今敏の情報(こんさとし) アニメ演出家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
今 敏さんについて調べます
■名前・氏名 |
今敏と関係のある人
ダーレン=アロノフスキー: アニメ監督の今敏のファンであり、死去した際には追悼のメッセージを送った。 滝沢聖峰: アニメ監督・漫画家の今敏とは小学生時代の同級生でもあり、友人であった。 丸山正雄: 丸山のプロデューサーとしての能力はアニメ業界随一と言われ、川尻善昭監督の『妖獣都市』『獣兵衛忍風帖』『バンパイアハンターD』、今敏監督の全作品(『パーフェクトブルー』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』)、細田守監督の『時をかける少女』『サマーウォーズ』、片渕須直監督の『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』など、ヒットメーカーたちの代表作・出世作を企画・プロデュースしている。 糸曽賢志: アニメプロデューサーの丸山正雄からの誘いで今敏監督の長編アニメーション「夢みる機械」に演出として参加後、2012年にSMAP全国ツアーで上映する映像を監督したほか、駐日フィンランド大使館の公式キャラクター「フィンたん」をデザインし、 ユルキ・カタイネン元首相と面会した。 今剛: アニメ監督・漫画家の今敏は実弟。 平沢進: 劇伴でもタッグを組んだアニメーション監督の今敏は、平沢の世界観を敢えて単純化すると「相反するものの同居」と評しており、今敏自身の表現に最も影響を受けていると語っている。 有里紅良: PERFECT BLUE(1997年、マッドハウス制作、今敏監督)※ネガ編集 丸山正雄: 1998年公開の今敏監督の映画『パーフェクトブルー』が、日本公開に先駆けて海外の映画祭などで上映され、各地で称賛を浴びる。 新海誠: カナダ・モントリオール ファンタジア国際映画祭 今敏賞 / 劇場アニメーション部門 観客賞 受賞 信本敬子: 東京ゴッドファーザーズ(※今敏と共同、2003年) 平沢進: また、同年に今敏によるアニメ映画『千年女優』の劇伴を担当する。 丸山正雄: 2010年8月14日、今敏が急逝する。その後は資金の問題よりも「誰が今敏の才能を引き継ぐことができるか」という問題に直面し、やめることを決断した。 丸山正雄: 2002年公開の今敏監督の映画『千年女優』が、ドリームワークスにより世界配給される。 丸山正雄: 特に人材の才能を見抜き、起用する力はずば抜けており、彼がピックアップして世の中に送り出した才能としては、前述の今敏、細田守、片渕須直らがいる。2010年に他界した今敏については、全劇場作品にプロデューサーまたは企画で関わっており、亡くなる直前まで制作を進めていた映画『夢みる機械』でもプロデューサーを務めることになっていた。 五十嵐裕美: 今敏監督の作品に衝撃を受け、特に『PERFECT BLUE』は子供の頃から何度も見返している。 丸山正雄: 2006年、今敏監督の映画『パプリカ』が公開され、第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品される。 ギレルモ=デル=トロ: デル・トロが公開しているコレクションの一部には他に小泉八雲、河鍋暁斎、水木しげる、菊池秀行、天野喜孝、士郎正宗、浦沢直樹、鬼頭莫宏、男鹿和雄、椋尾篁、井上直久、今敏、森本晃司、楳図かずお、山咲トオル、竹谷隆之、寺田克也、正子公也、若杉公徳、岩明均、五十嵐大介、岩井俊雄、山口貴由、奥浩哉、諸星大二郎などの書籍があることが確認できる。 吉岡榊: 好きな監督は、今敏。 |
今敏の情報まとめ
今 敏(こん さとし)さんの誕生日は1963年10月12日です。北海道出身のアニメ演出家のようです。
制作体制、作風などについてまとめました。卒業、映画、病気、テレビに関する情報もありますね。46歳で亡くなられているようです。
今敏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)監督賞『東京ゴッドファーザーズ』(2004年) 今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - 2010年8月24日)は、日本のアニメ監督、漫画家。鰐淵 良宏(わにぶち よしひろ)の名義を使用することもある。アニー賞生涯功労賞(ウィンザー・マッケイ賞)受賞者。 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。 PANTA& HAL、PARACHUTEなどの活動で知られるギタリストの今剛は実兄。 新作『夢みる機械』準備中の2010年8月24日に膵臓癌で死去。享年46。 北海道釧路市(出生地は札幌市)出身。父の転勤により4歳から小学4年生までを釧路、小学4年生から中学2年生までを札幌、中学3年生から高校3年生までを再び釧路で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌時代の小中学校の同級生である。釧路で過ごした高校時代と上京後の生活とのギャップは、後年の作品の主要テーマである「イマジネーションと現実の融合」の形成に少なからぬ影響を与えたという。 高校生の時、日本のコミックシーンのその当時のちょっとしたブームであったニューウェイブに影響されて読むだけでなく自分で漫画を描こうという気になった。北海道釧路湖陵高等学校卒業後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に進学、グラフィックを専攻し卒業。 大学在学中の1984年、『虜 -とりこ-』で『週刊ヤングマガジン』(講談社)の第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞し、1985年にちばてつや賞佳作を受賞した『カーヴ』で漫画家としてデビューを果たす。これをきっかけに、大友克洋のアシスタントとして働くことになった。 1987年に大学を卒業すると、1990年に『週刊ヤングマガジン』(講談社)で発表された『海帰線』で初の連載となる。1991年には大友が初監督した実写映画のコミカライズ作品である『ワールドアパートメントホラー』などを発表。 1991年、大友が原作・脚本を手掛けたアニメ『老人Z』(監督は北久保弘之)で初めてアニメ製作に携わる。作品では美術設定・レイアウト・原画を担当した。 1992年ごろから大友監修のオムニバスアニメ映画『MEMORIES』(1995年公開)の中の「彼女の想いで」(森本晃司監督)に脚本・美術設定・レイアウトとして参加するが、その役職以上に作品全体で今の果たした役割が大きかったとされている。当初はキャラクターデザインも担当する予定だったが、ラフスケッチだけにとどまった。また、この作品で今は初めて「イマジネーションと現実の融合」を作品のテーマとして取り入れた。 1993年、押井守監督の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にレイアウト担当の一人として参加する。押井は前作『機動警察パトレイバー the Movie』の時に、レイアウトを精度高く描くことで空間感を表現し、演出家の意図を徹底するという演出法に挑戦した。これはレイアウト担当として信用できるアニメーターを揃えられなければ成立しない手法でもあるため、前作では2人だった人員を6人に増やし、その一人として今も選ばれた。 1993年から1994年に制作されたOVA『ジョジョの奇妙な冒険』(北久保弘之監督)の第5話「花京院 結界の死闘」では脚本・絵コンテ・演出・構成も手掛け、演出家デビューを果たす。全体的に評価の高かったこのOVAシリーズの中でも傑出したエピソードとして「今 敏」の名前を強烈に印象づけた。 1994年から押井守が原作を担当し、今が作画を担当する漫画『セラフィム 2億6661万3336の翼』が月刊アニメ誌「アニメージュ」で連載される。しかし、連載が進むにつれて2人の間に意見の齟齬が生まれて休載、そのまま未完に終わった。押井との対立により、連載開始から1年以上経過したころには、押井の表記は原作ではなく原案に変更されていた。しかし押井は2019年に今について「最高のパートナー」であったと言及している。1996年に今は漫画家としての活動を終え、アニメ制作に専念することになる。 1997年、劇場用アニメ『PERFECT BLUE』で監督デビューを果たす。きっかけは、映画の制作会社マッドハウスの丸山正雄からさそわれたこと。漫画家時代からそれまでの今の仕事をチェックしていた丸山は、「ジョジョの奇妙な冒険」で今が担当した回を気に入っていた。企画段階での「『アイドル』『ホラー』『ストーカー』の3要素を織り交ぜる」という竹内義和の原作に基づいたシナリオに今が満足せず、竹内の同意を得てから村井さだゆきの協力によりシナリオが全面的に書き換えられた。猟奇的なモチーフも盛り込んだ当時のアニメ映画としてはかなりの異色作だったが、高い評価を獲得。特に海外での成功は、後のグローバルでの今の評価につながった。 『PERFECT BLUE』の後、以前からファンであった筒井康隆の小説『パプリカ』(1993年発表)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫。新たなオリジナル作品の制作に取り掛かる。 2002年、『千年女優』が劇場公開される。『PERFECT BLUE』と同程度の低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円)、前作以上の成功を収め、多くの賞に輝いた。北米公開の配給会社はドリームワークス系のゴー・フィッシュ・ピクチャーズが担当、日本アニメには珍しく大手映画会社が関わった。本作は今が長年のファンであった音楽家の平沢進との初タッグを組んだ作品で、以降の作品でも音楽を担当している。 2003年、『東京ゴッドファーザーズ』が劇場公開。北米公開はソニー・ピクチャーズ系のデスティネーション・フィルムズが担った。またこの作品からセルアニメではなく、デジタルアニメとなった。 2004年、初にして唯一のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作。数々の社会的なテーマも取り入れられ、映画では吸い上げることが出来なかった今が日頃から温めていたアイデアが再表現されている。 2006年、最後の長編作品となる『パプリカ』が劇場公開される。かねてから計画を温めていた作品であり、今による映像化は原作者の筒井たっての希望でもあったとされる。数年来の構想が実現した本作はそれまで今が培ってきた演出テクニックがまとめて投入された「総決算」といった趣きのエンターテインメント作品で、主人公パプリカの造形をはじめ、今作品の中では最もキャラクター性が前面に出た「アニメらしい」作品でもある。今は本作でも物語の要約だけではなく独自の解釈を加え、「基本的なストーリー以外は全て変えた」とコメントしている。この作品も成功を収め、様々な映画祭で賞に輝いた。 2007年にNHKで放送された『アニ*クリ15』に参加。押井守や新海誠らの作品とともに、寝起きの女性の様子をスケッチした1分間の短編『オハヨウ』が放送された。同年、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立に参与する。2008年から死去するまでの2年半の間、母校の武蔵野美術大学映像学科アニメーション分野の客員教授を務める。 その後、今は次回作として「3台のロボットの冒険を描く子ども向け映画」という長編『夢みる機械』の制作に着手。今が初めて企画する子どもも楽しめるアニメ映画ということで、その内容は「地球上に住んでいるのはロボットのみとなった未来を舞台に、津波によって楽園から追い出される格好となったリリコとロビンの2体のロボットが「電気の国」を目指して旅をする姿を描く」というものだった。しかし、その制作途中で病に倒れる。 2010年に体調を崩し、5月に病院で診断を受けたところ末期の膵臓癌と診断される。余命半年と宣告された後は、著作権管理会社の設立・遺言状の作成・在宅死の準備など、身の回りの整理をしながら亡くなる前日までブログも更新していた(但し、存命中は自分が病気であることは伏せている)。 2010年8月24日逝去。46歳没。翌日付のブログに、「さようなら」というタイトルで生前に書き留めていたファンに向けてのメッセージが公開され、約40万PVのアクセス数を集めた。関係者向けに開かれた「今 敏監督を送る会」には今の作品に関わった鈴木慶一や平沢進らが出席した。 同2010年11月、今の作品を制作してきたアニメスタジオ、マッドハウスが未完に終わった『夢みる機械』の制作続行を正式に発表。作画監督の板津匡覧が監督代行を務めることも併せて発表された。しかし、2011年に金銭的な理由でプロジェクトは中断してしまった。今の劇場作品をすべてプロデュースした丸山正雄はその後も4、5年ほどプロジェクトを続行しようと粘り続け、2012年時点では「2017年までに映画を完成させるための資金を集めるつもりだ」と語っていた。 しかし、その後は資金の問題よりも「誰が今敏の才能を引き継ぐことができるか」という問題に直面。のちに丸山は、「今の日本のアニメ界にはテイストの違った優秀な監督はいるが、今監督と同じ力量を持つ監督がいない。今のところ今以外では考えられず、プロジェクトを凍結してプランのままで終わらせるしかなかった」「今監督は『夢みる機械』の脚本と絵コンテ、フィルムの一部までを残していた。私は(今の死後)5年の間考え続けたが、今監督がやり残したものを誰か他の人が引き継いで指揮をとってしまうと、それはもう今監督の映画ではないのだとようやく気付いた」と語っている。しかし完全に制作をあきらめたわけではなく、「海外の才能ある監督がやってくれるのであればやらないとは限らない」として再始動の可能性がゼロではないことも示唆している。 制作体制オリジナル作品(『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『妄想代理人』など)においては、「映画製作のためにストーリーを考案する」のではなく「ストーリーの考案後に映画製作に耐えうるか考える」方式で制作され、『パプリカ』のような"原作もの"では、物語に忠実ではなく、独自の解釈を入れつつ、脚本家とともにストーリーを構成していく形が取られた。 今の絵コンテには画面の構図の取り方、演出の意図、話の流れなど、自身の作品へのイメージがすべて集約されており、作画担当者がそれを見れば大抵のことが分かるようになっている。テレビシリーズでも自身で絵コンテを担当した回は他の回以上にきっちりとしたコンテを描き、そのコンテを拡大してレイアウトにしていた。原画マンにはそのレイアウトを元に直接原画にしてもらうことで作業を端折って時間を稼いでいた。絵描きとしてもすぐれていて、とにかく絵を見る目、表現する力が圧倒的で、しかもそれを短時間で行う。絵コンテも、いきなり描きはじめるわけではなく、脚本に線を引いてどこでカットを割るのかということを熟考してから、絵コンテ用紙にまずラフから描きはじめる。パース線を引いて、ラフを描いて、クリンナップするという工程をきちんと踏みながら、それでいて高クオリティのコンテ1話分を2週間くらいで描いてしまう。 平沢進の音楽と同様にデジタル特有の無機質さやロジカルな部分と今の感性や作品は合っていたようで、早い時期からデジタル技術に可能性を感じてそれができる人間を好んで使っていた。また今の場合、自身でもフォトショップを使って背景に手を入れたり特効を入れたりもできたので、自分でセルデータに1枚ずつフォトショップで処理をかけて統合し、そのセルを撮影に渡すことまで行なっていた。完全にデジタルアニメに移行してからは、意識的に自身の作品のライブラリー化を図っていた。ライブラリー化はデジタルの特性だといち早く目をつけ、そうすればクオリティの高い素材をより効率的に量産できるだろうと考えて、『東京ゴッドファーザーズ』から始めていた。 アニメ業界で仕事をするようになってからも監督と兼業でリアルタッチのキャラクターデザインを自ら手がけており、作画担当者と共同でデザインしている。また劇中に登場する映画のポスターなども今自身が描いている。 今と関わった主なスタッフは、美術監督の池信孝、音響監督の三間雅文、音楽を担当した平沢進など。背景美術に関しては、池信孝が一貫して担当している。制作費はおおよそ数億円と日本の一般的なアニメの制作費を考えればはるかに少ないが、これについて「低予算でも質の高い作品が製作できるのは、スタッフの賜物である」と述べている。 作風「虚構と現実の混淆」という主題は今敏作品を象徴するキーワードであり、『PERFECT BLUE』から『パプリカ』、そして遺作となった短編『オハヨウ』までの各作品の中で、様々なアプローチで「虚構と現実」の関係を描いている。『PERFECT BLUE』では次第に虚構と現実の境界が曖昧になっていく様子が描かれ、騙し絵のような世界が繰り広げられた『千年女優』や夢の中に入ることを可能にする装置のおかげで夢の世界に出入りすることが出来る『パプリカ』では虚構と現実が最初から継ぎ目なく繋がり、登場人物が虚構と現実を自在に往還する姿が描かれた。あらすじだけ見ると「虚構と現実」のモチーフは取り扱われていないように見える『東京ゴッドファーザーズ』も、リアルに描かれているように見える現実の東京のホームレスの生活の中に「奇跡と偶然」という「虚構」が次々と入り込んでくる。 キャラクターデザインやその表現方法から、一見すると、今作品はリアル志向のように見える。実際、それぞれの作品はレイアウトの段階から今の手が入っており、空間的な正確性、人物のデッサンなどの点で確かに"リアル"に見えるように出来上がっている。だが今が目指しているのは、「『あたかも現実のように見える風景・人物』を描き出すこと」ではなく、「『現実のように見える風景・人物』が、ふいに『虚構』や『絵』であることを露わにしてしまう瞬間を描くこと」である。大友作品や押井作品などスタッフとして参加した作品ではリアリティを獲得するために発揮したそのリアルな世界を描き出す力を、自身の作品では「現実から虚構への転換」という落差を最も効果的に見せるために活用している。今作品のリアルに見える世界はリアルなままであることはなく、突然、見知らぬ世界へと変容し、観客を幻惑するためのものである。 2024/06/10 11:27更新
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