佐野周二の情報(さのしゅうじ) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐野 周二さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐野周二と関係のある人
番匠義彰: 「新家庭問答」 - 1958年、松竹、出演:佐野周二、淡島千景、九条映子 佐分利信: 日活を経て松竹に入社し、上原謙・佐野周二と「松竹三羽烏」を結成して、戦前松竹の看板スターとして活躍した。 木下惠介: 他には久我美子、田中絹代、東山千栄子、小林トシ子、井川邦子、佐田啓二、佐野周二、上原謙らも多くの作品に登場する。 関口宏: 1963年(昭和38年)7月、NETテレビ(現:テレビ朝日)『日本映画名作ドラマ・お嬢さんカンパイ!』でドラマデビューし、父・佐野周二や佐田啓二らと共演した。 上原謙: 五所平之助監督の『新道』で佐分利信、佐野周二と初共演し、「松竹三羽烏」を結成。 山村聰: 『トラ・トラ・トラ!』主演の影響で、同時期に鹿島守之助役のオファーを受けていた映画『超高層のあけぼの』への出演を佐野周二と交代して降板するなどの影響が出た。 山田栄一: 『上海の街角で』(昭和13年7月)[佐藤惣之助作詞、歌:東海林太郎、【台詞】佐野周二] 番匠義彰: 「太陽を抱く女」 - 1964年、松竹、出演:真理明美、沢村貞子、佐野周二 佐伯秀男: 『初夜ふたゝび』(『初夜ふたたび』) : 監督高木孝一、原作小糸のぶ、脚本柳川真一、主演佐野周二、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1949年1月18日公開 - 出演・「藤川寛造」役 番匠義彰: 「暴れん坊三羽烏」 - 1960年、松竹、出演:山本豊三、十朱幸代、佐野周二 山田邦子: 父親は関口の父・佐野周二の立教大学での後輩で、関口とももともと面識があったため、「(関口)宏が言うなら」と折れたという。 笠智衆: 1942年(昭和17年)に公開した小津監督の『父ありき』で主演(小津作品の中では初主演)、7歳年下の佐野周二の父親を演じ、以降小津作品に欠かせない存在となった。 島津保次郎: 撮影所が蒲田から大船に移行しても、メロドラマの『家族会議』(1936年)や浅草オペラの姿を描いた『浅草の灯』(1937年)、松竹三羽烏と呼ばれた上原謙・佐分利信・佐野周二が主演の『婚約三羽烏』(1937年)、そして島津の代表作とされる『兄とその妹』(1939年)などで独特な描写などが評価された。 熊井啓: 1968年には、三船プロダクションと石原プロモーションが共同制作した大作『黒部の太陽』の監督に抜擢され、当時の映画界に厳然として存在していた五社協定の圧力にも負けず、三船敏郎、石原裕次郎、佐野周二、滝沢修、高峰三枝子ら豪華なスター共演によって黒四ダムの建設を見事に描き、成功を収める。 関口知宏: 父は関口宏で母は西田佐知子の一人息子、父方の祖父は佐野周二で叔父は佐野守である。 佐田啓二: 当時戦時中だったが大学進学のため上京し、親族の知り合いで松竹の人気俳優佐野周二(関口宏の父)の家に下宿するも、2年生の時勤労動員で豊川海軍工廠(愛知県)で働いた後、そのまま終戦を迎える。芸名は、「佐野周二」の姓名から一文字ずつ譲り受けて名付けられた。 佐原健二: 芸名も由来は当時の名優であった佐野周二(関口宏の父)にあやかって息の長い俳優に、ということで“佐”と“二”の二文字を使った。 番匠義彰: 「楽天夫人」 - 1956年、松竹、出演:淡島千景、大木実、佐野周二 田中絹代: 1936年(昭和11年)1月15日に撮影所が蒲田から大船に移転してからも、松竹三羽烏の上原謙、佐野周二、佐分利信らを相手役として、次々と作品でヒロインを演じた。 関口宏: 父は俳優の佐野周二、弟は元俳優の佐野守。 木下恵介: 他には久我美子、田中絹代、東山千栄子、小林トシ子、井川邦子、佐田啓二、佐野周二、上原謙らも多くの作品に登場する。 佐分利信: これで注目された佐分利は、島津監督の『男性対女性』、野村浩将監督の『人妻椿』などで人気を伸ばし、五所監督の『新道 前後篇』で上原謙、佐野周二と共演してからはこの二人と松竹三羽烏を結成する。 滝廉太郎: 荒城の月(1937年 演:佐野周二) 増田順司: 1954年、佐野周二、佐田啓二とともにまどかグループを設立し、監査役を務めた。 米山正夫: 『只今帰って参りました』(昭和16年5月) 作詞:清水みのる、歌:上原敏、台詞佐野周二 高峰三枝子: 理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、翌年、松竹三羽烏(当時の松竹での人気二枚目俳優)と呼ばれた上原謙・佐野周二・佐分利信を相手にマドンナ役を演じた『婚約三羽烏』が公開。 藤本真澄: 加山を売り出した『若大将シリーズ』は、戦前松竹で製作された「若旦那シリーズ」の主演、上原謙、佐分利信、佐野周二の三人を一人にして焼き直した藤本のアイデア。 豊田久吉: その後「豊田満」の芸名で、佐野周二・上原謙とともに1936年「大船撮影所1期生」として松竹に入社。 |
佐野周二の情報まとめ
佐野 周二(さの しゅうじ)さんの誕生日は1912年11月21日です。東京出身の俳優のようです。
現在、卒業、映画、テレビ、父親、結婚、離婚、ドラマ、家族に関する情報もありますね。1978年に亡くなられているようです。
佐野周二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、日本の俳優。本名は関口 正三郎(せきぐち しょうざぶろう)。 昭和初期から後期(1930年代後半〜1970年代)に活躍した二枚目スターの一人である。関口宏、佐野守の父で、関口知宏の祖父に当たる。上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」といわれた。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に鳶職の息子として生まれた。1933年に立教大学経済学部予科を卒業後、翌年に近衛歩兵第一連隊に入営、乙種幹部候補生 1935年、陸軍歩兵伍長として除隊。1935年に義兄の経営する神戸の貿易商「アサヒ商会」に入社する。 同年、松竹の俳優募集に応募し、1000人の中から1人合格し1936年松竹に入社。「大船撮影所1期生」として、同年の佐々木康監督の『Zメン青春突撃隊』で俳優デビュー。立教大学の先輩上原謙とともに、幹部スター候補生として、主役格で使われ、1937年には早くも準幹部に昇格し、島津保次郎監督の『婚約三羽烏』で、上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」として共演し、スターの地位を決定的にした。1938年には幹部に昇格し、名実共に松竹を背負って立つ存在となった。 陸軍では、暗号のエキスパートとしての一面があり、1938年7月、召集され第十五航空通信連隊に入隊、暗号掛下士官(軍曹)として中国各地の飛行場で勤務し、1941年4月召集解除。次いで東部第六部隊に召集され、陸軍曹長に進級。1944年6月召集解除。1940年3月に第十三航空通信連隊に入隊、特別幹部候補生に対する暗号通信の教育指導にあたり、終戦を迎える。 三度の召集の間隙を縫うように、野村浩将監督、李香蘭主演の『蘇州の夜』、小津安二郎監督の『父ありき』などの作品に出演するなど、人気を保ったが、私的には妻と長女をなくし試練の時となった。 戦後になっても二枚目スターとして活躍し、重厚な演技を持ち味に木下惠介監督の『お嬢さん乾杯!』、『カルメン故郷に帰る』、吉村公三郎の『春雪』などに出演する。特に、小津安二郎の『風の中の牝雞』では田中絹代と共演し、子供の医療費のために一度だけ売春した妻への、怒りに苦しむが愛情を取り戻していく帰還兵を演じ新境地を切り開いた。猪俣勝人は『日本映画俳優全史』で、戦後は戦前の甘さ爽やかさが失われたと評し従軍体験の翳を嘆いているが、むしろ少し粗野な味やユーモアを加えて幅を広げた演技は『お嬢さん乾杯!』などで引き出されている。 1953年にはフリーとなり、五所平之助の『大阪の宿』や成瀬巳喜男の『驟雨』などに出演し、演技派俳優として確固たる地位を確立する。1954年には、俳優の生活安定の目的を理由に「まどかグループ」を佐田啓二、桂木洋子、三井弘次らと設立し、映画制作も手がけた。1965年以降はテレビにも活躍の場を広げ、主に温厚な父親役で親しまれた。 1978年12月21日、急性心不全のため66歳で死去した。 関口宏の結婚に際して佐野は芸能人との結婚は反対だったが、西田佐知子が芸能人だと知らなかったので、「そんなトシになったのか」と驚きつつお互い好きならと認め、「自分の意志で結婚して幸せになるのが一番だ」と背中を押した、婚約期間は8日だった。 Zメン青春突撃隊(1936年) 密漁の夜(1936年) 新道 前篇朱実の巻(1936年) わが母の書(1936年) 花籠の歌(1937年) 荒城の月(1937年) 淑女は何を忘れたか(1937年) 出船の歌(1937年) 母の夢(1937年) 科学者の使命 幸福の素顔(1937年) 金色夜叉(1937年) 恋も忘れて(1937年) 婚約三羽烏(1937年) 若葉の夢(1937年) 花形選手(1937年) 母への抗議(1937年) 娘よ何故さからふか(1937年) 歌へ歓呼の春(1937年) 風の女王(1938年) 新しき翅(1938年) 愛より愛へ(1938年) 国民の誓(1938年) 彼女は何を覚えたか(1938年) 元気で行かうよ(1941年) 心は偽らず(1941年) 蘇州の夜(1941年) 父ありき(1942年) 高原の月(1942年) 日本の母(1942年) 兄妹会議(1942年) 或る女(1942年) 愛国の花(1942年) 還って来た男(1944年) 野戦軍楽隊(1944年) 陸軍(1944年) 必勝歌(1945年) 乙女のゐる基地(1945年) そよかぜ(1945年) 粋な風来坊(1946年) お笑い週間 笑ふ宝船(1946年) 待ちぼうけの女(1946年) お光の縁談(1946年) 最後の鉄腕(1947年) 情炎(1947年) 処女は真珠の如く(1947年) 新婚リーグ戦(1947年) 旅装(1948年) 噂の男(1948年) 追跡者(1948年) 風の中の牝雞(1948年) 緑なき島(1948年) 初夜ふたゝび(1949年) お嬢さん乾杯!(1949年) 花婿三段跳び(1949年) 海の野獣(1949年) 悲恋模様 前篇東京篇(1949年) 悲恋模様 後篇大阪篇(1949年) 初恋問答(1950年) 春雪(1950年) てんやわんや(1950年) 女の水鏡(1951年) 愛情の旋風(1951年) カルメン故郷に帰る(1951年) 美しい暦(1951年) 天明太郎(1951年) 離婚結婚(1951年) 麦秋(1951年) 夢と知りせば(1952年) とんかつ大将(1952年) 母の願い(1952年) 女のいのち(1952年) 郷愁(1952年) 彼を殺すな(1952年) 若奥様一番勝負(1952年) 関白マダム(1953年) もぐら横丁(1953年) 死の追跡(1953年) 君に捧げし命なりせば(1953年) サラリーマンの歌(1953年) 早稲田大学(1953年) 女心はひと筋に(1953年) ママの日記(1954年) ウッカリ夫人とチャッカリ夫人 やりくり算段の巻(1954年) 大阪の宿(1954年) 三代目の若旦那(1954年) その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人(1954年) 人生劇場望郷篇 三州吉良港(1954年) 鶏はふたゝび鳴く(1954年) 月は上りぬ(1955年) 天下泰平(1955年) 続天下泰平(1955年) 緋牡丹記(1955年) うちのおばあちゃん(1955年) 女中ッ子(1955年) 花ひらく(1955年) ウッカリ夫人とチャッカリ夫人 夫婦御円満の巻(1956年) 驟雨(1956年) 若い樹(1956年) 嫁ぐ日(1956年) 女房族は訴える(1956年) 道(1956年) 婚約三羽烏(1956年) 或る夜ふたたび(1956年) 楽天夫人(1956年) 青春の音(1956年) 台風騒動記(1956年) 暴れん坊街道(1957年) 目白三平物語 うちの女房(1957年) 天使の時間(1957年) 曙荘の殺人(1957年) 多情仏心(1957年) 鯨と斗う男(1957年) 夜の鴎(1957年) ただいま零匹(1957年) 家内安全(1958年) ぶっつけ本番(1958年) 抵抗する年令(1958年) 母の旅路(1958年) 新家庭問答(1958年) 白鷺(1958年) 蟻の街のマリア(1958年) 夫婦合唱(1959年) 続次郎物語 若き日の怒り(1960年) 私は忘れない(1960年) 恋の画集(1961年) サラリーマン手帳 夢を失わず(1961年) めぐり逢う日まで 純白の巻(1961年) 反逆児(1961年) 花影(1961年) 明日ある限り(1962年) 春の山脈(1962年) 流し雛(1962年) 若者たちの夜と昼(1962年) 箱根山 (1962年) 太陽を抱く女(1964年) 渚を駆ける女(1964年) 六條ゆきやま紬(1965年) 若い野ばら(1965年) 複雑な彼(1966年) 愛は惜しみなく(1967年) 黒部の太陽(1968年) 年ごろ(1968年) 超高層のあけぼの(1969年) ニュージーランドの若大将(1969年) 女組長(1970年) 炎の肖像(1974年) 悲愁物語(1977年) 声(1958年、KRT) 誘惑(1959年、NTV) わが家の楽園(1959年 - 1960年、NTV) 青年同心隊(1964-1965年、TBS)- 久保田雅之 太閤記(1965年、NHK大河ドラマ) - 浅野又右衛門 あしたの家族(1965年 - 1967年、NHK) 光る海(1965年、TBS) ライオン奥様劇場 / 愛染かつら(1965年、CX/ 松竹テレビ室)- 津村春樹 木下恵介劇場(TBS)
二人の星(1965年 - 1966年) - 金子船長 新吾十番勝負(1966年、TBS / 松竹テレビ室)- 徳川吉宗 五人の野武士 第1話「帰って来た剣豪」(1968年、NTV) - 沖田忠兵衛 天皇の世紀 第2話「野火」(1971年、ABC) - 村山行馬 気になる嫁さん(1971年 - 1972年、NTV) - 清水呂之助 ぜんまい仕掛けの柱時計(1972年、NHK) 花王 愛の劇場 / 乳房よ永遠に(1972年、TBS/ 東京映画) おさななじみ(1973年、TBS) 水曜ドラマシリーズ / おやじの嫁さん(1973年、CX) 剣と風と子守唄 第8話「孤雁の群れ」(1975年、NTV) - 阿部忠政 暖流(1976年、NTV) あにき 第9回(1977年、TBS) - 浜田政吉 土曜ワイド劇場 / 浴室の美女 江戸川乱歩の魔術師(1978年、ANB) - 玉村善太郎 ボンカレー(1969年、大塚食品) - 松山容子と共演 ハウスジャワカレー(1973年、ハウス食品) - 関口宏、西田佐知子夫妻と共演 サニー(1976年、日産自動車) - 関口宏、西田佐知子夫妻と共演 「上海の街角で」(歌・東海林太郎 台詞) 「愛馬の唄」(歌・上原敏 台詞) 「只今帰って参りました」(歌・上原敏 台詞) 「上陸の夜」(歌・田端義夫 台詞) 『戦地通信』淡海堂、1939年。 ^ 週刊明星1971年4月4日号42頁 ^ 婦人生活社1971年5月号180~181頁 ^ 週刊明星1971年4月4日号42~43頁 野沢一馬『三羽烏一代記-佐分利信・上原謙・佐野周二』ワイズ出版、1999年、ISBN 4898300065。 佐野周二 - 日本映画データベース 佐野周二 - KINENOTE ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ アメリカ 日本 IdRef 日本の男優 松竹の俳優 戦前の松竹の俳優 立教大学出身の人物 成立学園中学・高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1912年生 1978年没 関口宏 2024/11/21 07:57更新
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sano syuuji
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