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宅和本司の情報 (たくわもとじ)
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【6月16日】今日誕生日の芸能人・有名人

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宅和 本司さんについて調べます

■名前・氏名
宅和 本司
(読み:たくわ もとじ)
■職業
野球選手
■宅和本司の誕生日・生年月日
1935年7月18日 (年齢88歳)
亥年(いのしし年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
山口出身

(昭和10年)1935年生まれの人の年齢早見表

宅和本司と同じ1935年生まれの有名人・芸能人

宅和本司と同じ7月18日生まれの有名人・芸能人

宅和本司と同じ出身地山口県生まれの有名人・芸能人


宅和本司と関係のある人

吉田豊彦: 南海ホークスで新人王を獲得した宅和本司は、遠戚に当たるという(吉田の父方の祖母が、宅和の父ときょうだい)。


武智文雄: 1954年には26勝を挙げ、南海の宅和本司と並び最多勝利を獲得。


白崎泰夫: これを見た鶴岡一人監督は投手を白崎から宅和本司に交代させ、試合は5対4で南海が勝利し、そのまま宅和は勝利投手となった。


河村英文: この年はリーグ最多の61試合に登板し、最多勝は1勝差(26勝の宅和本司・田中文雄)で逃すがチームトップの25勝(12敗)、防御率1.99(リーグ4位)を記録。


杉浦忠: ホークスの同僚で1954年・1955年に2年連続で最多勝を獲得した宅和本司は「杉やんの投球を見た時に『上には上がいた』と愕然とした。


戸川一郎: 第3戦では5回裏から宅和本司の後を受けて登板し、9回まで無失点に抑えシリーズ初勝利。


野母得見: 主な同期入団選手に宅和本司、皆川睦男、野村克也、前川忠男などがいる。


野村克也: 同期入団には宅和本司・戸川一郎・皆川睦雄らがいた。


木村保: 1950年代の南海は宅和本司・中村大成・田沢芳夫をはじめ1、2年のみエース級の働きを見せ、その後急激に数字を落としていく投手が多かったが、木村に至っては1年目以外は1勝も出来なかった。


松坂大輔: 高卒新人での獲得は、両リーグを通じて1954年の宅和本司(南海)以来、45年ぶりの記録である。


円子宏: 巨人との日本シリーズでは第5戦に宅和本司をリリーフして登板したが、2年目の1956年以降は登板機会が減少、1958年限りで退団。


高柳秀樹: 引退後はダイエーの二軍打撃コーチ補佐(1992年)→二軍育成コーチ(1993年 - 1994年)、宅和本司監督の招聘で台湾CPBL・三商タイガース打撃コーチ(1995年 - 1996年)を務めた。


梶本隆夫: 同年は55試合に登板して20勝(12敗)を挙げるも、新人王争いは26勝の宅和本司(南海ホークス)に敗れる。


皆川睦雄: 同期入団には野村克也・宅和本司がおり、進学を断念した立教には「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠・長嶋茂雄・本屋敷錦吾が入学している。


西尾裕: 宅和本司、皆川睦雄と肩を並べる実力のある新人投手として期待されたが、入団早々肩を壊してしまい、一軍での成績は0勝1敗に終わり、芽が出ないまま1957年に退団。


城戸則文: 初打点:1958年5月28日、対南海ホークス9回戦(大阪スタヂアム)、9回表に宅和本司から2点適時打


木田勇: また、新人の最多奪三振は1967年の江夏豊以来、パ・リーグでは1954年の宅和本司以来の快挙だった。


合田栄蔵: 引退後は先輩の宅和本司が勤務する日本熱学に入社し、宅和が課長、合田は係長という間柄になる。


西村貞朗: 翌1954年は河村に次ぐチーム2位の22勝、防御率1.77(宅和本司に次ぐリーグ2位)を記録。


皆川睦男: 宅和本司、杉浦忠、ジョー・スタンカら、派手な活躍をした歴代エースの陰に隠れながら、アンダースローからのシュート・シンカーと制球力を武器に、2番手投手として長く南海投手陣を支えてきた。


皆川睦雄: 宅和本司、杉浦忠、ジョー・スタンカら、派手な活躍をした歴代エースの陰に隠れながら、アンダースローからのシュート・シンカーと制球力を武器に、2番手投手として長く南海投手陣を支えてきた。


皆川睦男: 同期入団には野村克也・宅和本司がおり、進学を断念した立教には「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠・長嶋茂雄・本屋敷錦吾が入学している。


宅和本司の情報まとめ

もしもしロボ

宅和 本司(たくわ もとじ)さんの誕生日は1935年7月18日です。山口出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、親族などについてまとめました。卒業、引退に関する情報もありますね。宅和本司の現在の年齢は88歳のようです。

宅和本司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

宅和 本司(たくわ もとじ、1935年7月18日 - )は、福岡県北九州市門司区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。

パ・リーグ初の投手三冠王を達成している。

父・栄蔵は水槽を作ったり、畑仕事、大工をしていた。門司東高校時代はエースとして、2年次の1951年に秋季九州大会優勝の原動力となる活躍を見せるが、3年次の1952年に学校上層部が余計な気を回し、春の選抜出場を控える野球部員の学年末試験を免除し合宿をさせていた事実が発覚。これが問題視され一度は正式に選ばれた代表校の座を返上し、同校は一度も甲子園出場を果たせぬまま2009年3月に閉校となったが、閉校式後の懇親会において学校側から謝罪の気持ちを込めた功労賞が宅和ら当時の野球部OBに贈られた。

門鉄元監督で南海スカウトの石川正二が連日グラウンドに通い、自宅に来た石川は両親に「いい投手になるから、こちらに任せてほしい」と言った。父は「お前が正しいと思うならいいんじゃないか」と言い、母・ツイは何も言わなかった。石川からは『真っすぐで勝負できる投手になりなさい』と言われている。

卒業後の1954年に南海ホークスへ入団。同期には野村克也、皆川睦男がいる。バッテリーを組んだ野村とは大阪・初芝にあった寮で同部屋になったこともあり、野村からはいつも「タク(宅和)、速いな」と言われ、「野球ってええな」と語り合ったこともあった。同年4月4日の対東映戦で先発として初登板し、6回途中2失点で抑える(勝敗つかず)。3度目の先発となった5月1日の対毎日戦で2安打完封勝利を飾って以降はローテーションに入った。同年8月19日の毎日戦では延長10回表2死まで無安打1四球に抑えるが、呉昌征に左前安打されてノーヒットノーランを逃す。さらに、同年9月12日の対東映戦では8回まで無安打無四球に抑えるが、9回裏先頭の水上静哉に左前にポテンヒットを打たれて完全試合を逃している。この年南海は、8月下旬から10月初旬にかけて、26勝1敗の驚異的なペースで首位西鉄を追い上げるが、この間宅和は10勝を荒稼ぎしている。シーズンでは26勝9敗、防御率1.58で、最多勝利・最優秀防御率のタイトルを獲得。さらに、表彰タイトルには制定されていなかったが、リーグ最多で新記録となる275奪三振をマーク。この後、新人の最多奪三振はパ・リーグでは1980年の木田勇まで26年間出現しなかった。また、新人王を受賞しているが。同じ高卒ルーキーで後に名球会入りした 梶本隆夫(阪急)は、20勝12敗・防御率2.73の成績を残しながら、その煽りを受け新人王を受賞できなかった。このシーズン、宅和が首脳陣に信頼されていたことをうかがわせるエピソードとして、8月16日の西鉄戦(平和台)がある。この試合では3回裏1死から登板した直後に高倉照幸への初球を暴投した白崎泰夫に代わって、宅和がマウンドに上がり勝利投手となった。

翌1955年も7月中旬までに17勝3敗を記録するなど、前半戦のチームを牽引。シーズンでは24勝を挙げて2年連続で最多勝のタイトルを獲得し、南海のリーグ優勝に貢献した。

しかし、3年目の1956年には腰を痛めて不調に陥ると、8月頃に合宿所で禁止されていた麻雀をやっていることが見つかって、1週間ほど謹慎処分を受ける。さらに、風呂場で転倒して顔を負傷してしまうなどもあり、このシーズン6勝に終わる。以降は極端に登板機会が減少し、わずか1試合の登板に終わった1959年限りで自由契約となる。

1960年に近鉄バファローへ移籍するが、翌1961年限りで現役を引退。故障もあって現役生活は僅か8年であったが、プロ入り最初の2年で50勝(20敗)を挙げるという驚異的な活躍と、その後の急速な衰え振りは余りに対照的で、プロ野球ファンに鮮烈な印象を残した。

引退後は日本球界では一度も現場復帰せず、日本熱学に入社。後には後輩の合田栄蔵も入社し、宅和が課長、合田が係長という間柄になり、1980年には3週間だけ同社野球部のコーチを務めた。

サラリーマン生活の傍らで長年毎日放送解説者(1962年 - 1993年)を務め、落ち着いた穏やかな解説は、関西人の耳に馴染み深かった。

1990年には野球チャイニーズタイペイ代表コーチを務め、1994年には台湾プロ野球・三商タイガースコーチに就任。同年途中から監督に昇格し、1996年シーズン終了後に退団。在任中は高柳秀樹をコーチに招聘したほか、ダイエーで2年間プレーしながら一軍登板は叶わず引退、1992年から打撃投手となっていた中井伸之が1994年に現役復帰を果たし6勝を記録している。

帰国後はGAORA解説者を務めた。

選手としての特徴

長身からの豪速球とコントロール抜群の縦のカーブを武器とした。

親族

のちに南海の後身である福岡ダイエーホークスや大阪近鉄バファローズにも所属した吉田豊彦は遠戚に当たるという(宅和の父が、吉田の父方の祖母ときょうだい)。

2024/06/13 08:28更新

takuwa motoji



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