もしもし情報局 > 2月20日 > 歌人(短歌)

石川啄木の情報 (いしかわたくぼく)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

石川啄木の情報(いしかわたくぼく) 歌人(短歌) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

石川 啄木さんについて調べます

■名前・氏名
石川 啄木
(読み:いしかわ たくぼく)
■職業
歌人(短歌)
■石川啄木の誕生日・生年月日
1886年2月20日 (年齢1912年没)
戌年(いぬ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
岩手出身

石川啄木と同じ1886年生まれの有名人・芸能人

石川啄木と同じ2月20日生まれの有名人・芸能人

石川啄木と同じ出身地岩手県生まれの有名人・芸能人


石川啄木と関係のある人

友木りえこ: 呼子と口笛(著者:石川啄木


坂西志保: 『A Handfel of Sand』(出版社:M.Jones) 1934年(昭和9) - 石川啄木「一握の砂」の英訳


吉井勇: 1909年1月、森鷗外を中心とする『スバル』創刊となり、石川啄木、平野万里の3人で交替に編集に当たる。


上田庄三郎: 『青年教師石川啄木』啓文社、1940年5月。


高山樗牛: 若くして亡くなった点を差し引いても、北村透谷、石川啄木らと比べて思想の浅さが指摘されている。


島耕二: 情熱の詩人啄木 ふるさと篇(1936年) - 石川啄木


平井康三郎: ふるさとの(石川啄木


栗塚旭: 詩の夕べ「石川啄木・高村光太郎」(1968年)


鈴木裕美: 2001年 『泣き虫なまいき石川啄木』『ピーターパン』『おやすみ、母さん』『第17捕虜収容所』


佐藤春夫: 和歌山県立新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)在学中、佐藤潮鳴の筆名で校友会誌に「おらば籠」、1908年(明治41年)には『熊野実業新聞』に短歌6首掲載、『明星』に「風」の題で投稿し短歌が石川啄木の選に入り、和貝彦太郎主宰の「はまふゆ」の同人となり、「馬車・食堂」(短歌・詩)を発表。


長谷川海太郎: 中学3年頃から石川啄木に傾倒、白楊詩社という文芸グループに参加し作詩に励み、4年の時には野球の応援団長として活躍した。


清田和彦: MOTHER〜君わらひたまふことなかれ〜(石川啄木


小山田つとむ: 『一握の砂』石川啄木作 旺文社名作まんがシリーズ 1985


鳥越碧: 『わが夫(つま)啄木』文藝春秋企画出版部, 2018.1ー石川啄木


岡本健一: 妻をめとらば〜晶子と鉄幹〜(再演)(2007年7月28日 - 8月20日、明治座) - 石川啄木


金田一京助: 石川啄木が上京。


森鴎外: 伊藤左千夫・平野万里・上田敏・佐佐木信綱等が参加し、「新詩社」系の北原白秋・吉井勇・石川啄木・木下杢太郎、「根岸」派の斎藤茂吉・古泉千樫等の新進歌人も参加した(与謝野晶子を含めて延べ22名)。


伊藤佐喜雄: 『石川啄木』(偕成社、児童伝記全集) 1959


鳥海浩輔: スナックバス江(石川啄木


津田仙: 長女の智恵子は函館の尋常高等小学校訓導時代に同僚の石川啄木から恋愛感情を持たれていたとされ、果樹園跡地に啄木の歌碑が建つ。


枝元萌: 「泣き虫なまいき石川啄木」(2009年、演出:水下きよし)


藤原竜也: ろくでなし啄木(2011年、作・演出:三谷幸喜) - 石川啄木


土岐善麿: 土岐は同年刊行した第二歌集『黄昏に』の前書きに「この一小著の一冊をとつて、友、石川啄木の卓上におく。


古谷綱武: 石川啄木純情歌集 三十書房 1951


坂西志保: 『一握の砂』(英訳)(石川啄木、読書展望社) 1947


上田庄三郎: 『青年教師石川啄木』国土社、1992年11月。


銀粉蝶: こまつ座『泣き虫なまいき石川啄木』(2001年、紀伊國屋ホール)


桑島法子: 1996年、同郷の声優の平野正人に声を掛けられ、宮沢賢治の生誕100周年の朗読ステージで、石川啄木と宮沢賢治の作品を朗読する。


貫地谷しほり: 泣き虫なまいき石川啄木(2011年10月7日 - 30日) - 石川節子 役


外波山文明: ハイリンド第9回公演「泣き虫なまいき石川啄木」(2010年3月)


石川啄木の情報まとめ

もしもしロボ

石川 啄木(いしかわ たくぼく)さんの誕生日は1886年2月20日です。岩手出身の歌人(短歌)のようです。

もしもしロボ

事件、現在、卒業、結婚、退社、家族、病気、映画、ドラマ、テレビ、離婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1912年に亡くなられているようです。

石川啄木のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年〈明治19年〉2月20日 - 1912年(明治45年〉4月13日)は、岩手県出身の日本の歌人、詩人。「啄木」は雅号で、本名は石川 一(いしかわ はじめ)。

旧制盛岡中学校中退後、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として頭角を現し、満19歳で最初の詩集を刊行した。しかし、経済的事情から代用教員や新聞記者として勤める傍ら小説家を志すも失敗、東京で新聞の校正係になってから1910年に刊行した初の歌集『一握の砂』は三行分かち書き形式で生活に即した新しい歌風を取り入れ、歌人として名声を得た。また、同年に起きた幸徳事件(大逆事件)を契機として、社会主義への関心を深め、文学評論も執筆したが、結核により満26歳で没した。

岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に、曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎(いってい)と母・カツの長男として生まれる。出生当時、父の一禎が僧侶という身分上、戸籍上の婚姻をしなかったため、母の私生児として届けられ、母の姓による工藤一(くどうはじめ)が本名だった。戸籍によると1886年(明治19年)2月20日の誕生だが、啄木が詩稿ノート『黄草集』に「明治十九年二月二十日生(十八年旧九月二十日)」と記した括弧書きを天保暦の日付とみてこれを太陽暦に換算した1885年(明治18年)10月27日に生まれたとする見解もある。

二人の姉(サタとトラ)と妹(ミツ、通称光子)がいた。

1887年(明治20年)春、1歳の時に、父が渋民村(現在の盛岡市渋民)にある宝徳寺住職に転任したのに伴って一家で渋民村へ移住する。この移住は、住職が急逝して不在となったのを知った一禎が、交通などの便のよい宝徳寺を希望して檀家や仏門の師である葛原対月(妻・カツの兄)に働きかけ(対月を通して本寺の報恩寺住職にも)、実現したものだった。

幼少期の啄木は体が非常に弱く、一禎の残した和歌の稿本に「息の二、三歳のころ病弱にて月一回は必らず(原文ママ)薬用せしめ侍るに」と記されている。一方、一家でただ一人の男児として母は啄木を溺愛し、父も啄木用の家財道具に「石川一所有」と記入するほどで、こうした環境が「自負心の強い性格を作りあげた」と岩城之徳は指摘している。

1891年(明治24年)、学齢より1歳早く渋民尋常小学校(現・盛岡市立渋民小学校)に入学する。その事情について、啄木の小説『二筋の血』で「主人公が遊び仲間の年上の子供が進学して寂しかったために父にねだって校長に頼むと許可された」とある内容が、啄木自身の事実とみて差し支えないと岩城之徳は記している。前記の通り当時の啄木は母の戸籍だったが、進学するとそれでは都合が悪いという理由で、小学2年生だった1892年(明治25年)9月に一禎はカツと正式に夫婦となり、それに伴って啄木も石川姓(戸籍上は養子の扱い)となる。学齢より1歳下にもかかわらず、1895年(明治28年)の卒業(当時尋常小学校は4年制だった)時には首席の成績だったと伝えられる。尋常小学校を卒業すると、盛岡市の盛岡高等小学校(現・盛岡市立下橋中学校)に入学し、市内の母方の伯父の元に寄寓する。盛岡高小で3年生まで学ぶとともに(ただし2年生への進級前後(早春)に寄宿先を同じ盛岡市内の従姉(母の姉の娘)宅に変えている)、3年生時には旧制中学校受験のための学習塾にも通った。

1898年(明治31年)4月、岩手県盛岡尋常中学校(啄木が4年生時の1901年4月に岩手県立盛岡中学校と改名、現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入学する。入学試験の成績は合格128人中10番だった。

中学3年生の頃は、周囲の海軍志望熱に同調して、先輩の及川古志郎(後に海軍大臣など)に兄事していた。3年生の1900年(明治33年)4月に創刊された『明星』は、浪漫主義の詩歌作品で全国に多くの追従者を生み、盛岡中学では先輩の金田一京助が「花明」の筆名で新詩社(『明星』の発行元)の同人となり、『明星』にも短歌が掲載された。そうした状況で、やはり文学好きな及川に感化を受けて関心が芽生え、啄木の短歌志望を知った及川は「歌をやるなら」と金田一を紹介する。啄木は金田一から『明星』の全号を借りて読み、3年生の三学期だった1901年(明治34年)3月頃に新詩社社友になったと推測されている。また、のちに妻となる堀合節子とは、1899年(明治32年)に知り合い、3年生の頃には交際を持っていたとされている。一方、3年生末期の1901年3月に、教員間の紛争(地元出身者が他地域から赴任した教員を冷遇した)に対する生徒側の不満から起きたストライキ(3年生と4年生)に参加した。ストライキの結果、直後の異動で教員の顔ぶれは一変した。啄木はストライキの首謀者ではなかったとされるが、その後異動した教員を惜しむ雰囲気が出たことや、本来の首謀者が卒業や退学で学校を去ったため、啄木がその責任者の一人に擬せられ、後述する退学時に不利に働くことになった。

4年生の1901年には校内で文芸活動を活発化させ、翌年にかけて『三日月』『爾伎多麻(にぎたま)』『高調』といった回覧雑誌を主宰・編集した。短歌の会「白羊会」を結成したのもこの年である(メンバーに先輩の野村長一(後の野村胡堂)や後輩の岡山儀七がいた)。12月3日から翌1902年(明治35年)1月1日にかけて、下級生のメンバー3人とともに「白羊会詠草」として岩手日報に7回にわたって短歌を発表し、啄木の作品も「翠江」の筆名で掲載される。これが初めて活字となった啄木の短歌だった。さらに岩手毎日新聞にも1901年12月に短歌10首を発表したほか、1902年1月には「麦羊子」の筆名で蒲原有明の最初の詩集『草わかば』を評した文芸時評を岩手日報に発表した。こちらも初めて活字になった評論で、そのあとも3月と5 - 6月に「白蘋(はくひん)生」の筆名で文芸時評の連載を寄稿した。

この時期の啄木は『明星』に掲載された与謝野晶子の短歌に傾倒し、自作の短歌も晶子を模倣した作風だった。

5年生(最終学年)の1902年(明治35年)、一学期の期末試験で不正行為(特待生の同級生に、代数の試験で答案を2枚作ってもらい、その1枚を同級生が途中退出する際に入手しようとしたとされる)を働いたとして、答案無効・保証人召喚という処分が下された。啄木は同年3月の4年生学年末試験でも不正を働いたとして4月に譴責処分を受けていた。加えて授業の欠席が増え(5年生一学期の欠席時間は出席の約2倍)、試験無効と合わせて落第は必至という状況だった。岩城之徳は、これらの事情から啄木は学校側から退学もしくは転校の勧告を受けていたのではないかと推測している。かくて啄木は、10月27日に中学を退学した。岩城之徳は退学の理由について、「(堀合)節子との早熟な恋愛により生じた学校生活のゆきづまり」、さらに経済的事情から上級学校への進学の見込みがなく文学の職に就くために学業を放棄したことを、原因として指摘している。この退学前、『明星』10月号に同誌では初めて「白蘋」の筆名で短歌が掲載された。

『一握の砂』 歌集、東雲堂書店、1910年(明治43年)12月1日

『悲しき玩具』 歌集、東雲堂書店、1912年(明治45年)6月20日

『啄木全集』新潮社、1919年(全3巻)

『石川啄木全集』改造社、1928年 - 1929年(全5巻)

    1978年ノーベル書房から復刻

    『新編石川啄木全集』改造社、1938年 - 1939年(全10巻)

    『啄木全集』河出書房、1949年 - 1953年(全25巻)※全集として初めて日記を収録

    『啄木全集』岩波書店、1953年 - 1954年(全16巻)

    『啄木全集』筑摩書房、1967年 - 1968年(全8巻)

    『石川啄木全集』筑摩書房、1978年 - 1980年(全8巻)

    啄木歌碑

    蓋平館跡地に立つ石川啄木の歌碑

    歌集「一握の砂」より

    東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
      歌集巻頭の歌。 青森県の大間町大間崎にある石川啄木歌碑に彫られており、この歌の原風景は大間崎で、東海の小島は、沖の灯台の島「弁天島」であると説明されている。

      砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

      越谷達之助の作曲で、歌曲「初恋」として歌われている

      いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ

      陸前高田(高田松原)歌碑(東北地方太平洋沖地震津波で流失)

      頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず

      前記歌碑流失後に陸前高田に建立された歌碑

      たはむれに母を背負ひてそのあまり軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

      はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る

      友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

      ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

      今昔秀歌百撰82,選者:大喜多俊一(元京都市教育委員会)。上野駅に歌碑がある。

      かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川

      石をもて追はるがごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし

      やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

      前記の通り、渋民に建立された初の歌碑に刻まれた。

      ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

      地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く

      『明治四十三年歌稿ノート』の「九月九日夜」の箇所に記載し、雑誌『創作』明治43年10月短歌号に掲載。『一握の砂』には未収録。

      石川啄木記念館(岩手県盛岡市)

      もりおか啄木・賢治青春館(岩手県盛岡市)

      啄木新婚の家(岩手県盛岡市)

      港文館(北海道釧路市)

      土方・啄木浪漫館(北海道函館市) - 建物老朽化などのため2024年(令和6年)10月末で閉館

      石川啄木小公園(北海道函館市)

      啄木は節子と熱烈な恋愛により結ばれた一方、北海道や東京での単身生活時代には、複数の女性に心を寄せたり親交を持ったりした。

      函館の代用教員時代同僚だった橘智恵子は『一握の砂』所収の短歌にも思慕が歌われたが、その心情については「理想とする精神的な恋愛の対象としての、清らかな愛情の表現」であり、東京時代にはその追憶の理想で現実を忘れようとしたと指摘されている。啄木は1910年12月に刊行した『一握の砂』をすでに結婚していた智恵子に送り、追って葉書に「そのうち或るところに収めし二十幾首、君もそれとは心付給ひつらむ。塵埃の中にさすらふ者のはかなき心なぐさみをあはれとおぼし下され度し。」と記した。智恵子はこれに心を動かされて賀状や自家製バター(嫁ぎ先は牧場だった)を送り、『樹木と果実』の購読申込もしたが、啄木にとって「精神的恋愛」の対象ではなくなり、以後の言及は短歌1首にとどまった。

      釧路時代に親交を持った芸妓・小奴は、文学好きで機転も利く才を愛し、題材にした短歌があるものの、その関係について岩城之徳は「浮ついたものではなく、人生の底辺に生きる者同志(原文ママ)の結びつきである」と述べている。1908年12月に小奴が上京した際には頻繁に会い、長浜功は「釧路時代は『兄と妹』だったが東京では『男と女』になった感がある」と記している。

      1908年春の上京後、1905年4月の新詩社演劇会に出演して文通を持っていた植木貞子(本名:セン)が赤心館に通うようになり肉体関係も持ったが、啄木が気移りし、反発した貞子が日記や原稿を持ち出す騒ぎを起こして8月に交際は終わった。

      このほか、新詩社で収入を得るためにおこなっていた短歌の添削指導で1908年6月頃から接触を持った依頼人の菅原芳子(大分県臼杵在住)に懸想し、翌年1月までの間に熱烈な恋文を送っている。その一方で、平山良子という依頼人に送られた写真に一目惚れしこちらにも恋文を送るも、実は「平山良太郎」という名の男性だったという痛い目にも遭っている。平山は所属する文芸結社、「みひかり会」で啄木と文通する女性がいたことから「女性と偽った方が、啄木は快く添削に応じてくれる」との思いからの行為で、知人の祇園で人気の芸者の写真を自分のものだとして送っていた。平山は事実が発覚した際に謝罪したが、後に啄木がみひかり会の顧問になった際、平山に対しての手紙の宛名に、それまで「平山良子様」としていたのを「平山良子殿」と、以後ずっと男性に対する敬称をつけて嫌みを表したという。

      岩城之徳は、父・一禎とともに啄木は「金銭に対するルーズな性格」を持っていたと述べている。

      1909年頃に作成されたとみられる自筆の借金記録が函館市中央図書館啄木文庫に残されており、1905年から約4年間の借金(実際に借りた金額だけではなく、ツケ払いや支払延滞といった内容を含む)は総額1372円50銭(2000年頃の物価換算では1400万円ほど)とある。

      この借金の記録は、合計額として最多の150円の貸し主であった宮崎郁雨によって公表されたが、これにより啄木には「借金魔」、「金にだらしない男」、「社会的に無能力な男」という評価が加わるようになった。郁雨は、啄木の才能を愛しながらも、その生活力の欠如と金銭感覚には批判的であった。啄木は釧路時代に、競合紙の記者3人を退社させるのに、彼らの給与前借清算などのため50円が必要と郁雨に書き送り、それに応じて郁雨は二度に分けて送金した。しかし、その内容は虚偽で、金は花街通いなどに費消されたとみられている。

      1908年の上京後、東京朝日新聞入社までは金田一京助、入社後(ほぼ同時期に金田一は結婚して疎遠となった)義絶するまでは宮崎郁雨が事実上啄木の生活を支えていた。金田一京助は、啄木から頼まれる前に資金を援助することが何度もあった。しかし、あるとき啄木を頼ってきた同郷の青年二人に手元の金を恵んだ、という話を得意げに聞かされ、その出所が自分であることを認識するよう苦言を呈し、以後関係が微妙となる。その後、金田一は結婚(啄木が知り合いの古物商から紹介を受けた林静江を薦められた)するが、自宅が近かったことから、啄木はたびたび節子に寸借願を持たせて彼の元に通わせ、金田一は静江にそれに従うよう命じていた。だが、静江はついに「自分と啄木のどちらが大切なのか」と音を上げ、金田一も啄木と距離を置くようになる。それでも1912年3月30日、読売新聞に啄木重態の報道(土岐哀果の筆)が出たのを見た金田一は、花見を取りやめて啄木のもとを訪問し、自著の原稿料の半額である10円(実際にはその日は出版社から入手できず、手元の金を「稿料分」として用立てた)を手渡した。

      朝日新聞の校正係を勤めてからは、当時の大卒の初任給に匹敵する月給25円(夜勤日には1円付加)を貰っていたにもかかわらず、吉原や浅草での花街通いに浸り、下宿代が滞るようになったため、給料の前借を頻繁におこなっていた。勤務態度も悪く、無断欠勤や仮病の常習犯だったという。

      教育学者・臨床心理学者の福田周は学術論文で、石川啄木の死生観やその文学的表現を論じている。福田の推測では、啄木は希死念慮、不眠症、抑うつなどを患っていた。

      1910年(明治43年)、25歳の啄木は新聞記者を務めていたが、家族が上京してくるまで生活の中心は「夜の街」をふらつくことだった。その様子は例えば、以下の日記に残されている。

      だが同時に、常に何かに追い立てられている焦りも啄木にはあった。作品を書こうとしても書けないという悪循環が日記に書かれている。

      ・・・いかにして生活の責任の重さを感じないようになろうか?

      心身症により啄木は、それまで無価値と見なしていた短歌を作るしかなくなったが、それは栄達のための創作ではなく、「無意識的な自己の内省作業」であり、一種の「創造的退行」だった。

      福田によれば、啄木の著作物に出てくる「死」は「現実逃避」、「安心」、「寝る」ことと同様の意味を持っている。例えば以下の短歌は、目が覚めるまで現実を一時的に回避する内容である。

      また日記でも、借金の返済を要求された際に「死」を語っている。

      ああ!今朝ほど予の心に死という問題が直接に迫ったことがなかった。 今日社に行こうか行くまいか・・・いや、いや、それよりもまず死のうか死ぬまいか?

      ・・・そうだ、この部屋ではいけない。行こう、どこかへ行こう・・・・湯に行こうという考えが起こった。 それは自分ながらこの不愉快な気分に耐えられなかったのだ。先日行った時のいい気持が思い出されたのだ。とにかく湯に行こう。そしてから考えることにしよう。

      そして予は台町の湯屋に行った。その時までは全く死ぬつもりでいたのだ。 湯の中は気持ちがいい。予はできるだけ長くそこにいようと思った。ここさえ出れば恐ろしい問題が待ちかまえていて、すぐにも死ぬか何かせねばならぬようで、あたたかい湯につかっている間だけが自分の身体なような気がした。(中略)

      出ようか出まいかと考えていると ―― 死のうか死ぬまいかという問題が、出ようか出まいかの問題にうつって、ここに予の心理状態が変化した。

      ここで啄木は、葛藤を回避するために無意識的に問題を矮小化しようとしている。最初は死について悩み、それが出社の不安へと転移し、焦燥感に変わり、衝動的に風呂屋へ行き、ついには《借金をどうやって返すか》という本質的問題が、《湯船からいつ出ようか》というごく小さな問題へとすり替えられている。

      「死」と表裏一体の「安心」イメージは、他の記述にも見られる。

      1年ばかりのあいだ、いや1月でも、1週間でも、3日でもいい、神よ、もしあるなら、ああ、神よ、私の願いはこれだけだ、どうか、 身体をどこか少しこわしてくれ、痛くてもかまわない、どうか病気さしてくれ!ああ!どうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      真白な、柔らかな、そして身体がふうわりとどこまでも ―― 安心の谷の底までも沈んでいくような布団の上に、いや、養老院の古畳の上でもいい、なんにも考えずに、(そのまま死んでも惜しくはない!)ゆっくりと寝てみたい!

      つまり啄木にとって「死」や「病気」は、「寝る」こととほとんど同義であると福田は述べている。啄木が夢想する「深い穴」や「布団」や「安心の谷」は、象徴的な意味での《胎児》が ―― まともな手足の無い者が ―― 万能感に浸る《揺りかご》であり、《母胎》である。そこへ回帰しようとすることは、《生まれないこと》の願望、現実を生きたくない感覚が伴っている。

      一方で啄木は、評論などを通して段々と現実を直視するようにもなっていった。啄木の表現で言えば、「真に真面目に」生き始めた。つまり啄木は、「死」にまつわる現実逃避願望を抱えたまま家族を扶養せねばならなくなった。

      石川啄木の本名は石川一(いしかわはじめ)といい、住職の長男である彼は両親から可愛がられ、渋民村でも「お寺の一さん」として小貴族のように扱われた。福田によれば、こうした環境が石川啄木の「我儘で自尊心の強い性格の基礎を形作ったといわれている」。尋常中学校での啄木は、勉強よりも恋愛と文学活動を優先したことで成績が下がり続けた。後の啄木自身の形容によれば、当時の彼は

      だった。17歳、最終学年5年生の時には落第寸前であり、特待生にカンニングを依頼するも発覚し、卒業まで残り数ヶ月という時期に自主退学した。

      幼少期の啄木は何不自由なく養育されてきたが、それは「脆い背景によって作られたものでもある」と福田は言う。そもそも石川家は、表面的には村人から尊敬され慕われていたが、啄木の父の強引な言行によって反発を買っていた。啄木自身も、寺の住職の息子という肩書だけで支えられた「脆い自尊心」を持っており、肩書にこだわる啄木の自己意識はその後の生き方にも大きく影響していると考えられる。啄木は純粋に文学へ没頭することができず、周りからの名声や絶対的評価を求める心性を持っており、福田はそれに関して

      と評している。例えば啄木は、落第を回避するために不正行為(カンニング)をし、その後は《学校が悪いから自主退学する》という理屈で自己正当化している。退学後は上京しているが、これも理想主義的で非現実的な行動であり、「必然的に人生の挫折を経験することとなる」と福田は言う。

      啄木は上京後、翻訳業で生活しようとしたが稼ぎにならず、ついには人生の挫折を身体疾患という形で受け入れるしかなくなった。ただしこれは、《体調不良によって「職業アイデンティティ」確立の問題を一時的に回避できた》とも言える。啄木は田舎へ帰郷して昔の《お寺のお坊ちゃん》に戻ったが、父のごり押しがまた繰り返されることになった。父は住職だったにも関わらず強引な借金が原因で懲戒解雇され、石川家の生活基盤が失われた。このことが、啄木の人生へ決定的に影響したと福田は見ている。

      20歳の啄木は1905年5月に詩集『あこがれ』を刊行した。経済的な《生活機能》が無いに等しい彼は、この詩集の原稿料を夢想的に期待しながら再上京したが、実際は石川家の借金は増え続けた。堀合節子との結婚が決まった時も、何故か啄木は結婚式に出ずに放浪し、《母が危篤だ》と嘘をついて友人から借金した。福田は

      「こうしたその場しのぎの嘘は父がしてきた行動とそっくりである」
      と評している。啄木が結婚式に出たがらなかった理由は、自身が金欠および無職者であることを負い目に感じていた「自尊心の高さ」であると考えられる。 1906年(明治39年)、啄木は母と妻と共に渋民村へ帰郷した。その理由は、父を住職に復帰させる運動をするためだったと言われている。啄木は嫌々ながら石川家を経済的に支えるため渋民村尋常高等小学校の代用教員になったが、父の住職再任が叶えば退職するつもりだった。しかし、啄木は村の一員になろうとしないまま強引な運動を行って村との対立が強まっており、父はそれに耐えられなかった。1907年(明治40年)に父への懲戒赦免は出たが、村の権力争いや生活困窮の中で父は突然家出した。父のこの「遁走」を受けても、啄木は自分の思い通りに4月1日に辞表を提出した上でストライキを扇動し、校長を転任させた。しかし啄木は結局、辞職するのではなく免職処分を受けることになった。これ以降、石川家は一家離散した。 当時の啄木は日記で、村人たちへの蔑視・敵意を述べている。
      「明治39年3月9日 世の中で頭脳の貧しい人だけが、幸福に暮らしている。彼らは真の楽しみというものを知るまいが・・・彼らは立っている、同じところに立っている。真に平気なものだ。 その代り、朝生暮死の虫けらと同じく、彼らの生活には詩がない。 ・・・ああ、もし自分が一瞬たりとも彼らの平安をうらやましいと思うことがあるなら、それは自分にとって最大の侮辱である」。
      「明治39年7月19日 予は6月のはじめ10日を異様なる精神興奮の状態に過ごした。社会と習慣と規則とに対する一切の不平は危うく爆発しようとした。 ・・・故郷の自然は常に我が親友である、しかし故郷の人間は常に予の敵である。・・・この村の小学校に学んだ頃、神童と人にもてはやされたころから、すでに予は同窓の友の父兄たる彼らから或る嫉視をうけていた。この嫉視は、その後十幾年、常に予を監視している。・・・ しかし予は極めて平気であった。鳥がないたり、犬が吠えたからといって、驚くような自分ではない」。
      福田が言うには、成人した啄木の振る舞いは中学生時代から変わっていない。つまり啄木の主な発言と行動は、周囲を扇動して、自分より立場が上の者を敵として攻撃して、自分は責任を放棄する「他罰的」な責任回避であると考えられる。実は1906年、啄木は代用教員として『林中書』という教育論をも書いており、教育の目的とは
        天才の育成

        天才的支配者に服従する民衆の育成

        である、と記していた。また同書において、啄木は当時の教育を批判し天才(自分)の中学中退を弁明しつつ、

        と記し、自分と同じように中学を中退して代用教員になることを後輩へ呼びかけてもいた。しかし結果は先述の通りで、啄木は代用教員を強引に辞めている。福田は

        池部良 - 映画『雲は天才である』(1946年、企画のみ。クランクイン前に第1次東宝争議のため製作中止。松竹、東宝による競作。松竹監督:芦原正、東宝監督:山本薩夫)

        若原雅夫 - 映画『われ泣きぬれて』(1948年、松竹、監督:芦原正)

        岡田英次 - 映画『若き日の啄木 雲は天才である』(1954年、新東宝、監督:中川信夫)

        本郷功次郎 - 映画『情熱の詩人啄木』(1962年、大映、監督:島耕二)

        国広富之 - ドラマ『獅子のごとく』(1978年8月21日、TBS)

        奥田瑛二 - ドラマ『愛・信じたく候』(1981年6月、NHK銀河テレビ小説)

        平田満 - 舞台『泣き虫なまいき石川啄木』(1986年、こまつ座(初演)、作:井上ひさし)

        砂川真吾 - 映画『華の乱』(1988年、東映、監督:深作欣二)

        藤原竜也 - 舞台『ろくでなし啄木』(2011年、作・演出:三谷幸喜)

        稲垣吾郎 - 舞台『泣き虫なまいき石川啄木』(2011年10月、シス・カンパニー、演出:段田安則)

        渡辺大 - ドラマ『足尾から来た女』(2014年1月、NHK)

        溝端淳平 - 『歴史秘話ヒストリア』(2016年9月16日、NHK)

        MARU - 舞台「われ泣きぬれて~石川啄木~」(2015年12月、作:平山陽、演出:狭間鉄)、舞台「はかなくもまた、かなしくも」(2017年12月、作:平山陽、演出:狭間鉄)

        近藤フク - 映画『この道』(2019年、HIGH BROW CINEMA、監督:佐々部清)

        浅沼晋太郎 - アニメ『啄木鳥探偵處』

        瀧花久子 - 映画『情熱の詩人啄木 ふるさと篇』

        飯野公子 - 映画『雲は天才である』

        津島恵子 - 映画『われ泣きぬれて』

        若山セツ子 - 映画『若き日の啄木 雲は天才である』

        中村玉緒 - 映画『情熱の詩人啄木』

        藤真利子 - ドラマ『愛・信じたく候』

        貫地谷しほり - 舞台『泣き虫なまいき石川啄木』(2011年のシス・カンパニー公演)

        川島海荷 - 『歴史秘話ヒストリア』

        ^ 移住時期については、一禎が記載した過去帳に「旧三月六日」という記載があり、一禎の戸籍には「明治二十年四月二十六日」とある。

        ^ 長浜功は、文学への興味は2年生の時に同級生の伊東圭一郎からもたらされたとし、金田一への紹介者も伊東であるとしている。

        ^ 野村には、金田一同様及川に紹介された。

        ^ 啄木自身は中退後の1907年に『盛岡中学校校友会雑誌』に寄稿した「林中書」において、試験の不正や無断欠席、授業中の無関係の読書などを綴り、教員への不敬行為を理由に譴責処分を受けた際にはその通告書を教室に戻って見せびらかしたと記している。

        ^ 啄木は1904年1月に、野口本人に『東海より』が病臥中の自分を慰撫したことなどを綴った書簡を送っている。

        ^ 尾崎への献辞は、上京後の啄木が面識のない尾崎を訪ねて出版依頼をした(拒絶された)経緯による。この献辞のために、一時は尾崎が出版社を紹介したという誤伝が流れた。

        ^ 岩城は人物叢書『石川啄木』(初版は1961年)では、家計を背負うことになった責任に苦慮したことが理由と推測していた。

        ^ 1年後に「資金流用」の廉で啄木が警察の取り調べを受け、啄木の嘆願を受けた呉服商の計らいもあり放免となる後日談があった。啄木は実際に出版資金を生活費などに使っていたとされる。

        ^ この帰郷について岩城之徳は、2月28日の曹洞宗宗憲制定発布を知り、父の住職復帰を期してのものだったとしている。

        ^ この際新詩社に寄り、そこで夏目漱石や島崎藤村の小説を目にした。啄木が小説を書き始めるのはその後である。

        ^ 長浜功は大島野百合とする。

        ^ のちに啄木が編集した第6号と第7号は、題字は同じながら「れっどくろばあ」という読み方に変えている。

        ^ 社内にはあくまで「家族の事情で函館に行く」とのみ伝え、正式な退社は4月25日(前日付紙面に社告掲載)で、後任は小国露堂だった。

        ^ 掲載期間の新聞発行は60回あるが、12月1日付が休載のため、この回数である。

        ^ 1910年1月の第2年1号より交代。

        ^ 「ローマ字日記」は、死後70年近く経つ1978年(昭和53年)に刊行された『石川啄木全集』第6巻(筑摩書房)で初めて伏せ字なく全文が翻字された。それまで伏せ字が施されていたのは、露骨な性描写が含まれていたためである。一つ前の全集である『啄木全集』第6巻(筑摩書房、1967年)の「解説」では、当時版権所有者だった石川正雄(長女京子の夫)が「ほんの一部分だけはどうしても公表を避けたい」と主張し、それに従わざるを得なかったと記されている。

        ^ 4月13日「老いたる母から悲しき手紙がきた」、「今日は社を休むことにした」、「貸本屋が来たけれど、六銭の金がなかった。そして。『空中戦争』という本を借りて読んだ」と日記にあり、次にその書物からイメージを喚起した詩らしき記述がある。『空中戦争』はH・G・ウェルズの作品『The War in the Air』を翻案したもので、1909年3月に出版されている。

        ^ 「喜之床」の建物は、道路拡張のため1977年(昭和52年)に取り壊されて明治村に移築の上、復元保存されている。

        ^ 1908年の上京直前、4日間だけ函館で家族と同居生活をしているものの、恒久的な同居は小樽から釧路に発って以来だった。

        ^ 1908年の年末、手元の金が5厘しかない窮状を啄木に年賀状で伝えたが、それを読んだ啄木は日記に「予が金をおくらなかった事に対するうらみが読まれる。予はきまづくなった。」と記すのみであった。

        ^ 啄木は、東京朝日新聞編集局長の安藤正純から哀果の寄贈した『NAKIWARAI』(安藤は哀果と縁戚関係にあった)を「批評してくれまいか」と渡され、1910年8月3日付の紙面に「大木頭」の筆名で好意的に紹介した。哀果はやがて筆者が啄木だと知り、さらに歌壇時評「歌のいろいろ」でも哀果の雑誌寄稿作を「好(い)い歌」と賞賛され、啄木に関心を寄せることになる。

        ^ この文章は太平洋戦争後に初めて公表された。

        ^ このトラブルについて妹のミツ(三浦光子)は、戦後発表した文章で、滞在中の久堅町の家に届いた「無記名で『美瑛の野から』とだけ書かれた手紙」を受け取った啄木が激怒して封入されていた為替を破った上、文面に「貴女ひとりの写真を撮って送ってくれ」といった記載があったと記し、節子に離縁を申しつけたとして、郁雨と節子の不貞があったとした。これに対して宮崎郁雨は岩城之徳の調査に、「確かな記憶はない」と断りながら手紙は匿名ではなく、内容も身内(義姉)を案じるもので「恋愛や同情などというものよりはるかに高く深く美しいものであったことを申し上げておきたいと思います」と述べた。岩城はこの件はミツの主張する「不貞」ではなく、6月の帰郷をめぐるトラブルの延長上にあり、義弟に当たる郁雨を通じて義絶したはずの堀合家と連絡を持っていたと啄木が誤解して離婚を申し渡したとし、9月16日のミツ宛て書簡に「お前の知っている不愉快な事件も昨夜になってどうやらキマリがついた。家に置く。」とある文面もその方向で解すべきとしている。啄木から直接郁雨の文面を見せられたという丸谷喜市は、「夫人(引用者注:節子のこと)に対する君のこころ及び君の在り方はPlatonicなものと思うが、それにしてもこのまま石川家との交際乃至文通を続けることは、結局啄木夫妻の生活を危機に陥らしめる虞がある」として交際と文通の停止を郁雨に進言し、郁雨からそれを受け入れる返書を受け取って、文通内容を啄木に伝えると啄木はその内容を了承し、「プラトニック」という言葉について「その点は僕も疑わないよ」と答えたと記した上でやはり「不貞説」を否定した。

        ^ 借家を世話した人物について、岩城之徳は宮崎郁雨、長浜功は節子の父とする。

        ^ それ以前には、1931年以降断片的に新聞や雑誌に掲載され、それらを再編した単行本が2種類刊行されていた。

        ^ 金田一京助の子息である金田一春彦は、母の静江から啄木に金を与えるために自分の着物を質入れされた(着物は流質)ことなどを恨み節で話すのを聞いて育ち、石川五右衛門を知ったときに啄木がその弟かと思った、と回想記に記している。

        ^ "石川啄木". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年2月6日閲覧。

        ^ 岩城之徳 1985, p. 10.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 11–13.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 13–16.

        ^ 池田功 2011, p. 177.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 20–22.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 24–25.

        ^ 池田功 2011, p. 178.

        ^ 岩城之徳1985, p. 300, 略年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 28.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 408, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 34–35.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 29–30.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 31–33.

        ^ 長浜功 2009, p. 45.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 301, 略年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 64–65.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 74–82.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 82–87.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 87–89.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 35–36.

        ^ 郷原宏『胡堂と啄木』双葉社、2019年、p.7

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 62–65.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 62–64.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 38–41.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 66–68.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 69.

        ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉?へぇの本? 5』講談社、2004年。 

        ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』、三省堂、2009年、p.95

        ^ 岩城之徳 1985, p. 37.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 43–45.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 410, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 71–73.

        ^ 長浜功 2009, p. 16,49.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 411, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 長浜功 2009, p. 50.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 47–49.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 131–132.

        ^ 岩城之徳「手紙で綴る石川啄木伝」『石川啄木とその時代』おうふう、1995年、pp.187 - 189

        ^ 岩城之徳 1985, p. 55.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 50.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 68–70.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 412, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 175.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 72–75.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 413, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 303, 略年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 56–58.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 75–79.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 137–138.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 219.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 81–82.

        ^ 啄木新婚の家 - いわての旅(2022年1月23日閲覧)

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 83–85.

        ^ 長浜功 2009, p. 66.

        ^ 長浜功 2009, pp. 69–70.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 88–91.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 414, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 304, 略年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 138–140.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 98–101.

        ^ 長浜功 2009, pp. 74–75.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 92.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 415, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 305, 略年譜.

        ^ 長浜功 2009, p. 86.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 156–157.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 102–106.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 416, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 417, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 107.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 111–112.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 162.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 116–117.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 113–115.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 118–119.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 120–122.

        ^ 第3章 社会主義思想との邂逅 - 岩手県立図書館(第34回啄木資料展「啄木の思想をたどる」、2020年 - 2021年実施)2022年1月29日閲覧。

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 123–125.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 175–177.

        ^ 金子未佳『野口雨情 人と文学』勉誠出版、2013年、pp.141-145

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 177–179.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 125–128.

        ^ 長浜功 2009, pp. 114–116.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 130–134.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 135–138.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 139–143.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 143–146.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 199–202.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 146–149.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 420, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 165–166.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 172–174.

        ^ 長戸路信行 1984, p. 135.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 168–172.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 199.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 308, 略年譜.

        ^ 長戸路信行 1984, pp. 136–137.

        ^ 岩城之徳「解題」『石川啄木全集』筑摩書房、1978年、pp.432 - 463

        ^ 長戸路信行 1984, pp. 138–139.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 209.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 309, 略年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 422, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 186–189.

        ^ 小田切秀雄「解説」『石川啄木全集』第6巻、1978年、p.384

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 215.

        ^ 小田切秀雄「解説」『啄木全集』第6巻、筑摩書房、1967年、pp.394 -395

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 421, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 179–180.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 225.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 227–228.

        ^ 本郷喜之床 - 博物館明治村(2022年1月24日閲覧)

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 204.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 219–223.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 181–182.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 234–235.

        ^ 長浜功 2009, pp. 194–195.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 182–184.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 243–245.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 236–243.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 258–259.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 191–192.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 310, 略年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 423, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 293–297.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 424, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 201–202.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 259–260.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 192–195.

        ^ 長浜功 2009, pp. 216–217.

        ^ 長浜功 2009, pp. 216–218.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 313.

        ^ “青年に訴ふ クロポトキン 著,大杉栄 訳 1922 (大正11), 労働運動社”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2020年12月19日閲覧。

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 425, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 長浜功 2009, pp. 219–221.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 207–208.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 426, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 長浜功 2009, pp. 221–226.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 213–218.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 261–262.

        ^ 長浜功 2009, pp. 229–230.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 208–210.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 309–310.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 241–244.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 427, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 245–247.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 224–227.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 275–277.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 238–241.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 248–254.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 233–239一部三浦光子『悲しき兄啄木』(初音書房、1948年)の引用あり。

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 367–369.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 370–372.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 229.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 373–375.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 377.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 381.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 278–281.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 382.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 380.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 222–223.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 283–287.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 429, 新訂石川啄木年譜.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 283–285.

        ^ 長浜功 2009, p. 287.

        ^ 長浜功 2013, pp. 86–88.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 314–315, 略年譜.

        ^ 長浜功 2013, pp. 59–60.

        ^ 第10回企画展「啄木第一号歌碑建立物語」 - 石川啄木記念館

        ^ 長浜功 2013, p. 65.

        ^ 岩城之徳 1985, p. 289.

        ^ 長浜功 2013, p. 183.

        ^ & 長浜功 2013, pp. 170–177.

        ^ 長浜功 2013, pp. 42–43.

        ^ 長浜功 2013, pp. 51–53.

        ^ 長浜功 2013, pp. 55–56.

        ^ 長浜功 2013, pp. 241–242, 啄木日記関連事項簡略年表.

        ^ 津波で2度流失…陸前高田の啄木歌碑再建 - 読売新聞2013年11月15日

        ^ 『石川啄木全集』第1巻、筑摩書房、1978年、pp.277 - 278

        ^ 『石川啄木全集』第1巻、筑摩書房、1978年、pp.182 - 183

        ^ “土方・啄木浪漫館、ファンへ感謝 10月27日閉館前イベント”. 北海道新聞 (2024年9月19日). 2024年9月20日閲覧。

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 150–157.

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 162–164.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 195–197.

        ^ 長浜功 2013, p. 39.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, pp. 211–213.

        ^ 長浜功 2009, pp. 156–164.

        ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉?へぇの本? 9』講談社、2004年。 

        ^ 北海道新聞:啄木の風景 <8> 借金編 素顔の啄木像 ―石川啄木研究者・桜井健治さんに聞く

        ^ 岩城之徳 1985, pp. 258–266.

        ^ 長浜功 2009, pp. 129–130.

        ^ 岩城『啄木伝』 1985, p. 366.

        ^ 長浜功 2009, pp. 143–147.

        ^ 長浜功 2009, pp. 254–255.

        ^ 長浜功 2009, pp. 256–257.

        ^ 長浜功 2013, pp. 47–48金田一春彦の回想は『わが青春の記』(東京新聞出版局、1994年)からの引用。

        ^ 長浜功 2009, pp. 269–271.

        ^ 彩図社文芸部(編)『文豪たちの噓つき本』彩図社、2023年、p.121

        ^ 福田 2017, p. 123.

        ^ 福田 2017, p. 136.

        ^ 福田 2017, p. 133.

        ^ 福田 2017, p. 134.

        ^ 福田 2017, pp. 136–137.

        ^ 福田 2017, p. 138.

        ^ 福田 2017, p. 139.

        ^ 福田 2017, p. 140.

        ^ 福田 2017, p. 124.

        ^ 福田 2017, p. 125.

        ^ 福田 2017, pp. 125–126.

        ^ 福田 2017, p. 126.

        ^ 福田 2017, p. 127.

        ^ 福田 2017, pp. 127–128.

        ^ 福田 2017, p. 128.

        ^ 福田 2017, pp. 128–129.

        ^ 福田 2017, p. 129.

        ^ 商標公告昭37-017888

        ^ 内田洋一 (2011年10月18日). “シス・カンパニー「泣き虫なまいき石川啄木」作者井上ひさしとの苦悩の二重唱”. 日経アート&レビュー 舞台・演劇. https://style.nikkei.com/article/DGXBZO35521700S1A011C1000000/ 2020年9月19日閲覧。 

        岩城之徳『石川啄木』吉川弘文館〈人物叢書(新装版)〉、1985年7月1日。ISBN 4-642-05008-6。 

        岩城之徳『石川啄木伝』筑摩書房、1985年6月25日。 

        長浜功『石川啄木という生き方 二十六歳と二ヶ月の生涯』社会評論社、2009年10月15日。ISBN 978-4-7845-0907-2。 

        池田功『啄木日記を読む』新日本出版社、2011年。 

        長浜功『『啄木日記』公刊過程の真相 知られざる裏面の検証』社会評論社、2013年10月20日。ISBN 978-4-7845-1910-1。 

        長戸路信行「<論説>もう一つの「悲しい玩具」 : 啄木の『ローマ字日記』について(人文科学編)」『千葉敬愛経済大学研究論集』第25巻、敬愛大学・千葉敬愛短期大学、1984年1月、133-155頁、ISSN 03895378、NAID 110000191782。 

        福田周「石川啄木 : 短歌にみる生と死の表現」『死生学年報』第13巻、リトン、2017年3月、123-145頁、ISBN 9784863760561、NAID 120006381136。 

        草壁焔太『啄木と牧水―二つの流星 』日貿出版社、1976年

        草壁焔太『石川啄木―天才の自己形成』講談社<講談社現代新書>、1977年

        阿部たつを・桜井健治『啄木と函館』幻洋社、1988年

        小野寺脩郎『啄木の骨』幻洋社、1993年

        国際啄木学会(編)『論集 石川啄木』おうふう、1997年

        国際啄木学会(編)『石川啄木事典』おうふう、2001年

        遊座昭吾『北天の詩想―啄木・賢治、それ以前・それ以後』桜出版、2008年

        長浜功『啄木を支えた北の大地―北海道の三五六日』社会評論社、2012年

        ドナルド・キーン(角地幸男訳)『石川啄木』新潮社2016年

          港文館 - 旧釧路新聞社を復元した建物。「啄木資料室」が開設されている。

          大森浜 - 石川啄木小公園があり、そこに銅像がある。

          石川啄木賞 - 北溟社主催の文芸賞。岩手日報文学賞の啄木賞とは別。

          函館市文学館 - 函館市中央図書館啄木文庫所蔵の直筆資料が入れ替えられる形で常設展示されている。

          岡田弘子 - 本文中に記した岡田健蔵の娘で、函館における啄木資料収集や顕彰事業を引き継いだ。

          尾崎豊 - 「中等教育を中退してデビュー」「26歳で死去」といった啄木との共通点を指摘した論考やテレビ番組が存在する(池田功「石川啄木と尾崎豊(2) -二一歳の流離とその死-」『明治大学教養論集』第496巻、明治大学教養論集刊行会、2014年1月、(1)-(21)頁、ISSN 0389-6005、NAID 120006347501。 ・『十五歳の原点〜啄木・尾崎 空を求めた天才詩人〜(参考:第152回岩手朝日テレビ放送番組審議会議事録 (PDF) )』)。

          江口きち・西塔幸子 - 「女啄木」と呼ばれた人物

          寺山修司 - 「昭和の啄木」と呼ばれた人物

          枡野浩一 - 朝日出版社『石川くん』で啄木の歌の現代語訳(超訳)を試みている。

          石川啄木記念館

          石川啄木函館記念館

          国際啄木学会

          石川啄木:作家別作品リスト - 青空文庫

          啄木勉強ノート - 閉鎖。(2008年2月21日時点のアーカイブ)

          池田功 石川啄木 どの詩(歌)に誰が作曲したか - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)

          『石川啄木』 - コトバンク

          大阪本社(本店所在地)

          東京本社

          西部本社

          名古屋本社

          北海道支社

          福岡本部

          朝日新聞

          朝日新聞国際衛星版

          朝日新聞縮刷版

          朝日新聞デジタル

          ジュニア朝日海外電子版

          朝日ウィークリー

          夕刊朝日新聞

          朝日ジャーナル

          月刊Asahi

          論座

          SEVEN

          知恵蔵

          ASAHIパソコン

          科学朝日(サイアス)

          朝日年鑑

          ヘラルド朝日

          アサヒグラフ

          日刊スポーツ新聞社

          北海道日刊スポーツ新聞社

          日刊スポーツ新聞西日本

            日刊スポーツ

            プリキュア新聞

            朝日学生新聞社

              朝日小学生新聞

              朝日中高生新聞

              朝日新聞出版

                週刊朝日

                AERA

                ジュニアエラ

                AERA English

                アサヒカメラ

                週刊マンガ日本史

                週刊マンガ世界の偉人

                週刊しゃかぽん

                ネムキ

                朝日選書

                朝日新書

                朝日文庫

                ソノラマ文庫

                AERA dot.

                Newton

                テレビ朝日ホールディングス

                  テレビ朝日

                  BS朝日

                  シーエス・ワンテン

                  日本ケーブルテレビジョン

                  朝日ニュースター

                  朝日放送グループホールディングス

                    朝日放送テレビ

                    朝日放送ラジオ

                    スカイA

                    KBCグループホールディングス

                      九州朝日放送

                      KBCラジオ

                      名古屋テレビ放送

                      北海道テレビ放送

                      東日本放送

                      広島ホームテレビ

                      朝日広告社 (東京都)

                      朝日広告社 (福岡県)

                      朝日ビルディング

                      朝日建物管理

                      朝日新聞東京本社ビル

                      浜離宮朝日ホール

                      有楽町センタービル

                        有楽町朝日ホール

                        中之島フェスティバルタワー

                          フェスティバルホール

                          ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン

                            BuzzFeed Japan

                            朝日インタラクティブ

                            日刊スポーツPRESS

                            朝日ネット

                            朝日新聞総合サービス

                            朝日プリンテック

                            学情

                            朝日新聞社主催の賞

                            朝日賞

                            朝日スポーツ賞

                            朝日作曲賞

                              合唱部門

                              吹奏楽部門

                              朝日学生新聞社児童文学賞

                              朝日時代小説大賞

                              大佛次郎賞

                              大佛次郎論壇賞

                              明日への環境賞

                              木村伊兵衛写真賞

                              手塚治虫文化賞

                              朝日新聞社のイベント

                              全国高等学校野球選手権大会

                              全日本大学駅伝対校選手権大会

                              福岡国際マラソン

                              日本スリーデーマーチ

                              全国ミニバスケットボール大会

                              全日本バレーボール大学男女選手権大会

                              全国ママさんバレーボール大会

                              ツアー・オブ・ジャパン

                              全日本学生柔道体重別選手権大会

                              全国レディーステニス大会

                              朝日杯フューチュリティステークス

                              セントライト記念

                              朝日新聞社杯競輪祭

                              名人戦 (将棋)

                                順位戦

                                朝日杯将棋オープン戦

                                名人戦 (囲碁)

                                朝日アマチュア囲碁名人戦

                                全日本学生囲碁十傑戦

                                横浜トリエンナーレ

                                全日本吹奏楽コンクール

                                全日本合唱コンクール

                                全日本アンサンブルコンテスト

                                全日本マーチングコンテスト

                                全日本おかあさんコーラス大会

                                全日本小学校バンドフェスティバル

                                朝日新聞の記事

                                天声人語

                                素粒子

                                朝日新聞グローブ(日曜版)

                                三谷幸喜のありふれた生活

                                Be(土・日曜版)

                                Asahi+C(名古屋本社版)

                                朝日新聞に連載された漫画

                                サザエさん

                                フジ三太郎

                                ペエスケ

                                ののちゃん

                                地球防衛家のヒトビト

                                朝日新聞の歴史

                                大阪朝日新聞

                                東京朝日新聞

                                野球害毒論

                                白虹事件

                                本庄事件

                                伊藤律事件

                                村山事件

                                朝霞自衛官殺害事件

                                赤報隊事件

                                珊瑚事件

                                新党日本事件

                                アサヒる問題

                                2ちゃんねる書込事件

                                橋下徹問題

                                慰安婦報道問題

                                吉田調書

                                朝日新聞社の人物

                                村山龍平

                                村山長挙

                                村山美知子

                                上野理一

                                上野精一

                                上野淳一

                                上野尚一

                                西村天囚

                                池辺三山

                                鳥居素川

                                夏目漱石

                                石川啄木

                                二葉亭四迷

                                高原操

                                下村宏

                                緒方竹虎

                                石井光次郎

                                美土路昌一

                                笠信太郎

                                佐々弘雄

                                尾崎秀実

                                田中慎次郎

                                野村秀雄

                                長谷部忠

                                信夫韓一郎

                                永井大三

                                広岡知男

                                渡辺誠毅

                                三浦甲子二

                                白石凡

                                森恭三

                                秦正流

                                一柳東一郎

                                中江利忠

                                松下宗之

                                箱島信一

                                秋山耿太郎

                                木村伊量

                                渡辺雅隆

                                横田武夫

                                中川英造

                                田代喜久雄

                                桑田弘一郎

                                伊藤邦男

                                広瀬道貞

                                君和田正夫

                                船橋洋一

                                若宮啓文

                                荒垣秀雄

                                入江徳郎

                                深代惇郎

                                本多勝一

                                筑紫哲也

                                むのたけじ

                                小西作太郎

                                オールニッポン・ニュースネットワーク(ANN)

                                朝日新聞ニュース

                                朝日新聞信用組合

                                朝日新聞文化財団

                                全日本合唱連盟

                                全日本吹奏楽連盟

                                こどもの国

                                アスパラクラブ

                                コトバンク

                                withnews

                                ベルマーク運動

                                朝日文字

                                新s

                                東映

                                ※基幹局のみ記載

                                FAST

                                ISNI

                                VIAF

                                WorldCat

                                ノルウェー

                                スペイン

                                フランス

                                BnF data

                                ドイツ

                                イタリア

                                イスラエル

                                アメリカ

                                ラトビア

                                日本

                                チェコ

                                オーストラリア

                                韓国

                                クロアチア

                                オランダ

                                ポーランド

                                CiNii Books

                                CiNii Research

                                MusicBrainz

                                ドイッチェ・ビオグラフィー

                                Trove(オーストラリア)

                                  1

                                  IdRef

                                  石川啄木

                                  19世紀の歌人

                                  20世紀の歌人

                                  19世紀日本の詩人

                                  20世紀日本の詩人

                                  日本の文芸評論家

                                  日本の日記作家

                                  日本の新聞編集者

                                  校正

                                  岩手県出身の人物

                                  日本の初等教育の教員

                                  明治時代の朝日新聞社の人物

                                  北海道新聞社の人物

                                  日本の男性ジャーナリスト

                                  結核で死亡した日本の人物

                                  20世紀に結核で死亡した人物

                                  1886年生

                                  1912年没

                                  出典のページ番号が要望されている記事

                                  外部リンクがリンク切れになっている記事/2022年2月

                                  単一の出典

                                  FAST識別子が指定されている記事

                                  ISNI識別子が指定されている記事

                                  VIAF識別子が指定されている記事

                                  WorldCat Entities識別子が指定されている記事

                                  BIBSYS識別子が指定されている記事

                                  BNE識別子が指定されている記事

                                  BNF識別子が指定されている記事

                                  BNFdata識別子が指定されている記事

                                  GND識別子が指定されている記事

                                  ICCU識別子が指定されている記事

                                  J9U識別子が指定されている記事

                                  LCCN識別子が指定されている記事

                                  LNB識別子が指定されている記事

                                  NDL識別子が指定されている記事

                                  NKC識別子が指定されている記事

                                  NLA識別子が指定されている記事

                                  NLK識別子が指定されている記事

                                  NSK識別子が指定されている記事

                                  NTA識別子が指定されている記事

                                  PLWABN識別子が指定されている記事

                                  CINII識別子が指定されている記事

                                  CRID識別子が指定されている記事

                                  MusicBrainz識別子が指定されている記事

                                  DTBIO識別子が指定されている記事

                                  Trove識別子が指定されている記事

                                  SUDOC識別子が指定されている記事

2024/09/26 01:55更新

ishikawa takuboku


石川啄木と同じ誕生日2月20日生まれ、同じ岩手出身の人

松阪 晶子(まつざか しょうこ)
1972年2月20日生まれの有名人 岩手出身

松阪 晶子(まつざか しょうこ、本名:松坂康子(まつざか やすこ)、1972年2月20日 - )は、日本のシンガーソングライター。 岩手県盛岡市出身。血液型O型。父は民謡の先生、母は民謡の踊り手。3…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


石川啄木と近い名前の人

石川 豊_(俳優)(いしかわ ゆたか)
1957年12月24日生まれの有名人 東京出身

12月24日生まれwiki情報なし(2024/09/26 23:56時点)

石川 直樹_(写真家)(いしかわ なおき)
1977年6月30日生まれの有名人 東京出身

石川 直樹(いしかわ なおき、1977年6月30日 - )は、日本の写真家。東京都渋谷区出身。祖父は芥川賞作家の石川淳。 渋谷区初台で生まれ育つ。幼稚園から高校までの14年間を暁星学園で過ごす。中学…

石川 直樹_(サッカー選手)(いしかわ なおき)
1985年9月13日生まれの有名人 千葉出身

石川 直樹(いしかわ なおき、1985年9月13日 - )は、千葉県柏市出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF(センターバック・左ウイングバック)。 ジュニアユース時代から柏レイソルの下部組織で…

石川 賢_(漫画家)(いしかわ けん)
1948年6月28日生まれの有名人 栃木出身

石川 賢(いしかわ けん、KEN ISHIKAWA、本名:石川賢一、1948年6月28日 - 2006年11月15日)は、日本の漫画家。栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)出身。血液型はAB型。 代…

石川 賢_(1960年生の投手)(いしかわ まさる)
1960年5月21日生まれの有名人 山梨出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 石川 賢(いしかわ まさる、1960年5月21日 - )は、山梨県東山梨郡牧丘町(現:山梨市)出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時…

石川 賢_(1981年生の投手)(いしかわ さとる)
1981年6月1日生まれの有名人 北海道出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 石川 賢(いしかわ さとる、1981年6月1日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。 函館市立金堀小学校(現在は廃校…

石川 直宏(いしかわ なおひろ)
1981年5月12日生まれの有名人 神奈川出身

石川 直宏(いしかわ なおひろ、1981年5月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ、オフェンシブハーフ)、フォワード(ウイ…

石川 康仁(いしかわ やすひと)
1978年12月23日生まれの有名人 出身

石川 康仁(いしかわ やすひと、1978年12月23日 - 2019年8月24日 )は、日本のフリーアナウンサー、司会者、プライダルプロデューサー、SPレコードコレクター、NPO法人「名曲慰問団」理事…

石川 洋(いしかわ ひろし)
1959年7月24日生まれの有名人 神奈川出身

石川 洋(いしかわ ひろし、1959年7月24日 - 2013年1月6日)は、NHKの元チーフアナウンサー。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立新城高等学校、明治大学を卒業。 1983年(昭和58年)…

石川 香織(いしかわ かおり)
1984年5月10日生まれの有名人 鳥取出身

石川 香織(いしかわ かおり、1984年5月10日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。立憲民主党所属の衆議院議員(2期)。第48回衆議院議員総選挙に出馬して初当選した。元衆議院議員の石川知裕は配…

石川 正史(いしかわ まさし)
1976年7月15日生まれの有名人 大分出身

石川 正史(いしかわ まさし、1976年7月15日 - )は日本の政治家、Youtuber、会社役員。大分県津久見市長(1期)。元大分放送 (OBS) のアナウンサー、ディレクター。 大分県大分市出…

石川 みなみ(いしかわ みなみ)
1996年8月4日生まれの有名人 広島出身

石川 みなみ(いしかわ みなみ、1996年8月4日 - )は、日本テレビのアナウンサー。夫は元日本テレビアナウンサーの佐藤義朗。 広島県広島市出身。 広島県立広島皆実高等学校卒業。一浪して早稲田大…

石川 恋(いしかわ れん)
1993年7月18日生まれの有名人 栃木出身

石川 恋(いしかわ れん、1993年(平成5年)7月18日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、グラビアモデル、タレント。 栃木県栃木市出身。國學院大學栃木高等学校中高一貫コース、武蔵野大学グ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
石川啄木
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

D☆DATE フェアリーズ X21 FLAME A.B.C-Z まなみのりさ HEADS BABYMETAL カスタマイZ 猿岩石 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「石川啄木」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました