村上正邦の情報(むらかみまさくに) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
村上 正邦さんについて調べます
■名前・氏名 |
村上正邦と関係のある人
山東昭子: なお、参議院議員としての派閥領袖は村上正邦(政策科学研究所及び志帥会)に次いで2人目である。 森喜朗: 村上正邦は週刊ポスト2018年8月17・24日号の政治記者・評論家・学者52人実名アンケート「戦後歴代最低の総理大臣」に森の名を挙げ「総理に推したのは大間違いだった。 横山フク: 村上正邦 亀井静香: 1986年7月、中曽根康弘首相の靖国神社参拝中止や第二次歴史教科書問題などに反発し、村上正邦や古賀誠らと共に保守系の政策集団である「国家基本問題同志会」を結成して座長に就任。 矢追秀彦: 村上正邦 野田哲: 村上正邦 小山孝雄: 1980年に生長の家を退職し、自由民主党参議院議員村上正邦の政策担当公設秘書を務める。 野中広務: 2000年に小渕首相が倒れると、森喜朗自民党幹事長、青木幹雄官房長官、村上正邦参院議員会長、亀井静香政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。 山本峯章: 村上正邦と協力関係にある。 渋谷邦彦: 村上正邦 中尾辰義: 村上正邦 中曽根康弘: 1999年(平成11年) - 江藤隆美・中尾栄一・与謝野馨・村上正邦・佐藤静雄らで構成する中曽根派と亀井静香率いる亀井グループが合併し「志帥会」を結成。 斎藤栄三郎: 村上正邦 野中広務: 2013年6月には、亀井靜香、村上正邦の呼びかけに呼応し、石原慎太郎、桜井新、島村宜伸、仙谷由人、平野貞夫、村山富市、矢野絢也らと円卓会議の創立に参加した。 松嶋喜作: 村上正邦 鶴園哲夫: 村上正邦 北村暢: 村上正邦 峯山昭範: 村上正邦 山本峯章: 『「情」の国家論』村上正邦・佐藤優共著 光人社 2008 伊江朝雄: 村上正邦 鹿島俊雄: 村上正邦 小山孝雄: ^ 『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』講談社、2007年。 福間知之: 村上正邦 小泉純一郎: 1997年(平成9年)、厚生大臣時代に厚生省幹部と参議院厚生委員会理事と食事を取っていたが、村上正邦自由民主党参議院幹事長が円滑な参議院審議を求める参議院理事のスケジュール管理の立場から、村上への事前通告がなく参議院理事を動かしたことで参議院スケジュール管理に支障を来たしたことを理由に反発した。 鈴木和美: 村上正邦 山岡荘八: 日本を守る会の事務局を担っていた村上正邦は式典にあわせて奉祝パレードを行うことを計画。 寺尾豊: 村上正邦 板垣正: 村上正邦 高橋衛: 村上正邦 関口恵造: 村上正邦 |
村上正邦の情報まとめ
村上 正邦(むらかみ まさくに)さんの誕生日は1932年8月21日です。福岡出身の政治家のようです。
解散、卒業、結婚、退社、脱退、事件、テレビ、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2020年に亡くなられているようです。
村上正邦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。 福岡県嘉穂郡出身。参議院議員(4期)、労働大臣、志帥会会長(初代)を歴任した。在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「タカ派」「参院のドン」と呼ばれていた。 1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。 父・要蔵、母・タネヨの次男。両親とも愛媛県西条市の出身であった。のちに地元の支持者が調べたところによると、先祖は西条藩に仕えた村上四郎左衛門忠朝という人物で、さらにさかのぼると村上水軍に発しているという。 父・要蔵は遊び好きで財産を失い、故郷を追われるようにして筑豊炭田に移る。父は「先き山(リーダー)、母は「後ろ向き」(助手)として炭鉱労働に従事した。そうした中、炭鉱住宅で正邦が生まれる。しかし要蔵の遊び癖は変わらず、夜逃げなどで筑豊炭田のあちこちを転々として過ごす。 戦後、田川郡添田町の三崎炭鉱の炭住から川崎町の定時制高校に通いながら、昼間は三崎炭鉱労働組合の事務所で給仕として働いた。組合長の山本文男(のちの添田町長、全国町村会会長)の引きで測量課の職員として、三崎炭鉱の正式社員となる。一方、組合運動も続け、代議員も勤める。1951年(昭和26年)には組合の御用化に憤慨して書記長選挙に立候補するが、落選する。 そうした中、定時制高校の恩師の勧めで、1952年(昭和27年)拓殖大学政経学部の補欠試験を受け、入学。 拓大時代は先輩の坂田清の影響で民族派の政治運動に熱中した。当時、拓殖大学はGHQに「軍国主義の手先として侵略に奉仕した」とされ、解散は免れたものの校名を「紅陵大学」と改称されていた。村上らは全校学生の署名を集め、総長と交渉するなどして、元の拓殖大学に校名を戻すことに成功し、「拓大に村上あり」と知られるようになる。一方、応援団に所属した。 卒業後は新聞記者を目指したが、希望は叶えられなかった。ブラジルに行くことを目指して、同地に合弁会社のある東洋紡の門を叩くが、採用は終わっており、子会社の東洋紡レスポワールに入社。営業部に配属され、洋服、シャツ、婦人物生地などの販売に従事。応援団のバンカラ気質とあまりに違った世界に戸惑うが、派手な売れ残りの生地を赤線業者に売りさばくなど、業績を上げる。 1959年(昭和34年)、三崎炭鉱時代に知り合った故郷出身の女性と結婚する。 1960年(昭和35年)、東洋紡とブラジルの合弁会社が倒産したのを機にレスポワールを退社する。当時から同級生のつてで村上は国会の議員会館に出入りしていた。和歌山県選出の早川崇衆議院議員を介して、和歌山県から出てきていた玉置和郎と知り合う。当時、玉置は自民党青年部の嘱託であった。 当時は玉置も村上も後の支持基盤である宗教法人生長の家とは無関係であった。 国会議員志望の玉置と村上は意気投合し、共同で下水道事業を行う。当時、宗教団体の中で政治に熱心で、候補者を持っていなかったのが生長の家だった。早川崇は三木武夫の紹介状を持たせ、玉置と村上を生長の家総裁・谷口雅春と初めて会わせる。 「そのときにはもう私は、嘘はいっぺんに見抜かれるという感じがしましたよ。何しろ票ほしさに会いに行っているんだからね。谷口先生にじっと顔を見られるとウッという感じがしてね。(笑)」 玉置はこれを機に生長の家の幹部錬成を受ける。玉置は愛国者として谷口に支持され、自民党公認、生長の家の推薦候補として、1957年(昭和32年)参議院全国区に出馬する。しかし、信徒からは「票目当ての偽物」と見られ、70万あると言われた生長の家の票のうち30万しか得られず、落選する。 玉置と村上共同の下水道事業も落選後、倒産し、二人は辛酸を舐める。票欲しさの下心を信徒に見透かされていると覚った玉置はますます真剣に生長の家の教えを学ぶようになり、その玉置から「俺と一緒になって生長の家に入ってくれ。でなきゃ、俺は本物になれない」と懇願された村上も1962年(昭和37年)、錬成を受ける。村上は憎んでいた遊び人の父に感謝する心境になり、人生観が変わる。村上は生長の家の誌友(信徒)となる。 1964年(昭和39年)に生長の家政治連合(生政連)が発足し、村上はその国民運動本部長となる。また、「日本を守る会」の国事対策局長に就任する。当時、生長の家は靖国神社へのスタンスの違いにより、新日本宗教団体連合会(新宗連)を脱退していた。 そうした中、1965年(昭和40年)、玉置和郎は参議院全国区に立候補し、85万票を得て当選した。 村上は玉置の秘書となる。昭和46年、玉置の二度目の当選の後、村上は教団に戻り、生政連の仕事とともに、谷口雅春の巡錫に随行する。 1974年(昭和49年)、村上は参議院議員全国区に初めて立候補する。しかし55万票で次々点で落選。企業丸抱え選挙や、タレント議員の登場で当選ラインが上がったのが敗因だった。 この選挙中、当時内閣総理大臣であった田中角栄から直接電話があり、「村上君、お前な、一万五千足りねぇよ」と言って自ら選挙カーに乗ると申し出たが、村上は福田赳夫派の候補だったので、義理立てして断った。落選後、留守宅にまた電話があり、妻に「お前のオヤジは頑固でいかん。俺があれだけ一万五千足りないと言って、俺のところへ来いといったのに、あいつは来ない。これから、あんたもいろいろ大変だろう。何かあったら、あんたが俺のところに来い」と言った。妻は感激して泣いていた。 元号法は1979年(昭和54年)成立した。 元号法制化のために結集した元号法制化実現国民会議を解散するのはもったいないということで、「日本を守る国民会議」が結成される。事務局は明治神宮関係者と生長の家関係者で「日本を守る会」と共通していた。 一方、玉置は1977年(昭和52年)、議員集団宗教政治研究会(宗政研)を創設、村上は事務局長になる。 1980年(昭和55年)、第12回参議院選挙全国区で村上は生長の家唯一の推薦候補として立候補し、110万票を得て初当選する。村上は以後、参議院に4期当選。当選後、福田派入りを希望するが、自分の派閥を持とうとする玉置と板ばさみになり、結局、無派閥で活動することになる。 その後、教団の要請により、優生保護法改正に取り組むが、党内がまとまらず、頓挫する。この件が生長の家の政治離れを招く。 埼玉県志木市に在住していたことから自由民主党埼玉県連合会に所属。一時は埼玉県選挙区からの立候補や埼玉県からの衆議院議員転身も取り沙汰された。 比較的ハト派が多かった当時の参議院自民党の中にあって、「タカ派の武闘派」として頭角を現す。1981年に設立されたみんなで靖国神社に参拝する国会議員の会では初代事務局長を務めた。1982年、玉置が青嵐会に参加していたことが縁で、自由民主党総裁選挙において中川一郎を出馬させるべく参議院での推薦人集めに奔走して、総裁選に立候補をさせる。しかし、惨敗。 1983年(昭和58年)1月9日、中川は自殺。生長の家の二代目総裁、谷口清超の仲介で中曽根派に入る。参議院での中曽根派の勢力拡大に力を発揮。1986年、総理大臣中曽根が自らの政治生命をかけた死んだふり解散による衆参ダブル選挙では自民党全国組織副委員長として、中曽根の全国遊説すべてに同行し、首相演説の前座を務めた。玉置の死後、参議院自民党国会対策委員長に就任してから日本社会党・民社党などの野党議員にも人脈を広げ、自身の影響力を参議院全体に拡大した。 1983年、生長の家は参議院の比例区導入、優生保護法改正の頓挫により、政治運動から手を引く。玉置和郎は早川崇の後継として衆議院に鞍替えするが、直腸癌で死去。 村上は豊明会中小企業政治連盟(豊政連、KSD中小企業経営者福祉事業団(理事長古関忠男)関連の政治団体)を支持母体とした。 1991年4月、中小企業経営問題議員連盟(豊明議連)が発足、同議連の幹事長に就任。のち会長となる。更にKSDによる「国際技能工芸大学」(ものつくり大学)設立構想を支援する「国際技能工芸大学設立推進議員連盟(KGS議連)」会長にも就任。 村上は1992年(平成4年)の暮れ、宮澤改造内閣で労働大臣として初入閣する。この時、閣僚の参議院枠は二つあり、井上孝と村上が入閣候補に挙がっていた。村上は派閥の長であった中曽根康弘に防衛庁長官を希望した(村上は中曽根内閣で防衛政務次官を務めた)。 しかし参議院議員会長だった斎藤十朗から労働大臣という話を聞き、村上は一旦断る。中曽根も村上に労働大臣を勧め、総理大臣宮澤喜一が「生活大国」の一環として労働時間の短縮を目指しており、村上の国対経験を生かして欲しいと説得される。宮沢、斎藤十朗からも説得され、労働大臣を受け入れる。この時、内閣官房長官だった河野洋平は、 「村上先生、先生が防衛庁長官になったら、総理はおちおち外遊できないと言ってるんです。あなたは総理が留守の間にクーデターをやりかねないって」と冗談を言った 。 しかし、「国対のプロ」を自任する村上は、党内の反対派を説得し、「タカ派の村上がここまでするか」と協力を引き出した。 1994年、自社さ連立政権の村山内閣が成立する。翌1995年3月、村上は自民党参議院幹事長に就任する。この政権は政策の違いの大きなガラス細工のような政権だった。社会党はすでに、安保や自衛隊で妥協し、戦後50年の不戦決議は至上命題であった。自民党にとってもこれは連立に当たっての合意事項だった。自民党は決議推進派と慎重派に割れていた。民間では「日本を守る会」「日本を守る国民会議」(のちの日本会議)が戦争謝罪決議の反対署名を集めていた。村上以外の党五役はいずれも決議に賛成であった。村上は一人反対しており、加藤紘一政調会長らが妥協案を模索していた。 6月6日の夜、村上の参議院幹事長室には椛島有三や大原康男國學院大學教授ら、民族派幹部約50人が応接間を占領していた。加藤らの示す妥協案を村上が民族派グループに示し、それが拒否されると村上が加藤らに伝えるという繰り返しだった。 「国会の真ん中に通路があるでしょ。左側が参議院。右側が衆議院。その一番はしっこに、衆院の自民党役員室がある。あの日、19時ごろから会議が始まったんだ。主にやりあったのは、加藤紘一、野中広務。それから古賀(誠)さんもいた。あと、森喜朗ね。ずらっと衆院の自民党の連中がいる。で、僕は最初から『そんな謝罪はダメだ』『そんな文案じゃだめだ』と反対意見を言いつづけた。」。 加藤らが最終的に示した案は「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし」という文言を挿入し、その上で「我が国が過去に行った行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」というものであった。村上は、これなら日本が「植民地支配や侵略的行為」をしたことを認めたことにはならないと判断し、森幹事長、加藤政調会長に受け入れる意を伝えた。散会した後、決議を成文化したペーパーを受け取り、幹事長室に陣取る民族派グループに見せると、皆が「おかしいじゃないか」という。文面は次のようになっていた。 「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」となっていた。 ペーパーにはいつの間にか「こうした」という言葉が挿入され、日本が侵略戦争をしたことを認める文面になっていた。これに椛島らのグループは激怒し、幹事長室は大騒ぎになった。村上は衆議院の議決は仕方がないが、参議院は議決しないと約束して、その場を収めた。村上は約束を守り、この決議案は参議院では決議されなかった。 後日、村上は菅野完のインタビューに答えて次のように語っている。「村山富市さんによく言うんだよ。俺が50年決議を通さなかったから、あんたは村山談話を出した。その村山談話がこんなに話題になるんだから、あんたは俺に感謝しなきゃいけないと。そしたら村山さんも『そうだよなぁ』というんだ」。 1997年、当時の小泉純一郎厚生大臣と厚生省幹部が村上の知らないところで参議院厚生委員会理事と食事を取っていたことに反発。円滑な参議院審議を求める参議院理事のスケジュール管理の立場から、村上への事前通告もなく参議院理事を動かしたことで参議院スケジュール管理に支障を来たしたとして、参議院厚生委員長に対して議事権発動を促し、厚生省幹部の出席を差し止めにした。加藤紘一幹事長ら党執行部はこの事態を打開するために村上を参議院幹事長から更迭しようとするが、村上は参議院の独自性を盾に抵抗。村上更迭という強行案には、党内連立反対派らの反発を党執行部が恐れ、野中広務幹事長代理から「あなたは実質的に参議院を支配しようとしている。まさか天下を取るつもりじゃないだろうね」と言われるほどであった。党執行部は小泉厚相に対して村上参院幹事長に全面謝罪させることを提案。小泉が村上に謝罪したことで丸く納まった(この事件が2001年に小泉が首相になった時、トップダウン方針と言われながらも参議院の実力者である青木幹雄に一定の配慮を示す原因になったと言われている)。 1998年、参議院選挙を取り仕切り、このとき野中広務と公認問題をめぐり対立。選挙で自民党は惨敗し、参院幹事長を辞任。青木幹雄が後を継ぐ。 1998年12月、山崎拓グループ(山崎派)の派閥離脱を受け、旧渡辺派(政策科学研究所)会長を受け継いで村上派に移行。自民党参議院議員の派閥領袖は史上初であり、後を含めても村上と山東昭子(番町政策研究所)の2人だけである。その後、派内の路線対立により清和会(三塚派)から離脱していた亀井静香グループと合流し、1999年3月18日に志帥会(村上・亀井派)を結成した。同派最高顧問の中曽根康弘の後押しもあり、初代会長を務める。同年7月、派閥会長の職を退いて自民党参議院議員会長に就任し、「参議院の法王」「参議院の尊師」「村上天皇」と異名を取るほど「参院のドン」として影響力を発揮する。 1999年8月、長年の懸案だった国旗国歌法で、小渕恵三が全体の参議院審議の良好な雰囲気作りや中間政党であった公明党対策などの助言をし、成立にこぎつけた。 1999年11月12日、当時の天皇明仁の即位10周年にあたり国立劇場で行われた政府主催「天皇陛下御在位10年記念式典」の後、同日午後から皇居外苑において開催された「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の主催者「天皇陛下御即位10年奉祝委員会」(稲葉興作会長。委員に森喜朗ほか)の委員となり祭典の運営に当たる。同祭典の第2部「祝賀式典」において奉祝委員会委員を代表して祝辞を述べた。 2000年4月、村上は、小渕恵三首相危篤の際には、当時、次期総裁の最有力候補と目されていた加藤紘一・山崎拓を差し置く形で五人組と呼ばれる密室談合政治を展開した。メンバーは他に森喜朗幹事長、青木幹雄内閣官房長官、野中広務幹事長代理、亀井静香政務調査会会長だった。 会談中、「あんたがやればいいじゃないか」との村上の発言により、後継総理・総裁に森喜朗が就任することが決まった。池田行彦総務会長は党三役で唯一欠席した。当時池田は体調不良であったが、五人組に池田が加わらなかったのは、池田が加藤紘一の側近だったことも影響したと思われる。 後に村上は週刊ポスト2018年8月17・24日号の政治記者・評論家・学者52人実名アンケート「戦後歴代最低の総理大臣」の中で森の名を挙げ「総理に推したのは大間違いだった。神の国発言など空気が読めないし、辞めた後も恥知らずに大きな顔で五輪組織委員会会長をやっている」と述べている。 2000年10月、KSD(現・あんしん財団)の不正経理疑惑が発生(KSD事件)。翌2001年1月、村上の側近だった自民党参議院議員小山孝雄(村上の元政策担当公設秘書、生長の家出身)が逮捕され、村上の周囲にも疑惑が広がる中、自民党参議院議員会長を辞任。同年2月、KSD事件で賄賂を受け取ったと報道される。2月28日に証人喚問された際、訴追の恐れを理由にいくつかの質問に対して証言拒否をした。世間の混乱を招いたとして、自民党を離党し、議員辞職した。3月1日に受託収賄の容疑で逮捕された。 2003年5月20日、東京地方裁判所で懲役2年2ヶ月、追徴金約7288万円の実刑判決を受ける。2005年12月19日、東京高等裁判所でも一審判決と同じく懲役2年2ヶ月、追徴金約7280万円の実刑判決を受ける。2008年3月27日、上告が棄却され、実刑が確定。その後、異議申し立ても4月14日に却下され、5月15日、東京高等検察庁により東京拘置所に収監された。6月10日に栃木県にある「喜連川社会復帰促進センター」に移され、2009年10月28日に仮釈放され、2010年5月5日に刑期満了となった。 1997年の厚生省理事問題もあったことで郵政民営化を始めとする小泉の政策や政治手法に対しては批判的で、2005年の郵政国会の際、参議院本会議で反対票が上回った理由に村上の影響力があったとされる。2011年6月には全自民党参議院議員に「党議拘束に縛られず、良心に従って政治意思を表明すべきだ」などと訴える文書を配布。また総務大臣政務官に就任した浜田和幸の自民党離党(離党届は受理されず除名処分)などは亀井静香国民新党代表らと組んで参議院自民党議員の与党引き抜き工作の黒幕と目された。2015年3月11日、さとやま・草莽の会の結成に参画した。 2020年9月10日4時30分、埼玉県朝霞市内の病院で死去。88歳没。 亀井静香から「2,000メートルの地下から這い上がった男」と呼ばれた。 ニュース番組のインタビュー取材等の形でテレビにも出演している。2006年4月30日、テレビ朝日系列のニュース番組「スーパーJチャンネル」に出演。堀江貴文保釈のニュースの中で、同様に逮捕・東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。 左派論壇誌の『世界』誌上で魚住昭のインタビューを複数回受け、連載。この連載は2007年10月、村上正邦/述・魚住昭/著『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(講談社、ISBN 9784062143332)として刊行。 宮崎学のWebマガジン『直言』にも登場。 2007年5月、元参議院議員の平野貞夫・筆坂秀世と共に幻冬舎から『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書041・ISBN 9784344980402)を上梓。同年7月の第21回参議院議員通常選挙の結果を受け、11月には再び平野・筆坂とともに『自民党はなぜ潰れないのか 激動する政治の読み方』(幻冬舎新書066・ISBN 9784344980655)を刊行した。両書とも「政界・三浪人の鼎談本」と銘打っている。 政界引退後も永田町に事務所を構え、晩年まで「日本の司法を考える会」を開催するなど、政治活動再開への意欲も見せた。 早くから人工妊娠中絶には批判的であり、議員を退いた後も中絶違法化を訴えた。 「生長の家政治連合」の出身で、日本会議の結成に関わったとされる。日本会議の設立のきっかけは創価学会を母体とする公明党の政権入りだったとしている。 作家の佐藤優が東京拘置所に勾留中、2週間毎日1個ずつリンゴを差し入れる。この意味は、拘置所内ではバナナやミカンは自費で購入できるが、リンゴは手に入らない。つまり、外部から村上は佐藤に「応援しているから頑張れ」というメッセージを送っていたことになる。 『政治にスジを通す』日本教文社、1973年9月25日。NDLJP:11925338。 『混迷の東欧を探る』 読売新聞社 1991年6月 『汗にむくいる 徳おこし労相奮戦記 ちょっとガラッパチですが』 労務行政研究所 1994年7月 ISBN 4845240742 『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(村上正邦述/魚住昭著) 講談社、2007年10月 ISBN 9784062143332 『参議院なんかいらない』(平野貞夫/筆坂秀世との共著、幻冬舎新書041:幻冬舎)2007年5月 ISBN 9784344980402 『自民党はなぜ潰れないのか 激動する政治の読み方』(平野貞夫/筆坂秀世との共著、幻冬舎新書066:幻冬舎) 2007年11月 ISBN 9784344980655 『大和ごころ入門 日本の善によって現代の悪を斬る』(佐藤優との共著) 扶桑社、2008年4月 ISBN 4594055842 『「情」の国家論』 (山本峯章/佐藤優との共著) 光人社、2008年11月 ISBN 4769814097 『政治家の「あるべきようは」 ―日本を洗濯致し候』文芸社、2012年11月 ISBN 4286133761 『だから政治家は嫌われる』小学館、2014年2月 ISBN 4093798524 『日本会議をめぐる四つの対話』 (菅野完/魚住昭/白井聡/横山孝平との共著) ケイアンドケイプレス 2016年12月 ISBN 4906674682 ^ 吉井理記 (2022年11月14日). “14色のペン 村上正邦さんと「生長の家」”. 毎日新聞. 2023年12月7日閲覧。 ^ [1]産経新聞 ^ “村山談話、削られなかった“4文字”の文言 元「参院のドン」村上正邦氏が激白”. 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2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。 表 話 編 歴 櫻内辰郎 木内四郎 小串清一 平沼彌太郎 中川以良 大矢半次郎 西郷吉之助 青木一男 岡崎真一 廣瀬久忠 豊田雅孝 河野謙三 前田久吉 加藤正人 杉山昌作 大竹平八郎 棚橋小虎 永末英一 佐野廣 新谷寅三郎 村松久義 西田信一 徳永正利 竹中恒夫 青柳秀夫 丸茂重貞 栗原祐幸 柴田栄 前田佳都男 藤田正明 土屋義彦 檜垣徳太郎 岩動道行 安田隆明 嶋崎均 坂野重信 世耕政隆 中村太郎 河本嘉久蔵 戸塚進也 伊江朝雄 藤井裕久 山本富雄 井上裕 村上正邦 梶原清 藤井孝男 大河原太一郎 竹山裕 野末陳平 上杉光弘 西田吉宏 片山虎之助 松浦孝治 石川弘 廃止 表 話 編 歴 星一↓ 柳川宗左衛門† 早川慎一 松本治一郎† 高橋龍太郎 田中耕太郎↓ 梅原真隆 佐々木良作 山本勇造 尾崎行輝 堀越儀郎 柏木庫治 伊藤保平 西園寺公一 岡部常 膳桂之助† 西田天香 赤松常子 岩間正男 徳川宗敬 和田博雄↓ 鈴木清一 広瀬与兵衛 宮城タマヨ 大野幸一 楠見義男 東浦庄治↓ 奥むめお 原虎一 高瀬荘太郎 木下辰雄 金子洋文 青山正一 高良とみ 河崎なつ 岡田宗司 木内キヤウ 大隈信幸↓ 慶松勝左衛門† 稲垣平太郎 水橋藤作 高田寛 兼岩伝一 中村正雄 鈴木直人↓ 荒井八郎↓ 岡村文四郎 鬼丸義斎 井上なつゑ 小泉秀吉 岡本愛祐 川上嘉 中山寿彦 中川以良 丹羽五郎 羽仁五郎 寺尾豊 下条康麿 河野正夫 佐々弘雄↓ 重宗雄三 宿谷栄一 市来乙彦 安部定 大西十寸男↓ 藤井新一 水久保甚作 鎌田逸郎 中野重治 安達良助 堀真琴 松野喜内 木村禧八郎 寺尾博 穂積真六郎 矢野酉雄 藤井丙午 飯田精太郎 小川友三↓ 小野光洋 塚本重蔵 松井道夫 吉松喬† 星野芳樹 北條秀一 三島通陽 小林勝馬 中西功↓ 来馬琢道 新谷寅三郎 松嶋喜作 内村清次 大山安 浅岡信夫 江熊哲翁 松村真一郎 伊東隆治 細川嘉六 小杉イ子 仲子隆 国井淳一↑ 山川良一 高木正夫 加藤正人 杉山昌作 岩沢忠恭 加藤シヅエ 泉山三六 荒木正三郎 大谷瑩潤 長島銀蔵 菊川孝夫 三浦辰雄 常岡一郎 野田卯一↓ 高橋道男 瀧井治三郎 岡田信次 一松定吉 野溝勝 内村清次 平井太郎 藤原道子 栗山良夫 溝口三郎 石川清一 愛知揆一↓ 上条愛一 小笠原二三男 松原一彦 小酒井義男 片柳真吉 宮本邦彦 重宗雄三 堀木鎌三 高田なほ子 羽仁五郎 松本昇↓ 大矢半次郎 石川栄一 矢嶋三義 小野義夫 小林政夫 鈴木文四郎↓ 白波瀬米吉 小林孝平 田中一 須藤五郎 木村禧八郎 細川嘉六† 森八三一 中山寿彦 小川久義 鈴木恭一↓ 椿繁夫 山花秀雄↓ 寺尾豊 加藤シヅエ 加藤正人 高田なほ子 中村正雄 下条康麿 藤原道子 竹中恒夫 柴田栄 重宗雄三 天坊裕彦 鈴木強 占部秀男 野溝勝 北村暢 田中一 杉山昌作 迫水久常 栗山良夫↓ 松村秀逸 泉山三六 大谷藤之助 岩沢忠恭 辻武寿 小笠原二三男 手島栄 平林剛 小野義夫↓ 勝俣稔 阿部竹松 塩見俊二 一松定吉 小酒井義男 大谷瑩潤 荒木正三郎 本多市郎↓ 矢嶋三義 石黒忠篤↓ 常岡一郎 岩間正男 横川正市 谷口弥三郎 大竹平八郎 小林孝平↓ 北条雋八 江藤智 森八三一 堀木鎌三 光村甚助 稲浦鹿蔵 内村清次 柴谷要 小西英雄† 上条愛一↑ 中上川アキ↓ 加藤シヅエ 長谷川仁 迫水久常 源田実 浅井亨 山崎斉 丸茂重貞 北条雋八 鈴木一弘 山下春江 大谷藤之助 渋谷邦彦 二宮文造 小林武 岩間正男 鈴木市蔵 稲浦鹿蔵 森八三一 野知浩之 天坊裕彦 小西英雄↓ 林塩 田中一 重宗雄三 辻武寿 野々山一三 中村順造 藤原道子 鬼木勝利 北村暢 高山恒雄 鈴木強 占部秀男 江藤智 日高広為 横川正市 小酒井義男 野溝勝 豊田雅孝 竹中恒夫 向井長年 手島栄↓ 中村正雄 川野三暁 大竹平八郎 柴谷要 森田たま 光村甚助 松村秀逸↓ 阿部竹松↑ 山高しげり↑ 石原慎太郎↓ 青島幸男 上田哲 今春聴 重宗雄三 長谷川仁 大松博文 三木忠雄 小林国司 二宮文造 田渕哲也 鈴木一弘 上林繁次郎 小笠原貞子 塩出啓典 岩間正男 永野鎮雄 峯山昭範 森八三一 沢田実 加藤シヅエ 小林武 内田善利 向井長年 山田勇 松本英一 藤原房雄 渡辺武 中村正雄↓ 上田稔 若林正武 玉置猛夫 迫水久常 源田実 鈴木強 大竹平八郎 長田裕二 和田静夫 藤原道子 田口長治郎 大谷藤之助 江藤智 亀井善彰 長屋茂 山下春江 田中一 安永英雄 阿具根登 高山恒雄 横川正市 北村暢 宮田輝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 山東昭子 斎藤栄三郎 丸茂重貞 小林国司 目黒今朝次郎 田渕哲也 三木忠雄 秦豊 糸山英太郎 鈴木一弘 峯山昭範 片山甚市 佐藤信二↓ 和田静夫 二宮文造 内田善利 山中郁子 案納勝 岡田広 江藤智 迫水久常↓ 阿具根登 藤原房雄 太田淳夫 長田裕二 松本英一 坂野重信 野田哲 向井長年↓ 大谷藤之助 内藤功 福間知之 源田実 立木洋 塩出啓典 柄谷道一 粕谷照美 安永英雄 上林繁次郎 神谷信之助 和田春生↓ 大鷹淑子 神田博↓ 下村泰 渡辺武 小巻敏雄 森下泰 岩間正男 上田稔 近藤忠孝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 宮田輝 中山千夏 山東昭子 大鷹淑子 岡部三郎 美濃部亮吉↓ 大河原太一郎 田渕哲也 田沢智治 斎藤栄三郎 村上正邦 長田裕二 岡田広 井上孝 関口恵造 板垣正 源田実 山中郁子 福間知之 丸茂重貞↓ 梶原清 目黒今朝次郎 鈴木一弘 松浦功 田中正巳 峯山昭範 坂野重信 片山甚市 大川清幸 野田哲 江藤智↓ 鈴木和美 二宮文造 阿具根登 太田淳夫 塩出啓典 藤原房雄↓ 鶴岡洋 松本英一 近藤忠孝 中野鉄造 柄谷道一 伊藤郁男 立木洋 粕谷照美 和田静夫↓ 秦豊↑ 宇垣一成↓ 加賀山之雄 横川信夫↓ 鹿島守之助 上林忠次 三浦義男↓ 松本治一郎 木島虎蔵 白井勇 高良とみ 重政庸徳 津島壽一 鮎川義介 横山フク 梶原茂嘉 八木幸吉 永岡光治 鶴見祐輔 青木一男 吉田萬次↓ 早川慎一 西岡ハル 豊田雅孝 雨森常夫 久保等 森田義衛 小沢久太郎 赤松常子 前田久吉 山口重彦 岡三郎 奥むめお 藤田進 土田國太郎 高橋衛 阿具根登 野本品吉 林了↓ 岸良一 苫米地義三 大和与一 高野一夫 高瀬荘太郎 中山寿彦↓ 榊原亨 宮城タマヨ 青山正一 大倉精一†↑ 関根久蔵†↑ 大谷贇雄†↑ 八木秀次†↑ 柏木庫治†↑ 楠見義男† 平林剛↑ 米田正文 鹿島守之助 辻政信 前田久吉 石田次男 金丸冨夫 奥むめお 重政庸徳 天埜良吉 大倉精一 石谷憲男 赤松常子 加賀山之雄 中尾辰義 小平芳平 野上元 木村禧八郎 鮎川義介↓ 原島宏治↓ 下村定 北畠教真 松本治一郎 植垣弥一郎 梶原茂嘉 上林忠次 牛田寛↓ 山本伊三郎 岡三郎 青木一男 鹿島俊雄 鶴園哲夫 大谷贇雄 鈴木恭一 横山フク 岡村文四郎 山本杉 阿具根登 高瀬荘太郎 永岡光治 高野一夫 久保等 野本品吉 田中清一 山口重彦 千葉千代世 須藤五郎 川上為治 基政七 豊瀬禎一 徳永正利 中村順造 向井長年 鹿島守之助 春日正一 玉置和郎 田中寿美子 須藤五郎 楠正俊 柏原ヤス 岡本悟 野上元 内藤誉三郎 山崎昇 小林章 多田省吾 木村美智男↓ 山田徹一 山内一郎 西村尚治 山本伊三郎 瓜生清↓ 大倉精一 小平芳平 矢追秀彦 青木一男 平泉渉 岡村文四郎↓ 重政庸徳 松本治一郎↓ 山本茂一郎 久保等 鹿島俊雄 鶴園哲夫 鈴木力 片山武夫 宮崎正義 徳永正利 原田立 大谷贇雄↓ 永岡光治 山本杉 黒柳明 千葉千代世 横山フク 北畠教真↓ 八田一朗 中尾辰義 内田芳郎 黒木利克 金丸冨夫 山高しげり 梶原茂嘉 米田正文 石本茂 田英夫 志村愛子 鈴木美枝子 町村金五 栗林卓司 柏原ヤス 山本茂一郎 山田徹一 梶木又三 矢追秀彦 玉置和郎 西村尚治 原田立 須藤五郎 春日正一 岡本悟 小平芳平 村上孝太郎↓ 多田省吾 内藤誉三郎 中尾辰義 加藤進 古賀雷四郎 野上元↓ 細川護熙 平泉渉↓ 田中寿美子 宮崎正義 塚田大願 中村利次 野々山一三 星野力 徳永正利 檜垣徳太郎 片山正英 鹿島俊雄 石本茂 伊部真↓ 山本伊三郎↓ 山崎昇 山内一郎 楠正俊 藤井恒男 柴田利右エ門↓ 今泉正二 水口宏三↓ 鈴木力 宮之原貞光 青木一男 松岡克由 黒住忠行↑ 野末陳平↑ 田英夫 江田五月 福島茂夫 玉置和郎 梶木又三 内藤誉三郎 楠正俊 町村金五 増岡康治 栗林卓司 柳沢錬造 古賀雷四郎 伊江朝雄 野末陳平 西村尚治 柏原ヤス 竹内潔 矢追秀彦 徳永正利 前島英三郎 中尾辰義 堀江正夫 松前達郎 中野明 片山正英 大森昭 小平芳平 扇千景 下田京子 大木正吾 多田省吾 渋谷邦彦 山田勇 和泉照雄 藤井恒男 高橋圭三 安西愛子 中村利次↓ 宮本顕治 宮崎正義 円山雅也 安恒良一 山崎昇 田中寿美子 藤井裕久 石本茂 宮之原貞光 佐藤三吾 市川正一 穐山篤 表 話 編 歴 徳永正利 林健太郎 梶木又三 岡野裕 竹内潔↓ 伊江朝雄 矢野俊比古 増岡康治 吉村真事 海江田鶴造 古賀雷四郎 大浜方栄 石本茂 山岡賢次 安西愛子 扇千景 柳川覚治 堀江正夫 藤井裕久↓ 石井道子↑ 寺内弘子↑ 中村哲 久保田真苗 松前達郎 大森昭 大木正吾 安恒良一 佐藤三吾 穐山篤 安永英雄 伏見康治 多田省吾 中西珠子 高桑栄松 和田教美 刈田貞子 中野明 飯田忠雄 宮本顕治 市川正一 下田京子 橋本敦 吉川春子 関嘉彦 栗林卓司 藤井恒男 柳沢錬造 青木茂 木本平八郎 前島英三郎 田英夫 野坂昭如↓ 下村泰↑ 松前達郎 久保田真苗 國弘正雄 日下部禧代子 安恒良一 大森昭 佐藤三吾 安永英雄 堂本暁子 谷本巍 穐山篤 清水澄子 北村哲男 菅野壽 肥田美代子 庄司中 村田誠醇 堀利和 翫正敏 三石久江 清水嘉与子 前島英三郎 岡野裕 山岡賢次↓ 井上章平 石川弘↓ 須藤良太郎 成瀬守重 大浜方栄 尾辻秀久 木暮山人 石井道子 田村秀昭 伊江朝雄 柳川覚治 扇千景↑ 増岡康治↑ 高桑栄松 中西珠子 和田教美 刈田貞子 中川嘉美 常松克安 市川正一 橋本敦 吉川春子 林紀子 足立良平 寺崎昭久 下村泰 横溝克己↓ 星野朋市↑ アントニオ猪木 大森礼子 扇千景 益田洋介 寺崎昭久 加藤修一 田村秀昭 水島裕 海野義孝 足立良平 但馬久美 木暮山人↓ 福本潤一 友部達夫↓ 今泉昭 渡辺孝男 畑恵 戸田邦司 星野朋市 松崎俊久↑ 金石清禅↑ 武見敬三 岡野裕 中原爽 成瀬守重 石井道子 尾辻秀久 清水嘉与子 石川弘↓ 依田智治 須藤良太郎 釜本邦茂 小山孝雄↓ 橋本聖子 海老原義彦 岩井國臣 中島啓雄↑ 柳川覚治↑ 日下部禧代子 松前達郎 前川忠夫 朝日俊弘 竹村泰子 伊藤基隆 谷本巍 清水澄子 菅野壽 橋本敦 吉川春子 須藤美也子 笠井亮 筆坂秀世 水野誠一↓ 堂本暁子↓ 黒岩秩子↑ 佐藤道夫 舛添要一 高祖憲治↓ 大仁田厚 小野清子 岩井國臣 橋本聖子 尾辻秀久 武見敬三 桜井新 段本幸男 魚住汎英 清水嘉与子 福島啓史郎 近藤剛↓ 森元恒雄 藤井基之 山東昭子 小泉顕雄 有村治子 中原爽 中島啓雄↑ 藤野公孝↑ 大橋巨泉↓ 藤原正司 池口修次 朝日俊弘 若林秀樹 伊藤基隆 佐藤道夫 神本美恵子 ツルネン・マルテイ↑ 山本香苗 木庭健太郎 遠山清彦 草川昭三 渡辺孝男 魚住裕一郎 福本潤一 加藤修一 紙智子 筆坂秀世↓ 井上哲士 吉川春子 小林美恵子↑ 西岡武夫 田村秀昭 広野允士 大江康弘 田嶋陽子↓ 大田昌秀 又市征治 田英夫↑ 扇千景 相原久美子 吉川沙織 青木愛↓ 石井一 池口修次 ツルネン・マルテイ 神本美恵子 横峯良郎 藤原正司 川合孝典 風間直樹 轟木利治 大島九州男 西岡武夫↓ 今野東↓ 藤原良信 藤谷光信 室井邦彦↓ 大江康弘↓ 山本孝史↓ 大石尚子↑↓ 広野允士↑ はたともこ↑ 玉置一弥↑ 樽井良和↑ 尾辻かな子↑ 山村明嗣↑ 舛添要一 山田俊男 中山恭子 丸山和也 川口順子 佐藤正久 尾辻秀久 石井みどり 佐藤信秋 義家弘介↓ 橋本聖子 山東昭子 衛藤晟一 有村治子 武見敬三↑ 山本香苗 木庭健太郎 山本博司 遠山清彦↓ 渡辺孝男 加藤修一 魚住裕一郎 草川昭三↑ 井上哲士 紙智子 山下芳生 又市征治 山内徳信 田中康夫↓ 平山誠↑ 自見庄三郎 柘植芳文 山田俊男 佐藤正久 石井みどり 橋本聖子 羽生田俊 佐藤信秋 赤池誠章 山東昭子 衛藤晟一 石田昌宏 有村治子 宮本周司 丸山和也 北村経夫 渡邉美樹 木村義雄 太田房江 山本香苗 平木大作 河野義博 山本博司 若松謙維 魚住裕一郎 新妻秀規 礒﨑哲史 浜野喜史 相原久美子 大島九州男 神本美恵子 吉川沙織 石上俊雄 アントニオ猪木 中山恭子 儀間光男 藤巻健史 中野正志 室井邦彦 小池晃 山下芳生 紙智子 井上哲士 仁比聡平 川田龍平 山口和之 渡辺美知太郎↓x 井上義行↓x 又市征治 三木亨↓ 三浦靖 柘植芳文 山田太郎 和田政宗 佐藤正久 佐藤信秋 橋本聖子 山田俊男 有村治子 宮本周司↓ 石田昌宏 北村経夫↓ 本田顕子 衛藤晟一 羽生田俊 宮崎雅夫 山東昭子 赤池誠章 比嘉奈津美↑ 中田宏↑ 田中昌史↑ 岸真紀子 水岡俊一 小沢雅仁 吉川沙織 森屋隆 川田龍平 石川大我 須藤元気↓ 市井紗耶香↑↓ 奥村政佳↑ 山本香苗↓ 山本博司 若松謙維 河野義博 新妻秀規 平木大作 塩田博昭 髙橋次郎↑ 鈴木宗男 室井邦彦↓ 梅村聡↓ 柴田巧 柳ヶ瀬裕文 藤巻健史↑ 山口和之↑ 小池晃 山下芳生 井上哲士 紙智子 田村麻美 礒﨑哲史 浜野喜史 舩後靖彦 木村英子 吉田忠智↓ 大椿裕子↑ 立花孝志↓ 浜田聡↑ 鳩山威一郎 長田裕二 関口恵造 大河原太一郎 下稲葉耕吉 村上正邦 野沢太三 井上孝 梶原清 岡部三郎 板垣正 田沢智治 岡田広 大鷹淑子 山東昭子 斎藤栄三郎 松浦功 宮崎秀樹 久世公堯 田中正巳 永野茂門 宮田輝↓ 山口光一↑ 福間知之 野田哲 鈴木和美 松本英一 山本正和 及川一夫 山口哲夫 田渕勲二 粕谷照美 広中和歌子 塩出啓典↓ 太田淳夫 鶴岡洋 中野鉄造 猪熊重二 及川順郎 針生雄吉↑ 立木洋 山中郁子 近藤忠孝 吉岡吉典 諫山博 橋本孝一郎 田渕哲也 勝木健司 秋山肇 平野清 青島幸男↓ 今泉隆雄↑↓ 山田俊昭↑ 宇都宮徳馬 井上孝 下稲葉耕吉 村上正邦 大島慶久 岡部三郎 泉信也 藤江弘一↓ 野沢太三 岡利定 大河原太一郎 永野茂門 清水達雄 松浦功 久世公堯 板垣正 南野知惠子 田辺哲夫↓ 田沢智治 楢崎泰昌 宮崎秀樹↑ 山東昭子↑↓ 嶋崎均↑↓ 長尾立子↑ 藁科満治 大脇雅子 鈴木和美 川橋幸子 山本正和 及川一夫 山口哲夫 渕上貞雄 松本英一↓ 志苫裕 萱野茂↑ 牛嶋正 続訓弘 大久保直彦 広中和歌子 鶴岡洋 及川順郎 猪熊重二 武田節子 細川護熙↓ 小池百合子↓ 寺澤芳男 武田邦太郎 小島慶三↑ 円より子↑ 立木洋 聴濤弘 吉岡吉典 有働正治 直嶋正行 勝木健司 長谷川清 江本孟紀 青島幸男↓ 山田俊昭↑ 有馬朗人 村上正邦↓ 岡利定↓ 大島慶久 野沢太三 阿南一成 南野知惠子 佐藤昭郎 日出英輔 加納時男 佐々木知子 脇雅史 森田次夫 久世公堯 清水達雄↑ 宮崎秀樹↑ 小宮山洋子↓ 今井澄↓ 円より子 藁科満治 直嶋正行 内藤正光 勝木健司 川橋幸子 長谷川清 高嶋良充 堀利和 江本孟紀↓ 信田邦雄↑ 中島章夫↑ 樋口俊一↑ 立木洋↓ 市田忠義 岩佐恵美 吉岡吉典 池田幹幸 小池晃 林紀子 小泉親司 大門実紀史↑ 鶴岡洋 続訓弘 森本晃司 荒木清寛 風間昶 沢たまき↓ 日笠勝之 千葉国男↑ 泉信也 入沢肇 平野貞夫 渡辺秀央 月原茂皓 福島瑞穂 渕上貞雄 大脇雅子 山本正和 小林正夫 加藤敏幸 内藤正光 家西悟 柳澤光美 直嶋正行 大石正光 白眞勲 那谷屋正義 藤末健三 喜納昌吉 高嶋良充 津田弥太郎 工藤堅太郎 円より子 下田敦子 松岡徹 前田武志 渡辺秀央 竹中平蔵↓ 秋元司 長谷川憲正 脇雅史 西島英利 山谷えり子 中村博彦 泉信也 荻原健司 加納時男 荒井広幸 水落敏栄 佐藤昭郎 南野知惠子 松村祥史 神取忍↑ 浜四津敏子 弘友和夫 谷合正明 荒木清寛 風間昶 浮島とも子 浜田昌良 鰐淵洋子 市田忠義 小池晃 仁比聡平 大門実紀史 福島瑞穂 渕上貞雄 有田芳生 谷亮子 直嶋正行 小林正夫 柳澤光美 石橋通宏 難波奨二 津田弥太郎 那谷屋正義 江崎孝 藤末健三 加藤敏幸 前田武志 田城郁 白眞勲 西村正美 片山さつき 佐藤ゆかり↓ 山谷えり子 髙階恵美子 三原じゅん子 中村博彦↓ 脇雅史 藤井基之 小坂憲次 水落敏栄 宇都隆史 赤石清美 堀内恒夫↑ 阿達雅志↑ 柴田巧 江口克彦 上野宏史↓ 寺田典城 小野次郎 小熊慎司↓ 桜内文城↓ 真山勇一↑ 藤巻幸夫↑↓ 山田太郎↑ 田中茂↑ 秋野公造 長沢広明 横山信一 谷合正明 浜田昌良 荒木清寛 市田忠義 田村智子 大門実紀史 福島瑞穂 吉田忠智 片山虎之助 荒井広幸 徳茂雅之 青山繁晴 片山さつき 中西哲 今井絵理子 足立敏之 山谷えり子 藤木眞也 自見英子 進藤金日子 髙階恵美子↓ 山田宏 藤井基之 阿達雅志 宇都隆史 小川克巳 宮島喜文 水落敏栄 園田修光 竹内功↑ 小林正夫 濱口誠 矢田稚子 有田芳生 川合孝典 難波奨二 江崎孝 那谷屋正義 石橋通宏 藤末健三↓ 白眞勲 田城郁↑ 長沢広明↓ 秋野公造 横山信一 熊野正士 谷合正明 浜田昌良 宮崎勝 竹内真二↑ 市田忠義 田村智子 大門実紀史 岩渕友 武田良介 片山虎之助 渡辺喜美 石井苗子 石井章 福島瑞穂 青木愛 藤井一博 梶原大介 赤松健 長谷川英晴 青山繁晴 片山さつき 足立敏之 自見英子 藤木眞也 山田宏 友納理緒 山谷えり子 井上義行 進藤金日子 今井絵理子 阿達雅志 神谷政幸 越智俊之 石井章 石井苗子 松野明美 中条きよし 猪瀬直樹 金子道仁 串田誠一 青島健太 辻元清美 鬼木誠 古賀千景 柴慎一 村田享子 青木愛 石橋通宏 竹内真二 横山信一 谷合正明 窪田哲也 熊野正士↓ 上田勇 宮崎勝↑ 田村智子↓ 仁比聡平 岩渕友 大門実紀史↑ 竹詰仁 濱口誠 川合孝典 天畠大輔 水道橋博士↓ 大島九州男↑ 神谷宗幣 福島瑞穂 ガーシー▼ 齊藤健一郎↑ 表 話 編 歴 村上正邦1998-1999 江藤隆美1999-2003 亀井静香2003-2005 伊吹文明2005-2012 二階俊博2012- 表 話 編 歴 松野鶴平 野村吉三郎 吉野信次 重宗雄三 林屋亀次郎 青木一男 平井太郎 郡祐一 安井謙 徳永正利 町村金五 木村睦男 藤田正明 土屋義彦 山内一郎 長田裕二 原文兵衛 斎藤十朗 遠藤要 坂野重信 井上吉夫 井上裕 村上正邦 竹山裕 青木幹雄 尾辻秀久 中曽根弘文 溝手顕正 橋本聖子 関口昌一 武見敬三 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 日本の労働大臣 平成時代の閣僚 比例区選出の参議院議員 全国区選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 平成時代の参議院議員 昭和時代の参議院議員 プロライフ活動家 東洋紡の人物 日本会議の人物 円卓会議の人物 生長の家の人物 拓殖大学出身の人物 福岡県出身の人物 有罪判決を受けた日本の政治家 1932年生 2020年没 証人喚問された人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2022年4月 プロジェクト人物伝項目 2024/11/29 21:16更新
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