つげ義春の情報(つげよしはる) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


つげ 義春さんについて調べます
■名前・氏名 |
つげ義春と関係のある人
木村威夫: 『蒸発日記』(2003年、山田勇男監督・脚本、北里宇一郎共同脚本、つげ義春原作、白尾一博撮影、安宅紀史美術)美術監督として参加。 きたろう: つげ義春ワールド・ゲンセンカン主人より「池袋百点会」(1993年) - 須山 杉作J太郎: つげ義春ワールド ゲンセンカン主人(1993年) - 三流さん わたせせいぞう: 近年ではその映像美を生かした「日本の美」を追求する作品が増えてきていて、初期作品はつげ義春の影響が見られる(BSマンガ夜話でのいしかわじゅんの指摘)。 大山海: つげ義春 生誕80周年記念 祝・トリビュート!(『アックス』VOL.119) - トリビュートイラスト 畑中純: デビュー前に志向していた1コマ漫画は、トミー・ウンゲラーや久里洋二の影響を受けていたものであったが、デビュー以後にストーリー漫画を描くようになってからは、つげ義春や山上たつひこの影響を受けるようになる。 水木しげる: アシスタントであったつげ義春が水木に最後に会ったのは2009年から2010年頃で、場所は地元の神社であった。 白土三平: 1965年、白土は『ガロ』誌上で雑誌『迷路』の時代から高く評価していたつげ義春に連絡を乞う。 うらたじゅん: つげ義春は「“うわばみのおキヨ”は傑作です」とのコメントを残した。 北井一夫: 1970年代初頭には、漫画家のつげ義春らとともに、下北半島(青森県)や国東半島(大分県)などの僻地への撮影旅行を繰り返し、アサヒグラフに発表。その後、単行本『つげ義春流れ雲旅』(朝日ソノラマ 1971年、共著 絵:つげ義春、文章:大崎紀夫、写真:北井一夫)として刊行。 植芝理一: 作者曰く、つげ義春の『ねじ式』や逆柱いみりの作品に影響を受けているといい、作中にもそれを見ることが出来る。 やまだ紫: 長井勝一(ガロ編集長)、つげ義春(漫画家)、上野昻志(評論家)らから高い評価を得ている。 菅野修: 1971年に画家をめざして上京するが、つげ義春、白土三平、勝又進などの影響を受け漫画家を目指すようになる。 つげ忠男: つげ義春は兄。 田辺誠一: つげ義春ワールド 紅い花(テレビ東京、1998年) 水木しげる: 水木がこの頃、妖怪文化に熱中しはじめたきっかけについて、つげ義春が2019年にインタビューに答えているが(『つげ義春が語る 旅と隠遁』(筑摩書房)、P.318。 矢口高雄: この時水木しげるの職場に案内されるが、水木は矢口の漫画を高く評価、池上遼一、つげ義春ら水木プロの面々からも様々なアドバイスを受ける。 近藤ようこ: つげ義春に強く傾倒しており、1998年の夏に住宅地のアスファルトの路地を、1匹のサワガニが横切ってよその家に消えていく場面に出くわし、つげの『蟹』を思い出し、カニをモチーフにした漫画を構想する。 大山海: このころつげ義春の漫画に出会い衝撃を受ける。 滝田ゆう: つげ義春の画風に影響を受けた綿密な作画で作者の内面を表現し私小説ならぬ私漫画とも呼ばれ、代表作となる。 中村映里子: “成田凌、中村映里子、森田剛が共演 つげ義春「雨の中の慾情」を片山慎三が映画化”. どおくまん: 大学時代になり、つげ義春、みやわき心太郎、山上たつひこらの漫画を読むようになり衝撃を受けるが、あくまでも読者、ファンとしてであり、漫画家を志すことはなかった。 蛭子能収: 看板店には1965年から4年半勤務し、看板設置などの仕事をしていたが、漫画サークルで『ガロ』1968年6月増刊号「つげ義春特集」を読み『ねじ式』に感銘を受け、「大阪万博を見に行く」と嘘をついて1970年に無断で上京。 安部慎一: 作風は、初期においては当時恋人であった美代子(現在の安部夫人)をモチーフとした『美代子阿佐ヶ谷気分』に見られるような、つげ義春や林静一、太宰治の影響下にあるであろう内省的で象徴主義的な作品が多い。 蛭子能収: 「夢をもとに漫画を描く」という創作方法は、20歳のときに読んだつげ義春の漫画作品『ねじ式』に大きな影響を受けている。 蛭子能収: 、長崎商業高等学校卒業後、地元の看板店に就職するも、つげ義春の『ねじ式』に衝撃を受けて1970年に上京し、看板屋、ちり紙交換、ダスキンのセールスマンなどの職を経て『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年8月号掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビュー。 畑中純: 1984年には夜久弘がつげ義春作品発表のために創刊した『COMICばく』創刊号に掲載されることになったつげの『散歩の日々』に登場するH君を、夜久はつげと同じ町内に住む畑中純だと直感した。 山根貞男: 『つげ義春の世界』(1970年、青林堂)菊池浅次郎名義 はるき悦巳: つげ義春を深く尊敬し、特に初期の頃に、つげ義春の画風が顕著に出ている。 滝田ゆう: そして貸本漫画の東考社社長桜井昌一の紹介で、1967年(昭和42年)4月『月刊漫画ガロ』(青林堂)に組織の都合に振り回される男を描いた『あしがる』を発表し、つげ義春、林静一ら同誌の掲載陣の仲間入りを果たす。 |
つげ義春の情報まとめ

つげ 義春(つげ よしはる)さんの誕生日は1937年10月31日です。東京出身の漫画家のようです。

現在、卒業、兄弟、再婚、家族、病気、映画、父親、ドラマ、事件、結婚、テレビ、解散、引退、趣味、母親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。亡くなられているようです。
つげ義春のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)このページの現在または過去の版は、ウェブサイトや書籍などの著作物からの無断転載を含んでいるおそれが指摘されています。もしあなたが転載元などをご存知なら、どうぞこのページのノートまでご一報ください。
概要・人物エピソード受賞・栄典経歴![]() 出生伊豆大島、千葉大原時代![]() ![]() ![]() 小学校時代![]() 卒業後">小学校卒業後漫画家デビュー貸本漫画時代![]() 『迷路』の時代コケシ、『忍風』、白土ブーム『ガロ』時代![]() 『ねじ式』以降![]() 『ガロ』以降![]() がんノイローゼの5年間ふたたび脱漫画家![]() ![]() ![]() 休筆以降![]() 水木しげるとの関係旅![]() ![]() ![]() ![]() 旅の履歴(1990年まで)
1958年 当時恋愛関係にあった女子大生のS、その友人ら4-5人で甲府の昇仙峡へ。26年後の作品、池袋百点会(1984年12月)のラストシーンに描かれる。 1965年 白土三平の招待で千葉県大多喜の旅館寿恵比楼に滞在。『不思議な絵』を描き上げる。 1967年 井伏鱒二の影響で旅に没頭、唯一の友人立石と能登、飛騨、秩父、伊豆、千葉などを旅行。秋には一人で東北へ1週間の長期旅行(10月26日〜11月2日)。古い本で東北地方の湯治場の写真を見て、あまりに惨めで貧しい雰囲気に強い衝撃と胸騒ぎを覚えたため。八幡平の温泉、蒸の湯、後生掛温泉、角館、小安温泉泊、サービスが悪くチップを出す気にもなれず早々に寝る。会津から湯野上温泉泊、期待外れだった。塔のへつり、岩瀬湯本温泉、二岐温泉などを訪問。特に岩瀬湯元温泉を最高と評価。旅に強い印象を抱くとともに湯治場の雰囲気に魅了される。初めての一人旅であった。この旅の強い印象から『二岐渓谷』『オンドル小屋』『もっきり屋の少女』の3作が生まれる。旅に関連した書物や柳田國男、宮本常一などを愛読する。 1968年 2月、群馬県の湯宿温泉、新潟の十日町から飯山線を経て長野県の麻績宿へ旅行。6月には外房の大原に1泊。7月、立石慎太郎と秋山郷、屋敷温泉、松之山温泉、草津温泉、花敷温泉、尻焼温泉へ旅行。9月、九州方面へ蒸発旅行。自分の存在の実感が消滅し、蒸発したようにこの世にいながらいない状態を実感。 1969年1月、『アサヒグラフ』の取材で大崎紀夫、北井一夫と湯宿温泉、法師温泉へ旅行。2月に藤原マキと知り合う。5月、五能線の八森、鰺ヶ沢、黒湯、孫六温泉などへ旅行。また水木しげると長野県の明治湯へも旅行。6月 千葉県房総半島の太海、鴨川、大原へ。太海で謎の虫に足を刺され、医者を求め彷徨い歩く体験をする。8月には、藤原マキと夏油温泉から定義温泉、北温泉へ。定義温泉は精神科の紹介がないと宿泊できない施設で、門前のそば屋の計らいで「頭が重いのでわざわざ訪ねてきた」ことにして宿泊。押入れを開けて布団を取り出して寝ていると女将に激しく怒られ、このエピソードを後に『枯野の宿』にて使用する。この数日後、『アサヒグラフ』の取材で再度、夏油温泉、蒸けの湯、今神温泉へ。暮れには1年半ぶりに作品を描く。 1970年 下北半島を『アサヒグラフ』の取材で大崎紀夫、北井一夫と3人で旅行。大湊線の終点からバスで陸奥湾の出口付近にある脇野沢村九艘泊の漁村へ。その貧しい暮らしぶりに無常感を感じ自分もそこで暮らしたい願望を持つ。廃墟やそれに類する貧しい暮らしのたたずまいから、〈意味化され社会化されていた自己〉からの解放と生の回復の希求を感じ取る。さらに山手にある水上勉原作の映画『飢餓海峡』のモデルとなった湯野川温泉へ赴くが、高熱を出し2日間身動きが取れなくなる。その後、牛滝、福浦、長後、佐井の小さな漁村、仏が浦へ。仏が浦で目にした巨岩は、無意味が目に見える固形になって現われており、その威厳に圧倒される。役割もなく意味も寄せつけない巨塊を眼前にし、相即的につげは自分も岩石のように意味のない「物」に化したような感覚を覚える。世界の聖地に無意味が具現化したような岩場が多いのは、どんな意味も寄せ付けない巨塊を眼前にした時、自分自身が意味のない物に化した感覚になることで、意味からの解放を感じることができ、あるがままに現象している心地を覚えることが理由で吸引されるのではないかと感得する。 1971年 暇をもてあまし、東北、瀬戸内海、奈良、長野、会津などを歴訪。瀬戸内の兵庫県室津を皮切りに中山道、妻籠宿、奈良井宿、藪原宿を訪問し、さらに会田宿、青柳宿、1968年に訪問した麻績宿を再訪。当時結婚した藤原マキを伴っての旅行であった。 1972年9月 漫画家としての将来に不安を抱き家賃の心配のない持ち家を探すために、母の郷里である外房の大原へ妻とともに赴き、国民宿舎大原荘に一泊。しかし不動産屋が見つからず小浜という漁村を歩き、幼少期に住んでいた家を妻に見せ父の墓へ参る。その後八幡岬に登り、水平線を一望、潮風に当たり帰港する漁船を見ているうちに目頭を熱くし、何とかこの地に住みたいと願う。翌日は鴨川から、内房の金谷、上総湊の2つの物件を見る。 1972年11月 不動産物件探しのため、再び大原へ。いくつかの物件を見て回り、小浜の漁村内の古家付き30坪130万円の物件が気に入り、買う気持ちに傾く。幼少期に住んだ家の裏のつげの遠縁が経営する「横山」という民宿に泊まる。そこで母が地元で評判が良くなかったことを聞かされる。5、6歳ころによく遊んだ「松ちゃん」というその家の息子が部屋に現れるが会話は弾まなかった。 1975年 友人の立石慎太郎と立石の車で関東平野を旅する。調布から川越、桶川へ至り深沢七郎の味噌を食べるため立ち寄るが、雨戸が閉まり呼び鈴を押すが反応がなかった。つげが立ち寄りたいと考えていた羽生や館林を通過し、足利でそばを食べ佐野へ。宿を探し葛生から栃木へ。川に面した商人宿の「手束旅館」に泊まる。翌朝、宿近くの骨董店で欠けた皿やガラス瓶を8000円購入し後悔する。小山、下館、笠間を通り土浦、江戸崎、布佐のコースを希望するも渋滞のために運転手の立石に否定される。立石はつげの弟のつげ忠男の勤める金物屋へ行きたいというが、今度はつげが否定したため気まずいムードとなる。京葉道路を通り午後8時ころ帰宅。立石はつげに向かって「また、つげさんのふくれっ面を見に来ますよ」と捨て台詞を残し立ち去る。 1981年4月 ノイローゼが小康状態となり、湯ヶ野、下田、須崎漁村などを2泊3日で家族旅行。 1984年7月 湯ヶ野、湯ヶ島に2泊旅行。心身不調のため旅への関心が薄れる。年に1、2回の家族旅行程度。 1985年5月 連休頃に持病の症状が軽快したため家族と1966年以来9年ぶりに奥多摩へ。自然の美に言葉もないほど感動する。特に御嶽駅前の渓谷美に心打たれる。日帰りの距離であるにもかかわらず長く来なかったことを後悔する。初日は五日市からバスで秋川谷沿いの本宿の国民宿舎に投宿。翌日網代鉱泉を訪問。風格のある茅葺屋根の豪壮な建物に惹かれ宿泊を願い出るも少人数は泊めないとモンペ姿の老婆に追い返され、奥多摩へ。御岳の割烹旅館「五州園」に宿泊。6000円以上の旅館に泊まったことのないつげが、初めて8000円の旅館に宿泊。帰路には夫婦喧嘩をする。石拾いを試みるが一つも拾うことはできなかった。8月には下部、湯河原、箱根に3泊の旅行。 1986年2月 千葉県館山で浄土宗の尼僧・八幡清祐に出会い、80歳を過ぎ乞食生活を続ける師の生き方に心打たれる。6月には、家族で鎌倉の寺巡りをし、長谷寺の門前で一泊。鎌倉大仏、建長寺などを見学。8月には、秩父を訪問。不動湯、紫原鉱泉に宿泊。 1987年8月 家族3人で長野県の別所温泉、鹿教湯温泉を訪問。9月には友人と車で塩山鉱泉、恵林寺、放光寺を見物し石和温泉に宿泊。11月上旬、「つげ義春研究会」研究旅行(15名)に同行し、甲斐路を訪問。甲斐国分寺跡、犬目宿、秘郷・秋山村を訪ねる。夕暮れ迫る深い峡谷の集落に灯が一つ二つ灯り、暗く哀しい「つげ義春の世界」が現出。 1990年4月 山梨県の田野鉱泉、嵯峨塩鉱泉へ家族旅行。このころより山に惹かれるようになる。 1970年代後半頃からは、自分自身が世の中に適合しておらず生きにくいと感じていたつげは、世の中が変わらないから自分を変えるしかないと考え、もっと生きやすい方法を模索するために読書に熱中した。ただし、読書で変わるという期待はなかったが、ただ教えられることはあった。少しずつではあるが、読書によって影響され方向が見えてきたという。もちろん最初からそういった目的意識があったわけではなく、後で考えそう感じた。私小説に熱中し、後は宗教書に熱中した。私小説に関しては、。フィクションとして読んではいるが作家の生き方や日常的な感じがよくわかり生き方の参考になった。また私小説家は貧乏や病気を抱えている場合が多く、一種の社会からのはみ出し者であるため、つげにとって親近感が持てリアリティがあった。生活レベルが自身に近いため、すんなり入ってくるがSFなどはこのために興味がない。 宗教書に関しては、あくまで病気を治すためであり、心理学の本も多く読んだが、神経症は単に自分自身の性格だけに原因があるのではなく、社会とのかかわり方によって症状が出ると分かった。宗教書では、頭ではある程度理解でき救われたという感はあったが、宗教書に説かれていることを実感として持たねば症状もなくならないと感じた。宗教の中でも、特に仏教のいうことがよく理解できて素晴らしいと感じた。ただ、自分の血肉化するように行動・実践の必要を感じた。知性や教養は救いにならない。座禅は体調の悪い時には行うが、無我の境地などにはなれない。無我の境地に入ろうなどと考えること自体よくない。禅の道場では1日のやるべきことは決まっており、それが作法になっている。作法に気を取られ考える時間も無くなるが、この「作務」を行って体を動かし、考える時間を失くしさらに座禅をする。これを何年もやりようやく無我の境地に行くのでしょう。人間は自我に苦しめられるが、自我はそもそもないものだというのが禅の教えであり、それが仏教の基本だ。本来自分というものはない。実体がないのに、それをあると錯覚している、それを悟らせようとするのが仏教だ。『蒸発』の中で山井に自分を「あってない」と観想するための方法、と言わせたり「私はちょっとこっちへ来ているだけ」と言わせたりしているが、宗教の先には「死」の問題がある。死を抜きにして宗教は考えられないが、これは難しい問題だ。だから古本屋の山井にああいうセリフを言わせた。井上井月を登場させ、「生と死」の境界線を描いた。井月は隠遁、とか完全な無用者になったが、隠遁というイメージはあまり好きではない。日本の伝統的な意味での隠遁は叛俗精神でもあった。その叛俗という甘さからワビやサビが出ると思う。唐木順三の『無用者の系譜』を読んで影響され『李さん一家』と『峠の犬』を描いた。文学では「私」を問題にするが、私の存在を問うのと宗教は微妙に違う。「私」なんてなかやさしいものじゃなく「死」だ。死が問題だ。だから法然、親鸞、一遍の浄土宗はいかに死ぬかが問題であって、いかに生きるかは禅宗に任せておけばいいなどと語っている。 1967年頃より興味を持ち始める。当初は漫画の取材用としてスケッチ代わりに使っていた。当時発売されたばかりのニコンの普及機・ニコマートFTNを購入。旅を始めたころに重なる。1970年頃からはコレクション的な興味も持ち始め、最初にオリンパス35を古道具店で入手したのがきっかけであった。自宅を兼ねた古道具屋であったため、冷やかしで出にくくなり、仕方なく同機を2000円で買ったものだったが、故障しており、いじっているうちに直った。それで写真を撮ったところ、レンズが柔らかく表現され、興味を持ち出した。それ以降、山ほどあったその店のカメラを安く入手し始めた。中にはキャノンS IIというライカ型の初期の珍品などもあったが、他の客に買われ悔しい思いをする。一時は250台くらい集め、日本の一眼レフの各メーカーの初号機など、国産の貴重品はトプコン、ズノー、コニカを除き、ほとんど取り揃えていた。レンズではライカが主力で、ズマリット、ズマール、エルマーなどソフトで味のあるレンズを好んだ。50mmレンズのボケを特に好み、ボケの出ないワイドレンズや重い望遠レンズは避けた。しかし、増えすぎて困っていたところ、「カメラ・コレクターズ・ニュース」というコレクター向けの本屋では売られていない雑誌の売買欄に目を付け「ピント商会」を設立。1年半から2年をかけてほぼ売り切る。安く出品したため、後になり、その間100万円程しか利益はなく、無駄な時間を潰したと後悔する。一時は古物商の免許を取り自宅で営業することも考えたが、仕入れが難しくなってきたためあきらめる。 特に、好きなカメラに小さいボルタ判の「スタート」と「リッチレイ」があった。シャッター速度は1/30秒単速で、絞りは3段階のものであったが、リッチレイではベークライト製でファインダーが取り外せるものがあった。つげはポルタ判を自分のテーマにするべく、あらゆるものを集めた。しかし、販売を行った際に四国のマニアに一括で売ってしまった。すると、その人が自慢たらしく雑誌に記事を投稿したことがあった。後に、その人物はポルタ判のコレクターとして日本一になったが、半分以上がつげから買ったものだった。また、新宿のA堂というカメラショップが店員を使い、つげのもとに身分を隠してマニアを装い買いに来たこともあり、後にA堂に行くとその店員がいたことで気付いたエピソードもある。それほど安く売りさばいていた。さらに日本橋の直井カメラにもかなりの珍品を譲っている。 赤瀬川原平が『ガロ』に書いたエッセイからは、つげがカメラに熱中していたのは1970年以前であることがうかがえる。石子順造とつげがかわるがわるに住んでいた新宿の十二社のアパートに当時のつげの部屋があり、つげとは面識のなかった赤瀬川は石子の案内で初めてそのアパートを夜に訪問する。石子はずかずかとつげのアパートに入っていくと、電灯の消えた部屋のドアを容赦なくつげが出るまでノックした。しばらく待った後で、つげは細目にドアを開け顔を出した。この時、つげは写真の現像・引き伸ばし中で、部屋には畳の上に引き伸ばし機や現像液、定着液などの入ったバットが並び、水洗のバットには風景写真が沈んでいた。レンジファインダーのキャノンやオリンパスも見えたという。赤瀬川は後に引っ越したばかりの団地の部屋にも訪ねたが、その時には、棚の上に段ボール箱がいくつかあり、未だ開封していないが中古カメラが詰まっていると聞かされた。赤瀬川は、つげのカメラの好みは「和風」であり、ライカ、コンタックス、フォクトレンダーなどの西洋の機種は好みじゃないような気がする、と述べている。
最初から生きにくかった。この世の中に最初から馴染めない。そういう生きにくい自分が不安なんです。大多数はうまく適応しているのに、うまく合わせられない自分はおかしいのではないかと不安になる。どうにも社会に合わせられないから、自分なりの生き方を何とか開発しようと模索してきたが結局社会から抜け出たような状態で生きるしか、そういう気持ちになってきた。漫画家になったのも、一人でやれる気楽な商売と思ったのだが、実際は漫画のストーリー作りは、一つの現実を作る感じがある。部屋に閉じこもって世の中から外れる商売はないかと考えたが、古物商や古本屋、石屋、渡し守だった。しかし、最終的に一番外れるのは乞食(こつじき)でしょうね(1991年12月)。 愛煙家だが、「ぼくの煙草は健康のためです。血管が膨張する病気なので、煙草で少し収縮させた方がいいのです」。 「マンガは芸術ではないと思っている。しかし、どんな芸術も最終的には意味を排除することが目的だと思う。だから意味のない夢を素材にした一連の夢ものを描いたり、夢日記を付けたりした」。 やっぱり娯楽漫画には興味ないです。 選挙では「毎回入れるとこ(=投票政党)変わる」と言いつつ、『つげ義春日記』の1976年の項では自分は貧乏なので日本共産党に入れたと述べており、2013年の参院選でも「はい、やっぱり共産党に入れましたよ」「保守系に対抗できるのは他にないですから。でも政治思想にはまったく関心ないですね」と語っている。 『ガロ』以降の作品は、すべてつげ義春自身で保管しているが、『必殺するめ固め』(1979年)だけは川崎市民ミュージアムが購入した。この作品は完成作ではなかったため、下書きや書き損じを雑誌などにはさんで古紙回収に出したものを抜いた者がいて、売りに出されたものを川崎市民ミュージアムが買ったらしい。 精神科医で専門は犯罪精神医学の福島章は、つげ作品の時期を5期に分類した。 第1期 第2期 第3期 第4期 第5期 第6期 ユング派の河合隼雄は、つげの性格を「内向 - 感覚型」ととらえ、つげが同時代に与えた衝撃を、現代社会の持つ外向的思考、外向的感覚に対するアンチテーゼの提起によると考えた。『沼』を分析することによって、内向 - 感覚型人間の持つ「溶解体験」、「自我同一性の崩壊の危険」を指摘。作中の主人公の青年の沼への発砲を、距離を取り戻すための「儀式」と解釈した。 ユング派の横山博は「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春の引き裂かれた女性イメージ」と題する論文で『ゲンセンカン主人』を例に挙げ、 つげの赤面恐怖症を統合失調症の前駆症状ないしは近縁領域と捉え、つげが少年期にエリク・H・エリクソンのいう「基本的信頼」の欠如やマイケル・バリントの「基底欠損」にさらされざるを得なかったことでユング的にいう「母親原型」に守られた形での幼児・子供原型を生き切れなかったとみている。これはつげの母が生活に追われ、つげに対し母性を与えるだけの余裕がなく、つげの著作からは兄への愛情は語られるが、母への愛情は語られていないことなどから推測して、満たされなかった母性への強い渇望があり、それが現代人が持つ不安とともに『ねじ式』に描かれることとなったとし、つげは「所定めぬ異邦人(エトランゼ)」なのだという。多くの人が持つ安心感を持つことができる逗留場所である場所や母性がつげには得られなかったことが、彼が近代化に取り残され既視感を伴うような辺鄙な温泉場へ赴くことで地域の共同体からこれまでに渇望しても得られなかった「母なるもの」を体験する。また、『ゲンセンカン主人』のラストシーンの2人のそっくりな男の遭遇は精神病理学的には「ドッペルゲンガー」に酷似しているという見方を示した。自分自身の分身と出会うとき、周囲は嵐になる。内面の不安、恐怖の外部空間への投影がラストシーンだという。 以下、発表順 犯人は誰だ!!(1954年10月、「痛快ブック」(芳文社)) きそうてんがい(1954年10月) 青空浪人(1955年4月、「痛快ブック」(芳文社)) 白面夜叉(1955年5月、単行本(若木書房)) とんちんかんちゃん(1955年5月、「痛快ブック」(芳文社))) 涙の仇討(1955年6月、単行本(若木書房)) しまった(1955年7月、「痛快ブック」(芳文社))) たすけてー(1955年8月、「痛快ブック」(芳文社))) 愛の調べ(1955年9月、単行本(若木書房) のら犬物語(1955年9月、「痛快ブック」(芳文社)) 片腕三平(1955年10月、単行本(若木書房)) 戦雲のかなた(1955年11月、単行本(ひばり書房)) へんな野球(1955年11月、「痛快ブック」(芳文社)) のっぽ専用(1955年12月、「痛快ブック」(芳文社)) ジャングルにさるまわしがあったなら(1956年1月) 能祭の乙女(1956年2月) 暁の銃声(1956年7月) 生きていた幽霊(1956年11月) 港のリリーちゃん(1957年2月) 地獄への招待(1957年2月) 走れ!ぼろバス(1957年3月) 仮面の少女(1957年4月) 吹雪の中の顔(1957年6月) 四つの犯罪(1957年6月) 犯人はだれ?(1957年7月) 暁の非常線(1957年7月)※1960年9月「影の男」に改題 七つの墓場(1957年8月)※1960年12月「犯人を挙げろ」に改題 どろぼうと少年(1957年9月) ゆうれい船長(1957年10月) 狂人屋敷の謎(1957年10月)※1960年10月「謎」に改題 西洋館のひみつ(1958年1月) 恐怖の終列車(1958年2月) 恐怖の灯台(1958年3月) 船虫小僧の冒険(1958年4月〜9月) 幕末風雲伝(1958年6月) のろわれた仮面(1958年8月) のろわれた刀(1958年8月) 三人の逃亡者(1958年8月) おばけ煙突(1958年11月) ある一夜(1958年12月) 不思議な手紙(1959年2月) うぐいすの鳴く夜(1959年5月) クロ(1959年7月) 手錠(1959年8月)※1959年8月版は実弟・つげ忠男との共作・1966年3月に改稿 鉄路(1959年9月) どくろの秘密(1959年10月) 賭け(1959年11月) 裁く(1959年11月) 親分(1959年12月) 墓をほる影(1959年12月、『痛快ブック』(芳文社)) - 1999年、北冬書房高野慎三によって新発見された作品。若木書房の『迷路』に毎月短編を発表していた当時の1年ぶりの雑誌向け長編だが、つげ自身も全く記憶がなかった。 殺し屋(1960年1月) 古本と少女(1960年2月)※1966年9月に改稿 腹話術師(1960年2月) 武蔵秘話3 妖刀村正(1960年3月)※のち作品リストから抹消。つげ義春によると「五味康祐の完全な盗作」であり、その後どの単行本にも再録していない。 老人の背中(1960年4月) 灼熱の太陽の下に(1960年4月)※1966年12月に改稿・同時にタイトルを「蟻地獄」に改題 ホワイヴ・ダイス(1960年4月) 四人の素人(1960年5月) 非情(1960年6月) 忍者狩り(1960年8月) 怒れる小さな町(1960年9月) 穴(1960年10月) 鬼面石(1960年11月) 一発(1960年12月) 女忍(1961年2月)※1966年12月に改稿 月姫さま(1961年4月) 戦国悲話(1961年5月) なぜ殺らなかった(1961年6月) 忍者くん(1961年7月) 野盗の砦(1963年4月) 狂った忍者(1963年9月) 忍びの城(1963年12月) 流浪人別帳(1964年2月) 見知らぬ人々(1964年3月) 上忍下忍(1964年7月) 忍者絶命(1964年12月)※1965年9月「奴隷侍」に改題 一刀両断(1965年2月) ねずみ(1965年3月) 目には目を(1965年4月) 右舷の窓(1965年6月) 行ったり来たり(1965年8月) 噂の武士(1965年8月) 西瓜酒(1965年10月) 死にたい気持ち(1965年11月) 運命(1965年12月) 下町の唄(1965年12月) 不思議な絵(1966年1月)※1966年12月に改稿 兄貴は芸術家(1966年2月) 沼(1966年2月) チーコ(1966年3月) 初茸がり(1966年4月) 通夜(1967年3月) 山椒魚(1967年5月) 李さん一家(1967年6月) 峠の犬(1967年8月) 海辺の叙景(1967年9月) 紅い花(1967年10月) 西部田村事件(1967年12月) 長八の宿(1968年1月) 二岐渓谷(1968年2月) オンドル小屋(1968年4月) ほんやら洞のべんさん(1968年6月) ねじ式(1968年6月) ゲンセンカン主人(1968年7月) もっきり屋の少女(1968年8月) 蟹(1970年1月) やなぎ屋主人(1970年2月-3月) 夢の散歩(1972年4月) 夏の思いで(1972年9月) 下宿の頃(1973年1月) 大場電気鍍金工業所(1973年4月) 懐かしいひと(1973年8月) リアリズムの宿(1973年11月) 事件(1974年4月) 枯野の宿(1974年7月) 義男の青春(1974年11月) 庶民御宿(1975年4月) 退屈な部屋(1975年10月) 夜が掴む(1976年9月) アルバイト(1977年1月) コマツ岬の生活(1978年6月) 外のふくらみ(1979年5月) 必殺するめ固め(1979年7月) ヨシボーの犯罪(1979年9月) 魚石(1979年10月) 日の戯れ(1980年1月) 窓の手(1980年3月) 会津の釣り宿(1980年5月) 少年(1981年7月) 近所の景色(1981年10月) 雨の中の慾情(1981年12月) 散歩の日々(1984年6月) ある無名作家(1984年9月) 池袋百点会(1984年12月) 隣りの女(1985年3月) 石を売る(1985年6月) 無能の人(1985年9月) 鳥師(1985年12月) 探石行(1986年3月) カメラを売る(1986年6月) やもり(1986年9月) 蒸発(1986年12月) 海へ(1987年3月) 別離(1987年6月・9月) 高野慎三によると、つげが構想した作品の半数近くが、陽の目を見ずに終わっているという。それらは外的な理由ではなく、つげ自身の「個人的事情」による。「創作ノート」というような形でも残されておらず、高野によれば、つげはその点「いさぎがよかった」らしく、それがつげの生き方のある種の徹底性につながっていると見ている。1967年から1968年にかけての『李さん一家』に始まる名作の数々の発表される陰で消えていった作品も1つや2つではなく、また、当初は文庫本ほどの創作ノートに書き込まれていたものの、いつしか散逸したのだという。つげは高野にひとつの物語を語り終えると、必ず作品化し発表してほしいと懇願する高野に、「話しちゃえば落ち着くんですよね。描いたからってどうということありませんからね」と呟いた。高野には「発表しない」という行為も重要なことに思えたという。以下に未発表作品の一部を紹介する。 100ページ以上の長編。漂流譚の一種であり、ヘミングウェイの『老人と海』や井伏鱒二の『ジョン万次郎漂流記』などがヒントになった可能性がある。当時、雑誌『ガロ』では白土三平の『カムイ伝』が連載中で、それに触発された可能性もある。水彩色で波間に漂う漁船の表紙絵まで仕上がっていた。しかし当時は水木しげるのアシスタントをつとめており、長編を描く時間がないという単純に物理的な理由により手が付けられなかった。その後の『長八の宿』で「ジッさん」の過去が語られるくだりに『南風』のシチュエイションの片鱗がうかがえる。ただ『南風』の漁師は松崎ではなく、人家の少ない孤島に漂流し、一切の過去への想いを断ち切り、孤独のうちの生を送るという筋書きであったという。『南風』が『峠の犬』前後の構想であったことを考え合わせれば、つげが描こうとしていたテーマは大体の察しが付くと高野は語っている。 つげ義春流れ雲旅(朝日ソノラマ、1971年/旺文社文庫、1982年9月) つげ義春流れ雲旅(朝日新聞出版、2023年1月)、ISBN 978-4-0225-1877-4 つげ義春が語る旅と隠遁(筑摩書房、2024年4月)、約半世紀間の対談、インタビューを集成 つげ義春とぼく(晶文社、1977年/新潮文庫、1992年) 猫町紀行(三輪舎、1982年) - 豆本 つげ義春旅日記(旺文社文庫、1983年6月) つげ義春日記(講談社、1983年12月/講談社文芸文庫、2020年3月) 貧困旅行記(晶文社、1991年/新潮文庫、1995年) つげ義春の温泉(カタログハウス、2003年/ちくま文庫、2012年) 紅い花(NHK、1976年)演出:佐々木昭一郎 無能の人(映画、1991年)監督:竹中直人 ゲンセンカン主人(映画、1993年)監督:石井輝男
第2話 紅い花 第3話 ゲンセンカン主人 第4話 池袋百点会 つげ義春ワールド(テレビ東京、1998年)全12話
懐かしいひと 監督:豊川悦司 散歩の日々 監督:長尾直樹 無能の人(前後編)監督:望月六郎 ある無名作家 監督:伊藤秀裕 別離(前後編)監督:望月六郎 やもり 監督:伊藤秀裕 義男の青春(前後編)監督:安藤尋 紅い花 監督:渡辺武 ねじ式(映画、1998年)監督:石井輝男 蒸発旅日記(映画、2003年)監督:山田勇男 リアリズムの宿(映画、2004年)監督:山下敦弘 雨の中の慾情(映画、2024年)監督:片山慎三 名作浪漫文庫 ねじ式(PC-9800シリーズ、X68000用。制作:ツァイト、ウィル) 柴田道子編『日本のお母さんたち』(ぺりかん社、1972年) 『太陽』1976年1月号「特集 日本温泉旅行」(平凡社、1975年) 大崎紀夫『全国雑魚釣り温泉の旅』(潮出版社、1979年) 荒川洋治『ボクのマンスリー・ショック』(新潮文庫、1985年) 種村季弘・池内紀編『温泉百話 東の旅/西の旅』 (ちくま文庫、1988年) 高野慎三『旧街道』(北冬書房、1990年) 梶井純『骨董紀行』(北冬書房、1992年) 『藤澤清造貧困小説集』(龜鳴屋、2001年) 川本三郎『時には漫画の話を』(小学館、2012年) 佐々木通武『短編集 影絵の町―大船少年記』(北冬書房、2017年) つげ義春幻想紀行(権藤晋、立風書房 1998年)
つげ義春1968(高野慎三、ちくま文庫 2002年9月) つげ義春漫画術(上・下、ワイズ出版 1993年10月) ISBN 4948735183 / 下巻:ISBN 4948735191
つげ義春を解く (清水正 現代書館 1997年) つげ義春を読め (清水正 鳥影社 2003年) つげ義春 夢と旅の世界(つげ自身と戌井昭人 東村アキコ 山下裕二 共著 新潮社「とんぼの本」 2014年9月) つげ義春 名作原画とフランス紀行(つげ自身とつげ正助、浅川満寛(元・担当編集)、新潮社「とんぼの本」 2022年6月) つげ義春 「ガロ」時代 (正津勉、2020年 作品社) つげ義春 「無能の人」考 (正津勉、作品社 2021年) つげ義春賛江 偏愛エッセイ・評論集(山田英生編、双葉社、2023年)、つじ作品へのエッセイ、書評を集成 「アックス」第119号 特集・つげ義春 生誕80周年記念 祝・トリビュート!(青林工藝舎 2017年10月)ISBN 978-4-88379-440-9 権藤晋(高野慎三) - 北冬書房を主催。『ねじ式』をはじめとする代表作を世に出すために尽力した立役者。「メメクラゲ」で誤植の歴史に名を残す。 夜久弘 - 日本文芸社で長年、編集者を務める。『カスタムコミック』の副編集長時代に、つげに作品を依頼し、それが縁で1984年、つげの作品をメインとする漫画雑誌『COMICばく』を創刊、1987年まで編集長を務めた。 水木しげる 岡田晟 竹中直人 石井輝男 北井一夫 - 1970年代初頭に、つげともに、下北半島(青森県)や国東半島(大分県)などの僻地への撮影旅行を繰り返し、アサヒグラフに発表。その後、単行本『つげ義春流れ雲旅』(朝日ソノラマ 1971年、共著 絵:つげ義春、文章:大崎紀夫、写真:北井一夫)として刊行。すでに失われていた日本の原風景や昭和の日本人を記録するなど当時写真が都市を志向するなか、「村」にこだわる強い姿勢を示した。2016年 には、1970年代につげとともに訪れた僻地の村を収めた写真集『流れ雲旅』(ワイズ出版)を刊行。 佐野史郎 岡田奈々 杉作J太郎 畑中純 石子順造 山下裕二 - 2014年1月号『芸術新潮』誌上にて、つげへの4時間ロングインタビューのインタビュアーをつとめる。 井上井月 - 江戸時代の俳人。『無能の人』の最終話である第6話「蒸発」に登場。同作の主人公がその生き方に共鳴している。 紅子 - 元吉原高級ソープランド嬢で、引退後に全国各地の遊郭・赤線・風俗街などを撮影し写真集やYouTubeに発信。つげのファンで、紅子の「紅」はつげの『紅い花』の意味もあると語っている。 日野日出志 - 1966年の「チーコ」に大きな衝撃を受け、「つげ義春のようなマンガを描きたい」という思いでマンガを描きつづけたという。 はるき悦巳 - 「つげ義春がめっちゃ好きやね。今はそう読めなくなったけど、もう、漫画描くのいやになるくらい好きやからね」、「同じ雑誌に載るというだけで、何もつげ義春と机を並べて仕事する訳でもないのだが、「あのつげ義春と共演できる!!」と思うとボーっとなって自分を見失ってしまうのだ」と発言している。 蛭子能収 - 「それまでの旅物とか温泉物は、それ程好きっていう訳ではなくて、『ねじ式』を読んで一変しましたねえ」、「映画の世界では、芸術映画ってたくさんありましたけど、漫画の世界では、そんなことありえないって思ってたんですよ。漫画は、普通のストーリーで進んでいくものだって。でも、つげ義春さんの『ねじ式』っていうのを読んで、ビックリしたんですよ。漫画でもこんな芸術っぽいものが出来るんだ、受け入れられるんだって。強い影響を受けましたね」と発言している。 雁屋哲 - 「つげ義春を一言で表現したいと思ったら「天才」という言葉以外は思い浮かばない」、「つげ義春の作品を、日本人全員は読め、と私は言いたい」と絶賛している。 佐藤秀峰 - 高校生の時に初めてつげ義春の作品を読み、最初は意味がわからなかったが、やがて絵の魅力に取り憑かれ、「僕は原稿中のベタの面積が比較的大きい(画面が黒っぽい)漫画家なのですが、これは間違いなくつげさんの影響です。それまで、漫画は線画が基本であると思っていた僕にとって、線じゃなく白と黒という色で表現する漫画があることに驚き、強烈にカッコイイと思いました。絵を眺めるだけでも飽きず、繰り返し読みました。もちろん(?)模写もしまくりましたよ」と発言している。 弘兼憲史 - 影響を受けた漫画家の名に手塚治虫、上村一夫、つげ義春、永島慎二を挙げ、「最初は手塚さんで、それから永島さんの『漫画家残酷物語』で、大学時代はつげさんの『ねじ式』、あと上村さんの『怨獄紅』や『密猟記』『同棲時代』あたりをずっと読んでいました」と発言している。 川上弘美 - 好きな漫画家の名を挙げて「白土三平、手塚治虫に始まり、萩尾望都、大島弓子、山岸凉子、つげ義春につげ忠男、いがらしみきおに諸星大二郎、しりあがり寿」と発言している。 小西康陽 - 「小学校高学年の時に、なんか家庭教師の人が、早稲田の学生さんの人が来てて、その人がいろんないっぱい新しいマンガとか教えてくれて、「ガロ」とか読んでた。つげ義春とか佐々木マキとか好きになって」と発言している。 植芝理一 - 『ねじ式』に影響を受けた独自の作風を持つ。 花輪和一 - 『ねじ式』を読み衝撃を受け漫画家を志す。 江口寿史 - 好きな漫画家の筆頭につげ義春を挙げ、「ねじ式」のパロディ作品「わたせの国のねじ式」を発表している。 よしながふみ - 「わたしは、つげ義春さんのマンガが好きで」と表明。「つげさんのマンガの中で、売ろうとしていた石が全然売れなくて、奥さんがばーんてその石を投げて、もう、こんなのやだーっ、あんたにはマンガしかないのよって言って、後ろに喘息の子どもがうぇーって泣いてて、最後にお寺の鐘がゴーン。あれ、元気出るんです、すっごい。もう何度読んでも、このゴーンてとこで元気が出ます」と発言している。 久住昌之 - 高校時代『つげ義春作品集』をきっかけにつげファンとなり、特に『つげ義春とぼく』を「奇跡の一冊」と絶賛している。 逆柱いみり - 『ねじ式』を読み漫画家を志す。 ^ 「葛飾区史」によると葛飾区の学童疎開は5214名で東京都の指導による割り当てで深川区とともに新潟県に決定され、滞在先は中頸城郡名香山村の10軒の旅館だったが、つげが滞在した旅館は板倉屋、清水屋、和泉屋、香雲閣、豆腐屋のいずれかだろうと推測されている。 ^ 当時の『迷路』の原稿料は1頁350円ほどで30頁描くと約1万円(現在の価値で約13万円から14万円)になった。当時の錦糸町の下宿が2食付きで6千円から7千円であった。そのため1万円あれば生活はできた(当時の大卒の平均給料が約1万円)。 ^ 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1965年4月号、168頁柱に「つげ義晴〔ママ〕・九鬼まこと、両君至急当社に連絡乞う」とある。つげは当時『ガロ』や青林堂の存在を知らず、尋ね人の広告は石川球太から教えられて知った。 ^ 同人:石子順造、山根貞男(当時は「菊池浅次郎」名義)、梶井純、(高野本人である)権藤晋。 ^ 「つげ義春」が「つげ義治」と誤植されている。 ^ 『ねじ式』執筆の翌年であった。 ^ 現・ホテル手束 ^ 本年12月に『無能の人』を発表する。 ^ つげ義春漫画術 下巻 1993, p. 406. ^ 日本文芸家協会(編)『文藝年鑑』1984年版、新潮社、82頁。 ^ 黒田健朗 (2022年2月22日). 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つげ義春、権藤晋『つげ義春漫画術』 上巻、ワイズ出版、東京、1993年8月。ISBN 978-4-94-873518-7。 つげ義春、権藤晋『つげ義春漫画術』 下巻、ワイズ出版、東京、1993年10月。ISBN 978-4-94-873519-4。 つげ義春「つげ義春自分史」『つげ義春全集 (別巻) 苦節十年記 旅籠の思い出』筑摩書房、1994年6月。ISBN 978-4-48-070169-5。
つげ義春『無能の人・日の戯れ』新潮社〈新潮文庫〉、1998年3月2日。ISBN 978-4-1013-2813-3。 つげ義春『つげ義春の温泉』カタログハウス、2003年2月10日。ISBN 978-4-9059-4351-8。
「大特集 デビュー60周年 つげ義春 マンガ表現の開拓者」『芸術新潮』2014年1月号、新潮社、2013年12月25日、、JAN 4910033050148。 「特集:つげ義春 探し旅」『スペクテイター』第41号、エディトリアル・デパートメント、長野県、2018年2月20日、ISBN 978-4-34-495336-9。 『つげ義春が語る 旅と隠遁』筑摩書房、2024年4月9日。ISBN 978-4-480-81864-5。 2024年6月号">「つげ義春略年譜」『東京人』2024年6月号特集「画業70年 つげ義春と東京」、都市出版、2024年5月2日、93-94頁、JAN 4910167250643。 つげ義春『つげ義春が語る マンガと貧乏』筑摩書房、2024年6月26日。ISBN 978-4-480-81865-2。 佐野眞一『人を覗にいく』。 青林堂 北冬書房 夜行 シュルレアリスム アンダーグラウンド (文化) 大多喜町 鰺ヶ沢町 峐の湯温泉 キノコ - ハツタケ つげプロジェクト (@tsugepro) - X(旧Twitter) つげプロジェクト (tsugepro) - Facebook つげプロジェクト (@tsugepro) - Instagram つげ義春|美術手帖 万力のある家(北冬書房) - ウェイバックマシン(2018年6月17日アーカイブ分) つげ義春を散歩する(調布編)公式サイト つげ義春の隠れ家 - ウェイバックマシン(2001年6月5日アーカイブ分) 高田馬場つげ義春研究会 - ウェイバックマシン(2005年4月9日アーカイブ分) 北冬名鑑 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research ULAN IdRef 著作権問題調査依頼 20世紀日本の随筆家 日本のコラムニスト 21世紀日本の随筆家 日本の男性著作家 日本の漫画家 旭日中綬章受章者 東京都区部出身の人物 1937年生 存命人物 ガロ 大島町 柘植氏 出典のページ番号が要望されている記事 外部リンクがリンク切れになっている記事/2018年8月 編集半保護中のページ 言葉を濁した記述のある記事 (いつ)/2018年7月-8月 2025/03/29 17:49更新
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tsuge yoshiharu
つげ義春と同じ誕生日10月31日生まれ、同じ東京出身の人


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