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五所平之助の情報 (ごしょへいのすけ)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

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五所 平之助さんについて調べます

■名前・氏名
五所 平之助
(読み:ごしょ へいのすけ)
■職業
映画監督
■五所平之助の誕生日・生年月日
1902年1月24日 (年齢1981年没)
寅年(とら年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

五所平之助と同じ1902年生まれの有名人・芸能人

五所平之助と同じ1月24日生まれの有名人・芸能人

五所平之助と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


五所平之助と関係のある人

筑波雪子: 新女性鑑 監督五所平之助、原作菊池寛、主演龍田静枝、渡辺篤


成瀬巳喜男: しかし、なかなか監督には昇進出来ず、後から入社した小津安二郎や清水宏らが入社して3・4年で監督に昇進する中、成瀬もまだ五所平之助の下で指示を受けており、都合10年もの下積み時代を過ごした。


古川緑波: 1931年には俳優として五所平之助監督の『若き日の感激』や田中栄三監督の『浪子』などの映画に出演した。


高峰秀子: 木下惠介、成瀬巳喜男監督作品に常連出演したほか、小津安二郎、豊田四郎、稲垣浩、五所平之助など日本映画界を彩る巨匠監督の名作に数多く出演した。


田中絹代: 弔辞は日本監督協会理事長の五所平之助のほか高峰三枝子が行った。


川崎弘子: 同年大磯の坂田山心中事件を扱った五所平之助監督の『天国に結ぶ恋』の主役を演じて大ヒットし、さらに同年五所監督の『不如帰』では林長二郎と共演。


筑波雪子: 男ごゝろ 監督五所平之助、主演島田嘉七、岡田宗太郎


高峰秀子: たちまち重宝がられた秀子は、五所平之助監督の『大東京の一角』、島津保次郎監督の『愛よ人類と共にあれ』、小津安二郎監督の『東京の合唱』などに出演し人気子役となる。


小林十九二: 同年、五所平之助監督『当世玉手箱』で初主演。五所平之助監督には特に重用され、五所の『花嫁の寝言』『伊豆の踊子』『人生のお荷物』等に脇役出演した。


野田高梧: 島津保次郎・五所平之助監督などの作品で数々の名作を生み出したほか、小津安二郎監督とも処女作『懺悔の刃』(1925年)以来繋がりが深く、『その夜の妻』(1930年)、『足に触った幸運』(1930年)、『東京の合唱』(1931年)などの脚色を担当した。


重宗和伸: 1923年(大正12年)、創立3周年を迎えた松竹キネマ蒲田撮影所に入社、同撮影所長の野村芳亭に師事、同年9月1日の関東大震災後、蒲田の機能を松竹下加茂撮影所へ移したころに入社した五所平之助が、重宗の下の助監督についた。


新藤兼人: からたち日記(1959年4月14日公開、五所平之助監督、松竹)


高尾光子: 『娘』 : 監督・脚本五所平之助、主演八雲恵美子・水島亮太郎


及川道子: 『愛撫(ラムール)』 : 監督五所平之助、サイレント映画、1933年11月9日公開- 節子 ※現存(NFC所蔵 )


楠田浩之: 『人生のお荷物』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、松竹蒲田撮影所、1935年 - 撮影助手


小田基義: ^ 提唱者は他に、山本嘉次郎、衣笠貞之助、五所平之助、黒澤明、滝沢英輔、牛原虚彦、千葉泰樹、八住利雄、八木保太郎。


水島あやめ: 『母よ恋し』(1926年) 監督:五所平之助


川端康成: 1933年(昭和8年)2月に『伊豆の踊子』が初めて映画化された(監督・五所平之助)。


城戸四郎: 『マダムと女房』(1931年 五所平之助監督)


高尾光子: 『いとしの我子』 : 監督・脚本五所平之助、原作水島あやめ、主演春海清子


及川道子: この間、1930年1月には早くも準幹部となり、同年8月の五所平之助監督『女よ!君の名を汚す勿れ』では、母親の不倫を知って自殺する娘を熱演し注目を集めた。


設楽幸嗣: 『黄色いからす』 : 監督五所平之助、製作歌舞伎座、配給松竹、1957年2月27日公開 - 息子清、現存(NFC所蔵)


川本喜八郎: 1947年、『今ひとたびの』(五所平之助監督)、『戦争と平和』(山本薩夫・亀井文夫共同監督)『女優』(衣笠貞之助監督)に松山崇らをサポートする美術スタッフとして参加するが、まもなく、いわゆる東宝争議に巻き込まれる。


日守新一: また、五所平之助の日本初のトーキー映画『マダムと女房』にも出演している。


渋谷昶子: 独立プロ製作の劇映画スクリプターとして、五所平之助、山本薩夫、新藤兼人、今井正などの諸監督につきの薫陶を受ける。


菅井一郎: 五所平之助監督『面影』の老博士役、小津安二郎監督『麦秋』の老父役など、四十代そこそこという年齢のわりに枯れた芸風を見せており、名脇役として名だたる監督から起用された。


楠田浩之: 『朧夜の女』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、1936年 - 撮影補


大日方傳: 昭和8年(1933年)、松竹への移籍当初から『伊豆の踊子』(五所平之助監督)や『出来ごころ』(小津安二郎監督)などのサイレント映画で主演を務めるなど、同社の若手スターとしての地位を確立した。


乙羽信子: 猟銃(1961年、五所平之助監督)


乙羽信子: 大阪の宿(1954年新東宝、五所平之助監督)


五所平之助の情報まとめ

もしもしロボ

五所 平之助(ごしょ へいのすけ)さんの誕生日は1902年1月24日です。東京出身の映画監督のようです。

もしもしロボ

映画、卒業、退社、現在に関する情報もありますね。1981年に亡くなられているようです。

五所平之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日または2月1日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。

東京市神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、「豊前屋」という大店の乾物問屋を営む父・平助の妾腹の子として生まれる。生みの母は新富町で芸者をしていた。5歳の時に長男が亡くなり、母のもとを離れて後継ぎにされた。1916年に慶應義塾商工学校に入学する。学生時代には俳句に没頭していた。

1921年、歩兵第1連隊に志願入隊し、見習士官で予備となる。1923年、慶應義塾商工学校卒業後、城戸四郎との出会いがきっかけで、父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあって、松竹蒲田撮影所へ入社する。

島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。このころ、少尉として軍に再入隊するも予備役となる。松竹に戻ってからは引き続き、『彼女』『恥しい夢』『村の花嫁』など、小市民の生活をユーモアに描いた叙情性豊かな作品を次々と発表。こうした作風は、日本初のオールトーキー映画となった『マダムと女房』において頂点に達した。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出している。ほか川端康成の代表作の映画化第1作である『恋の花咲く 伊豆の踊子』や『人生のお荷物』などを発表。また、『村の花嫁』以降田中絹代をたびたび主演に起用しており、20本の監督作品で田中が主演している。

1936年に肺結核に侵されて数ヶ月間休養するが、『新道』で復帰。『木石』発表後、城戸四郎と揉めて松竹を退社。1942年に大映に移籍。同年に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットした。

1945年3月下旬、応召命令が下される。それまでも演習に何度か応召されていたが、赤紙が出たのはこれが初めてであった。歩兵第49連隊に向かうが、その翌日体格検査で病弱のため1年間延期とされ即日帰郷、そのまま終戦を迎えた。

戦後、再び松竹へ復帰するが『伊豆の娘たち』の1作限りで東宝に入社。恋愛ものの『今ひとたびの』などを発表するが、折から東宝争議が発生。五所は組合側につき、今井正、伊藤武郎、亀井文夫らと砧撮影所に立てこもった。 しかし、1950年(昭和25年)に連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの波が映画界にも及ぶと、五所も追放対象者としてリストアップされた。同年には争議も終結し、五所は東宝を去ることになった。

翌1951年、平尾郁次らとともに独立プロ・スタジオ8を結成し、新東宝と提携した。1953年、スタジオ8製作で椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表。ベルリン国際映画祭国際平和賞を受賞した。これを機に椎名とのコンビで日活で『愛と死の谷間』、新東宝で『鶏はふたたび鳴く』を撮っている。ほかにも『大阪の宿』や、大ヒットした『挽歌』などを発表。一貫して市井の人々を描き、庶民派監督として知られた。

1957年、歌舞伎座製作による『黄色いからす』がゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。1960年代はフレンドプロの製作による『恐山の女』や東芝日曜劇場で放送されている池内淳子主演の『女と味噌汁』シリーズを映画化した『女と味噌汁』などを発表した。

1964年からは1963年に逝去した小津安二郎に代って日本映画監督協会理事長を16年間にわたって務めた。

1968年には竹田人形座の協力によって作られた本格的な人形映画『明治はるあき』を監督している。この映画で使用された、五所をかたどった人形をはじめ、遺品の一部は東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈されている。

1966年、紫綬褒章を、1972年に勲四等旭日小綬章を受章。

1981年5月1日、死去。享年79。墓所は港区澄泉寺。松尾芭蕉の『奥の細道』の映画化が晩年の夢であったという。回想記に『わが青春』(永田書房)がある。

俳人としても知られており、「春燈」同人として五所亭という俳号で活躍した。俳人協会の監事も務め、句集に『わが旅路』『生きる 五所平之助百句集』(各永田書房)がある。

大正8年に作句をはじめ、慶應義塾商工学校在学中の大正10年には三田俳句会で原月舟、原石鼎の知遇を得て前田普羅主宰『加比丹』の同人となった。大正12年以降作句を中断するが、昭和9年にいとう句会が発足するとこれに依り、久保田万太郎の指導を受けながら作句に励んだ。代表句に「生きることは一筋がよし寒椿」「目覚むれば夜まだありぬ螢籠」など。

助監督時代にコマ鼠のようにまめに動きまわるため、「チョコ平」と渾名されていた。また1924年に新年のご挨拶回りに同行した際、当時のスター女優である東栄子の彼氏であった撮影技師の小田浜太郎から秘かに東の護衛を頼まれていたという。

1931年(昭和6年)4月、初の全編トーキー映画『マダムと女房』の製作を松竹蒲田撮影所で始めたが、テスト段階で撮影所内の雑多な騒音が入り込んでしまうことが判明。凝り性の五所は閉口してしまい、一ヶ月を費やして防音装置を施したスタジオに改装させた。

第二次世界大戦直後に東宝争議が起きていたとき、東宝に所属していた五所は松竹大船撮影所の撮影所長である月森仙之助に「東宝が今、ああいうことになっているから、何かあったら一本」と言っていたと大庭秀雄が語っている。

1977年に田中絹代が亡くなり、映画放送人葬が営まれた際には映画監督協会理事長として弔辞を読み上げている。

南島の春(1925年)

彼女(1926年)

寂しき乱暴者(1927年)

恥しい夢(1927年)

からくり娘(1927年)

村の花嫁(1928年)

新女性鑑(1929年)

親父とその子(1929年)

マダムと女房(1931年)

天国に結ぶ恋(1932年)

恋の花咲く 伊豆の踊子(1933年)

十九の春(1933年)

生きとし生けるもの(1934年)

人生のお荷物(1935年)

朧夜の女(1936年)

新道 前篇朱実の巻(1936年)

新道 後篇良太の巻(1936年)

木石(1940年)

新雪(1942年)

今ひとたびの(1947年)

わかれ雲(1951年)

朝の波紋(1952年)

煙突の見える場所(1953年)

大阪の宿(1954年)- 新東宝創立7周年記念作品、原作水上滝太郎、主演佐野周二

愛と死の谷間(1954年)

鶏はふたたび鳴く(1954年)

たけくらべ(1955年)

黄色いからす(1957年)

挽歌(1957年)

蟻の街のマリア(1958年)

わが愛(1960年)

白い牙(1960年)

猟銃(1961年)

愛情の系譜(1961年)

雲がちぎれる時(1961年)

恐山の女(1965年)

かあちゃんと11人の子ども(1966年)

宴(1967年)

女と味噌汁(1968年)

明治はるあき(1968年)

わが街三島ー1977年の証言(1977年)

^ 『五所平之助』 - コトバンク

^ 特定非営利活動法人グランドワーク三島 (2016年5月31日). “みしま歴史旅 その22:日本映画界の大御所”. グランドワーク三島 ボランタリーニュース: 3. 

^ ノーベル書房編集部編『陸軍郷土歩兵聯隊写真集 わが聯隊』 ノーベル書房、1979年。p80

^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、37頁。ISBN 9784309225043。 

^ 松竹初のトーキー「マダムと女房」『東京日日新聞』昭和6年5月11日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p27 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

^ 青鉛筆『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月1日朝刊、13版、23面

坂口昌弘著『文人たちの俳句』本阿弥書店

五所平之助 - KINENOTE

五所平之助 - 日本映画データベース

五所平之助 - NHK人物録

村田実 1936-1937

溝口健二1937-1943、1949-1955

小津安二郎1955-1963

五所平之助1964-1980

大島渚1980-1996

深作欣二1996-2003

山田洋次2003-2004

崔洋一2004-2022

本木克英2022-現在

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2024/11/17 17:49更新

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