大岡昇平の情報(おおおかしょうへい) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大岡 昇平さんについて調べます
■名前・氏名 |
大岡昇平と関係のある人
スタンダール: 『ハイドン』大岡昇平訳、創元社 1941年、音楽之友社 1965年 溝口健二: 松竹を退社してフリーとなった溝口は、新東宝と滝村和男プロダクションの提携で舟橋聖一原作の『雪夫人絵図』(1950年)、旧知の永田雅一が社長を務める大映で谷崎潤一郎原作の『お遊さま』(1951年)、東宝で大岡昇平原作の『武蔵野夫人』(1951年)を撮影したが、この3本も失敗作となり、長いスランプから脱出できずにいた。 大江健三郎: 安部公房、大岡昇平、井伏鱒二が生きていれば、その人たちがもらって当然でした。 樋口覚: 『一九四六年の大岡昇平』(1993年11月、新潮社) 佐藤泰正: 『中原中也の詩の世界』大岡昇平共編 教文館 1985年 船越英二: なかでも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演した際には、極限状況における敗残兵を演じきり、演技は絶賛を経て各映画賞を総なめにした。 塚本晋也: 大岡昇平の『野火』は高校時代に読んで衝撃を受け、長い年月をかけ自身で映画化している。 今東光: 浄域には、遺影、著作、香華灯とともに、「胡桃船長」に相応しくクルミのガトーが供えられ、直会(なおらい)のあとの茶会では、1927年12月、諸井三郎、今日出海、大岡昇平、長井維理、内海誓一郎、中原中也、中島健蔵らが渋谷道玄坂の長井長義邸で結成し、河上徹太郎、小林秀雄も参加した音楽団体「スルヤ」(註: 武平が命名 सूर्य、Sūrya 太陽神 七つの光)ゆかりの「朝の歌」「臨終」(諸井三郎曲)、「帰郷」(内海誓一郎曲)、「雪の宵」「夕照」(大岡昇平曲)等の調べにより、往時を偲ぶ時が流れた。 中島丈博: 1978年のドラマ人間模様『事件』(NHK)の脚本(大岡昇平原作)が高い評価を受けた(続編の執筆依頼もあったが辞退している)。 江藤淳: この論文は、江藤が漱石と嫂登世との恋愛関係に固執するあまり、恣意的に『薤露行』を罪と死と破局の物語と読む誤りを犯していると大岡昇平から批判を受け、論争になった。 高田博厚: このころ、武者小路実篤、草野心平、谷川徹三、古谷綱武、中原中也、小林秀雄、大岡昇平、中野重治、梅原龍三郎らを知る。 岸田國士: この会がきっかけになって、椎名麟三、石川淳、中村光夫、大岡昇平、石原慎太郎、武田泰淳といった小説家が戯曲を書き、舞台化された。 井上光晴: 大岡昇平らと共に戦後文学の旗手として活動した。 巌谷大四: 文芸編集者としての経験から文壇裏面史に詳しく、大岡昇平『花影』のモデルが、大岡の愛人で、以前は河上徹太郎の愛人だった坂本睦子だと明かしたのも巌谷である。 新藤兼人: 事件(1978年6月3日公開、野村芳太郎監督、松竹)※原作:大岡昇平 - キネマ旬報ベストテン4位、日本アカデミー賞最優秀脚本賞 中村光夫: 1958-60年には、大岡昇平、福田恆存、三島由紀夫、吉田健一、吉川逸治との集い「鉢の木会」で季刊同人誌『聲』を、丸善を発行元に10号発行した。 小西茂也: アンドレ・ジイド 著、鈴木健郎・桑原武夫・大岡昇平・中島健蔵・秋田滋・小西茂也 訳『続文芸評論』芝書店、1933年。 木村威夫: 『雌花』(1957年、阿部豊監督、館岡謙之助脚本、大岡昇平原作) 樋口覚: 1994年、『一九四六年の大岡昇平』で第22回平林たい子文学賞受賞。 柄谷行人: 例えばこの時期、大岡昇平は『批評とポストモダン』に小林秀雄のデビュー作「様々なる意匠」(『改造』、1929年)の再来を見出し、東浩紀は2000年代になって、同書を柄谷の作品で最も優れたものと評した。 高津春繁: ある時作家大岡昇平が高津家に訪れ、「読んでばかりいないであなた自身も何か書きなさい」と言われた。 澁澤龍彦: 埴谷雄高・遠藤周作・白井健三郎が特別弁護人、大岡昇平・吉本隆明・大江健三郎・奥野健男・栗田勇・森本和夫などが弁護側証人となった。 水上勉: 『週刊女性』編集長だった丸元淑生の依頼でエッセイ「女ごころ風景」を1972年から連載、成城の自宅の庭に桜の木があり、旧平塚らいてう邸の裏庭に通じていたことを書いたところ、大岡昇平が訪れ、河口慧海の妹で歌人の竹野せいが毎年桜を見にくるようになり、また作家の小林美代子とも交流が生まれた。 宇多田ヒカル: 開高健、宮沢賢治、中上健次、芥川龍之介、川端康成、森鷗外、夏目漱石、三島由紀夫、稲垣足穂、谷崎潤一郎、埴谷雄高、大岡昇平、遠藤周作、ヘルマン・ヘッセ、オスカー・ワイルド、アン・クラーク・アモール、シェル・シルヴァスタイン、エドガー・アラン・ポー、エリ・ヴィーゼル、F・スコット・フィッツジェラルド、ジョージ・オーウェル、ダニエル・キイス、司馬遼太郎、アンリ・ベルクソン、ロアルド・ダール、田村隆一、J・D・サリンジャー、有吉佐和子、家永三郎、ゲーテ、中西進、白洲正子、エリザベット・バダンテール、中原中也など。 樋口覚: 大岡昇平、中原中也、富永太郎ら昭和の詩人・文学者のほか、古典文芸への論及も多い。 深田久弥: 同年、『文學』の流れを汲む『作品』の同人に参加、大岡昇平と知り合う。 諸井三郎: 命名者は今東光・今日出海兄弟の父である今武平)を結成し、河上徹太郎、三好達治、小林秀雄、中原中也、大岡昇平らと親交を持つ。 亀井秀雄: 『個我の集合性』(講談社、1977年)は『レイテ戦記』の分析を中心とした大岡昇平論である。 市川崑: 夏目漱石、三島由紀夫、谷崎潤一郎を各2回映画化しているほか、泉鏡花、幸田文、石原慎太郎、大岡昇平、島崎藤村、瀬戸内寂聴、山崎豊子、村松梢風らを手がけている。 吉田秀和: 小林秀雄や大岡昇平とも交遊した。 |
大岡昇平の情報まとめ
大岡 昇平(おおおか しょうへい)さんの誕生日は1909年3月6日です。東京出身の作家のようです。
卒業、退社、結婚、家族、映画、事件、テレビ、ドラマ、趣味に関する情報もありますね。1988年に亡くなられているようです。
大岡昇平のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。 東京牛込に生まれた。父は相場師で、社会的身分の変動が激しく、それが自我の目覚めを早熟にしたという。戦前はスタンダールを研究した。 フィリピンのミンドロ島での俘虜経験をもとにした『俘虜記』(1948年)で作家の地位を確立。『武蔵野夫人』(1950年)などの恋愛小説の秀作も書くが、その目は一貫して戦争に向けられていた。戦記文学『レイテ戦記』『野火』が代表作である。1972年に日本芸術院会員に推されたが、俘虜の経験を理由に辞退した。 1909年(明治42年)3月6日、 東京市牛込区(現:新宿区)新小川町に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれた。父貞三郎は和歌山市近郊の農家の三男で、昇平の生まれる前年上京して、兜町で株式仲買店に勤め、つるとの間には女児(大岡の5歳上の姉に当たる)がいた。一家には後に弟が2人生まれた。父の仕事の関係で家庭の経済状況には浮き沈みがあり、1912年(明治45年)春に麻布区笄町(現:港区南青山)に転居し、その後も数回渋谷近辺で転居を繰り返した。 大岡は読書が好きで、8歳ころから「立川文庫」や「日本少年」などを愛読していた。文学の道を歩んだのは従兄大岡洋吉の勧めがきっかけであり、1919年(大正8年)、「赤い鳥」に童謡『赤リボン』を投稿して入選を果たし、同年7月号に掲載された。北原白秋は『赤リボン』に対して「音楽的で面白い」という選評を寄せている。その後の大岡は熱心な投稿者となった。10歳ごろの大岡は原因不明の熱がもとで入院し、病床で雑誌や本を乱読したという。 1921年(大正10年)4月、府立一中受験に失敗した。青山学院中学部に入学、キリスト教の感化を受け、将来は牧師になろうと決意していた。秋、母・つるが芸妓だったことを知った。大岡の信仰心は、『新旧合本聖書』購入をめぐって父と対立したことや夏目漱石に惹かれたことで薄らいでいった。その後の大岡は、芥川龍之介やゲーテなどの文学や西田幾多郎の哲学書、マルクスなどの著書を読むようになった。 1925年(大正14年)12月に成城第二中学校4年に編入。富永次郎と友人になり、その兄・太郎(同年、24歳で病死)の作品を知った。同級に古谷綱武、安原喜弘、加藤英倫らがいた。また、山口二矢の実父である山口晋平も同級である。1926年(大正15年・昭和元年)4月、成城中学校が7年制の成城高等学校となったため、高等科文科乙類に進学。 1927年(昭和2年)9月、アテネ・フランセの夜学でフランス語を学ぶ。1928年(昭和3年)村井康男を通じて小林秀雄を紹介され、小林からフランス語の個人教授を受ける。詩人中原中也とも小林を通じて知り合った。 1929年(昭和4年)3月、成城高等学校を卒業した。同年4月、京都帝国大学文学部文学科に入学した。河上徹太郎や中原中也らと同人雑誌「白痴群」を創刊した。1930年(昭和5年)母・つるが46歳で死去した。翌1931年(昭和6年)には株の暴落が原因となって、父・貞三郎が全財産を失っている。 大岡は1932年(昭和7年)3月に京都帝国大学を卒業した。卒業論文はアンドレ・ジッドの『贋金つかい』であった。1933年(昭和8年)ころから、大岡はスタンダールへの傾倒を深めていった。 1934年(昭和9年)2月(4月説あり)、大岡は国民新聞社に入社したが、翌年2月に退社している。1937年(昭和12年)、父貞三郎が62歳で没した。同年10月、中原中也も死去した。1938年(昭和13年)10月、大岡は神戸の帝国酸素に翻訳係として入社した。1939年(昭和14年)翻訳書『スタンダアル』を刊行し、同年10月上村春枝と結婚した。1941年(昭和16年)2月に長女鞆絵、1943年(昭和18年)7月には長男貞一が誕生した。長男誕生と前後して、6月に帝国酸素を退社している。同年11月、川崎重工業に入社した。 1944年(昭和19年)3月、大岡は教育召集で、東部第二部隊に入営した。7月にフィリピンのマニラに到着。第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属し、ミンドロ島警備のため、暗号手としてサンホセに赴いた。 1945年(昭和20年)1月、マラリアでこん睡状態に陥っていた大岡は米軍の捕虜になり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容される。日本は8月に敗戦を迎え、同年12月に帰国し、家族の疎開先の兵庫県明石市大久保町に到着した。 1946年の4月末から5月末にかけて、『俘虜記』を執筆し、小林秀雄に見せた。この年の6月からのちの『野火』の原型となる『狂人日記』の執筆を始めた。この時期に新夕刊新聞社に入社したものの、翌月退社している。 1947年(昭和22年)、フランス映画輸出組合日本事務所 (SEF) 文芸部長に就任、字幕翻訳を手がける。1948年(昭和23年)1月に東京に行き、小金井に住んでいた富永次郎のもとに寄寓した。1949年(昭和24年)3月、『俘虜記』により横光利一賞を受賞した。同年4月、 明治大学文学部仏文学講師に就任。この時期に「鉢の木会」に参加している。 1952年(昭和27年)2月、『野火』を創元社より刊行、5月読売文学賞を受賞した。1953年2月、大磯町(神奈川県)に転居した。1961年(昭和36年)5月 、『花影』を中央公論社より刊行した。同年11月、『花影』により毎日出版文化賞、新潮社文学賞を受賞した。 1964年(昭和39年)3月、中国作家協会などの招きで亀井勝一郎、武田泰淳、由起しげ子などとともに中国を訪問した。1971年(昭和46年)9月に『レイテ戦記』を中央公論社より刊行した。同年11月に芸術院会員を辞退している。1969年(昭和44年)10月、世田谷区祖師谷(現:成城)に転居し、後に『成城だより』などを執筆した。 1972年(昭和47年)1月、『レイテ戦記』により毎日芸術賞を受賞した。1974年(昭和49年)1月に『中原中也』を角川書店より刊行した。同年11月『中原中也』で 野間文芸賞を受賞した。 1976年(昭和51年)1月、朝日文化賞を受賞した。1978年(昭和53年)3月、『事件』により日本推理作家協会賞を受賞した。 1988年(昭和63年)12月25日 - 順天堂大学医学部附属病院で脳梗塞のため死去。遺志により葬儀・告別式は行われなかった。翌年1月7日の昭和の終焉直前になくなった。死後の1989年(平成元年)2月に『小説家夏目漱石』により読売文学賞を受賞している。同年10月に遺稿『昭和末』が出版された。 今日では『俘虜記』『レイテ戦記』といった戦争ものが最もよく知られるが、創作のバックボーンであった仏文学にとどまらず、幅広い分野に強い関心を抱き続け、文壇を代表するディレッタントだった。手がけた作品のジャンルも多様である。 推理小説の愛読者でもあり、1950年代には海外推理小説『赤毛のレッドメーン』(イーデン・フィルポッツ作)や『すねた娘』(E・S・ガードナー作)を翻訳、自らも推理小説を執筆して、とりわけ『若草物語』の題で連載し、後に『事件』と改題した作品は日本推理作家協会賞を受賞し、映画やテレビドラマになるなど、高い評価を受けている。 『武蔵野夫人』は『ボヴァリー夫人』に倣って書いた姦通小説で、ベストセラーとなったが、1980年代、ポルノ小説にこの題が使われたため抗議した。 また、河上徹太郎、小林秀雄らの愛人で、白洲正子の友人だった坂本睦子を8年あまり自らも愛人とし、妻の自殺未遂騒ぎを何度か経たのちに睦子と別れたが、その翌年、睦子が自殺。その後、彼女をモデルに『花影』を書き、新潮社文学賞と毎日出版文化賞を受賞した。しかし高見順は、肝心の大岡自身の苦悩が描かれていないと批判、白洲正子も睦子が描かれていないと大岡の死後批判している。この小説は睦子を救えなかった青山二郎を指弾するものではないかという解釈があるが、大岡自身は、限定版『花影』のあとがきにおいて「ヒロインはその生れと性情の自然の結果として自殺するのですが、そのきっかけは、彼女の保護者で、父代わりである高島が黄瀬戸の盃を二重売りして、彼女を裏切ったためでした。(中略)あとは私が作った物語ですが、もし高島にモデルがあるなら、私の想像はその人を傷つけることになるでしょう」と述べているだけで、大岡自身が青山二郎を指弾する目的で書いたと言及しているわけではない。 後述のように歴史小説を巡って多くの論争を引き起こしたが、自身でも『将門記』『天誅組』などの歴史小説を書いた。これらは、事実に対して強いこだわりを持っていた大岡らしく、小説というより史伝に近いものである。 また、若い頃から演劇にも関心を示し続け、舞台「赤と黒」の台本を書いたりした。しかしこの際、演出の菊田一夫と対立し、初演を愛知での「レイテ同生会」への出席を理由に欠席した。また後年、仲代達矢の演じる「ハムレット」には、「未熟」との厳しい評価を下している。 好奇心の対象は芸術の外にも及び、50歳を過ぎて本格的に始めたゴルフにのめりこんだ挙句、『アマチュアゴルフ』なるゴルフ指南書を出版したほどである。なお、腕前はハンディ22。 囲碁についても趣味としており、アマチュア有段者の腕前で、昭和30年代の文壇本因坊戦に参加していた。 旺盛な好奇心は晩年になっても変わらず、1980年(昭和55年)から『文学界』に約5年間『成城だより』を、二回の中断をはさみ連載。この中では、記号論や不完全性定理、さらに漫画(萩尾望都、高野文子、「じゃりン子チエ」など)、ロック(村八分、ザ・クラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなど)、ポップス(中島みゆき、アバなど。当人は「残念ながら、音楽は洋楽種の方がいいようなり」と述べている)、映画(フィリピンをロケ地とした地獄の黙示録など)などに言及した。これらのセレクトには、長男の貞一の影響が大きい。またYMOの坂本龍一が自分の担当編集者であった坂本一亀の息子であることを知り、「『げっ』と驚くのはこっちなり」とも述べるまでの若々しい関心を示す様が、カリスマ的な人気を呼んだ。 「ケンカ大岡」と呼ばれるほどの文壇有数の論争家であり、言動が物議を醸すことも少なくなかった。井上靖の『蒼き狼』を史実を改変するものとして批判し、歴史小説をめぐって論争となった。同じく史実を改変するものとして、海音寺潮五郎の『二本の銀杏』や『悪人列伝』等を批判し、これに反論する海音寺と『群像』1962年(昭和37年)8月号上で論争した。松本清張の『日本の黒い霧』等の作品を謀略史観に基づくものとして批判したり、中原中也の評価について、篠田一士と論争したこともあった。 また江藤淳の『漱石とアーサー王伝説』に対しても資料の扱い方などの点で厳しく批判し、また森鷗外の『堺事件』は明治政府に都合のいいように事実を捻じ曲げていると批判し、国文学者尾形仂と論争になった。そして自身で『堺港攘夷始末』の連載を始めたが、その中で鴎外が依拠した資料に既にゆがみがあったことが明らかになった。本作が未完のまま大岡は急逝し、ほぼ9割は完成していたため、中央公論社から刊行された(のち中公文庫に収録)。 『レイテ戦記』は日本の代表的な戦記といえるが、野間文芸賞を辞退した。これは選考委員の舟橋聖一との軋轢による。のち『中原中也』で同賞を受賞するが、選評で舟橋は難癖をつけた。 1972年(昭和47年)、日本芸術院会員に選ばれたが「捕虜になった過去があるから」と言って辞退した。この記者会見の席にいた加賀乙彦によると、記者が帰った後に大岡は「うまいだろ」と言って舌をぺろりと出したという。皮肉をこめた国家への抵抗との見方もある。しかし最晩年に昭和天皇の重態に際して「おいたわしい」と書いた(どちらも波紋を呼んだが、ともにウラを読まなければ普通の発言という見方もできる)。 1949年『俘虜記』で横光利一賞 1952年『野火』で読売文学賞 1961年『花影』で毎日出版文化賞、新潮社文学賞 1972年『レイテ戦記』で毎日芸術賞 1974年『中原中也』で野間文芸賞 1976年『全集』刊行ほかで1975年度朝日文化賞 1978年『事件』で日本推理作家協会賞 1989年『小説家夏目漱石』で読売文学賞(歿後) 妻・春枝(旧姓上村) 長女・鞆絵(児童文学者) 長男・貞一 『俘虜記』(創元社、1948)のち新潮文庫、角川文庫、講談社文庫 『サンホセの聖母』(作品社、1950)のち角川文庫 『武蔵野夫人』新潮社(1950)のち新潮文庫 『来宮心中』(新潮社、1951)のち集英社文庫 『妻』(池田書店、1951)「妻・母」角川文庫 『野火』(1952) のち新潮文庫、角川文庫 『母』(文藝春秋新社、1952) 『詩と小説の間』(創元社、1952) 『わが師 わが友』(創元社、1953)、のち新編「文学の運命」講談社文芸文庫 『化粧』(新潮社、1954) 『酸素』(新潮社、1955)のち新潮文庫 『振分け髪』(河出書房、1955)、新編「疑惑 推理小説傑作選」河出文庫 『ザルツブルクの小枝』(新潮社、1956)のち中公文庫 『雌花』(新潮社、1957) 『作家の日記』(新潮社、1958) 『朝の歌 中原中也伝』(角川書店、1958、改訂版1967) 『夜の触手』(光文社カッパ・ブックス、1960)のち集英社文庫 『扉のかげの男』(新潮社、1960) 『真昼の歩行者』(角川書店、1960) 『アマチュアゴルフ』(アサヒゴルフ出版局、1961)のち潮文庫 『花影』(中央公論社、1961)のち新潮文庫、講談社文芸文庫 『常識的文学論』(講談社、1962)のち講談社文芸文庫(新編) 『逆杉』(新潮社、1962) 『現代小説作法』(文藝春秋新社、1962)のち第三文明社〈レグルス文庫〉、ちくま学芸文庫 『文壇論争術』(雪華社、1962) 『歌と死と空』(光文社、1962)のち中公文庫 『文学的ソヴィエト紀行』(講談社、1963) 『将門記』(中央公論社、1966)のち文庫 『遥かなる団地』(講談社、1967) 『在りし日の歌』(角川書店、1967)のち文庫 『昭和文学への証言』(文藝春秋、1969) 『ミンドロ島ふたたび』(中央公論社、1969)のち文庫(改版2016) 『愛について』(新潮社、1970)のち文庫、講談社文芸文庫 『母六夜』(新潮社、1971)のち集英社文庫 『レイテ戦記』(全3巻、中央公論社、1971 のち文庫・新編全4巻、2018) 『コルシカ紀行』(中公新書、1972) 『私自身への証言』(中央公論社、1972) 『凍った炎』(講談社、1972)のち文庫 - メリメを論ず 『幼年』(潮出版社、1973)のち文春文庫、講談社文芸文庫 『萌野』(講談社、1973)のち文庫 『作家と作品の間』(第三文明社、1973) 『わがスタンダール』(立風書房、1973)のち講談社文芸文庫(新編) 『中原中也』(角川書店、1974)のち角川文庫、講談社文芸文庫(新編) 『天誅組』(講談社、1974)のち講談社文庫、文芸文庫 『歴史小説の問題』(文藝春秋、1974)のち新編「歴史小説論」岩波同時代ライブラリー 『富永太郎』(中央公論社、1974) 『富永太郎と中原中也』(第三文明社〈レグルス文庫〉、1975) 『少年』(筑摩書房、1975)のち新潮文庫、講談社文芸文庫 『文学における虚と実』(講談社、1976)- ※「堺事件」、「漱石とアーサー王伝説」論争などの評論を収める 『わが美的洗脳』(番町書房、1976)のち講談社文芸文庫 『桜と銀杏』(毎日新聞社、1976) 『ゴルフ酒旅』(番町書房、1976)のち中公文庫 『ある補充兵の戦い』(現代史出版会、1977)のち徳間文庫、岩波現代文庫 『戦争』(九芸出版、1978)のち「わが復員 わが戦後」徳間文庫(新編)、岩波現代文庫 『事件』(新潮社、1977)のち文庫、双葉文庫、創元推理文庫 『無罪』(新潮社、1978)のち文庫、小学館文庫 『雲の肖像』(新潮社、1979)のち文庫 『最初の目撃者』(集英社、1979)のち文庫 『ハムレット日記』(新潮社、1980)のち新編「野火・ハムレット日記」岩波文庫 『成城だより』(文藝春秋(全3巻)、1981-86)のち講談社文芸文庫(上下)、中公文庫(全3巻)、2019 『青い光』(新潮社、1981)のち文庫 『ながい旅』(新潮社、1982)のち文庫、角川文庫 『生と歌 中原中也その後』(角川書店、1982) 『姦通の記号学』(文藝春秋、1984) 『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(中央公論社、1984) 『証言その時々』(筑摩書房、1987)、講談社学術文庫、2014 『小説家 夏目漱石』(筑摩書房、1988)、ちくま学芸文庫、1992 『大岡昇平音楽論集』(深夜叢書社、1989) 『堺港攘夷始末』(中央公論社、1989)、中公文庫、1992、改版2004 『昭和末』(岩波書店、1989、大江健三郎解説) 『日本文学全集18 大岡昇平』(池澤夏樹編、河出書房新社 2016) 『大岡昇平 歴史小説集成』(中公文庫、2017.1)、「将門記」など全10篇 『小林秀雄』(中公文庫、2018.11)、文庫新編、解説山城むつみ 『戦争と文学と-大岡昇平対談集』(中央公論社、1972、文春学藝ライブラリー(新編)、2015) 『作家の体験と創造 大岡昇平対談集』(潮出版社、1974) 『わが文学生活』(中央公論社、1975)- インタビュー集、のち文庫 『二つの同時代史』(埴谷雄高と対談、岩波書店、1984)、のち岩波現代文庫 『平塚らいてうと日本の近代』(丸岡秀子と対談、岩波書店〈岩波ブックレット〉、1986) 『大岡昇平全集』中央公論社(全16巻)、1973~1976 『大岡昇平集』岩波書店(全18巻)、1982~1984 決定版『大岡昇平全集』筑摩書房(全23巻・別巻1)、1994~2003 『スタンダアル』(アラン、創元社 1939年) 『ハイドン』(スタンダアル、創元社 1941年)、音楽之友社 1965年 『スタンダール伝』(アルベール・ティボーデ、青木書店 1942年) 『スタンダール論』(バルザック、小学館 1944年) 『小説論 - パルムの僧院をめぐって』(バルザック / スタンダール、創元社 1947年、のち改題『小説について』(創元文庫 1951年) 『パルムの僧院』(スタンダール、思索社 1948年)、新潮文庫(上・下) 1951年、のち改版 『恋愛論』上・下(スタンダール、創元選書 1948年)、新潮文庫 1956年、のち改版 『恋愛論ノート』(スタンダール、小山書店 1949年) 『ユリアンの旅』(アンドレ・ジイド、「ユリアンの旅 他一篇」新潮文庫 1952年)、ほか「全集」新潮社 『赤毛のレッドメーン』(イーデン・フィルポッツ、東京創元社 世界推理小説全集 1956年)、創元推理文庫 1959年 『クラクラの日記』(ベッケル、人文書院 1956年) 『すねた娘』(E・S・ガードナー、東京創元社 世界推理小説全集 1957年)、創元推理文庫 1959年 『赤と黒 - 19世紀年代記』(スタンダール、古屋健三共訳、講談社、世界文学全集 1971年)、のち新版 1974年。講談社文庫 1972年 中村光夫 三島由紀夫 福田恆存 吉田健一 (英文学者) 埴谷雄高 平野謙 (評論家) 武田泰淳 三好達治 大江健三郎 天野太郎 『大岡昇平の世界』岩波書店、1989年 『大岡昇平 群像日本の作家19』小学館、1992年 『大岡昇平の仕事』中野孝次編、岩波書店、1997年 菅野昭正『小説家大岡昇平』筑摩書房、2014年 川西政明『大岡昇平 文学の軌跡』河出書房新社、2016年 湯川豊『大岡昇平の時代』河出書房新社、2019年 神奈川近代文学館では1996年(平成8年)に「大岡昇平展」を開催した時、成城の自宅にあった執筆のための資料、図書など6000点を超える資料を大岡昇平夫人から寄贈され保管している。代表作の原稿、草稿類約160点その他自筆資料。戦争、歴史、地誌、スタンダール、フランス文学関係など原書多数を含む貴重な資料で文学館では「大岡昇平文庫」として保管。2020年(令和2年)にも「大岡昇平の世界展」を開催している。 水戸市立東部図書館では1989年遺族より寄贈されたレコード876点、カセット3点、図書195冊を「大岡昇平コレクション」として所蔵。 大磯町立図書館では大岡夫人から寄贈された大岡昇平氏の自身の著作本、その他推理小説などを531点「大岡文庫」として所蔵。 ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、3頁) ^ 中野孝次編『大岡昇平の仕事』(1997年、岩波書店、215-217頁) ^ 北九州市立松本清張記念館編集・発行『一九〇九年生まれの作家たち』(2009年、2-3頁) ^ 北九州市立松本清張記念館編集・発行『一九〇九年生まれの作家たち』(2009年、13-23頁) ^ 公益財団法人神奈川文学振興会編集『大岡昇平の世界展』(2020年、神奈川近代文学館、10-12頁) ^ 『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』104頁 ^ 北九州市立松本清張記念館編集・発行『一九〇九年生まれの作家たち』(2009年、4-5頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、4頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、98頁) ^ 金井美恵子・他『群像日本の作家 19』(1992年、小学館、331-333頁) ^ 沢木耕太郎『テロルの決算』より ^ 北九州市立松本清張記念館編集・発行『一九〇九年生まれの作家たち』(2009年、7頁) ^ 『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』105頁 ^ 北九州市立松本清張記念館編集・発行『一九〇九年生まれの作家たち』(2009年、10-11頁) ^ 『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』106頁 ^ “【印刷用】大岡昇平氏の翻訳原稿発見/仏映画「美女と野獣」 | 全国ニュース | 四国新聞社”. www.shikoku-np.co.jp. 2020年5月31日閲覧。 ^ 『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』107頁 ^ 中野孝次編『大岡昇平の仕事』(1997年、岩波書店、217-219頁) ^ 『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』108頁 ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)58頁 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁 ^ 榊山潤編『碁がたき』(南北社)p.7 ^ 『成城だより』1980年5月8日の記述より。 ^ より詳しい記述は『成城だより』1980年9月10日に「選考委員の総体ではなく、(候補に挙げないのはおかしいと、選考の段階で欠席して、あとでクレームを入れた)クレーム委員とこの(それによって意見を変えた)翻意委員(舟橋聖一)に恩を着ることとなる」としている。 ^ 加賀乙彦著『加賀乙彦 自伝』集英社 2013年 ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、58頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、59頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み>』(1975年、筑摩書房、60頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、62頁) ^ “6.築き:源流”. 和歌山の日本酒・米焼酎【日本城蔵元 吉村秀雄商店】. 吉村秀雄商店. 2013年8月31日閲覧。 ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、109頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、109-110頁) ^ 母が“姉さんのようにしていた”女性である ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、103頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、110頁) ^ 大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、111頁) ^ 四方田犬彦が資料協力 ^ 『大岡昇平展』神奈川近代文学館・財団法人神奈川文学振興会、1996年10月19日、2頁。全国書誌番号:97033599。 ^ 『神奈川近代文学館 第54号』1996年10月15日、1頁。 ^ 『大岡昇平の世界展』県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会、2020年3月20日、2頁。全国書誌番号:23370807。 ^ 『人物ゆかりの旧跡・文化施設事典』日外アソシエーツ、2014年1月25日、81頁。 ^ 『大磯町立図書館年報 平成4年度』。 大岡昇平『少年─ある自伝の試み』 筑摩書房、1975年 『新潮日本文学アルバム67 大岡昇平』 樋口覚解説、新潮社、1995年 『一九〇九年生まれの作家たち』 北九州市立松本清張記念館、2009年 『大岡昇平 群像日本の作家19』 小学館、1992年 『大岡昇平の仕事』 中野孝次編、岩波書店、1997年 『大岡昇平展』 神奈川近代文学館、1996年 『大岡昇平の世界展』 神奈川近代文学館、2020年 日本の小説家一覧 戦記作家一覧 推理作家一覧 大岡氏 神戸文学館 日本近代文学館 レイテ沖海戦 大岡昇平 - 新潮社 大岡昇平を歩く 大岡昇平 - NHK人物録 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ イスラエル フィンランド ベルギー アメリカ ラトビア 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド ポルトガル CiNii Books CiNii Research MusicBrainz Trove(オーストラリア)
IdRef 大岡昇平 日本の文学研究者 フランス文学者 20世紀日本の小説家 20世紀日本の翻訳家 朝日賞受賞者 読売文学賞受賞者 日本推理作家協会賞受賞者 川崎重工業の人物 国民新聞社の人物 太平洋戦争の人物 明治大学の教員 藤姓大岡氏 京都大学出身の人物 旧制成城高等学校出身の人物 青山学院中等部・高等部出身の人物 東京都区部出身の人物 捕虜となった人物 1909年生 1988年没 多磨霊園に埋葬されている人物 Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ 2024/11/05 12:25更新
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oooka syouhei
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