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小山田保裕の情報 (おやまだやすひろ)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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小山田 保裕さんについて調べます

■名前・氏名
小山田 保裕
(読み:おやまだ やすひろ)
■職業
野球選手
■小山田保裕の誕生日・生年月日
1976年7月27日 (年齢47歳)
辰年(たつ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
茨城出身

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

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小山田保裕と同じ7月27日生まれの有名人・芸能人

小山田保裕と同じ出身地茨城県生まれの有名人・芸能人


小山田保裕と関係のある人

北川利之: 引退後は、ベイスターズのスクールや、横浜DeNAベイスターズジュニアのコーチなどで小山田保裕や鈴木尚典とともに少年野球指導などにあたり、現在も横浜DeNAベイスターズの球団職員として勤務している。


木村昇吾: 2007年シーズン終了後に小山田保裕との1対2の交換トレードで岸本秀樹と共に広島東洋カープへ移籍。


永川勝浩: 2007年、この年代における広島投手陣のクローザーは小山田保裕や小林幹英のように1年間だけ好成績を挙げるものの、翌年には成績が急降下する例が続いていたが、永川は大野豊以来球団史上2人目の2年連続25セーブ以上・セーブの球団記録更新(31セーブ)を達成。


佐々岡真司: シーズン終盤まで抑えを務めていたが好不調の波が激しく9月27日の対巨人28回戦に救援失敗すると抑えも小山田保裕に入れ替わった(先発では17試合6勝8敗防御率2.99に対してリリーフでは15試合1勝2敗7セーブ防御率9.00だった)。


岸本秀樹: 2007年シーズンオフに小山田保裕との交換トレードで、木村昇吾とともに広島東洋カープへ移籍。


澤﨑俊和: 2007年3月5日に広島市民球場で行われた紅白戦で、先発した小山田保裕の後、他に投げる予定の投手がいなかったことから、コーチでありながら紅白戦で登板し、1回を被安打1無失点に抑える。


永川勝浩: 前年30セーブを挙げた小山田保裕が故障で出遅れるとクローザーを任され活躍。


聖澤諒: 初盗塁:2008年5月24日、対横浜ベイスターズ2回戦(クリネックススタジアム宮城)、3回裏に二盗(投手:小山田保裕、捕手:鶴岡一成)


遠藤竜志: 2年目はリーグ最下位のチーム防御率となった投手陣の中で小山田保裕とともに中継ぎで健闘した。


高野忍: 初打席:同上、9回裏に小山田保裕から右飛


川井雄太: 初安打:2008年5月17日、対横浜ベイスターズ7回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に小山田保裕から投手内野安打


澤崎俊和: 2007年3月5日に広島市民球場で行われた紅白戦で、先発した小山田保裕の後、他に投げる予定の投手がいなかったことから、コーチでありながら紅白戦で登板し、1回を被安打1無失点に抑える。


後藤光尊: 5月13日の対広島東洋カープ戦では延長10回裏に小山田保裕からサヨナラ本塁打を放ち、オリックス・バファローズとして初のサヨナラゲームとなった。


倉義和: 打撃に優れた石原が一軍に復帰した直後こそ石原に正捕手の座を譲ったが、小山田保裕など復帰前に好調だった投手が揃って調子を崩したことからすぐに正捕手へ復帰する。


嶋重宣: 初本塁打:1999年8月3日、対横浜ベイスターズ15回戦(呉二河球場)、7回裏に小山田保裕の代打で出場、横山道哉から右越ソロ


城所龍磨: 6月15日対セ・パ交流戦、広島東洋カープ戦8回一死満塁の場面、藤岡好明の代打で出場すると小山田保裕の四球が押し出しとなりプロ初打点となった。


本柳和也: 同期に小山田保裕、川井貴志がいた。


小山田保裕の情報まとめ

もしもしロボ

小山田 保裕(おやまだ やすひろ)さんの誕生日は1976年7月27日です。茨城出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。小山田保裕の現在の年齢は47歳のようです。

小山田保裕のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

小山田 保裕(おやまだ やすひろ、1976年7月27日 - )は、茨城県下館市(現:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。

横浜生まれ。土浦日大高では1年時からエースとして活躍したが、3年夏の茨城県大会決勝で水戸商に惜敗し、準優勝。その後城西大へ進み、大学通算6勝、防御率3.08の活躍で、3年春にはリーグ優勝に貢献した。

1998年度ドラフト会議にて広島東洋カープから5位指名を受けて入団。

入団当初はオーバースローから150km/hを超える速球を投げる投手だった。

1999年シーズン途中にサイドスローへ変更。チームの中継ぎ不足のためルーキーながら28試合に投げ、プロ初勝利を記録した。

2000年も開幕から抑えに抜擢され連続セーブを記録したが、ケガもありなかなか実力を発揮できずにいた。

2001年シーズンは27試合で防御率1.82、被本塁打0本の好成績を挙げ、シーズン後半には再び抑えを任されて5セーブを挙げた。

2002年シーズンは開幕からクローザーに指名され、ほとんどが速球という強気のピッチングを見せ、44試合で防御率2.72、球団史上初の30セーブを挙げる大活躍を見せた。

2003年シーズンには前年から取り組んできたフォークボールを習得。しかし春季キャンプ中の首痛の影響で出遅れ、ルーキーの永川勝浩が抑えに起用されたため、セーブは入団1年目以来の0に終わった。

2004年1月下旬に持病の右ひざ痛が再発し、春季キャンプ参加を断念して手術に踏み切った。当初は中継ぎだったが、先発のコマ不足から7月21日にプロ初先発、6回1失点で先発でのプロ初勝利を挙げた。直球一本やりだった抑え時代の投球スタイルを脱却し、2年間をかけて習得したシュート、シンカー、チェンジアップを丁寧にコースへ投げ分け、140キロ台中盤の直球を生かした。夏場からの先発転向で、当初は立ち上がりが不安定だったが、10月7日に151球完封を成し遂げるなど後半は安定したピッチングを続けた。最終的に4勝を挙げ防御率3.15。11度の先発で6回以上を投げたのが10度と大崩れせず、ローテーションを守り通した。

2005年シーズンは開幕2戦目に初勝利を手にすると、4月23日には山本浩二監督に通算600勝をプレゼントするプロ2度目の完封勝利を挙げた。5月までの2ヶ月間で2完封を含む4完投、5勝を挙げ、防御率2.74と安定したピッチング。ここまで7勝を挙げていた黒田博樹と2枚看板として期待された。ところが、6月からは不調に陥り、序盤での降板が目立つ。右肩の違和感によって二軍落ちとなり、8月4日に69日ぶりの勝利を挙げるも、8月17日のヤクルト戦でまたも右肩痛を発症した。結局、6月以降わずか1勝しか上積みできなかった。自己最多の6勝を挙げたが、目標としていた2桁勝利には届かなかった。

2006年シーズンは右肩痛により一軍初登板は6月3日と出遅れ、6月は中継ぎで6試合に登板し防御率9.00。四球の多さからマーティ・ブラウン監督に二軍降格を命じられた。9月に一軍へ再昇格した後は12試合に登板し、防御率3.00、与えた四球はわずかに2個と改善してシーズンを終えた。3年ぶりに一軍でも二軍でも先発登板がなく、中継ぎに専念した。

2007年シーズンは一軍での先発機会が2度しか与えられず、防御率8.25とプロ入り後ワーストの乱調だった。二軍でも先発6回、中継ぎ9回、抑え8回と起用法が一定しなかった。11月29日に横浜の岸本秀樹・木村昇吾との2対1の交換トレードで、経験のある中継ぎ投手を求めていた横浜ベイスターズへ移籍することが発表され、12月11日に正式に移籍。

2008年シーズンはセットアッパーの加藤武治・木塚敦志の相次ぐ戦線離脱により、中継ぎを中心に39試合に登板。また、ローテーションの谷間に先発を務めるなど、同年総崩れであった横浜のピッチングスタッフの中で獅子奮迅の活躍をみせた。先発・リリーフともにこなし、前半戦こそ最も信頼できるリリーフ投手だったが、ローテーションの谷間の先発起用時に防御率を押し上げてしまった(同様のケースに真田裕貴や桑原謙太朗がいた)。

2009年シーズンは二軍ではストッパーをつとめ10セーブを記録。一軍では中継ぎだけでなく先発も務めたがノックアウトされわずか7試合の出場となった。

2010年は右肩手術の影響で一軍登板なしに終わる。同年10月4日に戦力外通告を受け、11月26日に現役を引退

引退後は球団職員として横浜に残り、営業担当を務め、NPO法人ベイスターズ・ベースボールアカデミーにて少年野球指導などにあたっている。また、球団公式アプリ「ベイスターズプライムカメラ(ベイプラ)」で野球解説もしている。

選手としての特徴

サイドスローからキレの良い球を投げ込む右腕。ストレートの球速は、最速140km/h台後半。

自ら「スカイシュート」と称する変化球を武器とする。小山田が命名した変化球で、シュート回転しながら沈む球で、シンカーにも似た、右バッターの懐をえぐる球種。マスコミには「スカイ」と評されたり、新聞に掲載されはじめた時は「パラシュート」とも記述された。他に、スライダー、シンカーも投げる。

この球を用いて、2005年前半は好調であったが、それまで武器であったストレートの球威が落ち、後半の不調に繋がった。本人曰く、「楽して投げようとしすぎた」とのこと。

人物

山本浩二監督の監督通算600勝のかかった試合に先発し、この試合前に、記者からのインタビューに「ウィニングボールは監督にあげますよ。完封したら?泣きながら監督にあげます」と冗談を言ったが、見事に完封勝利を挙げた。

広島市民球場のロッカールームにある小山田のロッカーには松浦亜弥の写真が貼ってあり、その写真を見てから試合に臨んでいたようである。

入団時(オーバースローだったころ)は小林幹英に腕の使い方が似ていたため、小林幹英2世と評されていた。

2024/06/09 18:13更新

oyamada yasuhiro


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