諸井三郎の情報(もろいさぶろう) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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諸井 三郎さんについて調べます
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諸井三郎と関係のある人
中原中也: 12月 - 作曲家諸井三郎と出会い、音楽団体「スルヤ」に出入りするようになる。 権藤花代: この責任ある立場にいたのが、諸井三郎、近森一重、真篠将、下総皖一、浜野政雄といった人たちであった。 諸井虔: 父 諸井三郎(作曲家) 今日出海: また、中学の頃からチェロを始め、音楽に打ち込んでおり、高校以来の親友諸井三郎が、1927年(昭和2年)に始めた音楽運動「スルヤ」に関係した。 諸井誠: 秩父セメント(現・太平洋セメント)の創業者一族であり、祖父は秩父セメント創業者の諸井恒平、父は作曲家諸井三郎、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井虔である。 山根銀二: 1932年、諸井三郎の呼びかけにより『音楽芸術研究』(2月号から『音楽研究』と改題)の編集発行に参加。 福井文彦: 作曲は諸井三郎に師事。 矢代秋雄: 作曲家の諸井三郎、ドイツ人指揮者のフェルマーなど。 尾高忠明: 曾祖父惇忠の従弟で妹婿であった実業家渋沢栄一もまた忠明の曾祖父であり、作曲家諸井三郎・誠親子とも渋沢家、および従兄の会計学者諸井勝之助を通じて縁戚関係にある。 諸井貫一: 諸井三郎(弟):作曲家 早坂文雄: また、『日本的音楽論』(1942年)の著書があり、多くの作品評・作曲家論(清瀬保二・諸井三郎など)も残している。 下総皖一: 同時期には木下保や諸井三郎もベルリン留学していた。 木下忠司: 静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京し諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。 渡辺宙明: 東大在学中より團伊玖磨に、大学院在籍中より諸井三郎に師事し、習作をこのころより書く。 中島健蔵: 中島はこのころ、附属中の1年後輩である諸井三郎を中心とする音楽グループに接近することになる。 美濃部亮吉: 附属中学の同級生には、正田英三郎(日清製粉名誉会長、上皇后美智子の父)、岸本英夫(東京大学名誉教授)、芳賀檀(ドイツ文学者)、諸井三郎(作曲家)などがいる。 中原中也: 1928年、5月4日に前衛音楽グループ「スルヤ」の第二回発表演奏会で、諸井三郎が中原の「臨終」「朝の歌」に曲をつけて歌う。 戸田邦雄: 駐ソ連日本大使館勤務の後、独ソ戦の激化に伴い1941年(昭和16年)に帰国して諸井三郎に作曲を師事した。 正田英三郎: 附属中学校の同級生には、美濃部亮吉(元東京都知事)、岸本英夫(東京大学名誉教授)、芳賀檀(ドイツ文学者)、諸井三郎(作曲家)などがいる。 諸井虔: 虔は本家の生まれではなかったが、父の作曲家諸井三郎が経済的自立に苦労した姿を見ていたことと、本家に男子がいなかったことから、伯父の諸井貫一に請われて秩父セメントの経営を継いでいる。 今東光: 浄域には、遺影、著作、香華灯とともに、「胡桃船長」に相応しくクルミのガトーが供えられ、直会(なおらい)のあとの茶会では、1927年12月、諸井三郎、今日出海、大岡昇平、長井維理、内海誓一郎、中原中也、中島健蔵らが渋谷道玄坂の長井長義邸で結成し、河上徹太郎、小林秀雄も参加した音楽団体「スルヤ」(註: 武平が命名 सूर्य、Sūrya 太陽神 七つの光)ゆかりの「朝の歌」「臨終」(諸井三郎曲)、「帰郷」(内海誓一郎曲)、「雪の宵」「夕照」(大岡昇平曲)等の調べにより、往時を偲ぶ時が流れた。 尾高尚忠: また、作曲家諸井三郎・誠親子も輩出した実業家一族の諸井家とも、渋沢家を通じて、また甥で会計学者の諸井勝之助を通じて縁戚関係にある。 夏田鐘甲: 作曲を諸井三郎、池内友次郎に師事する。 中原中也: 5月 - 「スルヤ」第2回発表会にて、諸井三郎が中也の詩に作曲した『朝の歌』『臨終』が歌われる。 三木鶏郎: 作曲を諸井三郎、ヴァイオリンを小野アンナ、ピアノを渡辺シーリーに師事する。 三木鶏郎: 軍務のかたわら、諸井三郎に作曲を師事、『東部軍教育隊隊歌』の作曲を担当。 入野義朗: 諸井三郎の『和声学入門』を独習する。翌年柴田の紹介で諸井三郎に師事し、和声、対位法、楽式を習う。 園田高弘: バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、フランク、ブラームス、サン=サーンス、ムソルグスキー、チャイコフスキー、アルベニス、ドビュッシー、ブゾーニ、グラズノフ、スクリャービン、ラフマニノフ、ラヴェル、レーガー、シェーンベルク、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ヒンデミット、ガーシュウィン、プーランク、コープランド、バーバー、バーンスタイン、メシアンらの作品のほか、フルトヴェングラーのピアノ協奏曲の日本初演や諸井三郎のピアノ協奏曲第2番の世界初演にも挑戦した。 團伊玖磨: 翌1945年(昭和20年)、日本の敗戦を受けて復員して東京音楽学校を卒業し、諸井三郎に対位法、楽曲分析を学んだ。 諸井貫一: 末弟の諸井三郎は作曲家として高名である。 |
諸井三郎の情報まとめ
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諸井 三郎(もろい さぶろう)さんの誕生日は1903年8月7日です。東京出身の作曲家のようです。
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作風、主要作品などについてまとめました。卒業、兄弟に関する情報もありますね。
諸井三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)諸井 三郎(もろい さぶろう、1903年8月7日 - 1977年3月24日)は、日本の作曲家。 東京府(現:東京都)生まれ。家は秩父セメント(現:太平洋セメント)の創業者一族。 幼少時よりピアノを始め、東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)を経て、同附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)在学時にピアニストを志す。附属中学の同級生には、美濃部亮吉(元東京都知事)、正田英三郎(日清製粉名誉会長)、岸本英夫(東京大学名誉教授)、芳賀檀(ドイツ文学者)などがいた。 東京高師附属中を1921年に卒業後、旧制浦和高等学校を経て東京帝国大学文学部美学美術史学科を1928年に卒業。 浦和高校入学後に萩原英一に、東大在籍中にヴィリ・バルダスとレオニード・コハンスキにピアノを師事する。1927年に音楽団体「スルヤ(Surya)」(インド神の名に由来。命名者は今東光・今日出海兄弟の父である今武平)を結成し、河上徹太郎、三好達治、小林秀雄、中原中也、大岡昇平らと親交を持つ。1931年に内海誓一郎らとともに新興作曲家連盟に加入。東京高等音楽学院(現:国立音楽大学)で作曲を教えた。1932年から1934年までベルリン高等音楽学校に留学し、レオ・シュラッテンホルツ、マックス・トラップに作曲を、ヴァルター・グマインドルに管弦楽法を、ルドルフ・シュミットにピアノを師事した。1937年の第1回新響邦人作品コンクールで『ピアノ協奏曲 ハ長調』が入選。 1946年に文部省社会教育視学官に就任し、最初の学習指導要領試案の音楽科編をほぼ一人で作成した。音楽教育における器楽・鑑賞・作曲の採用を主張する諸井の考えは民間情報教育局に賛同され、音楽科に器楽教育が導入されることとなった。1965年から1976年まで東京都交響楽団音楽監督。1967年に洗足学園大学音楽学部長に就任。 父は諸井恒平、兄は諸井貫一。息子は太平洋セメント相談役の諸井虔と作曲家諸井誠の2人、娘が1人。また、恒平は実業家渋沢栄一・尾高惇忠の縁者であり、さらに実業家尾高次郎の孫の会計学者諸井勝之助が貫一の婿養子となっており、三郎は作曲家・指揮者の尾高尚忠・惇忠・忠明一家とも縁戚関係にある。墓所は埼玉県本庄市の曹洞宗安養院。 作風諸井三郎は、旧世代の日本の作曲家が歌曲やオペラ中心の創作姿勢を選んだことに反発し、ベートーヴェンへの心酔もあいまって、楽想の抽象的な展開を追究する器楽曲の作曲家であることを目指した。とりわけソナタ形式やフーガを含む大形式の楽曲が多い。山田耕筰がスクリャービンを経験しながらもロマン派へ回帰したのとは対照的に、諸井三郎は新古典主義者の姿勢を崩さず、門人がより急進的な方向に乗り出すことにも寛容だった。ベートーヴェンに関する児童向けの伝記を執筆したほか、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽譜の校訂も行った。 作曲家を志したきっかけは東京高師附属中学3年のときに、ピアニスト小倉末子によるオール・ベートーヴェン・プログラムによるピアノ・リサイタルに接して感銘を受けたことによる。以後、独学で作曲を開始し、やがて20代で結成した音楽グループ「スルヤ」が開催した一連の発表会で、自作を次々に公の場で発表する。昭和1桁台の当時はいわゆる「洋楽系作曲家」の存在がまだ珍しかったこともあり、その活動は世間の注目を浴びることとなる。この頃の作品は、ベートーヴェン、ブラームス、フランクなどの影響を受けている。 やがて、独学による探求は行き詰まりを迎え、1933年(昭和8年)にベルリンに留学。留学中に、欧米で流行中の新古典主義音楽の洗礼を受け、調的だが非機能的な和声法を持つ、晦渋な作風をとるに至った。留学中の卒業作品として書き、現地で初演された「交響曲第1番」(1934年)を経て、帰国後発表された「交響曲第2番」(1938年)、「ヴァイオリン協奏曲」(1939年)、「弦楽六重奏曲」(1941年)、「交響的二楽章」(1942年)など次々に発表された大作は、押しなべてそのような特徴を持つ。この当時の戦争にひたすら向かう世相の悪化という状況も、作品の晦渋化に拍車をかけた。 しかし、1943年の「こどものための小交響曲」を発端に、それまでの彼の作品には有り得なかった日本的、叙情的な作風が顔を出すようになる。1944年に書かれた「交響曲第3番」は、彼が戦争による死を覚悟し、まさしく遺書として書かれた大作である。2004年にはナクソスよりこの曲のCDが発売された(指揮:湯浅卓雄)。 戦後の作曲活動は不活発で、1945年から没年の1977年の32年の間にわずか8曲しか残していない。その理由は、「交響曲第3番」の作曲によって燃え尽きたためであるという指摘が多い。しかし1951年の「交響曲第4番」は、当時国内に流入し始めてきたロシア音楽の素材を彼なりに消化した、「交響曲第3番」とは対照的な明朗快活な音楽である。また最晩年の1977年に書かれた「ピアノ協奏曲第2番」では、弟子たち(入野義朗、柴田南雄)や息子(諸井誠)より数十年遅れて十二音技法による作曲を試みており、作品数は少ないながらも新境地を切り開いていることは大いに注目に値する。 作曲活動が下火になるのと対照的に、著作者としての顔が表に現れるようになる。1946年からの20年間に、平均して年2冊のペースで著書を出版するほどに力を注いだ。 主要作品交響曲交響曲第1番ハ短調Op.8(1934年) 交響曲第2番Op.16(1938年) 交響曲第3番Op.25(1944年) 交響曲第4番Op.27(1951年) 交響曲第5番「大学祝典交響曲」Op.29(1970年) 管弦楽曲交響的断章(1928年、旧作品番号は19) 交響的二楽章Op.22(1942年) 萬里の外(1942年)(交響詩曲「皇軍頌歌」第三曲) 交響的幻想曲ハ長調「黎明を讃ふ」(1943年) 交響詩「提督戦死」(1943年) 交響的楽劇「一人の兵士」 こどものための小交響曲(シンフォニエッタ)Op.24(1943年) 序曲「勝利への歓呼」(1944年) カンタータ「平和の祈り」(1950年) 幻想曲風オラトリオ「太陽のおとずれ」Op.28(1968年) 協奏曲ピアノ協奏曲嬰ヘ短調(1927年、旧作品番号は6) ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.7(1933年) チェロ協奏曲Op.12(1936年) ファゴット協奏曲Op.14(1937年、紛失) ヴァイオリン協奏曲Op.18(1939年) ピアノとオーケストラのためのアレグロOp.26(1947年) ピアノ協奏曲第2番Op.31(1977年) 室内楽チェロとピアノのための一楽章ソナタ(チェロ・ソナタ第3番)Op.3(1927年) ヴァイオリン・ソナタ第1番(1928年) ヴァイオリン・ソナタ第2番(1930年) 弦楽四重奏曲Op.6(1933年) ピアノ四重奏曲Op.9 ヴィオラ・ソナタOp.11(1935年) チェンバロ、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバのための三重奏曲Op.13 オリンピックからの3つの断片(1936年)ベルリンオリンピック大会芸術競技(音楽)出品作品 フルート・ソナタOp.15(1937年) 弦楽六重奏曲Op.17(1939年) 弦楽三重奏曲Op.19(1939年) ホルン・ソナタOp.32(1977年) ピアノ曲「ピアノ・ソナタ」と題された作品が少なくとも10曲存在する。1927年から1931年にかけて第1番から第5番が書かれた。それ以前に3曲(1920年、1922年、1923年)あり、それ以後に再ナンバリングされたかたちで第1番(1933年)、第2番(1939年)が書かれている。 ピアノ・ソナタ第1番Op.5(1933年) ピアノ・ソナタ第2番Op.20(1940年) ピアノのための組曲(1942年) ピアノのための前奏曲とアレグロ・ジョコーソOp.30(1971年) 声楽曲小曲(1926年、大木惇夫) 風、光、木の葉(1926年、大木惇夫) 少年(1926年、三好達治) 公孫樹(1927年、井上思外雄) 朝の歌(1928年、中原中也) 臨終(1928年、中原中也) 「空しき秋」第十二編 老いたるものをして(1929年、中原中也) 乳母車(1931年、三好達治) ソプラノと管弦楽のための2つの歌曲Op.10(1935年、中原中也「春と赤ン坊」「妹よ」) 遠き山見ゆOp.33(1977年、三好達治) 2024/06/17 18:07更新
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moroi saburou
諸井三郎と同じ誕生日8月7日生まれ、同じ東京出身の人
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