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本屋敷錦吾の情報 (もとやしききんご)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

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本屋敷 錦吾さんについて調べます

■名前・氏名
本屋敷 錦吾
(読み:もとやしき きんご)
■職業
野球選手
■本屋敷錦吾の誕生日・生年月日
1935年10月31日 (年齢89歳)
亥年(いのしし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和10年)1935年生まれの人の年齢早見表

本屋敷錦吾と同じ1935年生まれの有名人・芸能人

本屋敷錦吾と同じ10月31日生まれの有名人・芸能人

本屋敷錦吾と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


本屋敷錦吾と関係のある人

興津立雄: 1957年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で杉浦忠、長嶋茂雄、本屋敷錦吾らの立大に0-5で敗れ、準優勝に終わる。


片岡宏雄: 1年先輩で「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠、長嶋茂雄、本屋敷錦吾らとともに活躍し、特に杉浦の女房役としても有名だった。


皆川睦男: 同期入団には野村克也・宅和本司がおり、進学を断念した立教には「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠・長嶋茂雄・本屋敷錦吾が入学している。


大沢啓二: 大学同期に保坂幸永、古田昌幸、1年下に東実、堀本律雄、矢頭高雄、2年下には後に「立教三羽烏」と呼ばれる長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾がいた。


安藤統男: 1969年には本屋敷錦吾から正二塁手の座を奪い二番打者として活躍。


稲川誠: 高校卒業後は1956年に立教大学へ進学し、「立教三羽烏」といわれた杉浦忠・長嶋茂雄・本屋敷錦吾の2年後輩となる。


長嶋茂雄: フェンス直撃を含む3本の安打を打ち(杉浦忠からも安打)、参加者80人中20人が甲子園出場組という中で推薦順位2位で合格し(1位は本屋敷錦吾、3位は杉浦)、砂押にも認められた。


古田昌幸: 大学同期に保坂幸永、大沢昌芳、1年下に東実、堀本律雄、矢頭高雄、2年下には後に「立教三羽烏」と呼ばれる長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾がいた。


森徹: 4年次の1957年には木村の卒業も影響し、長嶋茂雄・杉浦忠・本屋敷錦吾ら「立教三羽ガラス」を擁する立大に圧倒されて春秋季連続優勝を許す。


東実: 大学同期に矢頭高雄・堀本律雄、1年下に長嶋茂雄・本屋敷錦吾・杉浦忠らがいる。


みのもんた: 世田谷区立祖師谷小学校、立教中学校(現:立教池袋中学校 進学の理由は当時立教大学硬式野球部で活躍していた長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾の「立教三羽烏」への憧れから)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒業。


皆川睦雄: 同期入団には野村克也・宅和本司がおり、進学を断念した立教には「立教三羽ガラス」と呼ばれた杉浦忠・長嶋茂雄・本屋敷錦吾が入学している。


河野旭輝: 1958年に本屋敷錦吾の入団で三塁手に回るも、人見武雄との競争に敗れ行き場を失うが、1959年には中堅手にコンバートされ復活した。


種茂雅之: 高校卒業後は1956年に立教大学へ進学し、杉浦忠・本屋敷錦吾・長嶋茂雄・稲川誠の2学年下で入部。


鎌田実: 1964年には移籍入団の本屋敷錦吾にポジションを譲るが、その後も準レギュラーとして活躍。


植村義信: 杉谷和男(大映)の1学年下、本屋敷錦吾(阪急・阪神)の1学年上で、2年次の1951年夏から3回連続で甲子園に出場。


杉浦忠: 立教大学進学後は同期の長嶋茂雄・本屋敷錦吾と3人で「立教三羽ガラス」と呼ばれた。


拝藤宣雄: 他の大学同期に長嶋茂雄、本屋敷錦吾がいた。


長嶋茂雄: 砂押の退任後、長嶋は辻猛の下で同期の杉浦忠投手、主将を務めた本屋敷錦吾内野手(阪急ブレーブス、阪神)と共に「立教三羽烏」と呼ばれ、東京六大学野球において、1956年の春季リーグ戦と1957年の秋季リーグ戦で首位打者を獲得する活躍を見せた。


青野修三: 同期の丸山完二・寺本勇と共に長嶋茂雄・本屋敷錦吾卒業後のチームを引っ張り、4年次の1961年春季リーグでベストナイン(二塁手)を受賞。


岡本凱孝: 当時は長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾、森滝義巳らが相次いで卒業した後で、戦力が次第に低下しており、東京六大学野球リーグでは、在学中の優勝は1年次の秋季リーグのみであった。


村山実: しかし、同年の第7回全日本大学野球選手権大会は、前年1957年の第6回全日本大学野球選手権大会で、長嶋茂雄・本屋敷錦吾・杉浦忠ら「立教3羽烏」 が最上級生にいた立大に準決勝で3-5で敗れたのに引き続き、またしても準決勝で因縁の相手立大に4-9で敗退した。


本屋敷錦吾の情報まとめ

もしもしロボ

本屋敷 錦吾(もとやしき きんご)さんの誕生日は1935年10月31日です。兵庫出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、引退、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。本屋敷錦吾の現在の年齢は89歳のようです。

本屋敷錦吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 - )は、兵庫県神戸市東灘区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。現在は芦屋市在住。

芦屋高校では在学中に甲子園に3回、国体に3回出場。1年時はベンチ外だったが、チームが出場した1951年夏の選手権では、1年先輩のエース植村義信を擁し準々決勝に進出するも、中西太のいた高松一高に敗退。秋の広島国体では決勝に進むが、広島観音高に敗退。2年上のチームメートに杉谷和男中堅手(のち大映)がいる。二塁手として出場した翌1952年春の選抜では、2回戦で平安高に敗れる。同年夏の選手権は順調に勝ち進み、決勝でエース木村保を擁する八尾高を降し初優勝を飾る。秋の東北3県国体にも出場。決勝に進むが盛岡商に敗れ、2年連続準優勝に終わる。同年秋季近畿大会県予選決勝では洲本高の北口勝啓(明電舎)・加藤昌利のバッテリーに完封を喫する。洲本高は翌年春の選抜で優勝。1953年夏の選手権は遊撃手として出場。2回戦(初戦)で御所実高に延長10回の熱戦の末0-1xで敗退した。秋の徳島国体では1回戦で土佐高に敗退。

高校卒業後は立教大学経済学部経営学科に進学。野球部では遊撃手として活躍し、東京六大学野球リーグで1957年春季・秋季連続優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で興津達雄らのいた専大を降し優勝。主将を務め、同期の長嶋茂雄(のち巨人)、杉浦忠(のち南海)と三人で「立教三羽烏」と呼ばれ、人気を博した。リーグ通算75試合出場、265打数64安打、打率.242、0本塁打、18打点。ベストナイン(遊撃手)に3回選出されている。  

1958年、阪急ブレーブスに入団(同期に呉山義雄、矢形勝洋(後に球団常務)など)。1年目から遊撃手、二番打者に定着し打率.260(リーグ12位)、33盗塁の記録を残す。その後も俊足好打の内野手として活躍し、1960年にはオールスターゲームにも出場した。しかし1962年から打撃が低迷、1964年には阪神タイガースへ移籍する。

同年は鎌田実に代わり開幕から二塁手として起用され、規定打席(29位、打率.221)にも到達。8月19日には国鉄スワローズの金田正一から2打席連続本塁打を放っている。同年のリーグ優勝に貢献、南海ホークスとの日本シリーズでは5試合に二塁手、二番打者として先発するが、19打数3安打とあまり活躍の場はなかった。その後は鎌田実と併用され、1966年からは出場機会が減少、1969年限りで現役を引退した。

1962年の大毎オリオンズとの対戦では6月13日に那覇奥武山野球場で行われ日没サスペンデッドゲームになった試合の続行試合(7月7日・西宮)でサヨナラ本塁打を打ち、18分で終わった試合に次いで行われた試合でもサヨナラ本塁打を放った(ただし、公式記録上2試合連続とはならない)。通算13本塁打と長打力に欠けたが、前述のように印象的な本塁打が目立った。 

引退後、1970年からは阪神の一軍コーチを務めたが、翌1971年に途中休養。1972年からは阪急の一軍守備・走塁コーチに就任し、1973年退任。1974年~1975年まで毎日放送(キー局は当初はNETテレビ系、1975年以降はTBS系)の解説者を務めた。1975年には全大丸の臨時コーチ。

1976年からは実業家に転身し、「モト&アイコー」という商社を設立。社長に就任。

1988年10月から1989年3月にかけ放送されたNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に野球技術指導として参加した。なお、第54話においては主人公の弟が通う中学校の野球部監督の役でドラマ出演している。

各年度の太字はリーグ最高

1000試合出場:1966年10月8日 ※史上120人目

連続試合三塁打:3 (1958年7月19日 - 20日) ※パ・リーグ記録

オールスターゲーム出場:2回 (1960年、1965年)

17 (1958年 - 1963年)

2 (1964年 - 1969年)

63 (1970年、1972年 - 1973年)

73 (1971年)

^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

毎日放送ダイナミックナイター - MBSラジオ

スーパーベースボール - 毎日放送・テレビ朝日(当時NETテレビ)系列のプロ野球中継の現行タイトル。

侍プロ野球 - 毎日放送・TBS系列のプロ野球中継の現行タイトル。

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