芥川比呂志の情報(あくたがわひろし) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
芥川 比呂志さんについて調べます
■名前・氏名 |
芥川比呂志と関係のある人
芥川龍之介: 1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生。 藤真利子: 『三島由紀夫近代能楽集・道成寺』(演出:芥川比呂志 国立劇場) ジャン=ジロドゥ: クック船長航海異聞:1950.9.15、文学座、芥川比呂志・矢代静一、文学座アトリエ 南美江: その後浪曼劇場、劇団雲を経て、1975年に芥川比呂志や中村伸郎らと演劇集団 円を創立。 林達夫: 第二次世界大戦末期より、隣家の邦枝完二や親交のあった長谷川巳之吉らと協力して藤沢市鵠沼在住の文化人から蔵書の提供を受け、貸本屋「湘南文庫」を開設したり、文化人を講師に「鵠沼夏期自由大学」を開催、芥川比呂志らによる演劇公演をするなど、地方文化の振興に尽くした。 金田明夫: 夜叉ヶ池(1978年、演劇集団円、芥川比呂志演出) 西田健: 橋爪功らとともに名優であり名演出家でもあった芥川比呂志に演技指導を受け薫陶を受けた最後の世代である。 小山正明: 芥川比呂志に似ていると言われ、芥川も「テレビあれこれ」という随筆で「われながら、見れば見るほどよく似ている。 橋爪功: 1974年、尊敬する芥川比呂志演出の舞台『スカパンの悪だくみ』で大阪弁でスカパンを演じ、この仕事が俳優としての転機となり一躍演劇界のスターとなる。 荒川哲生: 1963年、文学座を脱退して福田恆存、芥川比呂志らと現代演劇協会附属の劇団雲を結成。 寺田農: 文学座時代に芥川比呂志から演技をする上で、「とにかく色んな本を読め」と「恋をしろ」ということを教わった。 金内喜久夫: 九州朝日放送で制作された芸術祭のドラマに出演した際に芥川比呂志と交流が生まれ、後日、芥川から「文学座が養成所一期生の募集をするからすぐに来い」と電報が届いたことで東京へ赴く。 荒木道子: 戦後の1947年(昭和22年)には芥川比呂志、長岡輝子らと麦の会に加わり『林檎園日記』などに出演。 佐藤朔: 芥川比呂志、加藤道夫、遠藤周作などに影響を与えたほか、松原秀一、鷲見洋一、立仙順朗らを育てた。 大谷朗: メナム河の日本人(芥川比呂志演出、雲) 廣田行生: 海神別荘(1981年、演出·宮永雄平、監修·芥川比呂志) 芥川瑠璃子: 義父で叔父の芥川龍之介、夫で従弟の芥川比呂志を始め、芥川家一族を描いた回想記を著した。 廣田行生: 海神別荘(1973年·三百人劇場·劇団雲、演出·芥川比呂志) 真屋順子: 芸名の名付け親は劇団雲の創立メンバーの一人である芥川比呂志。 石田太郎: 榎本武揚(1967年、劇団雲 作:安部公房 演出:芥川比呂志) - 坊主 役 仲谷昇: 1963年、劇団の体質への不満から芥川比呂志、神山繁、小池朝雄らと文学座を脱退し、福田恆存を中心とした劇団雲の結成に参加。 三谷昇: 1963年、芥川比呂志らと文学座を退団し、劇団雲の旗揚げに参加。 渡辺謙: 同年、芥川比呂志演出による演劇集団 円公演『夜叉ヶ池』を観劇して感銘を受け、翌年に同劇団附属の研究所に入所。 桂玲子: 1963年、金内が交友のあった芥川比呂志による誘いから文学座に入るため上京したことで桂も上京。 藤田宗久: 『夜叉ヶ池』(再演) (1979年3月1日〜6日・サンシャイン劇場・芥川比呂志演出作品) 深沢七郎: 出演:芥川比呂志、左卜全など 芥川也寸志: 長兄は俳優・芥川比呂志。 安部公房: 翌27日には小説「赤い繭」をラジオドラマ化した『ラジオのための作品 赤い繭』を諸井誠の音楽、芥川比呂志ほかの出演で、NHK第2放送およびNHK-FM実験放送にて放送。 豊田四郎: 豊田映画には山村聡を始め、淡島千景、池部良、淡路恵子、山本富士子、京マチ子、杉村春子、芥川比呂志などが常連俳優として活躍した。 大谷朗: 夜叉が池(芥川比呂志演出、円) |
芥川比呂志の情報まとめ
芥川 比呂志(あくたがわ ひろし)さんの誕生日は1920年3月30日です。東京出身の俳優のようです。
その他、著作などについてまとめました。兄弟、姉妹、卒業、家族、ドラマ、映画、テレビ、脱退に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
芥川比呂志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年(大正9年)3月30日 - 1981年(昭和56年)10月28日)は、日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。 1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。同級に宮澤喜一がいた。 1932年、同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。在学中からシングや岸田國士の戯曲を読み、15歳のとき『お察しください(A Comedy)』と題する戯曲を、附属中学の校友会誌「桐陰会雑誌」に発表。学芸会では『ヴェニスの商人』や武者小路実篤の芝居を演じる。 1937年、慶應義塾大学予科に入学。1939年、同予科から文学部仏文科に進学。演出家女優・長岡輝子や劇作家・加藤道夫たちと新演劇研究会を結成し、学生演劇活動を始める。その傍ら、鈴木亨主宰の詩誌『山の樹』の同人となり、畔柳茂夫や沖廣一郎という筆名で詩や翻訳を発表。この頃に堀田善衛・中村眞一郎・白井浩司・福永武彦・加藤周一・白井健三郎・小山正孝達と知り合う。当時、東急東横線の通学電車の車内で、女優姉妹のジョーン・フォンテインとオリヴィア・デ・ハヴィランド(当時東京に住んでいた)にたびたび乗り合わせたという。演劇活動の傍ら、佐佐木茂索の配慮により、嘱託として短期間文藝春秋社に勤務。 太平洋戦争勃発のため慶應義塾大学を繰上卒業し、甲種幹部候補生として群馬県の前橋陸軍予備士官学校(赤城隊)に入校。卒業後の陸軍少尉時代には、帝国陸軍有数の本土防空戦闘機部隊として有名な東京調布の飛行第244戦隊の整備隊本部附として勤務し、敗戦時は陸軍中尉として滋賀県神崎郡御園村の神崎部隊三谷隊にいた。 1945年、神奈川県藤沢市鵠沼の母の実家別荘に疎開していた家族の許に復員した。直前に三女の芥川耿子が誕生していた。鵠沼では林達夫らと交流し、1946年夏、林の主宰する市民向け教養講座「鵠沼夏期自由大学」で、加藤夫妻と共にチェーホフの「熊」を上演している。鵠沼には1949年まで滞在して上目黒に戻った。 1947年、演出家・女優長岡輝子、加藤とその妻で女優の加藤治子らと共に「麦の会」を結成。1949年に「麦の会」は文学座に合流し、以来文学座の中心俳優として、または加藤道夫作『なよたけ』などの演出家として大成する。特に1955年の『ハムレット』の主演は、今なお伝説として演劇史に語り継がれているほどの絶賛を博す。貴公子ハムレットの異名を持った。 舞台の他、ラジオドラマ・ナレーション・映画・テレビなどにも様々出演する。1963年に仲谷昇・小池朝雄・岸田今日子・神山繁・高木均らと共に文学座を脱退し、かつて『ハムレット』の演出を手掛けた福田恆存を理事長とする財団法人「現代演劇協会」を設立し、協会附属の「劇団雲」でリーダーとして活動する。1966年にはNHK大河ドラマ『源義経』で源頼朝を演じた。俳優業の傍ら演出家としての才能も発揮し、1974年に『スカパンの悪だくみ』の演出で芸術選奨文部大臣賞、泉鏡花の戯曲『海神別荘』の演出で文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 しかし、盟友であった福田と劇団の運営方針を巡って対立することになる。1975年には高木均・仲谷・岸田・神山・中村伸郎らと雲を離脱し「演劇集団 円」を創立して代表に就任した。しかし、若い頃からの持病である肺結核が悪化して入退院を繰り返し、期待された「円」での仕事は1978年の鏡花の『夜叉ヶ池』演出のみに留まった。 1981年、療養中だった目黒区内の自宅にて死去。享年61歳。墓所は豊島区慈眼寺。 その他日本最大規模の劇団「劇団四季」の名づけ親である。 戦場で肺結核を罹患し、人気が出たのちも病院と舞台を行き来する生活を10年ほど送った。健康を回復すると不摂生と暴飲・泥酔を繰り返していた。 著作芥川龍之介 (吉田精一と共著、明治書院〈写真作家伝叢書〉 1967年) 決められた以外のせりふ (新潮社 1970年)。第18回日本エッセイスト・クラブ賞 肩の凝らないせりふ (新潮社 1977年) 憶えきれないせりふ (新潮社 1982年) 芥川比呂志エッセイ選集 (新潮社 1995年) ハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選 (丸谷才一編 講談社文芸文庫 2007年) 翻訳ジャン・アヌイ
「アンチゴーヌ」『アンチゴーヌ アヌイ名作集』(白水社 1988年)、上記の選集版 ジャン=ポール・サルトル
「恭しき娼婦」(人文書院 サルトル全集(8)「恭しき娼婦」 1961年)、上記の改訂版 「恭しき娼婦」(新潮社 新潮世界文学(47)「サルトル」 1969年) 「トロイアの女たち」(人文書院 サルトル全集(33)「トロイアの女たち」 1966年) 2024/06/19 18:23更新
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akutagawa hiroshi
芥川比呂志と同じ誕生日3月30日生まれ、同じ東京出身の人
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