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西村徳文の情報 (にしむらのりふみ)
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【5月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

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西村 徳文さんについて調べます

■名前・氏名
西村 徳文
(にしむら のりふみ)
■職業
野球選手
■西村徳文の誕生日・生年月日
1960年1月9日 (年齢64歳)
子年(ねずみ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
宮崎出身

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高畠導宏: 右打者だった西村徳文にはスイッチヒッターへの転向を勧め、1年目の秋季キャンプから2ヶ月あまり、川崎球場そばにあったビジネスホテルのシングルルームに泊まり込み、朝・昼・晩つきっきりで指導。


濱将乃介: 福井ではゼネラルマネージャーの西村徳文の指導で、従来以上に走塁に取り組み、開幕8試合で6盗塁を記録している。


堀幸一: 7月5日に2年ぶりに三塁でスタメン出場するが、これはヘッドコーチの西村徳文がボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際、正三塁手・今江敏晃の愛称である「ゴリ」と「堀」を聞き間違えたことによるミスだった。


糸井嘉男: その背景には、その年に就任したヘッドコーチの西村徳文と打撃コーチの高橋慶彦から「もっと走れる」と言われ上限を定めずに走るようになった影響がある。


阿波野秀幸: 初奪三振:同上、1回表に西村徳文から


今江敏晃: 2009年7月5日西村徳文一軍ヘッド兼外野守備走塁コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際に、本来三塁で先発出場する予定だった今江の愛称である「ゴリ」と「堀」を聞き間違えてしまい、堀幸一が2年ぶりにスタメン三塁で出場する珍事があった。


島田誠: しかし、盗塁数に関しては十分タイトルを狙える数をこなしていたが同時期に福本、大石大二郎、西村徳文などのハイレベルな他チームのライバルの高い壁に阻まれ、最多盗塁のタイトル獲得はならず、日本ハムの盗塁タイトルは前身の球団を含めても1946年創設から2013年の陽岱鋼が獲得するまで現れなかった(日本人選手では翌年の2014年に西川遥輝が獲得)。


岡部明一: しかし打率は低迷し、翌年から西村徳文が外野手に回ったこともあって出場機会が減少。


古川慎一: しかしその後も打撃成績が伸び悩み、西村徳文の外野コンバート、平井光親の台頭もあり出番が減る。


薮田安彦: 更に11月13日東京ドームでのSKワイバーンズとの日韓クラブチャンピオンシップでは西村徳文新監督に2番手で起用されホールド記録し勝利に貢献。


金田正一: 4年連続盗塁王の西村徳文が首位打者を獲得し、長年エースとして活躍した村田が引退。


西村凌: シーズン終了後の秋季キャンプでは、打力を生かすべく、一軍ヘッドコーチから一軍監督へ昇格した西村徳文の提案で三塁の守備練習に参加した。


山本一義: 敗因は何と言っても村田を欠き、チーム防御率は12球団最下位の5.12と投壊の投手陣、12勝と奮闘した深沢恵雄も防御率4.53、打率.332をマークして3年連続首位打者の落合の活躍が唯一の明るい話題で、球団史上初の年間最下位となり解任されたが、シーズン後半は、高沢秀昭やスイッチヒッターに転向させた西村徳文ら、若手を我慢して起用して育てた。


藪恵壹: ブルペンでの投球で最速146km/hを記録したことから、テストに立ち会った一軍監督の西村徳文は獲得に前向きな姿勢を示していた。


中嶋聡: 2020年、二軍監督を務めていたが、一軍監督の西村徳文が8月20日の対西武戦(京セラドーム大阪)終了後に辞任したことを受けて、翌21日から一軍監督代行に就任。


平井光親: シーズン128試合目は、スタメンから外れるも、1回裏に先頭の西村徳文が塁に出ると平井は代打で登場して送りバントを決め、事実上首位打者を確定させた。


森田芳彦: 串間市立福島中学校への進学を機に校内の軟式野球部へ入ると、1年時の1974年に、小学校時代からの2年先輩である西村徳文主将の下で正二塁手として県大会優勝を果たしている。


濱将乃介: これは守れるレパートリーを増やしたいという考えによるものだったが、福井ネクサスエレファンツのゼネラルマネージャーである西村徳文は濱の強肩に惚れ込み、シーズン途中から外野に戻っている。


有藤通世: キャンプで相部屋になった西村徳文は、有藤が毎日その日学んだこと感じたことをノートに書いているのを見てプロ意識の高さに感銘を受けたという。


福良淳一: 2016年は同じ国鉄職員だったが故に現役時代から親交のあった同郷の西村徳文をヘッドコーチとして招聘、成績は4年ぶりの最下位に終わった。


宜保翔: この判定に対して、オリックス監督の西村徳文は、栗山と同様にリクエストを要求。


杉本裕太郎: しかし8月21日の朝、二軍本拠地の舞洲の浴場で8月20日をもって監督を退任することになった西村徳文の代わりに同日から監督代行を務めることになった前二軍監督の中嶋聡から「一緒に行くぞ」と伝えられ、一軍に昇格。


小林慶祐: 2019年は、一軍のヘッドコーチから昇格した西村徳文新監督の下で、一軍公式戦20試合に登板。


徳武定祐: ロッテでは国鉄時代の同僚金田正一監督に招かれ、新人時代の落合博満、スイッチヒッターに転向する西村徳文などを二軍で指導し、得津高宏にはバットを構えた時にバットが落ちてしまいそうなほど浅い握りを教えた。


角中勝也: 首位打者の座から陥落した中島は10月6日の対ロッテ戦で先発出場するも、監督の西村徳文はこの試合で角中を欠場させ、先発投手の藤岡貴裕に中島を敬遠するよう指示した。


潮崎哲也: 1年目のロッテ戦で西村徳文に内角球を投じて険悪な雰囲気になるも後続を抑えて、ベンチに帰る際におどけながらロッテ側に帽子を取る仕草をしたところマイク・ディアズが怒って走り寄る。


竹原直隆: 2010年に同じ右打ちの外野手の荻野貴司や清田育宏の加入や、新監督の西村徳文が前任のバレンタインと反対にスタメンを固定する方針を取ったことなどで出番が減少。


田中久寿男: 引退後は西鉄→太平洋で一軍コーチ(1970年 - 1971年)→二軍コーチ(1972年 - 1973年)→一軍打撃コーチ(1974年)→スカウト(1975年)、ロッテで二軍コーチ(1976年)→スカウト(1977年 - 1994年)→チーフスカウト(1995年 - 2000年)を歴任し、ロッテ時代は西村徳文、前田幸長、大塚明、サブローの獲得に貢献。


漆原大晟: ウエスタン・リーグでは6試合の先発で防御率2.12を記録し、西村徳文一軍監督の辞任に伴って二軍監督であった中嶋聡が8月21日から一軍監督代行へ就任したことを背景に、8月23日に一軍初昇格。


丸山一仁: プロ1年目の1983年から一軍出場を果たすが、西村徳文が二塁手に定着すると一・二軍の往復が中心になる。


西村徳文

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西村 徳文(にしむら のりふみ)さんの誕生日は1960年1月9日です。宮崎出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。卒業、結婚、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。西村徳文の現在の年齢は64歳のようです。

西村 徳文(にしむら のりふみ、1960年1月9日 - )は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)・監督・コーチ、野球解説者・評論家。吉本興業所属。

千葉ロッテマリーンズとオリックス・バファローズの両球団で監督とコーチを務めた。現役時代のニックネームは「走る将軍」。

幼少期の西村は、地元・串間の方言で「おちゃかろ」と言われるほどのイタズラ好きな子供だったという。串間市立有明小学校には野球部が存在しなかったため、兄とキャッチボールで遊び、串間市立福島中学校に進学してから本格的に野球を始めている。中学まではそれほど俊足ではなかったが、走り幅跳びでは裸足で6m以上跳んだ。

中学生から野球の練習に励み、1974年には主将を務めて、当時宮崎県中学校体育連盟主催の県大会の会場となる完成直後の宮崎市営球場のこけら落としの試合に逆転勝利したのを皮切りに5勝してこの大会で優勝している。宮崎県立福島高等学校進学後は1年生からベンチ入りし、走力などを高く評価されていた。しかし、厳しい練習やオートバイへの憧れから1年生の秋には一時退部もしている。一番打者、二塁手として活躍し、2年生時の1976年には、春季九州大会県予選決勝に進むが都城高に惜敗。しかし同年夏の甲子園県予選は決勝で日南高に完封勝利、第58回全国高等学校野球選手権大会にチーム初出場を決める。大会では2回戦(初戦)で高田商に乱打戦の末に敗退、西村も無安打に終わる。翌1977年夏は準々決勝で都城商に逆転負け、甲子園には届かなかった。

高校卒業後も西村は安定した就職先として日本国有鉄道鹿児島鉄道管理局(現・JR九州鹿児島支社)に入社し、鹿児島鉄道管理局野球部で野球を続けた。西村も業務と野球の両立に悩んでいたが、入社3年目の1980年にスカウトが視察に来るとプロ入りを目指す。1981年のドラフト会議において、ロッテオリオンズ・ヤクルトスワローズ・南海ホークスからそれぞれ5位指名を受け、ロッテオリオンズへ入団した(串間市出身のプロ野球選手は水谷実雄に続き2人目)。

1982年は9月に代走で初出場し、その秋に監督の山本一義・内野守備走塁コーチの飯塚佳寛から、俊足をさらに生かすためにスイッチヒッターへの転向を勧められる。秋季キャンプから川崎球場近くにあるホテルに、打撃兼外野守備コーチの高畠康真と泊まり込んで猛練習に取り組んだ。

1983年には左打席でプロ初安打、5月には初スタメン。シーズン後半には井上洋一に代わり二塁手として定着。

1984年には初めて規定打席(13位、打率.285)に到達する。

1985年には打率.311で9位となり、初タイトルのベストナインとゴールデングラブ賞(二塁手)を獲得、オフに結婚した。社会人時代の盗塁は数試合に1回程度だったが、1986年から1989年まで4年連続で盗塁王を獲得した。

1987年5月4日の対南海ホークス戦で右手人差指を骨折し、三塁手も経験した。

1989年は選手会長に就任し、主将制度が無かった当時のロッテでチームのまとめ役となった。また、監督の有藤道世の勧めで振り切る打撃を心がけるようになったという。しかし3月11日のオープン戦(対中日ドラゴンズ戦)で右手有鈎骨を骨折し、4月18日に除去手術を受けたために開幕から32試合を欠場した。5月27日の対西武ライオンズ戦で復帰したが、この間に水上善雄・上川誠二・森田芳彦が好調だったため、中堅手にコンバートされ、以後外野手が多くなるが盗塁王になり、打率も3割近くの成績を残した。

1990年3月21日のオープン戦で右太腿の肉離れ、5月17日には左足首の捻挫などの負傷で盗塁数が減ったが、打率.338でパ・リーグ史上初となる両打ち打者での首位打者となる。中堅手としてベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得し、パ・リーグで内野・外野の両方でゴールデングラブ賞を初めて獲得した選手となる。また、2022年終了時点で内外野両方でゴールデングラブ賞(旧・ダイヤモンドグラブ賞)を受賞した選手は西村以外だと、高田繁と稲葉篤紀の2名のみであるが、いずれも外野手から内野手にコンバートされての受賞であり、内野手から外野手へコンバートされての受賞は西村のみである。

1992年4月9日に西村の所有する千葉マリンスタジアムのシーズンシートを千葉市に寄付し、福祉施設の子供が招待されるようになった。

1995年5月9日の対日本ハムファイターズ戦を風疹で欠場し、西村の代わりに起用された諸積兼司が4安打を打ったことを契機に諸積の出番が増えた。

1996年には諸積が中堅手のレギュラーとなる。

1997年は選手登録されていたものの、シーズンを通じて二軍で若手の指導にあたり、同年で現役引退を表明。10月12日のシーズン最終戦が西村の引退試合となり、外野席にはファンが作成した「ダイヤモンドのスピードランナー 疾風のように行け、走れ西村、16年間ありがとう!」という横断幕が掲げられた。

1998年は一軍内野守備走塁コーチを務めた。

1999年は一軍外野守備走塁コーチに転任し、その後は二軍外野守備走塁コーチなどを務めた。

2004年にボビー・バレンタインが監督に就任すると一軍ヘッド兼外野守備走塁コーチに配置転換された。選手とのパイプ役として信頼され、バレンタインがシーズン後に帰国した際は監督代行を務めた。

また西村は人望に優れて選手の信頼も厚く、2009年10月8日にはバレンタイン後任として2010年より監督に就任することが発表された。背番号はコーチ時代と同じ78となり、年俸5,000万円(推定)で2年契約を結んでいる

2010年は監督就任一年目としてチームスローガンに「和」を掲げた。順位予想でロッテが最下位とみなす声が多い中で開幕戦こそ落としたものの、同開幕カードから4カード連続で勝ち越すなど、開幕から1か月を経過しないうちに貯金を10に乗せる。後半戦に入ると選手の疲労や離脱などで7連敗を喫し、8月4日には審判への抗議で自身初の退場処分も受けた。しかし、主力選手と個人面談を行なった翌日から3連勝し、結果的にこの一日が節目となってシーズン最終戦に勝利して3位を確保し、3年ぶりのクライマックスシリーズ出場を決めた。

迎えたクライマックスシリーズでは第1ステージ(対埼玉西武ライオンズ戦)、第2ステージ(対福岡ソフトバンクホークス戦)ともに全試合が相手主催試合ながら勝ち抜き、日本プロ野球史上初となる、レギュラーシーズン3位から日本シリーズ出場権を勝ち取った。同年の日本シリーズ(対中日戦)も4勝2敗1分でロッテを5年ぶり4度目の日本一に導いた。ちなみに監督就任1年目の日本一達成は史上9人目、ロッテでは湯浅禎夫(毎日オリオンズ)以来60年ぶりの快挙となった。傑出した選手が少なく故障者も多い中でチームを束ね、史上初めてレギュラーシーズン3位から日本一を達成した業績が評価され、11月15日に正力松太郎賞を、25日には新設された串間市民栄誉賞を受賞した。12月7日、野球殿堂入り候補者名簿・プレーヤー部門に掲載された。

2011年は優勝したソフトバンクに33.5ゲーム差、5位東北楽天ゴールデンイーグルスに10ゲーム差をつけられて13年ぶりの最下位に終わった。

2012年は開幕4連勝し、その後も6月には貯金を最大15として首位を独走したが、7月以降は徐々に成績を落とし、9月には9連敗で最大で借金5にまで落ち込んだ。2年連続最下位こそは免れたが前年に続きBクラスの5位に終わり、責任を取る形でシーズン終了を以って退任した。これにより、選手時代から31年間在籍し続けたチームを退団した。

ロッテ監督在任時は勝利すると現役時代の応援歌に合わせてファンが外野席で「西村ダンス」を行なっていた(1小節ごとに4種類のポーズを決めるもの)。QVCマリンフィールドではユーロビート調の伴奏が流されていた。監督就任時の2010年の開幕以降は新しく歌詞が付いた。原曲はジョニー・ティロットソンの「Poetry In Motion」である。ちなみに同じ原曲の応援歌はハンファ・イーグルスの白承龍、KTウィズの金東明にも使われていた。

2013年よりサンケイスポーツ野球評論家、FOX SPORTS ジャパンBASEBALL CENTER・BS12 プロ野球中継(いずれも球団制作の試合)の解説を務め、2014年よりよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属となった。また同年はJ SPORTSのMLB中継解説を務めた。

2015年10月15日に現役時代から親交がある、同郷の福良淳一が監督を務めるオリックス・バファローズの一軍ヘッドコーチに就任することが発表された。

2016年は4年ぶりの最下位に沈み、2017年、2018年も2年連続4位に終わり、10月5日に福良の退任と、翌シーズンより西村が監督に就任することが球団より発表された。

2019年は3年ぶりの最下位に終わった。2020年も続投したが前年に続き最下位に低迷し、8月20日の西武戦で同年4度目の4連敗で16勝33敗4分けとなり、試合終了後に監督を辞任。球団から辞任を要請されて承諾したものであり、「事実上の解任」と報じられている。二軍監督だった中嶋聡が監督代行を務め、おもに一軍と二軍のコーチ陣を入れ替える大きな配置転換が行われた。

2021年からはBS12・日テレNEWS24・J SPORTSの野球解説者に復帰する。

2021年10月26日、来年から発足する日本海オセアンリーグの福井ネクサスエレファンツ(従来の福井ワイルドラプターズに代わる新球団)で、会長兼ゼネラルマネージャーに就任することが発表された。現場指導者ではないが、背番号「78」が与えられている。6月26日の富山GRNサンダーバーズ戦では1試合限定の監督代行を務めた(試合は敗戦)。コーチ契約ではないものの、同年新入団の濱将乃介には盗塁技術指導などを熱心に行い、濱を同リーグ初のドラフト支配下指名選手にまで育て上げた。

福井球団が2022年限りで活動を休止した後、2023年1月25日に、ベイサイドリーグ(日本海オセアンリーグが改組改称)のGMに就任することが発表された。同リーグは同年シーズン終了後に事実上運営停止状態に陥り、同リーグの運営を譲渡された株式会社PSUは自社のウェブサイト上で、西村が同リーグの顧問であることを掲載しているが、2024年2月には学生野球資格を回復している(独立リーグを含むプロ野球関係者は同資格を回復できない)。

選手としての特徴

プロ入り後のスイッチヒッター転向時には、朝起きると指が痛くて開かないほどの素振りや打撃練習を重ねて左打ちを習得した。利き腕である右の方が腕力が強いため、左打ちで下からバットが出てフライが出やすく、これを防ぐために右手と左手を約2cm離してバットを押し出すなどの工夫を重ねている。こうした努力もあって、左打席に入ることで内野安打を増やし、プロで通用する打撃を確立した。

なお右と左では好不調に差があり、どちらも好調を維持したのは1985年と1990年の2年ぐらいだったという。また、毎年のキャンプ入り直後は左打ちが上手く行えず、両打ちを維持するためには人一倍の練習が要求された。

初球はストライクでも必ず見逃していたという。

4年連続の盗塁王や通算363盗塁を記録するなど、特に盗塁に関してプロ野球史上有数の記録を残した。西村が盗塁で最重要視したのはスタートで、平行にした右足を少し後に下げてつま先をやや開いた状態から、低重心で左足を右足に交錯させて一気にトップスピードに上げていた。この際に交錯が大きすぎるとバランスが崩れ、小さすぎると加速が不十分だったという。

技術に関しては球団から渡されたビデオテープを基に独学し、盗塁王を獲得してからは盗塁の判断を基本的に任されていた。投手の牽制球や捕手の配球についても研究し、リードを広げて変化球の時に盗塁することを目指した。なお、スタートを失敗した際でも帰塁できるようになったことで、盗塁数が大きく増加している。スパイクシューズについては1988年頃まで「こだわりがない」とコメントしていたが、チーム契約と異なる用具メーカーの製品を使用して、1986年から改良を重ねてきた。1989年からは当時の平均(260g)よりもかなり軽い200gのものを使用し、刃は16mmのものに加えて、軟らかいグラウンド用に19mmの長い刃も用意していた。

人物

焼酎を好み、ロッテ監督在任時はQVCマリンフィールドの監督室にはブランド焼酎のボトルが数多く並んでいたという(地元の宮崎県は焼酎の名産地である)。

愛称である「走る将軍」は、水戸黄門で水戸光圀を演じていた俳優の西村晃と同姓だったことに由来する。

お笑いコンビ・とんねるずの木梨憲武に似ていることや自身の名前(徳文)と相まって、流行していた『仮面ノリダー』という愛称がついていた。また、お笑いコンビのモンスターエンジンの西森洋一にも似ており、西村がロッテの監督時代に日本一を果たした時期には、当時西森が出演していた番組「ピカルの定理」内にて「和の力 ニシムラ監督」というコントが放送されたことがある。

2024/05/26 17:25更新

nishimura norifumi


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