もしもし情報局 > 1939年 > 10月29日 > 漫画家

水野英子の情報 (みずのえいこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

水野英子の情報(みずのえいこ) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

水野 英子さんについて調べます

■名前・氏名
水野 英子
(読み:みずの えいこ)
■職業
漫画家
■水野英子の誕生日・生年月日
1939年10月29日 (年齢84歳)
卯年(うさぎ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
山口出身

(昭和14年)1939年生まれの人の年齢早見表

水野英子と同じ1939年生まれの有名人・芸能人

水野英子と同じ10月29日生まれの有名人・芸能人

水野英子と同じ出身地山口県生まれの有名人・芸能人


水野英子と関係のある人

青池保子: 中学1年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を姉と二人で訪問。


高橋真琴: 『少女マンガはどこからきたの? 「少女マンガを語る会」全記録』全349頁(本編335頁+索引など14頁),2023年5月30日第1刷発行,青土社,語る会メンバー12名:水野英子(発起人)/上田トシコ/むれあきこ/わたなべまさこ/巴里夫/高橋真琴/今村洋子/ちばてつや/牧美也子/望月あきら/花村えい子/北島洋子【※発起人水野以外はデビュー順】ISBN 978-4791775538


もりたじゅん: 以後、水野英子、西谷祥子、あすなひろしなどの作品を愛読する。


西谷祥子: 世代的には、水野英子などのトキワ荘世代・女流草分け世代の後、昭和40年代少女雑誌のマンガスクール世代の前にはさまる。


松梨智子: トキワ荘の青春(1996年、市川準監督)- 水野英子


手塚治虫: 藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝、水野英子、矢代まさこ、萩尾望都などをはじめ数多くの人間が手塚に影響を受け、接触し漫画家を志した。


もとやま礼子: 桑田次郎の『まぼろし探偵』や水野英子の『星のたてごと』が好きで、小学校5年の頃から漫画を自分でも描き始める。


神奈幸子: 神奈川県秦野市に生まれ、幼少期は牧美也子・細川智栄子・水野英子・わたなべまさこらの作品を『少女クラブ』等で読む。


青池保子: 中学3年生の時に、前年から一年がかりで書きあげた60頁ほどのファンタジー漫画を、水野英子宛てに送る。


村井美樹: 刑事夫婦(2014年2月3日) - 水野英子


赤塚不二夫: 赤塚の母は向かいの部屋に住んでいた水野英子を非常に気に入り、ことあるごとに結婚を勧めたという。


今村洋子: 『少女マンガはどこからきたの? 「少女マンガを語る会」全記録』全349頁(本編335頁+索引など14頁),2023年5月30日第1刷発行,青土社,語る会メンバー12名:水野英子(発起人)/上田トシコ/むれあきこ/わたなべまさこ/巴里夫/高橋真琴/今村洋子/ちばてつや/牧美也子/望月あきら/花村えい子/北島洋子【※発起人水野以外はデビュー順】


上田トシコ: 会員は1969年時点では上田のほか、牧美也子、水野英子、わたなべまさこ、今村洋子、細川千栄子、水谷たけ子ら。1989年時点では上田のほか、矢崎武子、牧美也子、水野英子、わたなべまさこ、榎その、清浦ちずこ、亀井三恵子、今村洋子、花村えい子、みつはしちかこ、里中満智子。


岡田史子: 「COM」に連載していた頃、出版社から掲載誌が送られてきても、手塚治虫や矢代まさこなど気に入っていた他作家の作品を読むだけだったという(生前のインタビューでは気に入っている漫画家として他に水野英子、西谷祥子、大島弓子らを挙げている)。


山岸凉子: 水野英子は山岸との対談において、山岸の描く細い線は衝撃的であったと言い、「漫画史的に言うと、あれで手塚タッチから解放された」と述べている


西谷祥子: また、そんな頃に貸本屋でトキワ荘の面々による漫画にも出会い、とりわけ石ノ森章太郎と水野英子の作品を好んだ。


坂田靖子: 小学校に入る2年ほど前に、水野英子の少女漫画『星のたてごと』を読み感動。


奥村真理子: 一番影響を受けた漫画家は水野英子


西谷祥子: 1965年に活動の場を講談社から集英社の『週刊マーガレット』に移し、水野英子の『白いトロイカ』のアシスタントをしながら『リンゴの並木道』を執筆し、好評を博する。


横田徳男: トキワ荘跡に設けられた記念碑の落成式にはアニメーターの鈴木伸一、漫画家の水野英子とともに招待された。


手塚治虫: また、トキワ荘のマンガ家のあいだでよく用いられた「~氏」という敬称はもともと手塚が使っていたもので、相手の年齢にかかわらず用いられて便利ということで広まったと水野英子は証言している。


谷口ひとみ: 水野英子の影響が指摘されている他、細川智栄子やあべたかこなどとの類似も指摘されている。


森安なおや: 葬儀は家族のみの密葬で執り行われたが、7月3日に立川市内で「森安なおや氏追悼の会」が催され、トキワ荘時代の鈴木伸一・藤子不二雄Ⓐ・水野英子のほか、永田竹丸・山根青鬼・山根赤鬼や親交のあったちばてつやが参加した。


みなもと太郎: 偶然知り合った平塚らいてうの孫の自宅に居候しながら、出版社との契約や写植など漫画家になるための方法を尋ねるため、各出版社や白土三平、一峰大二、貝塚ひろし、水野英子、石ノ森章太郎、あすなひろし、ちばてつや、藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)、つのだじろう、赤塚不二夫、水木しげるなどの漫画家の自宅を1か月間訪問して回った。


吉田まゆみ: 水野英子や西谷祥子に憧れて小学生の頃から漫画を描き始め、高校入学後『週刊マーガレット』や『りぼん』に作品を投稿するようになり、賞金で小遣いを稼ぐようになった。


名香智子: 漫画に興味を持ったのは中学生の頃からで、西谷祥子や水野英子らに憧れたそうで、その頃からペンを持って描き始めている。


西谷祥子: また初期の彼女は、「石森章太郎(石ノ森章太郎)と水野英子の間にかってに生まれた私製児(≠私生児)」と自分を位置付けていたという。


高井研一郎: 定時制高校卒業後は赤塚たちに誘われてトキワ荘に入居する約束をしていたが、上京してみると高井が入ろうとしていた部屋に水野英子が入居しており、トキワ荘には入れなかった。


坂田靖子: 深く影響を受けた漫画家は手塚治虫、水野英子、萩尾望都。


高橋真琴: 『バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~』 (京都国際マンガミュージアム 高橋真琴、牧美也子、北島洋子、上原きみ子、山岸凉子、有吉京子、萩尾望都、槇村さとる、曽田正人、水沢めぐみ、水野英子、魔夜峰央)太田出版2013年ISBN 978-4778322014


水野英子の情報まとめ

もしもしロボ

水野 英子(みずの えいこ)さんの誕生日は1939年10月29日です。山口出身の漫画家のようです。

もしもしロボ

略歴、主な作品リストなどについてまとめました。映画、現在、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。水野英子の現在の年齢は84歳のようです。

水野英子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

水野 英子(みずの ひでこ、1939年(昭和14年)10月29日 - )は、日本の漫画家。 山口県下関市出身。日本の女性少女漫画家の草分け的存在で、後の少女漫画家達に与えた影響の大きさやスケールの大きい作風から、女手塚(女性版手塚治虫)と呼ばれることもある。トキワ荘に居住した漫画家の紅一点。代表作『星のたてごと』、『白いトロイカ』、『ファイヤー!』。 2010年、第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。2023年、文化庁長官表彰。

手塚治虫の『リボンの騎士』によって少女漫画に初めて長編ストーリーが導入された後、それをさらに発展させ1960年代までの間に、絵柄、衣装、取り扱うテーマ、ストーリー展開などの点で、戦後のロマンや西部劇や歴史劇の少女漫画、映画的な技法の少女漫画の基本形を確立した漫画家である。特に男女の恋愛を少女漫画で初めて描いた作家といわれる。また、1960年代後半のカウンターカルチャーを真正面から扱ったロック漫画『ファイヤー!』は少女漫画の枠を超えて広い注目を集めた。

漫画史的にみると、手塚治虫が少年漫画で用いたダイナミックで映画的な表現技法を少女漫画に移植し、それを女性ならではの感性で昇華することによって(登場人物の衣装や髪型の緻密な描写、カラー原稿における華やかな色使い、恋愛感情の表現など)、当時の主流だった男性漫画家が描いた少女漫画にはない、女性の視点から描いた新しい少女漫画の世界を創出したとされる。実際に、1950年代から1960年代初頭までは、石森章太郎やちばてつやなどの男性漫画家が少女漫画を描くことが多かったが、水野の登場を契機として女性漫画家が急増、まもなく、ほとんどの少女漫画は女性によって描かれるようになっていった。

藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といったトキワ荘世代の男性漫画家の多くが手塚治虫に影響を受けたのと同様に、竹宮惠子、萩尾望都、青池保子などの24年組や同世代の女性漫画家の多くが、少女時代に水野の作品を読み、大きな影響を受けている。

元々文学少女だったが、小学3年生のときに手塚治虫の『漫画大学』に衝撃を受け、漫画家を志す。中学生のころから雑誌『漫画少年』に投稿を続けていたが、佳作止まりで入賞することはなかった。しかし、審査員の手塚が保存していた水野の投稿作を偶然目にした『少女クラブ』編集者の丸山昭が水野の作品を気に入り、その場で手塚が水野の投稿作を褒めたことから、丸山が水野に原稿を依頼することになった。この時、水野は郷里の下関で漁網会社に就職を決めたばかりであり、デビューからトキワ荘に移るまでは兼業漫画家だった。

1955年、15歳で漫画家としてデビュー。それから3年後の1958年、初の長編連載『銀の花びら』(緑川圭子 原作)で人気を得る一方、石森章太郎、赤塚不二夫と「U・マイア」のペンネームで『赤い火と黒かみ』、『星はかなしく』、『くらやみの天使』を合作し発表した。この合作のため、水野は郷里の下関から上京し、すでに石森と赤塚が住んでいたトキワ荘に入居することになった。トキワ荘に居住している間は、自分の作品の執筆やU・マイア名義の合作以外に、石森のアシスタント的な仕事をすることも多く、石森の作画・表現技法に多大な影響を受け、自分の画力が飛躍的に向上したと語っている。

『銀の花びら』、『星のたてごと』、『白いトロイカ』などでは、ヨーロッパの古代中世や帝政時代を舞台に、ダイナミックな物語を華麗な絵柄で構成し、当時の少女漫画の定番だった親子の生き別れ物語や友情物語などの作品とは一線を画した斬新な作風だった。そのため、こうした歴史上の時代を背景にして壮大な西欧ロマンを描いた作品は、しばしば「水野調」と呼ばれるようになった。

1960年に発表した初めてのオリジナル長編『星のたてごと』は、それまで少女漫画ではタブー視されてきた男女の恋愛を初めて描いた作品といわれる。その後1960年代初頭からの少女雑誌の週刊誌化の頃は、編集者の方針によって『麗しのサブリナ』などのハリウッド映画を下地にした軽快なロマンチック・コメディー路線を展開した。その一方で、少女漫画初の実際の歴史の動きを扱った歴史ロマンとされる『白いトロイカ』を1964年に発表している。

やがて『ブロードウェイの星』等のアメリカを舞台にした作品では、黒人差別問題やベトナム反戦運動などの当時の社会テーマが織りこまれるようになっていった。特に1969年から連載した『ファイヤー!』は、当時の少女漫画では珍しく男性が主人公のかつ実験的な作風であり、1960年代後半のヒッピー・ムーブメントやロック・ミュージックに代表されるカウンターカルチャーを通して時代を見つめている。自費でアメリカとヨーロッパの現地取材を行って描かれたこの作品は 少女漫画の枠を超え、男性読者の注目も集めるとともに少女漫画読者の年齢層を押し上げた。

水野は当時のロック・ミュージックの中で、とりわけピンク・フロイドの幻想的世界への傾倒を語っており、それと共通するように、『ファイヤー!』以降しばらくは、漫画のコマの時空間形式の枠を超えようとする幻想詩的で絵物語的な方向への様式を追及していった。しかしロックがファッションとして定着すると彼女はロックへの興味を無くしたという。

現在、ライフワークとしての大作『ルートヴィヒII世』の執筆を希望しつつも、掲載雑誌が休刊して中断したままとなっている。

また、いわゆる24年組が活躍し始める前の時代、最近ではとかく忘れられがちな『リボンの騎士』(1953年)から『ベルサイユのばら』(1972年)までの戦後少女漫画の創成期にあたる20年間を語り残そうと、2010年に『トキワ荘パワー!』(祥伝社)を監修・出版した。トキワ荘系統以外の少女漫画家についても同様の本を出したいとしている。

トキワ荘が多くのメディアに取り上げられるようになるにつれ、誤った情報も目に付くようになり、また、トキワ荘に居住した漫画家で健在な者が少なくなってきたこともあり、当時の創作活動や日常生活の様子を正確に伝え残そうと、自身のトキワ荘入居から去るまでの間の出来事を綴った手記『トキワ荘日記』を2009年に自費出版したのをはじめ、近年は関連イベントでの講演やトークショーを積極的に行っている。

少女漫画で多く見られる「人物の瞳に星をきらめかせて描く」手法の先駆的存在とされる。しかし水野本人はその手法を初めて使ったのは自分ではなく、手塚治虫が『リボンの騎士』でサファイアの瞳に小さい十字の星を使用したと語っている。また、それを引き継いで石森章太郎が『二級天使』で大きな瞳に星を使用していた。なお、1953年『少女クラブ』連載の手塚治虫『リボンの騎士』コミックスの講談社漫画文庫の表紙絵だけだが小さいが目の星がある。

画風の特徴として、ロマンチックストーリーにふさわしく、太さの抑揚のある長く流れる描線による流動的な筆づかいが空間の質感とつながり、これは映画的臨場感や幻想的描写に効果的になっている。

西部劇映画と手塚治虫の西部劇漫画の影響で、昭和30年代前半からジーンズを普段着として愛用していた。当時は一般の日本人にとってジーンズは労働者の作業着というイメージしかなく、女性がファッションとしてはくことなど想像もできなかった時代なので、トキワ荘に入居した初日にジーンズをはいて男性漫画家達のところへ行くと、みな驚きのあまり絶句した。

U・マイア名義で合作の仕事をしていた関係で、トキワ荘時代は石森章太郎、赤塚不二夫と親しく、仕事だけではなく日常生活でも行動を共にすることが多かった。しかし石森、赤塚との交流とは対照的に、5~6歳年上の藤子不二雄(安孫子素雄、藤本弘)の2人は「もの静かなお兄様タイプ」で、気軽に話をしたり、部屋を訪ねたりできる雰囲気ではなく、水野は藤子に対しては遠慮ぎみにしていた。

1970年、同業者に声をかけて著作権の勉強会を開いたところ30人以上が集まり、出版社側を慌てさせたことがある。水野が漫画家ユニオンを作ろうとしているといったデマも飛び交い、出版社から嫌われる存在となったが、漫画家が作品の権利を主張する先駆けとなった。

1970年代初頭、『ファイヤー!』の連載終了直後、未婚の母になることを公表し、男子を出産。以後、独りで子供を育て上げるが、育児のための時間的制約から、十数年間にわたり週刊誌での長編連載が不可能となり、仕事を読み切りや月刊誌中心にシフトした。

2009年4月4日、トキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園に設置された記念碑「トキワ荘のヒーローたち」の除幕式に鈴木伸一、よこたとくおらと出席。記念碑にはトキワ荘に居住した漫画家の1人として自筆の似顔絵とサインが刻まれている。

略歴

小学3年生の時に手塚治虫の『漫画大学』に衝撃を受け、漫画家を志す。

中学時代、当時唯一新人漫画家を募集していた『漫画少年』に投稿を始める。

1955年:3月、『少女クラブ』編集者の丸山昭から原稿の依頼を受ける。同年の『少女クラブ』8月号に1コマ漫画1点と目次ページのカット2点が掲載され、デビュー。

1956年:『少女クラブ』6月号に初のストーリー漫画『赤っ毛子馬(ポニー)』を発表。

1958年:『少女クラブ』1月号から初の長編連載となる『銀の花びら』(緑川圭子 原作)がスタート。

1958年:3月、上京し、豊島区のトキワ荘の住人となる。10月、故郷の祖母を心配させまいとトキワ荘を去り一旦帰郷。翌年の春に再び上京し、雑司が谷の下宿先からバスでトキワ荘に通い住人と交流を続けた。

1970年:『ファイヤー!』 で第15回小学館漫画賞を受賞。

1981年:『ハニー・ハニーのすてきな冒険』がテレビアニメ化。

2000年と2002年には手塚治虫文化賞の選考委員を務めた。また、2002年に結成された「私の八月十五日」の会の発起人のひとり。

2008年:3月、川崎市市民ミュージアムで開催された展示イベント「少女マンガパワー!―つよく・やさしく・うつくしく―」において、作品展示とトークショーを行った。

2009年:自身のまんが人生を綴った自叙伝(未刊)の一部であるトキワ荘時代の章を抜粋し『トキワ荘日記』として自費出版。

2010年:執筆した全作品を通じての功績として第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。

主な作品リスト

この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
  • 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2019年4月)
  • 独自研究が含まれているおそれがあります。(2019年4月)
  • 言葉を濁した曖昧な記述になっています。(2019年4月)

銀の花びら(少女クラブ、講談社)(原作 緑川圭子(佐伯千秋))

手塚治虫のストーリー少女漫画リボンの騎士的路線の作品。男装の少女騎士が主人公。

星のたてごと(少女クラブ、講談社)

オリジナルのヨーロッパ古代ファンタジーロマン。ここで水野調の作風ができあがったと見られる。

すてきなコーラ(週刊マーガレット、集英社)

映画『麗しのサブリナ』を翻案したもの。少女漫画ラブコメディを確立したものと評する人がいる。

セシリア(週刊マーガレット、集英社)

映画『ジェニーの肖像』またはその原作を翻案したロマンチックファンタジーSF。

白いトロイカ(週刊マーガレット 1964-1965、集英社)

少女漫画史上初めて実際の歴史の動きを扱った作品。18世紀末から19世紀初頭の近代化手前のロシア帝政時代が舞台で、近代化欲求への反動が強かった時期に当たる。

赤毛のスカーレット(週刊マーガレット 1966、集英社)

アメリカ農村のコメディ。ジョン=フォード監督の映画『静かなる男』の翻案と見られる。

ブロードウェイの星(週刊マーガレット 1967、集英社)

アメリカにおける黒人差別問題がひとつのテーマとなっている。演劇もの。

ハニー・ハニーのすてきな冒険(りぼん 1966-1967、集英社)

1981年にアニメ化された世界旅行的な冒険風コメディ。

ファイヤー!(週刊セブンティーン 1969より、集英社)

カウンターカルチャーの風俗・社会性・精神的世界観を描き、幻想性もある作品。アメリカのロック・シンガー、スコット・ウォーカーの作品に触れたことから作者像をイメージして描かれた。主人公は繊細な青(少)年男性で、主要登場人物もほとんどが男性。当時の芸能漫画とは全く違うスケールの大きな視野で展開し、テーマ的にもすでに少女漫画というイメージを大きく超えて青年漫画的である。週刊誌の他に、創刊された月刊誌別冊セブンティーンでも総集編が連載されるなど、当時破格の注目作品だった。

ホフマン物語(月刊セブンティーン、集英社)

オペラ曲『ホフマン物語』を元にしたもの。コマを取り払った幻想的作風を追及している。

アラーの使者 (原作、川内康範、ひとみ (雑誌)、秋田書店)

幼年向きだが、コマを取り払った絵本に近いながら、吹き出しを利用してコマ別と時間の順序を表現した作風。

フレイヤの涙 (月刊プリンセス、秋田書店)

ローヌ・ジュレエの庭 (花とゆめ、白泉社)

ヴィクトール街31番 (花とゆめ、白泉社)

月光石(プチフラワー、小学館)

川の向こうの家 (ビッグコミック、小学館)

青燈幻想 (マンガ少年、朝日ソノラマ)

ルートヴィヒII世(中公コミックス・スーリ)

中断中。

画集

「画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会」、玄光社、978-4-7683-1158-5(2020年3月30日)

アンソロジー

文藝春秋編 『少女マンガ大全集-短編にみる魅惑のミクロコスモス』 文春文庫ビジュアル版、1988年、ISBN 978-4168110085

2024/06/14 14:25更新

mizuno eiko



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


水野英子と近い名前の人

水の江 瀧子(みずのえ たきこ)
1915年2月20日生まれの有名人 神奈川出身

水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年〈大正4年〉2月20日 - 2009年〈平成21年〉11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。 1928年に東京松竹楽劇部(後の松竹少女…

水の江 じゅん(みずのえ じゅん)
1950年11月24日生まれの有名人 東京出身

水の江 じゅん(みずのえ じゅん、1950年11月24日 - )は、日本の元歌手・女優。旧芸名は、香山 ユリ。本名は、鈴木 朝子。東京都出身。 「香山ユリ」名義で東芝レコードよりデビューし、女優・…

水野 江莉花(みずの えりか )
1973年11月24日生まれの有名人 大阪出身

水野 江莉花(みずの えりか 1973年11月24日- )は、日本のミュージカル女優、ダンサーである。中村JAPANドラマティックカンパニーに所属している。身長・168cm、右利き、血液型・O型。 …

水江 明博(みずのえ あきひろ)
1975年10月2日生まれの有名人 福岡出身

水江 明博(みずのえ あきひろ、1975年10月2日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。本名同じ。 福岡県出身。吉本興業東京本部(東京吉本)所属。血液型B型。 1994年に福岡吉本に所属…

水野 哲也_(ミュージシャン(みずの てつや)
1975年11月21日生まれの有名人 大阪出身

11月21日生まれwiki情報なし(2024/06/11 19:12時点)

水野 哲也_(イラストレーター)(みずの てつや)
1956年9月2日生まれの有名人 秋田出身

9月2日生まれwiki情報なし(2024/06/11 11:12時点)

水野 晃樹(みずの こうき)
1985年9月6日生まれの有名人 静岡出身

水野 晃樹(みずの こうき、1985年9月6日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・いわてグルージャ盛岡所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表…

水野 節彦(みずの さだひこ)
1940年11月3日生まれの有名人 東京出身

水野 節彦(みずの さだひこ、1940年11月3日 - )は、元NHKチーフアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー。 東京都立文京高等学校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業後、1964年入局。現役…

水野 麗奈(みずの れいな)
1981年12月31日生まれの有名人 兵庫出身

水野 麗奈(みずの れいな、1981年12月31日 - )は、日本の近畿地方を中心に活動する女優、タレント。所属は松竹芸能→アンクル。 兵庫県姫路市出身。姫路工業大学(現・兵庫県立大学)環境人間学…

水野 裕子(みずの ゆうこ)
1982年3月8日生まれの有名人 愛知出身

水野 裕子(みずの ゆうこ、1982年3月8日 - )は、日本の女性タレント・女優・スポーツキャスター。愛知県一宮市(旧尾西市)出身。尾西市立朝日西小学校、尾西市立第二中学校、愛知県立一宮商業高等学校…

水野 由結(みずの ゆい)
【BABYMETAL】
1999年6月20日生まれの有名人 神奈川出身

水野 由結(みずの ゆい、Yui Mizuno、1999年6月20日 - )は、日本の女性シンガー、ダンサー、アイドル。神奈川県出身。所属事務所はアミューズ。2010年から2015年まで女性アイドルグ…

水野 舞菜(みずの まな)
2000年11月8日生まれの有名人 神奈川出身

水野 舞菜(みずの まな、2000年11月8日 - )は、日本の女性アイドル、タレント、TikToker、YouTuber、インフルエンサー。愛称は、まなんちょす。 神奈川県出身。2018年、日本の…

水野 美紀(みずの みき)
1974年6月28日生まれの有名人 三重出身

水野 美紀(みずの みき、1974年〈昭和49年〉6月28日 - )は、日本の女優。三重県四日市市出身。オフィス・モレ所属。演劇ユニット「プロペラ犬」主宰。夫は俳優兼イラストレーターの唐橋充。 日…

水野 真紀(みずの まき)
1970年3月28日生まれの有名人 東京出身

水野 真紀(みずの まき、1970年〈昭和45年〉3月28日 - )は、日本の女優である。戸籍名、後藤田 由紀(ごとうだ ゆき)。旧姓、江野脇(えのわき)。東宝芸能所属。夫は徳島県知事の後藤田正純。 …

水野 遥香(みずの はるか)
2003年7月26日生まれの有名人 出身

水野 遥香(みずの はるか、2003年7月26日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント。フィリピン出身。World Code所属。 2023年1月5日、グラビアアイドルDVDの発売イベントを…

水野 明佳(みずの さやか)
1987年10月14日生まれの有名人 福島出身

水野 明佳(みずの さやか、1987年10月14日 - )は、日本の女性タレントモデラー、モデル。クリエイター集団「クリエイティブORIHUS」のメンバーで、主に広告塔の役割を担当。自身で発案したプラ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
水野英子
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手) 石山順征

グループ

predia 9nine Timelesz アリス十番 AeLL. 夢みるアドレセンス 純烈 SixTONES KAT-TUN DA PUMP 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「水野英子」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました