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宮﨑敏郎の情報 (みやざきとしろう)
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【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

宮﨑敏郎の情報(みやざきとしろう) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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宮﨑 敏郎さんについて調べます

■名前・氏名
宮﨑 敏郎
(読み:みやざき としろう)
■職業
野球選手
■宮﨑敏郎の誕生日・生年月日
1988年12月12日 (年齢35歳)
辰年(たつ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
佐賀出身

(昭和63年)1988年生まれの人の年齢早見表

宮﨑敏郎と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

宮﨑敏郎と同じ12月12日生まれの有名人・芸能人

宮﨑敏郎と同じ出身地佐賀県生まれの有名人・芸能人


宮﨑敏郎と関係のある人

小田嶋正邦: この応援歌は2017年度より宮﨑敏郎の応援歌に流用される(但しキーが2つ低い変ホ長調である)。


白崎浩之: 一時は正三塁手の座をエリアン・エレラ、山下幸輝、宮﨑敏郎などと争ったが、宮﨑が正三塁手に定着した6月以降は、代打・代走・守備要員として起用される試合が増加。


岡本和真: 同年のベストナインの投票は、一塁手部門で50票、三塁手部門で131票、外野手部門で2票と票が割れて受賞を逃し、最も票を得た三塁手部門は9票差で同年首位打者の宮﨑敏郎が選出された。


宮崎祐樹: 同姓である横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎とは血縁関係はないものの、同じ佐賀県唐津市出身、セガサミーの先輩と後輩(祐樹がプロ入りした2011年に敏郎が入れ違いに入社)と共通点が多く、定期的に自主トレを行うなど交流は深い。


前田大和: その一方で、4月29日の対中日戦(ナゴヤドーム)6回裏無死満塁の遊撃守備では、平田良介が放ったゴロを捕球後の本塁送球をきっかけに、捕手・嶺井博希や三塁手・宮﨑敏郎との間で「6-2-5」という珍しいフォーメーションの併殺を完成させた。


蝦名達夫: それまで高かったグリップの位置を宮﨑敏郎のように低くしたところ、4年時の春季に最多本塁打、秋季に首位打者のタイトルを手にした。


富田蓮: 初奪三振:同上、12回表に宮﨑敏郎から見逃し三振


瀧中瞭太: 続く6月3日の横浜DeNAベイスターズ戦でも宮﨑敏郎に2点本塁打、牧秀悟に3点本塁打を打たれ、3回5失点で敗戦投手となり、翌4日に出場選手登録を抹消された。


宮﨑祐樹: 同姓である横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎とは血縁関係はないものの、同じ佐賀県唐津市出身、セガサミーの先輩と後輩(祐樹がプロ入りした2011年に敏郎が入れ違いに入社)と共通点が多く、定期的に自主トレを行うなど交流は深い。


濱田太貴: DeNAの宮﨑敏郎からはS-PARKの番組公式YouTubeにて「長打もあるし、なんといってもバットコントロール。


尾仲祐哉: 同年8月22日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で、3点ビハインドの8回表から4番手投手として登板し2イニングを無失点に抑え、その後の9回裏無死一塁から筒香嘉智、ホセ・ロペスおよび宮﨑敏郎の「3者連続本塁打による逆転サヨナラ勝利」というNPB一軍公式戦初のチーム記録によって一軍初勝利。


伊藤裕季也: 2019年は、シーズン開始当初から二軍が続いたが、宮﨑敏郎が骨折で戦線離脱したことを受け、8月8日に一軍に初昇格した。


中井大介: バックスクリーン上には中井の引退を記念する映像が流れ、同僚の佐野恵太、宮﨑敏郎、伊藤光、コーチの田代富雄、巨人からも小林誠司、松原聖弥、立岡宗一郎、元監督の高橋由伸らから惜別メッセージが送られた。


大島洋平: ドラフト下位(5位以下)入団選手におけるシーズン打率3割達成回数6度は宮﨑敏郎(横浜)と並び現役最多である(ドラフト下位・ドラフト外入団選手の歴代最多は掛布雅之、福本豊、松永浩美らの7度)。


桑原将志: 東克樹、宮﨑敏郎も受賞し、球団では25年ぶりとなる3選手の選出となった。


筒香嘉智: シーズンでは、オールスター後ラミレス監督の方針で一時プロ初となる2番打者を務め、8月には骨折した宮﨑敏郎の代役として5年ぶりに三塁を守った。


大山暁史: 2012年のドラフト会議の上位指名候補に挙げられたが、チームメイトの赤堀大智と宮﨑敏郎が横浜DeNAベイスターズからの指名を受けて入団したのに対して、自身はどの球団からも指名されず、一時は大きくモチベーションを落としたものの、翌年には浦野博司と競い合いながら成長。


松井飛雄馬: 応援団が宮﨑敏郎の応援歌に小田嶋正邦の曲を流用した際、同曲を飛雄馬に使用する可能性があった。


赤堀大智: 同会議ではセガサミーのチームメイトである宮﨑敏郎も同球団からの6巡目指名を受けて入団している。


松田宣浩: その後は、『熱男塾』と称し宮崎市内で自主トレを行い、松田を慕う選手の参加が増え、宮﨑敏郎、佐野恵太、頓宮裕真ら首位打者を輩出。


西勇輝: CSでは、10月5日にDeNAとのファーストステージ第1戦(横浜)で先発を任されたものの、1回表に先頭打者・神里和毅から5連打を打たれたばかりか、5番打者・宮﨑敏郎の打球が右足を直撃した影響で一死も取れずに降板。


京田陽太: その後は遊撃手として林琢真、大和と併用されながらの起用が続き、宮﨑敏郎の休養日には三塁手としての先発出場もあった。


藤田一也: その後は同僚の宮﨑敏郎、楽天時代にともにプレーした嶋基宏、横浜同期入団の石川雄洋、家族らから花束を受け取り、グラウンドを1周してファンの声援に応えた。


藤川球児: 7月21日の対DeNA戦(京セラ)7回表には、宮﨑敏郎から見逃しで三振を奪ったことによって、救援登板では球団史上初めてのNPB一軍公式戦通算1000(先発登板を含めれば1093)奪三振を記録。


ケーシー=マギー: シーズン終盤まで横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎と熾烈な首位打者争いを繰り広げるなど打撃は好調だったが楽天時代に比べると本塁打は減少し、18本塁打に留まったが139試合出場で打率.315、77打点を記録。


田部隼人: 伊藤の復帰により2日後の19日に再び出場選手登録を抹消されるも、4日後の23日に今度は左太もも裏の炎症により出場選手登録を抹消された宮﨑敏郎に代わって再々昇格。


万永貴司: 2010年から2012年まではスカウトに転身し、桑原将志・宮﨑敏郎・安部建輝らを担当した。


浦野博司: 社会人時代の1年先輩に宮﨑敏郎がいる。


岡本和真: オフのベストナイン投票では、一塁手部門で174票のダヤン・ビシエドに次ぐ95票で2位、三塁手部門で250票の宮﨑敏郎に次ぐ23票で2位となり、受賞を逃した。


森敬斗: 同日の阪神戦(横浜)で6回表に宮﨑敏郎が守備で負傷交代した影響で、イニング途中から守備につきシーズン初出場。


宮﨑敏郎の情報まとめ

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宮﨑 敏郎(みやざき としろう)さんの誕生日は1988年12月12日です。佐賀出身の野球選手のようです。

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卒業、ドラマ、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。宮﨑敏郎の現在の年齢は35歳のようです。

宮﨑敏郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。

佐賀県立厳木高等学校在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録。2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を記録したが、春夏秋を通じて全国大会と縁が無かった。

日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着。九州大学野球のリーグ戦では、2度の首位打者、3度のMVP、ベストナインを獲得した。また、2年生から2年続けて全日本大学野球選手権に出場。3年生の時には、5番打者として、チームのベスト8進出に貢献した。4年生の時には主将も務めている。

就職活動で10社以上の企業から採用を見送られたが、大学卒業後はセガサミーへ入社。同社の硬式野球部には「遊撃手ができます」と嘘を言って拾って貰ったが、本人は野球部側も嘘は承知であったと認識している。野球部では、打線で1番や3番を任され、2年目にはチーム事情から二塁を守った。東京第3代表として出場した第83回都市対抗野球大会では、初戦の日本通運戦の8回裏に、チームに3年ぶりの勝利をもたらす逆転満塁本塁打を放ち、勝負強さを印象付けた。

2012年10月25日に行われたドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから6位指名を受け、契約金3500万円、年俸850万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は51。セガサミーのチームメイトである赤堀大智も、横浜DeNAからの4巡目指名を経て入団した。

2013年は、春季キャンプ中に左外腹斜筋の肉離れを起こした影響で、開幕一軍入りを逃した。しかし、イースタン・リーグでは、公式戦の開幕直後からクリーンアップに定着。4月中旬の公式戦で3試合連続本塁打を記録した。5月19日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、5月20日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)8回表に代走として一軍公式戦にデビュー。6月2日の北海道日本ハムファイターズ戦(旭川スタルヒン球場)では、「6番・三塁手」として一軍で初めて先発出場した。第1打席で2点適時打を打ち、一軍での初安打と初打点を記録。8回裏の第4打席では、この年のセントラル・リーグの新人選手では最も早く一軍での初本塁打を打った。シーズン通算では、一軍公式戦33試合の出場で、2本塁打、5打点、打率.250を記録。三塁手として11試合、4試合で二塁手として4試合に先発出場した(いずれも無失策)。また、61試合に出場したイースタン・リーグの公式戦では、7本塁打を打った。

2014年は、シーズン初の出場選手登録2日後の4月26日に、二塁手として阪神タイガース戦(横浜)に出場。9回表無死一塁で大和の投前犠打に対して一塁のベースカバーへ入った際、犠打を捕球した山口俊が二塁に送球すると思い込んで目をそらし、山口から一塁へ送球された球を捕れなかった。このプレーで一軍初失策を記録すると、一軍監督・中畑清から「野球の世界にないボーンヘッド」と酷評され、出場選手登録からわずか2日で登録を抹消される。その後、チームにはオリックスから移籍したアーロム・バルディリスや、シーズン途中に入団したユリエスキ・グリエルが内野のレギュラーに定着し、他の日本人内野手が一軍で台頭したこともあって、この年の宮﨑の一軍公式戦への出場はわずか5試合に留まった。3年後のインタビュー記事では、この件について本人は「正直、僕の野球人生はこれで終わったと思いました。かなり落ち込みましたし、これでもうチャンスはなくなるんだろうなと」と語る一方、「まあ、今だから言えますけど、あのプレーで少し名前は知ってもらえたなって」と振り返っている。

2015年は、シーズン中盤以後、石川雄洋に代わって主に二塁手として一軍公式戦の先発に起用される機会が増えた。7月20日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、「3番・二塁手」として先発に起用されると、9月10日の同カードではトニー・バーネットからソロ本塁打を打った。宮﨑がこの年に一軍公式戦で打った本塁打も、バーネットが公式戦で打たれた本塁打も、この一打のみであった。9月21日の広島戦で走塁中に右足首を捻挫し、そのままシーズンを終えた。一軍公式戦通算では、58試合の出場で打率.289を記録。二塁手として35試合、一塁手として3試合、三塁手として1試合でスタメンに起用された。オフに、350万円増となる推定年俸1200万円で契約を更改した。

2016年は、レギュラーシーズンの開幕当初から正二塁手の座を石川と争い、セ・パ交流戦から先発起用の機会が増加。6月14日の日本ハム戦(札幌ドーム)からは、主に5番打者を任され、8月上旬には一時7番打者として先発に起用された。一軍公式戦では、レギュラーシーズンにおけるセントラル・リーグの規定打席に届かなかったが、101試合の出場で打率.291、11本塁打、36打点とプロ入り後自己最高の成績を記録。打線の中軸を担い、チームを球団史上初めてのクライマックスシリーズ(CS)進出に導いた。守備面では、二塁手として36試合、三塁手として27試合、一塁手として20試合でスタメンに起用された。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは振るわず、クライマックスシリーズ・ファイナルステージでの敗退が決まった直後には、監督のアレックス・ラミレスがシーズン終了記者会見で「(4番打者の)筒香嘉智との勝負を余儀なくされるほど(相手投手に警戒される力量)の打者を5番に据える必要がある」というコメントを残した。オフに、1800万円増となる推定年俸3000万円で契約を更改した。

2017年は、一軍公式戦の開幕から5番打者として打率3割を記録していたが、4月中旬に脇腹を痛めて一時戦線を離脱した。5月3日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)から一軍に復帰すると、6月11日の埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)で規定打席に到達し、打率(.327)でセ・リーグの2位に急浮上。6月15日の千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から一軍公式戦初の満塁本塁打、7月5日の阪神戦で一軍公式戦初の1試合5安打を記録するなどの活躍を背景に、オールスターゲームにもセ・リーグの監督推薦選手として初出場を果たした。8月22日の広島戦(横浜)では、3点ビハインドで迎えた9回裏無死一塁から3番打者の筒香による2点本塁打、4番打者のホセ・ロペスによる同点ソロ本塁打に続いてソロ本塁打を記録。2年連続の一軍公式戦における2桁本塁打を達成し、チームをサヨナラ勝利、8回表からの登板で2イニングを無失点に抑えていた新人の尾仲祐哉を一軍公式戦初勝利へ導いた。DeNAで3人以上の打者が一軍公式戦で連続本塁打を打った事例は(前身球団を含めて)12年ぶり10度目だが、NPBのチームが3者連続本塁打によって逆転サヨナラ勝利を収めた事例は、パシフィック・リーグを含めても一軍公式戦史上初だった。9月6日のヤクルト戦(横浜)でも延長11回裏に先頭打者として松岡健一からサヨナラ本塁打を打っている。シーズンの中盤から打率でセ・リーグの首位に立つと、最終打率.323で首位打者のタイトルを初めて獲得した。「首位打者&盗塁ゼロ」は2001年の福浦和也、2012年の阿部慎之助に続いて史上3人目、一軍公式戦で1度も盗塁を記録しないまま首位打者を獲得した選手は宮﨑が初めてという珍記録であった。チームの2年連続レギュラーシーズン3位で臨んだCSでは、阪神とのファーストステージ突破を経て、広島とのファイナルステージ全5試合で打率.368、2本塁打を記録。チームを19年ぶりの日本シリーズ進出へ導いた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、全6試合で打率.400、2本塁打と好調を維持したが、チームは2勝4敗で敗退した。シリーズの終了後には、セ・リーグの三塁手部門でベストナインを受賞した。12月5日、5000万円増となる推定年俸8000万円で契約を更改した。

2018年は、レギュラーシーズンの開幕戦から、主に「5番・三塁手」として活躍。オールスターゲームでは、前年に続いてセ・リーグの三塁手部門ファン投票1位で出場すると、第2戦で同ゲーム初安打を菊池雄星からの本塁打で記録した。8月17日の広島戦では、3点ビハインドで迎えた8回裏に、4番打者・筒香の満塁本塁打に続いてソロ本塁打。6番打者のネフタリ・ソトもソロ本塁打を打ったため、横浜スタジアムでの同カードにおける3者連続本塁打記録に2年連続で名を連ねた。一軍公式戦全体では、全143試合中1試合に欠場しただけで、チームトップの打率.318、自己最多の71打点、自己最多にしてチーム3位の28本塁打という好記録を記録。前年からのベストナインに加えて、ゴールデングラブ賞もセ・リーグの三塁手部門で初めて獲得した。シーズン終了後の契約更改では、8000万円増となる推定年俸1億6000万円で契約を更改し、1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。

2019年は、レギュラーシーズンの開幕から打撃が振るわず、4月終了の時点で打率.165、得点圏打率.048、4打点と低迷。それでも、ラミレスの方針で正三塁手としての起用が続いたところ、5月には月間打率.367、5本塁打を放つほどにまで復調した。以降も打線の中軸を担っていたが、8月7日の広島戦(マツダ)6回表の打席でファウルを打った際に左手を痛め、翌8日付で出場選手登録を抹消された。同9日に、左手の有鈎骨を摘出する手術を受けた。手術の当初はシーズン中の実戦復帰が困難と見られていたが、9月12日の巨人戦(横浜)から一軍に復帰した。復帰後は11試合の出場で打率.308、2本塁打を記録するほど好調で、チームのレギュラーシーズン2位確定や、本拠地・横浜スタジアムでのCS初開催に貢献した。阪神とのCSファーストステージでも好調を維持。CS史上9人目の2試合連続猛打賞や、CS最多記録である通算5度目の猛打賞を達成し、チームトップの打率.538を記録した。一軍公式戦114試合に出場したレギュラーシーズンでは、序盤の不振や夏場の戦線離脱もあったが、リーグの規定打席へ到達。3年連続の打率3割達成はならなかったが、打率.284(リーグ12位)、15本塁打、49打点と奮闘した。チームもCSで敗退したが、シリーズ終了後の12月4日に、推定年俸1億6000万円(現状維持)という条件で契約を更改した。

2020年は、シーズン当初から安定した打撃でチームを支え、長期離脱や不振もなく113試合に出場し、打率.301(リーグ7位)、14本塁打、53打点の成績を残した。規定打席に到達した右打者で、打率3割を超えたのは宮﨑のみであった。12月18日に推定年俸1億7000万円(1000万円増)で契約更改した。

2021年は、国内FA権を取得。シーズンでは主に「5番・三塁手」として出場し、全ての月で打率.280を超えるなど、1年を通して安定感を発揮した。9月29日のヤクルト戦で小川泰弘からソロ本塁打を放ち、プロ野球史上304人目となる通算100本塁打を達成。大卒の社会人経験者では球団初の快挙だった。シーズンでは141試合に出場し、打率.301、16本塁打、73打点を記録した。10月29日に記者会見を開き、国内FA権を行使せずに6年契約でDeNAに残留することを表明。11月26日には、年俸総額12億円+出来高払いで6年契約を結んだ。

2022年も、開幕から5番・三塁手として先発出場を続けていたが、4月19日の阪神戦(横浜)で二塁に走塁した際に足を痛めて途中交代。左太腿裏の炎症でしばらく様子を見ていたが、4月23日に一軍登録を抹消された。5月15日に一軍登録されると、6月7日の日本ハム戦(札幌)では先発の今永昇太がノーヒットピッチングを続ける中、9回二死から決勝打となる2点適時打を打ち、ノーヒットノーラン達成をアシストした。例年通り3割前後の打率をキープし、9月前半は調子を落とすも、9月17日の広島戦(横浜)で史上315人目、球団の日本人右打者では最速となる945試合目の出場で通算1000安打を達成。最終的に打率.2995で打率3割に乗せた。

2023年は、開幕から自己最長の15試合連続安打を記録するなど春先から好調で、3月・4月は打率.444、4本塁打、13打点の成績を残し、月間MVPを初受賞した。5月4日の広島戦では、自身6年ぶりとなるサヨナラ本塁打を松本竜也から打ち、5月25日までは打率.402を記録していた。コンディションに配慮し、休養を挟みながらの起用を続けていたが、6月8日の試合前に痛みを訴え、右肋骨肋間筋の炎症と診断される。3試合スタメンから外れ、6月12日のオリックス戦(京セラドーム)でスタメン復帰を果たすと宮城大弥から走者一掃の適時二塁打とダメ押しの本塁打を記録した。その後も打率1位をキープし続け、7月にはオールスターゲームに選手間投票で選出された。7月の月間打率は打率.214と夏場に入ると疲れが見え始め、8月21日には左肋間筋の炎症で登録を抹消された。9月1日に一軍復帰し、その日の巨人戦(横浜)で鈴木康平から本塁打を放ち復帰をアピールした。通算1075試合目となる9月25日の対巨人戦(横浜)ではプロ入り初盗塁を企図、初盗塁を決めた。1075試合目のプロ初盗塁は投手である皆川睦雄の731試合目を大きく上回る史上最遅記録となった。故障による欠場もあったが9月27日にシーズンの規定打席に到達。最終的に2位西川龍馬(広島)の打率.305を引き離す打率.326で自身2度目のセ・リーグ首位打者を獲得し、全133安打のうち内野安打は10個に留まった。また、2018年以来の20本台となる20本塁打(チーム単独2位かつリーグ単独8位)を記録し、自身初となるOPS.900超えを記録した。また、三塁手としてゴールデングラブ賞とベストナインも獲得するなど、攻守にわたり躍動した。

2024年も、開幕から5番・三塁手として先発出場を続ける。5月10日の阪神戦(横浜)の6回表の守備中に、井上広大の打球が宮﨑の頭部付近に直撃し、担架でベンチ裏に下げられた。病院には行かず、チームドクターによって頭部打撲と診断された。翌日はベンチ入りメンバーからは外れたが、5月12日には3番・三塁手として試合に復帰した。5月30日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜)で、5回二死にソロ本塁打、7回二死に左翼ポール直撃の3点本塁打と2打席連続本塁打を放ち、通算500打点に到達した。6月6日に数日前から左太腿に違和感が生じていたことからチームドクターの診察を受けたところ軽い肉離れと診断され、翌6月7日に出場選手登録を抹消された。二軍戦での調整を挟まずに、交流戦明けの6月21日より出場選手登録され、同日の試合よりスタメンにも復帰した。一軍復帰後も調子が上がらなかったが、6月27日の巨人戦(横浜)ではマルチ安打を記録したほか、延長10回裏一死、カイル・ケラーからサヨナラソロ本塁打を記録し、チームの同年初のサヨナラ勝ちを演出した。これが自身8本目のサヨナラ打となり、サヨナラ打の球団最多記録に並んだ。8月12日の広島戦で走塁の際に足を違和感を訴えて途中交代し、試合後に広島市内の病院で患部の画像を撮りチームドクターが確認したところ、右股関節インピンジメントと診断された。診断後は守備に就かず代打での出場を続けていたが、21日には三塁手としてのスタメンに復帰した。

身長172cmとプロのスポーツ選手としては小柄だが、打席では左足を上げてからのフルスイングから、本来は逆方向となるライト方向を中心に広い角度にわたって長打力を発揮。セガサミー時代の2年間に3番を任されたのも、「放っておけばずっと打撃練習(に明け暮れていたこと)」に加えて、「スイングが速く、(打席で)我慢できる分だけ、投球を捉える能力が高かった」からという。また、バットを投手側に傾けるようにしながらタイミングを取る独特の打撃フォームは、小学生のときから変わらないという宮﨑のオリジナルフォームであり、幼少期に体が小さく、体全体を使って遠くに飛ばす方法を考えて辿り着いたものだという。

モーションの大きい豪快なバッティングフォームとは裏腹に、巧みなバットコントロールにも定評があり、首位打者を獲得した2017年から始まり2020年シーズンに至るまで、4年連続で規定打席到達者内におけるセ・リーグ最少三振を記録していた。セ・リーグでの4年連続記録は前田智徳(2004 - 2007年)に並ぶ。翌21年こそ青木宣親の44三振に次ぐ53で連続記録は途切れるが、続く22年シーズンでは35三振、23年シーズンは43三振(中日・大島洋平と同数)で再び最少打者を継続している。通算6回はプロ野球現役最多(歴代最多は吉田義男の10回)。

ただし、阪神タイガースの青柳晃洋に対して相性が悪く、2022年は相手先発が青柳の時に限りスタメンを外されていた。

犠打に関しては一軍公式戦では一度も決めたことはなかったが、2022年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦で初めて犠打を記録した。

プロ入り後は長らく盗塁も盗塁死も皆無であり、プロ野球史上初、首位打者を一軍通算盗塁ゼロで受賞した選手だった。しかし、2023年9月25日の巨人戦でメンデス投手からプロ入り後初の盗塁を成功させた。本来はエンドランのサインだったが、打者が空振りしたことにより盗塁企図となったものだった。通算1075試合目の初盗塁はプロ野球史上最遅記録となる。また、2024年4月14日のヤクルト戦で、プロ入り後初の盗塁死を記録(プロ入団以後、盗塁の挑戦機会としては2度目)。プロ12年目、通算1095試合目での出来事であった。

三塁守備の範囲は決して広くはないが、手堅いゴロ捕球、モーションが少々大きいながらも安定した送球能力を持っており、2018年と2023年の2度ゴールデングラブ賞を受賞している。初受賞する前年の2017年シーズンでも、守備指標UZRでは宮崎が12球団の三塁手の中で最も高い数値を記録していた。2019年以降は失策数を1桁に抑えている。インタビューでは二軍コーチの万永貴司の指導と、2014年まで在籍していた中村紀洋の姿がプラスになったと語る。グラブはベーシックな形よりも一回り大きいものを使用している。

体つきと風貌から、「ハマのプーさん」と呼ばれている。なお、子供の頃は髪の量が多かったことから「ウニ」と呼ばれていたという。また、チームメイト(当時)の後藤武敏には、その鮮やかな当たりが落合博満を思わせるということで「小さい落合」の意味で「コチアイ」というニックネームを付けられている。

前年までと比べ、101試合と大幅に出場試合数を増やして飛躍のシーズンになった2016年は、夏に行われたインタビューにて「毎日毎日、必死でやっています。全力でやっているので、そういうところを見てもらえたら。試合に出してもらえるんだったらどこでもいい。どこでも守りますし、どこの打順でも打たせてもらえるんだったら、そこで結果を出したいと思います」と述べている。

同郷で同姓のセガサミーの先輩である宮﨑祐樹とは親交があり、毎年自主トレを共に行っていた。2019年に祐樹がオリックスから戦力外通告を受けた際には、12球団トライアウトに向け、伊藤光らと共に祐樹の練習を手伝った。

夏場が苦手なことを自認。2017年以降の夏場には、温度1桁台の氷風呂と常温の風呂へ交互に入ることを、球場や自宅での日課に取り入れている。

2023年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

太字年度は規定打席到達年度

-は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記)

2023年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞年

首位打者:2回(2017年、2023年

ベストナイン:3回(三塁手部門:2017年、2018年、2023年

ゴールデングラブ賞:2回(三塁手部門:2018年、2023年

スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2017年)

月間サヨナラ賞:1回(2017年8月)

月間MVP:1回(打者部門:2023年3・4月)

日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2017年)

オールスターゲーム敢闘選手賞:2回(2018年第2戦、2023年第1戦)

オールスターゲーム マイナビ賞:1回(2018年)

ホームランダービー 日産EV No.1賞:1回(2023年

初出場:2013年5月20日、対オリックス・バファローズ2回戦(京セラドーム大阪)、8回表にアレックス・ラミレスの代走で出場

初打席:2013年5月25日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(横浜スタジアム)、7回裏に小林寛の代打で出場、中郷大樹から三塁ゴロ

初先発出場:2013年6月2日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(旭川スタルヒン球場)、6番・三塁手で先発出場

初安打・初打点:同上、1回表に武田勝から左中間2点適時二塁打

初本塁打:同上、8回表に根本朋久から左越ソロ

初盗塁:2023年9月25日、対読売ジャイアンツ23回戦(横浜スタジアム)、4回裏に二盗(投手:ヨアンダー・メンデス、捕手:大城卓三)

100本塁打:2021年9月29日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に小川泰弘から中越ソロ ※史上304人目

1000安打:2022年9月17日、対広島東洋カープ25回戦(横浜スタジアム)、1回裏に玉村昇悟から右前適時打 ※史上315人目

1000試合出場:2023年6月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(楽天モバイルパーク宮城)、3番・三塁手で先発出場 ※史上520人目、球団名がDeNAになった後に入団した選手では初

150本塁打:2024年9月21日、対阪神タイガース22回戦(横浜スタジアム)、5回裏に島本浩也から左中間越3ラン※史上181人目

通算1075試合目でプロ初盗塁 ※史上最遅

オールスターゲーム出場:4回(2017年、2018年、2023年2024年

51(2013年 - )

「心絵」ロードオブメジャー

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佐賀県出身の人物一覧

日本文理大学の人物一覧

横浜DeNAベイスターズの選手一覧

個人年度別成績 宮﨑敏郎 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

選手名鑑 - 横浜DeNAベイスターズ公式サイト

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

81 三浦大輔

72 靍岡賢二郎(オフェンスチーフ)

75 石井琢朗(チーフ打撃兼走塁兼一塁ベース)

77 鈴木尚典(打撃)

76 田代富雄(打撃兼スコアラー)

80 相川亮二(ディフェンスチーフ兼バッテリー)

79 大原慎司(投手チーフ)

94 小杉陽太(投手)

97 田中浩康(内野守備兼三塁ベース)

71 小池正晃(外野守備)

82 万永貴司(野手コーディネーター)

83 青山道雄(監督兼外野守備走塁)

84 嶋村一輝(打撃)

70 下園辰哉(打撃)

88 入来祐作(投手チーフ)

87 東野峻(投手アシスタント)

85 柳田殖生(内野守備走塁)

89 中井大介(外野守備走塁アシスタント)

74 鶴岡一成(バッテリー)

86 八木快(育成投手)

90 大村巌(育成打撃)

73 藤田一也(育成野手)

11 東克樹

13 伊勢大夢

14 石田健大

15 徳山壮磨

16 大貫晋一

17 三嶋一輝

18 小園健太

19 山﨑康晃

20 坂本裕哉

22 入江大生

24 吉野光樹

26 濵口遥大

27 上茶谷大河

30 三浦銀二

34 松本凌人

35 橋本達弥

36 森下瑠大

38 森唯斗

40 松本隆之介

41 佐々木千隼

42 ジャクソン

43 深沢鳳介

45 森原康平

46 石川達也

48 京山将弥

49 ウェンデルケン

53 中川颯

54 石田裕太郎

56 髙田琢登

59 平良拳太郎

62 ウィック

64 中川虎大

65 宮城滝太

69 ケイ

92 堀岡隼人

93 ディアス

5 松尾汐恩

10 戸柱恭孝

29 伊藤光

32 益子京右

50 山本祐大

57 東妻純平

66 上甲凌大

00 林琢真

2 牧秀悟

3 オースティン

6 森敬斗

9 大和

31 柴田竜拓

39 西浦直亨

44 石上泰輝

51 宮﨑敏郎

55 井上絢登

60 知野直人

67 西巻賢二

98 京田陽太

99 フォード

0 大田泰示

1 桑原将志

4 度会隆輝

7 佐野恵太

8 神里和毅

25 筒香嘉智

28 勝又温史

33 武田陸玖

37 楠本泰史

58 梶原昂希

61 蝦名達夫

63 関根大気

101 草野陽斗

102 清水麻成

105 モロン

106 渡辺明貴

107 マルセリーノ

108 今野瑠斗

110 マルティネス

122 庄司陽斗

116 九鬼隆平

130 近藤大雅

100 蓮

125 小笠原蒼

133 粟飯原龍之介

144 小深田大地

193 高見澤郁魅

103 村川凪

1953 簑原宏

1954 大下弘

1955 戸川一郎

1956 稲尾和久

1957 宮本敏雄

1958 藤田元司

1959 土屋正孝

1960 田宮謙次郎

1961 J.スタンカ

1962 吉田義男

1963 稲尾和久

1964 山内一弘

1965 森下整鎮

1966 渡辺泰輔

1967 足立光宏

1968 長池徳二

1969 長池徳二

1970 井石礼司

1971 山田久志

1972 足立光宏

1973 野村克也

1974 高木守道

1975 山本浩二

1976 柴田勲

1977 河埜和正

1978 足立光宏

1979 井本隆

1980 小川亨

1981 井上弘昭

1982 上川誠二

1983 西本聖

1984 山沖之彦

1985 石毛宏典

1986 達川光男

1987 篠塚利夫

1988 宇野勝

1989 新井宏昌

1990 岡崎郁

1991 川口和久

1992 岡林洋一

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 小林宏

1996 仁志敏久

1997 松井稼頭央

1998 大塚光二

1999 川上憲伸

2000 城島健司

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 金本知憲

2004 井上一樹

2005 矢野輝弘

2006 川上憲伸

2007 ダルビッシュ有

2008 A.ラミレス

2009 髙橋信二

2010 和田一浩

2011 吉見一起

2012 稲葉篤紀

2013 長野久義

2014 R.メッセンジャー

2015 山田哲人

2016 B.エルドレッド

2017 宮﨑敏郎

2018 鈴木誠也

2019 亀井善行

2020 戸郷翔征

2021 山本由伸

2022 J.オスナ

2023 紅林弘太郎

1950 藤村富美男

1951 川上哲治

1952 西沢道夫

1953 川上哲治

1954 与那嶺要

1955 川上哲治

1956 与那嶺要

1957 与那嶺要

1958 田宮謙次郎

1959 長嶋茂雄

1960 長嶋茂雄

1961 長嶋茂雄

1962 森永勝治

1963 長嶋茂雄

1964 江藤慎一

1965 江藤慎一

1966 長嶋茂雄

1967 中暁生

1968 王貞治

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 若松勉

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 谷沢健一

1977 若松勉

1978 水谷実雄

1979 F.ミヤーン

1980 谷沢健一

1981 藤田平

1982 長崎啓二

1983 真弓明信

1984 篠塚利夫

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 篠塚利夫, 正田耕三

1988 正田耕三

1989 W.クロマティ

1990 J.パチョレック

1991 古田敦也

1992 J.ハウエル

1993 T.オマリー

1994 A.パウエル

1995 A.パウエル

1996 A.パウエル

1997 鈴木尚典

1998 鈴木尚典

1999 R.ローズ

2000 金城龍彦

2001 松井秀喜

2002 福留孝介

2003 今岡誠

2004 嶋重宣

2005 青木宣親

2006 福留孝介

2007 青木宣親

2008 内川聖一

2009 A.ラミレス

2010 青木宣親

2011 長野久義

2012 阿部慎之助

2013 T.ブランコ

2014 M.マートン

2015 川端慎吾

2016 坂本勇人

2017 宮﨑敏郎

2018 D.ビシエド

2019 鈴木誠也

2020 佐野恵太

2021 鈴木誠也

2022 村上宗隆

2023 宮﨑敏郎

1950 藤村富美男

1951 藤村富美男

1952 藤村富美男

1953 与儀眞助

1954 宇野光雄

1955 児玉利一

1956 児玉利一

1957 三宅秀史

1958 長嶋茂雄

1959 長嶋茂雄

1960 長嶋茂雄

1961 長嶋茂雄

1962 長嶋茂雄

1963 長嶋茂雄

1964 長嶋茂雄

1965 長嶋茂雄

1966 長嶋茂雄

1967 長嶋茂雄

1968 長嶋茂雄

1969 長嶋茂雄

1970 長嶋茂雄

1971 長嶋茂雄

1972 長嶋茂雄

1973 長嶋茂雄

1974 長嶋茂雄

1975 衣笠祥雄

1976 掛布雅之

1977 掛布雅之

1978 掛布雅之

1979 掛布雅之

1980 衣笠祥雄

1981 掛布雅之

1982 掛布雅之

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 掛布雅之

1986 レオン

1987 原辰徳

1988 原辰徳

1989 落合博満

1990 バンスロー

1991 山崎隆造

1992 J.ハウエル

1993 江藤智

1994 江藤智

1995 江藤智

1996 江藤智

1997 L.ゴメス

1998 江藤智

1999 L.ゴメス

2000 江藤智

2001 江藤智

2002 岩村明憲

2003 鈴木健

2004 立浪和義

2005 今岡誠

2006 岩村明憲

2007 小笠原道大

2008 村田修一

2009 小笠原道大

2010 森野将彦

2011 宮本慎也

2012 村田修一

2013 村田修一

2014 H.ルナ

2015 川端慎吾

2016 村田修一

2017 宮﨑敏郎

2018 宮﨑敏郎

2019 高橋周平

2020 岡本和真

2021 村上宗隆

2022 村上宗隆

2023 宮﨑敏郎

 投  菅野智之

 捕  會澤翼

 一  J.ロペス

 二  菊池涼介

 三  宮﨑敏郎

 遊  田中広輔

 外  筒香嘉智 / 鈴木誠也 / 丸佳浩

 投  菅野智之

 捕  會澤翼

 一  D.ビシエド

 二  山田哲人

 三  宮﨑敏郎

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 丸佳浩 / N.ソト

 投  東克樹

 捕  大城卓三

 一  大山悠輔

 二  牧秀悟

 三  宮﨑敏郎

 遊  木浪聖也

 外  近本光司 / 西川龍馬 / 岡林勇希

1972 長嶋茂雄

1973 長嶋茂雄, C.ボイヤー

1974 C.ボイヤー

1975 島谷金二

1976 高田繁

1977 高田繁

1978 掛布雅之

1979 掛布雅之

1980 衣笠祥雄

1981 掛布雅之

1982 掛布雅之

1983 掛布雅之

1984 衣笠祥雄

1985 掛布雅之

1986 衣笠祥雄

1987 原辰徳

1988 原辰徳

1989 W.ロードン

1990 岡崎郁

1991 角富士夫

1992 T.オマリー

1993 石井琢朗

1994 石井琢朗

1995 石井琢朗

1996 江藤智

1997 進藤達哉

1998 進藤達哉

1999 進藤達哉

2000 岩村明憲

2001 岩村明憲

2002 岩村明憲

2003 立浪和義

2004 岩村明憲

2005 岩村明憲

2006 岩村明憲

2007 中村紀洋

2008 中村紀洋

2009 宮本慎也

2010 宮本慎也

2011 宮本慎也

2012 宮本慎也

2013 村田修一

2014 村田修一

2015 川端慎吾

2016 村田修一

2017 鳥谷敬

2018 宮﨑敏郎

2019 高橋周平

2020 高橋周平

2021 岡本和真

2022 岡本和真

2023 宮﨑敏郎

 投  菅野智之

 捕  梅野隆太郎

 一  J.ロペス

 二  菊池涼介

 三  宮﨑敏郎

 遊  田中広輔

 外  平田良介 / 丸佳浩 / 大島洋平

 投  東克樹

 捕  坂本誠志郎

 一  大山悠輔

 二  中野拓夢

 三  宮﨑敏郎

 遊  木浪聖也

 外  近本光司 / 岡林勇希 / 桑原将志

2009 亀井義行

2010 天谷宗一郎

2011 長野久義

2012 和田一浩

2013 長野久義

2014 福留孝介

2015 雄平

2016 鈴木誠也

2017 宮﨑敏郎

2018 下水流昂

2019 髙山俊

2020 西浦直亨

2021 坂倉将吾

2022 丸山和郁

2023 坂本勇人

1位:白崎浩之

2位:三嶋一輝

3位:井納翔一

4位:赤堀大智

5位:安部建輝

6位:宮﨑敏郎

1位:今井金太

人物の愛称

野球の愛称

クマのプーさん

日本の野球選手

日本文理大学硬式野球部の選手

セガサミー硬式野球部の選手

横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手

首位打者 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

佐賀県出身のスポーツ選手

1988年生

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ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/09/26 08:16更新

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1958年12月11日生まれの有名人 熊本出身

宮崎 美子(みやざき よしこ、1958年12月11日 - )は、日本の女優、タレント、元グラビアモデル、歌手。旧芸名、宮﨑 淑子(読み同じ)。本名は"﨑"。熊本県熊本市出身。ホリプロ所属。 熊本県熊…

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1994年4月2日生まれの有名人 石川出身

宮崎 由加(みやざき ゆか、1994年4月2日 - )は、日本のタレント、歌手であり、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループJuice=Juiceの元メンバーで、初代リーダーである。公式ニ…

宮崎 美穂(みやざき みほ)
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1993年7月30日生まれの有名人 東京出身

宮崎 美穂(みやざき みほ、1993年〈平成5年〉7月30日 - )は、日本のタレント、モデル、女優であり、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバーである。東京都八王子市出身。ホリプロ所属。 2…

宮崎 寿々佳(みやざき すずか)
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宮崎 恭子(みやざき やすこ)
1931年5月15日生まれの有名人 長崎出身

宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 1996年6月27日)は、日本の演出家、女優、脚本家。無名塾創設者。本名:仲代 恭子(旧姓:宮崎)。脚本家としての筆名(別名)として隆 巴(りゅ…

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