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五所平之助の情報 (ごしょへいのすけ)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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五所 平之助さんについて調べます

■名前・氏名
五所 平之助
(読み:ごしょ へいのすけ)
■職業
映画監督
■五所平之助の誕生日・生年月日
1902年1月24日
寅年(とら年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

五所平之助と同じ1902年生まれの有名人・芸能人

五所平之助と同じ1月24日生まれの有名人・芸能人

五所平之助と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


五所平之助と関係のある人

佐分利信: 松竹入りの労をとったのは藤本真澄で、彼が五所平之助らによる新人養成グループのメンバーだったことから佐分利を五所に紹介し、五所は若手スターのいなかった松竹蒲田に入れ、若手二枚目として売り出すことになった。


野村芳亭: 野村の弟子には五所平之助、重宗務らがいる。


川崎弘子: 同年大磯の坂田山心中事件を扱った五所平之助監督の『天国に結ぶ恋』の主役を演じて大ヒットし、さらに同年五所監督の『不如帰』では林長二郎と共演。


筑波雪子: 銀座の柳 監督五所平之助、原作西條八十、主演田中絹代、竹内良一 ※サウンド版


水上瀧太郎: 『大阪の宿』友善堂 1926 のち岩波文庫、新潮文庫、角川文庫、講談社文芸文庫 - 1954年映画化(監督五所平之助


三輪彰: 1953年(昭和28年)3月5日に公開された内山義重の「エイトプロ」製作の五所平之助監督の『煙突の見える場所』ではチーフ助監督を務めている。


田中絹代: 弔辞は日本監督協会理事長の五所平之助のほか高峰三枝子が行った。


菅井一郎: 五所平之助監督『面影』の老博士役、小津安二郎監督『麦秋』の老父役など、四十代そこそこという年齢のわりに枯れた芸風を見せており、名脇役として名だたる監督から起用された。


桑野みゆき: 愛情の系譜(1961年・五所平之助監督)


高峰秀子: 木下惠介、成瀬巳喜男監督作品に常連出演したほか、小津安二郎、豊田四郎、稲垣浩、五所平之助など日本映画界を彩る巨匠監督の名作に数多く出演した。


高尾光子: 『娘』 : 監督・脚本五所平之助、主演八雲恵美子・水島亮太郎


高尾光子: 『神への道』 : 監督五所平之助、原作・脚本水島あやめ - 主演


高峰秀子: たちまち重宝がられた秀子は、五所平之助監督の『大東京の一角』、島津保次郎監督の『愛よ人類と共にあれ』、小津安二郎監督の『東京の合唱』などに出演し人気子役となる。


柳さく子: この間重宗作品以外では、野村芳亭監督の大作『白虎隊』、清水宏監督の現代劇『幼なじみ』、五所平之助監督の『夜ひらく』などに出演している。


村田実: この時期の錦輝館には中学の先輩である帰山教正、島津保次郎、五所平之助も足繁く通っている。


乙羽信子: 愛情の系譜(1961年、五所平之助監督)


及川道子: この間、1930年1月には早くも準幹部となり、同年8月の五所平之助監督『女よ!君の名を汚す勿れ』では、母親の不倫を知って自殺する娘を熱演し注目を集めた。


水島あやめ: 『いとしの我子』(1926年)原作担当 監督:五所平之助


田中絹代: 1927年(昭和2年)、五所平之助監督の『恥しい夢』で芸者役で主演するとこれが出世作となり、同年7月に17歳で準幹部に昇格。


及川道子: 『女よ!君の名を汚す勿れ』 : 監督五所平之助、サイレント映画、1930年8月15日公開


重宗和伸: 1923年(大正12年)、創立3周年を迎えた松竹キネマ蒲田撮影所に入社、同撮影所長の野村芳亭に師事、同年9月1日の関東大震災後、蒲田の機能を松竹下加茂撮影所へ移したころに入社した五所平之助が、重宗の下の助監督についた。


筑波雪子: 男ごゝろ 監督五所平之助、主演島田嘉七、岡田宗太郎


佐野周二: 1953年にはフリーとなり、五所平之助の『大阪の宿』や成瀬巳喜男の『驟雨』などに出演し、演技派俳優として確固たる地位を確立する。


高尾光子: 『新お初地蔵』 : 監督・原作野村芳亭、脚本五所平之助、主演藤田房子・堀川浪之助


楠田浩之: 『朧夜の女』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、1936年 - 撮影補


設楽幸嗣: 『黄色いからす』 : 監督五所平之助、製作歌舞伎座、配給松竹、1957年2月27日公開 - 息子清、現存(NFC所蔵)


乙羽信子: 猟銃(1961年、五所平之助監督)


楠田浩之: 『人生のお荷物』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、松竹蒲田撮影所、1935年 - 撮影助手


桑野通子: 伊豆の娘たち(監督:五所平之助、1945年)


新藤兼人: 雲がちぎれる時(1961年7月9日公開、五所平之助監督、松竹)


五所平之助の情報まとめ

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五所 平之助(ごしょ へいのすけ)さんの誕生日は1902年1月24日です。東京出身の映画監督のようです。

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俳人として、エピソードなどについてまとめました。映画、卒業、退社に関する情報もありますね。亡くなられているようです。

五所平之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日または2月1日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。

東京市神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、「豊前屋」という大店の乾物問屋を営む父・平助の妾腹の子として生まれる。生みの母は新富町で芸者をしていた。5歳の時に長男が亡くなり、母のもとを離れて後継ぎにされた。1916年に慶應義塾商工学校に入学する。学生時代には俳句に没頭していた。

1921年、歩兵第1連隊に志願入隊し、見習士官で予備となる。1923年、慶應義塾商工学校卒業後、城戸四郎との出会いがきっかけで、父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあって、松竹蒲田撮影所へ入社する。

島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。このころ、少尉として軍に再入隊するも予備役となる。松竹に戻ってからは引き続き、『彼女』『恥しい夢』『村の花嫁』など、小市民の生活をユーモアに描いた叙情性豊かな作品を次々と発表。こうした作風は、日本初のオールトーキー映画となった『マダムと女房』において頂点に達した。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出している。ほか川端康成の代表作の映画化第1作である『恋の花咲く 伊豆の踊子』や『人生のお荷物』などを発表。また、『村の花嫁』以降田中絹代をたびたび主演に起用しており、20本の監督作品で田中が主演している。

1936年に肺結核に侵されて数ヶ月間休養するが、『新道』で復帰。『木石』発表後、城戸四郎と揉めて松竹を退社。1942年に大映に移籍。同年に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットした。

1945年3月下旬、応召命令が下される。それまでも演習に何度か応召されていたが、赤紙が出たのはこれが初めてであった。歩兵第49連隊に向かうが、その翌日体格検査で病弱のため1年間延期とされ即日帰郷、そのまま終戦を迎えた。

戦後、再び松竹へ復帰するが『伊豆の娘たち』の1作限りで東宝に入社。恋愛ものの『今ひとたびの』などを発表するが、折から東宝争議が発生。五所は組合側につき、今井正、伊藤武郎、亀井文夫らと砧撮影所に立てこもった。 しかし、1950年(昭和25年)に連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの波が映画界にも及ぶと、五所も追放対象者としてリストアップされた。同年には争議も終結し、五所は東宝を去ることになった。

翌1951年、平尾郁次らとともに独立プロ・スタジオ8を結成し、新東宝と提携した。1953年、スタジオ8製作で椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表。ベルリン国際映画祭国際平和賞を受賞した。これを機に椎名とのコンビで日活で『愛と死の谷間』、新東宝で『鶏はふたたび鳴く』を撮っている。ほかにも『大阪の宿』や、大ヒットした『挽歌』などを発表。一貫して市井の人々を描き、庶民派監督として知られた。

1957年、歌舞伎座製作による『黄色いからす』がゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。1960年代はフレンドプロの製作による『恐山の女』や東芝日曜劇場で放送されている池内淳子主演の『女と味噌汁』シリーズを映画化した『女と味噌汁』などを発表した。

1964年からは1963年に逝去した小津安二郎に代って日本映画監督協会理事長を16年間にわたって務めた。

1968年には竹田人形座の協力によって作られた本格的な人形映画『明治はるあき』を監督している。この映画で使用された、五所をかたどった人形をはじめ、遺品の一部は東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈されている。

1966年、紫綬褒章を、1972年に勲四等旭日小綬章を受章。

1981年5月1日、死去。享年79。墓所は港区澄泉寺。松尾芭蕉の『奥の細道』の映画化が晩年の夢であったという。回想記に『わが青春』(永田書房)がある。

俳人として

俳人としても知られており、「春燈」同人として五所亭という俳号で活躍した。俳人協会の監事も務め、句集に『わが旅路』『生きる 五所平之助百句集』(各永田書房)がある。

大正8年に作句をはじめ、慶應義塾商工学校在学中の大正10年には三田俳句会で原月舟、原石鼎の知遇を得て前田普羅主宰『加比丹』の同人となった。大正12年以降作句を中断するが、昭和9年にいとう句会が発足するとこれに依り、久保田万太郎の指導を受けながら作句に励んだ。代表句に「生きることは一筋がよし寒椿」「目覚むれば夜まだありぬ螢籠」など。

エピソード

助監督時代にコマ鼠のようにまめに動きまわるため、「チョコ平」と渾名されていた。また1924年に新年のご挨拶回りに同行した際、当時のスター女優である東栄子の彼氏であった撮影技師の小田浜太郎から秘かに東の護衛を頼まれていたという。

1931年(昭和6年)4月、初の全編トーキー映画『マダムと女房』の製作を松竹蒲田撮影所で始めたが、テスト段階で撮影所内の雑多な騒音が入り込んでしまうことが判明。凝り性の五所は閉口してしまい、一ヶ月を費やして防音装置を施したスタジオに改装させた。

第二次世界大戦直後に東宝争議が起きていたとき、東宝に所属していた五所は松竹大船撮影所の撮影所長である月森仙之助に「東宝が今、ああいうことになっているから、何かあったら一本」と言っていたと大庭秀雄が語っている。

1977年に田中絹代が亡くなり、映画放送人葬が営まれた際には映画監督協会理事長として弔辞を読み上げている。

2024/06/07 19:09更新

gosyo heinosuke


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