長岡輝子の情報(ながおかてるこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
長岡 輝子さんについて調べます
■名前・氏名 |
長岡輝子と関係のある人
芥川比呂志: 演出家女優・長岡輝子や劇作家・加藤道夫たちと新演劇研究会を結成し、学生演劇活動を始める。 三島雅夫: 1964年(昭和39年)には俳優座第63回公演『東海道四谷怪談』の按摩宅悦の演技で芸術祭奨励賞を受賞した(なおこの時の芸術祭賞は長岡輝子、同じ芸術祭奨励賞を南美江、赤岡都、劇団東演、劇団三期会が受賞している)。 武田光太郎: そこで尊敬する長岡輝子、北城真記子、利光哲夫、ニコラ・バタイユらに出会う。 北林谷栄: 没時、北林は日本の演劇人の中で長岡輝子に次ぐ高齢者であった。 寺内小春: 父からの贈りもの NHK 1985/原作 長岡輝子「父からの贈りもの」 小津安二郎: 俳優(クレジット有):笠智衆(25本)、坂本武(24本)、斎藤達雄(23本)、飯田蝶子(18本)、吉川満子(14本)、突貫小僧(12本)、田中絹代(10本)、大山健二、三宅邦子、杉村春子(9本)、高橋とよ(8本)、三井弘次、菅原通済(7本)、原節子、桜むつ子、中村伸郎、須賀不二夫(6本)、伊達里子、岡田時彦、坪内美子、佐分利信、長岡輝子(5本) 南美江: かかり付け医が長岡輝子の知人だったことから、1942年に文学座研究生となり、南美江の名で、1944年に初舞台を踏んで以降、文学座で活動。 尾高尚忠: また、節子の姉に女優・演出家の長岡輝子、節子たち姉妹の姪にチェリストの倉田澄子がいる。 日高真弓: 長岡輝子 北沢彪: 文化学院在学中から演劇活動を行い、1931年、同窓生の長岡輝子らとテアトル・コメディを結成。 十朱久雄: 戦前は長岡輝子らのテアトル・コメディに参加し舞台で活動、戦後から映画に出演し、作品数は250本を超える。 荒木道子: 戦後の1947年(昭和22年)には芥川比呂志、長岡輝子らと麦の会に加わり『林檎園日記』などに出演。 森本薫: 文学座ではソーントン・ワイルダー『わが町』の翻訳(1941年初演、長岡輝子演出)、岩下俊作原作『富島松五郎伝』(脚色1942年初演)、『勤皇届出』(脚色1943年初演)、『怒涛』(作、1944年初演)、『女の一生』(作、1945年4月初演)等で新境地を開いた。 芥川比呂志: 1947年、演出家・女優長岡輝子、加藤とその妻で女優の加藤治子らと共に「麦の会」を結成。 杉浦幸雄: やがて金杉惇郎、長岡輝子、飯沢匡らと学生劇団「テアトル・コメディ」の旗揚げに参画し、1931年2月、内幸町・仁壽生命講堂で行われる旗揚げ公演・トリスタン・ベルナール(フランス語版)作『自由の重荷(Le Fardeau de la liberté)』において、巡査役に内定したが、舞台の初日、父親が当時経営していた会社が倒産したことで、生家が破産。 尾高忠明: 母方の親族では、チェリスト倉田澄子が従姉、女優・演出家長岡輝子が伯母に当たる。 平野正人: 高校時代、県民会館で長岡輝子が演出を務めた文学座の舞台を見て役者を志した。 樹木希林: 長岡輝子からは、「あんたはね、耳がいいから入ったのよ」「自分のセリフだけ覚えて言うんじゃなくて、人のセリフを聞いてる」というように、「耳がいい」ことが合格の理由であると説かれた。 荒川哲生: 早稲田大学商学部中退後の1951年に劇団文学座に入団し、長岡輝子に師事する。 佐分真: 滞在中はイタリアやスペインを旅行し、レンブラントやベラスケス、ゴヤの作品に感銘を受ける、また藤田嗣治、佐伯祐三、久米正雄、長岡輝子らと交流。 十朱久雄: 1930年(昭和5年)、大学の先輩だった三島雅夫の紹介で知り合った金杉惇郎や、フランスから帰国したばかりの長岡輝子らが結成したテアトル・コメディの創立に参加し、『ジャン・ド・ラ・リュンヌ』の主役で初舞台を踏む。 飯沢匡: 在学中から長岡輝子・森雅之・金杉惇郎らのテアトル・コメディに参加、1932年に劇「藤原閣下の燕尾服」で劇作家デビュー。 |
長岡輝子の情報まとめ
長岡 輝子(ながおか てるこ)さんの誕生日は1908年1月5日です。岩手出身の女優のようです。
結婚、卒業、解散、再婚、現在、テレビ、ドラマ、姉妹に関する情報もありますね。2010年に亡くなられているようです。
長岡輝子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)長岡 輝子(ながおか てるこ、1908年〈明治41年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉10月18日)は、日本の女優・演出家。2度目の結婚以後の本名は篠原 輝子(しのはら てるこ)。岩手県盛岡市出身。 英文学者長岡擴(ながおか ひろむ)の三女として生まれる。東洋英和女学院卒業。 文化学院文学科中退後、聖心語学校(現・聖心インターナショナルスクール)に移る。1928年(昭和3年)に渡仏留学し、パリで2年間演劇修業、1930年(昭和5年)に帰国。アトリエ座研究所で学んだ後、後に最初の夫となった金杉惇郎と劇団テアトル・コメディを設立。劇団には当時旧制成城高校生の有島行光(森雅之)も参加した。翌年、金杉と結婚し一子(後にNHKのプロデューサーとなる沼野芳脩[1934年-1997年])をもうけた。 1937年(昭和12年)に金杉が亡くなる。軍国主義の嵐が吹き荒れていたこともあり、劇団テアトル・コメディは28回の公演、52の戯曲を上演し解散した。 1939年(昭和14年)文学座入り。自作「マントンにて」の文学座公演を演出した。 1944年(昭和19年)、実業家の篠原玄と再婚。 1947年(昭和22年)、文学座に籍を置きつつ芥川比呂志、加藤道夫、荒木道子などとともに劇團「麦の會」発会。1949年(昭和24年)、「麦の會」は文学座に合流。 1951年(昭和26年)、春原政久の手による『風にそよぐ葦』で、本格的に女優としての活動を始める。それまでは演出家としての活動に重きを置いていたが、以後は、女優と演出家という二足の草鞋を履いて活動した。 1959年(昭和34年)、NHKの子ども向け長寿番組であるおかあさんといっしょの第1回放送にゲスト枠で出演。 1964年(昭和39年)には、ウェスカー作「大麦入りのチキンスープ」を演出、主演し、文部省芸術祭文部大臣賞(現在の大賞)を受賞。 1970年(昭和45年)に「メテオール」で紀伊国屋演劇賞を受賞。 1971年(昭和46年)に文学座を退団し座友になる。その後は、同郷宮沢賢治の作品の盛岡弁による朗読や、聖書の朗読などに新たに取り組んだ。 1983年(昭和58年)、『おしん』で加賀屋の大奥様・八代くに役で出演したことで一般に知られることになった。 晩年は高齢になったこともあり、活動の主体を演劇から朗読に移していた。宮沢賢治の童話と詩を岩手の方言で読む朗読会を続け、2003年(平成15年)、その功績で菊池寛賞を受賞した。その年、聖書朗読活動の功績が認められ日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受けた。 2007年(平成19年)12月の舞台「星を見た男たち」で朗読者として出演、2008年(平成20年)12月の舞台「キングオブキングス」へ録音による声の出演をしたのが最後の仕事となった。 2010年(平成22年)10月18日午前0時22分、老衰のため東京都内の自宅で死去。102歳という年齢は、死去直前の時点で存命している日本の女性芸能人のなかで最高齢であった。 祖父・森節(-1888) ‐ 江戸詰めの柳川藩士・森節。 祖母・貞 ‐ 夫没後、百人一首を書く内職で子供の学費を支えた。 父・長岡拡(1878–1930) ‐ 節の二男。外交官を志して同志社に入学するも内紛で小崎弘道校長を支持し自主退学し、山県勇三郎が北海道に設立した根室実習学校の英語教師となった。沼津町立商業学校、岩手県立盛岡中学校、鹿児島県立川内中学校、大倉商業学校、東京商科大学予科、日本女子大学校で教鞭をとったのち、欧米留学したが、帰国の3年後病死。 母・長岡栄子(1877-1973) ‐ 盛岡の豪商「向半」の一族・長岡嘉七の娘。根室花咲小学校卒業後15歳で母校の代用教員を務めたのち、上京して明治女学校入学。東京女子高等師範学校卒業後(同級生に宮川ヒサ、吉村はま(福永操の母)など)、結婚して盛岡女子高等学校に奉職。 兄・長岡光一(1901-) ‐ 脚本家。慶應義塾理財科卒。 長姉・妙子(1902-) ‐ 三菱商事常務・井上鳳吉(井上剣花坊長男)の妻。東京府立第三高女卒。 次姉・百合子(1905-) ‐ 府立第三高女出身。少女時代に舞踏病になり一時寝たきりとなった。 妹・節子(みさおこ、1912-) ‐ 作曲家・指揮者の尾高尚忠の妻で、息子に作曲家の尾高惇忠と指揮者の尾高忠明がいる。 妹・春子 弟・雄二郎 末妹・陽子 ‐ チェロ奏者の倉田高の妻で、娘にチェロ奏者の倉田澄子がいる。 親戚・長岡半兵衛 ‐ 盛岡の豪商「向半」主人。向半(向井屋半兵衛)は1757年に盛岡鉈屋町から鍛冶町に移り肴商を始め、後に煙草商も営んだ。後代の半兵衛は盛岡銀行の頭取も務めた。 死の断崖(1951年) 風にそよぐ葦 後編(1951年) 泣虫記者(1952年) 本日休診(1952年) にごりえ(1953年) 東京物語(1953年) 陽は沈まず(1954年) 花と波濤(1954年) 山の音(1954年) 或る女(1954年) 心に花の咲く日まで(1955年) くちづけ(1955年) 早春(1956年) 茶の間の時計 愛情の波紋(1956年) 驟雨(1956年) 東京暮色(1957年) 誘惑(1957年) 純愛物語(1957年) 鰯雲(1958年) 花の慕情(1958年) 裸の大将(1958年) 彼岸花(1958年) キクとイサム(1959年) お早よう(1959年) 暗夜行路(1959年) すずかけの散歩道(1959年) ある日わたしは(1959年) 夜の流れ(1960年) 濹東綺譚(1960年) 妻という名の女たち(1963年) 女の中にいる他人(1966年) 女の一生(1967年) 二匹の用心棒(1968年) 華麗なる闘い(1969年) 遠野物語(1982年) おしん(1984年) ※声の出演 アテルイ(アニメ作品)(2002年)アマババ役 ※声の出演 鹿鳴館(1959年、フジテレビ「木曜観劇会」) 一年半待て(1965年、関西テレビ「松本清張シリーズ」) 鬼退治(1971年、NET) 花は花よめ 第2シリーズ 第28話(1973年、日本テレビ) 連続テレビ小説(NHK)
おしん(1983年) 新西洋事情2 地中海の旅・波高し(1977年、NHK「NHK特集」) 土曜ドラマ(NHK)
修羅の旅して(NHK、1979年10月28日) - ハル 役 銀河テレビ小説(NHK)
ドラマ人間模様(NHK)
富士山麓(1984年) 武蔵坊弁慶(1986年、NHK) なつかしい春が来た(1988年、フジテレビ) 鬼ユリ校長、走る!(1994年・1996年、関西テレビ「花王ファミリースペシャル」) 『父からの贈りもの』(草思社、1984年) 『ふたりの夫からの贈りもの』(草思社、1988年) 『老いてなお、こころ愉しく美しく』(草思社、2000年) 『長岡輝子の四姉妹 - 美しい年の重ね方』(鈴木美代子著、草思社、2005年) 『長岡輝子の聖書ものがたり』(一麦出版社、2007年) ^ 河北新報 1982年7月19日夕刊 10面「登場」コーナー ^ 日本キリスト教文化協会 顕彰者一覧※2022年10月23日閲覧 ^ “「おしん」出演、長岡輝子さん死去…102歳” (日本語). 読売新聞. (2010年10月20日). https://web.archive.org/web/20101023061232/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101020-OYT1T00549.htm 2010年10月20日閲覧。 ^ 『父からの贈り物』長岡輝子、草思社、1984、p7-9 ^ 長岡栄子『日本婦人の鑑 改訂』婦人評論社、1935 ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社、1982、p50 ^ 『父からの贈り物』p37 ^ 豪商があった街近世こもんじょ館 ^ “「アテルイ」主な登場人物紹介”. シネマとうほく. 2016年6月21日閲覧。 allcinema.net - 長岡輝子 草思社 - 長岡輝子の四姉妹 長岡輝子 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat イスラエル アメリカ 日本 日本の女優 日本の舞台演出家 過去の文学座所属者 キリスト教功労者の受賞者 菊池寛賞受賞者 日本のセンテナリアン 東洋英和女学院中学部・高等部出身の人物 岩手県出身の人物 1908年生 2010年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/18 20:33更新
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nagaoka teruko
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