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海音寺潮五郎の情報 (かいおんじちょうごろう)
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【6月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

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海音寺 潮五郎さんについて調べます

■名前・氏名
海音寺 潮五郎
(読み:かいおんじ ちょうごろう)
■職業
作家
■海音寺潮五郎の誕生日・生年月日
1901年11月5日
丑年(うし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

海音寺潮五郎と同じ1901年生まれの有名人・芸能人

海音寺潮五郎と同じ11月5日生まれの有名人・芸能人

海音寺潮五郎と同じ出身地鹿児島県生まれの有名人・芸能人


海音寺潮五郎と関係のある人

綱淵謙錠: 氏のジャンル歴史小説への“のめり込み”は30歳代前半に子母澤の「新選組始末記」との出会いにあったといわれ、長谷川伸や海音寺潮五郎の史伝的作品にも関心を寄せた。


中一弥: 山本周五郎、藤沢周平、海音寺潮五郎、池波正太郎、山手樹一郎、野村胡堂などの作品、主に時代小説の挿絵画家として多くの作品を残す。


小田富弥: 1932年8月7日から翌1933年2月5日、『サンデー毎日』に海音寺潮五郎の「風雲」(全27回)の挿絵を描く。


磯貝勝太郎: 1980年から海音寺潮五郎記念会評議員、1996年から司馬遼太郎記念財団評議員、2001年から新田次郎文学会監事、2000年から大衆文学研究会副会長を務め、さいたま市スポーツ文学賞選考委員も務めた。


池波正太郎: この間『眼』(57年上期)、『信濃大名記』(同下期)、『応仁の乱』(58年下期)、『秘図』(59年上期)で計5回直木賞候補となるも、選考委員であった海音寺潮五郎の酷評もあり受賞には至らなかった。


武田百合子: 百合子は行商や海音寺潮五郎の秘書などを転々とする。


クレメンス=メッケル: また、1959年(昭和34年)に海音寺潮五郎がエッセイ『武將列傳 四』の一節「石田三成」の中で、ドイツの有名な戦術家が関ヶ原に旅行で訪れ、布陣と兵数を聞いたところ西軍が負けるはずがないと不思議がったという話を記載している。


高見順: 戦場の心理とはおかしなものだ」と、戦後になって海音寺潮五郎に語っている。


三浦洸一: 天と地と・天上の笛(1968年2月)海音寺潮五郎原作「天と地と」より 


ジェームス三木: 『天と地と』(2008年、テレビ朝日) - 原作:海音寺潮五郎


早川清: 海音寺潮五郎、戸川貞雄主催の同人誌『文学建設』に、黒沼健、乾信一郎らとともに参加。


司馬遼太郎: 1956年(昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募(「司馬遼󠄁太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる。


直木三十五: そのため海音寺潮五郎、司馬遼太郎、永井路子など(いずれも直木賞受賞)の本格的歴史作家が育った。


水上勉: そのメンバーの三島正六の紹介で『報知新聞』に入り、そこで和田芳恵の知遇を得て学芸社に移り、文芸書出版の仕事に就き、海音寺潮五郎や武者小路実篤も担当した。


高木彬光: 『成吉思汗の秘密』において、義経=ジンギスカン説とする論理の弱さや矛盾点を海音寺潮五郎に批判される。


白石一郎: 余談だが、「孤島の騎士」は当時選考委員であった海音寺潮五郎に激賞されている。


桑田忠親: 『戦国乱世 対談』(海音寺潮五郎共著、角川選書、1969年 のち角川文庫)


胡桃沢耕史: 9年間の沈黙の後、『オール讀物』に作品の持ち込みを始め、「近代説話」の支援者であった海音寺潮五郎の忠告により新しいペンネームを使うことにして、1977年に息子と娘の名前から取ったペンネームの胡桃沢耕史名義で「父ちゃんバイク」を発表して復帰、海外での体験を生かして異境を舞台にした冒険小説を発表する。


須藤出穂: 大河ドラマ 天と地と (1969、NHK、原作:海音寺潮五郎


石井慧: 上杉謙信を尊敬し、一番の愛読書は海音寺潮五郎の「天と地と」。


鳴山草平: また、この年には小説家の海音寺潮五郎と知り合い、山梨へも招いている。


大岡昇平: 同じく史実を改変するものとして、海音寺潮五郎の『二本の銀杏』や『悪人列伝』等を批判し、これに反論する海音寺と『群像』1962年(昭和37年)8月号上で論争した。


海音寺潮五郎の情報まとめ

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海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)さんの誕生日は1901年11月5日です。鹿児島出身の作家のようです。

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筆名の由来、史伝文学の復興などについてまとめました。卒業、事件に関する情報もありますね。

海音寺潮五郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。

1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。1934年に作家デビュー。歴史小説を多数発表した。國學院大學教授で戦国史の大家であった桑田忠親との交友も深かった。

「天正女合戦」(『オール讀物』1936年4月号 - 7月号)と「武道伝来記」その他 (『日の出』1936年3月号)で第3回直木三十五賞(1936年上半期)を受賞。

史伝『西郷隆盛』がライフワークで、絶筆・未完作となった。

それに結末を与えたのが、弟子とも言うべき司馬遼太郎の『翔ぶが如く』である。

大口市歌の作詞や、大口酒造が製造・販売する焼酎「伊佐錦」のラベルの題字も手がけた。

筆名の由来

「海音寺潮五郎」という筆名の由来については、海音寺本人が『日、西山に傾く』収録の「夢想の筆名」の中で詳しく説明している。それによると、この筆名を初めて用いたのは1929年(昭和4年)の上半期に「サンデー毎日」の懸賞小説に応募したときであるという。

当時、海音寺は中学の教師をしていたが、小説を書くという行為に対して世間の理解が乏しかったため、本名を隠すためにペンネームを検討していた。考えているうちにうとうと眠ってしまった海音寺は、これまで一度も行ったことがないにもかかわらず、紀州の浜辺で眠っているという夢をみた。その夢の中の夢で、誰の声ともわからないが「海音寺潮五郎、海音寺潮五郎、…」と呼ぶ声が聞こえ、そこで夢から覚めた。そして、「ああ、これでいいや。これならわかるまい」と思い、「海音寺潮五郎」をペンネームに小説を応募したとのことである。なぜ「海音寺潮五郎」という名前が急に思い浮かんだのかについて海音寺は、「上田敏の訳詩集「海潮音」や近松門左衛門と才をきそった紀海音などのことが意識の深層部にあったのかもしれない」と説明している。

このとき懸賞小説として応募した『うたかた草子』は見事当選したが、本名を秘匿して欲しい旨を明示していなかったため、ペンネームと共に本名が公開されてしまい、ペンネーム案出の苦心は何の役にも立たなかったというオチがついている。

のちに三田村鳶魚に「君の名前は『観音経偈』にある」と言われ、読んだところ、その意味からすると、人が書けないようなものを書くという意味になり、傲慢な命名であったことを知り驚いたという。

史伝文学の復興

海音寺を語るときに取り上げられる話題のひとつとして、史伝文学の復興に対する功績がある。これは後年、海音寺が菊池寛賞を受賞したときにも選出理由として挙がっている。

史伝文学とは、歴史上の人物や事件を対象として作品を物語風に記述にあたっても、フィクションの要素を完全に排除し、広範かつ詳細な文献調査などをもとにして、歴史の真実はどのようであったかを明らかにしようとする形態の書物を指す。

日本においては、明治期の山路愛山、福本日南、徳富蘇峰など、大正期の森鷗外や幸田露伴、白柳秀湖などが史伝を執筆していた。しかし、昭和期に入ると、新しい書き手の台頭もなく、ジャンルとしての人気も衰えていった。このような中、海音寺は日本人から日本歴史の常識が失われつつあるとして当時の状況を憂慮し、本人の表現を借りると「文学としての史伝復興の露ばらいの気持ち」を込めて、歴史の真実を伝える史伝文学の執筆に精力的に取り組むことになった。また、歴史はまず文学から入るべき、という考えを持っており、日本の義務教育制度における歴史教育について、子供に最初から史実のみを社会科学的に教えることは、歴史への関心を失くすとともに、一方の側からのみの宣伝を教えることになると批判的でもあった。

その代表作が1959年から『オール讀物』(文藝春秋)に連載された「武将列伝」と「悪人列伝」である。この両作品に収録されている人物伝は、各編が独立した読み物の形式になっているが、これらを時代順に並べ替えて読めば日本歴史の全体が分かる内容となるように、それによって日本人に日本歴史の常識を持ってもらいたいとの希望を持って執筆された。海音寺は「できれば200人、少なくとも100人の人物伝」を書き上げたいと考えていたが、結局、武将列伝33人、悪人列伝24人の計57人の段階でまとまった作品として出版することになった。想定通りの人数に達しなかったことについて海音寺は「恥をしのんで出す」とその心境を述べている。

上記の作品の他にも『列藩騒動録』や『幕末動乱の男たち』など多くの史伝を執筆しているが、これらの作品に触発され、その後、いろいろな作家が史伝を発表するようになった。これについて海音寺は「露ばらいをつとめたつもりのぼくとしては、この上ないよろこびである」との感想を残している。

2024/06/22 14:35更新

kaionji chougorou


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