松村禎三の情報(まつむらていぞう) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松村 禎三さんについて調べます
■名前・氏名 |
松村禎三と関係のある人
野島稔: また伝統的な作品ばかりでなく、現代日本人作品の演奏にも興味を寄せており、1986年と1988年にロシアで松村禎三の《ピアノ協奏曲 第2番》と《交響曲 第2番》を演奏した。 伊福部昭: そのほかにも教育者として松村禎三、矢代秋雄、池野成、小杉太一郎、山内正、石井眞木、三木稔、今井重幸、永瀬博彦、和田薫、石丸基司、今井聡、など多くの作曲家を育て、その傍ら、東宝の映画音楽の作曲にも携わった。 芥川也寸志: 1988年夏、日ソ音楽交流の一環で松村禎三らと訪ソし、ヴァレリー・ゲルギエフの指揮するオーケストラが芥川の『オーケストラのためのラプソディ』などを演奏する音楽祭コンサートに出席する予定だったが、渡航直前の6月、健康診断を受けた際に進行した肺癌が見付かり、東京都中央区の国立がんセンターに入院、手術治療を受け、いったんは成功。それまでに合唱パート全てと六分の一ほどのオーケストレーションはできていたものの、残りの完成の遅れを気にかけた芥川は、作曲家仲間の松村禎三と黛敏郎に相談し、黛の弟子で新進作曲家であった鈴木行一に残りのオーケストレーションの完成を依頼。 伊福部昭: 葬儀委員長は松村禎三(東京芸術大名誉教授)。 今井重幸: 盟友・池野成を始め、芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、小杉太一郎、山内正、松村禎三、眞鍋理一郎、三木稔、原田甫、永富正之、石井眞木ら伊福部の愛弟子たちとともに、師の創作活動への献身的サポートも行なったようだ。 木村威夫: 『狭山の黒い雨』(1973年、須藤久監督・脚本、土方鉄原作、部落解放同盟大阪府連製作、幸田守雄撮影、松村禎三音楽)部落解放同盟大阪府連作品。 釜洞祐子: 日本国内では、松村禎三『沈黙』オハル、三枝成彰『忠臣蔵』お艶、リヒャルト・シュトラウス『アラベラ』ズデンカ、ヴェルディ『リゴレット』ジルダ、プーランク『人間の声』(モノオペラ)など幅広い演目で、新国立劇場をはじめ、諸劇場に出演している。 矢代秋雄: 團は矢代の死を翌日第1回日中文化交流協会音楽家代表団の一員(団長)として滞在中の北京で偶然知り、死因が作曲を続けながら芸大主任教授を務めていたことによる疲労であったこと、また、同じく代表団で同席していた武満徹が松村禎三に対し、「松村君、芸大なぞは辞めなさい。 吉松隆: 大学在学中、松村禎三に弟子入りする。 今井重幸: 伊福部の音楽論、創作理念、その人間味、スケールの大きさに心酔した今井は、鋭意決断して伊福部の一門弟となり、池野成、小杉太一郎、松村禎三、三木稔、原田甫らとともに伊福部の映画音楽制作を手伝うようになった。この伊福部と今井の師弟関係は終生変わることなく、2006年(平成18年)の伊福部の逝去まで続き、2月14日、東京・桐ヶ谷斎場で執り行なわれた伊福部の告別式では、松村禎三とともに葬儀委員長を務めた。 芥川也寸志: その背景には、松村禎三の「頭だけで考えていては何もできない」という言葉があったという。 木村威夫: 『本覺坊遺文 千利休』(1989年、熊井啓監督、依田義賢脚本、井上靖原作、栃沢正夫撮影、松村禎三音楽)西友作品。 山本純ノ介: その後、作曲を長谷川良夫、北村昭、小林秀雄、松村禎三、ディーター・シュネーベルに師事、ピアノを伊達純、山崎冬樹に師事する。 釜洞祐子: CD2枚組 松村禎三『沈黙』若杉弘、新星日本交響楽団、田代誠、直野資、大島幾雄、宮原昭吾、小林一男、釜洞祐子 2009/8/25 カメラータ 岩代太郎: 完成した「TO THE FARTHEST LAND OF THE WORLD(世界のいちばん遠い土地へ)〜ソプラノ・サックスとオーケストラの為のコンチェルト〜」は、1990年から1991年にかけて行われたシルクロード国際管弦楽作曲コンクール に応募され、杜鳴心、團伊玖磨、黛敏郎、山田一雄、松村禎三ら同コンクール審査委員から高い評価を得て最優秀賞を受賞、1991年2月17日にサントリーホールにて雲井雅人の独奏、井上道義指揮東京都交響楽団により演奏された。 木村威夫: 『スリ』(2000年、黒木和雄監督・脚本、真辺克彦・堤泰之共同脚本、川上皓市撮影、松村禎三音楽、安宅紀史美術)美術監督として参加。 園田高弘: バッハやウィーン古典派などのレパートリーに加えて、リストやラフマニノフなどのヴィルトゥオーソ作品、シェーンベルクやスクリャービン、ジョリヴェなどのモダンな作品、くわえてリゲティやクセナキスのほか、武満徹、湯浅譲二、一柳慧、松村禎三らを含んだ現代音楽の4種類の演奏・解釈が課題として審査される。 神谷郁代: 松村禎三作品集(Naxos) 鈴木敬介: 団伊久磨『夕鶴』や松村禎三『沈黙』初演など日本オペラでも手腕を発揮した。 |
松村禎三の情報まとめ
松村 禎三(まつむら ていぞう)さんの誕生日は1929年1月15日です。京都出身の作曲家のようです。
作曲作品と特徴、受賞・栄典などについてまとめました。卒業、映画に関する情報もありますね。
松村禎三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年1月15日 - 2007年8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 京都市(下京区仏光寺通室町西入ル)で生まれる。両親は京都の町人の出身であり、父は代々呉服屋の家系であった。父は尺八を、母は箏を嗜んでいた。禎三は、幼い頃から音楽に興味を示し、小学生で簡単な作曲は始めていた。京都時代は1945年から1949年まで高橋恒治にピアノを、1947年から1949年まで和声を長廣敏雄に師事。10歳の頃には父をがんで失い、1949年には母を結核で失う。1945年に旧制第三高等学校理科に入学。寮生活を通じて、音楽だけでなく様々な出会いと経験を積む。1949年、旧制第三高等学校理科を卒業。 母を失ったことをきっかけとして、作曲家への道を目指して清瀬保二を頼って上京する。清瀬の紹介で、東京芸術大学教授の池内友次郎に和声、対位法、作曲を師事。また、清瀬の家に出入りしていた武満徹とも親交を結ぶ。1950年、芸大受験をするが結核のため受験を失敗、5年間の闘病生活に入る。療養中の1950年代初頭より、俳句も創作するようになる。退院した1955年に《序奏と協奏的アレグロ》が第24回NHK毎日音楽コンクール管弦楽部門で1位に入賞、デビュー作となった。そのコンクールの審査員であった伊福部昭に作品を評価されたこをときっかけに伊福部門下となる。その後《阿知女》《クリプトガム》《ピアノと弦楽四重奏のための音楽》《交響曲第1番》(「日フィルシリーズ」第14作目)などを続けて発表。 教育者としても、1970年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて教鞭を執る(1975年助教授、1978年教授)。現代音楽のみならず映画、舞台の分野でも活躍し、毎日映画コンクール音楽賞、イタリア放送協会賞、1989年〜1992年にかけて連続で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。サントリー音楽財団委嘱による遠藤周作の小説に基づくオペラ《沈黙》の作者としても知られ、その成果により京都音楽賞大賞、毎日芸術賞、モービル音楽賞、都民文化栄誉賞など数々の賞を受賞している。 2007年8月6日午後2時50分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。78歳。墓所は、東京都稲城市坂浜の新ゆり天望の丘墓苑にある。 作曲作品と特徴デビュー当時から、ラヴェル、ストラヴィンスキー、アジアの伝統音楽の影響を受けた豊穣な響きと、生命の根源に直結したエネルギーと哲学的な思索に基づく創作を行った。 「アジア的な発想をもった、生命の根源に直結したエネルギー」を志向して《交響曲第1番》や《管弦楽のための前奏曲》を完成させ、《ピアノ協奏曲第1番》《ピアノ協奏曲第2番》、そして、邦楽器への作曲をへて、《チェロ協奏曲》、さらにはオペラ《沈黙》の作曲に至る。アジア、東洋に求めた創作の源泉は、オペラ《沈黙》を経て、人間性の回復や、存在そのものへの深い思索へと向かう。 《交響曲第2番》では、「アジア」だけにこだわることなく、人間そのものへの深い眼差しによって、自身の音楽を展開するようになった。 最晩年の《ゲッセマネの夜に》では、キリスト最後の夜を題材にしたジョットの絵画の複製を見て、人間存在が持つ逃れられない原罪と、深い哀しみを音楽に込めた。 受賞・栄典1969年 尾高賞(管弦楽のための前奏曲) 1970年 第25回毎日映画コンクール 音楽賞「地の群れ」 1972年 第27回毎日映画コンクール 音楽賞「忍ぶ川」 1973年 第28回芸術祭優秀賞 1979年 第10回サントリー音楽賞、尾高賞(2回目、ピアノ協奏曲第2番)、第34回芸術祭優秀賞 1990年 紫綬褒章、第10回藤堂顕一郎音楽褒賞 1992年 第10回京都府文化賞(功労賞) 1994年 毎日芸術賞、都民文化栄誉章、モービル音楽賞 2000年 勲四等旭日小綬章 2024/07/07 17:39更新
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matsumura teizou
松村禎三と同じ誕生日1月15日生まれ、同じ京都出身の人
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