田端義夫の情報(たばたよしお) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
田端 義夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
田端義夫と関係のある人
長津義司: 『蘭の花咲く満州で』(昭和16年4月)[作詞:藤村閑夫、歌:田端義夫] 島田芳文: 『里恋峠』(昭和14年9月)[陸奥明作曲、歌:田端義夫] ペギー葉山: 2014年6月には、田端義夫・青木光一に次ぎ3人目となる名誉会長に就任している。 菅原都々子: 7月3日 - 千代田区の帝国ホテルで開かれた田端義夫のお別れ会に出席。 中川敬: 田端義夫と高千穂でセッションする。 利根一郎: 『木曽の山唄』(昭和18年3月)[宇野美樹作詞、歌:田端義夫] 川上のぼる: 田端義夫 清水みのる: 『かよい船』(昭和24年6月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫] 並木ひろし: 昭和三代記(田端義夫 作詞作曲を担当) テイチク 白山雅一: 田端義夫 清水みのる: 卒業後の1931年(昭和6年)、日本ポリドール蓄音機商会に入社、社員として働きながら作詞家への道を歩みだし、1939年(昭和14年)には田端義夫のデビュー曲の作詞を手がける。 つげ忠男: 田端義夫のファンであるが、若い頃はプレスリーに影響を受け、バンドを組んだこともある。 長津義司: 『ふるさとの燈台』(昭和28年7月)[作詞:清水みのる、歌:田端義夫] 大久保徳二郎: 田端義夫、白鳥みづえ『親子舟唄』、作詞藤田まさと、1955年 藤田まさと: 『大利根月夜』(昭和14年11月)[長津義司作曲、歌:田端義夫] 斎藤寅次郎: 東宝移籍後以降はエノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコ、柳家金語楼、川田晴久、高勢実乗、清川虹子、田端義夫らを起用。 清水みのる: 『かえり船』(昭和21年11月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫] 清水みのる: 戦後はテイチクレコード会社に入社し、作曲家の倉若晴生、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで、『かえり船』、『かよい船』等、得意とするマドロスものを中心に数々のヒット曲を世に送り出した。 大久保徳二郎: 田端義夫『嘆きのピエロ』、作詞島田磬也、1947年 アイ・ジョージ: キャッチフレーズは「第二の田端義夫」。 岡晴夫: 昭和20年代を代表するスター歌手として、近江俊郎・田端義夫とともに「戦後三羽烏」と呼ばれた。 小谷充: 田端義夫 すべて編曲 石澤典夫: 追悼 歌手・田端義夫〜バタヤンの声には涙があった〜(2013年5月6日) 原一平: 田端義夫 長津義司: 『玄海ブルース』(昭和24年10月)[作詞:大高ひさを、歌:田端義夫] 春日八郎: この年には「平凡」の人気投票男性歌手部門に初登場し、いきなり2位以下(小畑、田端義夫、津村、岡、藤山)に大差を付けて第1位に輝く。 大高ひさを: テイチク専属作詞家として多数の作品を残し、「玄海ブルース」、「海のジプシー」、「肩で風切るマドロスさん」、「玄海エレジー」(田端義夫)、「君忘れじのブルース」(淡谷のり子)、「アリラン」、「トラジ」、「江の島悲歌」、「連絡船の唄」、「木浦の涙」(菅原都々子)、「炭坑節」(美ち奴)、「泪の連絡船」(真木不二夫)、「東京ロマンス・タイム」(楠トシエ)、「流転笠」(今村隆)、「浮草小唄」(鈴木三重子)、「しのび泣く青春」、「青い夜霧の港町」(大木実)、「カスバの女」(エト邦枝)、「ひとりぽっちの青春」、「世界を賭ける恋」、「男の友情背番号・3」、「街から街へつむじ風」、「王将・夫婦駒」、「夜霧の慕情」「泪が燃える」(石原裕次郎)、「銀座の恋の物語」(石原裕次郎、牧村旬子)、「文左たから船」(三波春夫)などがある。 浜田幸一: 特に印象にある歌手として、ディック・ミネ、田端義夫を挙げていた。 山田栄一: 『シンガポールだより』(昭和17年3月)[矢島寵児作詞、歌:田端義夫] 鶴田浩二: 1951年(昭和26年)公開の松竹映画『地獄の血闘』に出演した際、共演した歌手の田端義夫に、歌唱方法についてのアドバイスを受け、以後、鶴田は「左耳に左手を沿えて歌う」という独特の歌唱スタイルになった。 |
田端義夫の情報まとめ
田端 義夫(たばた よしお)さんの誕生日は1919年1月1日です。三重出身の歌手のようです。
代表曲、テレビ番組などについてまとめました。映画、事件、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。94歳で亡くなられているようです。
田端義夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田端 義夫(たばた よしお、1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名:田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。 三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。 13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。その間に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒していく(ベニヤ板の板切れで作った音の出ないギターを“イター”と呼んでいたという)。 昭和13年(1938年)、ポリドール・レコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝する。ポリドールの勧めで上京し、鈴木幾三郎社長宅の書生となる。その時に知り合った同じ鈴木宅の書生が、「オースッ!」と挨拶することにヒントを得て、後にステージに出演する際に、田端義夫のトレードマークとも言うべき威勢のいい挨拶が生まれている。昭和14年(1939年)、同じく新進作曲家の倉若晴生の手による「島の船唄」でデビュー。当時は同じ会社の先輩に倣って、眼鏡をかけ、いがぐり頭の新人歌手として登場している。デビュー曲が当時レコード販売会社の組合で制定していた《ぐらも・くらぶ賞》を受賞するという快挙に恵まれ、その後も「里恋峠」、長津義司昨曲「大利根月夜」、「別れ船」「梅と兵隊」とヒットを続け、同じ会社のスター東海林太郎、上原敏と並ぶヒット歌手の地位を築いたのである。昭和16年(1941年)、日本橋きみ栄らとともに中国大陸に戦地慰問にも赴くが、その後は主に国内の軍需工場や基地を中心に終戦まで慰問活動を続けた。 終戦後、レコード販売を止めていたポリドールを辞し、昭和21年(1946年)にテイチクに移籍。累計180万枚を売り上げた「かえり船」のヒットを出す。戦前の流れを組むマドロス歌謡で人気を博し、「かよい船」「たより船」長津義司作曲「玄海ブルース」と昭和20年代を代表するスター歌手として岡晴夫、近江俊郎らとともに戦後三羽烏と呼ばれた。スクリーンにおける活躍は早く、昭和15年(1940年)に松竹映画「弥次喜多六十四州唄栗毛」に旅人役として出演したのを皮切りに、戦後は、大映映画「淑女とサーカス」「肉体の門」、新東宝映画「底抜け青春音頭」「アジャパー天国」など、喜劇映画を中心に多くの出演作品を残している。 1960年、山口組組長田岡一雄らとの会食中、店に偶然居合わせた明友会構成員にその場で歌うことを要求され、これに端を発して山口組組員と明友会構成員との殴り合いが起き、両組織の全面抗争に発展する(明友会事件)。殴り合いは田端と田岡の面前で行われたが、両者が直接殴り合いに加わってはいない。この頃は暴力団関係者と芸能人の付き合いは問題とされておらず、制作や興行を仕切る暴力団関係者との関わりなしでの芸能活動は困難な時代であった。 昭和30年頃からはヒットが出ずに低迷の時期が続いた。昭和37年(1962年)、ポリドールから13年前に波平暁男の歌で発売されたものの奄美大島のみで歌い続けられていた「島育ち」(有川邦彦 作詞・三界稔 作曲)を、会社の反対を押し切ってレコーディング。田端の地道な活動が功を奏し、「島育ち」は40万枚を超える大ヒット。カムバックを果たし、昭和38年(1963年)にはNHK紅白歌合戦に初出場した。 「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」と、その後も精力的に歌手活動を続け、「十九の春」「昭和三代記」「百年の愛」と平成になってからも新曲を出し続けた。一方、公演に訪れたアメリカ・ラスベガスのスロットで大金を掴むという話題も振りまいた。 平成7年(1995年)には林伊佐緒に代わり、日本歌手協会の5代目会長に就任。平成16年(2004年)からは名誉会長の座にあった。 平成9年(1997年)には、ロック・バンドソウル・フラワー・ユニオンの別動チンドン楽団ソウル・フラワー・モノノケ・サミットと、宮崎県の高千穂でジョイント・コンサートをおこなっている。 平成13年(2001年)12月には、BEGINの比嘉栄昇が作詞・作曲して田端に提供した「旅の終わりに聞く歌は」を発表(「島唄2」からシングルカットされた「涙そうそう」のカップリングとして)。 平成19年(2007年)には、1980年代までのレコーディングマスターや、未発表曲を元にしたアルバムがGEMより発売。手書きの歌詞カードなど田端の思い入れの込められた作品で、現役ぶりをアピールした。 かねてより「90歳までは歌う」と公言しており、平成21年(2009年)の元日(田端の満90歳の誕生日)に歌手生活70周年を兼ねた記念アルバムがテイチクより発売。語りおろしメッセージを収録し、健在であることを示した。 平成25年(2013年)4月25日午前11時45分、肺炎のため東京都世田谷区の三軒茶屋第一病院で死去。94歳没。 生前にレコーディングした楽曲の総数は約1200曲に達した。没後に2013年度日本作詩大賞・テレビ東京特別賞と第55回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。 戒名は「隨心院歌岳義峰大居士(ずいしんいんかがくぎほうだいこじ)」。 代表曲「島の船唄」(昭和13年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「大利根月夜」(昭和14年)[藤田まさと作詞、長津義司作曲] 「里恋峠」(昭和14年)[宮本旅人作詞、陸奥明作曲] 「月下の歩哨線」(昭和14年)[松葉清香(中支軍石谷部隊歩兵伍長)作詞、長津義司作曲、長津義司編曲] 「別れ船」(昭和15年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「旅出の唄」(昭和15年)[大木惇夫作詞、江口夜詩作曲] 「梅と兵隊」(昭和16年)[南条歌美作詞、倉若晴生作曲] 「石狩の春」(昭和16年)[松坂直美作詞、瀧澤広美作曲、中山正編曲] 「トラジの花」(昭和16年)[松坂直美作詞、中山正作曲、中山正編曲] 「岬のひととき」(昭和16年)[矢島寵児作詞、米山正夫作曲、米山正夫編曲] 「木曽の山唄」(昭和18年) 「母のたより」(昭和18年) 「氷と艦隊」(昭和18年)[米山忠雄作詞、飯田景応作曲、飯田景応編曲] 「かえり船」(昭和21年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「ズンドコ節(街の伊達男)」(昭和22年)[佐々木英之助作詞、能代八郎作曲] 「玄海ブルース」(昭和24年)[大高ひさを作詞、長津義司作曲] 「ふるさとの燈台」(昭和24年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「涙の夜曲」(昭和24年)[大高ひさを作詞、倉若晴生作曲] 「たより船」(昭和25年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「海のジプシー」(昭和25年)[大高ひさを作詞、長津義司作曲] 「夜船の女」(昭和25年)[八木承作詞、八木承作曲] 「雨の屋台」(昭和25年)[矢野亮作詞、利根一郎作曲] 「ロマンス航路」(昭和25年)[島田磬也作詞、平川浪竜作曲、米戸勉編曲] 「玄海エレジー」(昭和26年)[大高ひさを作詞、長津義司作曲] 「名古屋船唄」(昭和27年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] ※デビュー曲「島の船唄」のリメイク 「肩で風きるマドロスさん」(昭和27年)[大高ひさを作詞、田端義夫作曲] 「利根の火祭り」(昭和27年)[萩原四朗作詞、福島正二作曲] 「浅間の鴉」(昭和28年)大映映画「浅間の鴉」主題歌[萩原四朗作詞、倉若晴生作曲] 「舞妓物語」(昭和29年)大映映画「舞子物語」主題歌[萩原四朗作詞、大久保徳二郎作曲、大久保徳二郎編曲] 「おちょろ船」(昭和29年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲] 「君待船」(昭和29年)[萩原四朗作詞、倉若晴生作曲] 「親子舟唄」(昭和30年)[藤田まさと作詞、大久保徳二郎作曲、白鳥みづえ共唱] 「浜千鳥」(昭和32年)[鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲] 「島育ち」(昭和37年)松竹映画「島育ち」主題歌[有川邦彦作詞、三界稔作曲] 「拝啓カアチャン様」(昭和39年朝日放送系テレビドラマ主題歌(門井八郎作詞、久慈ひろし作曲] 「出世船」(昭和41年)[遠藤実作詞、遠藤実作曲] 「親星子星」(昭和44年)[西沢爽作詞、遠藤実作曲、西崎緑共唱] 「十九の春」(昭和50年)[沖縄民謡] 「船」(昭和55年) 「人生の船はヨーソロ!」(平成4年)[勝山寿二作詞、田端義夫作曲] 「昭和三代記」(平成6年)[並木ひろし作詞、並木ひろし作曲] 「ふるさとの四季をうたう」(平成9年)[遠藤実作詞、遠藤実作曲] 「人生悠遊」(平成11年)[田端義夫作詞、世志凡太作曲] 「旅の終わりに聞く歌は」(平成13年)[比嘉栄昇作詞・作曲] 「涙そうそう」(平成16年)[森山良子作詞、BEGIN作曲] 「こころのこだま」(平成17年)テイチク70周年記念曲[比嘉栄昇作詞・作曲、いちごいちえ名義] テレビ番組年忘れにっぽんの歌(テレビ東京) 竜馬がゆく(毎日放送) なつかしの歌声(東京12チャンネル) 2024/06/13 07:26更新
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tabata yoshio
田端義夫と同じ誕生日1月1日生まれ、同じ三重出身の人
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