左翼を守っていた亀井に好捕され、これが最終打席になった。ベンチに戻る前に「現役引退」のアナウンスが流れると、三塁ベンチから出た巨人・高橋由伸(後に現役引退を表明、巨人監督に就任)から花束を贈呈され、握手を交わした。さらに2人の娘からも花束を受け取ると、マシソンら巨人の選手らも拍手で小笠原を見送った。10月3日には2016年シーズンからの二軍監督就任が決定し、10月5日のフェニックスリーグより指揮を執ることが発表された。背番号は82(この時点では背番号「36」を着用して指揮を執っていた)。ちなみにこの10月5日の時点では、一軍は対広島最終戦が7日に雨天順延となっていたため、全日程を完了していなかった(7日は同じく同年で引退の山本昌の引退登板であり、同年で引退する兼任監督の谷繁ももう一度だけ選手登録されたが出場はしなかった)。 2016年からは中日の二軍監督を務めた。同年ウエスタン・リーグ2位、翌2017年も2位だったが、2018年には最下位となり、2019年は4位で全日程を終え、9月28日に同シーズンを以て中日の二軍監督を退任することが発表された。 2019年10月9日、一軍ヘッド兼打撃コーチとして14年ぶりに古巣の日本ハムへ復帰することが発表され、翌10日に会見が行われた。2021年10月28日、契約満了に伴い、レギュラーシーズン終了をもって退団することが発表された。 2021年11月13日、読売ジャイアンツの二軍打撃コーチに就任することが発表された。 2022年10月13日、2023年シーズンから三軍打撃コーチに配置転換されることが発表された。12月14日、翌年からの背番号が100になると発表された。2023年10月10日、退任したことが発表された。 2004年シーズン中にアテネオリンピック野球日本代表に選出され、9試合に出場し、打率.241、9打点を記録。銅メダルを獲得した。 2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。第1ラウンドで日本代表チーム初本塁打を打ち、決勝のキューバ戦では押し出し四球や犠牲フライで3打点を挙げ、日本の優勝に貢献した。 2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCの日本代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。背番号は9(城島健司が「2」を付けたためで、2004年のアテネ五輪の時と背番号が入れ替わっている)。1次リーグでは不振だったが、2次リーグに入ると復調。適時打を打つなど主に5番打者として全試合に出場し、決勝でも先制打を打って日本の2大会連続2度目の優勝に貢献した。 2005年を除いて2000年から2010年まで打率.300以上を記録したアベレージヒッターでありながら、コンスタントに30本以上本塁打を打つ長打力も持ち合わせていた。現役晩年は統一球と怪我に加え、加齢による衰えの影響で成績が大きく落ち込んだが、通算打率は歴代9位(.310)、通算RCWIN・RC27傑出度(4000打席以上)は歴代10位にランクインするほどの強打者である。 3割30本を9回達成し、これは王貞治に次ぐ歴代2位の記録である。また11年連続OPS.900超えという記録は王貞治、落合博満に次ぐ歴代3位の記録であり、長年にわたって安定した成績を残し続けた。 打席においては日本ハム時代の打撃コーチだった加藤英司から影響を受けた大きな構え(神主打法)からフルスイングする。試合前などの打撃練習では左方向への打撃を繰り返すなどボールを手元に呼び込むことを意識しているため引っ張るだけの大味なスイングにならず、広角に長打を打つことができる。ただ、本人曰く神主打法においては日本ハム時代に同僚だった落合博満の影響は少ないという。例年.070以上のIsoD(出塁率-打率)を記録するなど選球眼にも優れている。巨人移籍以降2010年までの対右打率.320と右投手に強い他、同じく得点圏打率.334とチャンスにも強く、苦手なコースも少なかった。 日本ハム時代は当時監督だった上田利治の方針もあり、2番で起用された時期も含めて2008年6月8日の西武戦まで公式戦で犠牲バント成功が1度もなく、1997年から1999年の間で7度の指示があったが失敗している。2006年のWBCでは送りバントを試み、成功させた。 プロ入り当初は捕手、内野手の両方をこなせることから「コンビニルーキー」などと称されていた。1998年の落合の引退後には、捕手から一塁手に転向している。 三塁守備では三塁線のベース際の打球などにもうまく対処し、ゴールデングラブ賞を1度受賞しているが、2010年はUZR-2と平均を下回り、2011年は前述の事情、2012年以降は正三塁手の村田修一の加入、中日移籍以降はエクトル・ルナや高橋周平らの存在もあり、主に一塁手として出場した。その一塁守備ではグラブ捌きが巧みで、ゴールデングラブ賞を1999年から2002年までの4年連続を含めて5度受賞している。 走塁面では一塁到達4.2秒台前半を記録するなど平均以上の脚力を備え、2000年にはキャリア唯一の2桁盗塁となる24盗塁も記録しているが、2002年の故障後は盗塁数が減少し、晩年は年齢的なスピードの衰えもあり一塁到達4秒台後半が多くなった。 愛称は「ガッツ」。日本ハム時代につけられた愛称である。名づけ親は当時チームメイトだった岩本勉、上田佳範、片岡篤史、建山義紀、金村暁、金子誠の6人で、合コンの席で飲み食いにしても、女性に対してもがっつくことから「ガッツ君」と呼んだのが始まりだというが、その後小指を骨折した状態で本塁打を打ったことで「ガッツがある」としてこの愛称が定着することになる。 「孤高の侍」という異名も持っていた。 野球以外では、名字が「小笠原」である縁から東京都小笠原村の観光親善大使に1999年12月25日に就任し、島の少年野球チームにユニフォームをプレゼントしたり、同村の交流事業に参加したりするなどの活動を行っている。他にも2008年の開幕前に巨人と同じく宮崎でキャンプを行っていたJリーグ・鹿島アントラーズの小笠原満男と対談し、それぞれのチームのユニフォーム交換を行った。 私生活では2人の娘がおり、長女の茉由は女優として活動している。 東京都小笠原村の観光親善大使であることから、日本ハム時代には小笠原の本塁打時に小笠原村のザトウクジラの映像がバックスクリーンに表示されていた。このことから、一部のファイターズファンは小笠原が打席に入ると小笠原村のシンボルであるイルカの風船(または、浮き具)を持って応援していた。応援歌のイントロ部分に入るコールも小笠原村に因んだものであり、チームの札幌移転時に削除・変更が検討されたが、小笠原が観光親善大使であることから引き続き使用されていた。巨人・中日移籍後も、一部のファンが同様の応援をしている。 小笠原の活躍により巨人は低迷期を脱することができ、その存在は周囲の選手にも影響を与えたことが2007年からのリーグ3連覇につながったとも言われる。2013年のシーズン中に日刊スポーツ紙上で行われたチームメイトの高橋由伸と阿部慎之助の対談では、小笠原や谷佳知、古城茂幸といったパ・リーグから移籍してきた選手たちの、負けても「また明日だ!」という考え方が、試合に負けると誰もしゃべらずクライマックスシリーズなどの一発勝負に負けたような空気になってしまうというチームの性質を変化させたと述べている。以来負けても「明日打てばいい」という気構えで全員が臨むようになったことが、2003年から4年間続いた低迷期から巨人が脱出できた理由の一つであるとした。 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 首位打者:2回(2002年・2003年)※2年連続はパ・リーグ歴代4位タイ 本塁打王:1回(2006年) 打点王:1回(2006年) 最高出塁率:1回(2003年) 最多安打:2回(2000年、2001年) 最優秀選手:2回(2006年・2007年)
ベストナイン:7回(一塁手部門:1999年・2001年・2006年、三塁手部門:2003年・2004年・2007年・2009年) ゴールデングラブ賞:6回(一塁手部門:1999年 - 2002年・2006年、三塁手部門:2003年) ※一塁手部門を5回はパ・リーグ最多タイ(他に清原和博)、4年連続もパ・リーグ最長タイ(他に中村晃) 月間MVP:8回(野手部門:2000年8月、2001年8月、2002年4月、2003年5月、2004年7月、2008年9月、2009年5月、2010年3,4月) 「ジョージア魂」賞:1回(2013年度第5回) 東京ドームMVP:6回(1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2008年) パ・リーグ連盟特別表彰:1回(会長特別賞:2000年)
セ・リーグ連盟特別表彰:1回(功労賞:2015年) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(2000年) 出身地別東西対抗戦優秀選手:1回(2001年) 報知プロスポーツ大賞(野球部門セ・リーグ):1回(2008年) ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2008年) ゴールデンスピリット賞(2009年) ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:1回(2008年) 月間アットホームクラッチヒーロー賞:1回(2013年6月) 千葉市市民栄誉賞:3回(2004年、2006年、2009年)
市川市民栄誉賞(2004年)
千葉県知事賞(2004年)
初出場:1997年4月8日、対福岡ダイエーホークス1回戦(福岡ドーム)、9回表に金子誠の代打で出場 初打席:同上、9回表に木村恵二の前に凡退 初先発出場:1997年4月10日、対福岡ダイエーホークス3回戦(福岡ドーム)、7番・捕手で先発出場 初三振:1997年5月1日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に竹清剛治から 初安打・初打点:1997年5月10日、対西武ライオンズ7回戦(西武ライオンズ球場)、7回表に石井丈裕から適時二塁打 初盗塁:1997年9月21日、対福岡ダイエーホークス27回戦(東京ドーム)、4回裏に二盗(投手:木村恵二、捕手:城島健司) 初本塁打:1998年7月7日、対大阪近鉄バファローズ15回戦(東京ドーム)、7回裏に井出竜也の代打として出場、盛田幸妃から右越同点2ラン 100本塁打:2002年5月4日、対福岡ダイエーホークス7回戦(東京ドーム)、2回裏にブレイディー・ラジオから中越3ラン ※史上220人目 150本塁打:2003年9月14日、対西武ライオンズ27回戦(西武ドーム)、7回表に張誌家から右越ソロ ※史上127人目 1000安打:2004年7月24日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(東京ドーム)、5回裏に具臺晟から中前安打 ※史上223人目(862試合目での達成は、社会人経験者では史上最速) 1000試合出場:2005年8月24日、対西武ライオンズ16回戦(インボイスSEIBUドーム)、3番・三塁手で先発出場 ※史上408人目 200本塁打:同上、8回表に松坂大輔から右越ソロ ※史上85人目 250本塁打:2007年5月27日、対オリックス・バファローズ1回戦(東京ドーム)、6回裏にユウキから右越ソロ ※史上51人目 1500安打:2007年9月15日、対広島東洋カープ23回戦(東京ドーム)、6回裏に宮崎充登から右線二塁打 ※史上93人目(1288試合目での到達は歴代4位の速さ) 300二塁打:2008年7月29日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、1回表にベン・コズロースキーから右中間適時二塁打 ※史上49人目 300本塁打:2008年9月19日、対阪神タイガース20回戦(東京ドーム)、7回裏にジェフ・ウィリアムスから左越2ラン ※史上35人目 1500試合出場:2009年6月13日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、3番・三塁手で先発出場 ※史上165人目 1000打点:2009年8月27日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、3回表に吉見一起から右越2ラン ※史上36人目 1000三振:2009年9月2日、対横浜ベイスターズ20回戦(福井県営球場)、1回裏に三浦大輔から ※史上45人目 1000得点:2009年9月10日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、3回表に阿部慎之助の3点本塁打で生還 ※史上36人目 350本塁打:2010年5月30日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(西武ドーム)、1回表に岸孝之から左越ソロ ※史上24人目 350二塁打:2010年8月7日、対広島東洋カープ16回戦(東京ドーム)、5回裏にジャンカルロ・アルバラードから右越二塁打 ※史上29人目 3500塁打:2010年9月21日、対横浜ベイスターズ19回戦(東京ドーム)、4回裏に田中健二朗から右越ソロ ※史上24人目 2000安打:2011年5月5日、対阪神タイガース6回戦(東京ドーム)、8回裏に小林宏之から中前安打 ※史上38人目 両リーグでMVP獲得 ※江夏豊以来2人目 通算打率:.310 ※歴代9位(4000打数以上)
通算長打率:.540 ※歴代11位(4000打数以上) 4年連続3割30本塁打(2000年 - 2003年)※ パ・リーグ記録タイ、史上7人目 3割30本:9回 ※歴代2位(両リーグで4回以上達成は史上初) シーズン打率3割以上:10回 ※歴代8位 シーズン150安打以上:10回 ※歴代2位 14打席連続出塁(2003年8月23日 - 8月27日) 17試合連続得点(2001年8月5日 - 8月27日)※日本記録 60試合連続出塁(2001年6月13日 - 9月9日)※歴代4位 サイクル安打:1回(2008年9月3日、対広島東洋カープ19回戦、京セラドーム大阪) ※史上62人目(66度目) 勝利打点:22点(2009年) ※非公式記録 両リーグをまたいで2年連続MVP ※史上初 全球団から本塁打:2010年6月4日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(東京ドーム)、3回裏に金森敬之から右越ソロ ※史上19人目
オールスターゲーム出場:11回(1999年 - 2007年、2009年、2010年) 2(1997年 - 2013年)
36(2014年 - 2015年) 82(2016年 - 2019年) 81(2020年 - 2021年) 72(2022年) 100(2023年) 「Batdance」Prince(2005年 - 2006年、2012年 - 2013年) 「Switch On」Paul Oakenfold(2007年 - 2012年) 「James Bond Theme」Paul Oakenfold(2009年 - 2010年) 「サクラ咲ケ」嵐(2011年) 「Happiness」嵐(2011年) 「James Bond Theme Remix」David Arnold(2012年) 「全力少年」スキマスイッチ(2014年 - 2015年) 2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 『魂(ガッツ)のフルスイング:泥臭く、ひたすら振りぬく!』(KKロングセラーズ・2006年8月 ISBN 4845420864) 『二軍監督奮闘記』(ワニブックス、2019年12月) 『北海道にはばたけ小笠原道大 ファイターズ強力打線とともに:北海道日本ハムファイターズオフィシャルDVD』(DVD、ジェネオンエンタテインメント、2004年3月、品番:GNBW-7029、ISBN 4894527952) 北海道旅客鉄道「ダイヤ改正」(2004年) 日本ハム「シャウエッセン」(2006年) アオキーズ・ピザ 「ピザ・ガッツ」(2018年) 東海ラジオガッツナイター - 2024年8月17日 中日対阪神戦ゲスト解説 ^ NMB48の元メンバーとは同姓同名の別人。 ^ “日本ハムが小笠原道大氏のコーチ就任を発表!ヘッド兼打撃で14年ぶり復帰”. BASEBALL KING (2019年10月9日). 2021年8月17日閲覧。 ^ “中日で復活した師弟関係 第2の"フルスイング"は生まれるか”. 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小笠原道大氏、亀井、駒田氏入閣“レジェンド”招聘で来季再建” (2021年11月13日). 2022年9月14日閲覧。 ^ 史上最強巨人軍/新旧リーダーが語る 日刊スポーツ 2013年9月25日 ^ 東京ドームMVP賞 - 東京ドームシティ公式サイトより ^ “小笠原WBC連覇で自動車不況吹き飛ばす”. 日刊スポーツ (2008年12月11日). 2024年1月10日閲覧。 ^ “小笠原選手が6月度「アットホーム 月間クラッチヒーロー賞」を受賞”. 読売巨人軍公式サイト (2013年7月8日). 2017年7月24日閲覧。 ^ “千葉市の名誉市民・市民栄誉賞・市長特別表彰”. 千葉市. 2017年12月4日閲覧。 ^ “市川市名誉市民・市民栄誉賞”. 市川市. 2017年12月4日閲覧。 ^ ドラ女ゆづきのスクイズTV 【ドラゴンズOB】小笠原道大さん・音重鎮さんの娘と対談!お家でのプロ野球選手って・・?? - YouTube(2020年10月14日)2020年10月23日閲覧。 オリンピックの野球競技・メダリスト一覧 千葉県出身の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧 個人年度別成績 小笠原道大 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 川上哲治 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 川上哲治 1956 別所毅彦 1957 与那嶺要 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 長嶋茂雄 1962 村山実 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 長嶋茂雄 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 堀内恒夫 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 若松勉 1979 江夏豊 1980 山本浩二 1981 江川卓 1982 中尾孝義 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 北別府学 1987 山倉和博 1988 郭源治 1989 W.クロマティ 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 J.ハウエル 1993 古田敦也 1994 桑田真澄 1995 T.オマリー 1996 松井秀喜 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 野口茂樹 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 金本知憲 2006 福留孝介 2007 小笠原道大 2008 A.ラミレス 2009 A.ラミレス 2010 和田一浩 2011 浅尾拓也 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 菅野智之 2015 山田哲人 2016 新井貴浩 2017 丸佳浩 2018 丸佳浩 2019 坂本勇人 2020 菅野智之 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 大下弘 1952 深見安博 1953 中西太 1954 中西太 1955 中西太 1956 中西太 1957 野村克也 1958 中西太 1959 山内和弘 1960 山内和弘 1961 野村克也, 中田昌宏 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 野村克也 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 長池徳二 1973 長池徳二 1974 C.ジョーンズ 1975 土井正博 1976 C.ジョーンズ 1977 L.リー 1978 B.ミッチェル 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ, 門田博光 1982 落合博満 1983 門田博光 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 秋山幸二 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 小久保裕紀 1996 T.ニール 1997 N.ウィルソン 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 T.ローズ 2004 松中信彦, F.セギノール 2005 松中信彦 2006 小笠原道大 2007 山﨑武司 2008 中村剛也 2009 中村剛也 2010 T-岡田 2011 中村剛也 2012 中村剛也 2013 M.アブレイユ 2014 E.メヒア, 中村剛也 2015 中村剛也 2016 B.レアード 2017 A.デスパイネ 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 浅村栄斗 2021 杉本裕太郎 2022 山川穂高 2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 中西太 1954 山内和弘 1955 山内和弘 1956 中西太 1957 中西太 1958 葛城隆雄 1959 葛城隆雄 1960 山内和弘 1961 山内和弘 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 G.アルトマン 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 門田博光 1972 野村克也, 大杉勝男 1973 長池徳二 1974 長池徳二 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 L.リー 1978 B.マルカーノ 1979 加藤英司 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 水谷実雄 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 ブーマー 1988 門田博光 1989 ブーマー 1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦 1991 O.デストラーデ, J.トレーバー 1992 ブーマー 1993 R.ブライアント 1994 石井浩郎 1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄 1996 T.ニール 1997 小久保裕紀 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 T.ローズ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 小笠原道大, A.カブレラ 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 中田翔 2015 中村剛也 2016 中田翔 2017 A.デスパイネ 2018 浅村栄斗 2019 中村剛也 2020 中田翔 2021 島内宏明 2022 山川穂高 2023 近藤健介 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 松井稼頭央 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 松井稼頭央 2003 谷佳知 2004 松中信彦, 川﨑宗則 2005 和田一浩 2006 大村直之 2007 稲葉篤紀 2008 栗山巧, 片岡易之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 坂口智隆 2012 内川聖一 2013 長谷川勇也 2014 中村晃 2015 秋山翔吾 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 秋山翔吾 2019 秋山翔吾 2020 柳田悠岐 2021 荻野貴司 2022 島内宏明 2023 柳田悠岐 2024 辰己涼介 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 飯田徳治 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 飯田徳治 1954 川合幸三 1955 杉山光平 1956 榎本喜八 1957 岡本健一郎 1958 スタンレー橋本 1959 榎本喜八 1960 榎本喜八 1961 榎本喜八 1962 榎本喜八 1963 榎本喜八 1964 榎本喜八 1965 高木喬 1966 榎本喜八 1967 大杉勝男 1968 榎本喜八 1969 大杉勝男 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 大杉勝男 1973 加藤秀司 1974 C.ジョーンズ 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 加藤英司 1980 レオン 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 R.デービス 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 ブーマー 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 石井浩郎 1994 石井浩郎 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 P.クラーク 1998 P.クラーク 1999 小笠原道大 2000 松中信彦 2001 小笠原道大 2002 A.カブレラ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 J.ズレータ 2006 小笠原道大 2007 A.カブレラ 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 A.カブレラ 2011 小久保裕紀 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 E.メヒア 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 中田翔 2021 B.レアード 2022 山川穂高 2023 頓宮裕真 表 話 編 歴 1950 中谷順次 1951 蔭山和夫 1952 蔭山和夫 1953 中西太 1954 中西太 1955 中西太 1956 中西太 1957 中西太 1958 中西太 1959 葛城隆雄 1960 小玉明利 1961 中西太 1962 小玉明利 1963 小玉明利 1964 小玉明利 1965 小玉明利 1966 T.ロイ 1967 森本潔 1968 国貞泰汎 1969 有藤通世 1970 有藤通世 1971 有藤通世 1972 有藤通世 1973 有藤通世 1974 有藤通世 1975 有藤道世 1976 藤原満 1977 有藤道世 1978 島谷金二 1979 島谷金二 1980 有藤道世 1981 有藤道世 1982 スティーブ 1983 スティーブ 1984 落合博満 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 石毛宏典 1988 松永浩美 1989 松永浩美 1990 松永浩美 1991 松永浩美 1992 石毛宏典 1993 石毛宏典 1994 松永浩美 1995 初芝清 1996 中村紀洋 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 中村紀洋 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 中村紀洋 2003 小笠原道大 2004 小笠原道大 2005 今江敏晃 2006 J.フェルナンデス 2007 G.ラロッカ 2008 中村剛也 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 中村剛也 2013 C.マギー 2014 銀次 2015 中村剛也 2016 B.レアード 2017 Z.ウィーラー 2018 松田宣浩 2019 中村剛也 2020 鈴木大地 2021 宗佑磨 2022 宗佑磨 2023 宗佑磨 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 金子誠 三 中村紀洋 遊 松井稼頭央 外 イチロー / 谷佳知 / T.ローズ 指 P.クラーク 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 井口資仁 三 中村紀洋 遊 松井稼頭央 外 T.ローズ / 礒部公一 / 谷佳知 指 F.ボーリック 表 話 編 歴 投 斉藤和巳 捕 城島健司 一 松中信彦 二 井口資仁 三 小笠原道大 遊 松井稼頭央 外 T.ローズ / 谷佳知 / 和田一浩 指 A.カブレラ 表 話 編 歴 投 岩隈久志 捕 城島健司 一 松中信彦 二 井口資仁 三 小笠原道大 遊 川﨑宗則 外 谷佳知 / 和田一浩 / SHINJO 指 F.セギノール 表 話 編 歴 投 斉藤和巳 捕 里崎智也 一 小笠原道大 二 田中賢介 三 J.フェルナンデス 遊 川﨑宗則 外 稲葉篤紀 / 松中信彦 / 和田一浩 指 F.セギノール 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 藤村富美男 1952 藤村富美男 1953 与儀眞助 1954 宇野光雄 1955 児玉利一 1956 児玉利一 1957 三宅秀史 1958 長嶋茂雄 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 長嶋茂雄 1963 長嶋茂雄 1964 長嶋茂雄 1965 長嶋茂雄 1966 長嶋茂雄 1967 長嶋茂雄 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 長嶋茂雄 1972 長嶋茂雄 1973 長嶋茂雄 1974 長嶋茂雄 1975 衣笠祥雄 1976 掛布雅之 1977 掛布雅之 1978 掛布雅之 1979 掛布雅之 1980 衣笠祥雄 1981 掛布雅之 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 掛布雅之 1986 レオン 1987 原辰徳 1988 原辰徳 1989 落合博満 1990 バンスロー 1991 山崎隆造 1992 J.ハウエル 1993 江藤智 1994 江藤智 1995 江藤智 1996 江藤智 1997 L.ゴメス 1998 江藤智 1999 L.ゴメス 2000 江藤智 2001 江藤智 2002 岩村明憲 2003 鈴木健 2004 立浪和義 2005 今岡誠 2006 岩村明憲 2007 小笠原道大 2008 村田修一 2009 小笠原道大 2010 森野将彦 2011 宮本慎也 2012 村田修一 2013 村田修一 2014 H.ルナ 2015 川端慎吾 2016 村田修一 2017 宮﨑敏郎 2018 宮﨑敏郎 2019 高橋周平 2020 岡本和真 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 表 話 編 歴 投 高橋尚成 捕 阿部慎之助 一 T.ウッズ 二 田中浩康 三 小笠原道大 遊 井端弘和 外 青木宣親 / A.ラミレス / 高橋由伸 表 話 編 歴 投 D.ゴンザレス 捕 阿部慎之助 一 T.ブランコ 二 東出輝裕 三 小笠原道大 遊 坂本勇人 外 青木宣親 / A.ラミレス / 内川聖一 表 話 編 歴 1972 大杉勝男 1973 C.ジョーンズ 1974 W.パーカー 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 柏原純一 1980 小川亨 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 片平晋作 1984 山本功児 1985 山本功児 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 愛甲猛 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 髙木大成 1998 髙木大成 1999 小笠原道大 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 小笠原道大 2003 福浦和也 2004 松中信彦 2005 福浦和也 2006 小笠原道大 2007 福浦和也 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 小久保裕紀 2011 小久保裕紀 2012 稲葉篤紀 2013 浅村栄斗 2014 T-岡田 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 中田翔 2019 内川聖一 2020 中村晃, 中田翔 2021 中村晃 2022 中村晃 2023 中村晃 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1972 有藤通世 1973 有藤通世 1974 有藤通世 1975 有藤道世 1976 藤原満 1977 島谷金二 1978 島谷金二 1979 島谷金二 1980 羽田耕一 1981 藤原満 1982 古屋英夫 1983 古屋英夫 1984 松永浩美 1985 古屋英夫 1986 古屋英夫 1987 石毛宏典 1988 石毛宏典 1989 松永浩美 1990 松永浩美 1991 石毛宏典 1992 石毛宏典 1993 石毛宏典 1994 松永浩美 1995 馬場敏史 1996 馬場敏史 1997 片岡篤史 1998 片岡篤史 1999 中村紀洋 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 中村紀洋 2003 小笠原道大 2004 中村紀洋 2005 今江敏晃 2006 今江敏晃 2007 今江敏晃 2008 今江敏晃 2009 小谷野栄一 2010 小谷野栄一 2011 松田宣浩 2012 小谷野栄一 2013 松田宣浩 2014 松田宣浩 2015 松田宣浩 2016 松田宣浩 2017 松田宣浩 2018 松田宣浩 2019 松田宣浩 2020 鈴木大地 2021 宗佑磨 2022 宗佑磨 2023 宗佑磨 2024 栗原陵矢 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 金子誠 三 中村紀洋 遊 小坂誠 外 秋山幸二 / 大友進 / イチロー 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 大島公一 三 中村紀洋 遊 小坂誠 外 柴原洋 / 田口壮 / イチロー 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 井口資仁 三 中村紀洋 遊 小坂誠 外 柴原洋 / 田口壮 / 谷佳知 表 話 編 歴 投 西口文也 捕 城島健司 一 小笠原道大 二 高木浩之 三 中村紀洋 遊 松井稼頭央 外 井出竜也 / 小関竜也 / 谷佳知 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 城島健司 一 福浦和也 二 井口資仁 三 小笠原道大 遊 松井稼頭央 外 柴原洋 / 大村直之 / 村松有人 / 谷佳知 表 話 編 歴 投 松坂大輔 捕 里崎智也 一 小笠原道大 二 田中賢介 三 今江敏晃 遊 川﨑宗則 外 SHINJO / 森本稀哲 / 稲葉篤紀 表 話 編 歴 1999 松井秀喜 2000 片岡篤史 2001 中村紀洋 2002 飯田哲也 2003 井上一樹 2004 赤星憲広 2005 ボビー・バレンタイン 2006 和田毅 2007 三浦大輔 2008 岩隈久志 2009 小笠原道大 2010 ダルビッシュ有 2011 山﨑武司 2012 藤川球児 2013 宮本慎也 2014 栗山巧 2015 今江敏晃 2016 内海哲也 2017 岩田稔 2018 井口資仁 2019 秋山翔吾 2021 矢野燿大 2022 吉田正尚 2023 宮西尚生 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 3 長嶋茂雄 33 中畑清 32 大野豊 31 高木豊 11 木佐貫洋 13 岩瀬仁紀 15 黒田博樹 16 安藤優也 18 松坂大輔 19 上原浩治 21 和田毅 30 小林雅英 61 石井弘寿 8 谷繁元信 9 城島健司 2 小笠原道大 6 宮本慎也 7 松井稼頭央 17 二岡智宏 48 井端弘和 1 福留孝介 5 和田一浩 10 谷佳知 23 木村拓也 24 高橋由伸 表 話 編 歴 33 中畑清 31 高木豊(守備・走塁) 32 大野豊(投手) 11 清水直行 13 岩瀬仁紀 15 黒田博樹 16 安藤優也 17 三浦大輔 18 松坂大輔 19 上原浩治 20 岩隈久志 21 和田毅 30 小林雅英 61 石井弘寿 9 城島健司 59 相川亮二 2 小笠原道大 5 中村紀洋 6 宮本慎也 8 金子誠 25 藤本敦士 1 福留孝介 10 谷佳知 23 村松有人 24 高橋由伸 27 木村拓也 55 和田一浩 表 話 編 歴 89 王貞治 86 鹿取義隆(投手) 84 武田一浩(投手) 87 大島康徳(打撃) 85 辻発彦(内野守備走塁) 88 弘田澄男(外野守備走塁) 11 清水直行 12 藤田宗一 15 久保田智之 18 松坂大輔 19 上原浩治 20 薮田安彦 21 和田毅 24 藤川球児 31 渡辺俊介 40 大塚晶則 41 小林宏之 47 杉内俊哉 61 石井弘寿(途中離脱) 61 馬原孝浩(追加招集) 22 里崎智也 27 谷繁元信 59 相川亮二 1 岩村明憲 2 小笠原道大 3 松中信彦 7 西岡剛 8 今江敏晃 10 宮本慎也 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 5 和田一浩 6 多村仁 9 金城龍彦 17 福留孝介 23 青木宣親 51 イチロー 表 話 編 歴 83 原辰徳 72 伊東勤(総合) 71 山田久志(投手) 92 与田剛(投手) 81 篠塚和典(打撃) 63 高代延博(内野守備走塁) 73 緒方耕一(外野守備走塁) 11 ダルビッシュ有 14 馬原孝浩 15 田中将大 16 涌井秀章 18 松坂大輔 19 岩田稔 20 岩隈久志 22 藤川球児 26 内海哲也 28 小松聖 31 渡辺俊介 39 山口鉄也 47 杉内俊哉 2 城島健司 10 阿部慎之助 29 石原慶幸 5 栗原健太(追加招集) 6 中島裕之 7 片岡易之 8 岩村明憲 9 小笠原道大 25 村田修一(途中離脱) 52 川﨑宗則 1 福留孝介 23 青木宣親 24 内川聖一 35 亀井義行 41 稲葉篤紀 51 イチロー 表 話 編 歴 1位:矢野諭 2位:今井圭吾(逆指名) 3位:小笠原道大 4位:生駒雅紀 5位:高橋憲幸 6位:村上真哉 7位:髙橋信二 8位:林田堅吾 日本の野球選手 暁星国際高等学校出身の人物 NTT関東硬式野球部及びその前身チームの選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 ゴールデンスピリット賞受賞者 首位打者 (NPB) 本塁打王 (NPB) 打点王 (NPB) 最優秀選手 (NPB) 最高出塁率 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 名球会 アジアシリーズ選手 野球日本代表選手 オリンピック野球日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 日本のオリンピック銅メダリスト 野球のオリンピックメダリスト 日本の野球監督 千葉県出身のスポーツ選手 千葉市出身の人物 1973年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年9月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/21 09:36更新
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ogasawara michihiro
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