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石ノ森章太郎の情報 (いしのもりしょうたろう)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

石ノ森章太郎の情報(いしのもりしょうたろう) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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石ノ森 章太郎さんについて調べます

■名前・氏名
石ノ森 章太郎
(読み:いしのもり しょうたろう)
■職業
漫画家
■石ノ森章太郎の誕生日・生年月日
1938年1月25日 (年齢60歳没)
寅年(とら年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
宮城出身

(昭和13年)1938年生まれの人の年齢早見表

石ノ森章太郎と同じ1938年生まれの有名人・芸能人

石ノ森章太郎と同じ1月25日生まれの有名人・芸能人

石ノ森章太郎と同じ出身地宮城県生まれの有名人・芸能人


石ノ森章太郎と関係のある人

坂井孝行: 仮面ライダー剣(原作:石ノ森章太郎、てれびくん 2004年3月号-11月号連載、小学一年生 2004年4月号-6月号連載)


細井雄二: 仮面ライダーBLACK RX(原作:石ノ森章太郎、コミックボンボン連載)


竹宮惠子: 石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』に学び、実用的な機能漫画も教えた。


石森史郎: 漫画家の石ノ森章太郎は母方の従兄弟。


手塚治虫: 他に1989年の書籍に掲載された手塚と石ノ森章太郎との対談では「自分は20歳でデビューした」という体で話を進め、17歳でデビューした石ノ森を叱責している。


島本和彦: 『まんが秘宝』Vol.3「まんがチャンピオンまつり」洋泉社 1998年 -「俺の原点! 石ノ森章太郎の『仮面ライダー』」として原作漫画版について語った。


坂井孝行: 仮面ライダー555(原作:石ノ森章太郎、小学一年生 2003年4月号-2004年3月号連載)


加藤有生子: 2018年放送分 ノートルダム・ド・パリ (2月)100分de石ノ森章太郎(スペシャル)エチカ (12月)


かがみあきら: プロデビューは石ノ森章太郎からの推薦がきっかけである。


細井雄二: 仮面ライダーSDマイティーライダーズ(原作:石ノ森章太郎、テレビマガジン1992年-1994年連載)


永井豪: これは永井自身、手塚治虫も石ノ森章太郎も成し遂げていない記録かもしれない、としている。


大友克洋: 特に、手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝という3人の漫画家を尊敬しており、自身の漫画でそれぞれオマージュを捧げている。


今野敏: 漫画家の石ノ森章太郎は父方のはとこ。


小澤さとる: 旅館の大部屋では石ノ森章太郎、松本零士、 桑田次郎、 横山光輝が作業しており、小澤は小部屋で一人、色塗りなどした。


安土じょう: 仮面ライダーZX(原作:石ノ森章太郎


吾妻ひでお: 石ノ森章太郎の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す。


細井雄二: 仮面ライダーSDばっ太くん(原作:石ノ森章太郎、テレビマガジン1994年-1999年連載)


のなかみのる: 仮面ライダーSD(原作:石ノ森章太郎、テレビランド連載) 


佐藤史生: 2009年12月19日から2010年2月14日まで、出身地である宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館にて行われた特別企画展『佐藤史生展』では、カラー原画などが展示され、交通の不便さにもかかわらず近県および遠隔地からもファンが足を運んだ。


野口竜: 石ノ森章太郎の作品の中では、忍者漫画の『黒い風』を一番好きな作品として挙げている。


岩佐陽一: キカイダー大全 : 人造人間キカイダーキカイダー01の世界 石ノ森章太郎 原著,岩佐陽一 編・著 双葉社 2002


坂井孝行: 仮面ライダー電王へんしん!ライナーフォーム!!(原作:石ノ森章太郎、小学一年生 2007年11月号別冊付録)


さいとう・たかを: 1980年代にはゴルフに熱中しており、山梨の富士野屋別館には交流の深い漫画家仲間である石ノ森章太郎、北見けんいち、ちばてつや、つのだじろう、藤子不二雄A、古谷三敏らと書いた寄せ書きが額縁入りで飾られている(松本零士も来る予定だったが、原稿が間に合わず参加できなかったという)。


藤異秀明: 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事(『テレまんがヒーローズ』2008年春号 / 原作:石ノ森章太郎) - 『スーパーヒーローズ』第1巻(2009年、講談社)に収録。


坂井孝行: 仮面ライダー龍騎(原作:石ノ森章太郎、小学一年生2003年1月号掲載)


手塚治虫: 藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつや、望月三起也、楳図かずお、中沢啓治など。


奥瀬サキ: ギルガメッシュ(アニメ、原作:石ノ森章太郎) 関西テレビ・フジテレビ系、2003年 - 2004年


小林たつよし: 仮面ライダーBLACK RX(原作:石ノ森章太郎)『てれびくん』


細井雄二: 変身忍者嵐(原作:石ノ森章太郎、おともだち 1972年 -1973年 連載)


井口ユミ: 不思議少女ナイルなトトメス(原作:石ノ森章太郎


石ノ森章太郎の情報まとめ

もしもしロボ

石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう)さんの誕生日は1938年1月25日です。宮城出身の漫画家のようです。

もしもしロボ

経歴、年表などについてまとめました。テレビ、現在、兄弟、映画、卒業、病気、結婚、解散に関する情報もありますね。60歳で亡くなられているようです。

石ノ森章太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)。1984年までは「石森 章太郎」の表記を使用していたが、この時期には「いしもり しょうたろう」と呼ばれるのが通例だった。

SF漫画、ギャグ漫画から学習漫画まで幅広いジャンルの作品を量産し、“漫画の神様”手塚治虫との対比で「漫画の王様」、「漫画の帝王」 と評された。

代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』『人造人間キカイダー』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など。仮面ライダーシリーズやがんばれ!!ロボコンを始め、特撮作品の原作者としても活躍した。

昭和30年代から40年代、漫画の世界で新しい手法の開発者としてとくに目立った存在であり、多様な分野と作風の中でも特にSF漫画で他への影響が手塚と並んで大きく、いわゆる手塚風漫画の中で最もスタイリッシュな作風で、各時点での新鮮な画面コマ表現と少女漫画にも通用する滑らかな線をもち、昭和40年代始めごろには漫画の王様と呼ばれていた。この時期の作風は、SF(S&F)性・詩的叙情・アクションを含むことが多かった。それらの要素は1971年に放送開始された『仮面ライダー』以降、徐々に特撮作品へと移っていき、執筆する漫画の傾向は青年漫画や学習漫画など幅広いものとなっていった。

1989年(平成元年)、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表した。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の2007年末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』(角川書店)が、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。なお、テレビ原作者(アニメ・実写)としてのクレジットは放映期間のべ六十数年分に及び、野村胡堂、長谷川町子らを凌駕して国内最高で、2020年現在も更新し続けている。

妻の小野寺利子は石森グループ会長。息子に俳優の小野寺丈(長男)と石森プロ社長の小野寺章(次男)がいる。脚本家の石森史郎は従兄弟。小説家の今野敏ははとこ。

経歴

生い立ち

1938年(昭和13年)1月25日、宮城県登米郡石森町(中田町石森を経て現・登米市中田町石森)に、父・康太郎、母・カシクの長男として生まれる。姉、弟2人、妹の5人兄弟。下記にもあるように当初は映画監督を志していたが、3歳上の姉である小野寺由恵は生来病弱で外出もままならないため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが、漫画の原点であったという。

小学生のころは単行本や雑誌を読むのが好きで、あるとき手塚治虫の『新宝島』に出会い衝撃を受け、以後手塚治虫の大ファンとなる。

1950年(昭和25年)、中学生になり手塚治虫にファンレターを出したところ返事が戻ってきたことでますます漫画に夢中になり、2年生のとき初めて4コマ漫画を「毎日中学生新聞」に投稿したところ入選、以後投稿マニアとなる。近所の子供を集めて研究会をつくり会誌『墨汁一滴』を作成(このときは2号で廃刊)、投稿漫画を募集していた『漫画少年』で批評を担当していた手塚治虫の元に送ったりした。

1953年(昭和28年)、宮城県佐沼高等学校に入学。『漫画少年』への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立、肉筆回覧誌『墨汁一滴』を制作する。第一期の会員には赤塚不二夫、横田徳男、長谷邦夫、横山孝雄、高井研一郎、徳南晴一郎などがいた。このころ既に漫画業界で「宮城県に天才がいる」と評判になっている。このころのあだ名は「じゃがいも」。高校2年生の春(5月)、手塚治虫より仕事を手伝って欲しいとの電報が届き、『鉄腕アトム』のアシスタントを務める。

高校在学中の1954年(昭和29年)、手塚治虫の仲介で、石ノ森は『漫画少年』でデビューすることになる。デビュー作は、1954年12月発売の『漫画少年』1955年新年号に掲載された『二級天使』。

デビュー以後

1956年(昭和31年)、厳格な公務員であった父からは漫画家になることを反対されていたが、喘息持ちの由恵が両親を説得するなど熱心に応援してくれたこともあり、高校卒業と同時に上京、下落合に下宿する。5月からトキワ荘に移り、15日には病気治療も兼ねて由恵も上京する。手塚をはじめ多くの漫画家たちが住んでいたトキワ荘に住み、作家活動を始めた。トキワ荘グループの男性陣の中では最年少ではあったが、最も早く頭角を現し、赤塚不二夫などは、自分の漫画を描くよりも、石ノ森のアシスタントをする時間の方が多いほどだった。

しかし1958年(昭和33年)4月4日、トキワ荘で石ノ森と同居し、トキワ荘グループのマドンナ的存在となっていた由恵が急逝した。最大の理解者であった姉を失ったことは、後の石ノ森の作風にも大きな影響をもたらした。

1959年(昭和34年)、手塚のアシスタントだった月岡貞夫とともに、手塚の身代わりとして東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に派遣された。石ノ森は月岡とともに「このまま東映動画に入ってアニメーションをやりたい」と訴えたが、当時東映動画の若手スタッフだった白川大作(後に東映動画専務)から「(絵が個性的でアニメに向かないから)ちゃんと漫画をやれ。そのかわり漫画が売れたらそれを原作として買いに行く」と説得されて断念した。後にこのときの約束通り東映動画で作品がアニメ化された。さらに東映本体での特撮番組企画へとつながる東映グループとの接点のきっかけとなる。

藤子、赤塚らと共にトキワ荘に長く住み、国民的売れっ子作家に上り詰めた中でも、もっとも遅い時期まで石ノ森はトキワ荘に住み続けた。

1961年(昭和36年)8月24日より70日間の海外旅行に出掛ける。当時は海外旅行が自由化される前で、単なる「観光」では旅行許可が下りなかったため、集英社に依頼しシアトルで開かれるSF大会の取材という名目で臨時に「取材記者」の肩書きを入手している。貯金がなかったため、旅費も各出版社から前借りした。SF大会では、矢野徹の紹介状をSFファンダムで有名なフォレスト・J・アッカーマンに渡し、ロバート・A・ハインライン、ポール・アンダースンらを紹介してもらう。なおこの旅行は、『少女クラブ』などの雑誌の廃刊が続いたことのショックや、姉の死からの逃避行という面も持っていた。

1962年(昭和37年)、トキワ荘を転出する。1963年(昭和38年)5月、鈴木伸一らとアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」を設立。

スター作家として

1964年、手塚治虫の仲人により結婚。また12月に発足した日本漫画家協会に入会する。

1964年(昭和39年)7月19日より『少年キング』にて代表作となる『サイボーグ009』の連載を開始する。この頃にはすでにスター作家となっており、この時期に描かれた石ノ森のマンガ入門書『マンガ家入門』(1965年)、『続・マンガ家入門』(1966年)は当時から広く読まれた。これは漫画の技術論から、具体的なストーリー構想術までが書かれた画期的な漫画家入門書で、長年の間漫画家志望者のバイブルとなった。また、『サイボーグ009』を連載していた当時、ファンレターの宛先が漫画家の住所となっていたため多数の読者が訪問していた。すがやみつるが『サイボーグ009』の連載終了直後に訪問したときは、サインを貰いにきた別の訪問者に対して、訪問者に見えないところで当時チーフアシスタントであった永井豪が絵だけではなくサインまで書き上げて渡していたという。このような対応を行わないと仕事にならないほど訪問者がきていたことが原因である。

1966年(昭和41年)、『ミュータント・サブ』『サイボーグ009』により第7回講談社児童まんが賞を受賞。

1968年(昭和43年)、石森章太郎プロを設立。『ジュン』『佐武と市捕物控』により第13回小学館漫画賞を受賞。

1971年(昭和46年)より、東映特撮作品『仮面ライダー』の原作とその漫画化(仮面ライダー)を担当した。この成功をきっかけに同社における数多くの特撮・変身ヒーロー番組の原作を手がけることになった。もともと映画監督志望だったこともあり、一部の作品(『仮面ライダー』や『イナズマン』)では監督も務めている。

1981年(昭和56年)より日本漫画家協会理事を務める。

1985年(昭和60年)、画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎」に改名した。もともと彼のペンネームは故郷の石森町に由来するもので、「石森」と書いて「いしのもり」と読ませるつもりだったが、誰も「いしのもり」と読んでくれず、「いしもり」としか呼ばれなかったため、初心に戻る意味をこめて改名を行なったという。しかし、山田ゴロが自身のサイトで語るところによると、改名する前は打ち合わせ・旅行・忘年会などの季節行事で関係者一同に頻繁に会っていたのが、改名したころからはそれがなくなり、石森プロに連絡しても会わせて貰えなくなった。ほどなく関係者一同の間で「先生は御病気らしい」という話が広まったという。

1988年(昭和63年)、『HOTEL』などにより第33回小学館漫画賞を、『マンガ日本経済入門』により第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞。

1989年(昭和64年/平成元年)、『マンガ日本の歴史』の描き下ろしを始めるにあたり「萬画宣言」を発表。

1992年(平成4年)4月、突然高熱を出し入院する。風邪によく似た症状だったが、検査の結果悪性リンパ腫と診断された。その後も闘病生活の傍ら執筆活動を続けたが、1997年秋に病状が悪化し再入院。1998年(平成10年)1月28日、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院でリンパ腫による心不全のため死去、60歳没。還暦を病院で迎えてから僅か3日後のことであった。戒名は「石森院漫徳章現居士」。墓は東京都豊島区池袋三丁目の祥雲寺にある。

没後

1998年(平成10年)、没後、勲四等旭日小綬章、全作品に対して第27回日本漫画家協会賞文部大臣賞、漫画と漫画界への長年の貢献に対して第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。

2000年(平成12年)7月20日、故郷である宮城県登米市中田町に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が設立。

2001年(平成13年)7月、宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」設立。

2006年(平成18年)、『石ノ森萬画大全集』刊行開始。

2008年(平成20年)、ギネス・ワールド・レコーズにおいて手塚治虫の「講談社手塚全集」全400巻の記録を「石ノ森萬画大全集」全500冊によって更新、「世界一多作な漫画家」に認定。ギネス世界記録博物館の名誉館長に就任。

年表

1938年 - 宮城県登米市(当時は登米郡石森町)に生誕。

1953年 - 『漫画少年』の投稿仲間と「東日本漫画研究会」を結成。肉筆回覧誌『墨汁一滴』を創刊。

1954年 - 『漫画少年』での「二級天使」連載でデビュー。

1961年 - 70日の海外旅行に行く。

1963年 - アニメーション制作会社スタジオ・ゼロ設立(5月8日)に参画。

1964年 - 『少年キング』にて代表作「サイボーグ009」の連載開始。

1966年 - 『ミュータント・サブ』『サイボーグ009』により第7回講談社児童まんが賞を受賞。

1968年 - 石森章太郎プロを設立。『ジュン』・『佐武と市捕物控』により第13回小学館漫画賞を受賞。

1971年 - 『仮面ライダー』放映開始。スタジオ・ゼロ、解散

1974年 - 『がんばれ!!ロボコン』放映開始。

1975年 - 『秘密戦隊ゴレンジャー』放映開始。

1985年 - デビュー30周年を機に「石ノ森章太郎」へ改名。

1988年 - 『HOTEL』・『マンガ日本経済入門』により第33回小学館漫画賞を、『マンガ日本経済入門』により第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞。

1989年 - 「萬画宣言」を発表。

1998年 - 心不全により死去。没後、勲四等旭日小綬章、全作品に対して第27回日本漫画家協会賞文部大臣賞、漫画と漫画界への長年の貢献に対して第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。

2000年 - 故郷である宮城県登米市中田町(当時は登米郡中田町)に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が設立。

2001年 - 宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」設立。

2006年 - 『石ノ森萬画大全集』刊行開始。

2008年 - ギネス・ワールド・レコーズにおいて手塚治虫の「講談社手塚全集」全400巻の記録を「石ノ森萬画大全集」全500冊によって更新、「世界一多作な漫画家」に認定。

2008年 - ギネス世界記録博物館の名誉館長に就任。

2024/06/15 19:51更新

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