野口明の情報(のぐちあきら) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
野口 明さんについて調べます
■名前・氏名 |
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山下達郎: 春、『ADD SOME〜』がきっかけで知り合った仲間(大貫妙子、野口明彦)に、村松、鰐川を加え、シュガー・ベイブを結成。 杉浦清: この時のメンバーには野口明・鬼頭数雄ら後にプロ野球でプレーする選手がいた。 吉沢岳男: 当初は野口明・河合保彦の存在もあって出場機会には恵まれなかったが、1955年には一軍に定着。 植村喜八郎: 電光超人グリッドマン 第18話(1993年7月31日、TBS) - 野口明 村田和人: ザ・サイクリングス:2009年、湯川トーベン、野口明彦らと結成したユニット 藤井勇: 初本塁打:1936年5月4日、対東京セネターズ戦(甲子園球場)、野口明からランニング本塁打 ※日本プロ野球第1号本塁打 大矢根博臣: しかし同シーズン終了後に天知は突然辞意を表明し、後任の監督には野口明が就任した。 藤村隆男: 野口明・野口二郎、金田正一・金田留広と並んで、最も実績を残した兄弟選手の一つと言える。 勝地涼: 1942年のプレイボール(2017年8月12日、NHK総合) - 野口明 役 鬼頭数雄: 名古屋八熊小学校時代は野口明とバッテリーを組み全国大会に出場しベスト8進出。 土田国保: 前妻の民子は野口明(教育者・第7代日本弘道会会長)の長女。 湯川トーベン: 2009年 - 村田和人、野口明彦らとザ・サイクリングスを結成。 西沢道夫: 1955年、監督を務めた天知俊一が球団の重役に栄転し、正捕手の野口明が選手兼任監督に就任。 江口行男: 準々決勝まで進出し、準々決勝は野口明、杉浦清、鬼頭数雄らがいた同県の中京商業に3-1で敗れた。 松坂大輔: 勝敗同数の最多勝は1937年秋の野口明(15勝15敗)、1984年の遠藤一彦(17勝17敗)に次ぐ史上3人目だった(ちなみにこの15敗はこの年のリーグ最多敗戦で最多勝と最多敗戦の同時記録は1995年のキップ・グロス以来でパ・リーグの日本人投手では1981年の今井雄太郎以来の記録である)。 黄川田将也: 遺留捜査 第5シリーズ 第3話(2018年7月26日、テレビ朝日) - 野口明 役 大矢根博臣: 当時の中日二軍スタッフは監督とマネージャーのみで、一軍の投手コーチも捕手の野口明が兼任していた。 藤井勇: 最初の公式リーグ戦である1936年春の第一回日本職業野球リーグ戦大阪大会(甲子園大会)では、2番打者として活躍し、5月4日の東京セネタース戦では、野口明から左中間を破るランニング本塁打を放った。 大岡虎雄: そのころは、若林忠志、湯浅禎夫、野口明らとともに投手としてリストアップされていたようだった(「巨人軍50年 写真でつづる栄光の記録」読売新聞社 155ページ)。 北井正雄: 初出場:1936年4月29日、第1回日本職業野球リーグ戦・甲子園大会、対東京セネタース(阪神甲子園球場)、川村徳久の代打で出場、野口明の前に三振 河合保彦: チーム名が「名古屋」から再び「中日」に戻った1954年には野口明の控え捕手として68試合に出場し、杉下茂らとバッテリーを組んでリーグ初優勝に貢献。 黄川田雅哉: 遺留捜査 第5シリーズ 第3話(2018年7月26日、テレビ朝日) - 野口明 役 村松邦男: 大貫妙子、野口明彦らが参加。 藤本英雄: しかし、この時の藤本は1か月ほど練習ができておらず調子は最低で、野口明や佐藤武夫に本塁打を打たれて3点を失い、8回からはスタルヒンのリリーフを受けてようやく勝利投手となった。 名高達男: Nile ナイル(1999年) - 野口明 横沢三郎: 3回途中に野口明と交代して退いた。 谷繁元信: NPBでは古田敦也(ヤクルト)以来7年ぶり、チームとしては野口明以来59年ぶりとなる選手兼任監督となった。 土田国保: 12月27日 - 野口明の長女・民子と結婚。 綿貫惣司: 1931年に第8回選抜野球大会へ3番ファーストとして出場したがチームは初戦で杉浦清、野口明らがいた中京商業に0-11で敗れた。 |
野口明の情報まとめ
野口 明(のぐち あきら)さんの誕生日は1917年8月6日です。愛知出身の野球選手のようです。
兄弟、解散、引退、ドラマ、テレビ、現在に関する情報もありますね。1996年に亡くなられているようです。
野口明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 野口 明(のぐち あきら、1917年8月6日 - 1996年10月5日)は、日本のプロ野球選手。中日ドラゴンズの監督も務めた。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の長兄。 アマチュア、プロの両方の公式野球で延長試合の最長を記録した試合に出場した唯一の野球選手である。 愛知県出身。中京商業学校(現・中京大学附属中京高等学校)に進学し、野球部に入部。この頃、中京商野球部は戦前の全盛期を迎えていた。野口は3年生で正捕手の座を獲得し、第9回から第11回選抜中等学校野球大会、第19回全国中等学校優勝野球大会に出場した。このうち、第19回全国中等学校優勝野球大会では吉田正男とのバッテリーで夏の甲子園3連覇を達成した。特に準決勝における明石中との延長25回の死闘では、吉田の336球を最後まで受け切った。明治大学に進学したが、1936年に日本職業野球連盟の発足に伴い結成された東京野球協会(東京セネタース)の選手として引き抜かれ中退し、投手兼捕手の中心選手となった。4月29日の第1回日本職業野球大会開幕戦の対阪急戦に先発登板し勝利投手となった。 1937年春のシーズンは19勝7敗の成績でチーム勝利数(30勝)の6割以上を稼ぐ活躍であったが、圧倒的な成績を残した沢村の陰に隠れてしまった。同年秋は15勝(15敗)で西村幸生、ヴィクトル・スタルヒンと並び最多勝利のタイトルに輝いた。1937年は、春・秋ともに最多投球回数を投げ、その鉄腕は弟の野口二郎を彷彿とさせるものであった。1938年から1941年は兵役に服し、1942年に大洋軍(東京セネタースの後身)に復帰、以後は投手ではなく打者に転向しての復帰であった。5月24日の対名古屋戦で一塁手を務めプロ野球記録である延長28回を達成し、アマ、プロ両方で延長戦記録達成に出場した唯一の野球選手となった。この試合で大洋軍の先発投手として28回を1人で投げ切ったのは弟の野口二郎であった。 その後は主に一塁手としてプレイした。1943年シーズンでは打点42で青田昇と共に最多打点のタイトルを獲得した。同年シーズン終了後に大洋軍が改名した西鉄軍が解散したため阪急に移籍した。阪急では本格的に野手に転向したが、1948年に7試合だけ登板している(0勝1敗)。 1948年シーズン終了後に中日に移籍し、再び捕手になった。1951年と1952年にはベストナインに捕手として選出された。1954年には中日球団初の日本一に貢献した。 1955年に中日の選手兼任監督に就任したが、選手としてはこの年に2試合に出場したのみだった。1956年シーズン終了後に引退、退団した。 引退後は中日球場(現・ナゴヤ球場)に程近い名古屋・尾頭橋で喫茶店「シーエヌ」(店名の由来は中日移籍時の同ユニフォームの文字が「C」と「N」の組み字だったことから)を開店していた。 1996年10月5日に肺がんのため死去。 各年度の太字はリーグ最高 大洋(大洋軍)は、1943年に西鉄(西鉄軍)に球団名を変更 各年度の太字はリーグ最高 大洋(大洋軍)は、1943年に西鉄(西鉄軍)に球団名を変更 中日(中日ドラゴンズ)は、1951年に名古屋(名古屋ドラゴンズ)に、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更 最多勝利:1回 (1937年秋) 打点王:1回 (1943年) ベストナイン:2回 (捕手部門:1951年、1952年) オールスターゲームMVP:1回 (1951年 第2戦) 1000試合出場:1951年8月18日 ※史上7人目(無効試合を含めた場合は1951年8月17日) 捕手シーズン18失策 (1951年) ※セ・リーグ記録 満塁ランニング本塁打:1947年7月3日、対読売ジャイアンツ戦(西宮球場)、7回に多田文久三から ※史上初 オールスターゲーム出場:4回 (1951年 - 1954年) 18 (1936年 - 1937年) 8 (1942年 - 1943年) 4 (1946年 - 1948年) 6 (1949年 - 1954年) 30 (1955年 - 1956年) 勝地涼 - 「1942年のプレイボール」(NHK総合「土曜ドラマスペシャル」、2017年8月12日) ^ 1リーグ時代では唯一の記録。 ^ 年度別成績 1937年 秋 ^ ““パンチョ”は見た!あの延長28回は、9回表のゆがんだ「2」の呪い!?大久保クン、延長の多さを嘆くなかれ”. 週刊ベースボールONLINE (2015年8月10日). 2018年5月8日閲覧。 ^ “打点王(1リーグ) - プロ野球”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/m/baseball/professional/record/rbc/pf-rbc_1l_m.html 2020年3月19日閲覧。 ^ 年度別成績 1943年 ^ 中日ドラゴンズ 編 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、58頁。ISBN 4806205141。 ^ 『朝日新聞』1996年10月7日付朝刊 (14版、35面) ^ “直近は小久保、イチローも達成?激レアなランニング満塁ホームラン。”. Number Web (2017年9月28日). 2020年7月26日閲覧。 ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」452ページ ^ “太賀さん主演『1942年のプレイボール』制作開始!”. NHKドラマトピックス (NHKオンライン). (2017年5月29日). http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/6000/271676.html 2017年6月27日閲覧。 愛知県出身の人物一覧 明治大学の人物一覧 翼軍の選手一覧 西鉄軍の選手一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 兄弟スポーツ選手一覧 1942年のプレイボール - 野口四兄弟を題材としたテレビドラマ 個人年度別成績 野口明 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 池田豊 1936 桝嘉一 1937 根本行都 1938 - 1939 小西得郎 1939 - 1941 本田親喜 1941 - 1942 桝嘉一 1943 三宅大輔 1944 竹内愛一 1946 杉浦清 1946 - 1948 天知俊一 1949 - 1951 坪内道典 1952 - 1953 天知俊一 1954 野口明 1955 - 1956 天知俊一 1957 - 1958 杉下茂 1959 - 1960 濃人貴実 1961 - 1962 杉浦清 1963 - 1964 西沢道夫 1964 - 1967 杉下茂 1968 水原茂 1969 - 1971 与那嶺要 1972 - 1977 中利夫 1978 - 1980 近藤貞雄 1981 - 1983 山内一弘 1984 - 1986 星野仙一 1987 - 1991 高木守道 1992 - 1995 星野仙一 1996 - 2001 山田久志 2002 - 2003 落合博満 2004 - 2011 髙木守道 2012 - 2013 谷繁元信 2014 - 2016 森繁和 2017 - 2018 与田剛 2019 - 2021 立浪和義 2022 - 2024 井上一樹 2025 - 現在 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 投 別所毅彦 捕 野口明 一 川上哲治 二 千葉茂 三 藤村富美男 遊 平井三郎 外 金田正泰 / 青田昇 / 岩本義行 表 話 編 歴 投 別所毅彦 捕 野口明 一 西沢道夫 二 千葉茂 三 藤村富美男 遊 平井三郎 外 与那嶺要 / 南村不可止 / 杉山悟 表 話 編 歴 1936秋 古谷倉之助 1937春 景浦將 1937秋 中島治康 1938春 景浦將 1938秋 中島治康 1939 川上哲治 1940 中島治康 1941 川上哲治 1942 中島治康 1943 青田昇, 野口明 1944 藤村富美男 1946 山本一人 1947 藤村富美男 1948 藤村富美男 1949 藤村富美男 表 話 編 歴 1936秋 沢村栄治 1937春 沢村栄治 1937秋 西村幸生, V.スタルヒン, 野口明 1938春 V.スタルヒン 1938秋 V.スタルヒン 1939 V.スタルヒン 1940 須田博 1941 森弘太郎 1942 野口二郎 1943 藤本英雄 1944 若林忠志 1946 白木義一郎 1947 別所昭 1948 川崎徳次, 中尾碩志 1949 V.スタルヒン 表 話 編 歴 1936春夏 野口明 1936秋 野口明 1937春 野口明 1937秋 野口明 1938春 浅岡三郎 1938秋 村沢秀雄 1939 浅岡三郎 1940 金子裕 日本の野球選手 中京大学附属中京高等学校出身の野球選手 二刀流の野球選手 明治大学野球部の選手 翼軍及び東京セネタースの選手 西鉄軍及び大洋軍の選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 最多勝利 (NPB) 打点王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 日本の野球監督 選手兼任監督 中日ドラゴンズ及びその前身球団の監督 名古屋市出身の人物 肺癌で亡くなった人物 1917年生 1996年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 18:27更新
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noguchi akira
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