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山本薩夫の情報 (やまもとさつお)
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【4月8日】今日誕生日の芸能人・有名人

山本薩夫の情報(やまもとさつお) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山本 薩夫さんについて調べます

■名前・氏名
山本 薩夫
(読み:やまもと さつお)
■職業
映画監督
■山本薩夫の誕生日・生年月日
1910年7月15日 (年齢1983年没)
戌年(いぬ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

山本薩夫と同じ1910年生まれの有名人・芸能人

山本薩夫と同じ7月15日生まれの有名人・芸能人

山本薩夫と同じ出身地鹿児島県生まれの有名人・芸能人


山本薩夫と関係のある人

後藤俊夫: 山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。


三ツ矢歌子: 人間の壁(監督:山本薩夫


木村夏江: 戦争と人間・第二部 愛と悲しみの山河(1971年、監督:山本薩夫


原保美: 暴力の街(監督山本薩夫、1950年)


古沢憲吾: 左翼映画の巨匠で、政治的には東宝争議以来の仇敵ともいうべき山本薩夫の邸にそれと知らずに消火器を売りに訪れ、慌てて踵を返したこともあった。


船越英二: 赤い水(監督:山本薩夫


河野秋武: しかし、この頃に折からの東宝争議のために河野は、俳優の嵯峨善兵や監督の山本薩夫らと共に自発的に東宝を退社。


毛利郁子: 『座頭市牢破り』 : 監督山本薩夫、製作勝プロダクション/大映京都撮影所、配給大映、1967年8月12日公開


佐分利信: 山崎豊子原作山本薩夫監督の『華麗なる一族』の中で万俵大介を演じ、傲慢な銀行頭取を重厚感たっぷりに表現したことで、映画俳優・佐分利信の存在を改めて重々しく印象付ける。


平田昭彦: 華麗なる一族(1974年、山本薩夫監督) - 春田大蔵省銀行局長


林光: 武器なき斗い(1960年、山本薩夫監督)


佐伯秀男: 『母の曲』 : 監督山本薩夫、原作吉屋信子、脚本木村千依男・八住利雄、主演英百合子、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1937年12月15日公開 - 出演、91分の上映用プリントをNFCが所蔵・2003年東宝がVHSビデオグラム発売


小田切みき: その他の映画出演作に『十代の性典』(1953年、島耕二)、『ひめゆりの塔』(1953年、今井正)、『雁』(1953年、豊田四郎)、『太陽のない街』(1954年、山本薩夫)、『警察日記』(1955年、久松静児)、『潮騒』(1971年、森谷司郎)、『親鸞 白い道』(1987年、三国連太郎)など。


門脇三郎: 華麗なる一族(1974年 山本薩夫監督) - 阪神特殊鋼社員


山形勲: 現代劇では、映画『不毛地帯』(山本薩夫監督、1976年)で主人公を招き入れる商事会社社長役など、大学教授・会社重役・高級官僚などの役を演じることが多かった。


薄田研二: 戦後の映画出演は、名を薄田研二に戻して、木下惠介監督『破戒』、伊藤大輔監督『レ・ミゼラブル あゝ無情』、佐分利信監督『風雪二十年』や、山本薩夫監督『箱根風雲録』といった独立プロ映画などに出演。


利根はる恵: 山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた。


嵯峨善兵: 新劇俳優から映画俳優となり、戦後に発生した東宝争議では山本薩夫、伊藤武郎らと組合側の先頭に立った。


森光子: 氷点(1966年、山本薩夫監督)


八木保太郎: 第2作は、1954年(昭和29年)、山本薩夫監督の『日の果て』であるが、その間も、東映東京撮影所作品などに脚本を執筆し続けた。


船越英二: 傷だらけの山河(監督:山本薩夫


望月優子: 『荷車の歌』(山本薩夫 監督、1959年)


亀井文夫: 1950年、連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの対象者となるが、山本薩夫らとともに独立プロダクション新星映画社で活動。


ヘンリー大川: 翼の凱歌(1942年 山本薩夫監督)


吉永小百合: なお、『あゝ野麦峠』は10年後の1979年)に山本薩夫監督、大竹しのぶ主演で映画化された。


井手雅人: 証人の椅子(1965年、監督:山本薩夫


樋浦勉: 養成所時代に映像デビューを果たしており、養成所の2年生の頃には1965年の山本薩夫監督の大映作品『証人の椅子』に出演し、その後間もなく岡本喜八監督、三船敏郎主演の東宝映画『血と砂』にはトランペットを吹く少年楽団兵の一人として出演。


中谷一郎: 山本薩夫監督の『金環蝕』では、自民党幹事長時代の田中角栄をモデルとした政治家に扮し、見事なそっくりさんぶりを発揮した。


金子信雄: 山本薩夫監督はこの話を面白がり、1952年の映画『真空地帯』で、闇市に横流しする金子軍曹役をあてがった。


山本圭: 父は山本勝巳、父方の叔父は山本薩夫


山本薩夫の情報まとめ

もしもしロボ

山本 薩夫(やまもと さつお)さんの誕生日は1910年7月15日です。鹿児島出身の映画監督のようです。

もしもしロボ

映画、兄弟、結婚、事件、姉妹に関する情報もありますね。1983年に亡くなられているようです。

山本薩夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 - 1983年8月11日)は、日本の映画監督。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。

甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優の山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。

両親とも石川県小松市の出身(薩夫の本籍も石川県)。札幌農学校を中退して農商務省の官吏になった父が愛知県庁を振り出しに各地の県庁を転々とし、鹿児島県庁勤務時に薩夫が生まれた。名前もそこから付けられた。6人兄弟の末っ子で兄弟はそれぞれ別の土地で生まれた。薩夫が2歳になる前に父が愛媛県庁に転勤し、一家は愛媛県松山市に引っ越す。この時期に長兄の友人で、のちに共産党弾圧で獄死した重松鶴之助や俳人・中村草田男らの知遇を得る。重松の勧めで通った油絵の塾の先生が伊丹万作だった。以後中学一年まで松山で育つ。1923年に旧制松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)に入学するが、父が定年となり、兄が東京大学に入学したことを機に一家は上京し、薩夫も明治中学に編入した。1929年、一年間浪人したあと第一早稲田高等学院へ入学。浪人時代より新劇に興味を持ち始め、学生時代は左翼運動に傾倒していった。1932年、早稲田大学に進学するが、軍事教練反対のための学生集会を開いたため、特高に検挙され中退を余儀なくされた。

中退後は新劇の世界に入りたかったが、当時は新劇への弾圧が厳しく、映画ならば何とか食べていけると考え、重松鶴之助から伊藤大輔を紹介してもらう。伊藤大輔からの勧めもあり、1933年に大手映画会社である松竹蒲田撮影所に入社し、成瀬巳喜男監督の助監督を務める。後に成瀬がPCL(東宝の前身)に移籍することになり、山本も成瀬から誘いもあって行動を共にした。新興映画会社だったPCLでは役者の数が非常に少ない状態で、チーフ助監督だった山本は、弾圧に苦しんでいた宇野重吉や滝沢修といった新劇俳優たちを撮影所に連れて来ては、映画に出演させる機会をできるだけ多く作っていった。

1937年、吉屋信子原作の『お嬢さん』で監督に昇進し、続いて監督した『母の曲』が記録的なヒットとなる。私生活では、学生時代より交際していた小林よ志江と結婚し、2男1女をもうける。戦時中は『翼の凱歌』『熱風』といった戦意高揚映画も監督していたが、『熱風』が完成した直後に召集令状が届き、佐倉連隊に所属し北支を転戦した。この時期、山本が映画監督であることに因縁をつけられ、のちの『真空地帯』で描かれたような上官たちからの執拗ないじめを受ける。その後は報道班に転属し、当地にて終戦を迎える。

1946年6月に復員し、9月には東宝に復帰する。当時、東宝は東宝争議第2次争議の最中であり、山本は組合側の代表格として会社側と敵対するようになる。1947年には戦後第1作目となる『戦争と平和』を監督し、映画は大変な評判を呼び、キネマ旬報ベストテンの第2位に選ばれる。一方、同じ年に山本は日本共産党に入党する。1948年、会社側が千名以上の解雇を通告したことがきっかけとなり、会社側と組合側の間に第3次争議が勃発する。撮影所に篭城した組合側を排除するために、ついにはアメリカ軍も軍事介入する事態になり、一応は山本を含めた組合指導部16名の退職で騒動は決着となった。

その後は同じく解雇された亀井文夫や伊藤武郎と共にかき氷屋を始めるが商売に失敗する。その頃、争議の解決資金として東宝より振り込まれた1500万円を元手に社会派映画『暴力の街』を監督、映画は製作費を上回る興行成績をあげた。 1950年、連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージにより、映画会社からの追放者リストに名を連ねることとなるが、 作品の成功に自信を持っていた山本は、この年、今井正、亀井文夫、伊藤武郎と独立プロダクションである新星映画社を設立。『箱根風雲録』『真空地帯』『太陽のない街』といった反骨精神旺盛かつ骨太な社会派作品を数多く世に出した。1959年には、全国の農村婦人から10円ずつカンパしてもらい、農村映画の傑作『荷車の歌』を製作し、映画は移動映写機を用意して、全国の農村で上映して回った。

『人間の壁』『武器なき斗い』『松川事件』と独立プロでの製作を続けていたが、大映の永田雅一より仕事の依頼を受け、市川雷蔵主演の時代劇『忍びの者』の監督する。当時としては忍者を初めてリアルに描いた作品として大ヒットを記録し、以降は大手映画会社での製作が中心となる。大映では『傷だらけの山河』『証人の椅子』を、東映では『にっぽん泥棒物語』を世に放ち、1965年には医学界にメスを入れた山崎豊子の問題作であり、山本の代表作となった『白い巨塔』を発表する。

1969年に長編記録映画『ベトナム』を製作した後は、日本の大陸への進出の歴史を描いた『戦争と人間』三部作を監督し、金融界の内幕を暴いた『華麗なる一族』を始めとする一連の山崎豊子作品や、構造汚職を摘発した石川達三原作の『金環蝕』、自衛隊のクーデターを描く『皇帝のいない八月』などの社会作を連続して監督した。

『あゝ野麦峠・新緑篇』を撮影した後は、仕事の合間を見ては自伝の執筆を続けていたが、1983年5月19日に入院、8月11日に膵臓癌のため死去。73歳没。墓所は川崎市春秋苑。 自伝は、山本の死後に「私の映画人生」という題名で出版された。野上弥生子の「迷路」、森村誠一の「悪魔の飽食」が次回作として予定されており、また原作の前半部分を山本が映画化した『不毛地帯』の続編(後半部分)の製作も企画されていたが、山本の急逝と共に未完となった。

社会派として反体制的な題材を扱いながらも娯楽色豊かに仕上げる手腕・バランス感覚をもった監督として、興行的にも常に成功していたため、共産党を嫌った大映の永田雅一や東宝の藤本真澄など経営者級プロデューサー達にも起用された。多くの大作を残していることから、「赤いセシル・B・デミル」と呼ばれた。戦後の日本映画独立プロ運動の中心的役割をになうと共に、またソ連や中国をはじめ各国の映画人との交流を深め、ベトナム人民支援、チリ連帯、反核活動、全国革新懇などにおける運動に献身的に参加した。

藤本真澄とは奇しくも同じ生年月日のうえ、それぞれ鹿児島県(薩摩)と山口県(長州)に少年期を送り、母校もそれぞれ早稲田と慶應義塾、東宝入り後も監督とプロデューサー、左翼系フリー監督(日本共産党員)と経営幹部(東宝副社長)という風に、対比される要素を多く持っていた。この奇縁は二人の生前から映画界では有名で、猪俣克人・田山力也共著「日本映画作家全史」(1977年現代教養文庫)などでも紹介されている。

映画会社の春闘と自身の映画の製作が重なった場合は、撮影が中断しないよう、ストライキを起こす組合と個別に交渉するなど、共産党員ではあったが、映画監督として現場重視の姿勢を見せていた。

お嬢さん(1937年、P.C.L.)

母の曲 前・後篇(1937年、東宝)

田園交響楽(1938年、東宝)

家庭日記 前・後篇(1938年、東宝)

新篇 丹下左膳 隻手篇(1939年、東宝)

美はしき出発(1939年、東宝)

街(1939年、東宝)

リボンを結ぶ夫人(1939年、東宝)

そよ風父と共に(1940年、東宝)

姉妹の約束(1940年、東宝)

歌へば天国(1941年、東宝)

翼の凱歌(1942年、東宝)

熱風(1943年、東宝)

戦争と平和(1947年、東宝)

こんな女に誰がした(1949年)

ペン偽らず 暴力の街(1950年、大映)

箱根風雲録 (1952年、新星映画=前進座)

真空地帯(1952年、新星映画

日の果て(1954年、松竹)

太陽のない街(1954年、新星映画

愛すればこそ(1955年)

市川馬五郎一座顛末記 浮草日記(1955年、俳優座)

雪崩(1956年、東映)

台風騒動記(1956年)

赤い陣羽織(1958年)

荷車の歌(1959年、全国農村映画協会、全国の農協のカンパで制作)

人間の壁(1959年、新東宝)

武器なき斗い(1960年、大東映画

松川事件(1961年、松川事件映画製作委員会)

飼育(1961年、NTV)

乳房を抱く娘たち(1962年)

忍びの者(1962年、大映)

赤い水(1963年、大映)

続・忍びの者(1963年、大映)

傷だらけの山河(1964年、大映)

にっぽん泥棒物語(1965年、東映)

証人の椅子(1965年)

スパイ(1965年)

氷点(1966年、大映)

白い巨塔(1966年、大映)

にせ刑事(1967年、大映)

座頭市牢破り(1967年、大映)

牡丹燈籠(1968年、大映)

ドレイ工場 (1968年)

ベトナム(1969年)

天狗党(1969年、大映)

戦争と人間 三部作(1970年 - 1973年、日活)

華麗なる一族(1974年、芸苑社)

金環蝕(1975年、大映)

不毛地帯(1976年、芸苑社)

天保水滸伝 大原幽学(1976年)

トンニャット・ベトナム(1977年)

皇帝のいない八月(1978年、松竹)

あゝ野麦峠(1979年、新日本映画

アッシイたちの街(1981年、大映)

あゝ野麦峠 新緑篇(1982年、東宝)

映画監督山本薩夫(映画監督山本薩夫をつくる会 1993年)

山本薩夫生誕100年(NHK 2010年8月)

映画人生">『私の映画人生』新日本出版社、1984年。 

^ 山本薩夫 - allcinema

^ #映画人生、11-12頁。

^ #映画人生、91-122頁。

^ #映画人生、18-19頁。

^ #映画人生、20-21頁。

^ #映画人生、41頁。

^ 2011.09.23 山本薩夫の「私の歴史館」

^ #映画人生、129頁。

^ #映画人生、136-50頁。

^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、37頁。ISBN 9784309225043。 

^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P223

^ 「日本ビイキの黒人スター」『芸能画報』3月号、サン出版社、1961年。 

山本薩夫 - allcinema

山本薩夫 - KINENOTE ウィキデータを編集

山本薩夫 - 日本映画データベース

Satsuo Yamamoto - IMDb(英語)

お嬢さん

母の曲 前・後篇

田園交響楽

家庭日記 前・後篇

新篇 丹下左膳 隻手篇

美はしき出発

リボンを結ぶ夫人

そよ風父と共に

姉妹の約束

歌へば天国

翼の凱歌

熱風

戦争と平和

こんな女に誰がした

ペン偽らず 暴力の街

箱根風雲録

真空地帯

日の果て

太陽のない街

愛すればこそ

市川馬五郎一座顛末記 浮草日記

雪崩

台風騒動記

赤い陣羽織

荷車の歌

人間の壁

武器なき斗い

松川事件

乳房を抱く娘たち

忍びの者

赤い水

続・忍びの者

傷だらけの山河

にっぽん泥棒物語

証人の椅子

スパイ

氷点

白い巨塔

にせ刑事

座頭市牢破り

牡丹燈籠

ドレイ工場

ベトナム

天狗党

戦争と人間 三部作

華麗なる一族

金環蝕

不毛地帯

天保水滸伝 大原幽学

トンニャット・ベトナム

皇帝のいない八月

あゝ野麦峠

アッシイたちの街

あゝ野麦峠 新緑篇

今井正(1950、1953、1956、1957)

小津安二郎(1951)

成瀬巳喜男(1952)

溝口健二(1954)

豊田四郎(1955)

田坂具隆(1958)

市川崑(1959)

市川崑(1960、1962)

伊藤大輔(1961)

今村昌平(1963)

勅使河原宏(1964)

山本薩夫(1965)

山田洋次(1966)

深作欣二(1975)

山根成之(1976)

山田洋次(1977)

野村芳太郎(1978)

今村昌平(1979)

鈴木清順(1980)

根岸吉太郎(1981)

深作欣二(1982)

森田芳光(1983)

伊丹十三(1984)

黒澤明(1985)

熊井啓(1986)

原一男(1987)

和田誠(1988)

舛田利雄(1989)

篠田正浩(1990)

北野武(1991、1996、1998)

周防正行(1992)

滝田洋二郎(1993)

神代辰巳(1994)

金子修介(1995)

原田眞人(1997)

大島渚(1999)

阪本順治(2000)

行定勲(2001)

崔洋一(2002)

森田芳光(2003)

是枝裕和(2004、2008)

佐藤純彌(2005)

西川美和(2006、2009)

周防正行(2007)

石井裕也(2010)

新藤兼人(2011)

内田けんじ(2012)

大森立嗣(2013)

呉美保(2014)

橋口亮輔(2015)

片渕須直(2016)

白石和彌(2017、2018)

真利子哲也(2019)

中野量太(2020)

西川美和(2021)

早川千絵(2022)

石井裕也(2023)

入江悠(2024)

括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)

作品賞

監督賞

主演男優賞

主演女優賞

助演男優賞

助演女優賞

新人賞

今井正(1946)

黒澤明(1947)

木下惠介(1948)

小津安二郎(1949)

吉村公三郎(1950)

成瀬巳喜男(1951)

渋谷実(1952)

今井正(1953)

木下惠介(1954)

成瀬巳喜男(1955)

今井正(1956)

今井正(1957)

木下惠介(1958)

山本薩夫(1959)

市川崑(1960)

小林正樹(1961)

市川崑(1962)

今村昌平(1963、1967)

勅使河原宏(1964)

内田吐夢(1965)

山本薩夫(1966)

岡本喜八(1968)

山田洋次(1969)

山本薩夫(1970)

篠田正浩、山田洋次(1971)

斎藤耕一(1972)

山田洋次(1973、1977)

野村芳太郎(1974)

新藤兼人(1975)

山本薩夫(1976)

野村芳太郎(1978)

長谷川和彦(1979)

黒澤明(1980、1985)

小栗康平(1981)

深作欣二(1982)

大島渚(1983)

伊丹十三(1984)

熊井啓(1986)

原一男(1987)

大林宣彦(1988)

舛田利雄(1989)

市川準(1990)

山田洋次(1991)

東陽一(1992)

市川準(1993)

神代辰巳(1994)

新藤兼人(1995)

周防正行(1996)

今村昌平(1997)

平山秀幸(1998)

森田芳光(1999)

阪本順治(2000)

宮崎駿(2001)

平山秀幸(2002)

崔洋一(2003)

黒木和雄(2004)

緒方明(2005)

根岸吉太郎(2006)

周防正行(2007)

若松孝二(2008)

園子温(2009)

三池崇史(2010)

富田克也(2011)

吉田大八(2012)

石井裕也(2013)

呉美保(2014)

塚本晋也(2015)

西川美和(2016)

富田克也(2017)

上田慎一郎(2018)

石川慶(2019)

河瀨直美(2020)

濱口竜介(2021)

三宅唱(2022)

石井裕也(2023)

三宅唱(2024)

括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)

成瀬巳喜男(1955)

今井正(1956、1957、1959)

木下惠介(1958)

市川崑(1960、1962)

羽仁進(1961)

今村昌平(1963、1968)

勅使河原宏(1964)

黒澤明(1965)

山本薩夫(1966)

小林正樹(1967)

篠田正浩(1969)

山田洋次(1970、1977)

大島渚(1971)

熊井啓(1972)

斎藤耕一(1973)

熊井啓(1974)

新藤兼人(1975)

長谷川和彦(1976)

東陽一(1978)

今村昌平(1979)

鈴木清順(1980)

小栗康平(1981)

深作欣二(1982)

森田芳光(1983、1985)

伊丹十三(1984)

熊井啓(1986)

伊丹十三(1987)

黒木和雄(1988)

今村昌平(1989)

中原俊(1990)

山田洋次(1991)

周防正行(1992)

崔洋一(1993)

原一男(1994)

新藤兼人(1995)

小栗康平(1996)

望月六郎(1997)

平山秀幸(1998)

原田眞人(1999)

阪本順治(2000)

行定勲(2001)

山田洋次(2002)

黒木和雄(2003)

崔洋一(2004)

井筒和幸(2005)

根岸吉太郎(2006)

周防正行(2007)

滝田洋二郎(2008)

木村大作(2009)

李相日(2010)

園子温(2011)

周防正行(2012)

石井裕也(2013)

呉美保(2014)

橋口亮輔(2015)

片渕須直(2016)

大林宣彦(2017)

瀬々敬久(2018)

白石和彌(2019)

大林宣彦(2020)

濱口竜介(2021)

高橋伴明(2022)

ヴィム・ヴェンダース(2023)

三宅唱(2024)

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日本の映画監督

松竹の人物

東宝の人物

日本共産党の人物

特撮スタッフ

明治大学付属明治高等学校出身の人物

早稲田大学高等学院・中学部出身の人物

愛媛県立松山東高等学校出身の人物

鹿児島県出身の人物

1910年生

1983年没

膵癌で亡くなった人物

春秋苑に埋葬されている人物

ウィキデータにあるallcinema人物識別子

2025/04/07 00:31更新

yamamoto satsuo


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玉利 かおる(たまり かおる)
1961年7月15日生まれの有名人 鹿児島出身

玉利 かおる(たまり かおる、1961年7月15日 )は日本のキャスター、フリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ、歌手。山梨県生まれ熊本県出身。血液型はAB型。カロスエンターテイメント所属。 元近…

柳川 明(やながわ あきら)
1971年7月15日生まれの有名人 鹿児島出身

柳川 明(やながわ あきら、1971年7月15日 - )は、鹿児島県出身のモーターサイクル・ロードレースライダー。1997年から2001年までスーパーバイク世界選手権に参戦。同選手権で日本人ライダーで…


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山本薩夫と近い名前の人

山本 かおり(やまもと かおり)
1987年10月6日生まれの有名人 神奈川出身

South to North Factory(2011年10月 - 2016年7月) 山本 かおり(やまもと かおり、1987年10月6日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家。めろん…

山本 薫_(アナウンサー)(やまもと かおる)
1972年4月20日生まれの有名人 福井出身

山本 薫(やまもと かおる、1972年4月20日 - )は、元テレビ東京男性アナウンサーである。 早稲田大学卒業後、テレビ東京入社。 アメリカの人気プロレス団体WWE(当時WWF)の実況中継を担当した…


山本 清治_(政治家)(やまもと せいじ)
1931年1月1日生まれの有名人 広島出身

山本 清治(やまもと せいじ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉6月28日)は、日本の政治家。広島県三原市長(2期)。 広島県出身。広島県立忠海高等学校卒業。三原市役所に入…

山本 昌邦(やまもと まさくに)
1958年4月4日生まれの有名人 静岡出身

山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サムデイ所属。 国士舘大学時代から冷静な判断と鋭いタックルが売り物のディフェンダーとし…

山本 脩斗(やまもと しゅうと)
1985年6月1日生まれの有名人 岩手出身

山本 脩斗(やまもと しゅうと、1985年6月1日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左右のサイドバック)。元日本代表。 高校時代は岩手の盛岡商業…

山本 真純(やまもと ますみ)
1976年6月11日生まれの有名人 東京出身

山本 真純(やまもと ますみ、1976年6月11日 - 2010年7月27日)は、元日本テレビアナウンサー。血液型はO型。1999年入社。 東京都杉並区出身。 豊島岡女子学園高等学校、学習院大学理学…

山本 文郎(やまもと ふみお)
1934年12月23日生まれの有名人 東京出身

山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 2014年〈平成26年〉2月26日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント。TBSアナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさ…


山本 賢太(やまもと けんた)
1998年4月11日生まれの有名人 東京出身

山本 賢太(やまもと けんた、1998年〈平成10年〉4月11日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 東京都板橋区出身。板橋区立赤塚第一中学校、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。野球歴は1…

山本 恵里伽(やまもと えりか)
1993年10月8日生まれの有名人 大分出身

山本 恵里伽(やまもと えりか、1993年10月8日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 熊本県熊本市出身。熊本市立西原中学校、熊本県立済々黌高等学校を経て、明治大学文学部文学科演劇学専攻に進学…

山本 匠晃(やまもと たかあき)
1984年6月13日生まれの有名人 愛知出身

山本 匠晃(やまもと たかあき、1984年6月13日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校、横浜国立大学卒業後、2008年アナウンサーとしてTBSテレビに入…

山本 雪乃(やまもと ゆきの)
1991年12月22日生まれの有名人 岡山出身

山本 雪乃(やまもと ゆきの、1991年12月22日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 岡山県岡山市出身。 朝日塾幼稚園・小学校、岡山白陵中学校・高等学校、早稲田大学文学部教育学コース卒業。 …

山本 紘之(やまもと ひろゆき)
1988年8月9日生まれの有名人 千葉出身

山本 紘之(やまもと ひろゆき、1988年8月9日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 中学1年からサッカーを始め、柏レイソルのユースに所属(高校3年の時の2年後輩に、のちにサッカー日本代表となる…


山本 志保(やまもと しほ)
1968年9月9日生まれの有名人 東京出身

山本 志保(やまもと しほ、1968年9月9日 - )は、NHKのアナウンサー。 1991年入局。津田塾大在学中『週刊朝日』の表紙(篠山紀信の「女子大生シリーズ」、1989年9月15日号)に登場した…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「山本薩夫」を素材として二次利用しています。

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