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古賀政男の情報 (こがまさお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

古賀政男の情報(こがまさお) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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古賀 政男さんについて調べます

■名前・氏名
古賀 政男
(読み:こが まさお)
■職業
作曲家
■古賀政男の誕生日・生年月日
1904年11月18日 (年齢1978年没)
辰年(たつ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
福岡出身

古賀政男と同じ1904年生まれの有名人・芸能人

古賀政男と同じ11月18日生まれの有名人・芸能人

古賀政男と同じ出身地福岡県生まれの有名人・芸能人


古賀政男と関係のある人

西條八十: 「ゲイシャ・ワルツ」(作曲:古賀政男、歌唱:神楽坂はん子、1952年)


西條八十: 「こんな私じゃなかったに」(作曲:古賀政男、歌唱:神楽坂はん子、1952年)


江口夜詩: 生涯にわたる作曲数は4000曲を超え、古賀政男とは終生ライバル関係であった。


寺内タケシ: 明治大学マンドリン部創設者の古賀政男から誘われ明治大学へ進学したが、家業を継がせたい父親によって「1週間で退学させられ」、関東学院大学工学部電気科へ入学し直した。


霧島昇: 紅雀の歌(1948) - 作詞:西條八十/作曲:古賀政男


霧島昇: 警防行進曲(不明) - 共唱:松原操、作詞:大日本警防協会選定/作曲:古賀政男


菅原都々子: 養父・師匠は作曲家の古賀政男


島田芳文: 『丘を越えて』(昭和6年11月)[古賀政男作曲、歌:藤山一郎]


霧島昇: そうだその意気(1941) - 共唱:松原操・李香蘭、作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:仁木他喜雄


小林幸子: 美川とはデビュー前後に古賀政男の元で一緒にレッスン指導を受けていたため、年齢は離れているが50年以上前からプライベートでも親交がある仲良しで「憲ちゃん」「幸ちゃん」と呼び合い音楽番組以外にもバラエティ番組や互いのYouTubeチャンネルにも仲良く出演するなどしており、デビュー当時からお互いの低迷時の苦労等も全て知り尽くしている。


伊藤久男: 1941年「山の凱歌」(作詞:西條八十、作曲:古賀政男)共唱:霧島昇


井上ポルノ: 2010年8月、古賀政男音楽博物館にてCDを自主制作。


神楽坂はん子: その後、噂を聞きつけた作曲家の古賀政男と作詞家の西条八十がやってきて(万城目正の紹介で)、『アリラン』を披露したところ、古賀に気に入られ、又「私、芸術家って大嫌い」と発言するなど、その竹を割ったような性格がまた気に入られ、コロムビアへスカウトされた。


霧島昇: あの夢この歌(1948) - 共唱:二葉あき子、作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:仁木他喜雄


菅原都々子: 同年、『小楠公』(作曲:古賀政男


霧島昇: 希望に燃えて(1949) - 共唱:伊藤久男・藤山一郎・二葉あき子・近江俊郎ほか、作詞:サトウハチロー/作曲:古賀政男


西條八十: 「恋の曼珠沙華」(作曲:古賀政男、歌唱:二葉あき子、1948年)


野村俊夫: 1953年「見ないで頂戴お月さま」(作曲:古賀政男、歌:神楽坂はん子)


霧島昇: 作詞の西条八十、作曲の古賀政男、歌った霧島昇の代表作となる。


東坊城恭長: 白薔薇は咲けど 1937年 脚本 監督伏水修、原作西條八十、音楽古賀政男、主演入江たか子 PCL映画製作所作品


大久保徳二郎: 1939年(昭和14年)1月に古賀政男がテイチクを退社すると、ディック・ミネは作曲者に大久保を指名、島田磬也の作詞、杉原泰蔵の編曲により生まれた『或る雨の午後』で大久保は作曲家としてデビュー、大ヒットを飾った。


西條八十: 「陥としたぞシンガポール」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1942年)


吉田正: 作曲家としては古賀政男(1978年)、服部良一(1993年)に次いで史上3人目となる国民栄誉賞を受賞。


青木光一: 「ザビエルの鐘」作詞:西条八十、作曲:古賀政男(1953年3月20日 日本コロムビア A1633A)


青木光一: 神楽坂はん子・青木光一「モチのロン/若い時や二度ない」作詞:上山/西條八十、作曲:古賀政男(1953年6月 日本コロムビア A1700)


五木ひろし: 第1回古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。


南郷達也: 大学時代に先輩古賀政男の知遇を得て作編曲を師事。


美空ひばり: 翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、加藤母子は審査員の古賀政男のもとに駆けつけて「どうか娘の歌を聴いてください!」と懇願し、和枝はアカペラで古賀の「悲しき竹笛」を歌った。


佐藤惣之助: 『人生の並木路』(1937年2月)[古賀政男作曲、歌:ディック・ミネ]


古川ロッパ: 代表作の『ネクタイ屋の娘』は作詞が西條八十、作曲が古賀政男という大御所による作品である。


古賀政男の情報まとめ

もしもしロボ

古賀 政男(こが まさお)さんの誕生日は1904年11月18日です。福岡出身の作曲家のようです。

もしもしロボ

卒業、兄弟、離婚、映画、ドラマに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1978年に亡くなられているようです。

古賀政男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

古賀 政男(こが まさお、1904年(明治37年)11月18日 - 1978年(昭和53年)7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。栄典は従四位、勲三等瑞宝章、紫綬褒章。明治大学商学部(旧制)卒業。本名は古賀正夫(読み同じ)。

少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。その後は、プレクトラム音楽家の「古賀正男」から流行歌王の「古賀政男」になり、昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し、数多くの流行歌をヒットさせた。生涯で制作した楽曲は5,000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。

1904年(明治37年)、福岡県三潴郡田口村(現・大川市)に8人きょうだいの6番目として誕生。近くには水の都柳川があり、その風景は後年の『誰か故郷を想わざる』のモチーフになった。5歳のときに父が他界し、母と姉、弟とともに7歳で故郷を離れ、働いている長兄がいる朝鮮に渡り感情起伏の激しい少年時代を過ごした。故郷喪失の悲しみは『人生の並木路』のモチーフとなった。朝鮮では最初は仁川に、その後は京城で暮らした。従兄弟から大正琴をもらったのもこの頃である。古賀政男が初めてマンドリンを手にしたのは中学3年(京城善隣商業学校)のときで、一番仲の良かったすぐ上(4番目)の兄からマンドリンを贈られた。この時期から音楽家への道を志すようになる。

善隣商業学校を出て大阪の商店に勤めたのち、1923年(大正12年)に明治大学予科に入学し、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。当時の明大マンドリン倶楽部では、ボッタキアーリ、ラウダス、バッチなどのマンドリンの大曲が演奏されていたが、古賀自身も難曲「幻想的狂想曲」(ロマーノ)を独奏するなどの活動が見られている。1928年(昭和3年)夏には旅先の青根温泉付近の山中で剃刀自殺を図るが、同行していた友人の発見により未遂に終わる。そのときに見た蔵王の夕暮れから名曲『影を慕いて』の詩が浮かんだといわれている。1980年に同地に『影を慕いて』の歌碑が建立された(関連:青根洋館)。1928年の秋の定期演奏会は同年春に開館したばかりの明治大学記念館講堂で開催されたが、このとき佐藤千夜子の知遇を得た。また、この頃「音楽は和也(なり)」の理念が生まれた。

1929年(昭和4年)春の大学卒業後は指導者となり音楽活動を続けた。6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で『影を慕いて』(ワルツ・ギター合奏)を発表。その年の暮れには、佐藤千夜子の歌唱とマンドリンオーケストラを率いて、『文のかおり』など自作品をビクターで吹き込んだ。1930年(昭和5年)秋にはビクターで、『影を慕いて』と『日本橋から』を佐藤千夜子の歌唱によって吹き込む。このときは、まだマンドリン・ギター演奏家「古賀正男」だった。また、この歌は宮城県川崎町の風景をモチーフにしたといわれている。当時、死の淵に追われた古賀が川崎町の森林を歩いているうちに我に返りこの歌を書いたという。1931年(昭和6年)1月、新譜でレコードは発売されたが、売れ行きは芳しくなかった。尚、『影を慕いて』の創作過程については、菊池清麿の『評伝古賀政男 青春よ永遠に』に詳細に記されている。

1931年、日本コロムビア専属となった。当初は作曲に自信がなく文芸部の社員を希望していたが、結局、作曲家として契約した。このとき、東京音楽学校在籍中の藤山一郎と出会ったことが古賀政男の人生を大きく変えることになった。藤山一郎の歌唱表現が古賀政男の才能を開花させたのである。『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』の3曲がSPレコードで発売され、以降多くのヒット曲を世に出した(なお、藤山は東京音楽学校卒業後、ビクター専属となる)。

1933年(昭和8年)には、松平晃が歌唱した『サーカスの唄』がヒットしたが、直後に離婚騒動などもあって体を壊し、1933年の晩秋から翌年にかけて伊東で静養した。翌1934年、コロムビアからテイチクに移籍。ビクターから迎えた藤山一郎、ディック・ミネ、楠木繁夫、美ち奴などを擁し、『緑の地平線』『二人は若い』『東京ラプソディ』『あゝそれなのに』『青い背広で』『人生の並木路』などのヒット曲を発表した。

1938年(昭和13年)秋、外務省の音楽文化親善使節として渡米し、ハワイ、アルゼンチンを訪問。渡米直前にコロムビアに復帰した。1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、全世界に向けて15分間にわたって放送された。帰国後は『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』などがヒット曲となった。

太平洋戦争後の1948年(昭和23年)に近江俊郎が吹き込んだ『湯の町エレジー』がヒット。同年には「古賀ギター歌謡協会」(後の古賀ギター学院)を設立した。

1960年代には過去に自らの前で『悲しき竹笛』(万城目正作曲の『悲しき口笛』とは異なる)を歌った美空ひばりの歌の作曲を手がけた。1964年(昭和39年)発表の『柔』は190万枚を売り上げ、1965年(昭和40年)の第7回日本レコード大賞を受賞。翌1966年(昭和41年)発表の『悲しい酒』も145万枚を売り上げるミリオンセラーとなった。

作曲活動の傍らで1958年(昭和33年)には日本作曲家協会を創設し、初代会長となる。この翌年に服部良一らとともに創設したのが日本レコード大賞である。

1965年(昭和40年)以降は大正琴の普及にも努め、自作曲の大正琴レコード、オリジナルブランドの改良大正琴「KOGA TONE(古賀トーン)」を販売した。

1974年(昭和49年)には平和への祈りを込め、広島平和音楽祭の実行委員長を引き受けた。第4回広島平和音楽祭に際して、島倉千代子のために製作した「ひろしまの母」が最後のレコードになった。

1978年(昭和53年)6月17日、明治大学マンドリン倶楽部・第102回定期演奏会(杉並公会堂)で指揮者を務めたのが、古賀自身最後の公の姿となった。

それから約1か月後、1978年7月25日の午後1時15分、東京・代々木の自宅で急性心不全により死去、享年73。その死から10日後の同年8月4日、前1977年(昭和52年)の王貞治(プロ野球選手)に次ぎ史上二人目、また、作曲家としては初となる国民栄誉賞を贈られた。

1998年(平成10年)7月には、日本コロムビアから16枚組CD-BOX『古賀政男大全集』が発売され、3,000セットを売り上げた。

丘を越えて(キネマ映画「姉」主題歌)(1931年) 歌:藤山一郎

酒は涙か溜息か(1931年) 歌:藤山一郎

私此頃憂鬱よ(1931年) 歌:淡谷のり子

窓に凭(もた)れて(1931年) 歌:関種子

キャンプ小唄(1931年) 歌:藤山一郎

月の浜辺(1931年) 歌:河原喜久恵

スキーの唄(1931年) 歌:藤山一郎

影を慕いて(1932年、1968年) 歌:藤山一郎(1932年版)、森進一(1968年版)

日本橋から(1932年) 歌:関種子

強くなってね(1933年、1937年) 歌:渡辺光子(1933年版)、杉狂児・美ち奴(1937年版)

サーカスの唄(1933年) 歌:松平晃

ほんとにそうなら(1933年) 歌:赤坂小梅

来る来るサーカス(1933年) 歌:淡谷のり子

旅がらす(1933年) 歌:中野忠晴

東京祭(1933年) 歌:不明

夕べ仄(ほの)かに(1935年) 歌:松島詩子

男のまごころ(1935年) 歌:楠木繁夫

緑の地平線(日活映画「緑の地平線」主題歌)(1935年、1958年) 歌:楠木繁夫(1935年版)、青木光一(1958年版)

二人は若い(日活映画「のぞかれた花嫁」主題歌)(1935年) 歌:ディック・ミネ、星玲子

ゆかりの唄(1935年) 歌:ディック・ミネ

白衣の佳人(1935年) 歌:ディック・ミネ

白い椿の唄(1935年) 歌:楠木繁夫

ハイキングの唄(1935年) 歌:楠木繁夫

東京ラプソディ(1936年) 歌:藤山一郎

男の純情(1936年) 歌:藤山一郎

東京娘(1936年) 歌:藤山一郎

慈悲心鳥(日活映画「慈悲心鳥」主題歌)(1936年) 歌:楠木繁夫

女の階級(日活映画「女の階級」主題歌)(1936年) 歌:楠木繁夫

回想譜(1936年) 歌:藤山一郎

啄木の唄(1936年) 歌:楠木繁夫

ああそれなのに(1936年) 歌:美ち奴

うちの女房にゃ髭がある(1936年) 歌:杉狂児・美ち奴

細君三日天下(1936年) 歌:杉狂児・美ち奴

愛の小窓(1936年) 歌:ディック・ミネ

青い背広で(1937年) 歌:藤山一郎

人生の並木路(1937年) 歌:ディック・ミネ

のばせばのびる(1937年) 歌:楠木繁夫

真実一路の唄(1937年) 歌:楠木繁夫

国境を越えて(1937年) 歌:楠木繁夫

青春日記(1937年) 歌:藤山一郎

道行シャンソン(1937年) 歌:楠木繁夫・美ち奴

そんなの嫌い(1937年) 歌:美ち奴

軍国の母(日活映画「国家総動員」主題歌)(1937年) 歌:美ち奴

銃後の赤誠(1937年) 歌:奥田英子

東京盆踊り(1937年) 歌:藤山一郎・美ち奴

お父さんの歌時計(1937年) 歌:古賀久子(菅原都々子) - 古賀の養女。

小楠公(1937年) 歌:古賀久子(菅原都々子)

動員令(1937年) 歌:楠木繁夫

人生劇場(1938年、1959年) 歌:楠木繁夫(1938年版)、村田英雄(1959年版)

歓喜の丘(1938年) 歌:藤山一郎

誰か故郷を想わざる(1940年) 歌:霧島昇

なつかしの歌声(1940年) 歌:藤山一郎・二葉あき子

目ン無い千鳥(1940年、1965年、1969年) 歌:霧島昇・ミス・コロムビア(1940年版)、島倉千代子(1965年版)、大川栄策(1969年版)

新妻鏡(1940年、1965年、1969年、1970年) 歌:霧島昇・二葉あき子(1940年版)、島倉千代子(1965年版)、アントニオ古賀(1969年版)、大川栄策(1970年版)

新妻模様(1940年) 歌:霧島昇・ミス・コロムビア

春よいずこ(1940年) 歌:藤山一郎・二葉あき子

花ある人生(1940年) 歌:霧島昇

相呼ぶ歌(1940年) 歌:霧島昇・菊池章子

蛇姫絵巻(1940年) 歌:志村道夫・奥山彩子

熱砂の誓ひ(建設の歌)(1940年) 歌:伊藤久男

紅い睡蓮(東寶映画「熱砂の誓ひ」主題歌)(1940年) 歌:李香蘭

紫紺の歌(明治大学第一応援歌)(1941年) 歌:霧島昇

そうだその意気(国民総意の歌)(1941年) 歌:霧島昇・松原操・李香蘭

総進軍の鐘は鳴る(1941年) 歌:不明

山の凱歌(1941年) 歌:伊藤久男・霧島昇

茜の雲の燃ゆる時(1941年) 歌:霧島昇・松原操

思い出の記(1941年) 歌:霧島昇

素晴らしき首途(1942年) 歌:霧島昇

母を呼ぶ歌(1942年) 歌:霧島昇・高峰三枝子

南の花嫁さん(1942年) 歌:高峰三枝子

どうぢゃね元気かね(大映映画「歌ふ狸御殿」主題歌)(1942年) 歌:楠木繁夫

花の生命(1942年) 歌:霧島昇・李香蘭

誓いの港(1942年) 歌:霧島昇

打倒米英(1942年) 歌:霧島昇

陥としたぞシンガポール(1942年) 歌:霧島昇

故郷の白百合(1943年) 歌:霧島昇・松原操

なつかしの蕃社(1943年) 歌:霧島昇・菊池章子

勝利の日まで(1944年) 歌:霧島昇

月夜船(1944年、1949年) 歌:波平暁男(1944年版)、近江俊郎(1949年版)

旅役者の唄(1946年) 歌:霧島昇

麗人の歌(1946年) 歌:霧島昇

悲しき竹笛(1946年) 歌:近江俊郎・奈良光枝

乙女船(1946年) 歌:霧島昇・奈良光枝

裏町セレナーデ(1946年) 歌:霧島昇・二葉あき子

青春の約束(1947年) 歌:霧島昇・渡辺はま子

旅の舞姫(1947年、1948年) 歌:霧島昇(1947年版)、霧島昇・二葉あき子(1948年版)

紅雀の歌(1948年) 歌:霧島昇

恋の曼珠沙華(1948年) 歌:二葉あき子

湯の町エレジー(1948年) 歌:近江俊郎

雨の夜汽車(1948年) 歌:奈良光枝

シベリヤ・エレジー(1948年) 歌:伊藤久男

三百六十五夜(1948年) 歌:霧島昇・松原操

あの夢この歌(1948年) 歌:霧島昇・二葉あき子

港の恋唄(1949年) 歌:鶴田六郎

人間模様(1949年) 歌:霧島昇

銀座シャンソン(1949年) 歌:霧島昇・二葉あき子

希望に燃えて(1949年) 歌:伊藤久男・霧島昇・近江俊郎・二葉あき子・奈良光枝・藤山一郎・高倉敏

トンコ節(1949年、1951年) 歌:久保幸江・楠木繁夫(1949年版)、久保幸江・加藤雅夫(1951年版)

赤い靴のタンゴ(1950年) 歌:奈良光枝

ハワイの夜(1950年) 歌:霧島昇

玄海しぶき(1950年) 歌:霧島昇

月が出た出た(1951年) 歌:霧島昇・久保幸江

青いガス燈(1951年) 歌:岡本敦郎

京都音頭(1951年) 歌:霧島昇・久保幸江

良いとこ節(1951年) 歌:霧島昇・久保幸江

ゲイシャ・ワルツ(芸者ワルツ)(1952年) 歌:神楽坂はん子

白虎隊(1952年) 歌:霧島昇

ギター月夜(1952年) 歌:霧島昇

浮草一座の歌(1952年) 歌:霧島昇

恋しあの町(1952年) 歌:霧島昇

こんな私じゃなかったに(1952年) 歌:神楽坂はん子

こんなベッピン見たことない(1953年) 歌:神楽坂はん子

見ないで頂戴お月さま(1953年) 歌:神楽坂はん子

石狩エレジー(1953年) 歌:霧島昇

港の町よさようなら(1953年) 歌:霧島昇

ザビエルの鐘(1953年) 歌:青木光一

モチのロン/若い時や二度ない(1953年) 歌:神楽坂はん子・青木光一

二十才の青春(1954年) 歌:青木光一

月の朝鮮海峡(1954年) 歌:青木光一

湖畔のギター(1954年) 歌:霧島昇

伊勢おどり(1954年) 歌:霧島昇・久保幸江

りんどう峠(1955年) 歌:島倉千代子

ピレネエの山の男(1955年) 歌:岡本敦郎

マドロス子守唄(1955年) 歌:霧島昇

白浪五人男(1955年) 歌:霧島昇・久保幸江・岡本敦郎 他

娘船頭さん(1955年) 歌:美空ひばり

怒涛の男(1956年) 歌:美空ひばり

都に花の散る夜は(1956年) 歌:青木光一

思い出は懐かしきかな(1956年) 歌:霧島昇

目ン無い化粧(1956年) 歌:霧島昇・島倉千代子

江戸の闇太郎(1957年) 歌:美空ひばり

青春サイクリング(1957年) 歌:小坂一也

永遠に答えず(1957年) 歌:島倉千代子

馬喰一代(1957年) 歌:村田英雄

流れの旅相撲(1957年) 歌:霧島昇・島倉千代子

愛情一路(1957年) 歌:霧島昇

無法松の一生(1958年) 歌:村田英雄

思い出さん今日は(1958年) 歌:島倉千代子

銀座地階の女(1959年) 歌:コロムビア・ローズ(初代)

白い小ゆびの歌(1960年) 歌:島倉千代子

花散る下田(1960年) 歌:島倉千代子

東京五輪音頭(1963年) 歌:三波春夫、他

柔(1964年) 歌:美空ひばり

ウソツキ鴎(1964年) 歌:小林幸子

お島千太郎(1965年) 歌:美空ひばり

柔の男(1965年) 歌:美空ひばり

宮本武蔵(1965年) 歌:村田英雄

鶺鴒(せきれい)の舞(1965年) 歌:村田英雄

敦盛哀歌(1966年) 歌:舟木一夫

悲しい酒(1966年) 歌:美空ひばり

世界平和音頭(1968年) 歌:都はるみ

佐渡の石小法師(1973年) 歌:美空ひばり

浜昼顔(1974年) 歌:五木ひろし

ひろしまの母(1977年) 歌:島倉千代子

    からくり歌劇(1936年、大谷俊夫監督)

    ジャズ忠臣蔵(1937年、伊賀山正徳監督)

    銃後の赤誠(1937年、水ケ江竜一監督)

    弥次㐂夛道中記(1938年、マキノ正博監督)

    新妻鏡(1940年、渡辺邦男監督)

    熱砂の誓ひ(1940年、渡辺邦男監督)

    歌ふ狸御殿(1942年、木村恵吾監督)

    サヨンの鐘(1943年、清水宏監督)

    麗人(1946年、渡辺邦男監督)

    七つの宝石(1950年、佐々木啓祐監督)

    ビッグショー(1976年2月22日・29日、NHK総合)

    この人と語ろう(1977年、NHK総合)

      アントニオ古賀

      猪俣公章

      近江俊郎

      大川栄策

      小林幸子

      佳山明生

      鶴岡雅義

      南郷達也

      美川憲一

      山本丈晴

      ルナ・ケンゾー

      団しん也

      古賀政男が誕生した福岡県大川市によって1982年に開設された記念館。古賀に纏わる写真のほか、『影を慕いて』の直筆楽譜や国民栄誉賞など顕彰された盾・トロフィー類が展示され、隣接地に復元した生家が構えている。

      古賀政男が1932年から自邸を構えた渋谷区上原の敷地に一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団によって1997年に開設された。建物は日本音楽著作権協会(JASRAC)が本部を構えるオフィスビルと博物館付属のコンサートホール「けやきホール」と一体化している。建設にあたってはJASRACから財団への融資で費用を賄い、JASRACが入居するオフィスビルの賃料を柱とする財団の事業収入から返済に充てる形態が採られている。

      館内には古賀の来歴紹介や自邸のモックアップ、「大衆音楽の殿堂」受賞者のレリーフの展示、古賀作品と「大衆音楽の殿堂」顕彰者の楽曲音源がビデオオンデマンド方式で試聴することができるタッチパネル式のPCや、音楽関連図書を配架した音楽情報室が設置されている。

      愛用の楽器や楽譜などの遺品が展示されている。

      一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団 は、古賀の没後の1979年に設立された一般財団法人である。古賀作品の継承・振興を図るための活動や各種歌謡曲関連イベントの主催・共催などによる支援活動を行っている。古賀政男音楽記念館が開館してからは、同館の運営が主たる事業となっている。

      古賀政男の偉功を偲ぶとともに、大川市の音楽文化振興と古賀メロディー継承を願って開催される歌謡コンクール。

      過去の参加者には、氷川きよし(1996年度一般歌謡部門最優秀賞)や北山たけし、岡幸二郎らがいる。

      上原謙

      若尾哲平

      渥美清

      片岡鶴太郎

      野田洋次郎

      1970年に井上宗孝とシャープ・ファイブがコロムビアからLP『古賀メロディー大作戦』をリリースした。エレキバンドでは初めて古賀メロディーだけのアルバム構成で、ジャケットにメンバーと並んでエレクトリックベースを持った古賀政男が写っている写真が使われている。

      大川市のゴミ収集車が古賀メロディーを流しながら収集している。

      ^ 死去時に遡って、従四位に叙せされている。

      ^ 作曲家では古賀に続き、服部良一が1993年、吉田正が1998年、遠藤実が2009年にそれぞれ国民栄誉賞を受賞している(いずれも没後追贈)。

      ^ 【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 第1部(4)演歌のルーツはどこに?『産経新聞』2008年11月16日

      ^ 【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 第3部(1)菅原都々子の涙『産経新聞』2009年3月17日

      ^ 菊池清磨『評伝 古賀政男 日本マンドリン&ギター史』彩流社、2015年10月20日、37頁。ISBN 978-4779120787。 

      ^ 古賀政男と明治大学マンドリン倶楽部菊池清麿-SP歌謡の世界・なつかしの歌声

      ^ 青根温泉:古賀政男歌碑宮城県の町並みと歴史建築

      ^ 『青春よ永遠に:明治大学マンドリン倶楽部半世紀の歩み』1972年、185頁

      ^ 扇ひろ子と共演した音源が残っている。

      ^ 古茂田信男・矢沢寛・島田芳文・横沢千秋「巨星古賀政男ついに墜つ」『新版 日本流行歌史 下』社会思想社、1995年、62頁。ISBN 4390501968。 

      ^ 「時代を照らした流行歌50年(20)昭和53年 古賀政男さん死去」『日刊スポーツ』2000年1月7日付大阪本社発行版13版、27頁。

      ^ 歴史(日本作詞作曲家協会)

      ^ 大川音楽祭古賀政男記念館

      ^ ドラマ 幾山河は越えたれど-昭和のこころ・古賀政男”. NHK. 2021年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月26日閲覧。

      古賀政男『自伝 わが心の歌』展望社、2001年

      茂木大輔『誰か故郷を…』講談社、1979年

      下嶋哲朗『謎の森に棲む古賀政男』講談社、1998年 ISBN 4-06-209272-7

      藍川由美『「演歌」のススメ』文春新書、2002年 ISBN 4166602829

      財団法人古賀政男音楽文化振興財団『夢人生を奏でて』2004年 ISBN 4797982063

      菊池清麿『評伝古賀政男 青春よ永遠に』アテネ書房、2004年 ISBN 4871522318

      菊池清麿『評伝古賀政男 日本マンドリン&ギター史』彩流社、2015年 ISBN 978-4-7791-2078-7

      明治大学マンドリン倶楽部50年史編纂委員会『青春よ永遠に:明治大学マンドリン倶楽部半世紀の歩み』1972年

        福岡県出身の人物一覧

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        ヨナ抜き音階

          古賀政男音楽博物館ホームページ

          古賀政男記念館ホームページ

          古賀政男 - 日本映画データベース

          古賀政男 - allcinema

          古賀政男 - KINENOTE

          古賀政男 - IMDb(英語)

          古賀政男 - NHK人物録

          1977年(昭和52年):王貞治

          1978年(昭和53年):古賀政男

          1984年(昭和59年):長谷川一夫

          1984年(昭和59年):植村直己

          1984年(昭和59年):山下泰裕

          1987年(昭和62年):衣笠祥雄

          1989年(平成元年):美空ひばり

          1989年(平成元年):千代の富士貢

          1992年(平成4年):藤山一郎

          1992年(平成4年):長谷川町子

          1993年(平成5年):服部良一

          1996年(平成8年):渥美清

          1998年(平成10年):吉田正

          1998年(平成10年):黒澤明

          2000年(平成12年):高橋尚子

          2009年(平成21年):遠藤実

          2009年(平成21年):森光子

          2009年(平成21年):森繁久彌

          2012年(平成24年):吉田沙保里

          2013年(平成25年):大鵬幸喜

          2013年(平成25年):長嶋茂雄

          2013年(平成25年):松井秀喜

          2016年(平成28年):伊調馨

          2018年(平成30年):羽生善治

          2018年(平成30年):井山裕太

          2018年(平成30年):羽生結弦

          2023年(令和5年):国枝慎吾

          2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表

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