もしもし情報局 > 1908年 > 2月29日 > 映画監督

マキノ雅弘の情報 (まきのまさひろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月11日】今日誕生日の芸能人・有名人

マキノ雅弘の情報(まきのまさひろ) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

マキノ 雅弘さんについて調べます

■名前・氏名
マキノ 雅弘
(読み:まきの まさひろ)
■職業
映画監督
■マキノ雅弘の誕生日・生年月日
1908年2月29日 (年齢1993年没)
申年(さる年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
京都出身

マキノ雅弘と同じ1908年生まれの有名人・芸能人

マキノ雅弘と同じ2月29日生まれの有名人・芸能人

マキノ雅弘と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


マキノ雅弘と関係のある人

江川宇礼雄: 1922年(大正11年)、京都一商に通学していたマキノ雅弘は、御陵参拝の行事を父親のマキノ省三のロケに行くと言う命令で休まされ、四条小橋で『人は人道』のロケに出ているのを級友たちに見つかってしまい、退学処分となってしまった。


星美智子: 映画監督マキノ雅弘は親戚に当たる。


星美智子: 1935年(昭和10年)、8歳の時に、戦前の日活のスターだった叔母・星玲子のいる撮影所に遊びに行ったところ、親戚に当たるマキノ雅弘監督に「チビ、映画に出てみろ」と言われ、これをきっかけに映画『少年靴屋』で子役デビューする。


本郷秀雄: 『若き日の次郎長 東海道のつむじ風』 : 監督マキノ雅弘、1962年1月3日公開 - 薩洲、89分尺で現存(NFC所蔵)


山縣直代: 1935年(昭和10年)、マキノ正博(のちのマキノ雅弘)のマキノトーキー製作所設立に参加、同年、根岸東一郎監督の『無鉄砲選手』に出演した。


大友柳太朗: 1958年(昭和33年)、『仇討崇禅寺馬場』(1957年・マキノ雅弘監督)での演技により京都映画祭主演男優賞を受賞。


阿部九州男: 『雪之丞変化』 : 監督マキノ雅弘、1959年


平田昭彦: 1953年、第5期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し、同年、マキノ雅弘監督『抱擁』でデビューする。


風間杜夫: すぐに子役としての頭角をあらわすと、マキノ雅弘や加藤泰などの日本映画監督による東映作品に多数出演し、少年雑誌の表紙を飾るほどの売れっ子になる。


水木襄: 同年、本名のまま、中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)主演、マキノ雅弘監督による『不敵なる反抗』に、チンピラ・ゴンチャン役でデビュー。


山田宏一: 『マキノ雅弘の世界 映画的な、あまりに映画的な』ワイズ出版〈映画文庫〉 2012 - 元版2冊を再編・改稿


牧野省三: 死後50日を経て、当時まだ21歳であった長男・マキノ雅弘を中心としたマキノ・プロダクションの新体制が発表されたが、省三の妻で同社の代表取締役に就任した牧野知世子を頂点とした「マキノ本家」と撮影所の二股があだになり、賃金未払い、ストライキなど争議の日々を経て、省三没後2年の1931年(昭和6年)に同社は解散した。


丘さとみ: 若き日の次郎長・東海道のつむじ風(監督:マキノ雅弘


本郷秀雄: 『清水港に来た男』 : 監督マキノ雅弘、1960年7月31日公開 - 三下B、91分尺で現存(NFC所蔵)


丘さとみ: 鞍馬天狗(監督:マキノ雅弘


鶴田浩二: もっとも松竹入社駆け出しのころは1本が15万円という薄給だった苦痛を味わっており、それが松竹退社と独立プロ設立につながったとマキノ雅弘監督はコメントしている。


マキノ智子: 1歳年下の弟に映画監督のマキノ雅弘、2歳年下の弟に映画プロデューサーのマキノ光雄がいる。


沢田正二郎: マキノ雅弘によると、当時の活動大写真にチャンバラ、大殺陣の要素が大きく加わったのは、新国劇の正二郎の影響だった。


尾上松之助: マキノ雅弘も「とにかくマジメな人で、他の役者と違って博打も打たなければ酒も飲まなかった」と自伝で語っている。


勝間田具治: 東映京都撮影所でマキノ雅弘に師事し、工藤栄一、加藤泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。


大友柳太朗: マキノ雅弘によると「大犮柳太朗は、正直のところ演技がまずく」「大犮ドン太朗」という渾名がつけられていた。


久世龍: 1933年(昭和8年)、初めてマキノ雅弘に「殺陣をつけろ」と言われ、月形龍之介に殺陣をつけ、以来1951年(昭和26年)まで、ずっと月形の殺陣をつけた。


内藤誠: 佐伯清、成澤昌茂、マキノ雅弘、石井輝男らの助監督を経て1969年に監督に昇進し、主に当時の東映の主流である東映京都撮影所作品などの併映作品、俗に言う「B面映画」の職人監督として活躍した。


佐伯秀男: 『純情部隊』 : 監督マキノ雅弘、原作玉川一郎、脚本中田竜雄、主演力道山、製作東映東京撮影所、配給東映、1957年1月15日公開 - 88分の上映用プリントをNFCが所蔵


市川小文治: 戦後も大映京都撮影所やマキノ正博(のちのマキノ雅弘)の興したシネマ・アーチスト・コーポレーション等の時代劇映画に出演した。


山田宏一: 『次郎長三国志 マキノ雅弘の世界』ワイズ出版 2002


淡島千景: 雪之丞変化(監督:マキノ雅弘、1959年)


久世龍: この頃、監督独り立ちしていたマキノ雅弘のロケに随行。


市川百々之助: マキノ雅弘によると、百々之助は「目玉の松っちゃん」(尾上松之助)の次に売れたマキノ映画のチャンバラ大スターだったが、もともとは顔立ちが松之助に似ていたので役者になれたのだという。


田崎潤: 1951年には『オール讀物』に連載が始まったばかりの村上元三の小説『次郎長三国志』を読んで、作中人物・桶屋の鬼吉を自ら演じたくてマキノ雅弘監督に映画化の企画を持ち込み、この『次郎長三国志』は東宝映画でシリーズ映画化され、東宝のドル箱シリーズとなる。


マキノ雅弘の情報まとめ

もしもしロボ

マキノ 雅弘(まきの まさひろ)さんの誕生日は1908年2月29日です。京都出身の映画監督のようです。

もしもしロボ

映画、子役、テレビ、ドラマ、現在、退社、解散、結婚、離婚、事件、引退に関する情報もありますね。1993年に亡くなられているようです。

マキノ雅弘のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年〈明治41年〉2月29日 - 1993年〈平成5年〉10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家。本名:牧野 正唯(まきの まさただ)。

「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三の息子。父の死後マキノ・プロダクション撮影部長、松竹太秦撮影所長などを歴任、生涯に261本もの劇場映画を監督・製作し、日本映画の黄金時代を築いた。沖縄アクターズスクール開設者のマキノ正幸は実子。

甥の津川雅彦が映画監督を務めた際、マキノ雅彦の名義を用いた。

職業名の変遷は下記の通り。

マキノ 正唯 (牧野とも、まきの まさただ)

1912年 − 1927年、子役・女形時代。

マキノ 正博 (牧野−とも、まきの まさひろ)

1927年 − 1950年、監督デビュー後。

マキノ 雅弘 (牧野−とも、まきの まさひろ)

1951年 − 1979年、東横映画・東映、テレビドラマテレビ映画監督時代。

マキノ 雅裕 (まきの まさひろ)

1980年 − 1989年、『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』を総監修時以降。

マキノ 雅広 (まきの まさひろ)

1990年 − 1993年、『浪人街』を総監修時以降。

マキノ 陶六 (牧野−とも、まきの すえろく)

牧 陶六 (まき すえろく、監督名でもある)

牧野 正雄 (まきの まさお)

青山 正雄 (あおやま まさお、1932年、1作のみの監督名、嵐寿之助の本名を拝借)

立春 大吉 (りっしゅん だいきち、1936年 − 1937年、マキノトーキー時代)

江戸川 浩二 (えどがわ こうじ、1939年のみ)

観世 光太 (かんぜ こうた、1941年 − 1962年)

ほか多数

1908年(明治41年)、牧野正唯は、父・省三が映画製作を始めた年の2月29日に京都府京都市上京区で生まれた。

幼少のころは父が撮影所長を務めていた日活で子役として働いていた。小学校の同級生に後のカメラマン宮川一夫がいた。「映画に専念しろ」という父に反発して京都市立第一商業学校(現在の京都市立西京高等学校)に進学した。しばらくは一商のラグビー選手として活躍し、1925年に開催された第8回日本フットボール優勝大会で全国制覇に貢献。のちの映画監督の久保為義、山中貞雄らがいた。

17歳のとき、赤痢にかかり、病床に伏したことを機に高校を退学、父が所長を務める東亜キネマ等持院撮影所で、今度は助監督として駆り出されるようになった。やがて父の興したマキノ・プロダクションで、18歳のとき、富沢進郎の共同監督として『青い眼の人形』で監督デビューを果たした。

山上伊太郎の脚本による『浪人街 第一話 美しき獲物』は1928年(昭和3年)のキネマ旬報ベストテン第1位に輝き、『崇禅寺馬場』が4位、『蹴合鶏』が7位を勝ち取った。翌1929年(昭和4年)には『首の座』で2年連続第1位、『浪人街 第三話 憑かれた人々』も3位に入選した。ところが、正博の監督した作品は評論家や左翼青年からは高い評価を得たものの興行的には失敗であった。1929年(昭和4年)、父の陣頭指揮のもと、トーキーの研究にとりくみ、同年7月5日、マキノ・プロダクション第1回トーキー作品として、日本初のディスク式トーキーによる監督作『戻橋』を発表する。そのわずか20日後、同年7月25日、父・省三は、37万円という今の金額に換算すると数億円とも言われる、巨額の負債を負ったまま死去する。

正博はマキノグループが抱える37万円の借金を返済すべく、自らが陣頭指揮を執って娯楽作品を次々と世に送るが、かえって経営は危機に瀕して、数度のストライキや撮影所全焼という不幸が重なり、ついにマキノプロを引き払って、1932年(昭和7年)にひとまずは日活に入社。しかし、ここでも不況下の首切りによるストライキが起こって撮影が一向に進まず、正博も間もなく会社から解雇される。

退社後は東京映音に入社し、録音技術すなわちトーキーの研究をし、東日大毎ニュース映画、大日本ビールのコマーシャル映画など記録映画の製作に携わり、みずからトーキー録音機を考案、日活で『さくら音頭』を試作。さらには永田雅一の第一映画社に招かれて、トーキー映画の録音と現像を指導、この頃の伊藤大輔、溝口健二の監督したトーキーは「録音技師・マキノ正博」の手によるものだった。

1935年(昭和10年)に嵐寛寿郎プロダクションで『春霞八百八町』などで再びメガホンをとり、それまでのトーキー映画での成果を引っさげ、同年、安価で良質なトーキー映画を製作するためにマキノトーキー製作所を設立した。マキノトーキーの全作品は、正博自身がプロデューサーと録音技師を務めている。

1937年(昭和12年)にマキノ・トーキーは資金難により解散し、正博ももう2度とプロダクションは持つものかと心に決め、一介の雇われ監督として日活に招かれる。しかしこの間、日活に所属していたスターの阪東妻三郎(『恋山彦』『血煙高田の馬場』)、片岡千恵蔵(『江戸の荒鷲』)、月形龍之介(『妖棋伝』)らの主演作を休む暇もなくスピーディに撮りつづけ、いずれもヒット作となった。

1939年(昭和14年)には和製オペレッタ映画『鴛鴦歌合戦』を監督、公開当時はあまり大きな反響がなかったが、後年、再評価が高まり、現在では『血煙高田馬場』に並んで正博の戦前の代表作となっている。

1本の作品を約10日程度で撮り上げてしまう正博であったが、特に『鴛鴦道中』はなんと撮影期間28時間という超人的な離れ業もやってのけた。負債は完済し、女優の轟夕起子と結婚した(1940年結婚 - 1950年離婚)。この頃までに正博は「早撮りの名人」の異名をとるが、それは以前から「早撮監督」として知られていた渡辺邦男もうなるほどの技量だった。

正博は人形浄瑠璃を学び、女優に対する演技指導では自ら演技をしてみせた。1940年頃には、当時まだ10代だった藤間紫が踊る日本舞踊に感銘を受け、以後はもっぱら日本舞踊を研究し、その所作を女優の演技指導に活用するようになる。松竹太秦撮影所長に就任する。

第二次世界大戦後はヒロポン中毒に苦しんだこともあったが、黒澤明脚本による『殺陣師段平』、村上元三原作の「次郎長三国志」シリーズ(東宝で9部作、東映で4部作)、東映では仁侠映画の走りとなった『日本侠客伝』シリーズなど数々の傑作を生み出し、高倉健らを銀幕の大スタアの座に押し上げるのに一役買った。藤純子を自宅に住まわせ、女優のイロハを一から叩き込み、彼女を東映随一の女優に育てあげたり、日活では「梶芽衣子」の名付け親にもなっている。

1960年(昭和35年)には、生放送のテレビドラマ『秋葉の宿』でテレビにも進出。1965年(昭和40年)の『竜馬がゆく』などを手掛けたほか、1968年(昭和43年)には父・省三の生涯を描いた『カツドウ屋一代』を映像化した。テレビドラマテレビ映画は、1981年(昭和56年)の『旅がらす事件帖』最終回まで手掛けた。

1971年(昭和46年)岡田茂の東映社長就任と同時に東映を退社

1972年(昭和47年)に監督した東映オールスター映画『純子引退記念映画 関東緋桜一家』が最後の劇場作品となった。同作は興行的には大成功だったが、批評家からはあまり高く評価されず、これが映画監督引退を決断するきっかけの一つとなった。

1977年(昭和52年)、山田宏一および山根貞男の構成により『マキノ雅弘自伝 映画渡世 天の巻・地の巻』を平凡社から上梓する。

1993年(平成5年)10月29日、死去した。85歳没。サッカーファンで、臨終の床でもいわゆる「ドーハの悲劇」の試合をテレビで観戦しており、試合途中で日本代表の勝利を確信して死去したという。墓所は京都市等持院。

野村芳亭、池永浩久、高松豊次郎、根岸寛一、城戸四郎らの映画人とは父の代から交流があった。

翌日の撮影脚本が気に入らないと、夜のうちに脚本を真っ赤に修正し、翌朝それを配布して撮影を続けた。

自身も俳優経験があるため、俳優の演技指導を自らの動きでやってみせ、男役・女役ともに巧みだった。

自伝『映画渡世・天の巻』には次のような述懐がある:「父はよくこう云っていた。ホンさえよかったら、誰でもいい演出家になれる、と。1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ、というのが父の映画憲法だった。スジとは筋すなわちストーリーの面白さ、ヌケとは画面がきれいにぬけていること、ドウサとは動作で、これが、この順序通りに、父にとっては映画の三原則にほかならなかった。」

監督作のみで261本が存在する。Category:マキノ雅弘の監督映画

青い眼の人形 (1926年) - 18歳の監督デビュー作

蹴合鶏 (1928年)

浪人街シリーズ (1928年 - 1929年)

    浪人街 第一話 美しき獲物 (1928年) - 第5回キネマ旬報日本映画ベスト・ワン

    浪人街 第二話 楽屋風呂 第一篇

    浪人街 第二話 楽屋風呂 解決篇

    浪人街 第三話 憑かれた人々

    崇禅寺馬場 (1928年)

    首の座 (1929年) - 第6回キネマ旬報日本映画ベスト・ワン

    戻橋 (1929年) - マキノ・プロダクション第1回トーキー作品、日本初のディスク式トーキー

    学生三代記 (1930年)

    さくら音頭 (1934年)

    春霞八百八町 (1935年)

    恋山彦 風雲の巻 (1937年)

    恋山彦 怒濤の巻 (1937年)

    妖棋伝 (1937年)

    江戸の荒鷲 (1937年)

    血煙高田の馬場 (1937年)

    弥次㐂夛道中記 (1938年)

    忠臣蔵 天の巻・地の巻(1938年)地の巻は池田富保監督。

    鴛鴦歌合戦 (1939年) - ミュージカル

    浪人街 (1939年)

    江戸の悪太郎(1939年)

    彌次喜多 名君初上り (1940年) - ミュージカル

    続清水港 (1940年)

    織田信長 (1940年)

    昨日消えた男 (1941年)

    長谷川・ロッパの家光と彦左 (1941年)

    阿波の踊子 (1941年)

    男の花道 (1941年)

    婦系図 (1942年)

    千日前附近 (1942年)

    阿片戦争 (1943年)

    ハナ子さん (1943年) - ミュージカル

    不沈艦撃沈 (1944年3月23日公開、松竹大船撮影所 / 松竹)

    野戦軍楽隊 (1944年10月26日公開、松竹京都撮影所 / 松竹) 

    待ちぼうけの女 (1946年)

    のんきな父さん (1946年12月1日公開)

    満月城の歌合戦 (1946年12月31日公開) - ミュージカル

    肉体の門 (1948年)

    幽霊暁に死す (1948年)

    盤嶽江戸へ行く (1949年)

    佐平次捕物帳 紫頭巾 前篇・後篇(1949年)

    傷だらけの男 (1950年)

    寺子屋 (1950年) - 記録映画、日本初のフジカラーによるカラー映画

    殺陣師段平 (1950年)

    離婚 (1952年)

    やぐら太鼓 (1952年5月8日公開)

    すっ飛び駕 (1952年)

    弥太郎笠 前後篇 新東宝=新生プロ1952.10.30

    『次郎長三国志』シリーズ (1952年 - 1954年、東宝版)

      次郎長三国志 第一部・次郎長売出す

      次郎長三国志 第二部・次郎長初旅

      次郎長三国志 第三部・次郎長と石松

      次郎長三国志 第四部・勢揃い清水港

      次郎長三国志 第五部・殴込み甲州路

      次郎長三国志 第六部・旅がらす次郎長一家

      次郎長三国志 第七部・初祝い清水港

      次郎長三国志 第八部・海道一の暴れん坊

      次郎長三国志 第九部・荒神山前編

      『丹下左膳』シリーズ(水島道太郎版、1956年)

        丹下左膳 乾雲の巻

        丹下左膳 坤龍の巻

        丹下左膳 完結篇

        純情部隊 (1957年)

        阿波おどり 鳴門の海賊 (1957年)

        浪人街 (1957年)

        清水港の名物男 遠州森の石松(1958年)

        非常線(1958年)

        恋山彦 (1959年)

        雪之丞変化 (1959年)

        江戸の悪太郎 (1959)

        九ちゃん刀を抜いて (1963年)

        八州遊侠伝 男の盃 (1963年) - 藤純子デビュー作

        『次郎長三国志』シリーズ (1963年 - 1965年、東映版)

          次郎長三国志 (1963年10月)

          続・次郎長三国志 (1963年11月)

          次郎長三国志 第三部 (1964年2月)

          次郎長三国志 甲州路殴り込み (1965年8月)

          『日本侠客伝』シリーズ (1964年 - 1969年)

            日本侠客伝(1964年8月)

            日本侠客伝 浪花篇(1965年1月)

            日本侠客伝 関東篇(1965年8月)

            日本侠客伝 血斗神田祭り(1966年2月)

            日本侠客伝 雷門の決斗(1966年9月)

            日本侠客伝 白刃の盃(1967年1月)

            日本侠客伝 斬り込み(1967年9月)

            日本侠客伝 絶縁状(1968年2月)

            日本侠客伝 花と龍(1969年5月)

            色ごと師春団治 (1965年)

            侠骨一代 (1967年)

            昭和残侠伝 血染の唐獅子(1967年)

            昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969年)

            日本残侠伝(1969年、原作・脚本)

            悪名一番勝負 (1969年)

            昭和残侠伝 死んで貰います (1970年)

            日本やくざ伝 総長への道 (1971年)

            純子引退記念映画 関東緋桜一家 (東映、1972年) - 藤純子引退記念映画、マキノの劇場用映画最終作

            ちゃんばらグラフィティー 斬る! (1981年、総監修) - マキノ雅裕名義

            浪人街 (1990年、監修)

            秋葉の宿(1960年2月13日、日本テレビ

            竜馬がゆく(1965年4月19日 - 11月22日、毎日放送)

            青雲五人の男(1966年4月19日 - 9月27日、日本テレビ) - 兼監修

            カツドウ屋一代(1968年4月4日 - 9月26日、毎日放送) - 兼監修。津川雅彦がマキノ雅弘役を演じた

            長谷川伸シリーズ(NET、1972年10月4日 - 1973年4月25日) - シリーズ通して制作・企画

              第18話・第19話「暗闇の丑松」(1973年1月31日・2月7日) - 監督

              第22話「抱寝の長脇差」(1973年2月28日) - 脚本

              第24話「刺青奇偶」(1973年3月14日) - 監督・脚本

              旅人異三郎(東京12チャンネル)

                第1話「ひょっとこ面が淋しく笑った」(1973年3月24日)

                第5話「おんな仁義が火祭りに映えた」(1973年4月21日) - 兼脚本

                第16話「過ぎし日の面影が宿場に散った」(1973年7月7日)

                東芝日曜劇場『たけくらべ』(1973年7月15日、TBS)

                女・その愛のシリーズ(NET)

                  『婦系図』(1973年11月28日 - 12月5日)

                  『歌行燈』(1974年2月6日)

                  マチャアキの森の石松 (NET、1975年10月12日 - 1976年4月4日) - 兼脚本

                  花王名人劇場『活動屋ばんざい 日本映画の草分け監督マキノ省三のカチンコ人生』(1979年11月18日、関西テレビ) - 監修

                  旅がらす事件帖 最終話「直次郎 暁に旅立つ」(1981年3月31日、関西テレビ

                  『カツドウ屋一代』(マキノ雅弘、栄光出版社、1968年/復刻・大空社、1998年)

                  『マキノ雅弘自伝 映画渡世 天の巻』、『地の巻』(マキノ雅弘述、山田宏一、山根貞男構成、平凡社、1977年)

                    角川文庫版、1984年1月。天の巻 ISBN 4041587018、地の巻 ISBN 4041587026 - 図版なし版

                    ちくま文庫版、1995年8月。天の巻 ISBN 4480030727、地の巻 ISBN 4480030735

                    平凡社 新装版、2002年9月。天の巻 ISBN 4582282016、地の巻 ISBN 4582282024

                    『マキノ雅裕 女優 志・情』(マキノ雅弘、草風社、1979年)

                    『ちゃんばらグラフィティー』(浦谷年良編、マキノ雅弘監修、講談社、1981年)

                    『クライマックス 人生はドラマだ』第19回「マキノ省三」(1960年、日本テレビ) - 牧野省三の生涯をとりあげたドキュメンタリー番組で、マキノ雅弘も出演した。

                    『あゝ、にっぽん活動大写真』(1978年、毎日放送、全13話) - 浦谷年良演出による、マキノの人生の再現ドラマと、インタビューとを交えた番組。

                    『裸の大将放浪記 天狗の鼻は高いので』(1982年9月12日、関西テレビ) - 本人役で特別出演した。

                    映画の子・マキノ雅弘〜まるで活動大写真みたいな人生〜』(2008年、時代劇専門チャンネル) - 上記番組を浦谷年良が再構成。1978年版のドラマに出演した俳優たちの2008年時点のコメントが追加された。

                    ETV特集『マキノ雅弘・あるカツドウ屋の生涯』(2008年、NHK)

                    ^ “マキノ雅広(マキノまさひろ)とは”. コトバンク. 2018年7月31日閲覧。 “デジタル大辞泉の解説 本名、牧野正唯(まさただ)。日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 本名牧野正唯(まさただ)。”

                    ^ 現在の全国高等学校ラグビーフットボール大会

                    ^ 『映画渡世・天の巻 - マキノ雅弘自伝』、1977年、p.141-142.

                    ^ ETV特集『マキノ雅弘 ある活動屋の生涯』、NHK、2008年7月20日放送。

                    ^ 『映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝』、1977年、p.447-448.

                    ^ 『映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝』、1977年、p.260-261.

                    『マキノ雅弘自伝 映画渡世 天の巻・地の巻』(マキノ雅弘 述、平凡社、1977年) - 山田宏一、山根貞男による聞書き。

                    『日本映画興亡史 マキノ一家』(石割平 著、ワイズ出版、2000年、ISBN 4898300243)

                    『次郎長三国志 マキノ雅弘の世界』(山田宏一 著、ワイズ出版、2002年、ISBN 4898301398)

                    『日本俠客伝 マキノ雅弘の世界』(山田宏一 著、ワイズ出版、2007年、ISBN 4898302203)

                    『マキノ雅弘 映画という祭り』(山根貞男 著、新潮選書、2008年、ISBN 9784106036217)

                    ミカド商会

                    牧野教育映画製作所

                    マキノ映画製作所

                    東亜キネマ

                    マキノ・プロダクション

                    マキノトーキー製作所

                    マキノ家

                    マキノ雅広 - allcinema

                    マキノ雅弘 - KINENOTE

                    マキノ雅弘 - 日本映画データベース

                    江戸川浩二 - 日本映画データベース

                    観世光太 - 日本映画データベース

                    青山正雄 - 日本映画データベース

                    立春大吉 - 日本映画データベース

                    Masahiro Makino - IMDb(英語)

                    青い眼の人形(1926)

                    蹴合鶏(1928)

                    浪人街 第一話 美しき獲物(1928)

                      浪人街 第二話 楽屋風呂 第一篇

                      浪人街 第二話 楽屋風呂 解決篇

                      浪人街 第三話 憑かれた人々

                      崇禅寺馬場(1928)

                      首の座(1929)

                      戻橋(1929)

                      学生三代記(1930)

                      さくら音頭(1934)

                      春霞八百八町(1935)

                      恋山彦 風雲の巻(1937)

                      恋山彦 怒濤の巻(1937)

                      妖棋伝(1937)

                      江戸の荒鷲(1937)

                      血煙高田の馬場(1937)

                      弥次㐂夛道中記(1938)

                      鴛鴦歌合戦(1939)

                      浪人街(1939)

                      江戸の悪太郎(1939)

                      彌次喜多 名君初上り(1940)

                      続清水港(1940)

                      織田信長(1940)

                      昨日消えた男(1941)

                      長谷川・ロッパの家光と彦左(1941)

                      阿波の踊子(1941)

                      男の花道(1941)

                      婦系図(1942)

                      千日前附近(1942)

                      阿片戦争(1943)

                      ハナ子さん(1943)

                      不沈艦撃沈(1944)

                      野戦軍楽隊(1944) 

                      待ちぼうけの女(1946)

                      のんきな父さん(1946)

                      満月城の歌合戦(1946)

                      肉体の門(1948)

                      幽霊暁に死す(1948)

                      盤嶽江戸へ行く(1949)

                      佐平次捕物帳 紫頭巾 前篇・後篇(1949)

                      傷だらけの男(1950)

                      寺子屋(1950)

                      殺陣師段平(1950)

                      離婚(1952)

                      やぐら太鼓(1952)

                      すっ飛び駕(1952)

                      弥太郎笠 前後篇(1952)

                      次郎長三国志シリーズ(1952 - 1954)

                      丹下左膳

                      純情部隊(1957)

                      阿波おどり 鳴門の海賊(1957)

                      浪人街(1957)

                      清水港の名物男 遠州森の石松(1958)

                      非常線(1958)

                      恋山彦(1959)

                      雪之丞変化(1959)

                      江戸の悪太郎(1959)

                      九ちゃん刀を抜いて(1963)

                      八州遊侠伝 男の盃(1963)

                      次郎長三国志シリーズ(1963 - 1965)

                      日本侠客伝シリーズ(1964 - 1969)

                      色ごと師春団治(1965)

                      侠骨一代(1967)

                      日本残侠伝(1969)

                      悪名一番勝負 (1969)

                      昭和残侠伝 死んで貰います(1970)

                      日本やくざ伝 総長への道(1971)

                      純子引退記念映画 関東緋桜一家(1972)

                      FAST

                      ISNI

                      VIAF

                      WorldCat

                      スペイン

                      フランス

                      BnF data

                      ドイツ

                      アメリカ

                      日本

                      CiNii Books

                      CiNii Research

                      IdRef

                      日本の男優

                      日本の男性子役

                      日本の映画監督

                      ヤクザ映画の監督

                      20世紀日本の脚本家

                      日本の映画プロデューサー

                      20世紀日本の実業家

                      日本の録音技師

                      日本のサイレント映画監督

                      サイレント映画の俳優

                      戦前の日活の俳優

                      東亜キネマの人物

                      マキノ・プロダクションの人物

                      マキノトーキーの人物

                      マキノ一家

                      京都市立西京高等学校・附属中学校出身の人物

                      京都市出身の人物

                      1908年生

                      1993年没

                      東映時代劇

                      剣戟映画

                      プロジェクト人物伝項目

                      ウィキデータにあるallcinema人物識別子

                      ウィキデータにあるKINENOTE ID

                      ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子

                      FAST識別子が指定されている記事

                      ISNI識別子が指定されている記事

                      VIAF識別子が指定されている記事

                      WorldCat Entities識別子が指定されている記事

                      BNE識別子が指定されている記事

                      BNF識別子が指定されている記事

                      BNFdata識別子が指定されている記事

                      GND識別子が指定されている記事

                      LCCN識別子が指定されている記事

                      NDL識別子が指定されている記事

                      CINII識別子が指定されている記事

                      CRID識別子が指定されている記事

                      SUDOC識別子が指定されている記事

                      ISBNマジックリンクを使用しているページ

2025/04/08 03:26更新

makino masahiro


マキノ雅弘と同じ誕生日2月29日生まれ、同じ京都出身の人

内田 朱美(うちだ あけみ)
1972年2月29日生まれの有名人 東京出身

内田 朱美(うちだ あけみ、1972年2月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。エス・オー・プロモーション所属。以前はテレビ山梨とテレビ神奈川に在籍していた。 東京都出身。学習院大学経済学部卒…

来栖 琴子(くるす きんこ)
1924年2月29日生まれの有名人 京都出身

来栖 琴子(くるす きんこ、1924年2月29日 - )は、日本のアナウンサー、著作家、ジャーナリスト。本名、粟屋 琴子(あわや きんこ)。旧姓、来栖(くるす)。 満州安東県(現・丹東市)出身。相模…

羽仁 未央(はに みお)
1964年2月29日生まれの有名人 東京出身

羽仁 未央(はに みお、1964年2月29日 - 2014年11月18日)は、日本のエッセイスト、メディアプロデューサー。東京都出身。映画監督の羽仁進と女優の左幸子を両親に持ち、叔母は女優の左時枝。祖…

白山 雅一(しろやま まさいち)
1924年2月29日生まれの有名人 東京出身

白山 雅一(しろやま まさいち、1924年2月29日 - 2011年9月中旬)は、日本の声帯模写芸人。本名は山白 雅一(やましろ まさかず)。東京演芸協会顧問。 大阪府出身。大阪の繊維関係の商家の跡…

立花 あんな(たちばな あんな)
【アリス十番】
1992年2月29日生まれの有名人 東京出身

立花 あんな (たちばな あんな、 1992年(平成4年)2月29日 - )は、日本の元地下アイドル、元女優。仮面女子、アリス十番、チェリーブロッサムの元メンバー。担当カラーでもある「赤仮面」がトレー…


原田 芳雄(はらだ よしお)
1940年2月29日生まれの有名人 東京出身

原田 芳雄(はらだ よしお、1940年2月29日 ※公称 - 2011年7月19日)は、日本の俳優、歌手。 東京府東京市下谷区金杉二丁目(現:東京都台東区下谷三丁目)生まれ。ギルドB所属。紫綬褒章は…

佐久間 正英(さくま まさひで)
1952年2月29日生まれの有名人 東京出身

佐久間 正英(さくま まさひで、1952年〈昭和27年〉2月29日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。既婚。 1970年代にプログレッシヴ…

もり ももこ(もりももこ)
1984年2月29日生まれの有名人 東京出身

もり ももこ(1984年2月29日 - )は、日本の女優。東京都出身。地球儀に業務提携。劇団かもめんたる劇団員。以前はスターダス・21、に所属していた。現在はサンミュージックプロダクションに所属。 …

林 智恵(はやし ちえ)
1976年2月29日生まれの有名人 東京出身

2月29日生まれwiki情報なし(2025/04/07 17:49時点)

zopp(ゾップ)
1980年2月29日生まれの有名人 東京出身

zopp(ゾップ、1980年2月29日 - )は、日本の作詞家、音楽プロデューサー。ザザ所属。血液型はO型。代表作に修二と彰「青春アミーゴ」、山下智久「抱いてセニョリータ」がある。 16歳の時に初め…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


マキノ雅弘と近い名前の人


牧野 真莉愛(まきの まりあ)
【ハロプロ】
2001年2月2日生まれの有名人 愛知出身

牧野 真莉愛(まきの まりあ、2001年2月2日 - )は、日本の歌手、アイドル、タレント。女性アイドルグループモーニング娘。の12期メンバー。 愛知県西尾市出身。ハロプロ研修生出身。アップフロント…

マキノ 正幸(まきの まさゆき)
1941年2月7日生まれの有名人 京都出身

マキノ 正幸(マキノ まさゆき、1941年2月7日 - 2024年6月28日)は、日本の経営者。沖縄アクターズスクール創業者。京都府出身。本名:牧野 正幸(読み同じ)。 映画監督のマキノ雅弘・宝塚出…

マキノ 智子(まきの ともこ)
1907年1月29日生まれの有名人 京都出身

マキノ 智子(マキノ ともこ、1907年1月29日 - 1984年10月20日)は、日本の女優である。「日本映画の父」といわれた牧野省三の四女。父の映画の子役からスタートし、大スターとなった。本名は加…

マキノ ノゾミ(まきの のぞみ)
1959年9月29日生まれの有名人 静岡出身

マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の男性俳優・劇作家・脚本家・演出家である。劇団M.O.Pを主宰するとともに、オフィス・マキノに所属している。本名は牧野 望。 静岡県浜松市出身。浜…

マキノ 光雄(まきの みつお)
1909年11月15日生まれの有名人 京都出身

マキノ 光雄(マキノ みつお、明治42年(1909年)11月15日 - 昭和32年(1957年)12月9日)は、日本の映画プロデューサー。「日本映画の父」として知られる牧野省三の第六子(次男)であるが…


マキノ 佐代子(まきの さよこ)
1958年4月29日生まれの有名人 東京出身

マキノ 佐代子(マキノ さよこ、1958年4月29日 - )は、東京都世田谷区出身の女優である。本名、牧野左代子。成城大学文芸学部中退。父はマキノ雅弘(映画監督)、母は女優の鳳弓子の一男二女の長女。異…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
マキノ雅弘
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

からっと☆ LinQ 愛乙女★DOLL CoverGirls Silent Siren Prizmmy☆ 乙女新党 ひめキュンフルーツ缶 でんぱ組.inc 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「マキノ雅弘」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました